大分前から、人間の言霊(概念)が嫌いになってきているので、ブログもついつい放置状態となりがち。
今年の正月一日は2月17日だった。季節感のズレた西洋カレンダーは相変わらず不快なだけ。
そう言えば、今年のお雛祭りの日(西暦3月3日)は皆既月食らしい。晴れれば、見ることができる。

この季節の芳香と言えば、蝋梅と水仙。毎年、場所を変えて見に行く。

これは節分前で、通常なら紅白の梅はまだのはずだったけれど、この公園は梅も咲き始めていた。

梅花の甘い香りに誘われてメジロたちが飛び回っている。可愛い。

佐賀紅梅という艶やかな梅。ここだけが満開で、別世界。

公園内にあった博物館では昭和の生活様式の展示があった。自分もお馴染みなので、とても懐かしく、嬉しくなる。

ここは律令時代に武蔵国の国府が置かれていた由緒ある街。当時の東京は海に面した湿地であり、栄えていたのはもっと内陸だったのである。ダサイタマと呼ばれてバカにされて来た埼玉も古墳時代は大都会だったのだ。今でもその面影は残っているけれど、歴史や文化を学ばない下品な連中(暴走族やヤンキー)や無節操に誘致した労働移民などのせいで印象が悪くなっていることはとても残念。どんな差別も因果関係は同じで、土地や国籍ではなく、当人の人間性(民度)なのである。

翌週は山の方にまたまた蝋梅を求めて散策。途中で、美味しそうな和食料理屋さんを発見。味噌煮込みうどんをいただく。
この辺はライダーにとってはとても楽しい山道なので、前を通るだけで入ったことは無かった。
しかし、ある程度の年になると、美味しいお店を発見するアンテナの感度は良くなるから、滅多に外れることはない。普段は超粗食なために、外出するときの楽しみ。

お座敷との仕切りの襖絵が素敵だと声をかけたら、全体を見せていただけた。
開店当初からそのままだそうだ。こういうお店は末永く続けていただきたい。

由緒あるお寺の敷地内にある蝋梅エリア。いつも行く蝋梅園は有名になり過ぎてしまったから、こういう鄙びた静かな場所も良いかもしれない。人間の腰掛(ベンチ)の下に、猿の腰掛が生えていた。

このお寺は予備知識もなく初訪問したけれど、格式がとても高く感じられたので、スマホですぐに調べる。スマホは常に百科事典や図書館を持ち歩くようなものなので、とてもありがたい。功罪併せ持つ文明の利器の典型。

調べたら、弘法大師空海さんの創建。建築は江戸期に修復されているようだが、現在は手入れもされておらず、荒れている。大師堂の脇には源頼朝の側近のお一人だった武将の五輪塔もあるが、これも無造作に放置されたまま。

お堂の裏側にはお地蔵様などが並べられていたけれど、背面の板壁は穴だらけ。なんとなく違和感。跡を継ぐ方がいらっしゃらないのか?

こういう時には境内にある巨木に話を聞くことにしている。この木はとても元気だったけれど、人間や寺社の栄枯盛衰など、どうでも良いとおっしゃる。確かに、自分もその通りだと思うけれど、勉強のためにもう少し話してくれないか、とお願いすると、近くににあった別の木に尋ねろとおっしゃる。

それで、その木に尋ねると、ある方角を差して、そちらにこのお寺の問題があるとおっしゃる。
指示された方角を調べると、小径の脇の笹薮の中に放置されたお墓が複数あることに気付いた。古いので掘られた文字は解読できない。しかし、山奥でもなく、自分の境内でこの状態を放置しているのはどういうことなのだろうか?万物はいずれ朽ち果てるものであるから、物質に対する執着の虚しさを感じさせるための、特設展示のおつもりか?これは皮肉ではなくて、本当にそういう方法もアリだと思っている。

実際に現地でそれを深く感じることができた。一時期はこの地で繁栄を誇った弘法大師ゆかりの古刹が荒れ寺となりつつあるのだ。
このお寺の付属寺院の方は反対に繫栄しているようだった。お堂や仁王門なども綺麗に保たれている。

丁度この頃、面白いアニメ映画があると言う話を友人から聞いて、見に行った。奇しくもクスノキのご神木と会話をする物語だった。

私も子供のころから会話をしていたのでとても親近感を覚えた。

とかく人間は儀式や形式にこだわるけれど、こんなことをしなくても木々はいつも話してくれるし、話したがっている。どちらの宗教団体や組織もそうだけれど、本当に話せないから、盛大でそれらしい作法をするものなのだ。様々な役職や階級があるようだけれど、ほとんど本物はいない気がする。

この映画を見る前に入口で小冊子を配布された。映画館内は暗くて読めないし、解説パンフレットなのかと思って、そのままにしていた。ところが、数日後に何となく中身を見たら、なんと映画の続きの物語だったのである。原作にも書かれていない内容で、この映画のために作者が初めて書き下ろした小説だったのだ。捨てなくて良かった、良かった。

この数日後に関東地方は久しぶりの大雪となった。当日は東欧から親日家の友人が来るので、面白い場所を案内することになっていた。私の自宅は海沿いのため、路面にそれほど雪はなかったので、うっかり車で移動したら、恐怖のドライブとなった。都市部の積雪状況を確認しないで走った自分のミス。普通タイヤは通行止めになっている区間を迂回して、どうにか辿り着いたけれど、二度とやりたくない。

綱渡りみたいなノロノロ運転で走っていたから、到着時刻は大幅に遅れてしまう。
目的地には日本各地の古民家が保存展示されているけれど、まるで本当に雪国に来たかのようだった。

こんな日に見学に来る人などいるはずがないと思っていたら、珍しい雪景色を撮影するためにアマチュアカメラマンたちが朝から大賑わいだったらしい。

廊下から見る雪景色。こういう風景を見る機会がなくなったことがとても残念。

素晴らしい欄間。
金や宝飾品で飾られた豪華絢爛な西洋風の宮殿や豪邸は途中で食傷ぎみとなり、飽きてしまう。その点、日本文化は本当に自然で感性に優しいと感じる。ゴリ押しや、不自然さを嫌う。しかし、最近のメディアに登場するいわゆるセレブ系の人たちにはこういう感性を感じることができない。成金志向の人が多すぎる。自然や宇宙に尊厳を抱かない、傲慢で自己顕示欲の強い人間が増えると国全体の感性も衰えるから、社会や文化が不自然&不快(生きにくい)な方向に誘導されてしまう。

まるで白川郷にいるみたい。

五箇山合掌造りには美味しい手打ち蕎麦屋があるけれど、スタッフが雪で出勤できずに臨時休業だった。ビーガンの友人に食べさせてあげたかったのに残念。

普段は活躍する機会のない雪囲いが役に立っていた。

古来より、節分の時の魔除けに使われるお飾り。
これで、外から来る鬼は防げるかもしれないけれど、自分の中に巣食う鬼は退治できない。これが厄介。

火を入れていた囲炉裏があり、温まって下さいとお誘いを受けたけれど、時間がないのでご遠慮。
しかし、魚を焼いていたり、鍋に美味しいものが入っていたら、ちょっと休んでしまったかもしれない。

友人が丘の上にある梅園の案内看板を発見。雪の日に行ったところで、見えないだろうと思っていたら、珍しい風景に出会えた。
勝手な思い込みや先入観はチャンスを逃がすだけであることを反省。

雪をかぶった梅とメジロ。絵になるような素敵なひと時だった。
ちなみに、メグロという鳥もいる。小笠原諸島にわずかに生息するのみとなってしまったらしい。

東欧では見ることがない鳥で、友人はとても喜んでいた。

友人の故郷の近くでは今でも戦乱が続いている。そういう状況の中で、地球上には色々な風景やご縁があるものだと思う。
本当に平和はありがたい。

園内には立派な建物が多数あるけれど、自分が一番好きなのは、この船頭小屋。畳三畳ほどのサイズで、持ち運びできるようになっている。

船頭さんが寒さをしのいで休憩するための仮設ハウスなのである。囲炉裏の部分は床を外して直接地面を使う。

友人に紹介したかった日本が誇る芸術家の美術館が近くにあるので移動する。
途中にある池にもアマチュアカメラマンが並んでいた。

「樹霊」
こういう感性がこの芸術家の真骨頂。

「母の塔」にも雪が積もっていた。
高さ30m。言霊の問題を考えるようになると、親子関係、友人関係、男女関係、恋愛、先祖、家などの概念も人間に作られたものであることがわかる。例えば、幸せな家庭での母親と虐待された家庭の母、孤児の思う母は同じ「母」でも意味する概念が違うのである。そしてその由来の大部分は周囲の人間たちの会話、教育、環境からの影響で作られている。

こういう作品が作れるのは、この作家のご家庭が円満幸福だった証でもある。お母様は歌人だった。お父さんは漫画家。自然や宇宙を感じることができる感性はそこから生まれたのだと思う。代表作は大阪万博の「太陽の塔」。

東西の文化や芸術を学び、超越して原始、宇宙を感じた作家だったと思う。

新進気鋭の作家たちを発見し育成する展示活動が開催されていた。

この会場は老朽化による改築工事のためにしばらく使えなくなるらしい。

画面に登場する人物が念じる声明の音声が流れていた。独特の周波数は人間の余計なことを考えがちの脳ミソを鎮静化し、癒す効果がある。反対に、脳ミソにノイズが多い人間は大音量、強烈なリズム(ダンス、運動など)を好みがち。それは心身の調和の乱れから来るノイズをさらに大きなノイズで消そうとするからなのである。しかし、これは対処方法が逆。被害が周りにも及ぶ。

皮肉なことにこのノイズは芸術活動の素(衝動)となることが多い。奇抜なアイディア、言動、思想の由来である。感性の話をすれば、味覚が鈍感な人は味が濃い料理を好むのと同じ。最悪なパターンは感性が鋭いのにノイズ過多で調整ができない場合、これが人格崩壊、精神疾患、行動障害などになる。お酒や薬で一時的に逃避しても、ノイズの発生源をやっつけなければ治らない。
出口には記念撮影コーナーが設けられていた。

夜に予定がある友人とお別れして、一人で喫茶。
ビーガンレストランは日本ではまだ少ないので、友人をお蕎麦屋さんに連れて行くことが多い。たまたま入ったお蕎麦屋さんがとても親切で、近くにあるビーガンレストランを教えてくれたのである。

私の地元にはまだ一軒もない。そして、私の知るビーガン料理は高いけれど美味しくないものが多かった。その点、都会のお店はとても進歩していて、品数も豊富で美味しく、値段も納得できる範囲。とても勉強になり、ありがとうございました。