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雲水・ISA(九龍)のブログ

日本は神の国
仁術師

今の報道は、道で転んで怪我をして泣いている子供に「それは本当に痛そうだね。血が大量に流れて怖いね。これからも血が止まらないし、黴菌が更に入ったら、もっと痛くて大変なことになりそうだねえ。見ているとこちらまで痛くなって来るし、世界中の人たちが怪我をするような気がして来るよ」と言っているのと似ている。

なので、私は違う取材報道をしました。


「不謹慎だから公には言わないけど、今回の騒動のお陰でウチらは凄く儲かっていまっせ!」「ずっと経営が低迷していたのですが、今回で需要が急に増えたので経営が再建できそうです」「みんながデマに左右されやすいようなアホばかりだと非常に商売がやり易いので、あまり賢くなって欲しくないです」「資金が増えそうなので、新規事業を始めることが出来そうです」「元々、満員電車で通勤するのは大嫌いだったので在宅勤務はありがたいです。このままずっと続けて欲しいくらいです」「子供と一緒に過ごす時間が増えて幸せです。子供たちも喜んでいます」「子供と一緒にいる時間が増えたお陰で、今までわからなかった子供の一面を見ることができました」「普段は家事に無頓着だった主人が家事や子育ての大変さを理解してくれるようになりました」「子供にも忍耐力や世の中のおかしいところを勉強させることができる良い機会です」「政府がやっぱり信用できないことがわかり、自分たちもちゃんと勉強しないといけないと思いました」「いい加減な政府が上に居ては困りますので、ちゃんと選挙に行こうと思います」「民衆は少しバカな方がコントロールしやすいから、余り余計なことは言わないで、文句を言われるまで放っておくのが良いんだよ」「今まではわからなかった人間性が見えて来たので、これからの付き合い方の参考になると思います」「日本だけしか見ていませんでしたが、海外の様子を見て、その違いと長短がわかるようになりました」「国の対応を見ていて政治家の質の違いが良くわかりました」「専門家とか知名度は実際の知識と必ずしも比例していないことがわかったので、やはり物事を自分で考えないと危ないと思いました」「国や隣人たちを信用していたら、意外にアホが多くてビックリです。他人に頼らないで、自分で考えて生きるべきだと反省しました」「どうせなら、悪人は死んで、善人だけが生き残るウィルスや薬があると良いです」

by ブラックな特命記者 I

本来は自分たち一人一人が考えて判断するべき問題であるけれど、無知な民衆とそれに選ばれた無能な政府は機能しないと思う。その場合は、暴動を防ぐ意味で、ある程度の統制は致し方ないと思う。しかし、それ以前にブログの運営者や企業も人間としてまず真実を考えるべき。

 

しかし、ここは全地球の人類の踏ん張りどころだと思う。決して負けない!

 

全地球に広がるネットゲームを利用して、いかなる政府や権力の弾圧にも屈しない、言論の自由を守る「無敵の世界図書館」の構想。壊されても、世界中にいるゲームプレイヤーたちがその意志を受け継いで再構築することができる。

政府などの隠蔽工作は全人類の前に露呈され、人々の審判を受けることになる。素晴らしいアイディア。全人類の平和の命綱になるかもしれない。

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年明けは楽しみにしていた映画が続々公開となった。SF映画の名作スターウォーズシリーズの最終編ということで、初日は凄い人出。それを避けて、空いた頃に見に行った。さすがに圧巻のCG技術。3Dで見る価値のある映画。これまではずっと善悪が入れ替わり、先が見えない気持ち悪さがあったけれど、これは人間的にほっとするような結末だったと思う。

日本のアニメをCGで映画化した作品もあった。漫画だからこそ可能だった荒唐無稽な場面をどのように映画化するのか気になっていたけれど、あのあり得ないめちゃくちゃなアクションが見事に再現されていた。

このジュマンジは双六みたいなゲームの中に引きずり込まれてしまうSF。双六の進む先に書いてある出来事が実際に起こるので、主人公たちはそれを乗り越えてゴールを目指す。

 

第一作はそのアイディアの面白さに感動したけれど、後継作品たちは初期のアイディア以上の面白さに欠けており、CGやアクションの進歩以外は特に感動が無かった。大画面に登場するCGならではの風景やアクションシーンはそれなりに楽しめたけれど、映画はお金をかければ良いと言うものではないことを実感する。

これに対してクラウドファンディングにより制作された日本のアニメが素晴らしかった。前作の話の内容を少し広げて再構成した内容だったけれど、とても良かった。海軍工廠のあった広島の呉が物語の場所。とかく悲惨になりがちな戦争物を淡々とほのぼのと描いていた。主人公の呑気に感じる口調と呉方言が良い。呉に行ってみたくなる。

この後が、かなり期待していた「フォード対フェラーリ」。単なる車好きの映画と思いきや、実は男たちのプライド、策略、友情などを描いた人間ドラマだった。なので車に詳しくない人が見ても感動できる映画だと思う。

当時のアメリカは第二次大戦でも勝利し、勢いのある時代。物資も豊富で経済力も強かった。それに対してヨーロッパは戦後に植民地に依存していられなくなり、経済は下降気味。プライドだけは残っていても経済力は米国にはかなわない状況。自動車文明では米国に先行していたけれど、経営は苦しくなりつつあった。その状況につけこんで経営不振のフェラーリを米国フォードが買収しようとし、土壇場で断られたことが、物語の始まり。

断られたフォードが頭に来て、レース界の王者であったフェラーリをレースで打ち負かしてやろうということになったのだ。結果としては勝利するのだが、そこに参加した技術者&レーサーたちの苦労とドラマが面白かった。

 

その翌週はアメリカの公園の爆発テロ事件における冤罪をクリント・イーストウッド監督が映画化したもの。

昔はマカロニウェスタンもので活躍して、ダーティーハリーシリーズで日本でも有名となったイーストウッド監督は毎回面白くて鋭い視点の作品を作るけれど、今回もそうだった。

 

泣く子も黙るFBI捜査官たちに犯人扱いされてしまった、正義感の強い知的障碍者の警備員が主人公。公園で爆発物を発見した英雄だとはやしたれらた数日後には容疑者とされてしまった。世間から白い目で見られ、個人のプライバシーや人権を奪われてしまうけれど、それを正義感のある知り合いの弁護士と共に戦って冤罪を証明する。

監督はそっくりな人物をキャスティングすることが多いけれど、今回もそっくりだった。左がコメディー俳優で右がご本人。当人はすでに他界していたけれど、お母さまがまだご健在らしい。

捜査官は裁判で敗訴となるが、最後まで自分たちが正しいと主張していた。その数年後に真犯人が見つかり、本当に冤罪であったことが証明されることとなった。ちょうどこのころ、日本でも12年間服役させられた女性の冤罪判決が出た。

冤罪は警察機構の明らかな過失であるし、個人の人生を奪うということは重大な罪だと思う。しかし、現状では日本でも担当者の責任は追及されないので、法的に野放し状態になっている。これはとても不公平でおかしいと思う。

 

この後の話題作としてはキャッツもあったのだけれど、あれは数回舞台を見ていて、あまり関心が無いので観に行かなかった。多くの人たちが騒いでいるけれど、あれは昔の見世物小屋でバラバラの演目を無理やりつなぎ合わせたものだから、筋の通ったストーリーは存在しないのである。なので起承転結のある物語を求める人にはお勧めしない作品だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

三が日は鉄馬にまたがり海岸まで富士山を見に行くのが慣例となっている。正月二日は小春日和。

西洋歴では元旦から年が変わるけれど、太陽の運行は冬至からプラス方向に変わっている。これを陰陽の思想では「一陽来復」と呼び、「うまくいかなかったことが好転する」「病気が快復する」「運が良くなる」などのゲンを担ぐようになった。

この民間信仰で有名なのが都内の穴八幡宮。元々は、騎馬や射的の訓練場のあった高田(高田馬場など)にあるので高田八幡宮が正式名称であったけれど、江戸時代に神社の建つ丘から古墳の横穴が発見され、その中から神像が出て来た。なので、それ以来通称「穴八幡」と呼ばれるようになっている。

この地に八幡宮を勧請したのは奥州征伐から戻る際に立ち寄った源義家。その際に武具を奉納したことが起源。当時はこの高台が前方後円墳であることは知らなかったのかもしれない。義家は弓の名手でもあり、武名も高いので、歴代将軍家も手厚く庇護をしている。

毎年、冬至になると一陽来復にあやかる人々で大行列ができる。

これは昨年末の風景であるけれど、週末は賑わっていた。ここは趣味のタンゴのスタジオに行く際に毎回前を通るのだけれど、今まではあまり気にしていなかった。自分は哲学や歴史は好きだが、ゲン担ぎや混雑は大嫌いなのだ。この時はたまたま「一陽来復」の文字を発見して、立ち寄ってみた。

境内に入ると意外なほどの賑わいと規模で時間を忘れてしまい、タンゴのイベントは遅刻することにした。江戸時代、神仏習合という制度があり、神社は寺院が管理することになっていた。管理する立場の寺院を別当寺と呼び、穴八幡の隣にもある。将軍家の息がかかる寺院だったので葵の御紋章を使うことが許されていた。

この寺院は縁起を担いで、幸福が来ると言う意味の「一陽来福」と書いている。ただ、普段の自分の行いがめちゃくちゃなくせにこういう時だけ神仏に頼ろうする人間にご利益などあるはずはないと思う。本来の神仏関係者は、お守りや御朱印などでお金儲けをすることばかり考えず、きちんとそういう教育をするべきだと思う。なので、自分は余程の関心が無い限り、見学だけで、クジやお守りの類は一切買わない。

正月の海岸はいつも大混雑。バイクでも並ぶことがあるほど賑わう。今年から祝日には日の丸の国旗をはためかせて走ることに決めた。それは最近「日本」が絶滅するのではないかという危機感を切実に感じているから。最初は伝統的な精神文明が崩壊し、弱体した状況につけ込まれて侵略されてしまうという危機感。

今回のコロナウィルス騒動でそれはますます真実味を帯びてきた。平和ボケが広く浸透した結果、庶民どころか政府すら危機管理と国防が全く機能していない。私は当初からシミュレーションをしていたけれど、政府の対応と、国内外で起きる現象はほとんど当たっている。私自身も平和ボケ環境で育っているけれど、その後の経験のお陰で、ある程度の分析と対処はできるようになっている。最前線にいる現役のプロはこんなレベルではないはず。もしも人材がいないのであれば、民間からも経験のある人材を探すべき。温室で勉強するだけでは、実際の修羅場の怖さがわかるはずはない。そこにおける、人権などの解釈は平常時とは大違いなのだ。現状では「人権」に関する綺麗ごとが多すぎる。原発事故の際に綺麗ごとの理論ばかりを論じていた人物は今回もある野党の党首として同様の屁理屈をのべていたけれど、あれでは間に合わない。一方の政府は議席数を悪用して嘘つきと独断の悪印象を与えたので、こういう緊急事態でも信用&協力を得られないのだ。私は騒動後に「悪」はぶっ潰すべきだと思う。政治に無関心で選挙にもいかなかった人たちも反省するべき。お前たちが今の政府を作ったのである。

この日は富士山の上にだけ雲がかかっており、見えなかった。日中にはとても綺麗だったそうだ。雲がかかるのは富士山付近の上昇気流と関係があり、夏場は昼過ぎに雲が発生する。

 

4日はタンゴを踊るバイク仲間たちと路面凍結の心配がない房総半島へ初ツーリング。

房総半島の春は早い。すでに菜の花が咲き始めていた。

普通なら正月はお節料理なのだろうが、我々は常識と少しずれているメンバーがほとんどなので、正月からジンギスカンになった。セルフサービスで食材を購入して、自分たちのテーブルで焼く方式。これは明朗会計だし、シンプルで良いと思った。

食後はバンジージャンプ。高所が大嫌いな私以外はみんな自殺未遂をやりたがった。よくやるよなあ~。

楽しみ過ぎて、フェリーの最終便ギリギリの乗船。南端の岬にあるユニークなカフェで時間をつぶし過ぎてしまい、すでに日が暮れていたので大慌てで港まで走った。房総半島は広いけれど、渋滞が無いのが幸いだった。

「日の丸」は今では暴走族やヤンキー、街宣右翼といったマイナスイメージと結び付けられてしまうことが多いので、とても可哀想。それに、私のバイクはアメリカ製で、どちらかと言えばアメリカナイズされた人たちが好むタイプだから、横文字のアクセサリーを付ける人が多い。なので、とても奇異な目で見られることが大半だったけれど、逆に手を振ってくれる人もいて、面白い体験だった。

 

日の丸をつける直接の動機は、前回に外国人と元旦ツーリングをした際に、日本でも堂々とアメリカや自国の国旗をはためかせて走る姿にとても感動したから。国際関係や政治はともかく、自分たちの文化や国を愛する姿はとても尊く美しいと思った。ところが、日本人はずっと戦争で自分たちが悪者で侵略者だと教えられて来た。いわゆる「自虐史観」に洗脳されて、自分たちの誇りを忘れてしまっていることに気付かされたのだ。だから自分たちの歴史も知らず、文化の素晴らしさも知らず、その結果として自分たちに誇りや自信を持てなくなってしまっている。この状態から脱却するためには、まず自分たちの歴史や文化を学ばなければならない。外国の芸能人、ファッション、車やバイク、音楽をいくら知っていても、自分たち自身の文化を知らなければ、「あんたは何人?」と言われることになる。海外体験のある人は少なからず体験しているはず。どこの国に行っても、自国に誇りを持たず、欧米の真似&媚びへつらうような日本人は信用されない。

 

今年の正月は暖冬で晴天が続いた。地元の公園も水仙が満開となり、あたり一面が甘い香りに包まれていた。

地元の海から対岸を見ながら、先日のツーリングを思い出した。フェリーの航路はちょうど真正面。東京湾の一番狭い浦賀水道を横切っている。最終便に乗り遅れそうだった記憶がよみがえり、日没まで滞在していたカフェを思い出した。そのカフェは東京湾の入り口にある重要な岬にあり、古くから灯台も整備されていた。灯台が無い時代からも、海に生きる人間たちにとってはとても重要なランドマークだった。

そこで、思い出したのがその岬にある不思議な石。昔、修験道の始祖である役行者が浦賀水道を守るために置いたと伝えられているのだ。役行者は空海(弘法大師)の先達であり、大自然の理をよく知る人物だった。水道を守る石は水道の両側に置かれており、一つがカフェの近く。もう一つが私の地元にある。昔は貝塚もあったエリアだけれど、今は開発されて住宅地の中に埋もれてしまっている。

 

思い出したので久し振りに行くことにした。滅多に行かないので所在地がわからなくなり、まったく関係のない公民館の裏山に入ってしまい、道を尋ねた公民館に集まっていた子供たちに「全然場所が違う!」と笑われてしまった。

そもそも、今の参道は後から開削されて作られたから、昔の出入り口は逆方向にある。そのせいもあって、地理がわからなくなっていたのだ。本来は海に向かって参道が続いていた。今は狭くて、裏口のようになっているけれど、こちらが本来の参道。たまたま通りかかった地元の老人に話しかけたところ、色々教えてくれた。

周囲はすっかり住宅地となっていた。しかし、斜面からは奥に夕焼けの富士山が薄っすらと見えていた。

この神社は神社と言っても建物が一切ないところが特徴。それはご神体が例の守り石だから。とは言え、普通は地元の名士や豪族が廟などを建立して庇護するもの。それが行われずに、野ざらし状態であることはとても原始的で特別な存在感があり、逆に感動してしまった。

こちらの社伝では役行者の伝承より古い時代に霊石は安房の国(房総半島)から飛来したもので、日本武尊が東征の折に霊石を拝したとの話もあるらしい。

ご神体の霊石は現在は鉄の柵で覆われているが、周囲は多少の石碑があるのみ。それほどの巨木は無いことから、自然消滅か、人の手が入っていたのだと思う。昔、東北に向かう東海道は海を渡るルートもあった。沼地であった東京エリアを通るよりも、三浦半島から房総半島に海路を渡る方が合理的だったからである。

ここから海に向かうと日本武尊と弟橘姫の海難伝承が残る「走水」へ出ることになるので、古人たちがこの周辺を通っていたことは間違いない。ちなみに、その伝承内容は、日本武尊が部下たちと浦賀水道を渡る途中で暴風雨に出遭い、許嫁の弟橘姫が入水して犠牲となることで無事に対岸に渡ることができたというもの。

 

しかし、私が昔聞いた話はもう少し具体的だった。日本武尊が船上で「この辺りの潮は流れが速くて水が走るようだと聞いていたのに大したことは無い」とうっかり口走ってしまった。それを聞いた海神が「生意気な人間だ。だったら怖さを思い知らせてやろうではないか」ということで暴風雨を引き起こした。その海神の怒りを鎮めるために弟橘姫が自らの命を捧げたというもの。後日海岸に流れ着いた頭飾りを納めて姫の御霊を祀ったのが走水神社だとされている。

霊石は房総半島のある東を向いており、その背後は西。ちょうど夕日が沈むところだった。今では地元でも無関心な人がほとんどで、知る人は少ないが、古代日本の歴史を伝える貴重な文化遺産だと思う。

 

正月の富士山は昼間の方が見えるのではないかということで、平日の日中に西へ向かった。鎌倉から富士山の姿もばっちり見えた。しかし、この頃から中国の新型SARSらしき噂が聞こえ始めた。

菜の花の名所は平日でも凄い賑わいだった。この丘陵を上るのはかなりしんどく、いつも体力管理のバロメーター的な場所となっている。長い上り坂の途中で苦しくなったら足腰が弱っている証拠。

座れる場所は全て高齢カップルで占領されていたので、景色だけを見て、早々に引き上げる。三毛猫は石の上でまどろんでいた。

まだこの時点ではマスクをしていた人は、本当の風邪引きさん以外は皆無。

ここには、偶然に先日訪れた霊石や走水の弟橘姫の伝承と関係がある神社がある。それは、日本武尊が西に帰る際に、この山の上から三浦半島を振り返り、自分たちの為に犠牲となった弟橘姫を偲び、遺品をこの地にも祀ったと言われているのだ。

このまま富士山方面に行くことも考えたけれど、数日前に雪が降ったはずなので、その手前の箱根の様子を見に行くことにした。箱根は昨年秋の台風被害で大損害を受けていた。大規模な地盤の崩落によって大事な交通手段であった登山鉄道が復旧できない状態が続いていた。当時はコロナウィルス騒動ではなく、台風被害の影響で観光客が激減していたのだ。しかし、自分の場合はいつも車かバイクで行くので交通機関の影響は無し。かえって渋滞もなく快適ではなかろうかと推測して行ってみた。

これは終点近くの平らな部分で、運休中の線路には雪が残っていた。上ってくる途中の山道に沿って見える箱根登山鉄道の軌道(線路)は地盤が無くなって宙ブラリン状態となっている箇所がたくさんあった。あれだと、先ず地盤を造り直さないと線路を敷設することは不可能。重量が重い鉄製の車両が上を走るわけだから、大規模な工事になることがわかった。損害の大きさを考えると同情するので、頻繁に遊びに行こうと思った。

 

いつも行きつけの餃子屋さんは数年前にもらい火で店舗を焼失し、最近新装開店したと聞いていたけれど、その後の台風騒動で行けずじまいだった。この機会に立ち寄ると、以前とは全く違って近代的なレストランになっていた。昔はカウンターのある地方の食堂みたいな建物だったのだ。

いつも注文するのはニンニクと銀杏が入ったスタミナ餃子。今回は寒かったので餃子ラーメンも追加。ここの餃子は有名だけれど、通常の店の倍近い値段がするのが、少し残念。まあ、観光地だから仕方が無いのかもしれない。客層は欧米人が多く、中華系が次だった。ネットで調べたのだろう。

通常は渋滞するエリアもスイスイ快適に走れたので、久し振りに道沿いにあるカフェに立ち寄ることにした。この建物は昔のバス停留所を改造したもの。

曲がり角の傾斜地に建てられているので、扇型をしており、後ろ側は斜面に沿って半分地下のような構造なのだ。この建物の精巧な紙製模型を製作した方のブログには詳細な紹介kが書かれており、とても面白い。

https://zakixzakix.jimdofree.com/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%8B%E8%87%AA%E5%83%8D%E8%BB%8A-%E5%AE%AE%E4%B9%8B%E4%B8%8B%E5%BE%85%E5%90%88%E6%89%80/

店内にはこの模型や古い写真も飾られており、当時のバス乗り場の様子がわかる。

店内は太い木の梁がむき出しで、山小屋風。扇型のスペースを利用して快適な喫茶スペースが作られている。客は日本人の家族連れが一組のみ。台風被害以降は経営難が続いているらしい。今はコロナウィルスとWパンチでさぞかしご苦労されていることが予想される。

せっかくなので他のカフェでは食べられない、オリジナルのパフェセットにしてみた。

窓の下を見ると、中華系の観光客の歓声が聞こえて来た。最近では、日本人よりも上客である。彼ら無しでは観光業は成り立たない状況になりつつある。台風被害で減少しているものの、もうすぐ旧正月でまた大量に押し寄せるだろうと考えながら、一方でウィルス騒動の危険性も心配していたことを思い出す。

旧正月の休暇は最も長く、海外に移動する中国人も最多の期間なのである。なので、もしも感染症が広まりつつあるなら、直ちにその大移動を阻止しなければ大変な災害となることは予想できていた。

 

自分も仕事と直接関係があるので注意していたけれど、連休は1月24日から始まったので、1月末にはすでに中国内で騒動が始まっていた。

武漢の感染が広まり、ほかの都市でも武漢帰りの人を特別扱いし始めた。住民が出られないように、近隣の住人と警察がドアを外から木材を打ち付けて塞いでいる映像が報道されていた。

このタイミングで日本も何ならかの措置を講じなければならなかったのだ。旧正月休みの大移動はウィルスを世界中に拡散することは必然であった。何よりも、それを野放しにした中国政府自身が最大の元凶であることは間違いないけれど、それに適時対応できなかった我が国の危機管理と国防は今考えても間抜けである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学校や商業施設の閉鎖で騒がれているけれど、危機管理の観点から言えば当然の措置。その点の認識がある諸外国はとっくに始めていた。と同時、それとセットで生活費や社会的影響の支援体制も考える。

 

なので、最近の安倍政権の措置はおおむねそれに倣ったものになっていると思う。ところが、なぜ野党や国民からの非難が集中しているのか?それは政府を大嘘つきの「オオカミ少年」だと思っているからなのだ。

加計問題、桜を見る会などの数々の不祥事を道徳心のかけらもない詭弁で押し通してきたツケが回って来たのだと思う。こういうときだけ「国と国民が一丸となって・・・・」とか「先手先手で・・・」などと言ったところで、嘘つき政府の言うことなどすぐに信じて従う気にはならなくて当たり前だと思う。

これが、反対に、普段から誠意のある政府であれば、我々も多少の苦労は我慢して協力しようと言う気にもなるものだ。そして、このような異常事態なのであるから、行き届かない、考え付かない点は問題提起をして一緒に解決しようと働きかけるはず。それが無いことは、やはり「オオカミ少年」みたいな政府だからなのだと思う。

 

日本は騒ぎ始めると、国民性が平和ボケ&ビビりなので、すぐにマスクだ、消毒だと騒いだけれど、その時点がすでに手遅れであった。イタリアやイラン、韓国は国民性は違うけれど、初期対応を誤ったので手遅れ状態となっている。これらの国々では危機感が希薄なこともあり、感染者が野放し状態になってしまった。イタリアの大都市では鼻水を垂らしている人がいるのに、マスク着用者はほとんどいない状態だった。

何よりもまず、異常を感じた当人が周りの迷惑を考えて対処するべきであるが、その気遣いが無いのだ。欧米では、マスクは本当の病人が付けるものであり、白い目で見られるのが嫌だというプライドもあるらしい。また「家族や友達とハグやキスをするのは当たり前で、止めるつもりはない」と言い張る人も多い。そういうのは映画の中だけにするべき。

イランの保健省次官などは公的な記者会見で咳込みながら答弁を行っていたのは悪い冗談としか思えない。

 

最近マスクの有効性をWHOが説明していたけれど、あれも鵜呑みにせず考えるべき。彼らの主旨がちゃんと伝わっていない恐れがある。あれは過剰な心配は必要がないと言っているだけで、効果がないとは言っていないはず。メディアや机上の理論家たちはデーターだけで話す人が多くて、実体験の経験値がない人が多い。学者や研究者にもよく見られる。だから実際の危機管理ではいわゆる権威(人や機関)の内容だと言われる情報も丸ごと信じることはしない。それから「マスクは無意味で必要が無い」とまで極論を言う人が多いのも危険だと思う。どうしてそこまでしてマスクをしたくないのかわからない。マスク不足の現状から不安を取り除くための発言なのかもしれないけれど、不正確な極論はむしろ逆効果になる。

 

よく言われているのはマスクの繊維の隙間とウィルスの大きさの理論。ウィルスの方がサイズが小さいから無意味だと言う訳だ。マスク繊維とウィルスの大きさを比較した画像も出回っている。確かにそれだけを見れば隙間が大きい。しかし、それはあくまで一面の断面図に過ぎない。繊維は不規則な配列であり、それが立体的に奥の方まで森のように続いているわけである。きちんと整列していれば間を通り抜けることはたやすいけれど、密集した森の中を通り抜けるのはそれほど優しくないことはわかるはず。一本の枝にも触れずに森の木々の間を歩き抜けることが難しいのと同じ道理。画像を見ても繊維が不整列で、隙間の状態もバラバラであることがわかる。

試しに、道路を車で走る時のことを考えてみればよい。歩きでも良い。直線道路と曲がり角がたくさんある道とどちらが早く移動できるのか?それも大人数が一度に移動する場合はどうなるか?何も障害物がなければ簡単に凄い勢いで通り抜けることはできるけれど、混雑していたらお互いの存在も抵抗になって動きにくいはず。さらにマスクには密集した繊維による静電気を使ってウィルスを捕まえる機能もある。軽いウィルスは静電気の影響も受け易い。また、マスクの場合、息を吐いている状態では内部の圧力が高まっている状態だから、外から侵入する際には抵抗となって繊維の内部に侵入しにくいのである。反対に感染者から外にウィルスが排出される際には同じ作用が逆方向に作用する。息苦しく感じるのはこの抵抗のせい。苦しいから無意識に普段と違う行動をとるようになり、運動量も減らしているはずなのだ。逆に言うと、せっかくマスクをしているのに、人が多い場所で激しい運動をすることはとても危険。体に出入りする空気の量が増えるのだから、スポーツジムやダンス、ライブなどの空間はマスクをしていてもリスクは大きいと考えるべき。

 

ちなみに、マスクをすると匂いも分かりにくくなるはず。匂いはウィルスより小さい成分の分子(原子の集合体)による反応。つまり匂いが分かりにくくなるということは、ウィルスより細かい成分も入りにくくなっていることの何よりの証明なのである。マスク以外の細かい繊維を用いた代用品にも同じような効果はあると思う。こういう現実の体験や現象を考慮せず理論だけを論ずる人たちはまさに机上の理論家なので、サバイバルはできないと思う。また、マスクによって鼻や口の粘膜を保湿することはウィルスの最初の防御システム(粘膜によって有害物質を捕らえる)を強化することにもつながるということも忘れるべきではないと思う。このシステムが作用する際にも、直線道路を凄い勢いでかっ飛んで来る敵と、曲道をヨタヨタ歩いて来る敵のどちらを捕まえやすいのかということを、考えれば答えはおのずとわかるはず。

 

書きながら気付いたけれど、この理論は運動力学などの物理学系の知識であるから、医学とは少し違うのだ。だから病気やウィルスには詳しくても、物理に詳しくない医師は的外れなことを言うのだと思う。隙間の理論もそうだけれど、「空気感染」についても同じ。彼らは無風状態の環境でしか話していない。ところが屋外はほとんどが風のある状態。前回のSARSでは感染者の多数発生したマンションの風下に住んでいた住人たちから多くの感染者が出た事例がある。私は事件が収束した後の現地の報道を中国内で見ていたから、その記憶に間違いはない。つまり、微小で軽い飛沫は風があると遠方まで飛ぶのである。これはインフルエンザやほかの疾病にも起こる現象。ところが、ほとんどのいわゆる医師たちがアップしている投稿にはこの点が欠如しているようだ。接触による昼からの感染が主だということらしいが、前述したマンションでは住民同士の接触感染は皆無だったのである。全て風が運んだのであった。しかし、WHOは把握していないのか、理解が足りないのか「空気感染の事例は無い」と言っていたけれど、中国政府はこの事例を知っていたからエアロゾル感染の危険があるという表現にしていたと思う。

 

いずれにしても、現実問題として、そのような信用できない政府や行政、情報に頼っていては我々の損失と被害はさらに増大することが確実なので、我々こそ「先手先手で対応」することが大事かと思う。今更、アホな政府を急に変えることは難しいので、国民が賢くなって対処するしかない。それに、緊急事態で政府を非難をしてもあまり現実的な効果は無い。

連中に対する文句や非難は騒動が一段落したらまとめてぶつけてやることとして、今は不平不満は置いていおいて、合理的科学的客観的に冷静に行動するべきだと思う。野党側も追及するだけではなく、自分たちでも危機管理の概念と国防に優れている国々の実際の施策を勉強するべきだと思う。

 

PS:私の諸外国における危機管理の経験では、日本のメディアは間違いなく情報規制を受けている気がする。これは原発事故をきっかけに強化されている。特に懸念しているのは、東京における感染者の数。屋形船だけであれだけの感染者を出したにもかかわらず、それ以降の報道は少な過ぎる。最大の感染原因は旧正月における大陸からの観光客大移動であったけれど、一番多いはずの東京をはじめとする大都市の情報量が相対的に少なすぎる。これは自覚が無かったり、発症していない人たちが潜在的にかなり存在している可能性が大きいと思う。北海道などは主に雪祭りやスキー場が原因なのにあれだけの感染者が出ているわけだから、ディズニーランドやUSJなどのテーマパークや日本的な観光名所からの報告が無さすぎるのはとても不自然。おそらく、パニックになることを恐れて調整&規制しているのではないかと推測する。すでに封じ込めは手遅れで、クラスター感染が始めっているからには、もはや不誠実な隠蔽工作は中国と同様に信頼を失う行為であるし、将来にさらなる災禍をもたらすと思う。感染者の所在や利用した施設なども公表するべき。個人の人権と国や国民に対する大義とどちらが重いと思っているのだろうか?少数の人間の為に全員が被害者となるのと、少数の人間を規制することによって大多数が助かるのと、どちらがとるべき道なのか考えるべき。幸いに重症化する人は現状では少ないから、感染したままで安定することも考えられるけれど、極端に考えると、この両者の結果(生存率)を考えてみれば、「ゼロ対それなりの人数」になるはずだ。国防や危機管理はこの考え方が基本であるはず。基本はまずマイナス思考(最悪の場合を想定する)。その次が積極的なプラス思考。平和ボケだとこれが逆になりがち。最初から悪い意味のプラス思考だと後から災いを招くことになる。この基本ができておらず、手遅れとなった時は、感染しても軽症のままでウィルスが沈静化することを天にお任せするしかないのだと思う。