今日は悪い意味での記念日。一方的な憲法を脅迫されて押し付けられた日である。それを、日本人は戦争への反省から自分たちで考え出した平和憲法だと教わって来た。私もその一人。ところが、最近はそれが事実とは違っていたことが明らかになって来た。しかし、公的な教育現場ではそれを修正せず、相変わらずの内容を教えているところがほとんど。だから表面的な憲法論を今でも続けている人が多い。すでに戦後80年も経過しているのに、GHQによる洗脳が解けないまま、国民の情報や知識が未だにアップデートされていないのである。自分は侵略者の基地のある街で生まれ育ち、国際問題や歴史にはかなり詳しいつもりであったけれど、それは単なる勘違いと自分自身が深く洗脳されていたことに気付いた。これは非常に残念で、情けなく、ご先祖様たちに申し訳ないと言う思いが強いので、こうしてブログを書いている。
押し付けられた憲法や協定類には不公平な部分が多い。目立つのは第9条問題であるが、それだけではない。教育、財政、行政などに及ぶ。それに気付くと、日本弱体化、愛国心の欠如、日本人としての自信や誇りがどうして失われて来たのか、弱腰外交、経済発展の停滞、学力の低下、不気味な犯罪の増加、などの理由がわかり、筋が通って来る。全ては戦後(近代の原点は明治)から始まっているのである。戦争は物質と精神の両方が限界に達する現象であるから、国や社会をリセットするには都合が良いタイミングとなる。リセットには2方向あり、新たな支配システムの構築(侵略)と変革(内部革命)。日本の戦後は前者であった。
戦後に我々は享楽洗脳を受け、平和ボケとなってしまった。そのせいで、野球やサッカーなどのスポーツ、芸能界やアイドルには詳しいけれど、政治や自国の歴史文化を知らない日本人が増えている。Wikipediaですら、最近の記述内容はより史実に近いものに変わっているのに、その人たちの頭の中は変わっていない。あなたは一体どこの国の人なのか?これらの人々は将来の日本にとって害国人、老害となる可能性が大きい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95
日本の現行憲法問題における、最新の事実関係を簡単に整理すると以下の通り。先ず、米国は日本を精神面(文化、教育)と物質面(産業、軍隊)の両方を徹底的に破壊して再起不能の状態にすることにした。日本人の精神力の元となっていた霊性(神国)教育を軍国主義と結びつけて嫌悪感を与え、悪い教育だと教えた。実際に軍事政権には問題も多かったので関連付けることは容易であった。実はこの中にこそ現在の性善説社会の基礎と日本の精神力の強さの秘訣があった。しかし、それよりも個人の権利(人権)が大事だ、民主主義、資本主義が正しい。それを日本に教えるために米国は戦い、日本人に平和な社会をもたらすのであると、自分たちの植民地侵略を正当化したのである。昨今の中東紛争も同じで、国際世論は勝者によって操作される。勝てば官軍、負ければ賊軍である。この正当化のための国際的茶番劇が不公平な東京裁判である。
それ以外にBC戦犯裁判も行われているが、これらの裁判は米国民と世界にアピールするためにマッカーサーが演出した芝居であり、戦争犯罪裁判などの規定は無かった。その為に、終戦後に条例まで作ったのである 。日本を裁くための極東国際軍事裁判所条例は1946年1月19日に発効された 。つまり後から法律をでっちあげ、それにより大勢が絞首刑となったのである。被告人には反論の余地もなく、十分な通訳や弁護人も付与されなかった。侵略者の一方的な正当化と価値観に基づく非人道的裁判である。また、収容所内で多くの虐待や暴行を受け亡くなった関係者も多い。日本の教科書やメディアはこれらの話をしない。するとしても、日本軍の悪逆非道ばかりで、彼らが現地で如何に友好的、良心的であったかと言う記述はほとんど出てこない。
それは米国が日本人特有の英霊信仰(神格化)を恐れて隠蔽したせいである。マッカーサーは遺骨を残しておくと、そこに墓や記念碑が建てられ、神格化されることを恐れ、わざわざ遺体を掘り起こさせて焼却処分させていた。可哀想なのはその霊麗たちと遺族たちである。日本人は押し付けられた茶番劇裁判の結果を真に受け、戦犯を悪人扱いする風潮が生まれてしまったのである。自分の父親や夫たちの全員が悪人であったはずがないけれど、先般の遺族たちは差別されて肩身が狭い生活を強いられることとなった。一方で、司法取引をした売国奴もいるのだ。この内情がわかると「戦犯」と言う定義自体が確証の無いでっち上げの概念であることが明白となる。すると靖国参拝の意義が自ずと明らかになる。あそこには我々のために犠牲となった方々が眠っている場所なのである。これがわかっても、恥ずかしがったり、海外の顔色をうかがうような人は日本人ではないと思う。
残念ながら、これらの史実を知る日本人はとても少ない。しかし、発信してくれる人たちがいるし、SNSやブログで少しずつ波及させることができるのではないかと思い、私も書いている。平和ボケの頭に多少の刺激(疑問)となってくれれば幸いである。

(当時のGHQ本部、第一生命ビル)
侵略軍は日本を統治するために日本の専門家(憲法学者)に戦後の憲法を立案させた。通常の主権国家として当然の内容であり、国際法を盾に主張したけれど、GHQの責任者Mは、お前たちは我々に負けた立場であるのだから無条件降伏が当然であり、自分たちの権利を主張するような内容は受け入れられない、身の程を分かっていないから、俺が作った要求(三大原則)に基づいて草案を作れ!と言うことになった。
マッカーサーが憲法に必ず入れるべき内容として要求した三原則の2番目は以下の通り。これが後の第9条に反映された。自分達の身を守るための抵抗力さえも奪おうとしたのである。人権を標榜する国家とは思えない下品な要求である。ついでに言うと、彼らの言う「人権」とは白人のみに適応される概念であり、今でも米国社会には根強く残っている。
「2.国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。」

これにより、承認されたものがマッカーサー草案となった。最近までの一般的歴史認識では日本側が考えて提出した内容をGHQが英訳したものであり、第9条は日本独自の発想であるとする学者が多かった。それは、この草案の存在と交渉内容が秘密にされていたため、その詳細を知らなかったのである。従って左傾の平和憲法擁護者たちが論拠とする「日本人が平和を望んで考え出した」という話は、残念ながら美しく作られた幻想であったと言う事が明らかになってしまった。実際にはGHQから脅され、その要求をほとんど丸呑みして、構成し直したものが現憲法である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E8%8D%89%E6%A1%88
憲法に関する交渉の際に、GHQは言うことを聞かなければ天皇がどうなるかわかっているのか?協力しないのであれば、お前は戦犯として扱う、などと脅していた。立案のミーティングの際に上空をB29が偶然(計画)に飛行していたが、米軍側は空を見上げながら、ポカポカして暖かく、気持ちが良いけれど、あの太陽のエネルギーは原子力(アトミックエナジー)によるものなのだ、と遠回しに脅迫していた記録も残されている。これらの記録資料は後に隠蔽される歴史問題となることも想定せずに、淡々と当時の出来事を係官が記録していた内容であり、関係者の服装や、言動に至るまで、詳細に書かれている。だからこそ、そこには改ざんや隠蔽する意図がなく、事実をありのままに伝える力がある。関係者もまさか自分の嘘が将来バレるとは予想していなかったはず。学生時代には彼らの偉人伝を読み、米国人と対等に渡り合い、日本を守った偉人だと思っていたけれど、評価は逆転せざるを得ない。
おそらく、脅迫され、背に腹は代えられずそうしたのであろうが、それなら、その負の遺産の詳細(経緯や問題点)を後進に引き継がなければならなかった。自分の力は及ばなかったけれど、将来の日本人がそれらの問題を解決できるような遺言や伝承が必要であったのだ。それもせず、偉人扱いされ、侵略者から与えられた地位と名誉に甘んじたまま逝去したのであるから、その汚名を拭い去ることはできない。私は故A総理が重要関係者であった祖父から何かの遺言を受け継いでいるのではないかと期待していたのだけれど、それもわからないままである。
当時、これらの交渉に当たっていたのが、外務大臣の吉田と側近の白洲など。吉田はこの脅迫じみた草案の存在をミーティングの10日間に知っていながら、死ぬまでとぼけていた。この資料が出るまで我々も騙され続けて来たのである。今でも戦後日本を建て直した偉人だと思われているから、旧宅は文化遺産になっている。ちなみに同時期にCIAのスパイとして活躍していたことがバレた正力松太郎も大手メディアグループや野球チームを作った偉人だとされている。我々が偉大な人物だと教わっていた彼らの権力と資金は全て侵略者に与えられたものだったのである。つまり、これらの裏の顔こそが戦後レジームの闇。侵略者との司法取引によって善悪が逆転させられているのだ。国を守ろうとしていた人が戦犯とされ、売国に加担した人間が善とされたのである。
この逆転は戦後のあらゆる分野に及んでいることも要注意。つまり、現在の価値観や権威は彼らの都合により作られたと言う事。洗脳に使われる手段は教育と宣伝。教育に影響する有名大学の学長、学術的組織の教職員(教授、教師)には都合が良い人材が選ばれた。この際、教育四大指令が出されている。1 軍国主義、極端な国家主義的思想の教育並びに軍事教育の禁止、2 教育関係の軍国主義者、極端な国家主義者の追放、旧軍人の教職従事の停止、3 神道を国家から分離し、学校での神道教育を排除、4 修身・日本歴史及び地理の授業の停止と教科書の回収を指示するものであった。
これ以降の学生(子供)は全て自動的に洗脳を受けることになる。教材として使われるのは、侵略者が承認した内容のみ。そこからは日本文化の誇りや愛国心に関する内容が削除された。検閲により多くの書籍が禁書処分となった。権威となる言論は彼らが選んだ有識者の著作と発言である。子供や学生たちはこれを信じて疑わなかった。新しい教育指導により、子供たちは自ら既存の教科書から不適切で誤った部分を子墨で消させられた(墨塗教科書)。

先生や大人を信じられなくなったら、その国の教育は終わりである。大人たち(政治家、保護者、指導者)に対する信頼が無ければ国は崩壊する。恐ろしいことは、信頼している人間たち(教育者)が洗脳されている場合、その信頼関係は負の悪循環を続けてしまうことになる。実際にそうなりつつある。嘘つきな大人や売国政治家が増えている。その意味で日本は非常に危険な状態なのだ。
異議を唱える学生は昇級できず、違和感を覚えて抗議する教師や学者は仕事を失うことになった。裏返せば、本投稿内容を含めて、現在真実を教える学校や教師は存在しないことになる。学生(若年層)以外の民衆の洗脳にはメディアが使われた。最も効率が良いのはテレビであり、それを日本に導入して洗脳をするようにCIAから命じられたのが正力松太郎であった。正力は元警察官である権力とコネを利用して節操のない商売をすることが得意であった点を評価されたのである。
これにより、ほとんどの日本国民は洗脳されることとなった。当然、私もその一人であった。私はアメリカナイズされた街で生まれ育っているから、その洗脳のレベルは深かった。何しろ、正しい知識人だと思っている教師、学者たちがそう教えるのだ。裁判官、警察官などは、押し付けられた法律や命令によって仕事をするように教育されているから、その判断結果は本来の正義とは別のものになっている可能性が大きい。要するに、自覚がないまま侵略者の手先となる。最近は、裁判官や司法による、日本に害をもたらすような判決が増えている。これはその結果が招いた、非常に恐ろしい現実である。
その後、吉田は屈辱的な憲法だと非難されると、それを当時の幣原首相のせいにしている。第9条の文言は首相からの要請であったとして、日本が脅されて書かされたと言う事実を隠し、責任転嫁したのである。皮肉なことに、後世にその平和理念が評価されるとは思ってもいなかったのである。この前から吉田はGHQと秘密裏に協議をしており、後の傀儡政権となるJ党の総裁(総理大臣)となることが約束されていた。当初は国辱憲法だと非難されたけれど、抗議する人々は公職追放とプレスコード(メディアの言論統制)によって排除された(公的な場から追放された)状態で可決された。民主主義として正当な手続きを経て、日本国民が自分たちで認めたように偽装したのであるが、反対者は会議に参加すらさせてもらえないのだから、これは完全なヤラセ国会。憲法の内容に日本の民意は反映されていないのである。

ここには世界平和や正義の発想はなく、単に侵略者が日本の力を根こそぎ奪い、将来も決して歯向かえないようにするためだけの内容となっている。言い換えれば、我々は従順で平和な民族であり、未来永劫もう二度とあなた達には歯向かいません!と宣言させられているのである。ここには、日本の独立(自立と主権)を認めるつもりは一切ない。この一方的で不公平な内容を国民と国際世論に対して取り繕うために、日本側があたかも武力を自ら放棄したように思わせたものが、平和を強調した現憲法なのである。自分たちが日本人から抵抗力と主権までも奪い丸腰にしておきながら、自分たちの侵略であることをカモフラージュする為に、日本が自分から言い出した事にしたのである。しかも、丸腰の日本を我々が守ってあげなければならないと言う理由を作り、永遠に軍隊を駐留させる事を考えた。それが日米安全保障条約である。これがある限り基地問題は永遠になくならない。
ついでに言えば、広島原爆記念碑の文言もまるで原爆を投下させたのは日本人であるかのようなものになっている。この内容に異議を唱えたのが、東京裁判に戦勝国側として参与されながらも、その茶番劇を批判したインドのパール判事であった。これに関して誤解だと擁護する人間がいるけれど、当時の経緯を知れば、後付けの苦しい言い逃れであることが明白である。これは明らかに圧力と侵略者への媚びへつらいによって日本人が書かされたものである。最大の被害地でありながら、この様に異常な忖度をする土壌があるから、売国奴総理大臣を産んでしまうのである。

しかし、今までの左系有識者たちと洗脳された国民はこの事実関係を知らずに、日本人が平和を願って生み出した崇高な平和主義憲法なのだと豪語して来た。そして、押し付け憲法や無効論は右系の日本人が戦争の反省をせずに自分達を正当化するための陰謀論、詭弁であると非難して来た。大手新聞やマスメディアは全てこれに倣っていたのであるが、当時の資料が世に出たことで、この論争には結論が出たと言える。たまたま現代に評価されるようになったけれど、派生した経緯を知れば、一方的な押し付けであることは明白である。
当時、敗戦した日本政府は自分たちに不利になるような機密資料なども処分しようとしていたけれど、GHQが派遣した日本語に堪能なスタッフたちがそれを事前に阻止して本国に持ち帰っていた。米国はGHQ関連のあらゆる文書も保管しており、時効が切れると公開されることになっている。それらの保管してあった機密文書が解禁されて、一次資料が世に出始め、それを研究分析した方たちのお陰で真実が徐々に明らかになりつつある。この制度は日本も見習うべき。おそらく、裏の裏もあるとは思うけれど、自分たちに不利になり得るような内容も期限が来ると公開するところが凄い。日本なら秘密を墓まで持って行くはず。これは悪行の多い米国の命綱でもあり、国家の腐敗を防ぐ自浄作用があると思う。

これらの一次資料(現物)により、米国CIAとJ党、吉田茂、岸信介、財閥系企業や政商などとの闇のつながりも明らかになりつつある。東京裁判では陸軍関係者ばかりが重罪とされ、海軍関係者は少ない。どう考えても戦争に深く関与していた政治家、商人、科学者などにはお咎めがないばかりか、政財界に復帰して重役を担っている。学長や企業の責任者に抜擢されている人物も多い。これらは全て当時の司法取引の結果なのである。お前ら、秘密を話して協力すれば命と地位を助けてやるぞ、協力しなければ戦犯にするぞ、とそそのかされた売国奴たちなのだ。多少の情状酌量としては、凶悪な武力を持った存在に脅されているのだから、背に腹は代えられない状況もあったこと。肝の座った武人(軍人)は言い訳もせず、腹を切る(極刑)をいとわなかったけれど、文人(インテリ系)や商人には無理であった。

この売国行為のカラクリを隠蔽するのに資本主義と民主主義のような思想はとても都合が良く出来ている。全ての売国行為を経済発展のため、個人の幸せのため、人民のためだと言い換えることができるのである。これは明治維新の時と似ている。欧米の後ろ盾により政権を奪取したテロリストたちは、自分たちを正当化するために西洋思想を使い、行政の再構築(不都合な人間を抹殺する人事)を行って来たわけだ。その時のスローガンが富国強兵、文明開化である。私見では日本の霊性の顕著な退化は明治から始まっている。長くなるのでここでは述べないけれど、私が受けている神の啓示も同様の内容を示唆している。明治は腐敗の原点である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/CIA%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%B4%BB%E5%8B%95
ところが、朝鮮戦争が始まると、日本にある程度の自衛能力を持たせた方が便利だと言うことになり、自衛隊が認められることとなった。さらに時間が経ち、安保問題、ベトナム戦争などの歴史を経験すると、憲法9条に書かれている内容を、戦争を憎んでいる日本人が平和のために自ら考え出した崇高な理念であると評価する声が出始め、それまでは国辱的な内容だとされていた評価が世界では稀有で貴重な平和思想だとする論調に変わって来た。マイナスイメージをプラスに転じる好機だと考え、それを自分たちに都合よく、自分たちの功績であるかの如く宣伝したのがJ党である。元々侵略者のお手伝い的な役割を果たしていた左派はこれに同調した。

(連行される政治犯容疑者たち)
左派とは戦時中に国から疎んじられていた有識者が基本となって構成された存在。治安維持法により多くの有識者たちが拘束、粛清されたけれど、軍事政権が倒れたことにより復権することができた。元々当時の国(政府)に反感を持っていた人たちであるから、その復讐心が侵略者にとっては利用するのに好都合だった。実はこれらの人の中には、当時の日本軍国政府に対する客観的な見識を持っていた人も多かったけれど、当時の政府と無知な国民たちはそれらの賢人までも非国民だとして虐げてしまった。その責任は重い。だから、彼らは自分たちが認められず、虐待までされる悲しさの裏返しで復讐心を持ってしまったのだ。可愛さ余って憎さ百倍と言う通り、それまで自分たちが虐められてきた恨みがあるから、公職追放、プレスコード(言論統制)、禁書(発禁処分になった書籍)などの選定も喜んで手伝ったのである。その人数はわかっているだけで数千人もいた。この時に、市町村や公的部署の指導者、学校関連の校長などが全て解雇され、代わりに左派の人間たちが入れ替わった。国民の思想や人格の形成に教育はとても重要であるが、その教育に左派の教師(日教組)が使われ、洗脳が波及することになった。これによって戦前の教育や社会構造は大きく変わり、国旗や国歌、愛国的な言論に嫌悪感を持つ日本人が量産培養され、現在に至っている。「日本ファースト」という国としては当たり前のことに異を唱える、今のリベラル派の源流である。源流であるが、それは反体制と言う意味であり、質は全く異なる。当時の左派には本物の知識人も多かったけれど、今の左派は洗脳された知識の上に薄っぺらい想像を加えたものが多い。

ちなみに、当時それらの左系有識者たち(文学者、思想家、政治家など)に非人道的な制裁を加えたのが特高(警察)であったけれど、連中は戦後のどさくさにまぎれて雲隠れしたままである。国民を守ってくれるはずの警察権力が信用できない時代があったのは史実である。虎の威を借る狐のような自称愛国者たちは、その権限を利用して一般人を恫喝する事例が多く、それを体験した戦中派は特高に対して良い印象を持っている人がほとんどいない。子供たちは進駐して来た、笑顔でチョコレートを配る侵略者の方にむしろ好感を覚えた。この悪印象は軍事政権と伝統的教育が間違っていたのだとする発想につながることとなった。

(拷問された文学者K氏のご遺体)崇高な魂は如何なる拷問にも負けない
この歴史があるから、被害者の多かった左派が今でも人権や国家権力に敏感なのは日本政府の自業自得であるのだ。私もそして、この問題を清算しない限り、国家権力に対する不信感はなくならない。私もその一人である。彼らは治安維持法や特高の存在を決して忘れることはない。現状では行政、司法、立法のどれも信用できない。その理由こそ、日本が未だに占領(洗脳)されたまま自立できていない事である。侵略者が裏から政府を操り、日本国民を洗脳し続けていることに気付けば、そうなるのが当然。気付かない人々が平和だ、楽しい、とボケ続けているのである。

(MAZII)
自分の国に誇りを持てない国民など世界中を探しても見つからない。私の海外の友人たちは建国記念日には国旗を飾って大騒ぎである。国歌を歌えない人など誰もいない。オリンピックでも国旗掲揚、国歌斉唱は誇らしげ(政府批判アピールは除く)であるし、それを右翼だ(過激派)だと非難する民衆などいるはずがない。これに対する日本国民の態度には全く自分の国を愛する気持ちが見られない。国旗や国歌を右翼の象徴だとする洗脳された固定概念を持ったままなのだ。日の丸を破損しても有罪にはならず、外国の国旗を損壊すると罪になると言う、本末転倒の発想までするようになっている。こんな恥知らずの国民は世界にも類を見ない。ちなみに、私の友人はある国が好きすぎて、国旗を風呂敷代わりに使っていたところ、空港で怒られたことがある(笑)。

(正論)
話を戻すと、平和憲法と言われているものは、先述した事情により、大義名分として「平和」を持ち出したもの。その発想はむしろ戦中の世界を家族と考える「八紘一宇」に近い。元々は押し付けられた内容であるけれど、世界の変遷とともに、不幸中の幸いとして理想的な平和論(平和憲法)と見らるようになって来た。それは9条の前半部分である。自分からは武力行使をしないと言う内容であり、これ自体に反対する人は少ない。改憲派にもこれに異議を唱える話は聞かない。私も賛成である。同様の思想で世界が統一されれば武力侵攻や侵略は淘汰されるはずである。
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
しかし、問題は後半の②である。自衛権が明確化していない上に、成立の経緯から、自己防衛の手段さえも持たないとされて来た。文言だけを見れば「違憲」だと解釈され得る。実際に自衛隊反対派は違憲を主張しているけれど、変化している世界情勢に対応するために、政府は「自衛権を持っている」という政府見解を出している。国際情勢に合わせた苦肉の策であるが、世界の紛争や隣国の領空領海侵犯などを見ると、そろそろ限界にきている。不穏な世界情勢に備えるためには抑止力が必要。いざとなったら自衛のために戦うと言う毅然とした態度(国の姿勢)である。この態度を明確にすることが抑止につながると思う。
私が言いたいのはこの点であり、自ら他国を武力で侵攻できるようにするとか、兵器ビジネスを奨励する意味はない。改憲派にも武力侵攻を肯定するような話は聞いたことはない。また、自衛のための最新兵器やノウハウをそのまま売りつけることは、自分の機密や弱点も知られることになるから、売るはずもないし、売ってはならない。これまでの日本の軍備は米国の御下がり(型落ち)兵器であるが、それらを改良して性能を向上させてしまう能力がある。しかし、これらのノウハウを米国は数多く搾取している。日本人の知恵を盗み本国に反映させている。これを制限するためにスパイ防止法が必要なのだが、それを作られると不利になるために、色々な言い訳を考えて成立を邪魔しているのが実態である。もちろん友好国であれば、ある程度の技術や情報共有はあってしかるべき。兵器は国家機密に属するものなので、本来はすべて自前で揃えるべき。しかし現状では、米国の型落ちの兵器を高値で売り付けられている一方の不公平な関係となっている。

この背景は戦後の米国が日本の自立力(戦闘力)を奪うために、航空や船舶などの関連産業を制限した歴史がある。当時は世界最高峰を誇っていた日本の航空機技術は危険だとして製造を禁じられた。その為、貴重な技術力と知識を喪失してしまった。今ではロケットすらなかなか打ち上げられない始末である。このため、自衛に必要な軍備は大部分が海外依存となっているのが現状である。
また、政府が実際に売却しようとしているのは、主にそれまでスクラップにしていた旧式の船舶などだと言われている。日本の中古車と同様、日本人の維持管理能力は非常に高く、古いものでも十分に使用できる価値があるために、後進国はそれらを欲しがるのである。その中古品を販売した場合、そのメンテと指導に関する費用も日本の収入となる、というのがその提案の背景にあるらしい。

ここで、また武器は人殺しに加担する必要悪の存在だ、平和に逆行する道具だ、と批判する人たちがいる。しかし、世界の歴史をよく見るべき。物質文明の格差により防衛力が劣っていた先住民たちはことごとく、侵略されてしまったではないか?原始的な武器しか所持していなかったために、反撃することができず滅びてしまった。武器を持っていれば話は違っていたはずである。精神論や奇麗ごとだけで国を守ることはできない現実がある。
これと反対に、戦国時代の日本が西洋から侵略されなかった理由は、彼らを上回る戦闘力と銃器を持っていたことも大事な要素だった。侵略者や外敵は自衛力が強い相手には遠慮するのである。つまり、武器は平和を守ることもできるのである。この両面を見て、武器や軍備は考えなければならない。先住民たちと似た性善説的でお人好しの現代日本人も同じ過ちを冒す危険性は大きい。
いずれにせよ、原爆も体験している日本人で戦争が好きだ、賛成する人などほぼいないと思う。時代に適合するための改憲や自衛力(軍備)の増強が侵略戦争につながると言う人たちがいるけれど、現代日本人がそんなに侵略的な民族だと思っているのだろうか?改憲派にもそんなことを言う人はいないと思う。時代錯誤も甚だしい。今の状況を軍国主義時代の日本に当てはめてシミュレーションしてしまっている。この発想が起きる理由は自虐史観洗脳によって作られた古い固定概念を基本にして推測するからそうなる。と同時に、他国に対しては反対に現在の進んだ価値観を基本として、日本の防衛や平和を考えてしまっている。つまり、自国に対しては昔の嫌な思い出が再発する可能性を危惧するくせに、他国の過去における、国際法を無視した侵略の狡猾さは思い出さないのだ(史実を学ぼうとしない)。このロジック(自虐史観)を表現するとこうなるはず。
A:時代が変わっても日本人の危険な民族性は変わらない。だからこれからも他国を侵略する。国連の言うことも聞かずに、軍備を増強して、将来も戦争を続けてしまう。
それから生まれる平和論はこうなる。自国は相変わらず悪いままだけれど、他国には好意的に考える。自虐の反対になるから「他国優遇歴史観というべきか。
B:これだけ世界の人間たちも学んだのだから、もう他国は我々にひどいことはしないだろう、国際社会も助けてくれるはずだから、日本は軍備をしないで、戦争放棄をしても大丈夫だ。
世界情勢とかけ離れた非現実な思考となっている。これらから、彼らの自虐史観(自分達だけを過剰に悪く考える)ロジックを取り除いて言い換えるとこうなるはず。
C:あれだけ日本人は悲惨な経験を学んだのだから、もう軍国主義時代みたいに馬鹿な事はしないだろう。国際社会にも協力するはずだから、いくら軍備をしたところで、戦争をするはずがないから大丈夫だ。
でも、彼らはそう考えられない。これがどうして起こるのかと言うと、自分たちのロジックの矛盾を自覚していないから。それらの人たちの教養は、自分できちんと史実を学び、修正していないため、洗脳された自虐史観に基づいて日本を考えてしまうから、客観性がない。その為、皆似た様な固定観念と先入観に縛られた堂々巡りの言動をするのが特徴。
もしも、自虐部分を反省として捉えつつ、歴史も反映すれば、この様な内容になるはずなのだ。
D:日本は確かに軍国主義時代に問題がある。これを忘れてはならない。ただ、元々植民地化侵略を始めたのは西洋諸国であり、連中は礼儀や国際法を自分勝手に解釈(無視)して襲って来たのである。従って国際組織、国際法は当てにならない。アメリカ、アフリカ大陸は防衛力で負けていたため、先進兵器に対抗できず、守ることができなかったから、絶滅させられた。その態度は現代も変わっていないので、今後も用心して守らなければならない。
ところが、こういう発想ができない。彼らの発想は過剰な自虐史観に囚われるあまり、バランス感覚を失っているのである。
(心ペディア)
このロジックはちょうど鬱病やトラウマの構造に似ている。自己否定(自虐史観)が強すぎるから起きるのだ。80年の時代格差があるのに、彼らの頭の中は過去のトラウマを引きずったままで、アップデートされていないから、自己否定で歪められた思考では正確な現状分析ができない。
これは80年間憲法が一度も改正されてこなかったことと無関係ではない。なぜなら、この手の自己否定トラウマに影響されたままの病人たちが今でも日本の過半数を占めているからである。彼らの選択した結果が、今の日本、今の政治(政府)、今の憲法なのだ。だから、今の日本がこうなっているのである。
この治療法も精神医学と同様、トラウマの原因を再検証により取り除き、自己肯定(承認)を増やすこと。トラウマの因果関係を追及する際に欠かせない作業の一つが、過去の嫌な記憶の正確な認識である。それがポイント。ところが、鬱病患者たちはこれが不快で怖いから逃げることが多い。考えたくないから、思考を停止させることのできる刺激を求める。例えば薬、酒、運動(スポーツ)、性的刺激、賭博、波動の大きな音楽など。
自虐史観信者たちもこれと似ていて、日本に当てはめると、嫌な歴史の事実関係がトラウマの原因追及であるはずなのだけれど、洗脳されているのだと聞いても、自分でその事実関係を確かめようとはせず、逃げる。逃げる方向は目先の享楽。ゲーム(賭博や投資を含む)やアニメなどの非現実世界、歴史や伝統と関係のない舶来の近代スポーツ(サッカー、野球、ダンスなど)が多い。思い当たる人たちを分析して見ると共通する関係性が見えて来るはず。この負の悪循環から脱却して、客観的に再検証しない限り、明るい未来は来ない。
世界の中立国は国民皆兵が原則である。平和を守るためには、いざとなれば国民全員が抵抗して戦うのが当然である。だから戦争の起きる仕組みや歴史、武器の取り扱い、戦う方法などを学ぶ。国を守るためには、内的要素として、食料の確保(自給自足)、インフラの保全、労働力(戦闘力)の確保、身を守る方法と設備(兵器と軍隊)、行政の連携などを非常時に備えておかなければならない。外的な備えとしては、海外の最新事情を知り(インテリジェンス)、脅威に備えること(防衛力、軍備)。危険な相手に対しては防御策を準備しておくべきで、これが独立した国家の最低条件である。

(読売新聞)
ところが、日本の現憲法は自衛権が曖昧であり、これらの要素を考えていない上に、平和ボケ民衆たちは、徴兵制が怖い、自衛隊は外に出すな、などの自分勝手な発想をするようになっている。責任や負担が少なく逃げる方向ばかりを考え、その口実として平和憲法を利用しているように見える。
そこに、自分は争いは好まないから、手伝えない、などと言って逃げる発想を卑怯だとは思わないのだろうか?武力(暴力)を好まない人もいるのは確かだけれど、その様に優しい人は、後方支援活動をすれば良い。強者が弱者を助け守る。戦時中の日本がそうであった。女性は男性が戦地にいる間に家庭をみんなで守っていたのである。だから、兵士も国や家族のために必死に戦った歴史があるのだ。何の代償も払わずに平和が守れると思ってしまうのは、余りに幼稚、無知である。
戦争反対!平和を守ろうと!と言うことに異論がある(批判する)人はいないはず。しかし、それだけで、自分の国を守るための覚悟、知恵、知識が抜け落ちているから「左系だ!」「平和ボケのお花畑思考だ!」となじられることになる。ちなみに私は、左右関係なく、現実を見る平和主義者のつもりである。
今の日本の状態を見れば、どれも不十分である。到底独立した国家ではないけれど、日本人はそれに気付かない。そればかりか、主権や独立は無くても良い、戦争しないで済むんだったら、米国に隷属したままで良い、9条があれば徴兵されない・・・と考える人も現れた。左派や護憲派がそうである。反対するのであれば、それに代わる具体案を持つべき。ところが彼らは「・・・であるべき」「…なら良いなあ」「・・・だろう」と言う抽象的なものがほとんど。交通事故予防の知識として、「・・・だろう」は勝手な思い込みのため、事故を招くから、「・・・かもしれない」というリスクを予想する運転をするべき、と教えられるけれど、その通りである。
また、経済(金銭)中心で国の自立レベルを判定、論じるのは誤り。なぜなら、戦時において、お金はただの紙くずとなる。人間が生きるために必要なものはお金より食糧やエネルギー(石油、石炭、ガス)、水である。日本はタンス預金量や国家としての蓄財は豊富であるが、どんなにお金があっても、食べ物とエネルギーを奪われたら終わりなのだ。この観点から日本の現状を見ると鳥肌が立つほどの危機的状況になっている。自給自足率は低く、農作物の種子や農薬まで海外に依存している。水などの天然資源のある土地を外資に買い占められ、国土が虫食い状態なのである。これらをどうして防ぐことができないのか?それは、憲法が侵略者(外来有害生物)に都合が良いように作られたものであるために、防御&駆除しにくい構成になっているためなのである。最新の侵略方法は武力によるものだけではない。移民や外資による国土の侵食で日本が虫食い状態(ソフトな侵略)になっているのに、物質的な戦争がないだけで、それを平和だと勘違いしているところも無知すぎる。不動産の所有を認めないC国のような人々が日本の国土を買い漁っている現状を見ると恐ろしくなる。日本にはいまだにこれらを制限する法律が存在しない。すでに、街や日常生活の平和な性善説社会が崩壊しかけているではないか?これは自己免疫力がなく、ウィルスを体内に無防備に招き入れているのと同じ状態。気付いたらご臨終である。

(yuta,seiji)
ちなみに、戦前には外国人土地法があり、国体に悪影響が出る外国人の土地売買を制限することができていたけれど、これも戦後に廃止されてしまっている。改憲では第9条問題ばかり取り上げるけれど、それは目に見えるわかりやすい攻守自衛の議論。しかし、こちらは内部侵略(戦争)である。早く改めるべきだと思う。

(よんななニュース)
しかし、一方では戦後レジームの再検証の動きも広がりつつあり、戦後は馬鹿にされ、個人の自由や人権の干渉だとされて来た村社会の自治や掟が性善説社会を支えていることがわかって来た。価値観や社会がこれだけ壊されても、日本が今もかろうじて持ちこたえているのは、戦前からの遺産のお陰である。それに気付いた海外の研究者や有識者たちの評価により外国人の日本に対する関心が広まり、最近のインバウンドにもつながることとなった。来日した外国人は日本の平和が9条で守られているだけではなく、社会全体に道徳観念が行き届いていることに驚いた。街の清潔さ、公衆マナー、会話、気遣いなどの至る所に発見がある。

戦後は侵略者によって日本の伝統教育(道徳教育)や文化は破壊され、洗脳教育に強制誘導されたはずなのに、どうして世界唯一と言えるほどの性善説文化が保たれているのか?これこそ、日本の見えない精神文化遺産なのである。侵略者も壊しきれない偉大な精神なのだ。
その原点は江戸の太平の世を維持した歴史から生まれた教育であった。江戸期の寺子屋などにおいては読み書き、算数(そろばん)などの内容であった。武家階級はこれに、儒学などの古典、礼儀作法やしつけなどが加わり、更に内容が高度であった。読み書きができると、その先は好奇心次第で知識を広めることができた。農民でも難しい書籍を読む強者も現れる。その代表が二宮金次郎である。彼は四書五経に精通し、偉大な人物となったことで有名である。その四書の一つである「大学」の中に、世界を平和にする方法論がある。それを実現するための順番をさかのぼると以下の通りになる。

(ファシリティー新聞)
明治は現代の戦後レジームと同様、維新レジームが起こり、半端な西洋化によりそれまでの伝統文化が崩壊する危険性があった。調和を保っていた掟を封建的な束縛だと考え、その反発から、これからは自由と物質文明の時代だ、古臭い考えはもういらない!と言うことになり、勉強をしなくなり、お金、物、権力に関心を寄せるようになった。戦後レジームに似ている。しかし、旧幕府時代の偉人や有識者たちは、その状況に日本滅亡の危機感を覚え、それを防ぐ教育規範の必要性を訴えたのである。そのお陰で、同意見であった天皇から教育勅語が発令された。その時に人民一人一人が最低限学んでおくべき内容として、大学にある、太平の世の中を実現するための手順4番目の「自分の身を修めること」が選ばれ、初等教育とされることになった。「自分を修める」と言う意味は、道徳を学ぶことにより、人格と品性を高め、社会全体の調和を考えること。それが戦前の教科「修身」となる。

低学年には絵入りの仮名表記の教科書が使われた。日常生活の出来事を例えにして、登場人物が道徳的な言動をする物語となっている。高学年になると、漢字が増えて、偉人や武勇伝などの感動する物語となる。関心がある方は復刻版をお読みになると良い。
今読んでも、もっともな道徳の基本が描かれているけれど、天皇や武人(軍人)の武勇伝などの記述がGHQの検閲により、軍国主義を植え付けた不良図書だとされた。私も長い間、軍国主義教育の教科書だと思っていた。親や先輩たちからもそう教わっていた。ところが、この教科書は戦前には国際的に評価されていたのである。それまでの欧米では教会などの宗教的な場所での説法が道徳教育であったけれど、日本は宗教とは関係なく、民衆のための道徳教育を世界に先駆けて全国規模で行っていたのである。当時は世界中の国々から同じような教育をするべきだと言う賞賛の声が上がった。戦後の1980年代には自国の堕落した社会に反省した国家元首たちは日本の修身を改めて見直し、教育改革を行ったほどである。英国のサッチャー首相、米国のレーガン大統領などである。

レーガン大統領は米国の停滞と人民の堕落が間違った教育方法にあると判断し、道徳を取り入れた教育改革を行っている。その時の教育長官を務めたウイリアムベネットは日本の戦中の精神力や戦後の高度経済成長の秘訣が、戦前の教育であったことを突き止めた。その研究成果を「The Book Of Virtue」として出版し、大ベストセラーとなっている。 これは米国版修身とも呼ばれている。
皮肉なことに、これと逆行したのが日本。レーガン大統領が間違っていたと気付き、教育改革をしようとした同時期に文部省と日教組は逆に欧米の真似をして、彼らが誤りに気付いた教育概念を導入してしまったのである。それがいわゆる「ゆとり教育」。民主主義、資本主義経済がもてはやされ、享楽追及、調和よりも個人の自由や人権、幸福の偏重をするようになった結果、愛国精神や道徳観念が失われることとなり、国が衰退した。欧米はそのせいで数十年の発展が停滞してしまったと反省していたのに、日本は間違った道を真似してしまったのである。しかし、自分達が正しいと信じ込んでしまったので、海外の価値観の変化に気付かなかった。気付いていても、理解できなかった。

その結果、この世代の人々は自虐史観洗脳教育にどっぷりつかることとなった。その結果は先述した通り、鬱病患者の様な状態となる。
問題(残念)なのは、今やこの世代が現役の中堅、管理職になっている事。社会に与える影響力が大きい。多感な時期にゆとり教育を受けてしまうと、洗脳の程度が深いから、自分で気付いて修正しない限り、無自覚な害国人となる可能性が高い。それに対する警告、対処法などに関する書籍が多いのは、それだけ問題が切実で深刻である証拠である。
伝統的な教育が保たれていた地方では、家庭内にまだ「修身」の遺産が残っているので、この時系列図は少し時間がズレて遅くなる。生活様式や文化が西洋化され、情報伝達の速い都市部はゆとり教育が浸透しやすかったため、その影響が表れるのも速い。

言ってみれば、反「修身」的な教育を受けてしまったのだ。日本の性善説文化や常識、気遣い、人間関係は「修身」的な伝統教育と価値観により成り立っているけれど、反修身の彼らとは話が通じなくなって来る。社会の調和よりも個人の自由、権利を優先するため、この世代からはモンスターペアレント、LGBT、リベラリストが生まれ易いと言われている。それまでの常識では有り得ない自己主張、権利の要求をしてしまう。そして、それが当然の権利だと思っているわけだ。それらの問題は、日本の伝統的社会において、曖昧で混とんとした状態の中で練られることにより、自然に落ち着き融和して来た。ところが、その伝統的思考と形成のプロセスを理解できないと、学習や調和、融和などの過程(時間)を無視して早急に結果だけを求めるようになる。何でも早急に白黒をつけたがるようになる。つけられないなら、裁判だ、訴訟だとなる。その場合、自己主張をしたものが勝ちと言う風潮が生まれるから、訴訟社会になる。これが欧米、特に米国が腐敗した要因であり、それに気付いたから、モラルの復活を求めて教育改革がなされた。ところが、ゆとり教育洗脳世代はこれに逆行することにより、むしろ自分の首を絞め、居心地が悪い状態を自ら作ってしまう。また、その自覚がないので、居心地の悪さや、自分に都合が悪いことは、理解の足らない他者(社会)のせいだとして、騒ぐ(訴訟、非難)。

念のために、これは差別ではなく、事実関係に基づく傾向である。どの国にもある歴史における一現象。ただ、多数決で動く世界では、傾向(多数)は力であり、社会に与える影響は大きい。
例えば、C国では文化大革命と言う時代があった。その世代は共産主義思想に洗脳され、それ以外の思想や知識は害毒とされ、勉強をさせてもらえなかったために文盲が多かった。また、国の衰退は主に日本の侵略によるものだと教育していた。これに異を唱えた知識人は全て粛清(抹殺)された。私の恩師(当時小学生)は、子供の分際で自分たちの先生を校舎の屋上から次々と突き落としている。赤いスカーフを首に巻いた(共産主義の象徴)子供たちは、それまで尊敬されていた学者や文化人を路上に引きずり出して暴行したのである。貴重な文化遺産的建築(寺院や邸宅)や装飾はことごとく破壊された。おかしいと思っても、口に出すと自分の身も危なくなる。友人知人同士や家庭内でも密告が横行し、人間の信頼関係は破壊された。この地獄のような国にはいたくないと感じた人も多く、この時期には大量の難民が海外に流出した。これはスターリン政権のソ連、現在の北朝鮮、チベット、ウィグルなどが同様である。私はこれらの難民とのご縁が多いから、最近の寄生虫のような偽装難民には並々ならぬ憤りを覚えてしまう。

この時代が終わると、改革開放路線に舵が切られた。当時は、まだ洗脳前の世代が生存しており、アジアを団結しようとしていた日本を理解できていた人たちが潜伏していた。日本側にも軍事政権時代の両国の確執を憂いていた人たちが多かった。それらの人々は不安定で信用できない政治の世界から離れたところで、真の友好を保っていたのである。それらの人たちがコネで友好商社を作り、中国復興のためにも多大な貢献をした。日本の家電や製鉄などの分野が大陸に工場を作り技術供与をした背景もこれである。
ところが、洗脳を受けてきた人にはこの歴史を学ばなかった人がほとんど。日本との友好の歴史はほとんど知らず、洗脳時代に教わった反日教育だけである。従って、世代交代が進み、被洗脳人間たちが政治や社会の中心となると、後進国に甘んじていることの恨みを日本のせいにし始めた。同時に、とにかくお金だ、物だ、権力だ!という思想が横行した。その結果、後の節操のない成金や腐敗政治家はその世代から多く生まれることとなる。国としては共産主義を標榜しながら、実態は権力と金の亡者の集合体なのである。

彼らは一人っ子政策という育児制限を設けた。その為に、子供が貴重となり、過保護に甘やかされる子供が大量に生まれた。これらの子供たちは「小さな皇帝」と呼ばれ、我儘し放題となる。しかも、育てる親が被洗脳世代だから、共産主義以外の教養がない。読み書きできなかったから、その場しのぎで乱れた社会に対応することになる。つまり、他人を観察して、自分が得になる方法を選択するのである。人口が多いから、我先に何でも求める、欲しがる。そうしないと、他人に奪われてしまうと考える。そこには道徳規範などは存在しない。だから、列に並ばない、譲り合いの精神はない。友達は自分に都合が良い人の総称。日本の友達とは質が異なる。自分たちの欲望が最優先であり、道徳はその次。今の国家幹部が被洗脳第一世代。マスメディアに登場し、厚顔無恥な発言をする政府高官がその子供の世代である。これは偶然ではない。こうして誕生した国民と文化が、現在の悪評へとつながっている。因果関係を理解すれば、現状が納得できるはず。我々はそういう隣人だと知った上で、近所づきあいをしなければならない。
洗脳は恐ろしく、自分では気付かないことがほとんど。自分自身を再検証することをお勧めする。この方法は「修身」の前の手順に示されている。「格物」により万物を探求して宇宙の摂理を知る。その摂理の理解が真の知恵となる「致知」。この叡智によって自分の心は誠を知ることができ「誠意」、心の状態が常に正しくなる「正心」。この状態を保ちつつ、更に教養を高めていくのである。ここまでが「修身」に至る道。つまり、再検証する具体的な手順である。
私自身も再検証によって戦後に受けた洗脳を解いて来た。宇宙の摂理を理解し、知恵をつけ、正確な史実を学び直して、洗脳された内容を上書きする以外に方法はない。これが現代の「修身」である。「修身」により、家庭は円満に収まる「斉家」。円満な家庭(人々)によって作られた国「治国」は天下泰平の世界を実現することができ、「平天下」となるのである。

(ファシリティー新聞)
これほど素晴らしい哲学を日本人は教育に反映していたことを、日本人は誇るべき。中国の哲人にも感謝するべきなのである。ただ、皮肉なことにこの儒教思想は本国では普及しなかった。一部の知識人のみが理解できたけれど、庶民は非現実的な理想論だとして実際には無視をされ、機能しなかった。だから、ずっと戦乱の歴史なのである。
これを実践し天下泰平の世界を初めて作ったのが江戸幕府なのだ。治世の思想や教育理念はこれに基づいていた。しかし、この思想自体は古くからあるのに、どうして日本だけが実現できたのか?隣の半島も朱子学を国の理念としているけれど、それを教えたのは日本である。日本が統治する以前の社会には儒学思想の片りんもなく、政治や国は腐敗していた。堕落した特権階級貴族両班により庶民は奴隷扱い。基本的に文盲であった。この状況を統治時代に改めて日本の教育制度を実施したことで、ハングル語も普及し、今の国の基礎ができたのである。両班の奴隷支配体制に終止符を打ったのが日本であり、それにより現在の民主国家の基礎が出来上がったのである。そして、日本統治は王朝側から日本に「我が国の腐敗状況は収拾できないので統治をお願い致します」と言う主旨の嘆願があったから成立したものであり、侵略したとするのは全く事実と異なる曲解である。日本側も足手まといになるような国を助けるべきではないと言う反対意見も多かったけれど、世界情勢と損得勘定などの総合的判断により併合統治に至ったのである。
現在の規律正しい警察や軍隊などの規範の由来は日本である。彼の国はテコンドウなる武術を自分たちの創始だとしているが、軍事教練の際に日本の武術家が教えた空手などの武術が由来なのである。この頃の実状に関しては当時の半島を観察していた英国人女性が執筆した「朝鮮紀行」が第三者の客観的な記録としてとても参考になる。
ところが、日本が敗戦すると、それぞれの損得勘定で行動し始める。勝者(侵略者)に従う者もいれば、日本との友好関係や憧れを持っていた人たちは在日となり、共産主義に傾倒したものはソ連や中共と結びついた。これにより半島は分裂することとなる。
朝鮮戦争後、海外から出戻った元特権階級(両班)の男性が米国の後押しで南朝鮮(韓国)大統領となると、状況は変わる。自らの特権を奪われた両班は日本に対して恨みが強かったため、過去の友好関係を無視し、国際法や歴史の経緯を無視した、失礼な政策や言動を繰り返すようになった。朱子学を標榜していながら、実態は正反対で礼節を欠いているのだが、元両班の腐敗した精神はお構いなしである。おそらくこの背景には、自分たちの存在理由を確保するため、意図的にアジアの団結(平和)を妨害する米国の策略もある。これにより今の竹島問題などが生まれた。彼の国では英雄視されているらしいけれど、実際には日韓の友好関係を破壊した人物である。
多くの在日の方たちは南北の分裂前に起源があるけれど、その後の彼らの言動に影響されているために、反日感情を持ちやすい傾向がある。これもC国の洗脳、我が国の戦後洗脳と同じ状況が起きていることが原因である。更に時代をさかのぼれば、古代からの交流の歴史は古く、特に問題もなく融和していたのである。そこに国家や主義、思想などの枠組みができたことで、不自然な人間関係(差別)が生まれる。同じ日本人同士でも、関西人と関東人が互いの文化習慣を比較することがあるけれど、笑う人も入れば、差別し合う人もいる。その違いこそ、平和を乱す、人間の問題点がある。この様な負の悪循環は再検証により、整理、浄化しなければならない。その先に、真の友好や平和がある。

日本は古来より、様々な文化や思想を受け入れて融和させてきた。本国では実践できなかった儒教を取り入れて天下泰平の時代を作った。天竺で生まれた、仏教の終焉の地は今やチベットと日本となっている。私が受けている神の啓示では、それらを受け入れることができた民族性は古代からの霊性と関係があると教わっている。そして、実は儒教の起源となった思想は日本にあるのである。これについては、またの機会にする。
間違った道を真似すると言う点では、最近の移民政策も同じ。

(産経ニュース)
欧米は既に反省して、日本にも警鐘を鳴らしてくれているにもかかわらず、真似をしたがる勢力がある。同じ過ちを繰り返してはならない。
日本の教育の問題点は先述した通り、洗脳の影響が大きい。洗脳された人たちが、子孫を生んで教育するのだから、生まれた時からその洗脳を受けることになる。この悪循環を断たなければならない。しかし、時間は連続しているので、スパッと切ることは不可能。親子、師弟などの影響もある。それらを徐々に薄めていくしか方法はない。これには時間がかかるので、経済改革や行政の問題よりも優先順位は先。なぜなら人間がそれらの社会、経済を考え作る実体だからである。侵略者の洗脳を受けた人間が政治経済を担えば、侵略国の期待通りの国となる。実質的な植民地である。これが現代日本なのである。実際にそうなっているではないか。このことに気付いた人たちは日本の現状の危うさを憂い、温故知新による日本再興を考え始めている。
また、飛び級(義務教育)が認められないことも不合理。これでは優秀な人材は生まれない。これがあれば私ももっと頑張ったかもしれない(笑)

携帯電話やパソコンのプログラムは頻繁にアップデートしているのに、我が国の憲法は80年間そのままである。 諸外国の戦後の憲法改正回数はドイツが65回、フランスが27回、カナダが19回、イタリアが17回、中国が10回、韓国が9回、米国が6回行っているのに、日本は未だ行われたことがない。これでは時代の流れに合わないし、不都合が出るのは当然である。そして、憲法制定までの過程を知れば、強制されたものをそのまま使うのではなく、日本人自らが考える内容にするべきだと考えるのは自然である。