家の中にいると気まずくなるなら外に出るといいじゃない、とか言われるじゃないですか。
田舎なので行き場所なんて近所のスーパーか公園か野山しかないじゃないですか。
ばったり顔見知りとかに会ったらそれはそれでとてもやばい。田舎なので距離感が近いから逃げ場もない。
レジャー施設?ゲーセン?何それ美味しいのレベルに何もなくなると、
アウトドア趣味があったとしても、日帰りでえらい目に遭って帰ってくる羽目になる。
アウトドア適性がない(日光湿疹持ち、アレルギー体質、新型コロナワクチン副反応でずっと皮膚の調子が変)などあると、
迂闊に外にも出られないし汗もかけないし何かしたら結局清拭してあとは我慢になるので、
家庭内にいるのが気まずくても外には出られないようになっている。誠に遺憾である。
そしてインドア趣味を極めた挙句最終的に引きこもるしかなくなる。
しかもエアコンがないと死ぬとか訳のわからないことを言い放ちながら。
どんだけ現代社会の構造に縛られて生きていかなければならないのですか、と考えれば考えるほどふっと一人になりたくなる。
誰かに気を使わせるのも面倒だし、使わせたら義理と人情という訳のわからないものを切り出されて関係がややこしく面倒になるし、
社会の音が聞こえることがうるさい、近所のボール遊びとかなんか祭りがうるさい、とかではなく、
人間が生活を営んでいる音自体から距離をとりたくなる。最悪蜘蛛とかが話し相手でもいい。
自分の空間に他の人間が存在しない、存在する余地がない、連絡する手段も限られている、
という現代社会では到底不可能な夢想を抱えていくらぐらい経つだろう。
まあこの文章を書いている時点で、バリバリ情報機器には触れているので前提がもうバラバラに崩壊していますが。
仕事は仕事でちゃんとやりますから、他はなるべく一人になりたいし、物理的にそのようでなければいけない。
コミュニケーションに障害がある以上、ほどほどの人間付き合いが一番人間の中で高レベルかつ厄介なので、
福祉のメンターの方だけ定期的にくるだけで、あとはなるべく一人になれないか、
でも収入が安定しない場合には現金が年金とかに限られてくるとそもそも家を借りられないし(まあ障害者だし)
生活保護を申請するにしても知っている限りの親戚に一斉に連絡が飛ぶので、
一番面倒な人間関係を処理しておかないとおちおち生活保護にもなれない。
私はプライベートでは一人でじっとしていたいだけである。それだけのことが何故できないのか。
誠に遺憾である。