そういえば「KY」というのが「空気が読めない」というのは今でも通じるんでしょうかね。
空気が読めないにも色々な種類があると思うが、
とりあえず人の表情というのは自分の場合大体見えているものしかわからないし、
見えているものでも見逃すものが結構ある。
そんな状態で見えない表情を察することが出来るか、と問われれば、
やっぱり絶望的なんじゃないの?とは思うのである。
分厚いマニュアルを暗記させた方がまだマシな気がしてならない。
その辺薬でどうにかなりませんものかね。
現状、空気が読めない状態で変に立ち回ったため、
自分が最初から空気が読めない状態だと理解してからは、対人関係に対する恐怖心が何処かにあり、
結果として深い対人関係を避けるようになっているのが現状である。
その症状を深く引きずると不安が高じて家の中に閉じこもったり、
連絡を取るのをひどく嫌がったりするようになるのである。
そして時折抗うつ剤も飲んだりする。
そのあたりの症状の重さは強迫的行動の強さで大凡判別することが出来る。
色々考えてももはやどうすることも出来ないようなものを何とかしようとして、
余計にひどい目に遭ったことが何回あっただろうか。
とか考えると余計なことを考えて更に対人恐怖の程度がひどくなる。
もう少し世界が簡単だったら過ごしやすい世の中になるのだろうか、と考えてもう十年ぐらい経つ。
診断を貰ったから何かが大きく変わったわけでもない。
ただ私がKYだということが判明したのは確かである。
読めないものは読めないのである。