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雲水・ISA(九龍)のブログ

日本は神の国
仁術師

この日はタンゴ仲間のお誕生日だということで、みんなでつまめる地元のお土産を購入。この牧場の牛乳とソフトクリームは美味しいのです。

都心に向かう高速道路のPA。休日の夕方の上り方向は観光帰りの行楽客たちの大渋滞に巻き込まれるので、かなり披露する。十キロ以上の渋滞を擦り抜ける羽目になる。バイクのすり抜けに関しては賛否両論だけれど、そもそもバイクが普及し初めた頃にはその利便性と爽快さを求めて購入した人が多いはず。都会の渋滞でもスイスイ進めるからメリットがあるわけだ。バイクによる急配便もそこから生まれた。自分も、そういうメリットを含めて乗っているわけだから、その歴史的な過程も知らないバイクに乗らないドライバーたちから、一方的にいきなり危ないからダメだなどと言われたところで、従うつもりはない。だったら、左端はいつもバイク用に空けておくべき。高速道路は車線をまたぐのが危険であれば、路側帯を通行させるべきである。自分は車も大好きだから、その気持もわかるけれど、先に存在している先輩的な交通手段の安全を確保してから言うべきことであり、後から登場した者が我が物顔で騒ぐのには腹が立つ。

最近の無法運転の自転車たちも同じこと。震災の後に便利な足として急速に普及してしまったけれど、交通法規が時代遅れなので、公道が無法地帯と化している。昔は歩行者と同様に歩道を走り、歩行者用の信号機に従っていたのが、今は都合の良い方を見て動く。元々、法規上は軽車両扱いだから、車に準じた乗り方をしろと言うけれど、注意力と体力が未熟な子供たちには無理。しかも、方向指示器もブレーキランプもないわけだ。そんなものが、震災の後から車道に溢れ出したのだから、たまったものではない。

 

公安関係に顔をだすたびに問題提起しているけれど、関係者は知らんふり。違反切符は厳しく切るくせに、本当の社会の治安や平和を考えないところが平和ボケだと思うなあ。交通法規の遅れと不適さに気付くべき。

 

トイレから戻ってきたら、懐かしい名車たちを発見。真ん中の赤いやつは最近復刻した映画「トップガン」で主人公が乗って有名になったカワサキのNinja。しかし、手前のバイクをよく見るとちょっとおかしい。これはとてもマニアックな内容なので、バイクに詳しくない人にはわからないはず。

当時の実物を知らない人だと、最新のスーパースポーツだと思うだろうけれど、バイクに詳しい人なら特徴的な二眼ヘッドライトと5バルブエンジンを見てあるバイクをすぐに思い出すはず。ところが、それ以外の部分が全く違って、超進化しているのだ。当時には存在しなかったフロントフォーク、ブレーキが前についており、後ろを見るとこれも最新型のシステムになっていた。あまりに違和感がなく自然に改造してあるので感心してしまった。

 

こいつが当時の姿。解説はグーバイクから拝借。

1985-1986

 水冷4サイクル4気筒DOHC5バルブ:749cc

 56.6kW(77ps)/9500rpm

 68.6Nm(7kg-m)/6500rpm

 232kg

42万7000円

 

ジェネシス思想を採りいれて高性能化を図ったFZ750は、狙いどおりのハイパフォーマンスを発揮した。角パイプによるダブルクレードルフレームにマウントされた前傾角45度の水冷DOHC5バルブ並列4気筒は、カナダ仕様で110psというパワーを絞り出していた。

 

当時は高回転まで回る素晴らしい高性能エンジンだった。価格が今の半額以下であることに驚く。しかし、この時代はバイク黄金期であり、過激で魅力的なライバルが多く、存在が埋もれてしまっていた印象が強い。

 

ジロジロ見ていると所有者が帰ってきたので、話しかけてしまった。エンジンとヘッドライト以外はほとんどを改造したらしい。しかも、サイズが合うパーツが無いから、自分で図面を書いて近所の鉄工所に持参して加工してもらったそうだ。フロントはイタリアのドゥカティで後ろはアグスタ製を改造してある。サイズや形状が違うところは削ったり曲げたりして取り付けてある。ちょっと間違えれば不快だし、事故のリスクも有る。

旧車にここまで手を入れるとは、本当にモノ好き。見ていて飽きなかったけれど、お互いに用事があるので、適当にお別れ。詳しい解説をありがとうございました。またどこかでお会いしたらご挨拶致します。こんなにマニアックで素敵なバイクを忘れることはないでしょう。

 

PAを出発しようかと思ったら、今度は愛車の目の前に停められていたペパーミントグリーンの可愛い車を発見!思わず観察してしまう。子供や女性が大好きな白黒のクマと同じ名前がついたイタリア製小型車。サンダル代わりに使える便利で可愛い車で、シートなんか取り外して洗えた。イタリアの狭い石畳の道を軽快に駆け抜けていたものだ。一時は国内にもかなりあったけれど、最近はほとんど見かけない。しかも、これだけ程度がキレイなのは久し振り。

よく見るとレース仕様に小改造が施してあった。

イタリア車には丸みを帯びたデザインが多いと思っている人が多いけれど、実は角張ったものもかなり存在していて、ファンも多い。しかし、この時代の日本はバブルだったから、日本車も負けてはいなかった。ユニークで可愛いデザインの車が次々と生まれた。残念なことに最近まで日本人はその価値に気付かず、使い捨て状態で、スクラップにしていた。ところが、その価値に気付いた外国人たちに人気が出たことから、今では何十年も前の古い車がとんでもない価格となっている。

 

当時は戦後の欧米志向お金持ちが外車をステータスとして自慢していた時代だったから、自動車評論家やマニアたちは外車に憧れた。運転しにくいのに左ハンドルに乗りたがり、日本車は外車の後追いと猿真似で遅れている・・・などと見下していたものだ。GHQの洗脳の最大の負の遺産がこれ。自国を見下す姿勢。当時のマスコミや教育会の言論はほとんどが同様の思想で成り立っていたから、それらの教育を受けてしまった我々は無意識に洗脳されてしまっているのだ。今でもそれに気づいていない人たちが大半であることも恐ろしい。今思えば、なんと愚かな時代だったのだろう。

今でも「バブル時代は良かった!楽しかった!」と言う人がいるけれど、あれは異常な時代です。侵略者の経済操作によって、節度と精神を失った愚民が狂乱していただけのことなんだよなあ。洗脳による植民地化で使われる手法が3S。Sex,Show Business、Sportsの3つのこと。これらを民衆に与えると、その快楽に理性を忘れて言いなりになるのです。考えなくなり、目先の快楽(利益)を追求するようになるわけだ。植民地化する場合、現地人が賢くて理性的だとコントロールし難い。奴隷にするなら身体は健康だけど、頭はバカなやつのほうが扱いやすいという理屈。これにまんまとはめられたのが我が国と民衆です。

 

話を戻すと、バブル期の人たちでもまともな人達は異常さにとっくに気付いていたし、今になって反省している人もいる。昔から敬愛している元レーサーの評論家も同様のことを述べていた。過剰な舶来志向と自国を卑下する習慣に関しては、自分たちは自動車雑誌や業界に媚を売らないと生きられなかったから、ウケる内容の言動をしてきた。その結果、日本車や日本の自動車会社を見下すような事も言ったけれど、今から見直すと、とても失礼だし、その価値に自分たちは気づけなかったことがとても残念だ、というような内容でした。

 

本当にその通り!その評論家のことがますます好きになりましたよ。

 

 

 

 

 

 

もう秋なのにまだ泳げる暑さだった。海も今年はクラゲが少ないから、まだ泳げる。水中カメラで見ると、とても澄んでいて、小魚も見えた。

そう言えば、最近は日本の水源地を外国人や企業が買い占めているけれど、日本の行政は何をしているのか?何度も意見を提出しているけれど、一向に改善されないなあ。

水は生命の源ですよ。そんな場所を保全せずに外国人に売り渡してしまう、地主や不動産業者、行政はどうかしていると思う。まさに文字通り売国奴だよなあ。

下流にはダムがある。利用水深は40m。上部は少し土が露出していた。ちょっと水不足気味だったけれど、台風や豪雨で補給されるかもしれない。

貯水するために高さ95mの斜面がある。これからは紅葉狩り登山が楽しそうだけれど、この辺は鹿やクマが出るらしい。

 

富士山はすでに閉山している。閉山する時の伝統的な行事が「吉田の火祭」。

先月に挙行されたけれど、江戸時代から続く壮大な火祭り。日本の三大奇祭の一つ。数キロの沿道に高さ3m以上の大きな松明が燃やされる。

現地に早めに着いたら、神輿を担ぐ前の禊と祈祷が始まるところだった。

ここの鳥居は木造としては日本最大。外国人観光客の姿も多かった。日本人でも知らない人が多いのに、よく調べたなあ。でも、関心を持ってくれることは大歓迎ですよ。

神輿を担ぐ前に自らを清めて、参拝する。

境内の巨杉はどれも樹齢千年以上。富士山の大噴火を生き残ってきた。

この境内には浅間神社と諏訪神社の二つが存在する。古いのは諏訪神社の信仰の方らしく、先ず、浅間神社から神主が諏訪神社に御神体を移す。

諏訪神社内で祈祷があり、その後に、二つの神輿が出立する。最初はニギタマという平和で優しい神様の乗る神輿。

次がアラタマという畏怖の象徴でもある赤富士の神輿。昔は、この神輿をわざと地面に落としながら進んでいたらしいけれど、最近はやらなくなっていた。

神輿が通ると大松明を立てて点火を待つ。

中心に丸太の芯棒があり、その周りを薪で取り囲んで、外側を経木で巻いてある。専門の職人たちが毎年制作する。

隠れていた富士山が夕暮れとともに顔を出す。点火する前に屋台も次々とオープンして、人が集まってくる。

参道にある青銅の鳥居と富士山。松明も立てられて点火待ち。この場所は人気の撮影スポットらしく、カメラマンが大勢待機していた。

点火するのは、毎年選ばれる世話人と呼ばれる男性たち。このために一年間、節制をして身を清め、お祭りのための準備に奔走する。竹竿の先にある種火から松明に火を移す。

大松明に点火された直後。

世話人たちの記念撮影。沿道は長く、上中下の3エリアに分かれているので、それぞれの地区に世話人がいる。

約2キロの沿道沿いに大きな松明が燃え盛る様子は本当に壮観。

大松明の間には小さな松明が置かれており、傍を通るだけでも凄い火力と熱を感じる。子供たちがキャーキャー言いながら逃げていた。

昔の写真を見つけたけれど、このような伝統文化が継承されていることはとても嬉しい。

荒ぶる神様の代表でもある富士山を信仰する「富士講」は自由に旅行のできなかった江戸時代には、伊勢参り、熊野参り、善光寺参り、金毘羅参り、各地の湯治などと同様に庶民の息抜きともなっていた。

通行手形がないと自由に移動できない時代に生まれた観光業の始まり。

御師と呼ばれる案内役の人たちは今のツアコンと同じで、宿泊先の手配や経営をしていた。。

富士山周辺の湖や外輪山の地形、地質はすべて火山性なので、独特の自然環境を生み出している。保水力がなく、サラサラして流れやすいために、モミの巨木の根が地上に露出している。これを「根上り」と呼んでいる。

 

富士吉田に来ると楽しみにしているのが、日本一硬いと言われる「吉田うどん」。営業時間が短いお店がほとんどなので要注意。

本当に硬いので、歯が弱い人は無理。噛む時間が長いから食べるのにも時間がかかる。でも、油っこくなく、素朴でとても美味しい。

あまりに久し振りなので、ブログの書き方を忘れてしまいました(泣)

 

これは先日の箱根仙石原。ススキの名所だけれど、まだ少し早い。実はコスモスの裏名所だと言うから行ってみたけれど、影も形もなし。

しかし、天高く馬肥ゆる秋というのはその通り。

足元の虎杖(イタドリ)。ヤマアジサイや萩なども見られた。

トラノオ。トラとか龍とか言う言葉は中国文化の拝借。日本人は近世まで実物のトラなど見たこともないから、架空のでかい猫だと思っていた。

飛行機が秋空に線を描いている最中。

コスモスがあるというのはガセネタらしく、地元の人達も知らなかった。

なので、湖に移動。

まぁ、平日なのにすごい行列。いわゆるインスタ映えするスポット。当然パス。

僕は苔むした狛犬様のほうが好き。

ヤマタノオロチではなく、九頭龍。実は昔から思っていたけれど、「股」と言うのは間なんだから、その両側には二本の何かがあるはず。一本だけだと股にはならない。そうやって勘定すると、八股は頭が九個あることになるのです。そして、道が二股に分かれるというのは言葉の使い方間違いの気がします。二股なら道は合計3本ですよ。

湖畔におしゃれなcafeを発見。カウンターの足元に温泉が流れる「足湯サービス」がある。閉店間際だったので、すぐに座れた。

眼の前を巨大な遊覧船が行き交う。

渋滞を時間差でうまく切り抜けて帰る途中で、新装開店のラーメン店を発見したので、思わず寄り道。非常に美味でした。定番の寄り道ポイントに早速加えました。

この辺まで書いてきて、ちょっと要領を思い出したので、ブログ再開のご挨拶です。

 

こちら(https://ameblo.jp/isa96/)への投稿は本当に久し振りです。私は元々が国際間のビジネスに関わっていたもので、その連絡の便宜上、海外のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を利用することが増えていました。具体的にはフェイスブックです。私は発展途上で言論統制や情報漏洩リスクのあるそれらのシステムには懐疑的ですから、長期間使用するつもりもなく、当初登録した個人情報もデタラメでした。生年月日は日本の敗戦記念日(大きな皮肉)ですし、名称は屋号とあだ名のミックスでした。最近はセキュリー強化により本人の公的身分証などの提出が要求されることもありますが、当時は緩かった。今では明らかな利用規約違反です。また、海外ビジネスにおける情報戦や干渉(命の危険を伴う)を避けるために色々な対策を講じていたのですが、それが更に怪しまれたようです。一方では、政治経済、宗教、思想などのテーマを問わず、言いたい放題でした(悪気はない)から、敵視する人たちもいたのでしょう。急にロックされる大部分は通報によるものらしい。いずれにせよ、結果としてアカウントをロックされるという事態を招いたようです。

 確かに今の御時世、おかしな人間も増え、人道や道徳が失墜しつつありますから、テロ行為や反社会的な言動や危険人物を心配&排除しようとする気持ちもわかります。それらを簡易的にデーターのみで分析するシステムがSNSAIによる自動管理なのだと思います。彼らは登録&収集した情報に関しての照合と分析を行うのみで、背景や内容などまで考える能力は与えられていないようですから、言論による抗議は理解不能。膨大な数のユーザーに一々対応することも困難。つまり、高度な交流には適しておらず、表面的な連絡に留めておくべきだと認識致しました。アメブロやミクシーなどの国内のSNSAIによる管理システムは似たようなものでしょうが、サポートは母国語で行える事と、管理ブログも定期的に更新されており、そこでの意思疎通の可能性がある点が海外SNSより有利&安全である気がします。

 

 という訳で、こちら(https://ameblo.jp/isa96/)への復帰を決めました。今後とも宜しくお願い申し上げます。ちなみに、言論においての態度はいかなる場合でも変わらないと思います。言論は本当の世界平和の鍵&命綱だと思っています。

 

Entonces, decidí volver a esto (https://ameblo.jp/isa96/).

スペイン語グーグル自動翻訳ページ

Servicio de traducción automática al español de Google

https://ameblo-jp.translate.goog/isa96/?_x_tr_sl=auto&_x_tr_tl=es&_x_tr_hl=ja

 Gracias por su continuo apoyo. Por cierto, creo que la postura y la actitud en el habla no cambiarán en ningún caso. ISA

 

 オマケで昨日の夕日。春と秋は空気中の水分バランスが微妙な美しさを作り出す。

大石と松の木の中央に影富士が少し見えているけれど、富士山が見えなくても十分美しい秋の夕焼け空。


 


 

 

誰も言わないのが不思議でならない。心が痛くて我慢ならないから言うけれど、Gotoキャンペーン(特に旅行)は不公平で感染まき散らし政策としか思えない。

気分転換や息抜きとして大自然や美しい景色に接する気持ちはわかるし(自分も大好き)、公共交通の保全は必要であるけれど、どうして娯楽としての旅行をそこまで優遇するのか?外出規制の解除だけで十分。こういう時期に旅などができる人たちは元々余裕があるのだから全額を支払わせるべき。その部分の公共資金は本当に困っている人に回すべきであって、基本的な生活の上に位置する娯楽や趣味レベルに使うものではないと思う。その基本的生活に困っている人たちこそが必要とする資金を余裕のある金持ちたちが奪い合ってどうするのだ?恥だと思う。毎日必死で生きている人たちには旅行などを考えるゆとりすらないのだ。みんながキャンペーンで得したと浮かれている間にも苦しんでいるわけだ。それなのに、どうして観光業ばかりを優遇するのか?さらに、キャンペーンの恩恵にあずかれるのは著名な観光地、大規模旅行関係企業や施設だけではないか?メディアも馬鹿の一つ覚えで、有名観光地の情報ばかりを流す。

 

自分の体験と分析した結果では街の飲食関連のダメージが一番大きいと感じる。そしてサービス業のアルバイトとしては飲食業関係が最も多いから、それで生計を補っている学生や、海外留学生、各種アーティストたちなども間接的に被害を受けることになる。その反面、土木建築、大手スーパー、物流、通販、ネット業界などは反対に大多数が利益倍増しているのである。

 


このニュースの女性も飲食関連で生計を立てていた。DVに耐えて、幼児と両親を守るために働いていたけれど、コロナ騒動で飲食店をすべて解雇されてしまった。職を求めて福岡から上京し、ホームレス状態。背に腹は代えられずコロナの生体実験にも応募していた。応募会場では同類の女性たちが多数いたらしい。なんと悲惨な!

こういう不公平な状態は政府こそが調整するべきものなのだ。現状ではせっかくキャンペーンがあるのだから利用しなければ損だ、ポイントは無くなったら終わりだから早い者勝ちだ、と言うような風潮になっている。キャンペーンを存続するとしても、そのポイントは使用場所や日時の制限なく、困っている人に譲渡したり、金券として使えるようにするべき。Gotoイートであれば、ポイントは利用した当人ではなく店に還元されるべき。店を助けるために飲食するべきで、ポイントをゲットするために行くのは下劣だと思う。助けるつもりがあるなら、キャンペーンなどなくたって行くものだ。それに、一番困っているのはキャンペーンにも参加できない個人や中小経営者たち。私自身が利用するお店や施設はほとんどが対象外になっている。彼らを本当に助けるつもりであれば、むしろキャンペーンも使えないような宿泊施設や飲食店に行くべきだ。強きは弱きを助けるのが日本人の精神ではなかったのか?現状では業界などとの癒着や圧力で政府が自律性を見失っている気がする。

偉そうにこう言う俺自身は真正の無頼漢だが、飲食も旅行もキャンペーンは使わないし(行く場所が対象外)、全部総額以上を払っている(ささやかな気持ち)。これからも自分にゆとりがあればそうする。こんなこと、心ある日本人であれば誰もがわかる道理で、善人ぶるとか自己満足などのレベル以下の根っこの気持ちだと思うけれど、誰も言わないということは日本人から古き善き心が失われているのではないかと危惧する。心の無い人たちが政治を担ったらその国は滅びると思う。本当に心が痛む。

 

 

凄い映画だった。もっと早く観ておくべきであったと後悔。制作していることを知っていたら私も何かお手伝いができたかもしれないので、非常に残念。久し振りの全国ツアーが終了間近なので、急いでアップ。NHKのドキュメンタリー作品のような内容だけれど、こういう映画は学校教育で見せるべき。

 

 

この映画は娯楽ではなく、ぞっとするようなドキュメンタリーなので、楽しい内容は期待できない。しかし、歴史や人間に興味があり、昨今のバカな政治家たちの存在に嫌気がさしている人たちは見るべき。指導者が愚劣だと下にいる人たち(国民)は犠牲となることがよくわかる。

 

ご覧になれない人のために要約する。

 

使い捨ての「蟻の兵隊」であった彼らはポツダム宣言で日本が敗戦を認め、連合国との戦争が終結したにもかかわらず、大陸に残留させられてしまう。そればかりか、日本が撤退した後に大陸内で始まった蒋介石の国民党軍と毛沢東の共産党軍の内戦に巻き込まれた。通常なら早く日本に戻って家族に会いたいはず。ところがこの時、現地の日本軍司令官は国民党軍の将軍と兵隊を残して国民党軍と一緒に戦わせるという密約を結んでいたのだ。ウィキペディアでは「そのような説がある」と書かれているけれど、映画の中において、発見された公文書から判断すれば、事実であったと言わざるを得ない。当時の司令官は 澄田𧶛四郎(すみた らいしろう )であるが、この男は数千の兵士を置き去りにして日本に逃げ帰ったゲス野郎なのである。逃げる際には、自分の身の安全を期すため、国民党将軍に「日本に戻ってマッカーサー元帥にお会いしなければならないVIPであるから、便宜を図るように」との通行手形のような証文まで書かせているのである。しかも、戦犯とわからないように民間人に成りすましていた。そして、残った兵隊たちには「アメリカには負けたけれど、中国には負けておらず、天皇陛下と日本のために奮闘するように」と詭弁を使っていたのだ。これを信じて、終戦後も4年間残留して戦ってきたのが映画の主人公たちである。当時の残留兵士の引き上げ処理をしている最中にこの密約に気付いて憤慨した将校が動画のベッドでうめき声をあげていた宮崎中佐である。彼らの訴えを認めてもらえず、死んでも死にきれない気持ちが伝わって来た。

 

主人公は二十歳そこそこで赴任したけれど、人を殺したことなどなく、震えて使い物にならないので、軍事教練として中国人を実際に殺す教育を受ける。戦地の生存競争に勝ち残るためには自分の正常な精神状態を無理やりに戦闘マシーンにしなければならなかったのだ。これは参戦したことのある軍人であれば、世界共通の試練である。訓練やゲームで敵を殺すのと、実際の殺人との違いを知らなければ、実際に戦うことは不可能。その殺人訓練を受けた現場に行き、当時の目撃者から話を聞く場面はとても生々しい。現地で暴行された老婦人からも当時の話を聞くことができた。私は大陸の風習と言語にはある程度の知識があるので、その言動にいわゆるヤラセなどの要素が全くないことがすぐわかる。それほど痛々しく生々しい話であった。捕虜となった残留兵士たちの調書も残っていたけれど、非常に具体的に状況が書かれていた。人間は本当に過酷な記憶を無意識にシャットアウトしようとする本能がある。映画に登場する残留兵士たちは、自分が書いたものを目にして絶句していた。主人公は映画では真実を述べているけれど、奥さんには戦争のことをほとんど話したことはないし、自分が殺人を行っていたことを話したことがない、という態度も人間の複雑な心理状態をよく表している。

 

 

おそらく参戦した大多数がそのまま墓場まで秘密を持ったままで亡くなって行くのだ。逆に言えば、黙秘している人たちは言えないことをしたり、見聞きしていたのだと思う。このような現象は海外でも見られ、ベトナム戦争に参戦した兵士たちは精神的障害を受け、ロストジェネレーションと呼ばれていた。本土では美しいブルジョア生活を満喫している人がいる一方で、卑劣な侵略戦争を繰り返していたわけだ。最近の中東戦争に参戦した兵士たちにも同様の症状が見られる。原爆の場合は機械的に投下しただけで、当事者たちは現場の惨劇を自分の目で見ていないから、必要悪であったとの一点張りで不誠実な態度をとり続けることができるのだ。おそらくゲーム感覚で、リアリティーが無いのだと思う。しかし、戦場で見て感じた衝撃は忘れられるものではない。アメリカではこれを問題視しており、治療や癒しの方法も色々と研究されている。日本の伝統は素晴らしい部分も多いけれど、この点のケアが欠けている。恥や体裁、メンツを気に過ぎて、個人の負担が非常に大きすぎる。それが社会の抑止効果になっている一方で、悩みや苦しみを打ち明けることがしにくい。真面目で几帳面な人間ほどストレスが大きく、自分を追い詰めやすいと言われるけれど、日本人はその典型なのではないだろうか。これだと自浄作用がはたらかないため、臭いものには蓋をし続け、より良い将来を作ることができないし、修正しないから同じ過ちを繰り返すのだ。そいう態度が今の日本の情けない政治や社会の原因となっているのではないかと感じる。過ちは謙虚に認め、修正するべきではないのか?
 

蟻の兵隊たちが内戦と捕虜生活を終えて、ようやく帰国してみると、自分たちは勝手に志願して居残ったことにされ、補償もないばかりか、国はその事実と責任を認めないのである。最高裁も最終的に棄却している。裁判の最中に次々と生き証人たちが亡くなった。靖国神社で言い争いになった小野田さんもすでに亡くなっている。主人公の残留兵士も亡くなった。公正な審判が行われず、本当の戦犯は罰せられていない。東京裁判は連合国のヤラセ裁判であるので、そこで決められた戦犯と、我が国民(国)から見た戦犯は全く違うのである。

 

これを見る限り、日本の司法は正常に機能していない。あれだけの苦しみ、数々の証拠を公正に検証する能力がない。日本司法界の最高権威である最高裁がこのざまでは我が国は非常に危険な状態だと言える。

 

 

自分は日本伝統の武士道精神をとても大事に考えているけれど、半端な侍モドキがその精神を利用することには非常な怒りを覚えてしまう。正に戦時中の中途半端な軍人がその典型である。彼らが、アジアの各地で日本の侍精神に泥を塗るような蛮行を働いたのである。日本国内でも当時の憲兵や特高と呼ばれる連中も虎の威を借る狐のような存在であったらしく、良い話をほとんど聞いたことが無いから、日本の武士道精神は有名無実となっていたのかもしれない。当初の、欧米の植民地化に抵抗する大義を忘れてしまった。大義の伴わない暴力を虐待だ、侵略だと言われても仕方が無い。私は大陸での経験が長いので、映画に登場するような当時の生き証人にお会いする機会が多かった。そして、蛮行は事実であったことを確信している。発表される人数や内容には針小棒大の部分があるけれど、起きていたことは紛れもない事実。自分の家族が同じ目に遭ったことを想像すれば、彼らの感情は十分に理解できる。従軍慰安婦の件にしても、政治や外交のカードとしての是非はともかく、公正な検証は必要。日本が完全否定するのにも無理があるし、それに一方的につけこむ朝鮮系の態度にも無理があるだろう。実は私の恩師には詳しかった人がおり、裏の話も聞いている。時代の背景を無視した現代的な綺麗ごとや想像であれこれ論ずるのは不毛である。

 

それにしても、いつも非常に残念だと思うのは、当初のアジア主義的なアジア団結の意義が、後の軍部主動の侵略行為と混同されてしまうこと。明治維新以降の欧米による植民地化政策に対する抗議運動は、今から見直しても正しいと思う。しかし、途中からアジア主義者や義侠心を持っていた同志たちの育んだアジア団結の目的が曖昧になり、軍部が暴走し始めた。その暴走を止められなかった原因が天皇や政治家たちにあったのも間違いない。その結果、本来であれば一緒に欧米と戦うはずであった大陸や朝鮮の同志たちと仲間割れを起こし、同士討ちをするようなことになったのである。これは明治以降の半植民地化運動の歴史をたどればわかる事実。非常に残念である。背後にはソ連や米国のスパイがアジアを団結させないように分断工作を行っていたことが明らかになっているけれど、それに翻弄されたアジアの信頼関係もその程度であったのかもしれない。信頼関係の基礎は誠実なことであるが、政治と社会の腐敗した当時の大陸と朝鮮では、この概念が欠落していたことは福沢諭吉氏の論じたいわゆる脱亜論でも問題提起されていた。道徳や大義よりも利己的な欲望が優先されるのが彼らの世界。隙を見て自分が成り上がろうとする軍閥や政治家の謀略まみれでまとまりが無い烏合の衆状態であったから、この状況は欧米にとっては分断させやすい有利な状態だったと思う。その結果、裏切り行為が続出し、相手を信頼できない状況で切迫した戦争に対処することは非常に難しかったと思う。結局、中国と朝鮮は分断工作にまんまと引っ掛かり日本を裏切って寝返ったわけである。これらの史実を検証せず、いまだに一方的な歴史観と理論で互いにいがみ合っている。そして、歴史の真実を見ず、反省もしないまま、相変わらずの不誠実な態度をとり続けている限り、アジアに平和は訪れないし、再び侵略者のつけ入る隙を作るだけであろう。

 

私の考えでは双方の間を取り持っていたアジア通(アジア主義者、大陸浪人など)を排除したことが大きな原因の一つだと思う。彼らは言語以外に思想や習慣の通訳の役割もあったので、その存在価値はとても重要であったのだ。日本から出たこともないような官僚には現地の状況は理解できない。そのために、軍部の暴走は日本本国の中枢と現地の双方で起きていた。私の経験でも、担当していた国際プロジェクトでは本国側の認識が足りないために、日本の常識で考えると、不合理で信じられないような珍事件にしか見えないことが多い。これは、通信やネット技術が格段に発展している現代でも同様のことが頻繁に起きていることから、戦時中であればさぞかし意思の疎通が難しかったことが想像できる。情報通信速度は遅いし、暗号化して送るわけであるから、タイミングのずれは非常に大きかったであろう。

 

大規模な企業やチェーンストアなどでは国内でもよく起きることだけれど、命令と意思の疎通が不十分な場合、現地の支社や支店に問題が起きることは多い。その結果は現地責任者の人間性と能力と関係する。この両者の間に板挟みとなっている関係者が一番つらい。蟻の兵隊たちはまさにこの板挟みの存在であった。映画の上映情報は以下の通り。

https://115119.wixsite.com/arinoheitai

 

ここから先は蛇足。

 

私が大陸の農村で仕事をしていると、子供たちが遠くから恐る恐る私の様子を観察している様子が分かった。仲良くなるまでに時間がかかるけれど、気持ちが通じ合うと本音を話してくれた。子供たちは昔から日本人は恐ろしい鬼だと教わって来たので、私をどんなに恐ろしい鬼かと思って近寄ることができなかったのだ。当時のテレビ映画では、登場する日本人はほとんどが非人道的な殺戮者であった。昔の西部劇ではインディアンは愚直な悪者であったけれど、あれよりさらに凶悪な存在として描かれていた。閉鎖的な共産国であった当時はそんな情報しかないし、毎日そのような映像ばかり流されていれば、偏見を持っても当たり前。これがいまだに根強い大陸の日本敵視の根源となっている。

 

その悪い印象を修正したいがために、仕事が終わった夜には現地の人たち交流したり、子供たちと遊ぶようにしていた。どこの国でも子供たちの好奇心と天真爛漫さは共通で、大人たちと違って遠慮がない。こういう気質は子供の宝。私が夕食を食堂で食べていると、窓から「早く遊んでよ」と呼びに来るのだ。食堂のシェフや接待係も日本人は初めてなので、とても遠慮して怖がり、私に失礼のないように接してくれていた。私は当時、昔から習慣化していた鍛錬でコンクリートの電柱を毎朝夕に殴ったり蹴ったりしていたのだが、子供たちはそれが見たくてやって来る。見つからないような場所を探しても、どこからともなく探し当てて来るのだ。その内に噂を聞き付けた武術家たちが試合をしようと言い出した。自分は面白いので相手になろうと思っていたけれど、幹部たちが危険だから止めて欲しいと言い出して、交流試合は取り消しとなった。実はその地方は日本軍が侵略した土地でもあり、子供たちは私に好意を抱いていたけれど、大人たちには敵意を持っている人も多かったのだ。それに、中国武術の奥深さは素晴らしいので、自分ごときがかなうはずもない。生兵法は大怪我の元になっていたことと思う。それでも、鍛錬は許可されたので、誰も来ない屋上の展望台の柱を相手に続け、子供たちにはコッペパンやゲジゲジといった陣取りゲームを教えた。そこでの仕事を終えて離れる前の晩に、子供たちから「日中友好が永遠でありますように。遊んでくれてありがとう」という手紙と手作りのオモチャをプレゼントされたことを思い出した。みんな大きくなったことだろうなあ。

 

映画をきっかけにして、久し振りに思い出したので、少しだけ昔話を致しました。