よくわからないことをやるのが趣味 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

私は自分がやっていることについて他人と共有したいとはそんなに思わない。

どうしても他人としないと出来ない音楽活動やスポーツだけは集団でやるとしても、それ以外のことを他人とする気はない。

床に哲学書が散らばっているような私室を見て馬鹿げた人間だと思わないようであれば正常ではない。

そのほかよくわからないものを収集したりして雑に積み上げている。

具体的に言えばゲームソフトだったり、ミリタリー関係の書籍だったり、ギターのエフェクターだったりする。

そしてそれを何処かに持って行って「これいいでしょう」ということにはならない。

ヤフオクとかを覗いてみると、手持ちのもので何かそれなりに値段のつくようなものを持っていたり、

なんかの弾みで手に入れた限定品なども持っていたりする。だけれどもそれについて話題を共有しようと思わない。

あくまでも個人の箱庭の中に集めたものを積み上げて、眺めているような感覚、

砂場で延々と城とか山とか水の流れる道などを作っているような、そんな感覚である。

気が向いたら何処かで取り上げるかもしれないが、あくまで気が向いたら、である。

 

ゲームとかソシャゲとかをやってもそもそも誰かと組む気もないので、一人でチームを組んだり、

ノルマとか挨拶とか会話とかのないチームに入って無言で活動している。

人に時間を縛られるのは私の本意ではない。極力一人で出来ることは一人でしたいし、

本当にやばいというか危険なとき以外、近くの人にすら頼りたくもない。

出来れば近くにあるものを取ってくれとも言いたくない。数歩自力で歩けば取れるからである。

その僅かな声かけすら面倒くさい、という感覚はあんまり理解してもらえないだろうと思う。

別に麻痺とか不随とかにもなっていないのに誰かに頼むなんて私はやりたくない。

他人に物事を頼むということは自分で面倒くさいほど大仰に動くより遙かに面倒くさい。

当然のことながら自分のことはなるべく他人には頼みたくない。

あれを買ってくれとか、手に入れたいものがあるとか、話すのも面倒くさいが電話とかメールを送るのが一番面倒くさい。

他人と様々な交渉や折衝をするなら「何故我々は生きているのか」と問う方がマシである。

数十分かけて車とか公共交通機関を使って自力で行ける場所なら自力で行く。出来れば自分の目でしか判断したくない。

他人に頼んでああでもないこうでもないとあれこれもめる方が遙かに面倒くさい。

全部自分でやりたがるので、多分他の人にはこの人一体何をやっているのだろう、と思われることだろう。

前にも何度か書いたと思うが、インフラ周りの修理とか本当に専門家に依頼しないと死ぬようなこと以外は自分でやりたいし、

趣味とか余暇行動もなるべく一人で収まるように片付ける。自分の部屋は散らかりっぱなしですが。

自分の生活のほぼ全てを、自分の手中に収めて、時間割があるように行動する。

これだけが出来れば自分の精神は大抵平安である。平安でないのは誰かが絡むときである。

無の境地、と言ったら必ず語弊があるだろうが、そこに誰かがいても意識しないような生活がしたい。

人というのは岩のようなものでぶつかったら痛いし、岩に語りかけても何も返してくれない。

自分でも他人の趣味や行動が訳のわからないものだと折に触れ思うのに、自分がそう思われない保証なんてない。

むしろ他人より余計におかしい。自覚があってやっているから確信犯と言われても反論はしない。

おかしいから他人に合わせよう、ではなくズレと歪みをできる限り大事にしよう、と思うのである。

そこで妥協したり、折り合いをつけたとしても、譲り合いの結果構築されたものは自分ではないし、

自分の手で一から十まで監修したものだけが自分の作品である。

そして一番妥協していないのがここの文章群である。変だと思うならば、そういうものである。

誰かにおかしいと思われても、きっとそういうものである。

他人の目に縛られて行動をあれこれ手直しすることが、社会的には必要ではあるけれども、

私生活でそのような残虐な行為は行われないようにしたい。手当があるとしてももらいたくない。

結果自分の行動は本当に誰から見てもよくわからないように見えるのが正常であるし、

自らの価値観からして正常でない行動はできる限り行いたくない。

オチがよくわからない落とし所になっているが、人生と同じでだいたいそういうものである。