クラシックが好き、と言ってもどのクラシックが好きなの、と聞かれることはほとんどない。
音楽のサークルとかにいた時に話題にできればするくらいであるから、マイナーと言えばマイナーである。
実際、親や知り合いほど話が通じなくなるので誰にクラシックで誰が好きなんですか、などと話していいかわからない。
いやあ、後期ロマン派は感覚的に受け付けないんですよ、と言ってわかる人間は周囲にはいない。
誠に遺憾である。
クラシックなら大きなジャンルとしてのクラシックでひとまとめにされて片付けられる。
そんなことはどうでもいいが、とにかく楽団が大規模編成であればあるほど自分には受け付けないので、
マーラーとかヴェルディとかひたすら人を呼んで壁と強弱を作るタイプの音楽は受け付けない。
声楽(合唱)を一時期がっつり専門的にやったのにオペラが一番嫌いであるという理解不能な感じになっている。
当然ワグネリアンではない。ニーチェを信奉する者は当然ワグネリアンであってはならない(譫言)
というかニーチェの作曲家としての音楽、楽曲はもうちょっと広まってもいいと思う。
知名度があがればニーチェの音楽を聴きながらニーチェの著書を読んでくつろぐこともできるわけである。
ちなみに一番最初に買ったクラシックの楽譜はサティのジムノペディが入った曲集でした。
なおサティやラヴェルは好きですがドビュッシーはなぜか受け付けません。自然と体が受け付けないのです。
一時期ジョンケージとかライヒとかメシアンとかペンデレツキとか要するに現代音楽にぶち当たってそれっぽい音楽を奏でていましたが、
そちらの経験は何故かエレキギターのエフェクターを組み合わせる音作りに活かされています。
では昔ならダメなのかというと古楽から前期ロマン派までは特に問題なく聴けます。バッハとか大好物です。
今は車の中でコレルリの合奏協奏曲やシューマンのピアノ協奏曲を聴いたりしております。
劇場音楽は激情すぎて受け入れられない、とかダジャレのような事を言いますが、実際激しいのが合わないから仕方がない。
合わないのをどうやって合わせればいいのか。
それは多分ロックの中でもビートルズとかオアシスが嫌いだから聞きたくも弾きたくもないと言っているのと似たようなものだと思う。
クラシックは時代が長すぎて実に複雑だけれども、一言で強引にまとめれば単なる細分化されただけの好き嫌いでしかない。
ただ言ってわかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ、で終わりなので誠に遺憾である。