人生こだわりの塊でできていると思っている自分には、
こだわりのない人生というのが想像できない。
妥協とはなんであるか。妥協するなら考えない方がマシである。
そんな他愛もないことを思い続ける今日この頃。
と言っても、こだわりとは、日常の細かなことであったり、些細なルールであったり、
本当に他人からすればどうしてそこが気に食わないのだろう、と思われるようなことだったりする。
だが当事者にとってすれば、こだわりを拒否されることは天地をひっくり返されるような出来事なのである。
だからこそ自分は人を巻き込みたくはないし、そのように生活のルールを定めてきた。
自分のこだわりに自分が浸れば、他人まで水浸しにする必要はない。
そんなことをして一体どうするというのか。
他人に関心のないことも、たぶんこだわりの範疇にあるだろうと思う。
なければここまでこだわらない。
自分のこだわりの領域に手を出し、それ以外の領域を完全無視して生きること数十年。
結局妥協することもありましたが、興味のないものには本当に手を出さずに過ごしている。
敢えて言葉にするけれども服は着られれば良く、靴は履ければいい。
時計は時間が分かるより先のことは求めない。
身だしなみを犠牲にして音楽とゲームに魂をかけるのである。
他の人から見れば徒労に等しく見えるかもしれませんが、
そこはどうやってもひっくり返されたくない場所なのであります。