希望と絶望 | 隠者の庵

隠者の庵

自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

人間は死ぬ、故に人生は幸せではない。
 
人生に希望を…と言う人の言葉が空虚に聞こえて仕方がない。
ではその希望を外せばどうなるか、
生きて死んでいくだけである。
どんな人間でも生き物でも、生きれば死んでいくのである。
因果のようなものである。
 
希望とは、将来に対する展望が明るいことに根拠を持つことである。
明日が明るいと思わなければ、希望などはない。
しかし、人間の現時点での最終到着地は「死」であって、
今のところそれを覆せるあらゆる手段が断たれているので、
明日を繰り返す内に死に近づいて、いずれは死んでしまうのである。
積み上げた希望はいずれ砂の山のように崩れていくのである。
 
人間はいずれ死ぬのに、何故今自ら死んではいけないのか、
一応そういう人には「自分を解明する仕事が残っているじゃないか」とはいうが、
その意見だって実際説得力があるかなど不明である。
ない方が清々しい。
 
私が生きる理由は、死にたくないからである。
それだけで充分ですらあると思う。
生きるに値する理由がなければ、本人がどのような結論を持とうと、
それは自由意思による結果であるから、私がとやかく言う権利はない。
ただ、私は死にたくないから生きている。
どんなに希望はなくとも、死にたくはないので生きなければならない。
茨の道を進んでいるようなのが現実ではあるが、
だからと言って自分への問いを捨てるわけにはいかない。
いずれは死ぬけれども、今すぐには死にたくない、
自分にはまだ問わなければならないことが山ほどあるので
生きる道を選ぶのである。たとえそれが儚くとも。