飲み会に行けば罪悪感に満ち溢れる | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

コロナ禍で飲み会とか宴会の文化なんて根本的になくなってしまったらよかったのに。

誠に遺憾である。


自分が飲み会に行かないのは行く理由と必然性がないからである。

まず酒を飲まない。元々酒癖もそんなに良い方ではないのでいろいろあって酒を飲まなくなった。

元々日常的に酒を買い求めることもなかったり、一時期梅酒をつけていたけれどそれも飲みきれなくなってやめたし、

酒を飲むという文化そのものが自分の中に存在していない。飲んだら一日パーであるから、パーにならないように飲まない。

次に人と話が合わない。致命的に合わない。周りが障害者だらけならともかく、近くに誰がいるかも分からない状況で迂闊に口を開くべきではない。

合わせようにも社会性が欠如しているので、なんか話の調子を合わせたり、とか、適当な話題を振る、ということが難しい。

むしろ最初から最後まで何も喋らないで食べて帰った方がどれだけ平和だろうか。

話したら話したで、あの話題がまずかったとか帰宅後に反省会を開いて抗不安薬を飲んで寝る、

という普通の人ならまずしないことをして生活しているのである。

そもそも仕事以外で定期的に会う人がいる、いなければいけないこと自体がイレギュラーである。

そして、騒がしい空間というのが自分の精神的安全を脅かしにくる。騒音、特に酒の入った大声というのは心をハンマーで殴る行為である。

居酒屋とかではなくテーブルマナーのある店に入って騒がしさを完封できるものなら是非そうしたいものである。

簡単に言えないが、酒場にいても自分の居場所ではないという意識を常に感じながら存在しているので、

飲み会という文化自体が自分の体に根本的に合わない、という当たり前のような結論である。

私は静かに暮らしたい。静かに暮らせるためになら全力を尽くすだろう。

ところが世の中には別に鳴らなくてもいい音があまりにも多すぎる。

多すぎてデスメタルで耳を塞ぎたくなる。

誠に遺憾である。