神は死んだ(ニーチェ感)
ちょっと前から神曲とか神サービスとか何かにつけて神神言いたがるような風潮なので、
神は死んだと思っている人間はそんなに神なんて容易く使っていいものなのかと思うし、
あれこれ神なんてつけたら神のバーゲンセールみたいになってかえって有り難みがない、
などと意味不明な事を思う今日この頃である。
神は妄想である(リチャードドーキンス感)
神という概念を体感的に理解できないものは神というフレーズの有り難さが理解できない。
日本にいれば絶対的な一神教、という概念が把握しにくい、というか教育されない状態なので、
神様といって思い浮かぶイメージは一神教圏とは大いに異なるだろうと思う。
別にお客様も神様ではないし、神様というイメージ自体が頭の中の出来事である。
観念的なイメージは出来ても、実在的なイメージは虚像や偶像にでもしなければ統一できない。
そして勝手に神像を作り上げてモーセやツァラトゥストラに破壊されるのである。
それならまだ汎神論的な考えの方が自分の身体に合うし、自然法則や物理学そのものが神であるとするならば、
神という言葉を敢えて使うまでもなく世界は真理である。学問によってわからないことだらけでも間違いなく真理である。
意識しなくてもあるならば名前をつける必要もなく、仰々しく扱うものでもない。
山の頂上に少しずつ白いものが積もり、秋らしい空の色が見えてくる。
風は少しずつ寒く冷たくなっていき、これから雪が降るのを地上で迎える。
もし私にとって神がいるのであればそのような感じである。殊更に取り上げるようなものでもない。
季節感とかしみじみ感じる僅かな、微妙な変化が、私にとっては世界そのものである。
それを神と言えるのであれば神なのかもしれない。でも私にとっては神ではない。
もっと言葉にしにくい何かである。