障害とか障碍とか障がいとか表記が非常に面倒くさいと思う | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

ここでは過去には障害を障碍と書いておりましたが、途中で区別をつけるのが面倒くさくなったため、

というか、タグをつける時に表記揺れが起きて非常にややこしいので、やめました。

それでも「障がい」だけは勘弁してほしいと思う。

ここでわざわざ表音文字と表意文字の区別がどうたら、とかやっても余計にややこしくなるだけなのでやりたくないが、

「障がい」なんて書いていたらいずれは「しょうがい」というひょうきになって、かんじのいみなんてなんですか、と、なりかねないので、

表記上漢字を使うべき所はちゃんと使うべきだと思うのである。

こういう表面的にどうでもいいことに異様に拘る、というのが発達障害の症状の一つですが、

当事者の側からすれば漢字をどう使うかとかニュアンスが異なり、多分同じ発達障害の人間をまとめたら話がまとまらないと思う。

ただ外国の文字を廃止しようとして実際にやったら、同音異義語が多くて文脈で把握しないと意味がわからない、

「放水」と「防水」が同じ発音になって色々大変なことになった韓国の話を聞くと、

個人的には漢字を使えるなら使った方がいい、とは思います。

表意文字と表音文字を組み合わせて使う日本語は構造上漢字を取り払えば、

漢字を廃止した韓国と同じような事件を招く事になるでしょう。

言葉を使っている以上、障害者、という表現をどう変えるにしても、

元からある障害という意味から逃れられるわけもないので、何を使ってもイメージが変わらなければ、

大体何をやっても元の意味はついて回ってくるだろうと思う。

昔は父兄だったものが家庭から兄が離れて父母になったと思ったら、離婚率が高くなったので二人いない時もあるから保護者になったり、

構成上、時代の変化によって実状と中身が変われば表記も変えていく必要があると思うが、

障害はどの時期にどれを扱おうとももれなく障害である。言葉をいくら変えようと中身は障害であり、逃れられないものである。

本質が変わらなければ言葉をいくら変えても中身はついてくる。

障害から障がいとか、漢字を使わないぐらいで簡単に意味から逃れられるのであれば、

そんな簡単に意味と現実から逃げられるものなら逃げてみたいと思う。

まあ実際はいくら逃亡者になっても現実に追われる身なのですが。

言葉をいかに弄ろうと、本質が変わらなければ何を変えても小手先程度のものである。

まさか障がいがあるということは、障害があるという事なんです、とか言うわけにも行かない。

他にすることがあるならばそれを先に片付けるべきであると思う。