人の前で政治と宗教とスポーツ(特に野球)の話はしてはならないと言われているが、
ニュースやワイドショーで取り上げて見させられるとなんか反応しないといけないような気がする。
親とかなら間合いがわかるからセーブできるが、仕事先で誰かといると話しを振られる可能性が無いわけではない。
当然反応に困る。黙っているとエグく突っ込んでくる事もあるからできれば逃げたい。
ややこしい話なんて話せば話すほど余計にややこしくなるだけじゃありませんか。
テレビはなるべく見ないようにしているが、外に出るとその原則も蔑ろにされ、
談笑という名を称した会話を如何に避けるかの勝負になる。
誰が何を信じているだとか、何が好きだとか、何に関わっているかとか、知れば知るほど余計なことじゃないですか。
私は私という広大な庭を広く掘り下げたいだけであり、他人の思想信条なんて何も関係ない。
完全に話をしたくない訳ではないが、後でややこしくなる話はしたくない。
また軽薄な、知性を感じられない話もしたくない。世間の流行とか芸能の何かとか、個人の存立に比べれば至極どうでもいい話題である。
それよりも、個人がどう個人であるかを掘り下げて行った方が自他共に平和になりませんか。
ちゃんと仕事とか業務はしますので、それ以外の関わりはなるべく減らしませんか。
という事を何となく理解してほしいが世の中はそんな意味はないかのように動いている。
宗教がどうだと義憤に駆られる暇があるなら、犬に仏性はあるのかないのかを真剣に考えた方がいい。
目の前に見えるように課題が張り付けられているのに、それより遠いテレビの景色を見たところで、
私の私という部分の何と会話できるというのだろうか。テレビに囚われるなら空中に言葉を吐いた方がマシである。
そういう意味で目の前には壁があった方がいい。強引に話を振られるなら強引に壁に向かう選択肢もあっていいはずである。