私には所謂「リア充」と呼ばれる人の生活が、何故理想的か理解出来ない。
人とのしがらみに囚われ、人に絡め取られ、
人に溺れるのがどうして充実しているのか。
「人の最大の不幸は、家の中でじっとしていられないこと云々」とある哲学者が言っていたが、
今の世の中は家にいても平気で人の心が土足で入ってくるような仕組みになっている。
どうにも救いようがない。
今のところ、そういうツール(主にSNSとか携帯電話系)を意図的に入れないようにして防御しているが、
それで防御できないのが現代社会なんじゃないか、
むしろ防御させないように出来ているんじゃないか。
もし「普通」に生活するならば、
自分のようにコミュニケーションツールから全力で逃げ切ることは出来ないだろう。
頭の痛い話である。
目先の人に囚われて肝心の自分を見失う、そういう事態は避けたい。
と思い続けて結構な時間が経つ。
逆方向に(それこそ普通に)突き進んで痛い目を見て、どうして今更普通に憧れることが出来るだろう?
それこそ精神安定剤とか抗不安薬が必要なレベルで。
薬物や心理療法で感情を無理矢理コントロールして、
一体個人に何の幸福があるだろうか。
性向的に人を避けて通る者まで、コミュニケーションの嵐に晒される、
そういうのを傲慢と言わずして何と言おうか。
まあ、誰かの騒ぎ声がするだけで、心の耳を閉ざしたくなる、という表現をしたときに、
それを理解しようとする人がどれだけいるかも果たして疑問である。