一人で過ごすならば気にしていなかったものも、誰かと暮らすようになって案外気になる。
一人で過ごすうちに、無意識で感覚過敏に引っかかるものを外に置いて、触れないようにしていたから気にならないだけ、
実家に帰ってから心の底で避けていたものが思うより多かったのだな、と、
誰かと生活空間を合わせて自己の感覚に合わないものをボコボコぶつけられるようなことになって気がついたものである。
まず大音量で音は流さない。一人暮らしで自分だけに聴こえる音量か、うるさいジャンル(メタル系)はヘッドホンで聴いたり、
ギターやベースの練習も細かいことを気にしない限りはアンプからヘッドホンを繋いでいた。
繋がなければどうなるか、はお察し下さい。よく近隣騒音とか言われるようなアレになります。
打楽器も消音器をつけて練習して(なお他の楽器と比べたら効果は薄いので漏れる時は漏れる)
とにかく音には気をつけて過ごしていたが、人と住むと何かと物音が多く、
大きくはなくてもそれなりの音量で音楽とか広告を垂れ流しにされる。
自分はスマホとか着信音もミュートするくらい変に気を使っているので、
音を垂れ流しにする人はなんでそれが不快なものになっているのか想像も及ばないのだろう。
なおそんな過敏な人間がどうしてバンドとか合唱とかやれているんですか、と聞かれたら、
自分や他の人の出す音に隠れて他の音を気にしなくていいから、と答える。
静かなら聞こえる音も、アンサンブルの中に紛れて聞こえないようにすれば聞こえないと同じだから気にする必要はないのである。
それに長話と違って、曲には大抵始まりと終わりがあるから、いつこの話が終わるんですか、という心配もしなくてもいい。
音を鳴らしている間は気楽でいい。近所迷惑になることを除けば。
それに一人暮らしをしている時は会話する相手も特にいないし電話とか連絡も緊急時以外は全く取る気にならないので、
人の話し声なんて聞こえたらまず幻聴の類なのだろうと思う。それはそれでやばいので聞こえたら心療内科に駆け込むが、
家族で住むと両親がほとんど常に一緒にいて何かを話しているので、気の休まる時間がない。
自分にとって必要な話とは何か、と言われたら特に話すこともないので勝手に何処かで浮いている。
ただ家の中で浮くと何かと気まずいし親があれこれ自分のことで何か不穏なことを言い出したりしないかと気になって気に病む。
別に何を話してもいいが、耳がいいと余計な、聞きたくもないことも拾うので、
自分のパソコンを持って移動できるならとっくにしているだろう。
問題は自機がデスクトップでおいおい持ち運べない重さと大きさである、という事なんですが。
どんな集団生活でも自分には荷が重いという意味で不適格なので、今流行りのラノベのように、
なんか適当な理由でもつけて追放されないかななどと不穏な事を思っている。
そして追放先で誰も入れないようにして一人で死ぬまで佇んでいるのである。
人に気は遣わせたくないのに、障害と持病の都合上どうしても人に気を遣わせてしまうから、
もう全部ぶん投げたくなる時が稀によくある。
そしてぶん投げられてやっとカームダウンができるという、誠に理不尽なことになっている。
誠に遺憾である。