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雲水・ISA(九龍)のブログ

日本は神の国
仁術師

過去のブログでもたびたび言及して来たけれど、日本国民には日米軍事委員会の存在を知らない人が多すぎるので、何度でも問題提起をしておく。とても簡潔でわかりやすいので、いつも紹介するリンクがある。削除される前に、ご一読いただき、知識を共有&拡散していただきたい。

これを知らなければ、今の日本の異常な状況を理解できない。日本再興のための最低限必要な知識である。

民主党はこの問題に介入しようとしたけれど、妨害された。当時は各省庁に日米密約に関する質問状を出し、外務省にも密約や委員会の存在を認めさせている。つまり暗黙の事実なのである。この意義は大きかった。それ以外にこの政権に功績は無い。侵略者の傀儡政権であるJ党政治に何らかの変化をもたらすと期待したけれど、役不足だった。震災時の対応などは思い出しても腹が立つような内容である。

その後、自民党は同委員会を黙認しているけれど、この問題を清算しない限り、日本は独立することはできない。なぜなら委員会の権限は内閣や国会、最高裁判所よりも上にあるから。基地問題やスパイ防止法案などを国会で議論しているけれど、あれらは全て茶番劇なのだ。選挙も同様。侵略者はそれを知っているので、政治家は存在価値のない演者(役者)だという認識しかない。だから二週間に一度、直接官僚たちを集めて指示を出しているのである。Z省やG省などは内閣の指示に従わず、妨害(非協力)することが多いのは、これが理由なのだ。最終的な決定は全て侵略者の許認可を受けなければならない。つまり、日本に主権はまだ無い。あるように見えているのは、侵略者が認めた内容だけ。この微妙な調整により、日本人には気付かせず、反発させないようにしているわけだ。洗脳と言い、この偽装主権国家工作と言い、実に見事な植民地政策だと思う。この構造を改め、日本が完全主権を取り戻し、米国が干渉を止めない限り、私は同国&同国人に対して「侵略者」と言う言葉を使い続ける。

これだけ事実関係が明らかになっているのに、マスコミも政治家も何もできないし、しようとしないことが日本の最大の問題。洗脳された愚民と操り人形ばかりの多数決(議会制民主主義)による合意は当然ながら、洗脳された内容に帰結する。この悪循環を繰り返すだけ。この邪悪な構造を壊さない限り救いは無い。この構造は戦後のGHQによる公職追放などの国民総人事政策によって、日本の頭脳が入れ替えられたことに始まる。戦後半世紀以上もこうして騙され続けてきた。

(東京新聞)

 

だから、支配者は体制を維持するために、自分たちの操り人形(平和ボケ愚民)による民主制を守る。自分たちの言いなりになる烏合の衆と民主主義がセットになれば国民の総意という言い訳ができる、それを裏で操る。その為には民主制が絶対善、正しい概念であるという世論を確立しなければならない。利用される大義名分が、個人の権利、平和な世界(みんなと仲良く)、幸せな人生、政教分離などの概念。これによって人間は神(自然)を忘れた忠実な操り人形となる。しかし、民衆が賢くなると多数決は正常化(侵略に不利)してしまう。だから、民衆は永遠に平和ボケした状態にしておかなければならない。快楽(芸能スポーツ、娯楽、グルメ、性風俗、薬など)依存にしておく。これこそが戦後の日本平和ボケ愚民化政策なのだ。そして、独立運動や革命(クーデター)などを防ぐためにアジアの治安を守るという大義名分で軍隊を駐留させる。これには日本国内の反米活動を監視する役割がある。だからスパイ防止法は実現せず、駐留軍の権限の方が日本国の法規を越えた構造になっている。この元凶となっている監視管制システムこそ日米合同委員会である。

ちなみに、GHQやマッカーサーという名前を知っている米国人はとても少ない。あちらの学校では基本的に教えていない。その意味でも、周囲にいる米国人(駐留兵士)などに問題提起や情報拡散することはとても意義がある。これは他国との諸問題についても言えること。話すと嫌われる、友情が壊れるという人がいるけれど、心ある人は本当の日米関係を真剣に考えるようになる。それで仲が悪くなるような関係なら、所詮その程度の軽薄な友情なのだ。私はSNSを含めて、どんどん断捨離している。

 

この人たちの動画は国内外の認識の違いを知る上でとても面白い。

現在の女性総理大臣はこれまでとは違った政治家である気がするけれど、80年間も侵略者と癒着して来た関係を清算することは難しいはず。もしも頭(総理)を挿げ替えただけの操り人形であれば、J党の内部浄化は不可能だから、J党全体を壊滅させるしかない。党内には優秀な人材も少なくないけれど、志のある人は、離脱して超党の同志と共闘するべき。戦後80年も手つかずで腐敗した国体を治すのだから、女性総理たった一人が短期間で実現できるような内容ではない。優先順位があるはず。古い体質の野党やメディアは全体を考えず、1で10を否定するような非常に幼稚で醜い攻撃をする傾向がある。文句だけは言うけれど、それ以上の知見も能力も構想も無い。

 

最近の新興野党はとても勉強をなさっている優秀な人たちが多い気がする。内容を客観視しており、協力できるところはするし、妥協できないところは徹底的に議論しようとする姿勢が見られる。何をやっても文句を言う人間はいるが、最近の変化は石原氏が都知事に就任した時の都政に近いスピード感と実行力があるので、とても期待している。

しかし、本気で日本の再興(独立)を考えているのであれば、侵略者が見逃すはずもなく、脅されていることは間違いない。命の危険がある綱渡りをしている。孤軍奮闘させては、危険である。抵抗が大きすぎて前に進まない。周囲や国民は支援協力するべき。これまでも、日本再興を考えたり、自分の命を懸けて問題提起をなさった先人たちがいらっしゃったけれど、ことごとく葬り去られた。私も影響を受けた、日本の社会学者は「こんな世界(日本)に前途は無い」とおっしゃり自害なさっている。それほどまでに、我々は洗脳されている。かろうじて支えているのが、日本の霊性である。これは世界平和、人類救済のカギであるのだけれど、日本人自身でさえ気付いている人はまだ少ない。神はこれを死守せよというおっしゃる。その為に守護を担う「鬼」の存在がある。

 

「悪い者イジメ」の勧め

 

癌細胞を除去手術する場合、取りこぼすとまた転移繫殖してしまうから、徹底的に根本から駆除することが必要。日本(国体)の腐敗部分(病巣)に対して、この覚悟を国民は持つべき。しかし、先述した通り、愚民による民主主義と操られている社会システムでは、革命やクーデター以外に根本治療は困難。つまり、今の民主主義議会制による選挙や国会に従っていると、既成の利権構造の影響を受け続けるから、変えられない。強制リセットが必要。絶大な賢人(霊性と知恵を併せ持つ指導者)による強引な浄化(専制的強権の発動)と、その感化により、国民がこの欺瞞に気付き、一緒に悪循環の構造を壊す(覚醒し自発的になる)ことができれば良いけれど、そんな人物は見当たらないし、今の社会構造に依存している限り、難しい。そこで、鬼は現実的な国家改造(世界更生)の方法を教示してくれた。それが「悪い者イジメ」。現在の「イジメ」は対象を間違っている。弱者ではなく、悪を懲らしめるためにイジメるのだ。これにはお金も労力も要らない。

 

方法は国民が真の叡智に目覚め、諸悪に立ち向かう事。武力(暴力)ではなく、知恵と言論によって、腐敗の元となっている関係者(侵略者、傀儡政権、癒着した官僚、財界など)に対して生存の危機を感じるほどの精神的圧力をかけるのである。連中が公安、司法、国税などを利用して圧力をかけて来る場合、組織と当人に倍返しの報復を行う。連中は組織力を使って脅かすが、民衆が覚醒すれば、数による脅威は逆転する。覚醒した民衆にかなう組織など無い。不正な圧力を行使する人間、組織、その職員、その家族などを国民全体で監視して、周囲から村八分的な圧力をかけ、邪悪なものは住めない環境を作る。

 

悪徳政治家、行政担当者、司法(裁判官、弁護士)、国税(税務署長、担当者)などが権力やマスコミを使って威嚇、隠蔽しても、我々はそれに負けず、悪業を許してはならない。昔は天誅、仇討などがあったけれど、現代では認められていないから、対抗手段は事実に基づき、根拠のある具体的な批判を言語と行動によって表現する。これが犯罪防止の抑止となる。その為には、天誅や仇討に勝るとも劣らない威力を持たなければならない。脅迫を受けた場合は直ちに圧力を行使した部署と内容を公表することにより、職権乱用を暴く。意地悪な取り調べ、取り締まりなどをした担当者は呼び出して実際に顔を見て覚えておく。圧力をかけるほど、しっぺ返しが過酷なものになる恐怖を教える。戦う際のストレスと胆力はもの凄い負担なので孤軍奮闘させてはならない。悪者イジメの協力者を増やし、倍返しの圧力をかける。

例えば、街中でお会いする機会があれば、「こんにちは、売国大臣さん!」「おはようございます、藪医者先生!」「こんばんは、売国裁判官さん」「こんにちは意地悪お巡りさん!」みたいに挨拶をしてやる。その家族にもそれを広げるとさらに効果的。「お前の父ちゃんは売国政治家だから一緒に遊んでヤラナイ!」「殺人ワクチンを勧めた人の関連企業とは取引しません」「嘘つきの家系とはお付き合いはできません」「意地悪な取り締まりをするような人たちに協力はしません」「まだ詐欺を続けているの?」「君は回転寿司の楽しみを子供から奪ったよね」「ストーカーの癖は治ったの?」のように接する。これは呪法のひとつである。非難している因果関係を相手に示し、考えさせる意義がある。○ね!○○す!みたいに、攻撃するような言葉は、発している本人にも悪い言霊の副作用が出るから、要注意。

 

私は、近くに引っ越して来たくせに挨拶をしてこない入居者にはこちらから訪問して、近所付き合いの重要性を説くのと同時に、治安を乱したり失礼なことをさせないための警告(脅し)をしている。私は多言語を話すので外国人にも直接話す。基本は日本語。通じない場合に、初めて外国語を使用して、強烈な説教が始まる。単なる罵倒は無意味。必ず因果関係を教える。私の街では侵略者の基地がある為、関係者(軍属)に賃貸住宅をあっせんする不動産業者も多いから、業者にも挨拶に来させている。今話題の移民は「郷に入っては郷に従え」の鉄則を守らせ、従わないものは強制排除。賃貸物件を貸した家主にも当然抗議をする。今のところはまだ移民問題は無いけれど、外国人をよく見かけるようになっている。いつの間にか、最寄り駅近くの一般住宅がモスクになっていたけれど、監視している。公共の場所の礼拝などは見つけたら決して許さない。国民は同様に監視するべき。

リスク管理にはジレンマがある。常にマイナス面にばかりを意識していると、仕事以外の発想や行動もその悪影響を受ける。疑い深くなったり、性格が悪くなる(きつくなる)可能性がある。逆に平和ボケしていては、危険や脅威に気付くことができなくなる。公安、防衛、警備などの業務には関係が深い。例としては、最初から疑ってかかるような職質や捜査など。これが冤罪につながる。逆に平和ボケしていて、緊急性や危険度の判断を誤ると、見過ごして重大事件を引き起こしてしまう。ストーカー犯罪や自殺自傷事件などがそう。

魂の清らかさや慈愛の心持ちつつ、悪に対して鬼となることはとても難しい。本来、世界平和のカギは「慈愛」である。慈愛の心は「許し」を生み、プラスの循環ができるけれど、それは世界がある程度健全で余裕がある場合に成り立つ。しかし、その心が失われた今の世界を短期に救うためには間に合わない。慈愛を阻害する害毒の除染が最優先。中毒患者を目の前にして、不注意を責めたり、日常生活の心がけを論じる余裕はない。毒物の除去が先である。


その応急措置の一つが「悪い者イジメ」なのだ。慈愛の心を普及させるためには時間がかかり過ぎて間に合わない。慈愛を教えた道徳教育は戦後に破壊されてしまったので、害毒の駆除が先決である。これを勘違いして逆さまの事を言っているのがいわゆる平和ボケ(左系)。騒いでいる内に患者はご臨終となる。

 

悪い者イジメで批判される側が「名誉棄損」などを持ち出して威嚇するのであれば、事実関係を確認して検証すればよい。当然、自分に自信がなく半端な知識や情報であれば、それなりの責任は生じるから、半端なことはできない。それを覚悟しなければ単なる正義の押し付けとなってしまう。一方的な正義の押し付けも害である。善悪は時代と共に定義が変わるものでもあり、簡単には断定できない状態なので、その是非を双方で議論することにより、問題が明らかになる。異議があるなら反論すればよい。反対に自分の考えに問題があれば反省と学習する材料となる。議論の最中に名誉棄損や侮辱などを持ち出したら、議論は成り立たない。それを黙認するような司法であれば、関係者は悪い者イジメの対象とする。

 

従って、威嚇を恐れる必要はない。それが脅しや逃げであれば、引き摺り出して、隠してきた内容も全てさらけ出し、ヤブヘビとなる恐怖を味合わせるのだ。名誉棄損などの脅しが通用しないことを教える。選挙演説や講演会でヤジを飛ばす人間は呼び出してその場で徹底的に論破する。その論破に対抗できる人物であれば、こちらの学びにもなる。

(弁護士JP)

 

関連サイトを調べたら上の説明が出て来たけれど、過剰に人権を擁護するような表現がある。これは悪人を逃がし、のさばらせる過保護な発想の元となる可能性がある。前科、悪業の記憶は司法が時効などを勝手に設けるものではない。当人が自業自得として一生背負うべき記録である。それを回復、更生するか否かは当人の問題。自分で償うしかない。我々(被害者)の記憶に時効は無い。平和ボケ社会では辞職や更迭でその後の責任を曖昧にして逃げる風潮があるけれど、逃がしてはならない。辞職後の退職金の取り扱い、懲罰の内容、汚職や横領なら、その賠償が完了するまで報告させる義務を負わせる。公職なら、毎年公的な会議や会報で経過報告をさせる。広島長崎の方たちは米国の罪、沖縄県民は政府(軍部)の責任を忘れるべきではない。東日本大震災の核汚染被災者は東電と政府を忘れるな。ワクチン被害者は政府(厚労省)と医療関係者を忘れるな。それらの贖罪が完了するまで悪い者イジメは続け、その悪業は子々孫々まで伝える。

 

不正な人間、店、企業とは取引をしてはならない。内容や規格(産地、安全規格など)の詐称などをした企業の商品は売買せず、倒産させるのだ。

 

徹底的な「悪い者イジメ」から抑止効果は生まれる。悪いことをしても「時間が経てば世間は忘れてしまう」というような考えを持たせてはならない。平和ボケ的発想は悪人を甘やかすだけ。節操や恥も無く、何気なく再登場するのが芸能と政財界。精神後進国の西洋思想にかぶれ、罪人を甘やかす弁護屋や司法関係者が増えたから、日本の伝統的な性善説社会が壊されてしまった。そして、それらの平和ボケした人間たちが現実の法律を扱っているということはとても恐ろしい。マスメディアや権力者の手先となった司法の人権論などは犯罪者を野放しにするだけである。実際に害国人や闇バイトなどの犯罪に警察や法律は対処できないのが現実。

 

これは、人生の大半を冤罪で失なわせた検察(司法)の罪を問わない態度、不法滞在外国人の犯罪を不起訴、無罪放免にした事件などともつながる。法を守る意義を考えず、マニュアル化された文言(判例)に従って処理をするだけなら、AIで十分。政財界だけではなく、司法界にも浄化が必要。もしも、メディアや司法界、政府がそれを見過ごすのであれば、当然「悪者イジメ」の対象となる。社会的役割(責任)とイジメのレベルは比例させるべき。つまり重要な役職、資格(士業、許認可)を持つ人間はその影響度が大きいわけだから、駆除の優先順位と強度も高くなる。偽の難民申請、名義詐称、害国人への不動産売買、盗難車の輸出などには士業が関わる。資格を取り消し、税金の累進課税と同じで、累進加罰する。我々国民が「悪い者イジメ」の強度を上げるのだ。有資格者に対する懲罰は一般人より加重するのが当然。その責任は自分たちに降りかかる。放置しておけば、必ず自警団、自己防衛の動きを生み、将来はリンチや襲撃、暴動に発展する可能性がある。すでに兆候が見られているではないか?これまで、愚民の平和ボケにつけ込んでいた関係者は覚悟することだ。

 

会社や学校で起きるイジメによる不幸な事件は精神的ストレスによるもの。このイジメる対象を悪者に変えることで、悪人(害毒)を駆除することができる。それだけ言霊は恐ろしい力を持っている。毎日周囲から嫌悪感を浴びせられ、白い眼で見られると、常人は耐えることはできない。国民が邪悪な人間を常に差別し白い眼で見て、罵倒することにより、当人の精神的なストレスは高まり、心身を病んで内部崩壊する。一人一人の発する言霊が集まると、集合意識としての波動エネルギーを持つ。霊力を持つ人間はこの集合意識と同じレベルの波動エネルギーを一人で作ることが可能であるから、その様な人間が集まれば更にその効果は倍増する。この力は人間の生命エネルギー(健康)に干渉することができる。私の使う仁術の源も同じ理論を使っている。だから生殺与奪なのだ。一般人が集まり、この力を集中させることで同様の効果を生む。覚醒した仲間(同志)を増やし、呪力を増強するのだ。

 

この鬼の知恵を失礼な害国人、反社(チンピラ、反グレ、ヤンキー、暴走族など)、イジメっ子・・・などに実行する。無知で野蛮なくせに身体は大きく元気な人間ほど害も大きい。人間は肉体的に有利であると、礼儀や倫理を無視して暴力に訴えて来ることが多い。相手がおびえて妥協すればするほど調子に乗り、更に被害は拡大するから、決して退かず、それを上回る制裁と圧力を加えることが必要。現実問題として、それだけの知識と胆力を持つ一般人(個人)は少ない。だからこそ、単独で立ち向かうことは避け、普段から近所(共同体)で邪悪なものを排除するための人間関係と監視システム、対処方法などを考えておくべきなのだ。電車や公共の場でそのような場面に遭遇した時、皆で助け合うことが必要。昔は当たり前であったけれど、最近はこの習慣が失われつつある。これが行き過ぎると村社会の同調圧力になるけれど、伝統的な調和の精神を思い出すのだ。利己だけでもダメ。利他(自己犠牲や奉仕)だけでもダメ。本当の調和は利己&利他のはずである。利己と利他はお互い様の関係で循環する。

その他の抑止効果のアイディアとしては、犯罪者の移送の際には、顔を隠させず、人相をメディアに見せる。報道も本名、顔写真はわかりやすく記載させる。「将来の可能性を奪う」と言う人がいるけれど、だからこそ「最初からしてはいけない」という抑止効果(教育)が生まれるのである。江戸時代は「市中引き回し」と言われ、罪人として街中を歩かされ、入れ墨を施された。民衆に自分の恥をさらすのである。悪人の過保護は逆効果なのだ。

 

人権を制限することが懲罰なのだから、犯罪者に一般人と同じ人権は無い。もしも、悪事を働いても人権によって守られる(もみ消す)ことがわかれば、悪人はそこにつけ込む。「○○歳以下だから・・・しても大丈夫」「俺は外人だから・・・」「日本はそこまでしない」などと法の抜け道を探す。悪質な人間たちには知識がある確信犯も多い。そして、そこにつけ込みビジネスにしている法律関係者(弁護屋)もいる。この発想は、自分の過失を詭弁とこじつけで言い逃れをする西洋法学由来である。この弊害が米国の様な訴訟社会を生み出した。「謝ると自分が悪いことになるから、謝るな!」「・・・のお悩みは○○法律樹務所にお任せください!」などの言葉もよく見聞きするようになった。権利をアピールして商売にしているのである。

 

懲罰の基本概念は人権に干渉(制限)することにこそ意義があるので、人権を持ち出して逃げるのは本末転倒。懲罰の意味がなくなる。怖くない懲罰や公安、軍隊など何の役にも立たない。よく警察を呼べ!と言うけれど、非常事態に間に合うはずがない。犯罪者に一般人と同等の人権はないし、与えてはならない!

 

「話し合えばわかる」など言う平和ボケ人間がいるけれど、わからない人たちがいる現実を見ていない。彼らにとっての正義は「力」である。これは自然界の大原則。既成概念で汚染されていない子供たちの方が現実をよく見ている。低年齢における学級委員やリーダーは身体が大きく強い、体育が得意なものがもてはやされ、繊細で思慮深い子供は逆にいじめの対象となることが多い。これが動物の原始的な在り方。これを踏まえた上で、理想や改善策を考えることは良いけれど、現実から目を背けて綺麗事を論じるのは空論である。子供は現実を体感している。つまり、現実世界においては頭脳と力(暴力)の双方において相手を凌駕しなければならない。これは国防の基本理念や最近の移民、異宗教問題ともつながる。

(政治ドットコム)

 

鬼によって守られた性善説社会では、邪悪な大人は家族からも非難、差別され、プレッシャーを受けることになる。改めるまで時効の無いプレッシャーを与え続ける。邪悪な家庭(家系)は崩壊するのも自然。一家離散、離婚なども自業自得(自然の摂理)。それによって束縛されていた子供や家族は自由を得る。これでも直らない人は救いようがない。ゴミや寄生虫と同じなので、清掃駆除するのみ。自然界には自然淘汰システムがあるけれど、これに不自然な概念を加えて、バランスを壊しているのが現代人。ゴミは放置すると腐敗し、病原菌をまき散らすから、差別と圧力により、近所から追い出す。これが自然な在り方。家や名誉を重んじた江戸期までの日本の治安はこのような厳しく、恐ろしい哲学で守られていた。そして、客観性と正当性のない恨みや偏見から起きるリンチ(私刑)、仇討と混同しないために、厳格なルールと奉行による裁定制度があった。これこそが戦乱の時代を経て確立されたリスク管理、悪の抑止力だったのである。

 

子供や家族に罪はないけれど、関係性からは逃げられない。だから、因果関係を明確にして当人を責めないことが肝要。但し、知りながら改善しなければ共犯となることも教えるべき。あなた(子供や家族)に罪は無いけれど、当人(旦那、妻、父親、母親、先祖・・・)にはあるということを教え、そのせいで家族も迷惑するということを当事者に認識させる。これによって家族や共同体の意味と責任や義務を覚えることになる。「ウェーン(泣)!お父さんが悪いことするから、僕は学校で嫌われちゃうんだよ~!」「お前が恥ずかしいことをするから、私たちは街に出るのが恥ずかしい!」「まともな職には付けなくなる」となる。

これにより、関係者(家族)も反面教師の教訓を得ることができる。他人から下品だ、教養がない、礼儀知らずなどと言われるには、自分にも問題があるわけだから、学習(更生)する機会である。これは劣悪な家庭環境で生まれた子供にとって、救いと気付きとなる。悪い親は力で価値観を強制するので、子供はなかなか気付くことができない。経済的に自立できないから、悪い環境(親による洗脳)の影響を受ける。親が悪いのに、自分を責めてしまう。そこには信頼できる第三者の客観的なアドバイスがとても重要。この気付きにより子供は自分の現状や親に疑問を持つようになり、それが成長となる。この役割こそ、知恵のある教師や大人であった。また、スラムや問題のある家庭で養育される悪循環を断つために、悪い環境から子供たちを守る社会的救済(制度、施設)が必要。

 

日本の大人や親が教育の重要性に気付かないから、子供の健全な成長と逃げ道が失われつつある。過保護な教育は我儘を増長させるだけで、俯瞰的な視点や失敗や挫折から学ぶ機会を奪っている。ケガや事故を防ぐつもりで、海山や公園などにも「○○禁止!…してはいけません」の様な看板が乱立し、自由に遊ぶこともできない。リスク(危険)は言葉だけで教えることは不可能。実体験がとても大切。「最近の子供たちはゲームばかりする」と嘆く大人が多いけれど、自分達が子供たちを過保護にした結果、遊ぶ場所もなくなり、細かすぎるルールのせいで、遊ぶ気を奪っていることに気付くべき。何をするにも「危ないからダメ!」などと文句を言われたら、遊ぶ気もなくなる。教育問題は日本の将来を作る一大事なのだ。戦前には日常生活の礼儀作法や心構えを教える授業があった。これに関しては以前の記事をご参照。

 

 

伝統的人道教育を崩壊させたのは、この精神文明を理解できなかった精神後進国(欧米)の侵略者と、その手先となった西洋かぶれの政財界人であった。風土や歴史を考えずに聖書系の道徳観念を伝統と比較消化せずに導入し、明治の文明退化が起きたのである。確かに途上国から西洋の科学文明を見ればその衝撃は大きかったはず。渡欧して西洋を見聞した際に、経験と知識の豊富な熟年知識人がいれば良かったけれど、残念ながら半端な教養なのに元気で勢いのある若者であった。目の前の情報を消化して分析する能力に欠けていたのだ。表面しか見なかったので、浮浪者、児童労働、移民(奴隷)、スラム、拝金主義などの問題を認識できなかった。本来は彼らの先生クラスの人間を渡欧させるべきであった。幕府内には国内外の事情にも詳しく、優れた有識者がいたけれど、権力闘争に夢中になったテロリストたちに謀殺されている。当時の資料は関係者によって隠蔽されているので、未だに闇である。それ以前の古文書などが発見されているのに、なぜか時間的に近い幕末の歴史は出てこない。更に新しい戦後の資料も同じ。これは日本の隠蔽体質の問題を暗示している。であるからには、現時点の歴史学者の見解はあくまで推測の域を出ない。

 

当時の幕府の情報収集力は優れており、西洋の産業革命や最先端の武器の情報もあった。それに基づいて国防を考えながら改革を行う道は、主導権を握りたい英国に操られた若いテロリストたちによって潰された。立案者は謀殺され、アイディアを盗用した人物は紙幣の顔になった。議論ではなく、英国の支援を受けた圧倒的な火力(武器)によるクーデターであった。若いけれど、当時の国際事情によく適応したと、その功績を称える歴史学者も多い。しかし、国を三世紀近く平和に統治して来た実績と知識をないがしろにし、地方政府の中下級武士がいきなり実権を握ることには無理があった。成金が権力を与えられたらどうなるか?結果を見れば明らか。攘夷という目的から権力争いに変わった。教養のない下級武士や農民に侵略者から与えられた近代兵器を配って起こしたクーデターなのだ。つまり最初から攘夷は口実で、政権転覆が目的だったのである。そんな質の悪い人間たちであったから、福島などの旧幕府地域は略奪、強姦、虐殺が横行した。これも明治政府は隠蔽した。

 

その後は今の成金と変わらない。豪勢な生活、愛人を囲い、豪邸、高級車、セレブなパーティー、交友関係などをひけらかす人間がほとんど。今も残る公園や洋館などは文化遺産だとされているものも多いけれど、凡そ売国の成金遺産である。戦国時代に同様のパフォーマンスを行ったのは金の茶室などで有名な秀吉がいた。当時は軍事力や財力による対外威嚇の意味があったけれど、明治の西洋化は「西洋に並ぶ文明国になる」ために、価値基準が自国ではなく西洋であり、食文化(肉食)や道徳観念、風俗まで無理やり合わせる不自然で急激な内容であるところが違う。

 

これにより、三世紀近く続いた太平の社会は戦乱の時代に逆戻りしてしまうことになる。

ちなみに、当時のアジアは大部分が西洋の植民地であった。そこで独立を守れたのは、国際事情を研究し、常に国防に備えていたからである。当時最先端の武器であった鉄砲を国産化し、アジア最大の戦闘力を作り上げていた。これと常日頃の戦闘訓練(武芸)をしていたから、西洋侵略国は侵略を諦めていた。これは、当時のスパイ(宣教師)が本国に書き送っていた報告書で明らかとなっている。それが、幕末の平和ボケにより、国防と国体に弱点が生まれ、つけ込まれたのが明治クーデーターである。信長、秀吉、家慶たちの様な実戦経験者であれば、産業革命のニュースを聞いた直後に自国で大砲や蒸気機関を作っていたに違いないのだ。幕府はその警戒を怠っていた。これに気付いていた幕府の賢人は攘夷のための国防を考え、重工業と海軍の基礎を築きながらも謀殺されてしまった。その存在はクーデーター側から見れば最大の邪魔者であった。これに関する記録はクーデーター政府が全て抹消している。

 

後から西洋文明のリスクにようやく気付いて修正しようとする動きもあった。明治初期の段階で、すでに伝統的哲学が失われる危機を問題提起した言論は多かったけれど、国際金融組織(英国)とその従僕でもあり、実権を握りたかったテロリストたちは、物質文明の脅威を理由に強引に西洋化を進めたのだ。

 

素直で協調性を重んじる国民性は戦時中も利用された。これは軍部によって戦争に誘導された時の同調圧力と同じ。それに気付いた有識者は抹殺され、戦争に誘導された。戦後は侵略者による洗脳教育が行われ、その結果が現日本人である。伝統的日本人の特徴は根が真面目、人が善くて平和主義だから、正義感も強くて同情共感能力も高い。更には、伝統的に年上や権威に素直に従ってしまう傾向が加わると、性善説社会では猜疑心が弱くなる。それらが正しい情報や知識であれば問題は無いけれど、間違った誘導(洗脳、デマ、情報操作)には弱い。コロナ騒動ではこの弱点が露呈した。世界で疑問視されていた中で、政府やメディアは強引にワクチン接種を誘導し、国民は同調圧力の弊害を被った。被害者は私の友人知人を含めて、純朴な良き日本人が多い。彼らは自分達が騙されて、つけ込まれている事にも気付かないほど素直で善良(平和ボケ)な人たちなのである。

 

戦後の日本人はそのような環境で生まれ育ったのだ。私も完全にその内の一人であった。これを日本は80年間も続けて来たのである。外来語を多く使うけれど、日本の知識と感性が欠如している。その結果、教科書(現場教育)では教えてもらえないアジアや日本の歴史に疎く、西洋偏重の知識に基づいて思考することしかできなくなってしまうのだ。すると判断基準(価値観)は当然西洋絶対主義となる。どれほど素晴らしい発明やアイディアであっても、海外(国際)で認められないと、日本人は評価しないのである。科学や芸術などの分野で、日本では認められなかった人たちが、海外で評価された途端に日本人は手のひら返しでチヤホヤもてはやすことが多い。日本人としての品性の堕落である。必要から生まれた風習や哲学の価値を理解せず(教えてもらえず)、洗脳教育で教えられた理解の浅い西洋思考(今の価値観)で見るから、すぐに差別だ、不合理だ、非科学的だ、などと批判を始める。優れた洗脳は違和感なく自然に誘導してしまうので、当然の帰結である。


この欺瞞に早くから気付いていた人達がいわゆる右系といわれる人たち。むしろ右系の人たちの方がバランスよく学習している印象がある。それは、戦後、常に非難されてきた歴史があるので、それに対抗するために自主的に学んだ結果だと思う。日本全体が左寄りなので、少し右くらいでバランスが取れる。侵略勢力はその言論を封じ込めるために、マイナスイメージを作った。日本人が真実に目覚めると、欺瞞が明らかになり、愛国心や独立心が芽生えてしまうことを恐れた。だから、歴史は勉強させるな!精神文明の基本にある調和や団結を破壊して分断させろ(個人主義優先)!国旗や国歌を軍国主義と結びつけて嫌悪感(罪悪感)を作れ!と誘導して来たわけだ。派手なパフォーマンスをする街宣右翼の構成員は純日本人ではないメンバーが過半数であるが、私も含めてこの違和感に気付く人は少なかった。実は間接的に雇われた工作員なのである。彼らは大音響で威嚇的な言動を見せつけ、嫌悪感を増長させてきたけれど、一般人にはこれと本物の愛国主義者の区別が困難であり、構成員自身にも操作されている自覚がない人が多い。反社のチンピラが手伝わされていることもある。私自身もこの欺瞞に気付くまで、いわゆる右翼は大嫌いであった。洗脳教育の恐ろしさがわかると共に、自分の勉強不足に恥じ入るばかり。

 

現実を見ない机上の理論と、その無知を利用する勢力からグローバリズムやリベラリズムが生まれる。最前線を知らず、平和な場所から見ているだけなので、移民や国際金融資本による侵略をもたらしていることを自覚していない。世界は既にそのことに気付いて、対策を講じ始めているのに、日本だけは逆行していることが愚か。この危険性は文明退化の明治から一部の有識者が警告していたけれど、金と物の力で消されてしまった。

「悪い者イジメ」は外交でも同様。不誠実、失礼な国(国民)とは付き合う必要がない。付き合えば不愉快な思いをするだけ。理由のある抗議や差別は悪意のあるヘイトスピーチとは違う。話が通じなければ、貿易取引も止め、支援も停止するべき。支援や好意は恩を仇で返されているばかりか、善意につけ込まれている。郷に入っても郷に従わない移民の援助や優遇措置も同じ。それらの時間とお金は、信用でき、清らかな精神を持つ国と人々の援助に回すべき。日本は相手を見て商売(貿易)をするべき。外国に対しては割高な値段設定にする。「安物買いの銭失い」であることを海外に知らしめるのである。失礼な国に売る必要はない。日本からの部品供給が停まればその国の産業は破綻する。泣きついて来たら、高額で提供し、それまでの非礼による損害を回収するのだ。間違いなく、撤退できないようなペナルティーをぶつけて来るはず。その際には、提供することでペナルティーや過去の損害を相殺する契約を結ぶことをお勧めする。泣き寝入りはしないことが理想的。

 

安い人件費だけに気を取られて工場を作ると結局は裏切られて損をする。お金、女、グルメなどで釣られたシルバー人材(職人)はもてはやされるから、一生懸命に知識を教えてしまうけれど、技術や資産を盗まれるだけ。私にも色々な勧誘があったけれど、実に狡猾である。お役目御免となればポイ捨てされる。自分が売国をしてしまった自覚を持たなければならない。こういう人間を腐る程見て来た。アジアの安い労働力目当てに進出した日本企業の工場に多い。

不誠実な国の作ったものは不誠実な品質とアフターサービスになる。信用できない国(民族)の言論は見聞きするだけ無意味。アジアの道徳観念の起源と言われる儒教を国の柱としているらしい国があるけれど、実際の品性は失礼極まりない。裏切りと搾取、自己正当化しかない。付き合うだけ、時間とお金の無駄である。その子孫が日本国内を汚染しているようだが、その点を改めない限り、外見は似ていても、我々の霊性は確実にあなた達を見分けて背別(駆除)する。それが嫌なら、まっとうな人間(国)になりなさいということだ。

 

信用度や民度が低い国との商売はハイリスク&ハイリターンであることを知りながら、損得勘定の賭け的な関係を持とうとする商人は自業自得であるから、同情の余地はない。それを知りつつ付き合うのであれば、金に目がくらんだ共謀、共犯とみなしてよい。

例外として、ビジネスや損得勘定よりも良心や善意を優先して活動されている方たちの存在がある。まだ、信頼や友情も確定していない途上国に技術や知識を支援する方たちや慈愛の心を持つ実業家(商人)がそうである。商売にならないからと言って見捨てられたような場所に、産業をもたらした日本人。窃盗や略奪行為で生計を立てていた人たちに仕事を与え、自活できるようにした実業家。疾病に苦しんでいた途上国に医療を普及させ、生活環境改善のためのインフラ(用水路)を作った医師などがいらっしゃる。途上国において、日本人の評判が良いのは、主にこの方たちのお陰なのだ。そこには私利私欲や損得勘定を越えた慈愛の心がある。

私もそちらの世界に多少関係していたけれど、いつも敬服するのは、彼らの素朴で純粋な人間性であった。下品でくだらない話もするし、喧嘩もするけれど、仕事や現地人に対する態度と姿勢は一貫して誠実であるのだ。卑怯な事はしない。逃げない。国のプロジェクトで派遣されて来た下請けの職人、技術者たちも同様なのである。要するに、小さな歯車の一つ一つが誠実に正確にできているから、全体のシステムの信頼度が成り立つ。まさしく、世界に評価されている日本製品の特長と同じなのだ。

 

利益だけを考え、問題が起きると、将来の事も考えずに逃げる他国の商人に対して、日本人の態度は別格であることをいつも感じた。だから現地人たちから信頼されるのだ。長年観察していて、多少の例外はあるけれど、これこそが日本人の宝であると実感した。その気付きの後で、戦時中の日本統治などを再検証するようになると、更に色々な発見がある。確かに、戦時中には兵士の想定外の蛮行もあったに違いないけれど、道徳観念の薄れた現代日本人でさえ、ただの職人や社員が総じて誠実なのである。江戸時代の伝統教育の遺産を受け継いでいた当時の日本人は今よりも誠実であったと思う。今でも会社の権利や契約関係で板挟みとなりながら奮闘している姿を見ていると、いつの時代も同じだと思う。戦時中なら軍隊の規律や命令と自己の心との葛藤があったはず。そんな人たちが自虐史観で教わったように、一方的に卑劣なことをするはずがないというところから、私の歴史観は大きく変わった。これまで学んだ情報と知識の再検証を行って来たけれど、日本人の精神性(霊性)は宝物だと自信を持って言える。日本の海外での評価はこの人たちのお陰である。その人たちの魂が集っているとされる神社は、我々が感謝するべき対象であるはず。これを考えれば、参拝問題の答えは明白。

古来よりの鬼の知恵である「悪い者イジメ」は念と言霊を使った呪法であり、神と霊性を守る方法であった。集合意識による波動エネルギーである。当然、悪い使い方をすれば、両刃の剣となり、それらはすべて自分自身に跳ね返って来ることになるから、自然と霊性を学び、事象を客観的に観察する癖が身につく。徹底的な「悪い者イジメ」は諸悪を淘汰し、同時に自分がその対象になる恐ろしさを認識するので、その恐怖心は抑止効果を生む。これが性善説社会の基礎を支えていた。「お天道様」「閻魔様」「天罰」「呪い」や、人間を戒める数々の風習はここから生まれた。これを恐れる人間は自分にヤマシイことがあるからである。まっとうに誠実に生きる人間はどんなに凶暴な鬼が来たところで、恐れる必要はない。逆に、鬼はあなた達を守るガードマンになってくれる。

世界が間違っている時、鬼の力は強くなる。それは人体が病原菌と戦うために発熱するのと同じこと。不平不満、ストレスなどが発熱の原因となり、世情不安定、殺伐とした雰囲気になる。これが現在の世界の状況。その際に、重要なことは、病気の正しい原因を把握して退治する事。戦う相手を間違えると、自己免疫で自分を攻撃するアレルギー反応となってしまう。単なる悪意や一方的な感情による差別(ヘイト)はその悪意が自分に悪い結果となって跳ね返ってくるから、半端な言動は慎まなければならない。個人的な恨みによる仇討、仕返し、リンチなどは負の感情の悪循環となるので、これも裏返って天罰となる。これは人間が自滅しないために神が作った安全スイッチ(保険)だと言える。私の教わっている仁術や「鬼の力」はあくまでこの世界の秩序と調和を維持することが大前提であり、邪念を加えると自滅するのである。

 

また、私の様な奇人変人や芸術系、思想家なども古来より迫害や差別を受ける可能性が大きい。霊的な人間の魔女裁判、異端者尋問などがそう。しかし、鬼と神様はそれもご存じだから、それを乗り越えた後の発展も見守っている。私はそれを感じているから、この様に過激で他人から嫌われる(タブーとされる)ようなことも平気で話している。私は自然の摂理に反した人権や自由などはいらない。また、霊性(神)を無視した如何なる人間の概念にも従うつもりはない。筋の通らない弾圧、脅迫に対しては鬼の理念に基づき、徹底的に応戦する。

 

ここまでは「悪い者イジメ」の話をして来たけれど、呪法は両刃の剣であるから、逆のプラス方向の使い方をすることにより「善人を増やす」「幸せを作る」ことができる。プラスの集合意識エネルギーは活力を与える。楽しくなる言葉、幸せになる言葉、ほめる言葉、慰める言葉、感謝の言葉などがそう。素晴らしい人や好意に対しては「素晴らしい」「凄い」。小さな喜びや感謝を感じたら「ありがとう」「幸せ」「みんなも幸せでありますように」。困って苦しんでいる人には「大丈夫」「できる」「あなたと共にいますよ」の様な慈愛の言葉を使うのである。慈愛の呪法で世界を覆いながら、邪悪なものは悪い者イジメの呪法で排除するのである。この陰陽バランスによって世界(日本)は浄化され、霊性が復活する。

 

負の言葉が増えると、人間世界(意識)もそちらに誘導されてしまうから、調和を保つために聖なる(慈愛)の言葉でバランスを取ることが大事。良い人間、書籍、芸術作品、美しいものに出会えたご縁にいつも感謝するのだ。私利私欲、人間の概念を超越する言霊として、何にでも「ありがとう」は魔法の言葉である。ただし「心からのありがとう」でなければダメ。本当は・・・なのだけど、無理やりに「ありがとう」と念じる場合(言い訳、正当化、妥協、ごまかし、逃避などが目的)、ありがとうの裏にある潜在意識(本当は・・・の内容)に誘導されてしまうことになる。これこそが人間の使う言霊の問題点。神はこれを嫌うから、要注意。

 

理想を言えば、世界は慈愛の言葉で満ち溢れ、悪い言葉は使わないでも済むこと。また、先述した通り、人々を感化する人たちがいらっしゃる。売名や承認欲求も無く、ただの良心(善意)だとおっしゃるから、無名の一般人であることも多い。途上国に対する、損得勘定や打算の無い人道的な付き合い(民間外交)は、言葉を越えて相手に伝わる。言語と行動の両方に慈愛の心が伴えば最強である。これこそが日本の偉大な霊性なのだ。この霊性は無限であり、世界を覆えば、平和が実現できる。

ちなみに、日本神道ではこれに似た知恵を継承している。神社や神棚にお参りする際に 唱える言葉がそうである。「祓(はら)え給(たま)い、清め給(たま)え、神(かむ)ながら守り給(たま)い、幸(さきわ)え給(たま)え」(お祓いください、お清めください、神さまのお力により、お守りください、幸せにしてください)と唱える習慣がある。世界中の原始信仰には似た概念がある。念仏や聖書系の呪文も主旨は偉大な叡智と存在に対する畏敬の念である。それぞれ、日常的に使えるように簡素化した内容であるが、それらは日本語ではなく外来語の訳文であるから、日本人には馴染みにくい。自分に身近で心のこもった呪文を作った方が良い。できれば能動的な文言の方が霊的効果が強くなる。上記の呪文なら「私は神と共に祓う、清める、守る(戦う)!」と言うべき。

 

これらの呪法は使った直後から効力を発揮する。お試しあれ。反対に、神の意に反した邪悪で自分勝手な呪法は自分をも滅ぼす(返って来る)。呪術師が個人を呪う商売などがそう。映画や漫画の呪術はフィクションであり、取り扱いを間違えると災いを呼ぶ。

 

 

私は言語畑の仕事をして来たけれど、性善説的な文明を持っていた民族には他人を傷つける言葉が少ない。日本語もその一つ。誰かを罵倒する時のバリエーションが少ない。しかも、直接攻撃するような内容は少なく、笑ってしまうようなものも多い。海外では「お前のお母さんを○○してやる」みたいな露骨な表現を使うのに、日本は「お前の母ちゃん出ベソ」なのだ。この様な精神性は街中でも違いとなって表れる。女性同士でも髪の毛をつかみ合って、殴る蹴るの暴行を加える外国人をよく見たけれど、日本では非常に少ない。道徳観念が衰退してきた現在でも、比較して少ない。その反面、色彩や味覚、匂いなどの五感に関する形容表現はとても豊富なのだ。行間を読む力、雰囲気や空気を感じ取る感性などが突出している。これこそが日本独特の霊性である。

 

これは、教養や文化レベルとも関連がある。下品な家庭(国、民族)ほど悪口をよく知っている。これはそれらの悪い言霊を日常的に使っているから、その悪影響を受けて、下品な状態になっているのである。下品で邪悪な言葉を発してしまうような精神性に問題がある。だから、言葉だけではなく態度や行為、全てに邪悪な発想が反映されてしまう。これが古代の穢多非人(エタヒニン)などの差別の由来である。同様の概念は世界中に存在する。学者たちは「汚い穢れた仕事をさせられた奴隷みたいな人々」「汚い作業に従事していたから差別された」と解釈をするけれど違う。因果関係が反対。悪循環から出られず、出ることを拒否した人たちが自ら選んだ道なのである。今でいう、スラムの犯罪者や半グレ、チンピラの類である。社会復帰するチャンスがありながら、霊性(品性)が下劣なために害毒となる存在。霊性がある人は劣悪な環境にいて、トイレ掃除、汚物処理、嫌われる仕事をしても魂は決して穢れない。そればかりか、むしろ汚い事象を肥やしとして魂を磨く。

 

古代文明や先住民族の文化には同様の認識があった。この気付きこそが清く平和な霊性の自己防衛力(免疫力)であった。これがあると侵略者は侵入することが困難。だから、これを壊すために「個人優先主義」「人間の権利」「民主主義」などの大義名分となる概念を生み出した。人権、自由などはそこから生まれた代表例。これらの概念が自然の摂理よりも上にあると教えるのだ。そして、みんなより自分。この欺瞞を持ち込んだのが侵略勢力。同時に、欺瞞を隠すために美味しいエサを使う。それが豪華な生活、物質欲を煽る素敵な物たち。動物は餌がもらえればその人間の人間性は問わない。むしろ、エサをくれる人に懐く。エサのためならその人の命令や方法に従うようになる。エサがもっと欲しいなら、国やみんなの事より、あなたの幸せが大事です。自分の権利や欲望に忠実になりなさい。美味しいエサをどんどん食べられるようになることが幸福なんですよ~、言うことを聞けばいくらでも美味しいエサをあげますからね~!餌をくれる人が善い人なのです。エサをより多くもらえる人が善い人間なのです。だから、みんなもより多くのエサを与え、もらえる人間になりましょう!と調教するのである。そして、そのエサの中には依存性の強い麻薬が混ざっているのだ。これにより、人間は物質を追求し、その為には自然の摂理(ルール)も無視して自分たちの権利を主張する存在となってしまう。集合した霊性がバラバラに分断された(個人主義)結果、霊性と知恵は失なわれ、自己防衛力は崩壊するから、侵略が容易となる。

 

日本は古代に同様の逆転現象を被っている。自然と調和して生きて来た古代の精神文明に物質至上主義の思想が侵入し、それに毒された結果、平和な時代から侵略者による戦乱(権力争い)の世の中に変わってしまった。土地や自然資源を所有し、取引に利用するようになった。これが貴族の荘園制や武士の作った恩賞制度。こうして領土拡張のための戦乱が常習化することになった。江戸以前の武士は暴力団と同じような存在であるから、そこに正義や良心は無い。ほぼ全て、自分たちの欲望のための謀略戦争である。


この悪循環を実感していた戦国大名たちの中から、少しずつ国家を統一して天下泰平を望む発想が生まれた。著名な武将は救いのない乱世から神仏に救いを求めた。その成果が江戸時代であったのだ。悲しく、残酷な歴史を経てようやくたどり着いた境地であった。その歴史と教訓を知っているからこそ、我慢、調和、愛国心などの精神文明が生まれる。ところが、時代が経ちその存在意義を忘れてしまうと、平和ボケとなる。そこで、江戸末期になり、日本の平和ボケを知った侵略者はそこにつけ込み、無知だけれど勢いだけはある若者(未熟者)を操って侵入を企んだ。文化人や有識者はその謀略に気付くから、無知で洗脳(西洋化)しやすい若者を選ぶ。お金と武器を与えて、邪魔者を消すのだ。幕末、515事件、226事件などでは無知な若者により優秀な人材を多数失っている。西洋の植民地化に対抗するアジア団結の要であった犬養氏は残念であった。海外で言えば、中東の平和に奔走していたラビン首相(イスラエル)の暗殺もそうである。その後は紛争が絶えることは無い。今でも政変やクーデターには同じ謀略が用いられるので要注意。貴重な頭脳や人材が瞬時に失われてしまう。

 

これは人間という生き物が持つ業(特徴)だと言える。神仏に対する畏敬の念と霊的教育が失われると、物質や権力に対する欲望が復活するのだ。これに加担するのが、精神性よりも物や金銭を優先して取り扱う人間たち。掟を破った闇の取引の方が儲かると豪語するような商人は多い。だから、古い信仰では商人(経済人、起業家)などを平和な社会を破壊する危険な存在だとして、政治には関与させないようにしていたのである。これが逆転して生まれたのが、西洋の金融システムである。それまで虐げられてきた商人たちはお金(物)の力で王侯貴族族、国家に干渉することができるようになった。婚姻関係を結んで、政界に侵入するようになる。そこで、金銭を専門的に管理するようになり、財務部門が誕生する。婚姻と商売の関係を国際的に拡大したものが国際金融資本である。今の銀行などの金融業界の元をたどれば、全部これに始まる。日本は明治から本格的に始まった。これによって連中は武力を使わずに、静かに侵入することが可能となったのだ。為替、株式、不動産購入、移民、移住は武力を使わない侵略の一形態なのである。これに気付かない国はグローバル化によって滅亡する。

原始時代から行われていた物資の輸送や交易と現代の商売は共通する要素があるけれど、違う。神が嫌う商売とは、限りない物欲を煽り、都合の良い法律とシステムを作り、個人的に蓄財をする思想である。職人も、労働者も、働いたエネルギーに対して同じ利益率であれば、大富豪は存在しない。そこに搾取(ぼったくり)の小細工をするから蓄財できるのである。つまり、収益全体を関係者全員に公平に分配せず、特定の人間だけが勝手な分配率を決めて配分しているのである。


また、非常時に商品の値上げをするけれど、事件が落ち着いても一度値上げしたものを値下げをする人は少ない。飲食業界、旅行業界はコロナ時に値上げをしたままではないか?落ち着いたのにどうして値段を戻さないのだ?最近の中東危機による変動も同じこと。リスクを見込んで先行値上げをしたけれど、危機が回避されつつあるのに、値段はそのままにするつもりなのか?

例えば、築地周辺の海鮮物の価格は驚くべき値段である。庶民や子供の大好きなラーメンの価格も高額な店が増えて来た。高速道路のPAにある飲食類の値段は異常である。インバウンド狙いなら外国人と国民の二重価格設定をするべき。外国人のお金目当てで国民をないがしろにするのは売国経営者(企業)である。日本の寿司人気を狙ったC国系の寿司店なども増えている。弱みにつけ込んで暴利を貪るような店は利用しないようにして、潰すのだ!良心を保っている個人店舗を利用し、過剰なグルメを扇動する有名店舗(大資本)は淘汰するのだ。これにより、後継者不足で悩む街の食堂は存続が可能となる。

給与や物価についても言える。右肩上がりで物価や所得が比例して上昇すると言うのは経済学者の作った理論(洗脳)。効率化、公平化が進めば、右肩下がりになるはず。物価が安くなっても、給与は下げたくない、利益はその分搾取したい、という心が問題なのである。損失を責任転嫁や誤魔化す人たちもいる。大震災後の電力会社はまだ復興も完了していないのだから、関係者の給与は完了するまで上げるべきではない。役員の退職金などもカットして復興の補償に回すべきだろう。国民が忘れたことにつけ込み、知らんふりをして一般企業と同じ待遇に戻している。ずさんな危機管理の責任はどこに行った?あなた達は一生償うべきなのである。これはコロナワクチン関係者にも言えること。眼鏡のワクチン大臣や自称専門家たちの責任と後遺症問題を忘れてはならない。被害者にとって時効は無い。

 

マスコミが庶民の恐怖心を煽り、便乗値上げが横行している。これは全て商人(財界)によるマヤカシなのである。このマヤカシに気付いて、生まれたのが共産主義のアイディアであった。そこまでは神(自然の摂理)に沿った発想であったから、当初は民衆の支持を受けたのだ。ところが、途中で人間は傲慢となり、自分達が神仏より優れていると勘違いをした。私利私欲に走り、霊性(神、宇宙、自然)を無視し始めたところから、道を誤った。たかが人間レベルのアイディアに自己陶酔してしまい、人間の醜さ、貪欲さ、狡猾さなどを見誤ったから、結局はミイラ取りがミイラになり、腐敗(専制)して崩壊する。これらの人間の持つ醜く汚い心は魂を汚染し、霊性を弱体化させてしまうことになる。


日本には自然(神)を忘れない人たちがいたことにより、近代まで精神文明(自然と性善説社会)を何とか保って来たけれど、とても危険な状態となっている。起死回生のカギは、民が目覚めること。知恵を知ることである。知恵の目覚めは如何なる権力者も止めることはできない。私に授けられた神の啓示によると、人類(世界)滅亡の危機を回避する方法がこれである。私は日本人なので日本語で伝導しているけれど、神のメッセージは全人類に向けて発信されている。これは日本だけではなく、全世界に通用する方法なのだ。邪悪なシステムに制御されている社会は癌の末期症状と同じ。投薬や部分治療はもはや効かない。考えてみれば良い。どこに全世界を統一できる聖人がいるのか?全人類が賛同する社会システムや哲学、思想があるか?

 

そんなもの、存在しないのだ。

 

今の権威(学歴、業績)は間違った人間社会から生まれたものであるから、それらの教えは当然最初から歪んでいる。何をしても、それらの社会権力構造に依存している支配者や権威(権力)に干渉、妨害され、革命家や思想家は消される。指導者を潰せば革命がとん挫することを知っているからだ。蛇の頭を潰せば、動かなくなるという例えもある。これらを防ぐためには頭を潰されても胴体自身が思考能力を持ち自立する存在になれば良い。単細胞生物の様に、切り刻まれても、それぞれが再生して増殖する。つまり、民衆が自分自身で神と直結し、神の叡智により、個々の細胞(我々一人一人)が自立した存在となるのだ。細胞全てが頭脳となれば、敵は潰すべき「頭」を見失う。洗脳された脳ミソと癌細胞に蝕まれた身体システム(腐敗した社会構造)から離れ、覚醒する。覚醒した細胞は癌細胞を認識し、自己免疫力(神の叡智)により癌細胞をそれぞれの場所で淘汰し始める。部分から始まった淘汰が全身に広がり、人間の不自然に発達(汚染)した脳ミソに逆指令を与え、浄化するのである。


その為に、全人類を間違った脳ミソのコントロールシステムから離脱させ、覚醒させることが私の宿命なのだ。

 

PS:その他、委員会に関するより具体的詳細はこちらの動画をご参照のこと。

 

その他、関連した話を以前にしたことがある。長いので、ご関心のある方はご参照されたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2026年7月3日朝、チベット独立運動家のランゼン・ロガ氏は、アメリカ・ニューヨークの国連本部前で焼身抗議を行い、中国政府の弾圧政策に抗議した。

 

 大手メディアはなぜか報道をしない。いわゆるC国に対する忖度なのか?マスコミ人としての気概も存在意義も感じないのだろうか?C国やK国から文句を言われると、すぐに報道するくせに、批判的な内容は控えているように見えて、非常に気持ちが悪い。あなた達はどこの国のマスメディアなのだ?誰のために報道しているのだ?

かねてより、チベットを取材し、チベットに関する映画「ルンタ」もお作りになった日本人監督さんが今回の事件に関して投稿なさっている。

 

池谷薫さんの投稿(フェイスブック)

 チベットの焼身抗議が5年ぶりに起きてしまった。しかも今度はニューヨークの国連本部前である。焼身したのは52歳のラグバ・ランゼンさん。チベットの独立を訴え、自身の激烈な行為をライブ配信したという。いつものことだが日本のメディアは何も報じない。これで焼身者は2009年以来、チベット内外合わせて166名になった。

 

僕は「ルンタ」という映画でこの焼身抗議と向き合った。だが、その是非を問うつもりはまったくない。当たり前のことだが、焼身など一日も早くなくなってほしい。

ただ、これだけは知ってほしい。いまチベットでは平和的なデモを行っただけで捕まり、監獄に送られ、言葉にできぬような拷問で死ぬことがある。2009年以降、拷問死の数は150名を超えている。人を人と思わない、まるで中世のような暗黒が現代のチベットに存在するのだ。

ダライ・ラマは言う。すべて原因があって結果がある、と。仏教でいう因果。焼身抗議は原因がなくならない限りつづく。その原因とは中国政府のチベットへの迫害に他ならない。

どうか皆さん、焼身という衝撃的な事実の前で思考停止しないでほしい。重い現実から目をそらさないでほしい。焼身者は、世界にチベットの現状を知らせるために自らに火を放っているのだから。

下記は映画「ルンタ」のなかで紹介した焼身者の遺書である。共通するのは利他の心。己のためとは言わず、世界平和を訴えている。

 

 

チュパック・キャプ(25歳・男性)とソナム(24歳・男性)遊牧民

チベット人は独自の宗教と文化を持ち、他の民族と区別される。その特徴は、愛と慈悲を持ち、他の人々の幸せのために尽くせという教えにある。しかし、今、チベットの人々は中国の侵略を受け、弾圧されている。基本的人権を奪われ、苦しみの中にある。チベットが自由を取り戻すため、世界平和のために、私たちは焼身する。自由を奪われたチベット人たちの苦しみは、私たちの焼身の苦しみよりも余程大きい。

恩ある両親よ、家族、兄弟たちよ、私たちはあなた方に愛を感じてないとか、別れたいというのではない。また、自分たちの命を軽んじているのでもない。私たちは2人とも正気で、真っ当な心と思考の下に、チベットが自由を取り戻すために、仏教が栄えること、有情の幸福と、世界平和を願い焼身するのだ。

故にどうか、私たちの最後の願いに従ってほしい。私たちが中国の手に落ちても、何もしないこと。自分たちのために1人のチベット人も傷つかないというのが願いだ。

 

リキョ(36歳・女性)遊牧民

世界に平和と幸福がもたらされますように。ダライ・ラマ法王がチベットにお戻りになることができるよう、屠殺や肉を売ることを慎もう。盗みをなさず、チベット語を話し、争いをやめよう。

生きとし生けるものすべての苦しみを私は引き受ける。私が生きて中国の手に落ちても争わないでほしい。団結し、チベットの文化を学んでほしい。火に我が身を焼く。家族よ、悲しまないでほしい。

 

グドゥップ(43歳・男性)作家

ダライ・ラマ法王は非暴力による中道路線を提唱され、名実ともなる自治獲得に努力されている。そして、600万チベット人はこの法王のお言葉を頭上に掲げ、長期にわたり希望を共にして来た。しかし、中国政府はこの提案に興味を示し賛同するどころか、チベット人の福祉を語るだけでもその者を逮捕し、非常な拷問を与え、ダライ・ラマ法王を非難せず、チベットが中国の一部であると認めない者を暗殺したり、失踪させたりする。チベット人の幸福にはまったく興味を保たず、真の現状を隠し続ける。我々は非暴力の闘いをさらに研ぎすまし、チベットの真の現状を知らしめ、証拠を示すために、自らの身を火に捧げ、チベット独立を叫ぶ。

虚空に有られる神々よ、チベットを照覧あれ、母なる大地よ、悲愛とともにチベットを見守られよ。地上にある世界の全てよ、真実に注目されよ。清らかであった雪の国は赤い血に染まり、非情な軍隊により覆われ、絶え間ない弾圧の下にある。しかし、勇敢にして挫ける事のない雪の子供たちは、智慧の弓を引き、命の矢を放ち、真実の闘いに勝利するであろう。(投稿文転載)

 

  私も過去にこの問題をフェイスブックで投稿していたけれど、旧アカウントはロックされており、見ることができない。
 

自己犠牲の精神は各地の自爆テロ行為や戦時中の特攻隊精神にも共通するけれど、彼らの気高さは他者を巻き込まないこと。この仏教的な発想から生まれる境地はとてつもなく偉大。一切の責任を背負いながら覚悟を訴える日本の切腹にも似ている。魂が震える。しかし、日本人同士であれば当事者の切腹で伝わる精神は侵略者(害国人)には通用しないのである。

(産経新聞)

 

ちなみに、私の恩師は中東問題の自爆テロを「貧しく、抵抗する術を持たない人たちの最終的抗議手段」と考え、家族のために自己犠牲を強行した戦時中の特攻隊の存在と結びつけた。当然、恐怖や不本意な感情もあるに違いないが、自分の事より家族や国を優先したのである。これは仏教の「滅私利他」と同じである。チベットの焼身抗議をなさった方たちの遺言とも共通する。私は今でもその通りだと思うけれど、当時の大手メディアは寄ってたかって、日本軍国主義とテロ行為の正当化だとして非難した。先生が論じたのは是非の問題ではなく、その行為の背後にある因果関係と精神性について言及したのであった。この様に悲しくやるせない行為を正当化するわけがない。まだ、自分は学生でもあり、新聞記者や評論家には敬意を持っていたつもりだったけれど、その時の違和感と不信感は今のマスコミで現実化している。情けないことだ。

 

自分達が鞭打たれ、死のうとも、なお平和を求める崇高な精神。インドにも似た様な方がいらっしゃった。しかし、現実(その結果)はどうだ?

 

地球上に存在した平和を愛する性善説の先住民族たちはこうして滅ぼされて来た。侵略者は崇高な思想など気にせず、これ幸いとばかりにつけ込むのが現実世界。友人の振りをして近寄り、隙があると、徐々に侵食し始める。その後は移住や占拠で既成事実を作り、権利を主張するようになる。「庇を貸して母屋を盗られる」と言うことわざがあるけれど、これは最近の移民問題にも通じる。善人(お人好し)はいつの時代もつけ込まれることが多い。相手が気付いて改めてくれるという性善説的な希望は通用しない。だから、気付いた時には手遅れとなる。

知識人や指導者を排除しながら、中枢にいる人員を総入れ替えする。幸いに法王は国外避難できたけれど、その他の幹部は全て粛清されてしまった。そして、自分たちに都合がよい新しい指導者(法王)を作った。知識のない一般庶民は現世利益(目先の損得勘定)に流され易いから、暴力(軍事力)とお金で比較的簡単に洗脳することができる。物欲と名誉欲に目がない商人と政治屋を利用すれば、傀儡政権を作ることはそう難しくない。民族的な純潔を破壊するために、漢民族の入植を奨励し、異民族婚姻により混血化を進める。基礎教育から洗脳し、伝統的な思想や価値観、精神、言語を奪い、隷属させる。それによって、従順で、お金(損得勘定)によってどうにでも操作できる民衆と傀儡政権が出来上がるのだ。対外的にはあたかも主権を持たせているように装うけれど、実際にはない。

これは近代の日本がされて来たことと同じ。明治、戦後に害国勢力により価値観や文化が徐々に変えられてきた。連中は自分達が暮らしやすい環境を整備するために、自分たちの価値観を押し付けてきた。外敵を排除して来た日本の思想(自己免疫力)が邪魔になる為、それに対する抗議の声は洗脳教育、武力とお金で抑えこむのだ。その言い訳(隠れ蓑)は経済成長、豊かになった(物質)、便利になった、国際化、グローバリズム、リベラリズム・・・など。これによって、日本を自分たちに都合がよい基準に合わせさせる。そうして、外資や移民に有利な条件を整えて来た。日本にはいまだに植民地状態で主権がないのだ。国際学界では周知の事実であるが、洗脳されている国民には知らない人が多い。侵略者の方法は大体どこでも似た様なものである。

国連本部前での自己犠牲は、もはや国内では不可能なため、外に助け(抑止)を求めているのである。このことは、すでに彼ら自身の力だけ(国内)では何もできないことの証拠である。ネットを含めたあらゆる情報と生活までが、個人情報としてデーターベース化され、AIによる監視下に置かれてしまっている。焼身抗議も国内のものは全て情報統制されるから、国際社会に知られることはない。だから、敢えてNYの国連本部と言う場所を選んだのである。


国際組織やインターネットが無かった時代の先住民文化は外に助けを求めることもできないまま、ことごとく侵略された。時間が経てばいつか将来子孫の誰かが何とかしてくれる・・・などと考えるのは妄想である。侵略者は民族や言語、文化までを滅ぼす。そうなると、その文明が存在していた事すら忘れられてしまう。残るのは破壊を免れた考古学的な遺物のみ。そうなってから、文明を復興できるはずもない。しかし、信じられないことに、文明が進んだ現在において、それを同じ時代錯誤の蛮行をしているのがC国なのである。これはチベットだけではなくウイグルにも行われている。両者は宗教(思想)が異なる為、対応が異なるが、やっている内容は同じ。しかし、仏教信徒であるチベット人は非暴力主義であるが、イスラム教徒は反対に暴力もいとわないところが違う。そこで、共産党はチベットの教訓を踏まえ、ウィグルでは圧倒的な武力とネットによる言論統制、漢民族の移住&混血などを徹底的に行っているのである。

チベットの侵略された歴史に関する日本語の動画があったけれど、見つからなくなっているので、英語のサイトを紹介しておく。

 

英語だけれど、詳しく解説されている。西洋の植民地化と同様に、友好や好意を大義名分に近づき、徐々に内部に侵攻する様子がわかる。チベットの軍隊は仏法を守るための警備兵的な規模と装備しかなかったので、武力侵攻には役不足であった。また、殺生を禁ずる仏法を学んだ人間は戦争に全く向いていないのである。これは戦時中の日本人も同じであり、戦うために無理やり「鬼」とならざるを得なかったのである。鬼となる為のきっかけが家族、友人、故郷、国への愛なのだ。それを守る為だと自分に言い聞かせて、自分の良心をごまかし、無理やりに戦ったのである。この精神的な葛藤と勇気は世界中の紛争にも存在する。一旦戦争が起きたら兵士はそうならなければ生存できない。

 

話し合いで解決するべきだという意見があるけれど、チベット人こそ、世界で最も争いを好まず、話し合いで解決する態度を今でも貫いている人々である。その彼らでさえ、半世紀も話し合いを続けて来たけれど、一向に侵略の手は止まらない。そればかりか、悪化の一途である。しかも魔の手はウィグルにも伸びている。抵抗した者は武力で制圧(虐殺、拷問)される。天安門の民主化運動の時のように、戦車の前に立ちはだかっても踏みつぶされるだけである。

これが現実である!現実を見ず「戦争反対!」だけを唱えている日本の平和ボケリベラリストたちは認識を改めるべき。戦争賛成の人などいない。反対など当たり前である。だから、そうならないための方法を歴史から学ぶのだ。

この状況、迫害されている人たちを見て、それでも「話し合いで何とかなる」なるなどと言えるものなのか?人間の良心や善意を平気で裏切るのが侵略者であるという現実を理解しなければならない。それについてもチベットの教訓がある。

共産党は抵抗を続けるチベットの指導者であるダライ・ラマ法王と話し合いをしたいということで、歓迎のためのパーティーに招待した。ところが、それは法王を拘束するための罠であるという警告があったので、法王は前日の夜中に宮殿を抜け出して国外に逃亡することにした。共産党軍の監視をすり抜け、山を越えて国外に逃げることができた。後に、インド政府が法王の亡命を認めたので、チベットの魂(法王)は海外で生存することができている。

一方で、中共は勝手に別の法王を任命した。その傀儡政権でチベットを統制するつもりなのであるが、チベット仏教の輪廻転生による正当な継承者ではない。

 

英語の動画では14分くらいからその説明がある。

ダライ・ラマ法王が逃げた後で、中共の謀略が明らかになった。実際に共産党はパーティー会場に兵隊を潜ませて拘束するつもりであったけれど、現れないので宮殿に押しかけたことが暴露されたのだ。当時は朝鮮戦争も勃発しており、国際社会はチベットに対する中共の侵攻を黙認していた。ダライ・ラマ法王が毛沢東の魔の手から無事に逃げることができたのは、やはり仏縁とそれにつながる善良な人々のお陰である。

私がチベット問題を取り上げるのは、性善説で平和ボケした日本の将来にも共通する問題を感じるからである。教義による不殺生、非暴力のチベットに対して、日本の平和ボケは単なる無知と逃げであるところが、更に深刻なのだ。おそらく、今の日本に焼身抗議などできる人間は極少数。いざとなった時、リベラリストはまず逃げる。私は可能だが、一応「鬼」の端くれであるから、方法が異なる。

 

崇高な精神性を理解できるほど人類全体が成熟すれば、戦争(武力、暴力)は自然消滅するであろうが、それには時間が必要。その前の段階において、正義や理想論(口先だけの武力否定)だけでは、侵略を防ぐことはできない。だから、その様な状況になる前の抑止力(戦わずして守る知恵と力)が必要なのである。私がかねてより強調する「鬼」の意義である。抑止力は単純な武力とは限らない。政治的、経済的圧力も含む。それらを総合した力が現実的な抑止力となる。

 

友たちよ、負けるな!

 

本来はマスコミが追及するべき内容
 
もはやその能力と気概が失われているので、この様に積極性と信念を持つ人たちがいなければ国は腐敗して滅びる。海外のマスコミ人は権力とは癒着しないことが誇り。飲食などの接待には応じないし、個人的な付き合いは避ける。
 
ところが、日本のマスコミは権力と癒着して、飲食などを共にし、「情」や「人間関係」でおこぼれ情報にあずかろうと言う発想なのだ。しかしこれは、オフレコだったはずの情報が洩れると言う、信頼関係をも裏切る取材方法ともなるので、本来の日本人伝統の美徳精神を持つ人間であれば、避けるはずなのだ。避けると、忖度になるから、客観的な報道はできない。また、権威側も、最初からマスコミ人を信用しなくなるはず。
私もマスコミ論を学んだことがあるけれど、この点は昔から疑問であり、欧米のマスコミの在り方こそが「ペンは剣よりも強し」の態度だと思う。日本も当初はそうであったけれど、戦時中の言論統制と戦後のプレスコードにより、この基本が崩れてしまっている。戦後は米国批判は禁止、愛国表現や天皇(神道)を崇拝するような記述は禁止されていたけれど、80年を経た今でもまだ売国政府から圧力を受けているわけだ。その圧力により操作された偏向報道が多い。これではマスメディアの中立性が保てない。国家権力や要人の圧力にも屈しない海外メディアを見習うべきである。
私は動画を紹介する場合、その内容を基準とするので、動画の製作者や関係者のしがらみなどは一切関知しない。その代わり、製作者の意図的な偏向主張(プロパガンダ)なども、考慮するから、内容がその影響を受けている場合には、紹介することはない。あくまでも客観的で、参考になる情報の場合のみのつもりである。
 
今回の動画はそれに該当する。製作者や登場する人物はそれぞれ独特の言論と主張をお持ちの方たちであるけれど、とても有意義な内容だと思う。
 
異常な社会を治すためには「毒を以て毒を制す」的な言動となるから、過激な政治活動家に見えることもあるけれど、この方たちが日本の闇を炙り出すことに貢献していることは間違いない。彼らの言動はネットで炎上することも多いけれど、それこそ真実と闇を「炙り出す炎」なのだと思う。
 
愚民にありがちなのは、1で10を否定するような極端な見方。優秀な政治家や思想家を、デマやゴシップの影響を受けて、最初から全否定する人が多い。しかし、不慮による事件の可能性もあるわけだから、その因果関係を知らなければ、正確な判断はできないはず。よくありがちなのが、異性問題、家庭内問題、税金、献金、交友関係などの噂で判断してしまう。人間性や思想はその人の清濁双方の経験の集積である。清らかで平和な環境で育った善い人は平和ボケとなりがちで、リスク管理や対外交渉にには役不足であることが多い。悪事の知識と経験もあり、性格がきつく、人を疑うタイプの人間の方がリスク管理には向いている。両方を同時にバランス良く出来る人などほとんどいない。だから「適材適所」と言う考えがあるわけだ。
 
世間体を気にして仮面夫婦や円満な家庭を装う人は意外に多い。人々を教える立場の教師の家庭内が滅茶滅茶だと言う話もある。人を救う司法関係者や弁護士、高名な学者などが家庭内では傍若無人の専制君主である話も聞く。しかし、そういう環境だから反面教師として物事を客観的に分析できるという皮肉な構造もある。
 
その反対に、注目されるためにあえて過剰な言論や演技をする場合もある。また、普段は冷静沈着で感情的にならないけれど、わかりやすく単刀直入な説明をすると、過激だと受け取られてしまう人もいる。
 
この様に他者の見た印象と内実は異なることが多い。つまり、そんなところまでわれわれ人間が見抜くことは難しく、部分的な情報だけで全否定することは、不合理。折角の良い情報までを見逃してしまうことになる。これらのバランスを整えて、できるだけ客観的公平な報道をするのが本来のマスコミの役割であったのだ。しかし、今やマスコミではなくて「マスごみ」である。我々はネットの意義を最大限に活用し、本当のマスコミを構築するべきだと思う。

6月23日は沖縄慰霊の日 Xより転載

【沖縄戦】お時間のある時に読んで下さい。 私の亡くなった祖母の話しです。 昭和20年沖縄戦のさなか、 毎日降り注ぐ爆弾や銃撃から逃れるため、 山の中腹にある壕に身を潜めていました。 しかし山の中には食料も水もありません。 激しい攻撃の中、それを取りに里へ降りることは死を意味しました。 夜になると目の前の伊江島が赤く燃えていました。 でも、激しい攻撃が止む時がありました。 それは遠く日本本土から特攻機が飛んできた時です。 特攻機が飛来したとき、米軍の艦の砲は特攻機を撃ち落とすために空を向きました。 米兵も生き残るために必死でした。 その僅かな時間に人々は山を降り、芋の茎や水を採りに行けたのです。 海の方を見ると、日本の飛行機が米軍の攻撃を受け、次々に火を吹いて海に堕ちていくのが見えたそうです。 人々はその特攻機を見て涙を流しました。 そしてこう祈りました。 「もう来なくていい、来なくていいんだよ」 その言葉は邪魔だとか、無駄だからという意味ではありませんでした。 「どうせ私たちは死んでしまう、だからあなたたちはここに来ることなく生きてほしい」 そう願いながら堕ちていく特攻機に手を合わせていたのです。

戦後、仏壇の上に大切に飾られていた 一枚の写真があります。 それは天皇皇后両陛下の御真影でした。 「この人だれ?」と尋ねた幼少の私に 「この人は日本で1番偉い人なんだよ」 と笑顔で教えてくれたのです。 沖縄の新聞や平和教育では、 沖縄は捨て石だったとか、 軍は住民を守らないとか、 特攻隊は犬死にだったとか 平気で生徒に吹き込みます。 でもあの激しい戦いの最中、 明日をも知れぬ命を繋いでいた 人々に生きる希望と術を与えた のは日の丸を背負った特攻機であったことは事実です。

戦争という混乱の中では様々な事が起こりました。 事実は決して一つではありません。 皇軍兵士に酷い目に遭わされた方もいます。 命を奪われた方もいるでしょう。 でもそれが全てではありません。 火だるまになり堕ちていく特攻機に 手を合わせ涙した人々がいました。 兵士から食料を貰った人もいたでしょう。 戦争での事実は一つではないのです。 自分たちの歴史観にそぐわない者は 謝罪しても何をしても許さない。 そんな極端で排他的な人々が 教育界やメディアを牛耳っています。

平和とは何でしょうか? 戦争は悲惨だ、死屍累々だ、 全ては日本軍のせいだと 偏った思考を植え付け、 沖縄を殊更被害者扱いし、 日本軍🟰本土と置き換え 本土の方々に贖罪意識を植え付け 沖縄県民を卑屈にさせて本土との 分断を図るのが平和教育でしょうか? 相手を論破するのに汲々とするのではなく、 相手の主張を認めながら 別の事実もあったのだということを 後世に伝えていけたらと思います。

出典元:https://x.com/fm21wannuumui/status/1929479797203476794?s=46&t=O1BVnA-NDtplZK5yKKuAOw

私の身の回りの友人知人たちには沖縄好きが多いけれど、その過半数はリゾート地としての沖縄が好き。綺麗な海、南国の大自然、沖縄民謡、沖縄文化、沖縄グルメなどが主な内容。歴史や文化(信仰)の深い話をする人は極一部。沖縄の現地人にもその傾向が見られるようになって来ている。現世利益的な目先の損得勘定だけを考えるようになる。そうすると、利権を狙った様々な勢力が入り込んでしまう。だから「沖縄独立」の様な発想も出てくるわけだ。太平洋に出る時に、日本が邪魔でしようがないのはC国である。

 

これは人間が作った地政学的な発想であり、神国日本の霊性とは無関係な話。霊性で見れば、沖縄は古代日本からつながっていることが実感できる。

(Wedge online)


 沖縄は地理的に日本と大陸の中間地点にある為、外交や貿易は自衛のための特殊な形態と歴史がある。しかし、霊性は明らかに日本の古代からのものである。私は滞在し、車を運転していると、しない方向に導かれるけれど、その先には観光地図にも書かれていないような御嶽(聖地)がある。つまり、私の感じる神様と同じ霊性をお持ちの存在なのだ。現地では本来は女性のみが立ち入りを許されるのが基本だと聞いているから、毎回、霊にご挨拶をして、「私は男だけれど、お邪魔しても良いのか」とお尋ねしている。拒否をされたことはない。

 そして、霊性は外見や表面的な演技ではごまかせないことがよくわかる。それは、沖縄は歴史と裏腹に深くアメリカナイズされている人が多い。特に米軍相手に発展して来た飲食業、芸能界に多い。沖縄民族らしい容姿で、紅型の衣装を着て、沖縄民謡を歌うけれど、それはお金のため、人気のためであることが多い。今は著名なミュージシャンも元々はロカビリなどにハマっていた人が多い。単に現地で生まれ育ったからそれなりの影響を受けているけれど、中身の精神性は違う。今でも現地では圧倒的に洋楽が盛ん。それを知らず、沖縄に過剰な文化性や憧れを抱くのは本土人が多い気がする。

(沖縄タイムズプラス)


 アメリカナイズは日本の霊性の衰退と同義語であると言ってよい。これは自国の精神文明を害する者に対する自己免疫力の喪失を意味するから、大陸などの認知戦(謀略)にも弱い。そうなった人々が節操のない分断独立をする可能性は非常に大きいと思う。

 アメリカナイズされて、戦後の自虐史観教育を受けた現地人も戦争遺跡は嫌い、見学に来る人は少ないらしい。

 観光で時間がないけれど、少しでも身近に体感でき、アクセスがし易い遺跡としてはこの二つがお勧め。

旧海軍司令部壕。都市の地下に立てこもり、非業の死を遂げたことが実感できる空間になっている。
https://kaigungou.ocvb.or.jp/


ひめゆりの塔。逃げ場を失った無垢な女子学生たちの無念の思い出が保存されている。
https://www.himeyuri.or.jp/

その他にも遺跡は数多い。

沖縄戦争遺産一覧
https://sensekisyokai.com/

戦前からの歴史遺跡
https://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/23/23143/17011_1_%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E9%81%BA%E8%B7%A1.pdf

海やショッピング、グルメばかりではなく、これらの地を訪れることをお勧めする。魂の肥やしになる。
 

 

 
 
最近は本当に日本の事を考えていらっしゃる人が増えて、とても嬉しい。昔から潜在していたけれど、プレスコードやら公職追放などの脅迫で表に出ることが難しかった。私はいかなる勢力や組織にも属さないけれど、この様な世界(日本)の変化は大歓迎である。ネットにはクズ情報も多いけれど、良い内容も少なくない。
海外(国際)事情が分からず、国内の恵まれた平和な環境で生まれ育った平和ボケ日本人たちにはこういう発想ができない。本当に善い人たちが多いけれど、汚いものに対する免疫がない。
なぜなら、育ちが良いから、下品で邪悪な事が思い浮かばないのである。だから、自分達が上手く誘導されて利用されている事にも気付けない。

 

でも、リスク管理はその反対。こういう事を言うと善い人たちに嫌われることは重々承知のジレンマだけれど、敢えて言う。日本は守る。

 

今の日本は戦後体制の悪影響により重篤な病人と同じ、大手術が必要。しかし根が深いから、非常に治療が難しい。精神障害(思想的問題)などの場合、複数の原因がある。その治療の際には、一度にすべての内容を指摘しても、ストレスになるだけで改善しない。だから、先ず身近で優先順位の高いものから治していく。治療方法は色々あるけれど、考えるばかり(議論)では病状が進行してしまう。一度に色々言われると患者本人は脳ミソがパンクしてしまい、更に病状が悪化することもある。とにかく、やってみることが大事。陰謀論、各種の推測、妄想などを論じる暇があったら動くべき。最初の一歩が肝要。

 

これは国を治す場合も同じだと思う。しかし、昨今のメディアや平和ボケ論者たちはこれと反対の事をする。最初の一歩を踏み出そうとしているのに、足払いをかけるような真似をする。マイナス面ばかりを指摘して、せっかく少しずつ治そうという意欲を台無しにする。議論ばかりで邪魔をするから、なかなか実行できない。明らかに戦後の売国奴的な政治家&政権に比べたら、変わってきているのに、それを認めずに、細部をつついて、全体までを批判するのである。だったら、それ以上の事ができる政治家や政党があるのか?

戦後の歴史をちゃんと学んだ人で、J党を好きな人はいないはず。しかし、侵略者が作った傀儡組織は政財界が複雑に絡み合った根深い存在であるから、その総入れ替えと組織改革などを短時間でできるはずがない。英断にはリスクも伴うけれど、邪念がなければ、歴史が証明してくれるはずである。