そんなに「人生は不幸だ」とか
「人間いずれは死ぬ」とか
そんなに暗いことを言ってどうするの?
とか言われそうだが、
結局の所「自分とは何か真剣に考えてみませんか?」
と言いたいのである。
自分が自分であることとは何か、世間や常識、社会から一度視線を外して
自分自身の目で自分を見つめ、考え、確認することは
自分でしか出来ないのである。
それも自分が生きている内に。
死ぬ前になって世間一般の常識でものを考えて
自分の物差しで物を見ることがない、というのは
私にとっては計り知れないほどの不幸である。
社会に縛られ、自分の目すら何処かにやって来てしまったのか、
と嘆かざるを得ない。
自分が客観的にどう見られているか、それは社会が判断してくれる。
しかし自分自身が本当に主観的に自分であったかどうかは、
自分でしか確認出来ない。自分で頭を使わないと確認出来ない。
世間一般の価値観に踊らされて、自分が疎外されるようなことは
避けなければならないわけである。
自分を見つめるには、様々な手段がある。
私の場合、たまたま「自閉症スペクトラム」という切り込む手段(?)が与えられているので、
症状を書物や見識を元に分析しながら、
結局自分はどのように生きていけばいいのか、の手立てにしている。
そうでなくとも、自分が自分について考えるきっかけは何処にでも転がっているはずなのである。
見ようとしないだけで。
私は「それを見ようじゃないか」と言うだけである。
見なければ解らないものは沢山ある。
しかし、死ぬ前に見なければ決して見えない物であるから、
死ぬ、といわなければならない気がするのである。
どうして人は死を遠ざけようとするのか。
死はありふれたものである。
目を背けてもやってくるものである。
それを見ないで一体何を見るのだろうか。