いーかのブログ -9ページ目

いーかのブログ

ブログの説明を入力します。


ペンションにはご飯がないので朝起きると必ずここでカフェ・コン・レチェとトスターダを食べました。お気に入りの食べ方で。

photo:01



僕の日課は昼間はファイーコと遊んだり、セビージャの町を散策したり。
中でもセビージャのカテドラルは圧巻です。
よく通いました。

大聖堂の中で世界三位の世界遺産。
超特大のパイプオルガンは日曜日のミサに演奏されることもあります。

この雄大な空間にいるだけで身も心も洗われる気がします。

コロンブスのお墓でも有名です。

photo:02



夜はカルボネリーアでティント・デ・ベラーノ(赤ワインのファンタオレンジ割り)を飲む。

カルボネリーアは以前カルボン(炭)を売っていた店。
もしくは炭を焼いていた。

入り口には大きなカマドがあって、ずっと奥へ入ると広いパティオ(中庭)があって、そこがお酒も飲める(スペインではバルは24時間酒が飲める)空間。

とっても気持ちの良い静かな空間です。

パティオの周りには木や花が植えてあって、ヒターナが手づくりのジャスミンの花飾りを売りに来たりします。

ジャスミンの花飾りは100ペセタ。
生の花なのでとてもいい香りがします。

飼い猫か野良猫かも一緒にくつろぐところです。

photo:03



カルボネリーアには時々フラメンコのアーティストがきて演奏するというのを聞いて毎日通いました。

カルロス・エレディアがたまにきて演奏してくれました。
もちろん人だかりです。

コンサートで聞くのと生音で聞くのとではやっぱり違います。

どんなタッチでどれくらいの音量で音を出すのか?

カルロス・エレディアは踊りの伴奏家なので強いタッチで機関銃のようなラスゲアード(掻き鳴らす弾き方)でした。

誰かがギターを弾き出したら皆は耳を澄まして聴きます。
それが素晴らしい演奏であれば誰も話はしません。

その演奏に聴き入ります。

どんな音も聞き逃さないかのように。

もしその時に喋る者がいたら皆でその人を睨みつけます。
これはあたり前のことです。
演奏者への敬意。
そして聴いている人へのマナーだとおもいます。

勉強させてもらいました。

夜遅くに帰ることもしばしばありましたが、マリアは鍵を閉めて寝ています。

マリアは入り口の側の部屋で寝ていたので夜中でもノックしたら鍵を開けてくれました。

PERDON ごめんなさい。

と、いつも謝ってました。




カンテの知識不足を痛感したので、セビージャへ行くことを決意しました。

夜行の寝台です。

左右2段の簡易ベッドで4人部屋。

寝るしかない。

夜11時頃発車して、朝7時頃到着。

今回は誰も頼る人はいないので、先ず宿さがしです。

その前にカフェテリアでdesayuno(朝食)。
カフェ・コン・レチェ(カフェ・ラテに似てる)とトスターダ(トースト)を頼みました。
セビージャのトーストはちょっと変わってます。
パンが食パンではなくちょっと硬めで小さいバケットみたいな感じで、それを二枚におろし鉄板にマーガリンをひいて焼いたもの。
マドリーの食パンに比べ食べ応えがあってメッチャ美味いです。
僕はこれにコーヒー用のグラニュー糖をかけて食べるのが好きです。
カフェ・コン・レチェのほろ苦さと焼きたてのパンの香ばしさと砂糖の甘さのハーモニーがたまりません。
まだ早朝なのでゆっくりしたあと旧市街の Barrio de Santa Cruz(バリオ・デ・サンタ・クルース)まで徒歩15分ほど。

素泊まりのペンションを探しました。

photo:01





写真の左側にペンションがあります。

マリアというおばあちゃんがこころよくOKしてくれました。

素泊まりで300ペセタ(約600円)。

旧市街は細い路地がいっぱいあって、迷子になりそうです。

ペンションは一番端の角だったのでわかりやすかったです。

気候は初夏だったせいか観光客で毎日賑わっていました。
その観光客にお土産を売るヒターノ(ジプシー)の家族と知り合いになりました。
男の二人兄弟。
兄の方が親し気に話しかけてきました。
日本人に興味があるみたいでした。
いくつか日本語を教えて、日本人の女の子を見つけては片言で声をかけまくってました。

キミカワイイネ!

好感のもてる青年だったのですぐに打ち解けて散歩に出かけてました。
綺麗なところがいっぱいあるので案内して戻ってきてアディオス!

可愛い健全なデートを楽しんでいました。

photo:02



年を聞いたら17才でした。
名前はファイーコ。
弟が言ってましたが、なぜファイーコなのかわからない。
自分のことをそう呼べと言うからと。
本名があるみたい。?

ファイーコは毎日僕の泊まってるペンションに訪ねてきました。
そして僕のギターを聴いてくれました。

そうやってお土産売りをサボって父親に叱られていました。


続く



iPhoneからの投稿


ロシータ・ドゥランとのエピソードです。

大きなホテルの宴会場でのパーティでした。

この日もラファエル・ロメーロとペリーコ・イッホがいました。

先ずは大人のアレグリアス、タンゴ、この時会場はスタンディング・パーティですでに騒ついていました。

次にロシータ達の出番です。

フラメンコ会では超有名なアーティスト3人のショーです。

ところが会場は騒ついたまま。

その中ロシータはペテネーラを最後まで踊り切りました。

また僕たちに入れ代わり最後にセビジャーナスをやったのですが、これがとんでもないことに。。。

初めてのカンタオールだったせいもあってコードもリズムもグチャグチャになり、踊りもどうしようもない感じでした。

とても疲れました。

終わるやいなやロシータが主催者をつかまえて凄い剣幕で怒鳴り出したのです。

セビジャーナスの事で別の人にあたってるのかな?
と思い怒ってる内容を聞いてみると、

私はマラガ生まれのヒターナ(ジプシー)だ!

私がマラガで踊ったら知らないものはいない!

ラファエルもペリーコもあたふたしながら聞いています。

このマドリーはなんてところだ!
フラメンコを誰もわかっていない!

全身を震わせながら本気で怒ってます。

どうやら会場が騒ついていたことへの怒りだったようです。

主催者は謝る一方で、ラファエルとペリーコがなだめていました。

僕もセビジャーナスのことで気になっていたのでロシータに謝りました。

本気で怒っていたにも関わらず僕の方をみてニッコリしてまた言ってくれました。

TU NO PASA NADA.(お前は大丈夫)

ロシータの笑顔で救われました。

後日ロシータはその時のギャラとして5000ペセタくれました。
約10000円弱。

メチャ嬉しかったです。

ロシータの優しさとヒターナの気性の激しさの両面を見せてもらえた貴重な体験でした。

ロシータ

ありがとうございました!

photo:01



ROSA DURAN

EL ARTE DEL BAILE FLAMENCO より

続く