自分のプライベートに触れない話 | 隠者の庵

隠者の庵

自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

ここのブログでも自分の話をする時になるべく話したくないジャンルは意識的にでも無意識的にでも避けて通っているが、

何故そんな事をするのかというと、過去が汚点にしか見えなかったり、

実際働いて来たところの他人からの自分の仕事の評価も決して褒められるようなものではないからである。

最早存在することが汚点、履歴書には嘘は書けないが、厳密さと正確さを求められる場所以外は、

話したくないものはそのまま見なかった事にして放っておいてほしいからである。

意図的に汚点に触れないようにしているが、実際触れられると精神的にダメージは避けられない。

最悪トラウマに触れてフラッシュバックを起こしたりパニックになったりするだろう。

心底隠し通しておきたい話題を勝手に掘り起こされると、封印して来た傷を発掘することになるのである。

過去は自分を殺しに来るのです。


障害者の中でも過去の話をできる人とできない人(自分は後者)がいるが、

できる人というのは過去の経歴と障害の原因が関係ないから話ができるのだと思う。

怪我や急病などの障害が職業の内容や結果に深刻に響くことなく過ごせる人は、過去の話をしても障害には触らないので、

特に臆することなく話すことができたり、隠さなければならない話題も比較的少なくて済むだろう。

然るに職業経験が障害の症状によって妨げられたり、評価が著しく低かったり、あるいは職場で変な噂とか流された場合には、

もう話にする事も可能な限りしないで過ごせるならぜひそうしたいものである。

誰が呼ばれてでもいないのに自分の汚点を正面から見据えて話せる程の度胸があると思いますか。

そんな勇気はとっくのとうに消え去っている。消え去るべくして消えるのである。

本当に立場上経歴を話さなければいけない福祉関係者ならともかく、

その辺の市井の人にプライバシーに関わる話をしたなら尾鰭でもつけて拡散されて、

精神的な健康を損ない、精神的にクライシス、平和ではいられない。

そんなに人は他人の過去なり歴史なりを把握しないと生きていけないのだろうか。