不祥事を見ても動じない心 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

最近自分の関心があるゲームやアニメとかに関わった人のそれなりに大きな不祥事とか関係者の逮捕が起きて、

その人が関わったコンテンツとかゲームの部分とかどうなるんですか、とか思っているが、

主題歌のようにそう簡単に取り替えられないものはそのままにしてもクレジットは消されるし、

ずっとアニメやゲーム中で使ってきて馴染んだ曲とか一体どうするのかと思う。

長渕剛とか槇原敬之とか薬物で犠牲者がある意味自分だけで済む、となれば禊が済めば復帰も出来ようが、

被害者がいるというのが明らかである、となるならば原作者が逮捕されたアクタージュのように、

話が途中のままおじゃんになって戻ってこないということも覚悟しなければならないだろう。

まあゲームをすることに関してユーザーの側がそこまで騒ぎ立てなくても、

道義的責任ということになって必然的な流れで変わっていくのだろう、

そしてトロツキーのようにその場所に居たことが、存在そのものが消えていくのだろう。

 

不祥事というものはかくも広範囲に影響を及ぼし、冗談ではならない損害をまき散らしていくのだが、

不祥事とかスキャンダルを通して、関わったコンテンツや周辺の関係者に対して誹謗中傷を行ったり、

週刊誌のパパラッチのようなのがしつこく取材を強引に繰り返したり、

なにかと話に尾ひれをつけてまき散らしたりと、

人の感情を煽るやり方をやって実際に人を巻き込んで更にわめき散らしたりする、というのは、

自分のような人間に興味のない人間にとっては本当にどうしてこんなことをするのか、

と理解しようとしても到底出来ない、という結果になり、首をかしげたまま、

芸能誌の巨大な見出しとかを見て絶望的な顔をして通り過ぎる。

こんなこと、というのも正直どうかとは思うが、他にすることはないのですか、とも思う。

もっと率直に言えば話について行けないのである。

なんかこうもうちょっと放っておかれる権利とか義務とかないんですか。

不倫とか離婚とかトラブルじみたような話題で、ちょくちょく芸能人の話が持ち上がるが、

芸能人に興味がなければ一個人の関係がこじれた、というような話でしかない。

極端に言うと自分の精神のあり方に何の関係のない話なんて聞いてもしょうがない、ということである。

そしてジャーナリストがまき散らした話題で盛り上がっている人の会話を聞いていると、

本当にしょうもない気分になる。

政治的な話で法律とか制度が変わったりするならば、自分にも少なからず関係があるから、

適度に話題にしなければならないし、問題意識も持って過ごすようになるが、

芸能人とは違う世界の別に生活にほぼ関係ない他人の出来事である。

別に家族の話でもなく、other、他人です、としか言いようのない話に入るような関心も興味もない。

勝手に盛り上がってくれと思って傍目で見ているが、大体そうしていると空気が読めない、と言われる。

しかし自分にはどうでもいい人の話で盛り上がる方に違和感がある。

そうして人間関係に無関心を決め込みながら自分の内面の精神世界を、

できる限り個人情報に触れない可能な限り克明に記述して生きている。

人間関係なんて持ち出すだけ面倒ごとが増えるじゃないですか。興味のない話に共感しようとしても、

どうせ顔(表情)で興味のないのは露骨にばれるだろうし、興味があるフリも出来ない。

ましてや誹謗中傷なんて論外である。

何か近場の店や行政機関に色々相談や手続きをしに行こうと思って実際にそこに行ったら、

窓口の担当者の態度が悪いとか、明らかに仕事が遅いとかなら、支障が出て自分にも関係があるから、

時折なんとかならないか、とか思うし、問題意識も持つようになる。

しかるに芸能人とは自分が触れることのないまったく別の世界の住人であるから、問題意識を持とうにも、

処理・解決する方法も手段も見つからないから、話題にするだけ無駄な話だろうと思うわけである。

そんなことに時間を取られたくはない。先述したとおり面倒ごとに過ぎないのである。

それなら本でも読んだり静かに音楽でも聴いた方が遙かに有意義である。

 

と思うのが、人間に興味のない人間の思考なのであります。