雲水・ISA(九龍)のブログ

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日本は神の国
仁術師

今日は悪い意味での記念日。一方的な憲法を脅迫されて押し付けられた日である。それを、日本人は戦争への反省から自分たちで考え出した平和憲法だと教わって来た。私もその一人。ところが、最近はそれが事実とは違っていたことが明らかになって来た。しかし、公的な教育現場ではそれを修正せず、相変わらずの内容を教えているところがほとんど。だから表面的な憲法論を今でも続けている人が多い。すでに戦後80年も経過しているのに、GHQによる洗脳が解けないまま、国民の情報や知識が未だにアップデートされていないのである。自分は侵略者の基地のある街で生まれ育ち、国際問題や歴史にはかなり詳しいつもりであったけれど、それは単なる勘違いと自分自身が深く洗脳されていたことに気付いた。これは非常に残念で、情けなく、ご先祖様たちに申し訳ないと言う思いが強いので、こうしてブログを書いている。

 

押し付けられた憲法や協定類には不公平な部分が多い。目立つのは第9条問題であるが、それだけではない。教育、財政、行政などに及ぶ。それに気付くと、日本弱体化、愛国心の欠如、日本人としての自信や誇りがどうして失われて来たのか、弱腰外交、経済発展の停滞、学力の低下、不気味な犯罪の増加、などの理由がわかり、筋が通って来る。全ては戦後(近代の原点は明治)から始まっているのである。戦争は物質と精神の両方が限界に達する現象であるから、国や社会をリセットするには都合が良いタイミングとなる。リセットには2方向あり、新たな支配システムの構築(侵略)と変革(内部革命)。日本の戦後は前者であった。

 

戦後に我々は享楽洗脳を受け、平和ボケとなってしまった。そのせいで、野球やサッカーなどのスポーツ、芸能界やアイドルには詳しいけれど、政治や自国の歴史文化を知らない日本人が増えている。Wikipediaですら、最近の記述内容はより史実に近いものに変わっているのに、その人たちの頭の中は変わっていない。あなたは一体どこの国の人なのか?これらの人々は将来の日本にとって害国人、老害となる可能性が大きい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95

 

 日本の現行憲法問題における、最新の事実関係を簡単に整理すると以下の通り。先ず、米国は日本を精神面(文化、教育)と物質面(産業、軍隊)の両方を徹底的に破壊して再起不能の状態にすることにした。日本人の精神力の元となっていた霊性(神国)教育を軍国主義と結びつけて嫌悪感を与え、悪い教育だと教えた。実際に軍事政権には問題も多かったので関連付けることは容易であった。実はこの中にこそ現在の性善説社会の基礎と日本の精神力の強さの秘訣があった。しかし、それよりも個人の権利(人権)が大事だ、民主主義、資本主義が正しい。それを日本に教えるために米国は戦い、日本人に平和な社会をもたらすのであると、自分たちの植民地侵略を正当化したのである。昨今の中東紛争も同じで、国際世論は勝者によって操作される。勝てば官軍、負ければ賊軍である。この正当化のための国際的茶番劇が不公平な東京裁判である。

 

 それ以外にBC戦犯裁判も行われているが、これらの裁判は米国民と世界にアピールするためにマッカーサーが演出した芝居であり、戦争犯罪裁判などの規定は無かった。その為に、終戦後に条例まで作ったのである 。日本を裁くための極東国際軍事裁判所条例は1946年1月19日に発効された 。つまり後から法律をでっちあげ、それにより大勢が絞首刑となったのである。被告人には反論の余地もなく、十分な通訳や弁護人も付与されなかった。侵略者の一方的な正当化と価値観に基づく非人道的裁判である。また、収容所内で多くの虐待や暴行を受け亡くなった関係者も多い。日本の教科書やメディアはこれらの話をしない。するとしても、日本軍の悪逆非道ばかりで、彼らが現地で如何に友好的、良心的であったかと言う記述はほとんど出てこない。

 

 それは米国が日本人特有の英霊信仰(神格化)を恐れて隠蔽したせいである。マッカーサーは遺骨を残しておくと、そこに墓や記念碑が建てられ、神格化されることを恐れ、わざわざ遺体を掘り起こさせて焼却処分させていた。可哀想なのはその霊麗たちと遺族たちである。日本人は押し付けられた茶番劇裁判の結果を真に受け、戦犯を悪人扱いする風潮が生まれてしまったのである。自分の父親や夫たちの全員が悪人であったはずがないけれど、先般の遺族たちは差別されて肩身が狭い生活を強いられることとなった。一方で、司法取引をした売国奴もいるのだ。この内情がわかると「戦犯」と言う定義自体が確証の無いでっち上げの概念であることが明白となる。すると靖国参拝の意義が自ずと明らかになる。あそこには我々のために犠牲となった方々が眠っている場所なのである。これがわかっても、恥ずかしがったり、海外の顔色をうかがうような人は日本人ではないと思う。

 

 残念ながら、これらの史実を知る日本人はとても少ない。しかし、発信してくれる人たちがいるし、SNSやブログで少しずつ波及させることができるのではないかと思い、私も書いている。平和ボケの頭に多少の刺激(疑問)となってくれれば幸いである。

(当時のGHQ本部、第一生命ビル)

 

 侵略軍は日本を統治するために日本の専門家(憲法学者)に戦後の憲法を立案させた。通常の主権国家として当然の内容であり、国際法を盾に主張したけれど、GHQの責任者Mは、お前たちは我々に負けた立場であるのだから無条件降伏が当然であり、自分たちの権利を主張するような内容は受け入れられない、身の程を分かっていないから、俺が作った要求(三大原則)に基づいて草案を作れ!と言うことになった。

 

 マッカーサーが憲法に必ず入れるべき内容として要求した三原則の2番目は以下の通り。これが後の第9条に反映された。自分達の身を守るための抵抗力さえも奪おうとしたのである。人権を標榜する国家とは思えない下品な要求である。ついでに言うと、彼らの言う「人権」とは白人のみに適応される概念であり、今でも米国社会には根強く残っている。

 

2.国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。」

 

これにより、承認されたものがマッカーサー草案となった。最近までの一般的歴史認識では日本側が考えて提出した内容をGHQが英訳したものであり、第9条は日本独自の発想であるとする学者が多かった。それは、この草案の存在と交渉内容が秘密にされていたため、その詳細を知らなかったのである。従って左傾の平和憲法擁護者たちが論拠とする「日本人が平和を望んで考え出した」という話は、残念ながら美しく作られた幻想であったと言う事が明らかになってしまった。実際にはGHQから脅され、その要求をほとんど丸呑みして、構成し直したものが現憲法である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E8%8D%89%E6%A1%88

 

 憲法に関する交渉の際に、GHQは言うことを聞かなければ天皇がどうなるかわかっているのか?協力しないのであれば、お前は戦犯として扱う、などと脅していた。立案のミーティングの際に上空をB29が偶然(計画)に飛行していたが、米軍側は空を見上げながら、ポカポカして暖かく、気持ちが良いけれど、あの太陽のエネルギーは原子力(アトミックエナジー)によるものなのだ、と遠回しに脅迫していた記録も残されている。これらの記録資料は後に隠蔽される歴史問題となることも想定せずに、淡々と当時の出来事を係官が記録していた内容であり、関係者の服装や、言動に至るまで、詳細に書かれている。だからこそ、そこには改ざんや隠蔽する意図がなく、事実をありのままに伝える力がある。関係者もまさか自分の嘘が将来バレるとは予想していなかったはず。学生時代には彼らの偉人伝を読み、米国人と対等に渡り合い、日本を守った偉人だと思っていたけれど、評価は逆転せざるを得ない。

 

 おそらく、脅迫され、背に腹は代えられずそうしたのであろうが、それなら、その負の遺産の詳細(経緯や問題点)を後進に引き継がなければならなかった。自分の力は及ばなかったけれど、将来の日本人がそれらの問題を解決できるような遺言や伝承が必要であったのだ。それもせず、偉人扱いされ、侵略者から与えられた地位と名誉に甘んじたまま逝去したのであるから、その汚名を拭い去ることはできない。私は故A総理が重要関係者であった祖父から何かの遺言を受け継いでいるのではないかと期待していたのだけれど、それもわからないままである。

   

 当時、これらの交渉に当たっていたのが、外務大臣の吉田と側近の白洲など。吉田はこの脅迫じみた草案の存在をミーティングの10日間に知っていながら、死ぬまでとぼけていた。この資料が出るまで我々も騙され続けて来たのである。今でも戦後日本を建て直した偉人だと思われているから、旧宅は文化遺産になっている。ちなみに同時期にCIAのスパイとして活躍していたことがバレた正力松太郎も大手メディアグループや野球チームを作った偉人だとされている。我々が偉大な人物だと教わっていた彼らの権力と資金は全て侵略者に与えられたものだったのである。つまり、これらの裏の顔こそが戦後レジームの闇。侵略者との司法取引によって善悪が逆転させられているのだ。国を守ろうとしていた人が戦犯とされ、売国に加担した人間が善とされたのである。

 

 この逆転は戦後のあらゆる分野に及んでいることも要注意。つまり、現在の価値観や権威は彼らの都合により作られたと言う事。洗脳に使われる手段は教育と宣伝。教育に影響する有名大学の学長、学術的組織の教職員(教授、教師)には都合が良い人材が選ばれた。この際、教育四大指令が出されている。1 軍国主義、極端な国家主義的思想の教育並びに軍事教育の禁止、2 教育関係の軍国主義者、極端な国家主義者の追放、旧軍人の教職従事の停止、3 神道を国家から分離し、学校での神道教育を排除、4 修身・日本歴史及び地理の授業の停止と教科書の回収を指示するものであった。

 

 これ以降の学生(子供)は全て自動的に洗脳を受けることになる。教材として使われるのは、侵略者が承認した内容のみ。そこからは日本文化の誇りや愛国心に関する内容が削除された。検閲により多くの書籍が禁書処分となった。権威となる言論は彼らが選んだ有識者の著作と発言である。子供や学生たちはこれを信じて疑わなかった。新しい教育指導により、子供たちは自ら既存の教科書から不適切で誤った部分を子墨で消させられた(墨塗教科書)。

 先生や大人を信じられなくなったら、その国の教育は終わりである。大人たち(政治家、保護者、指導者)に対する信頼が無ければ国は崩壊する。恐ろしいことは、信頼している人間たち(教育者)が洗脳されている場合、その信頼関係は負の悪循環を続けてしまうことになる。実際にそうなりつつある。嘘つきな大人や売国政治家が増えている。その意味で日本は非常に危険な状態なのだ。

 

 異議を唱える学生は昇級できず、違和感を覚えて抗議する教師や学者は仕事を失うことになった。裏返せば、本投稿内容を含めて、現在真実を教える学校や教師は存在しないことになる。学生(若年層)以外の民衆の洗脳にはメディアが使われた。最も効率が良いのはテレビであり、それを日本に導入して洗脳をするようにCIAから命じられたのが正力松太郎であった。正力は元警察官である権力とコネを利用して節操のない商売をすることが得意であった点を評価されたのである。

 

 これにより、ほとんどの日本国民は洗脳されることとなった。当然、私もその一人であった。私はアメリカナイズされた街で生まれ育っているから、その洗脳のレベルは深かった。何しろ、正しい知識人だと思っている教師、学者たちがそう教えるのだ。裁判官、警察官などは、押し付けられた法律や命令によって仕事をするように教育されているから、その判断結果は本来の正義とは別のものになっている可能性が大きい。要するに、自覚がないまま侵略者の手先となる。最近は、裁判官や司法による、日本に害をもたらすような判決が増えている。これはその結果が招いた、非常に恐ろしい現実である。

 

 その後、吉田は屈辱的な憲法だと非難されると、それを当時の幣原首相のせいにしている。第9条の文言は首相からの要請であったとして、日本が脅されて書かされたと言う事実を隠し、責任転嫁したのである。皮肉なことに、後世にその平和理念が評価されるとは思ってもいなかったのである。この前から吉田はGHQと秘密裏に協議をしており、後の傀儡政権となるJ党の総裁(総理大臣)となることが約束されていた。当初は国辱憲法だと非難されたけれど、抗議する人々は公職追放とプレスコード(メディアの言論統制)によって排除された(公的な場から追放された)状態で可決された。民主主義として正当な手続きを経て、日本国民が自分たちで認めたように偽装したのであるが、反対者は会議に参加すらさせてもらえないのだから、これは完全なヤラセ国会。憲法の内容に日本の民意は反映されていないのである。

 ここには世界平和や正義の発想はなく、単に侵略者が日本の力を根こそぎ奪い、将来も決して歯向かえないようにするためだけの内容となっている。言い換えれば、我々は従順で平和な民族であり、未来永劫もう二度とあなた達には歯向かいません!と宣言させられているのである。ここには、日本の独立(自立と主権)を認めるつもりは一切ない。この一方的で不公平な内容を国民と国際世論に対して取り繕うために、日本側があたかも武力を自ら放棄したように思わせたものが、平和を強調した現憲法なのである。自分たちが日本人から抵抗力と主権までも奪い丸腰にしておきながら、自分たちの侵略であることをカモフラージュする為に、日本が自分から言い出した事にしたのである。しかも、丸腰の日本を我々が守ってあげなければならないと言う理由を作り、永遠に軍隊を駐留させる事を考えた。それが日米安全保障条約である。これがある限り基地問題は永遠になくならない。

 

 ついでに言えば、広島原爆記念碑の文言もまるで原爆を投下させたのは日本人であるかのようなものになっている。この内容に異議を唱えたのが、東京裁判に戦勝国側として参与されながらも、その茶番劇を批判したインドのパール判事であった。これに関して誤解だと擁護する人間がいるけれど、当時の経緯を知れば、後付けの苦しい言い逃れであることが明白である。これは明らかに圧力と侵略者への媚びへつらいによって日本人が書かされたものである。

 しかし、今までの左系有識者たちと洗脳された国民はこの事実関係を知らずに、日本人が平和を願って生み出した崇高な平和主義憲法なのだと豪語して来た。そして、押し付け憲法や無効論は右系の日本人が戦争の反省をせずに自分達を正当化するための陰謀論、詭弁であると非難して来た。大手新聞やマスメディアは全てこれに倣っていたのであるが、当時の資料が世に出たことで、この論争には結論が出たと言える。たまたま現代に評価されるようになったけれど、派生した経緯を知れば、一方的な押し付けであることは明白である。

 

 当時、敗戦した日本政府は自分たちに不利になるような機密資料なども処分しようとしていたけれど、GHQが派遣した日本語に堪能なスタッフたちがそれを事前に阻止して本国に持ち帰っていた。米国はGHQ関連のあらゆる文書も保管しており、時効が切れると公開されることになっている。それらの保管してあった機密文書が解禁されて、一次資料が世に出始め、それを研究分析した方たちのお陰で真実が徐々に明らかになりつつある。この制度は日本も見習うべき。おそらく、裏の裏もあるとは思うけれど、自分たちに不利になり得るような内容も期限が来ると公開するところが凄い。日本なら秘密を墓まで持って行くはず。これは悪行の多い米国の命綱でもあり、国家の腐敗を防ぐ自浄作用があると思う。

 これらの一次資料(現物)により、米国CIAとJ党、吉田茂、岸信介、財閥系企業や政商などとの闇のつながりも明らかになりつつある。東京裁判では陸軍関係者ばかりが重罪とされ、海軍関係者は少ない。どう考えても戦争に深く関与していた政治家、商人、科学者などにはお咎めがないばかりか、政財界に復帰して重役を担っている。学長や企業の責任者に抜擢されている人物も多い。これらは全て当時の司法取引の結果なのである。お前ら、秘密を話して協力すれば命と地位を助けてやるぞ、協力しなければ戦犯にするぞ、とそそのかされた売国奴たちなのだ。多少の情状酌量としては、凶悪な武力を持った存在に脅されているのだから、背に腹は代えられない状況もあったこと。肝の座った武人(軍人)は言い訳もせず、腹を切る(極刑)をいとわなかったけれど、文人(インテリ系)や商人には無理であった。

 この売国行為のカラクリを隠蔽するのに資本主義と民主主義のような思想はとても都合が良く出来ている。全ての売国行為を経済発展のため、個人の幸せのため、人民のためだと言い換えることができるのである。これは明治維新の時と似ている。欧米の後ろ盾により政権を奪取したテロリストたちは、自分たちを正当化するために西洋思想を使い、行政の再構築(不都合な人間を抹殺する人事)を行って来たわけだ。その時のスローガンが富国強兵、文明開化である。私見では日本の霊性の顕著な退化は明治から始まっている。長くなるのでここでは述べないけれど、私が受けている神の啓示も同様の内容を示唆している。明治は腐敗の原点である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/CIA%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%B4%BB%E5%8B%95

 

 ところが、朝鮮戦争が始まると、日本にある程度の自衛能力を持たせた方が便利だと言うことになり、自衛隊が認められることとなった。さらに時間が経ち、安保問題、ベトナム戦争などの歴史を経験すると憲法9条に書かれている内容を、戦争を憎んでいる日本人が平和のために自ら考え出したのであると言う説が普及し始めた。そうすると国辱的な内容だとされていた評価が世界では稀有で貴重な平和思想だとする論調に変わって来た。マイナスイメージをプラスに転じる好機だと考え、それを自分たちに都合よく、自分たちの功績であるかの如く宣伝したのがJ党である。元々侵略者のお手伝い的な役割を果たしていた左派はこれに同調した。

 左派とは戦時中に国から疎んじられていた有識者が基本となって構成された存在。治安維持法により多くの有識者たちが拘束、粛清されたけれど、軍事政権が倒れたことにより復権することができた。元々当時の国(政府)に反感を持っていた人たちであるから、その復讐心が侵略者にとっては利用するのに好都合だった。実はこれらの人の中には、当時の日本軍国政府に対する客観的な見識を持っていた人も多かったけれど、当時の政府と無知な国民たちはそれらの賢人までも非国民だとして虐げてしまった。その責任は重い。だから、彼らは自分たちが認められず、虐待までされる悲しさの裏返しで復讐心を持ってしまったのだ。可愛さ余って憎さ百倍と言う通り、それまで自分たちが虐められてきた恨みがあるから、公職追放、プレスコード(言論統制)、禁書(発禁処分になった書籍)などの選定も喜んで手伝ったのである。その人数はわかっているだけで数千人もいた。この時に、市町村や公的部署の指導者、学校関連の校長などが全て解雇され、代わりに左派の人間たちが入れ替わった。国民の思想や人格の形成に教育はとても重要であるが、その教育に左派の教師(日教組)が使われ、洗脳が波及することになった。これによって戦前の教育や社会構造は大きく変わり、国旗や国歌、愛国的な言論に嫌悪感を持つ日本人が量産培養され、現在に至っている。「日本ファースト」という国としては当たり前のことに異を唱える、今のリベラル派の源流である。

 ちなみに、当時それらの左系有識者たち(文学者、思想家、政治家など)に非人道的な制裁を加えたのが特高(警察)であったけれど、連中は戦後のどさくさにまぎれて雲隠れしたままである。国民を守ってくれるはずの警察権力が信用できない時代があったのは史実である。虎の威を借る狐のような自称愛国者たちは、その権限を利用して一般人を恫喝する事例が多く、それを体験した戦中派は特高に対して良い印象を持っている人がほとんどいない。この悪印象は軍事政権と伝統的教育が間違っていたのだとする発想につながることとなった。

 

 この歴史があるから、被害者の多かった左派が今でも人権や国家権力に敏感なのは日本政府の自業自得であるのだ。そして、この問題を清算しない限り、国家権力に対する不信感はなくならない。私もその一人である。彼らは治安維持法や特高の存在を決して忘れることはない。現状では行政、司法、立法のどれも信用できない。その理由こそ、日本が未だに占領(洗脳)されたまま自立できていない事である。侵略者が裏から政府を操り、日本国民を洗脳し続けていることに気付けば、そうなるのが当然。気付かない人々が平和だ、楽しい、とボケ続けているのである。

(MAZII)

 

 自分の国に誇りを持てない国民など世界中を探しても見つからない。私の海外の友人たちは建国記念日には国旗を飾って大騒ぎである。国歌を歌えない人など誰もいない。オリンピックでも国旗掲揚、国歌斉唱は誇らしげ(政府批判アピールは除く)であるし、それを右翼だ(過激派)だと非難する民衆などいるはずがない。これに対する日本国民の態度には全く自分の国を愛する気持ちが見られない。国旗や国歌を右翼の象徴だとする洗脳された固定概念を持ったままなのだ。日の丸を破損しても有罪にはならず、外国の国旗を損壊すると罪になると言う、本末転倒の発想までするようになっている。

(正論)
 

 話を戻すと、平和憲法と言われているものは、先述した事情により、大義名分として「平和」を持ち出したもの。その発想はむしろ戦中の「八紘一宇」に近い。元々は押し付けられた内容であるけれど、世界の変遷とともに、不幸中の幸いとして理想的な平和論(平和憲法)と見らるようになって来た。それは9条の前半部分である。自分からは武力行使をしないと言う内容であり、これ自体に反対する人は少ないはず。私も賛成である。同様の思想で世界が統一されれば武力侵攻や侵略は淘汰されるはずである。

 

第二章 戦争の放棄

    第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 ② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

しかし、問題は後半の②である。自衛権が明確化していない上に、成立の経緯から、自己防衛の手段さえも持たないとされて来た。それを政府は解釈の変更として「自衛権を持っている」という政府見解を出している。国際情勢に合わせた苦肉の策であるが、世界の紛争や隣国の領空領海侵犯などを見ると、そろそろ限界にきている。これを抑えるためには抑止力が必要。いざとなったら自衛のために戦うと言う毅然とした態度(国の姿勢)である。私が言いたいのはこの点であり、自ら他国を武力で侵攻できるようにするとか、改変や兵器ビジネスを症例数る意味はない。改憲派にも武力侵攻を肯定するような話は聞いたことはない。また、自衛のための最新兵器やノウハウをそのまま売りつけることは、自分の機密や弱点も知られることになるから、売るはずもないし、売ってはならない。これまでの日本の軍備は米国の御下がり(型落ち)兵器であるが、それらを改良して性能を向上させてしまう能力がある。しかし、これらのノウハウを米国は数多く搾取している。日本人の知恵を盗み本国に反映させている。これを制限するためにスパイ防止法が必要なのだが、それを作られると不利になるために、色々な言い訳を考えて成立を邪魔しているのが実態である。もちろん友好国であれば、ある程度の技術や情報共有はあってしかるべき。しかし現状では、型落ちの兵器を高値で売り付けられている一方で、不公平な関係となっている。


 また、政府が実際に売却しようとしているのは、主にそれまでスクラップにしていた旧式の船舶などだと言われている。日本の中古車と同様、日本人の維持管理能力は非常に高く、古いものでも十分に使用できる価値があるために、後進国はそれらを欲しがるのである。その中古品を販売した場合、そのメンテと指導に関する費用も日本の収入となる、というのがその提案の背景にあるらしい。いずれにせよ、原爆も体験している日本人で戦争が好きだ、賛成する人などほぼいないと思う。時代に適合するための改憲や自衛力(軍備)の増強が侵略戦争につながると言う人たちがいるけれど、現代日本人がそんなに侵略的な民族だと思っているのだろうか?改憲派にもそんなことを言う人はいないと思う。時代錯誤も甚だしい。今の状況を軍国主義時代の日本に当てはめてシミュレーションしてしまっている。

 

 これがどうして起こるのかと言うと、それらの人たちの教養は、学校の洗脳教育だけで構成されているのである。自分できちんと史実を学び、修正していないため、洗脳された自虐史観に基づいて今を考えてしまう。みんな似た様な固定観念と先入観に縛られた堂々巡りの言動をするのが特徴。80年の時代格差があるのに、彼らの頭の中はアップデートされていないのである。これは80年間憲法が一度も改正されてこなかったことと無関係ではない。なぜなら、この手の人たちが今でも日本の過半数を占めているからである。彼らの選択した結果が、今の日本、今の政治(政府)、今の憲法なのである。

 

 世界の中立国は国民皆兵が原則である。平和を守るためには、いざとなれば国民全員が抵抗して戦うのが当然である。だから戦争の起きる仕組みや歴史、武器の取り扱い、戦う方法などを学ぶ。国を守るためには、内的要素として、食料の確保(自給自足)、インフラの保全、労働力(戦闘力)の確保、身を守る方法と設備、行政の連携などを非常時に備えておかなければならない。外的な備えとしては、海外の最新事情を知り、脅威に備えること。危険な相手に対しては防御策を準備しておくべきで、これが独立した国家の最低条件である。

(読売新聞)

 

 ところが、日本の現憲法は自衛権が曖昧であり、これらの要素を考えていない上に、平和ボケ民衆たちは、徴兵制が怖い、自衛隊は外に出すな、などの自分勝手な発想をするようになっている。責任や負担が少なく逃げる方向ばかりを考え、自分の国を守るための覚悟、知恵、知識が抜け落ちているのだ。そこに、自分は争いは好まないから、手伝えない、などと言って逃げる発想を卑怯だとは思わないのだろうか?武力(暴力)を好まない人もいるのは確かだけれど、その様に優しい人は、後方支援活動をすれば良い。強者が弱者を助け守る。戦時中の日本がそうであった。女性は男性が戦地にいる間に家庭をみんなで守っていたのである。だから、兵士も国や家族のために必死に戦った歴史があるのだ。何の代償も払わずに平和が守れると思ってしまうのは、余りに幼稚、無知である。

 

 今の日本の状態を見れば、どれも不十分である。到底独立した国家ではないけれど、日本人はそれに気付かない。そればかりか、主権や独立は無くても良い、戦争しないで済むんだったら、米国に隷属したままで良い、9条があれば徴兵されない・・・と考える人も現れた。左派や護憲派がそうである。

 

 また、経済(金銭)中心で国の自立レベルを判定、論じるのは誤り。なぜなら、戦時において、お金はただの紙くずとなる。人間が生きるために必要なものはお金より食糧やエネルギー(石油、石炭、ガス)、水である。日本はタンス預金量や国家としての蓄財は豊富であるが、どんなにお金があっても、食べ物とエネルギーを奪われたら終わりなのだ。この観点から日本の現状を見ると鳥肌が立つほどの危機的状況になっている。自給自足率は低く、農作物の種子や農薬まで海外に依存している。水などの天然資源のある土地を外資に買い占められ、国土が虫食い状態なのである。これらをどうして防ぐことができないのか?それは、憲法が侵略者(外来有害生物)に都合が良いように作られたものであるために、防御&駆除しにくい構成になっているためなのである。最新の侵略方法は武力によるものだけではない。移民や外資による国土の侵食で日本が虫食い状態(ソフトな侵略)になっているのに、物質的な戦争がないだけで、それを平和だと勘違いしているところも無知すぎる。不動産の所有を認めないC国のような人々が日本の国土を買い漁っている現状を見ると恐ろしくなる。日本にはいまだにこれらを制限する法律が存在しない。すでに、街や日常生活の平和な性善説社会が崩壊しかけているではないか?これは自己免疫力がなく、ウィルスを体内に無防備に招き入れているのと同じ状態。気付いたらご臨終である。

(yuta,seiji)

 

 ちなみに、戦前には外国人土地法があり、国体に悪影響が出る外国人の土地売買を制限することができていたけれど、これも戦後に廃止されてしまっている。改憲では第9条問題ばかり取り上げるけれど、それは目に見えるわかりやすい攻守自衛の議論。しかし、こちらは内部侵略(戦争)である。早く改めるべきだと思う。

 

 しかし、一方では戦後レジームの再検証の動きも広がりつつあり、戦後は馬鹿にされ、個人の自由や人権の干渉だとされて来た村社会の自治や掟が性善説社会を支えていることがわかって来た。価値観や社会がこれだけ壊されても、日本が今もかろうじて持ちこたえているのは、戦前からの遺産のお陰である。それに気付いた海外の研究者や有識者たちの評価により外国人の日本に対する関心が広まり、最近のインバウンドにもつながることとなった。来日した外国人は日本の平和が9条で守られているだけではなく、社会全体に道徳観念が行き届いていることに驚いた。街の清潔さ、公衆マナー、会話、気遣いなどの至る所に発見がある。

 戦後は侵略者によって日本の伝統教育(道徳教育)や文化は破壊され、洗脳教育に強制誘導されたはずなのに、どうして世界唯一と言えるほどの性善説文化が保たれているのか?これこそ、日本の見えない精神文化遺産なのである。侵略者も壊しきれない偉大な精神なのだ。その原点は江戸の太平の世を維持した歴史から生まれた教育であった。江戸期の寺子屋などにおいては読み書き、算数(そろばん)などの内容であった。武家階級はこれに、儒学などの古典、礼儀作法やしつけなどが加わり、更に内容が高度であった。読み書きができると、その先は好奇心次第で知識を広めることができた。農民でも難しい書籍を読む強者も現れる。その代表が二宮金次郎である。彼は四書五経に精通し、偉大な人物となったことで有名である。その四書の一つである「大学」の中に、世界を平和にする方法論がある。それを実現するための順番をさかのぼると以下の通りになる。

(ファシリティー新聞)

 

 明治は現代の戦後レジームと同様、維新レジームが起こり、半端な西洋化によりそれまでの伝統文化が崩壊する危険性があった。その為に、それを防ぐ教育規範が必要となり、教育勅語が発令された。その時に人民一人一人が最低限学んでおくべき内容として、4番目の「自分の身を修めること」が選ばれ、初等教育とされることになった。「自分を修める」と言う意味は、道徳を学ぶことにより、人格と品性を高め、社会全体の調和を考えること。それが戦前の教科「修身」となる。

 低学年には絵入りの仮名表記の教科書が使われた。日常生活の出来事を例えにして、登場人物が道徳的な言動をする物語となっている。高学年になると、漢字が増えて、偉人や武勇伝などの感動する物語となる。関心がある方は復刻版をお読みになると良い。

 

 今読んでも、もっともな道徳の基本が描かれているけれど、天皇や武人(軍人)の武勇伝などの記述がGHQの検閲により、軍国主義を植え付けた不良図書だとされた。私も長い間、軍国主義教育の教科書だと思っていた。親や先輩たちからもそう教わっていた。ところが、この教科書は戦前には国際的に評価されていたのである。それまでの欧米では教会などの宗教的な場所での説法が道徳教育であったけれど、日本は宗教とは関係なく、民衆のための道徳教育を世界に先駆けて全国規模で行っていたのである。当時は世界中の国々から同じような教育をするべきだと言う賞賛の声が上がった。戦後の1980年代には自国の堕落した社会に反省した国家元首たちは日本の修身を改めて見直し、教育改革を行ったほどである。英国のサッチャー首相、米国のレーガン大統領などである。

 レーガン大統領は米国の停滞と人民の堕落が間違った教育方法にあると判断し、道徳を取り入れた教育改革を行っている。その時の教育長官を務めたウイリアムベネットは日本の戦中の精神力や戦後の高度経済成長の秘訣が、戦前の教育であったことを突き止めた。その研究成果を「The Book Of Virtue」として出版し、大ベストセラーとなっている。 これは米国版修身とも呼ばれている。

 

 皮肉なことに、これと逆行したのが日本。レーガン大統領が間違っていたと気付き、教育改革をしようとした同時期に文部省と日教組は逆に欧米の真似をして導入してしまったのである。それがいわゆる「ゆとり教育」。民主主義、資本主義経済がもてはやされ、享楽追及、調和よりも個人の自由や人権の偏重をするようになった結果、愛国精神や道徳観念が失われることとなり、国が衰退した。欧米はそのせいで数十年の発展が停滞してしまったと反省していたのに、日本は間違った道を真似してしまったのである。

 その結果、この世代の人々は自虐史観洗脳教育にどっぷりつかることとなった。平和ボケとなり、奇麗ごとや現実離れした理屈が大好きである。従って、リベラル系にも多い。問題なのは、今やこの世代が現役の中堅、管理職になっている事。社会に与える影響力が大きいのだ。多感な時期にゆとり教育を受けてしまうと、洗脳の程度が深いから、自分で気付いて修正しない限り、無自覚な害国人となる可能性が高いので、よく注意する必要がある。念のために、これは差別ではなく、事実関係に基づく傾向である。どの国にもある問題。例えば、C国では文化大革命と言う時代があった。その世代は共産主義思想に洗脳され、文盲が多かった。後の節操のない成金や腐敗政治家はその世代から多く生まれた。それが、現在の悪評へとつながっているのである。

 

 洗脳は恐ろしく、自分では気付かないことがほとんど。自分自身を再検証することをお勧めする。私自身も再検証によって戦後に受けた洗脳を解いて来た。再検証の方法は、正確な史実を学び直して、洗脳された内容を上書きする以外に方法はない。

 間違った道を真似すると言う点では、最近の移民政策も同じ。欧米は既に反省して、日本にも警鐘を鳴らしてくれているにもかかわらず、真似をしたがる勢力がある。同じ過ちを繰り返してはならない。

 

 日本の教育の問題点は先述した通り、洗脳の影響が大きい。洗脳された人たちが、子孫を生んで教育するのだから、生まれた時からその洗脳を受けることになる。この悪循環を断たなければならない。しかし、時間は連続しているので、スパッと切ることは不可能。親子、師弟などの影響もある。それらを徐々に薄めていくしか方法はない。これには時間がかかるので、経済改革や行政の問題よりも優先順位は先。なぜなら人間がそれらの社会、経済を考え作る実体だからである。侵略者の洗脳を受けた人間が政治経済を担えば、侵略国の期待通りの国となる。実質的な植民地である。これが現代日本なのである。実際にそうなっているではないか。このことに気付いた人たちは日本の現状の危うさを憂い、温故知新による日本再興を考え始めている。

 

 また、飛び級(義務教育)が認められないことも不合理。これでは優秀な人材は生まれない。これがあれば私ももっと頑張ったかもしれない(笑)

 携帯電話やパソコンのプログラムは頻繁にアップデートしているのに、我が国の憲法は80年間そのままである。 諸外国の戦後の憲法改正回数はドイツが65回、フランスが27回、カナダが19回、イタリアが17回、中国が10回、韓国が9回、米国が6回行っているのに、日本は未だ行われたことがない。これでは時代の流れに合わないし、不都合が出るのは当然である。そして、憲法制定までの過程を知れば、強制されたものをそのまま使うのではなく、日本人自らが考える内容にするべきだと考えるのは自然である。


 

自転車問題の因果関係
 FBの日本を守る有志のグループに投稿した内容だけれど、参加者以外は読めないと言うので、こちらにも転載した。
 
 私見では昨今の自転車問題の元凶は東日本大震災後の行政の対応と業界と愛好者による無節操な自転車ブームの扇動である。なぜならそれまでの自転車の運用は自己責任と一般常識の範囲内で概ね自由であったからである。私は誰にも負けない自転車、バイク、キックボード、スケボー、自動車の愛好者であるけれど、この矛盾と問題点にはすぐ気づいた。あの時以来、自転車の環境は滅茶苦茶になった。これまでもあちこちで問題提起をして来たし、関係者にも話したけれど、何も改善されず今に至った。この問題は業界(愛好者)や実情を知っている公安(警察)も気付いているはずなのである。それを放置したのはやはり行政、公安の怠慢だと言わざるを得ない。
 
 そもそも、変速機やアシストがない時代に生まれた自転車は馬車や牛馬と同様に軽車両とされているままなのである。これ自体も問題であるが、その時代錯誤している法規を道路整備や教育も実施しないままで無理やり適応させること(半端な法制化と指導)に無理がある。道路などの構造(通行帯)の整備もされず、自転車の保安部品の不備(ストップランプ、方向指示器がない)の問題も放置されたままである。
 
 震災前に普及していた実際的な自転車乗りの常識は、基本的に自転車は上級者が乗るスポーツタイプ以外は歩道を走るのが原則。信号も歩行者用に従った。利用者は歩行者と同じ歩道を走るための速度調整や事故防止のための技術を実地で学んだ。高速で走ることができる上級者は歩道がかえって危険になる為、車道を走行し、事故防止のために手信号を覚えた。この知識と技術がない子供などが車道に出て事故が起こることが大半だった。だから子供たちは安全な歩道を走らせていたのである。しかも、当時の自転車の数と日本人の子供人口は今よりけた違いに多いのである。それでも、今ほどの自転車による事故や公害問題は無かった。それは技術と常識を自分たちで学んでいたからである。
 
 ちなみに、私の世代はフラッシャー(方向指示器)付き、12段変速、ディスクブレーキなどの高性能自転車の黄金期であり、アシスト自転車に負けない高速度で歩道を走ることもできたけれど、重大事故は少なかった。ほとんどが軽度の接触で、ごめんなさいで済む程度であった。実状と法制に矛盾のある状況を臨機応変に対応して来たのが日本の伝統的な教育と性善説社会の良識に基づく実際的な自転車のルールだったのである。
 そこから考えれば、昨今の自転車公害は自転車の高性能化のせいではなく、明らかに利用者側に起因する人災だと言える。そして、これを誘導したのが震災後の行政の自転車使用に関する誤った指導法なのである。当然、それを黙認した業界関係者と現場の公安(警察)関係者の責任もある。震災直後に自転車が飛ぶように売れた業界は目先の利益ばかりに有頂天となり、使用者のマナーを軽視した。
 
 震災時に公共交通が停止した際、自転車利用の有効性に気付いた関係者は、運用する際の検証を十分に行わないままで不自然な「自転車は軽車両である」運用指導を行った。この為に「軽車両は歩道ではなく車道を走るべき」という、合法だけれど実際の交通事情には合わない状況が生まれたのである。と同時に「自転車は歩道を走るものである」という常識に矛盾が生まれた。その結果、従来の歩行者信号ではなく車両用信号の指示に従う人も出て来た。車と歩行者の信号指示は正反対であるのだから、指示に逆らった行為をすれば事故は必然。今までの交差点では自転車は歩行者は同じ動きをするので、車は安心して右左折ができたけれど、今では車両用信号を利用して交差点に進入する自転車が後を絶たない。早く渡りたいから、自分の都合が良い方の信号を利用する。横断歩道で自転車を降りて押す人などほぼいない。これは実質上、信号無視と同じ行為であるが、現状では黙認されている。
 
 要するに公安と行政が信号無視を容認する状態を作ったのである。その矛盾をごまかすために、HPで細かく解説をしているけれど、大人でも理解と判断に苦しむ内容である。解釈が統一されている一般的な運転免許資格の道路交通法の方がわかりやすい。子供たちも利用し、運転免許がない乗り物の法律の方がどうして複雑で難しいのだ?

 

これが今の自転車公害の最大の理由だと思う。こんな単純明快な問題点すら把握できない関係者は愚かすぎる。あなた達が震災前までの自転車環境を壊したのである。この責任をどう取るつもりなのだ?!

 
 更に半端な法制化はこれまでの利便性を奪うことになった。自転車は狭い道でも一方通行に関係なく逆走することも可能であったけれど、軽車両として走る場合には逆走行為となる。ヘルメットや大げさな装備は不要で気軽に乗れるから便利だった。転倒やケガは自己責任であるから、スポーツ車に乗る人は自発的にかぶっていた。ベテランは多少の雨なら傘を持った片手運転もするし、交通が不便な地方では二人乗りは便利であった。免許もなく、自転車も買えない子供の移動手段は二人乗りだった。途上国では今でも複数で自転車に乗って移動する。ブレーキやフレームの性能が向上しているのだから、昔よりはよほど安全である。
 これらの行為には当然リスクもあるけれど、それを自己責任で利用していたのである。交通の混んでいる場所でするべきではないし、事故の際の過失は責任重大であることなどは自己責任として知っておくべき常識であった。技術と常識のないものは公道(車道)には出られなかった。これにより、実状に調和した交通マナーができていたのだ。ところが、矛盾した法制化と指導がこれらの楽しい自転車環境を奪いつつある。どうして最高に楽しい移動手段であるはずの自転車が白い眼で見られるようになってしまったのか?
 
 それらの教育が徹底しておらず、道路&法律整備(矛盾)が半端なままだから、様々な問題が生じるのは当然である。信号無視や逆走は当たり前の無法状態となっている。走行区分もあいまいだから、夜に小さなLEDライトだけで、ブレーキランプや方向指示器も無い状態で車道を走られることは危険。車側から見れば、暗い夜道では視認性が悪く、大迷惑なのである。昭和には方向指示器やライト類を完備した子供用自転車が多数存在していた。LEDが普及している現代ならもっと合理的なものが作れるはずである。
 
 それプラス、無知な移民や在日外国人の存在がある。彼らは免許を持たなくても自転車や電動キックボードを買ったり、乗ることができる。その時の乗り方は自分たちが覚えて来たルールに従う。無法状態の途上国から来た人間が乗れば、乗り方も無法になるのは当たり前。今でも自転車の数が多いアジア系外国人の交通マナーは全く違う。しかし、郷に入っては郷に従えが鉄則である。それを守らなければ迷惑な害国人となる。
 これらの問題が複合化した結果が実質的には無法状態となった現状である。この半端な状況を打開するには制度を整理して1:従来の法的にグレーだった基本は歩道通行方式に戻す。信号は歩行者信号に従わせる。2:軽車両としての運用をするのであれば、保安設備(方向指示器やストップランプ、前照灯などの完備)と運転資格(講習や免許制)、車両登録を義務付ける、というような二つの方向しかない気がする。
 
1の場合は教育と学習、自己責任、常識やマナーなどがセットにならなければ成立しないけれど、昭和はそんなこと当たり前であり、成立していた。震災までは大した問題とはならなかったのである。つまり、それを急に変えた行政と公安関係者の責任であることは明白なのである。
 
2は道路標識の理解と知識、判断力などの問題により、免許を持っていない子供や高齢者などが手軽に乗ることができなくなる。登録や資格取得のために余計な費用が発生することになる。この方法はおそらく楽しくなくなる気がする。
 
その意味で一時しのぎ的な「青切符」などは国民や愛好者の反感と行政の不信感を増長させるだけである。https://www.npa.go.jp/.../traffic/bicycle/portal/system.html
 
 そして、大前提がある。自転車、バイク、車などの機械類は運用を誤れば凶器となるので、知識と技術の無い人が使用するべきではない。子供の送迎に便利だからと言って自分勝手なママさんたちがアシスト自転車に児童を前後に乗せた三名乗車で歩道を猛スピードで走るのも大迷惑。ハイスピードからの急ブレーキで安全に停止できるママさんなどなかなかいない。雨なら転倒である。
 車のATなども同様。MTであれば踏み間違え事故など起きるはずがない。高齢者はMT限定にしても良いくらいだと思う。本来、踏み間違えをするような認知力の人間が運転できてしまう(させる)ことが不自然。そもそも、技術と能力の欠如した人間(高齢者など)が機械のアシストで運転すること自体がすでにリスクをはらんでいる。アシストに依存して走るような人は事故誘発予備軍である。公道に出るべきではない。公共交通を利用するべき。最近は若くてもカーナビに頼り過ぎて地理も覚えず、地図も読めない人が増えている。人間本来の能力を使えず外的アシストに依存するような人間は危険。だから、若年層の踏み間違え事故は高齢者以上に多い。
 
 ついでに言えば、脳の若い人間がこれだけ間違えるのだから、車の運転システムや機械類の構造(スイッチ類の表示や配置など)にも問題があることは間違いない。MT方式では起きなかったのである。設計に携わる世代が若くなると、MT免許を持っていない人も多い。だから、彼らはゲームのコントローラーと同様の発想で装置を考えてしまうのだ。アナログの発想ではなく、デジタルの発想に変わってしまった結果、ほとんどがボタンだらけの操縦席となる。

 業界はその研究と対策を怠っていると感じる。業界は「売れれば良い」という商人根性だけ丸出しなのだ。だから売れないマニュアル車は製造しなくなりつつある。行政も同じ穴の馬鹿ムジナだから、MT運転免許の取得がしにくいように制度を改悪してしまっている。現在の運転免許は過半数がAT免許になっている。
 
 ちなみに、踏み間違えた場合には音声で警告し、速度を抑制すると言う装置をあるメーカーが販売しているけれど、そんなもの緊急時に役に立つはずがない。認知力がない(劣っている)人間には音も文字も無意味なのである。
 
 この問題解決のために、アナログ式(機械式)の踏み間違い防止装置を考えだしたのは民間の発明家である。車を売っている企業は売って儲かれば後は知らないと言う態度が許せない。
 
 
 皮肉を言えば、交通法規や車検、自動車関連税制などの法制化に携わってきた人たちはこれらの踏み間違え高齢者と同レベルだと思う。利用者を混乱させ、負担を強いるような内容は、まるで現状認識ができないままに運転しているのと同じことだ。運転したことのないド素人の思考に近いと感じる。まさか、担当者に無免許の人がいるのではないか?ゲームでシミュレーションしているのではないのか?
車類を運転、所有し整備をする喜びを知らない人間たちが事務的に法制化をしているのではないか?と疑いたくなって来る。そういう人間が自動車関連の法制化、税制を考えると乗り物の楽しみは奪われる。そういう人間が自動車メーカーの管理職になれば、そのメーカーはN会社のようになると思う。
 
 

 国民が知っておくべき事実関係と神の啓示。選別とは、宇宙(神)の叡智を知るもの(従うもの)とそうではないものの区別のこと。それに基づいて、不自然(反摂理)、邪悪な存在は淘汰される。これはセットである。叡智が無ければそれを識別することは不可能だから。

 

 神の摂理による自然淘汰は緩やかなはずである。これは基本的な万物のプログラムであり、これまでは介入されることが無かった。しかし、人間による叡智を模倣した文明技術により、プログラムを部分的に加工することができるようになってしまうと、基本設計が狂う。人類は大義名分として「支障がないレベル」「神の領域には干渉しないはず」と言うけれど、それはあくまで知識が不完全な人間の判断である。それらを権威的な立場で主張するのが科学者であるが、神と断絶した、霊性の伴わない情報処理頭脳は人類に害をもたらす脅威となることも知っておくべき。それらの頭脳が世界を滅ぼす技術を生んでしまうのである。その意味では人間の評価(権威)である○○賞などは、決して神の評価ではないのだ。これを勘違いすると、道を誤る。

 

 似た例としてはパソコンに異常が起きた場合、自分で修理方法を検索をして、素人は弄ってはいけないプログラム言語を使用して深層の修正(加工)をしてしまうことがある。一時的に問題は解決されたように見えるけれど、実は修正や削除した部分に役割(意味)があることがある。そうするとOS全体が異常を来し、最終的には強制リセットをすることになる。これと同じことが世界にも起きる。つまり現世界を一度白紙状態に戻して、正しいプログラムを再インストールすることになる。

 神の啓示によると、これは二方向から起きる。一つは外的でわかりやすい破壊や損傷。物理的な影響としては核や量子を利用した技術による破壊活動(核兵器、量子や波動を使う武器)。二つ目は内的な破壊。これは内側(微細世界)に向かう破壊であり、遺伝子や量子レベルの人為的な加工を意味する。どちらも「量子」などの、現時点で人間が理解している最深&最小レベルの内容に干渉することが共通点。これはパソコンのプログラムを構成している深層のプログラム言語に相当する概念。だから、不用意に弄ると、修復は不可能となり、強制リセットするほかなくなるのである。それが、古来より伝えられている「世界滅亡」「末法思想」である。

 

 現時点で人類はそのリスクを冒し始めた。今回は二番目の内的破壊行動に関する警告と、それに基づいた関連事象の投稿。

 

 ワクチン接種の強制は政府と医療関係者の重大犯罪(過失)である。人々を救うべき立場でありながら行政や組織の圧力に屈し、加害者となった医療従事者も共犯である。経営の利己的損得勘定を優先し「仁」の心を忘れ、異常事態を見ていながら放置していた病院、医師の大多数は残念ながら同罪なのだ。本来は、現場の異常を直ちにフィードバックさせ、被害の拡大を抑えるべきであった。一方で問題提起をしていた人たちも’(私を含め)少なくなかったはずだったけれど、それらの声は政治的圧力により封殺された。私のSNSも凍結された。観光旅行業関係者からは脅迫じみた抗議を受け、関連するSNS投稿や言論が全て削除された。

 

 ついでに言えば、昨今問題となってる観光地や街の治安の乱れはインバウンド需要を無節操に煽った観光旅行業界の責任も大きい。業界が政権に圧力をかけていたから入国規制が遅れたのである。緊急時は背に腹は代えられなくなる状況が生まれるものであり、そのために国が支援しなければならない。一方では、関係者が国家的危機よりも自分たちの私利私欲を優先した態度がある。この無節操な態度は今でも続いており、手のひら返しでインバウンド観光客を非難する人もいるけれど、それは自業自得である。あなた達がインバウンドによる金儲けのために呼び込んだのだ。節操のない商売は神の摂理を軽視した愚行であるから、当然神の選別には入らない。因果応報が待っている。

 

 断じて許せないことは、社会的(職場や組織)の圧力により、違和感を持っていた人たちがワクチン接種を拒否できないようにしたこと。行政はウィルスに関しては素人であるし、学者や医師にも情報や知識不足の可能性はあるのが当たり前。現場の忙しさに知識をアップデートする時間がない医師は多い。そういう状況の中でいわゆる著名人、○-○○賞受賞を受賞した科学者、色々な学者有識者たちがさまざまな発言をした。それらの混沌とした現実を考えた場合、最終的な決定は本人自身の判断によるべき。判断力がない人は信頼できる医師や専門家に頼る。デマを識別できないのであれば、自分の無知無学を嘆くことになる。これらは全て人間の学習の機会でもある。

 

 ところが、今回の問題は行政と関係者が未知の病原体の正体を把握していない半端な状態のままで接種を実質的に強制したことである。このせいで、おかしいと感じていた人も、拒むことができずに被害を受けた。私の様に権力や組織に抵抗し、不利益を被ることを覚悟してまで拒否する人は極少数で、大多数の国民は逃げることができなかった。特に医療従事者、海外渡航者、公的機関職員などは必須であり、大部分の企業でも無接種者は白い眼で見られたから、拒否することはできず、ミイラ取りがミイラになってしまった事例もある。巷では「自分の事ばかり考えるのではなく、みんなのためにワクチンを接種しなければならない!」という、綺麗事プロパガンダと同調圧力が横行した。マスクを着用する程度の思いやりとワクチン接種を強要する事は、その重大性と被害に雲泥の差がある。

 

 前々から述べている通り、愚民(みんな)が過多の社会における民主主義(多数決)は破滅への道なのである。

 

 私の患者さんの中でも、職場からの要請や、家族の意見を拒否できることができず、接種をしてしまい、身体が元に戻らなくなってしまった人が何人もいる。高齢となった母親には打たせなかったし、同世代の方たちにも説明をしたけれど、従順で善良な伝統的日本人は今でも滅私奉公や同調する傾向を持っているから、ワクチン接種を拒否できなかった人がほとんど。後遺症状としては慢性的な倦怠感(動けない)、声が変わってしまった(低音)、発疹などのアレルギーの活性化などがある。それまでは何ともなかったのに、接種後に突然そうなるのだ。それまでは、毎日歩き、趣味に興じていたお年寄りたちが、そうなってしまった。生存できただけで幸いである。ついでに、恐ろしいけれど大切なことを言うと、これは神の啓示にある「選別」と関係している。神の摂理(存在)を軽視して学ぼうとしない人間は選ばれない。自分で学ばず、考えないまま他者に言うことを鵜呑みにすることは危険なのだ。政府や世論に盲従することも同じ。実際に今回のワクチンが即効致死の存在であれば、愚民たちは生きていない。生存できたのはたまたま運が良かっただけなのである。私の警告を聞かずに後遺症の残ってしまった方々(患者など)はそれを教訓とするべし。知恵(学習)の重要性を実感したはずである。

 

 これらの隠された事実関係は、この動画がわかりやすい。


https://www.youtube.com/watch?v=_qdngnoOjH4
長い動画なので倍速視聴をお勧めする。画面に歯車マークがあるので、それをタップすると再生速度調整ができる。1.5倍速程度なら問題なく聞き取れる。京大の福島先生のご発言部分は26分から。

 

 これらの事実関係を検証すれば、未確認の状態のままで、反対意見を抑えこみ、接種を強制的に推進した大臣、省庁関係者、細菌学者、医師会、医薬品業界などの責任は甚大(過失致死)である。死人に鞭打つようであるが、当時のA総理政権によるリスク管理は最悪であった。感染リスクの高い国民を制限もせず大量に流入させた上に、毒物を国民に強制受容させたのである。子供用サイズのマスクを多額の国費で配布するという馬鹿げた無駄遣いもある。その責任の所在を明らかにし、逃亡を防ぐため、直ちに起訴し裁判にかけるべき。もしも、司法がこれらを裁けず、更に隠蔽に加担するのであれば、司法界も共犯である。 最近は在日外国人を過剰に擁護するようなおかしな判決も多い。それらの審議を行った関係者を知り、監視する必要がある。その為の参考となりそうな裁判官検索サイトができた。

https://saibankan-map.jp/judges/map

 司法の不正は決して許してはならない。うやむやにして見逃せば、道徳や法律(掟)は無意味となり、将来にも同様の災禍を招くことになる。ついでに言うと、最近は帰化した弁護士などの士業関係者も増えている。彼らの目的は同胞を手伝う為であり、帰化はそのための(資格取得)手段に過ぎず、日本を愛しているとは限らない。国内の事業参入、不動産購入などが主目的である。

 

 日本が法治国家の信頼を失えば、無法状態となるのは自然の摂理。国への不信感と怒りを持った民衆は昔の一揆や焼き討ち、討ち入り、天誅などの暴挙に出る可能性もある。健全な国体を保つことはできない。ケジメは必須。少なくとも、私は決して許さない。教訓により賢くなった民衆も以前とは違うはず。従順で平和なはずの日本人にも堪忍袋の限界がある。日本だけの問題ではなく、人間が自然界の摂理(神の知恵)を無視して、邪悪な存在や行為を見逃し続けると、恐怖の「強制リセット」が必ず訪れる。


 私は「仁」を使う責任と宿命を実感しているだけに、怒りはとてつもなく大きい。これを教訓として、世界や日本の医学界が正しい道を歩むことを祈念する。

 日本には素晴らしい先達もいらっしゃる事を思い出すべき。テレビの健康番組に登場するような「名医」が本物とは限らない。むしろ、メディアは真実を述べる医師を黙殺し、権力者のプロパガンダに権威付けとして加担する傾向があることは、今回も明らかとなったばかりである。

 

青森のナイチンゲール・花田ミキさん


https://hanadamiki.com/

 

平和の医師・中村哲先生


https://www.youtube.com/watch?v=4tkw2s2BJBw

 

PS:私の言論の背景

 

 コロナの情報が広まっても、当時の間抜けな政府は中国からの春節インバウンド観光客を制限することなく迎え入れていた。観光旅行業関係者も制限には反対であった。その頃、私は関西に滞在しており、あちこちで中国人観光客と遭遇した。ある観光船の中で、私の仁術使いとしてのセンサーが異常反応を示した。特殊な異物が体内に侵入したと言う警報であった。その後、帰宅してから、その異物の存在が明らかになり、体内で戦いと分析が始まった。私の戦闘能力はこの時に覚醒し、情報を収集する。その時の分析結果は、花粉症などのアレルギーや小児まひなどの神経性疾患に近い症状を引き起こすという可能性。それは幾度となく治療している時に接して来たデーターに近い反応であった。チクチクと突き刺すような刺激があり、それにより身体の正常な機能が誤作動を起こす。筋肉系の麻痺、自己免疫システムを機能させなくするノイズが含まれていた。しかも、その症状は突発的であり、非常に不自然。通常は症状が出る前の予兆がある。予兆は侵された部分が敵と接触した際の情報のこと。しかし、それが無くて、いきなり人工的な毒物が侵入した様な印象だったのである。普通のウィルスや細菌のような生命体であれば、交流した情報が残るのであるが、これが無かった。最初から攻撃的な相手であったから、免疫のない身体はパニックに陥り、制御不能になる危険性が非常に高かった。これはアレルギー反応の時と非常に似ていた。私は何度も戦って来たので(私の対花粉症勝率は現時点で100%である)、抑えることができるけれど、普段からアレルギーを持っている人にはとても危険なウィルスであり、反応が出た時には、おそらく手遅れになると予想していた。私の仁術の基礎は宇宙のプログラム言語に相当するものであるので、これを感知する。

 

 この頃、私の知人(医師)はコロナ隔離の最前線にいた。彼は最前線の医師団が何も情報を与えられていないために、ご自身で海外情報も収集していた。その中に中国人民解放軍の内部サイトにつながる情報があった。そこを探ると、驚くべきことに、そこには「このウィルスの遺伝子構造は自然界にはあり得ない人工的なもので、我が国に敵対するものが、国内にばらまいた細菌兵器である」と書かれていたのである。当時はまだWHOも詳細を把握しておらず、中国政府や専門家も「コウモリ由来ではないか」などととぼけていた段階であったのだ。他国もウィルス自体の分析が進んでおらず、正体不明であり、人工的なウィルスであるとは誰も言っていなかった。人工ウィルスに対して短時間で確実なワクチンができるはずもない。結局、WHOの調査団も直後の検査をすることは許されず、今でも人工ウィルス説は陰謀論とされているはず。そのサイトは数日後に消えており、リンクできなくなっていた。この頃、米国のサイトでは米仏中の三か国のウィルス研究に従事していた研究者が内容を暴露した動画も流れたけれど、すぐに消されている。そして、世界中でデマ防止と言う名目の情報統制が始まったのである。

 

 また、私はコロナ前のSARS(第一次コロナ)体験者でもある。空港ではSARS調査団ともご一緒していたので、情報を尋ねたけれど全く未知だと言う事であった。結局、感染はしなかったけれど、恐怖もあり、現地の報道を逐一チェックしていた。その当時、すでに飛沫感染は報道されていた。それは風下にある集合住宅にのみ感染が広がり、風上の人たちには感染しなかったからである。ところが、当時の日本国内の細菌学者(中国の研究所にいたらしい)や防疫関係者たちは「飛沫感染はしない」と言っていたのである。途中から「エアロゾル感染の危険性がある」と言い始めた。中国で細菌研究をしていたと豪語していた医師は当時の情報を知らなかったのである。私は直ちに知人の医師にもその危険性を伝えたけれど、現地ではずさんな防護服とマスクでの対応をしており、すでに手遅れだったのだ。そればかりか、そういう情報はパニックや混乱を引き起こしかねないと言うことで、防疫責任者から緘口令を出されたそうであった。これでは被害の拡大は抑止できないのが当たり前。

 

 これらの話は私が体験した事実であり、伝聞でも都市伝説でもない。私自身が一次資料(証人)なのである。更に、私はそれ以上の事も知っているけれど、今回はこれで終わりとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イスラム教も聖書と同様に、昔、神が人間に伝えたものとされているが、時代とともに内容と解釈が変質している。しかし、厳格に古来のしきたりを守っている人たちには神の言葉のエッセンスが残っている。それを、現代の人間の一時的で不安定な価値観や概念で判断すること自体が危険。女性の服装、断食、飲酒などの禁忌には全て意味と理由がある。その原義を知らないままで、現代の価値観を当てはめることには非常な怒りを覚える。変える資格があるのは神の声を直接聞くことができる人間だけなのだ。信仰を失ったリーダーは道を誤る。二千年近い教義と理念をどうして100年にも満たない時間で発生した、人間の一時的なアイディアや価値観で変えることができるのか?変わってしまったと言うことは、そこに神との断絶があったと言う証拠である。これは明治以降の日本にも起こった。これは自然の掟、節度を越えた行為を人間がするようになったことと関係がある。つまり、科学(神の理論)の無節操な運用である。一般人が革命などで台頭するようになり、宗教的な拘束力が薄れたことと同期している。その為、神の掟は「便利」「合理的」などの価値観により無視されるようになったのである。そこから人間の暴走は急加速した。

(1968年のテヘラン)この時代、神はないがしろにされた。今、宗教の原義を忘れて抗議、米国擁護している人たちはこの流れにいる人たちだと言ってよい。

 

神の真言(本意)は多数決ではない。少なくとも、質の悪い愚かな人間の多数決など、何の意味もない。その時々の権力や損得勘定で変動するいい加減な存在である。従って、デモの参加者の数、処罰された人間の数には意味がない。愚民が多いほど、信仰は捻じ曲げられ、国は病む。処罰する方法はそれぞれが判断するべき。神の声を聴く耳を持たない愚民が多ければ、浄化が激化し大規模になるのは自然。そして、神が本当にお怒りになった場合、人間が騒いでいる大虐殺の規模では済まない災禍が訪れる。反対に、神の言葉を理解、感じることができる人が増えれば、望みがある。

国や共同体の中心こそ神である。ところがこの絆があると邪悪なモノは介入できなくなる。だから、それを分断しようとする勢力がある。その連中の考えた神に反逆する理念が「民主主義」や「共産主義」などである。この二つは相対する勢力のように見えるけれど、神から見たら、人間が作った概念なので、五十歩百歩のような存在。いずれも、神の領域を越えたり、無視をすることは、宇宙を破壊することと同義である。愚かな人間(民衆)が主になれるはずがない。神(宇宙の摂理)によって作られた世界を、一時的なアイディア(思想や主義)でコントロールできるはずがない。それ以外の○○主義、市場経済などの概念も同様。○○主義的な発想をするようになったのは民衆(一般人)が市民革命に成功した結果、自分たちがまるで神の摂理を超越したつもりになった時から始まる。この傲慢な態度は科学の世界でも起こり、それらの人たちが恐ろしい発明をしてしまうのである。

 

実際に資本主義大国の傍若無人さは神をも恐れない罰当たりな行為である。それらの国々の多くは聖書系の宗教を信仰しているけれど、商人が神よりも大きな顔をしている。国際法も軽視し、もはや宗教的な教義など存在しない。そもそも、現在騒動を起こしている人間たちはその地に元から住んでいたのか?そうでなければ、明らかに外来した異物である。介入、干渉、侵略を目的とした害国人ではないのか?これらの行為ができるようになったのはやはり限度を超えた科学知識によるものである。

口出しをする神職や宗教界を排除&弾圧して、自分たちの都合が良い社会を作るために生まれた発想が支配者側の「政教分離」である。これに対して、「信教の自由を保障するために国家は干渉しない」とする政教分離の考え方もあるとされるが、いずれにしても信仰や教義は政治や社会に反映されない点では同じである。これは、あたかも自分達が寛容だから信教の自由を与えているとでも言っているようだが、実際には宗教に干渉させないための、人間が作った詭弁である。

 

世界中のほとんどの宗教では、利己的欲望に基づく他者への攻撃や搾取は悪とされるから、戦争や侵略は起きないはずなのである。神が戦うべき相手は「悪」のみ。ところが、これを厳格に守ると、侵略や戦争ができなくなってしまい、商売が成り立たなくなる。そこで邪悪な連中は宗教(一神教)を利用して合法的に侵略を始めた。それが布教を隠れ蓑とした植民地政策である。自分たちの神を押し売りしながら侵略を正当化したのである。邪悪な存在は神がいる国や文明に対しては「政教分離」を押し付けて、民と神の絆を分断し、信仰を奪う。神がいなくなると、神を騙る人間が介入して来る。軍人、役人、商人などである。

 

人間が犯した神を冒涜する最大の欺瞞であり、罪悪こそ、穢れた政教一致により行われた一連の植民地侵略行為なのである。本来は悪を押さえ正しい道に導くべき存在の宗教であるはずが、邪悪な商人と権力者に実権を奪われ、言いなりになっていたので、本来の政教一致ではなく邪悪な契約(関係)であった。この背信、背徳行為を懺悔しない限り、その宗教の関係者には未来永劫救いがない。それらの末裔は現在も格式だけは残り、荘厳な場所に残存しているけれど、信徒の暴走を止めることもできない。布教するという言い訳が通用しなくなった現代、連中は意図的に「悪」を作るようになった。世界に害をなす危険な存在だ、人々を苦しめる専制君主だ、テロリストだ・・・などの理由を見つけて、侵攻を正当化するのである。こういう欺瞞に騙されてはならない。

今回の騒動も同じ。その意味で、イスラムの指導者が神の原義(本意)に基づいて正しく導くのであれば、神は味方をする。ここでいう「神」は両者の元神(同一の存在)である。神を信じる者は作られた国際世論やマスメディアなどに騙されてはならない。一方で現在のイスラム教における侵略的な言動は許されるものではない。私はイスラム教に関してそれほど詳しくもなく、詳しくなりたいとも思わないので、神の啓示に従えば、自分たちの信仰と存在を守れと教えたけれど、他者を侵略(迫害)して良いなどと言ったことはないそうである。信者や関係者は今一度原点を確認したほうが良い。間違っている。その間違った発想は現在侵略をしている米国と同じであるから、互いに衝突するのは因果応報。自業自得である。

 

これは日本についても言えること。古来の本当の霊性を知るべき。それは、西洋化して変質させられた現代日本の価値観とは違う。もしも日本が本当の霊性を守り、神に恥ずかしくない言動をすれば神は守る。その反対は因果応報となる。日本が少し違う点は、明治に道を誤るまで、かなり長い間「政教一致」を守って来たことである。本当に霊性を感じることができる人に形式(慣習、儀式など)は無用だけれど、霊性がくなっている場合、形式がそれを補ってくれる場合がある。日本の霊性は甚だしく弱体化したけれど、それらの慣習、迷信や伝承の中に残存していた霊性のかけらがあるのだ。これこそが日本の宝物である。この宝物は、今でもアニメ、文学、芸術。民間交流、日常生活の礼儀作法などに感じることができる。だから、今の性善説社会の基礎が残ったのである。そして、その偉大な霊性は世界中の人たちに波及して、人々を覚醒しつつある。なぜなら、その神と霊性は日本だけのものではなく、世界万物に君臨する偉大な意識であるから。それが色濃く保存されて来たのが日本なのである。

 

だから神は「日本」を希望だとおっしゃる。その為には、明治から戦後に続く邪悪な構造を改め、健全な政教一致を取り戻さなければならない。神と民の絆を分断する「政教分離」の詭弁に騙されてはいけない。

 

忘れてはならない事は、世界にある全ての宗教や信仰の元となっている神は一つである。生まれた場所や時代によって表面は異なるように見ているけれど、根っこは同じである。それに気付けば、争いはなくなる。そして、信仰が生まれた状況に適応して作られた数々の戒律や作法、慣習がそれぞれ異なることは当たり前。それらはその時代、その場所に適応した内容なのである。地理、気候、存在する動植物、食生活、身体的遺伝などの違いがある。それらに基づいて説法や講義の例えと説明がなされている。従って、自分たちの理論がどこでも正しいと考えるのは神の本体を見ず、着ている衣服だけを真似しているのと同じことである。偽物が神にまねた衣装を着てやって来ても、これを各地の霊性は判別する。元が同じ御神体であるから気付いて当たり前。

 

本体を持たない、形骸化した神の物まね集団は外に出ると、行った先々で現地の人や社会に迷惑をかけることになる。それが「害国人」である。とにかく神の物まねをしたいので、中身のない儀式やスタイルにこだわる。それが、他所では通用せず、嫌悪されている事にも気付かない。本体を持たず、神の本質を理解していないから、物事が見えず、臨機応変な対応ができないのである。神の本体が見えないから、自分が教わった慣習や言葉がどこでも全く同じ形で存在するものだと勝手に思い込むのと同時に、変わることが怖くてできない。これこそが様々な宗教で嫌われる「偶像崇拝」の本質なのだ。他者の事ではなく、自分たちが神の本体を見ず、勝手に作りあげた概念の総称なのである。他宗教の建造物や彫像を壊して得意になっているような連中は、これが理解できない、迷惑であり、神を冒涜する存在なのである。神は決して許さない。

顔や髪を布で覆う人たちがいる。起源は「美しさや性的魅力を隠すことにより、貞操を守り、謙虚さを持つ」ためらしい。では、顔や肌を出したら貞操も謙虚さも守れないのか?未開の種族たちは今でもほぼ裸である。日本は女子供が夜に独り歩きをしても犯罪に巻き込まれることは少ない(悪化の傾向にはあるけれど)。日本は昔から性には寛容である一方、ケジメを持っていた。このケジメがないままに娯楽文化を広めた経済大国は逆に犯罪が増えてしまった。それらの人間の無節操な行為には頭から布をかぶせるのが正解である。つまり、その時代や人間性に応じた必要性から生まれた慣習なのである。その慣習に異議を唱えるのであれば、その習慣が生まれた原因となる劣悪な環境や人間性を修正するべきである。それをせず、権利ばかりを主張するのはおかしい。


この違いを感じることができ、伝統的教育として独特の感性を受け継いできたのが日本なのである。驚くべきことに、具体的な宗教組織が教えや慣習を強制したわけではないのに、民が自ら学び伝えて来たのである。大げさな儀式や行事もせず、決まった時間の礼拝などもない。するのはお祭り騒ぎと楽しくて盛り上がる行事だけ。とても軽薄で、いい加減で、まるで宗教や信仰を持たないように見える。ところがその根底にずっと流れている偉大で巨大な存在がある。これこそが日本の霊性なのである。

ケジメの無い人間は社会が差別淘汰して来た。だから、布などかぶらなくても、安心して暮らせるのだ。昔は戸締りをしていない家も多かった。お金や貴重品を落としても出て来る。特定の動植物を禁忌とする習慣もないから、あらゆる食物はありがたくいただく。その代わりに殺生の罪悪感と慈愛の心は忘れない。逆説を言えば、日本の霊性に感応した人は、その奥に同じ御神体を見ることができるから、布はかぶらず、豚肉も食べるようになる(私は同様の話を以前からして来たけれど、それがきっかけで実際にそうなった人を何人も知っている)。そして、これは日本人が他所に行けば反対に同じことが起きる。日本の慣習や価値観にとらわれると、自分も危ないし、相手に迷惑がかることになる。平和ボケをしているわけにはいかなくなり、自衛とリスク管理を学ぶ必要がある。これを表現したものがよく言われる「郷に入っては郷に従え」と言う格言なのだ。神の御神体を見ると、人は表面的な衣装やアクセサリーにはこだわらなくなるものである。

 

こんなに素晴らしい国があるか?霊性の国、神国なのである。感謝するとともに、世界の邪悪な勢力からこの貴重な霊性を守らなければならない!

 

思想や信仰はそれぞれであるし、自分たちで信じる分には問題ない。敬虔な信者の信仰心や態度には敬意を持っていたけれど、最近の言動を見ていると、認識が変わりつつある。日本には戦前からイスラム教信者(ムスリム)がいたけれど、これまでは特に文化的な摩擦や問題はあまり聞いたことが無かった。私も何度か訪ねた都内の有名モスクでは、礼拝の声も地元の風物詩とされており、嫌悪感を抱く人はいなかったと聞いている。ところが、最近の言動は何だ?とても質が落ちているように感じてしまう。これまで築いて来た友好関係を台無しにしている気がする。

自分たちで思想を信じて修養するのは勝手だけれど、信者でもない人たちに押し売りするのは失礼であり、物理的な押し売り(押し付け)は侵略である。これをわかっていない人たちがいる。自分たちの価値観や信仰を主張するばかりで、相手のことを全く考えない。他所から来たくせに、自分たちの価値観を優先しろ、法律を緩和しろ、変えろと言う。何と失礼極まりない物言いなのだろうか。無礼で自分勝手であり、侵略行為であることの自覚がない。明らかにこれまでのムスリムたちとは人間性が異なる。こういう人たちと「共生」「共存」は不可能だと思うようになって来た。我々一般人にその区別は難しいので、在日ムスリムたちが自分たちで統率するしかないだろう。それができなければ、共生は諦めてもらうしかない。

 

一方では日本人の寛容な人の善さにつけ込まれることになる。善意や寛容を「日本人は大人しいから、強く出れば何でも言うことを聞いてくれる」と捉える下品な人が増えている。道徳礼節を知らないものに、道徳礼節は通用しないと言うことを日本人も知るべし。

(ヒューマンアカデミー)

 

しかし、どうしてその様に無礼で侵略性の強い発想が生まれるのかと言う理由は、このサイトで詳しくご説明なさっている方がいる。

 

その部分を抜粋すると以下の通り。

 

なぜテロをするのかと言えば 開祖ムハンマドが暴力的な軍人だからです。 ムハンマドは商人であり宗教家であり政治家であり軍人です。 1万人規模のイスラム武装勢力を自らが指揮して 異教徒の虐殺を含む武力弾圧を実行し アラビア半島にイスラム帝国を築き、 自らが国家元首として君臨してます。 イスラム過激派は 教祖が実際に行っていた行動を真似して暴力肯定主義になるのです。 →とはいえ、テロは御法度です。 <コーラン> 2章(雌牛の章) 190節 神の道のために、お前たちに敵する者と戦え。 しかし、度を越して挑んではならない。神は度を越す者を愛したまわない。 191節 お前たちの出あったところで彼らを殺せ。お前たちが追放されたところから 彼らを追放せよ。迫害は殺害より悪い。しかし、彼らがお前たちに戦いを しない限り、聖なる礼拝堂のあたりで戦ってはならない。もし彼らが戦いを しかけるならば、彼らを殺せ。不信者の報いはこうなるのだ。 192節 しかし、彼らがやめたならば、神は寛容にして慈悲ぶかいお方である。 193節 迫害がなくなるまで、宗教が神のものになるまで、彼らと戦え。 しかし、彼らがやめたならば、無法者に対しては別として、 敵意は無用である。 → 度を越してはならない。 お前たちに戦いをしない限り、戦ってはならない。 相手がやめたならば、無法者に対しては別として、敵意は無用である。 ・・・とあります。 だから、武器を持たない一般人を巻き込む自爆テロは御法度なのです。 


中東の民族紛争の歴史から生まれた古い発想を現代世界に押し付けようとすることは無理がある。しかも、地元ではない遠く離れた海外にまで武力(暴力)によって強制するのであれば明らかな侵略行為である。もしも、自分たちの一方的な侵略を正当化することが許されるようであれば、恐ろしい思想だと言うしかない。これは現在国際法を無視して信仰している大国と同じ。似た者同士だから衝突するのである。ちなみにアジア圏にもよく似た大国がある。こういう発想をする人たちに平和は作れない。イスラム教は古来から交易の歴史上アジア圏にまでその思想は普及しているけれど、非常に危険である匂いがプンプンする。世界のムスリムはこの歴史と現実を熟考するべき。

日本で心配するべき可能性は、自分たちで勝手にモスクや組織を作り、それに制限を加えた場合に、コーランに記された「迫害」という概念を使いかねない事。自分たちで勝手に禁止されている火種を持ち込んでおいて、火事になったら、放火された!と騒ぐのと同じだ。だから、既成事実を作らせてはならないのだ。モスク、土葬などは認めるべきではない。食事制限は個人的な範囲で保障すればよいことである。これまでのムスリムたちもずっと郷に入っては郷に従えの原則を遵守してきたはず。それが急に問題化するのは、明らかに今の一部のムスリムが異常だと言うことなのだ。今まで日本と友好関係を築いて来たムスリムたちにとっては大迷惑である。

 

ちなみに、トルコ人なら誰でもご存じの通り、クルド人はほとんどが元テロ組織関係者なのである。当然トルコ政府の鳥尻まり対象となるけれど、それを政府から迫害されているとして、難民申請をしているのが実情。難民申請を受理されないまま強引に滞在し、結婚や子作りをして何とか日本に居座ろうとしているのだ。この策略に日本政府と日本人は気付かなければならない。

 

https://www.youtube.com/watch?v=_ZE-UyVPY3k

 

日本という環境と文化に迷惑をかけるべきではない。これを理解せず、敬意を払わないのであれば、日本の神霊は決して許さない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、良識や善悪、道徳などが通用せず、言語による会話や交渉が成立しない状態。この状況に迅速に対処するための有事に関する議論の時に、平常時にしか通用しないような理想論や平和論を持ち出す人が多すぎる。まるで対岸の火事を見ているようで、発想が他人事である。話しているうちに緊急事態は迫って来る。時間がないのだ。悠長な議論は平和で緊急度が低く、時間的余裕がある場合にするべきことである。すでに戦後80年間の平和ボケの時代があったではないか。その間に一体何を考えて議論して来たのか?しかも、ずっと米国の核の傘の下にいることの自覚も無く、80年もかかって結論も進展もない議論をこの期に及んでまた持ち出す連中の気が知れない。ウクライナ問題、台湾問題、最近の選挙の際にも相変わらずであった。

火事が起きた時には真っ先に消化をするべき。風向きを見て消火する方向を考え、燃えている物質に適した消火剤と消火方法を選び、適当な人材と機材を配備するはず。


ところが、火災がすでに起きているにもかかわらず、火は危険だから近寄らない方が良い、消防隊は火が迫ってきたら対応するべきで、こちらから積極的な消防活動はしてはいけない、火は危険だから最初から使わない方が良い、火が無い世界が平和だ、消防活動を義務化されるのは危険だ、消火設備は予算の無駄遣いだ、火災原因はなんだったのか?・・・と急を要する火災現場で考える人たちがいる。そんな暇があるなら身体を動かして、直ちに消火活動をするべきだと思う。

私は日本の国防や憲法論争はこれと同様の現象だと考える。議論している間に初期消火のタイミングを逃す。火災はあっと言う間に拡大してしまい、とやかく議論する時間も場所もなくなってしまうのだ。大切なものを失ってから、ようやく、議論する前にとりあえず消火しておくべきだったことに気付くけれど、全ては後の祭りである。優先順位が反対なのだ。

そうならないために、常日頃から防災防火の知識を身に着け、防災設備を完備しておくのだ。天災や不慮の過失以外に悪意のある放火もあるかもしれない。だから、普段から恨みを買うようなことはするべきではないし、一方的な悪意に対しては、監視と用心をしておくのだ。それさえあれば、いざという時にいつでも対処することが可能である。これは平常時にしておくべきことで、非常時には間に合わない。その意味で、平和な時代の議論や研究はとても重要。この段階における平和論、理想論は有意義だと思うけれど、タイミングを間違えれば、手遅れとなる。これが国防で言えば、抑止力(防火対策)、防衛準備なのである。そして、先述した通り、既に戦後80年の平和な時間が流れているのに、未だ議論の結果も出ず、いつまでイメージゲームを続けるつもりなのか?

そこで、最近のイラン問題である。グローバル化が進んでいる現代、対岸の火事では済まない。飛び火する可能性がある。

米国と友好関係にあり、米軍基地が国内に存在する国々が中東には複数ある。でも、軍用機の使用と領空の通過を拒否できる。それが自立した国。拒否したスペインもその一つ。当然米国からの制裁は想定内のはずなので、その覚悟はご立派。一方で、拒否できない国がある。まるで常に運命を一緒にしなければならないかのような考えは自立していない証拠である。また、同盟国が正義に背いて暴走した場合に抑えることができなくなる。加担すれば共犯である。この問題を政府もメディアも隠している。その意味で、未だに新政権を完全に信用することはできない。

(日経新聞)

それから、戦時中における異常事態の例を挙げると、ソ連は終戦間際に日本の不利につけ込んでいきなり中立(不可侵)条約を破棄して、北方を侵略して来た。少しでも利益を得ようとしたのである。火事場泥棒に等しい卑怯で下劣な行為。その結果、シベリア抑留と北方領土の侵略が起きた。


この動きと連携するように米国はほぼ敗戦確実だった日本に凶悪な殺戮兵器を二発も落とし、国際法に禁じられていた一般人の大量虐殺をした。人類史上最大の虐殺である。これらの連携作戦は同年2月のヤルタ会談で計画されていたとされる。そのような状況で議論や交渉をする余裕はない。実際に日本は外交で回避するための交渉をしたけれど拒否されたのである。これには当時の有色人種差別の強さがあり、白人同士の交渉であれば、応じた可能性もあった。原爆をドイツには使わなかったのに、日本には平気で連続して落としたことも、白人連合国が黄色人種である日本人を人間と思っていなかったと言われている。だから戦後も謝罪は一切ない。こういう状況下で相手を卑怯だ!国際法違反だ!と罵ったところで相手の侵攻は止まらない。戦争に際して、法律や概念(平和憲法)などを気にする侵略者はいないと考えるべき。考えるのは自分に不利な場合のみ。米国は戦争終結に原爆が必要だったと言い訳をするが、それなら国際法に「戦争を終わらせるためには一般人でも無差別に殺戮することができる」という規定があるのか?ないならそれは単なる詭弁(大嘘)である。これに世界中が騙されて来た。

(俺の世界史ch)

そして同様の詭弁を今でも使い続けている。テロ、人道、核抑止、独裁政権打倒、民族解放、民主化・・・などにこじつける理由が変わるだけ。人間は信用できない、約束(国際法)は守られない、勝ったモノ勝ちである。これらの教訓を日本人は洗脳と自虐史観によって捻じ曲げられてしまった結果、あろうことか教訓とは反対の平和ボケ理論を振りかざすようになった。人間の愚かさと不確かさをあれだけ味わったのに、どうして悪に対する防御や予防策(抑止)を考えずに、お花畑思考を続けるのか? 自分で守ろうとする意識が抜け落ちているために、平和憲法があるから国際世界(他国)が何とかしてくれると言うような、根拠がなく非現実的な発想をしてしまうのだ。日常生活でも同じだけれど、自分に大問題が起きた場合、友人や他人にかまっている余裕はなくなるのが普通。最優先は自分(自国)となる。自分が巻き込まれる、被害を受けるとわかったら逃げる。現実の世界がそうなっているではないか?これに逃げないのは昔のサムライだけだろう。そのサムライの国を侵略して、精神を破壊しようとして来たのは誰なのか?そんな人間たちを信用できるはずはない。

(産経新聞)


ついでに言えば、ソ連軍が南下して満州や北方領土に進軍して来た際に、日本政府は国際法に基づいて武装解除をして戦うなと前線に命じていた。もしも、これを前線の軍人たちがそのまま命令に従っていたら、被害はさらに拡大し、捕虜は増え、北海道まで侵略されていたことは間違いない。ところが、前線の指導者たちは、命令に背いてでも国民を守るため、命懸けで戦ったのである。だから今の北海道があるし、満州から人々が生還することができた。国際法を守っていたら自滅していた。更に闇を話せば、在満州の軍隊と政府の幹部は最前線の兵士と国民を見捨て、自分たちの財産と一緒に逃げて来た。その闇の戦犯たちがJ党の創設と戦後の企業(化学薬学関連、商社など)の発展に関わっていることも述べておく。

 

これが実際の戦時における皮肉で悲しい実態である。侵略大国は時代が変わっても同じようなことをするから、国際法や国連などは有名無実となる。侵攻して来た日付を見れば、原爆投下、降伏宣言の後であることが明らか。これを火事場泥棒と言わずに、なんと言うべきか?

不幸にもシベリアで捕虜となった人々の史実は映画化もされているので、ご関心のある方はご覧になると良い。こんなに悲惨な歴史と人生が本当にあったのである。

私は関係者を存じていたから、涙なくして見ることはできなかった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%8A%91%E7%95%99

世界を見渡すと、先進国と呼ばれる国々の中で、歴史上信用できる国がいくつあることか?検索して出て来る「信用度ランキング」は国際金融資本たちの経済理論に基づくものであるから、国の品格や民度に関するものではない。その点、最近の日本に対する評価は高い。何しろ性善説社会を先進国の中で唯一実践している国なのである。国民性だけではなく、日本国製の製品にも同様の高評価をいただいている。これは付け焼刃的なものではなく、偉大な先人たちから受け継いできた我々の大切な信用遺産なのである。

これらの大切な遺産に守られている国に降りかかる災難、侵略に備えることが国防(リスク管理)である。古来よりの日本は白村江の戦や元寇、宣教師の植民地化活動に際して、外敵の脅威を知り、短期間で防衛力を高めた。だから、侵略されない海上防衛国家を作ることができたのである。

これらの歴史を平和ボケ理想論者たちはどう見ているのか?おそらく、ほとんどが学んでいないまま、自虐史観に洗脳された頭であれこれ奇麗ごとを論じている。平和憲法の大切さを理解しろ!と言えば、相手がひるむとでも思っているのだろうか?罪のない子供や弱者が殺害されていることに、国際世論がどれだけ抗議をしても、紛争は一向に止まらないではないか?戦後80年だと言うのに、同じことの繰り返しをしている。この現実を見なければいけない。

(神戸新聞)


非現実的な理想論に逃げるな!知恵があるつもりの無知な自称有識者(自分の世界のお山の大将)は害国人となりやすい。そういう議論は実害と実感のない暇人や学生が想像や研究過程でするレベルのものである。性善説でリスク管理はできない。リスク管理は反対の性悪説で考えるもの。日本は独自の見識と立場を持つべき。崇高な神国日本はいかなる勢力にも影響されない公明正大な存在(聖なる魂の集合体)にならなければいけない。政府や一部の人間で国は作られるものではない。国民一人一人の魂の集合体なのだ。社会は平和な性善説、リスク管理は性悪説。この両立ができれば鬼に金棒。

最後に、神様からの啓示。日本は「鬼」の一面も持つべき。例えば、お寺の仏様たちは柔和で優しいお姿をなされているけれど、あの世界(宇宙)を守るために、仁王、羅漢、神将などの恐ろしくて怖い存在がいらっしゃるのである。ちなみに私の言う「神様」は人間のあらゆる宗教を超越した存在であるため、話の例えにも宗派や迷信、科学、時代、動植物の区別はない。

 

それから、邪悪な存在、穢れた魂、その影響を受けた人たちや思想とは距離を置くべき。具体的には邪悪(失礼、信用の置けない)な国やそこで培養された国民と付き合うのはほとんどが百害あって一利なし。同じ時間があるなら、信用できる相手に使うべき。国際化やグローバリズムなどの甘い言葉に騙された人の善い日本人や企業は、つけこまれて知的財産を盗まれた挙句に捨てられ、買収されることが多い。その道を開いた先人たちには本当の善意や友情があったけれど、それに続いたのは、未開拓の市場に目がくらんだ商人たち。一時的な目先の利益ばかりを考え、因果応報の摂理を忘れたのだ。国同士の外交も日常生活の人間関係も同じこと。それらの穢れた存在と話す、接する時間は無駄なばかりではなく、自分自身が汚染される。穢れたものが発する言葉(言霊)、思想に触れると汚染がうつるのである。そのように穢れた関係の末路は紛争(喧嘩、戦争)である。

 

大前提として、自分自身が穢れてはならない。身辺は絶えず清潔に整理整頓を心掛け、汚染物質、穢れた存在が近寄ることができないようにしておくことが、最大の自衛抑止なのである。外交で言えば、日本を嫌い、非難しながら経済援助や商売を持ちかけるような国々(国民)とはできるだけ接触しない方が良いのだ。史実を見れば明らか。受けたご恩を無視し、恨み妬みばかりを一方的に強調して、さらにゆすりとたかりを繰り返す。ハゲタカ、ハイエナのような下品な国(国民)に対しては「鬼」となるべし。知人友人、取引相手、隣人などにも同様である。

これらの識別能力と自己免疫力を本来の日本は持っており、これが健全な国体を保てた秘訣だったのである。そこで、この感性を麻痺させるために考え出されたのが、基礎となっている伝統的概念の破壊。これに必要な順番は、中枢にある自己防衛システム(頭脳)を麻痺させ、防御できないようにさせてから、プログラムを書き換えて、害毒を導入する。人体で言えば、全身の血を抜いて、違う血液を輸血するようなもの。順番も似ている。痛みなどの危険察知機能を麻酔で麻痺させてから、人体を改造する。眼が覚めた時には、外見は同じに見えるけれど、内部が別人になっている。

戦後の侵略者が日本人に使用した麻薬が前から話している3S(セックス、スポーツ、スクリーン)なのだ。この前の時代は植民地の先住民たちに対してお酒や麻薬が使われたが、科学知識が発達すると、心理学を使用するようになった。これらを普及させることにより、伝統的な価値観や識別能力を麻痺させる。麻痺した頭脳は正常な思考と危険察知能力を失っているから、それを利用して同時に違った概念や価値観を正当化する(洗脳)新しいプログラムを与えると、日本人は自らそれらを正しいモノとして喜んで受け入れるようになるのだ。こうして誕生したのが現代日本なのである。だから、今でも日本の政治文化を語ることができないまま、野球や芸能界、ゴシップなどにうつつを抜かしている日本人たちは、まさに麻薬中毒(洗脳)患者なのである。これに気付いたら、まず自分自身が中毒(依存)を断ち切ることが大切。並行して中毒患者との付き合いも減らさないと、またリバウンドして中毒に逆戻りをすることとなる。それらの中毒者が過半数である現代日本社会においては、正常な人間は圧倒的少数となるのは当然。肩身が狭く、同調圧力を受けることは間違いない。しかし、それを恐れてはならない。神は中毒者を決して選別しない。それは確実に将来明らかとなる。今回のコロナワクチン騒動でわかる通り、洗脳に気付かず、愚かな多数決に同調した者は一生涯の負の遺産を体内に自ら招き入れたのである。

 

日本人はこの経緯を学び、自分自身でその真偽を検証しなければならない。その過程で陰謀論や軽薄な議論、それらを垂れ流すメディアや自称有識者たちは淘汰される。