私にとって障碍者とは、
「建前を外された存在」である。
(自分も含まれてしまうので何とも微妙な気持ちになる)
「努力をすれば報われる」とか
「ずっと同じ事をやっていれば道は開ける」とか
「夢は必ず叶う」とか、そういう言辞的な建前を
本気で剥ぎ取られたようなものである、と思っている。
そもそも障碍とは、現時点の医学では回復不可なのだから「障碍」なのであり、
(疾病であれば完治する可能性はある)
決して治ることはないという現実を突きつけられた挙げ句に
様々な不公平が生じてくる。
更にまずいことには、生きているだけで、
現実には出来ないことがごまんとありますよ、という現実を突きつけられる。
大体の事を代替してもらうことは出来ても、
本人がその役をかって出ることは出来ない。
回復不能な状況におかれて「あなたはよくなりますよ」などとは
口が裂けても言えないはずである。
努力してもどうにもならないものを突きつけられている以上は、
社会に蔓延するあらゆる建前は意味のない物である。
美麗字句など本格的に何の役にも立たない。
障碍に触れるとは、生そのものに触れることだと自分は思っている。
「建前」を外した、いや外さざるを得ないからこそ
剥き出しの「自分とは何か?」について考えられるものだと思っている。