この支配からの卒業 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

なんか急に家出したくなるような尾崎豊みたいなことを勝手に題名にして、

尾崎は尾崎でも尾崎放哉みたいにもう家ごとぶん投げてしまいたくなって、

ジャンボ尾崎みたいないいぞ。と言えるスキルでもあれば勝手に何処かに行けるのに、

色々なもの、自分の障害、メンタル、その他諸々の事情、全てひっくるめてどうしようもない。

毎年毎月毎回のごとく出家したいとか山に籠りたいだとか譫言のように喚いておりますが、

要は自分の構造が人間と人間の間にいることに適していないのだと。

何か大切なものでも、近くではなく、遠目に見て何かあれば行けるようにするぐらいの距離感でないと私が精神的に参る。

特に親とかいう覆せないものだと特に。

社会人になって一人暮らしを始めた時の感覚、というのに慣れてしまうと、実家に帰った時にリズムが根本的に狂い出す。

まるでサン=サーンスの死の舞踏ではないか、と思うくらいに。

波風立てたり荒れ狂ったりはしていないけれど、太い不協和音が止むことなく荒れ狂っていると。

育ってきた環境は同じだけれど、すれ違いは否めない、などと訳の分からないことを言い出す。

人間いつでも柔和にしないと生きてはいけない、和が大事、とかいうけれど、

ぶつかる時はぶつかるのです。

問題は家庭内で問題を提起したら自分対その他大勢になりかねない事なんですが。

そのへんは常に少数派であろうと心がけて来た自分への正当な報いである。

反抗ではないけれど、少しは自分に都合よくしたいとは思うが、訴える相手が常に自分より多いと何も聞いてもらえないのか、

などと無力感とか無気力な気分になる。

別に家の窓ガラスを壊して回るわけではないですが、何でもかんでも親と合うなんて思ってほしくない。

そして題名通りいつかはお互いにこの支配からの卒業、とかできたらいいですね、と考えるわけである。

誠に遺憾である。