題名のような空想じみたような理想は誰でも掲げることはあるとは思うが、
多分自分が他の人と異なって見えるのは、
「ゲームと音楽と本に囲まれて暮らしたい」(それ以外のものには囲まれたくない)
といったところだろうか。
何が言いたいかというと、人間関係も捨てる中に遠慮なく入っているのである。
要するに引きこもりのような生活サイクルになると。
仕事が終わった後とか、土日とか、大体誰かと食事をしたり、一緒にどこかにでかけたりとか、
そういうものを想定することは殆どなかった。
人間関係なんてぶっちゃけどうでもいいから、趣味の時間だけ確保しておきたい、
と世迷い言のたぐいを吐き出しながら生活してきたわけでございます。
当然そんなことをすればはぐれるようなことにしかならないのが落ちでして。
あれこれあって診断を受けてから、結局上記のことを迷いなく実行できているあたり、
孤独に対する耐性は強いほうなのだろう、というか群れることに耐えられない。
誰かの威を借りるなんてさもしいことである。
集団スポーツをやれば集団の和を乱し、宴会をやれば気がついたら浮いているかいなくなっている、
川の底に沈んででも身を隠そうとするのかもしれない。
人間には向き不向きがある、というのであれば、集団生活に向いていない、
多分度を越して向いていない、なんかそんな気がする。
あとはひとりで出来ることを思う存分楽しむしか残っていないのである。
選択肢が残っていないとも言えよう。
破滅する人間関係なら、最初からなかったほうが何かとマシである。
人を引きずり回させるのはもう勘弁していただきたい。
新型コロナウイルスの影響でステイホームとか三密を避けてとかよく言われるが、
実際のところ作業所に向かう以外、一人で家にこもっている以上、
何かをしろと言われても誰とも関わらないような状況で、これ以上自分で心がけることなんて、
ほんの少ししか残っていないのではないか、と思うわけである。
電話もメールもLINEもその他諸々の関わり合いも、全てない静寂の時間、
と聞いて身の毛がよだつような思いをする人とは、多分自分は対極の世界にいるだろう。
当然ドルチェ&ガッバーナの香水のせいにもできません。
一人でいることは他人のせいにもできない。紛れもなく自分のせいです。
楽しいか楽しくないかはわかりませんが、他人といるのは苦痛です。
何よりも自分が駄目なことにそのうち自他共に耐えられなくなる。
よくそんな体たらくでコミュニケーションをとろうなんて思う程度には。
だから自分が、自分だけが楽しめるゲームと音楽と本に囲まれていれば、
檻の中に入れているように安心するでしょう。
私にとっては、世の中はそういうものです。