発達障碍を親に解ってもらえるか | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

結局の所発達障碍の予後というのは、
「親が自分の子供に障碍があることを認められるか」にかかっているだろうと思う。
自分で「こりゃダメだな」と思って資料を抱えて病院に行っても、
親に生育歴を聞かなければ確定的なところまで話が進まない可能性があるので、
「元々交渉力の無い人間が他人を説得するなんてどうかしている」とは思うけれども、
それでも親には理解していただかなければならないとは思うのである。
それでストレスの種がどれだけ減ることか。
「気持ちの問題」とか精神論で片付けられるようなレベルの話でないことを、
頭でも心でも理解してもらわないとそもそも話にならない。

自分は親が看護師だったこともあり、それなりに何とかなったが、
それでも話が一筋縄で進んだとは言えない。
ただ診断書や説明のための資料を親に見せたらそのまま捨てられたとか笑えないような話もあり、
こっちは冗談じゃなくて病院に通っているのに、
普通だったら普通の方がいいことは言うまでも無いことも解っているのに、
それでも敢えて病院に行ってするべき事があるというのは、
もうのっぴきならない事情があるものだと言うことを、
あらゆる手段で訴えかけないといけないものである。
それでも解ってもらえないのであれば、不必要に病状も悪くなるから、
独立できるならした方がいいとすら思う。
グループホームとかに行って解る人に解ってもらえないと、
割と本気で精神的危機に立たされるだろうと思う。

親が悪いとか誰が悪いとかではなく、一個人の前に深刻な問題があることを、
解ってもらえなければ、何もかもがどうしようもない。
一番の理解者であるものに意志を妨げられるのは、
笑い事で済まない危機である。