七十二候・土潤溽暑つちうるおうてむしあつし
先日まで大暑。その通りに凄まじい暑さ。正しく入道と言う感じの雲。モコモコと育っていた。
しかし、あちこちの寺社では夏祭りが行われていた。旧暦のお盆は来月であるが、すでにイベントとして盆踊りが開催されている場所も多い。
ここは、踊念仏に啓蒙されて生まれたとされる盆踊りと由緒の深いお寺。仏教の教理と舞踏を組み合わせて一種のトランス状態をう生みだしたらしい。無学の庶民から貴族までが熱狂したと伝わる。現代ではおそらくカルト宗教とそしられるかもしれない。それが時代を経て、今の様に子供からお年寄りまでが楽しめる盆踊りのスタイルになったと言われている。
鎌倉時代には有ったとされる大銀杏がシンボル。このエリアでは最大最古。八幡宮で源実朝を暗殺した際に公暁が隠れていた大銀杏と同世代、同様のサイズ。あちらも強風で折れた。
樹齢は700年以上。台風で倒れる前には31mほどの高さがあったらしい。
元々は念仏を唱えながらお辞儀を繰り返すように移動していた「踊念仏」に、楽器や多様な動作が加わって生まれたのが盆踊りの原型らしい。抽象的で難解なインド哲学(仏教)は一般人にはとっつきにくいけれど、簡潔な説法とダンスとセットになったら大流行してしまった。現代では仏教と無縁の歌謡曲が流されている。
本当の哲学的な人間はどのような状況でも無意識に哲学してしまうものであるけれど、一般人は何かの刺激や関心が無ければ深く考えようとはしないもの。考えるとしても大体が自分に身近な現世利益ばかりであることがほとんど。しかし、そのような煩悩まみれの凡夫でも救済されるというのが彼らのアイディア。衆生に着目してもらう為に生み出されたわかりやすい宣教方法だったのだと言える。南無阿弥陀仏と書かれたフライヤー(お札)まで配った。
この宗派の創始者は鎌倉時代の戦乱の世の中に嫌気がさして、全ての物質欲や名誉欲を捨てて出家した瀬戸内海の武家。悟りを求めて辿り着いたのが、欲にまみれたロクデナシでも救われるという当時最先端の哲学(仏教の一派)。それまでの仏教はルールや理論が複雑で難解なため、素人には手が出せないし、よくわからない存在だった。庶民は目先の現実を生きることに精いっぱいで、哲学する余裕などない。ところが、その現実世界は乱れに乱れて、殺し合いや天災などの連発。
そこで、自暴自棄になりがちな衆生を救済する方法が生まれたのだ。その一つが、この寺院の宗派であり、イスラム教の礼拝の様に、定時(毎日六回)に何度も念仏を唱えることを習慣とした。難しいことは馬鹿な頭でいくら考えても仕方がないから、念仏でも唱えて人間を超越した存在(知恵)を信じなさい!と言う事らしい。
これに対して同時代に日本国と国民全体のことまでお考えになった高僧もいらした。その思想は政治にも干渉するので迫害を受け続けたけれど、そのせいで不屈の精神性や独自の哲学を得ることになり、現代にまで発展し続けている。信者と組織の規模は前者と雲泥の差である。
創始者は土地や建築物にも執着しなかったために決まった集会場、道場が無かった。それで高弟が別の場所に道場を設けたけれど、鎌倉幕府による干渉があり、継承争いが勃発。それで新に設けられたのが今の寺院(大本山)なのである。仏様より「白蓮の咲く土地にお寺を建てろ」という啓示があり、現在の場所に決まったそうである。
伝承にある白蓮が咲いてた池には今でも済んだ湧水が注ぎ込んでいる。面白いのはその湧き水は敷地内にある神社の境内にあるのだ。日本の神仏習合というユニークな存在は西洋の一神教では考えられないだろう。
寺院の伽藍はとても質素だけれど、背後にある森には生命力に満ち溢れた大楠が無数にある。猛暑でも木陰はとても涼しく快適だった。境内一円は昔は荘園だったらしい。
盆踊りと夏祭りの提灯が整然と並ぶ参道は浮世絵にも登場する。この寺院を中心として寺町が形成され、後の宿場町となった。
残念ながらコロナワクチンを国民に強要した売国政治家のお膝元でもある。さらに腹が立つことには、その政治家の家系はこの寺院の創始者の縁者でもあるのだ。いまだに非を認めず自己正当化をしている子孫の姿を上人はどのようにご覧になっているのだろうか?
あらゆる生物に対する慈悲の心を表すのが放生池。この心から見れば、昨今の過剰なグルメ、特に人間が自分たちの食欲のために恣意的に必要以上の命を殺生する肉食は良いことではないはず。これに気付くか言い訳をするのか否かは当人の霊的レベルの問題。何を隠そう、私自身の霊性が低かったため、それに気付かず肉食と言う悪習慣にどっぷりとハマっていたのであるが、この愚行に気付く人が増えて欲しいと思う。元々ある程度の獣や魚などは古代より必要最小限捕食していたけれど、現代の肉食(牧畜、養殖)は人間の欲望が生み出した殺戮産業であると思う。栄養だ動物性プロテインだと言うけれど、明治以前の日本人は肉食せずとも普通に暮らしていたのである。動物性たんぱくが無ければ成長しない、虚弱になると言う人もいるけれど、筋骨隆々としたゴリラ、馬、牛は草食であることからも、この理論は正当化するための詭弁だと断言できる。それでも、動物と人間は違うと言う人がいるならば、強靭な肉体を持ったポリネシア人の食文化を見ればよい。彼らの伝統的な主食はイモ類なのだ。腸内細菌と消化システムが動物性タンパクに依存せずとも肉体を生成できるようになっていたのだ。明治以前の日本人も同様であった。
反対に肉食に依存している人間は植物から筋肉を作らなくなる。自然のシステムは楽をしたがる(合理的)ので、面倒なことはしたがらない。だから、現代の肉食グルメ文化は従来遺伝されて来たこの貴重な能力を失うのと同じことなのだ。同時にその反動として昔は少なかった疾病にかかりやすくなってしまう。
日本の宮家も長らくこの精神を継承していたけれど、それを変えたのは替え玉説のある明治天皇。開国と同時に過剰な西洋化に走った。それまでの宮家は肉食を穢れた行為(生命の冒涜)だとお考えになり、無意識に肉食を拒否(嘔吐していた)されていたそうではないか。それがどうしていきなり肉食奨励になるのだ?正当な宮家内部でタブーとされて来た悪習慣をどこで身に着けたのか?それまでの宮家とは非常に違和感がある。このことからも明治天皇は九州で密かに養育されていた南朝の子孫であり、同地方出身者の多い新政府軍が維新革命に乗じてすり替えたと言う伝承もあながち嘘ではないと感じるのである。長崎の出島界隈では明治前から肉食が一部の人間たち(セレブや役人たち)でグルメになっていたから、西国の維新関係者には肉食経験者も少なくなかったはず。古今東西、英雄気取り、目立ちたがりはグルメやファッションが大好きである。
私個人の見解では日本衰退、腐敗の原点こそ明治である。蒸気機関や西洋科学のみに注目すると物質的に日本は後進国であり、文明開化だともてはやすのが現代日本の歴史認識らしいけれど、そこには精神文明の価値と意義が抜けている。私のプロフィールでも述べた通り、日本の霊性は明らかに明治から悪化して来た。日本の伝統的な哲学や文化が否定、軽視され、その結果、度重なる戦乱と国民の白痴化平和ボケとなった。ところが、昨今の環境問題、食生活などの価値観の変化を見れば、「もったいない、ごちそうさま、お陰様、お互い様、お疲れ様、ご苦労様、気遣い、思いやり・・・」など、明治以前の日本が大切にして来たものにむしろ近いではないのか?
と言うわけで、懇意にしているビーガン風のお店にお邪魔。畑でとれたお野菜で作られたプレートとガスパチョ(冷製スープ)。昔、マドリートにいた時の朝ご飯がガスパチョだったので、とても懐かしかった。お野菜の味付けは重なるものがなく、全て美味しくいただけたことに感激した。そのせいか、話が弾んでしまい、初対面のお客様たちと閉店まで話し込んでしまった。
又お邪魔致します。















































































