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雲水・ISA(九龍)のブログ

日本は神の国
仁術師

フェイスブック(SNS)にも書いた内容。

この時、世界において同胞(華僑)以外で彼らを一番支援したのは我々日本だったことを今のC国人は知っているのだろうか?中華民国を建国した時も同じだった。日本はアジアを守るために大陸に進出したけれど、その際に起きた紛争や摩擦に責任を感じていたからこそ、二度とそのようなことにならないように有志たちが立ちあがったのだ。

 

日本も戦後に学生たちが元気だった時期がある。そしてよく勉強していた。今の無気力で、選挙にも行かず、日本の歴史も知らない平和ボケ学生とは大違いである。三島由紀夫氏などの有識者、文化人たちも日本の将来を心配していた。しかし、背後にいる侵略者とそれとつながった売国政権J党はこれを許さず、やはり警察、自衛隊(国)の暴力によって抑制された。現在も国家機密法などに抗議する人たちは、その時の恐怖と反感を覚えている人たちが多い。さかのぼれば、戦時中の治安維持法と特高も同じであった。日本にも国家権力による言論統制はあった。その頃の自分達を思い出して支援していた日本人も多かった。

 

 

 

最近、あちこちで不道徳、失礼な言動をする同国人をよく見かけるけれど、それらはこの事件の後に生まれた世代が多いようである。何を学んできたのだ?今や世界レベルになっている同国の産業の多くが我々の援助と交流の基礎の上に成り立っていることを忘れている。当時の人間にはいくらか感謝の気持ちが残っているようだけれど、最近の同国人はその史実すら知らない人間が多い。洗脳されたままの頭でやって来るから、問題を起こすし、嫌われ、軽蔑される。


https://www.youtube.com/watch?v=XXpDueZh894

 

この事件当時、関係者を逃がして保護し、数多くの難民を助けたけれど、その史実はC国内で隠蔽され、相変わらずの反日プロパガンダ(教育)がなされている。今でも同国では作られた歴史と思想教育が行われている。国内にいると洗脳に気付かないだろうが、最近は比較的容易に出国ができるから、井の中の蛙状態から脱却する機会なのだ。 鎖国状態であった以前に比較すれば出入国も容易になっている。つまり、洗脳を解く良い機会でもある。在日や訪日している同国人たちは恩を仇で返している現状を知るべき。帰国したら家族や友人にも教えるのだ。今の病んだ中国を救えるのは海外に出た人たちしかいない。海外に同国人の言動を監視する組織を作ったらしいけれど、本当の情報や知識までコントロールすることは不可能。必ず、崩壊する。
 

同時に日本人も史実を学んで、彼らに真実を教えるのだ。洗脳に気付かせるのだ。どうして、日本の外交や行政が害国人に手ぬるいのかという理由は、この知識に欠けていることが最大の原因である。自分の国の歴史や文化を知らないから、誇りも、国を守る精神も生まれない。古来よりの霊性を感じることができない。だから、おかしな言動に対して、日本人としての主張ができないのである。関連する議論はその多くが海外の借り物の発想(リベラル系)ばかり。○○国ではこうだから・・・、海外では・・・、国際ルールでは・・・という議論ばかり。そこには「日本」という基本的立場が抜け落ちている。本来は「他の国はどうあれ、我が日本としては・・・」と言うのが独立した国家の態度であるべきなのだ。

 

そして日本の崇高な霊性は、性善説社会を体現していることをもって、洗脳された世界の人々を見覚めさせることができる。その力を持っている。この霊性に気付けば、誇りに思うし、守りたいと思うものだ。有名なSF映画に「フォースと共にあらんことを(我々はいつもフォースと共にいます)」というセリフがあるけれど、我々はそれと同じなのだ。


https://www.youtube.com/watch?v=_IUhhS5xlXk


C国自体も失礼であるが、その背後には戦後から続く、アジア侵略者がいる。この関係性がわかると侵略者たちは自分たちの不正がバレるから、逆転させるアイディアを使用する。資源もない貧しい国が独りで列強と戦うためにアジアに進出し、共同防衛システムを拘置する行為は当然。侵略者のリーダーであったマッカーサー本人も後にこの点を言い訳がましく話している。その際に起きる負の面(摩擦、反対、謀略など)ばかりを強調する。それが日本を一方的な侵略だとする自虐史観なのである。これにより、連中のアジア侵略は日本から守った行為として正当化され、自分たちの侵略行為をうやむやにするのだ。同時に、アジアの国々が仲良くなると困るので、火種をあちこちに作り、団結できないようにしている。領土問題もその一つ。
 

付け加えると、孫文による辛亥革命(中華民国建国)の日本側支援者はアジア主義者、愛国主義者(それぞれ自分の国を愛する人)たちだった。彼らは、軍部の暴走により大陸で摩擦が生じ始めた時、政府や軍に逆らってまでもアジアの同志たちを守り支援していた。ここから、後の友好商社や民間交流が生まれ、水面下で友情を保って来たのだ。だから、アジアの侵略者たちは今でもこの種の人間を一番嫌い恐れる。なぜなら独立や革命はこの種の人たちが起こすからだ。侵略者は早めに芽を摘むことに躍起になる。マイナスイメージを作り台頭できないようにするために、「右翼」というレッテルを作った。さらには、巧妙に悪役の右翼を組織して、粗暴な役柄を演じさせる。資金は侵略者が作ったコネクションから流れ、構成員たちにはアイデンティティーが半端な在日外国人も多いけれど、表の看板は「右翼」「愛国」なのだ。これによって、国を愛することが、まるでチンピラたちが自己顕示欲で「俺が一番!日本が一番!俺は格好いいだろう!文句のあるやつはぶっ飛ばすぞ」と騒いでいるように見せるのである。右翼の名を騙り暴力傷害事件を起こさせる。こんな連中を好きになる人はいない。国を愛する大義名分とこれらのマイナスイメージを意図的に重ねることで嫌悪感を増長させることがこの猿芝居の目的なのである。
 
C国人も日本国民もこんな詭弁に騙されてはならない。
 

もちろん日本自体にも問題は多々あるのでそれは教訓である。しかし、詭弁で史実が捻じ曲げられていると、教訓となるはずの論理が歪んでしまう事にも注意しなければならない。

実はここ最近、自分の子供か孫みたいな友人たちから、お勧めアニメを色々教わっている。

 

ゴールデンカムイ、Dr.ストーン、働く細胞、鬼滅の刃、薬屋のひとりごと、無限の住人、呪術廻戦、地獄楽、スパイファミリー、ダンダダン・・・

 

先日、多分好きそうだと教えていただいたのが「魔王の娘が優し過ぎる」。多分、小学生低学年程度の子供向けなのかもしれないけれど、とても癒されている。教えて下さった友人たち、本当にありがとう。ほのぼのしています。

世界を滅ぼす凶悪な力を持つ魔王と家来たちは、他の魔族や人間たちを奴隷として世界に君臨していた。

ところが、魔王の娘は無邪気で、優しいので、まったく悪魔や鬼にはふさわしくない。魔王のお姫様としては将来が危ぶまれるので、魔族としての邪悪な教育をしようとするのだが、全て彼女の優しさの前ではお手上げなのである。

そればかりか、凶悪な魔族の家庭教師や家来たち、鬼を嫌う動物や人間たちまでもが、彼女の優しさに癒されて、平和で善い存在となってしまうのである。

現世界では武力(暴力)による争いばかりであるけれど、この様な夢を頭の片隅に置いておくだけで癒されると思う。実際にはあり得ない世界観なのだろうが、余りにぶっ飛んだ発想は余計な事を考えがちな脳ミソを一時的な機能停止状態にして、休ませる(癒し)効果がある気がする。また、一時的に現実を離れることにより、外から俯瞰して見るような状態も作り出してくれる。それによって、現実に引き戻される時に、矛盾や問題点が浮かび上がる。こういう意識の切り替えは意識してもなかなかできるものではないけれど、優れたアニメは複雑さと情報量が適度であり、物語には子供にもわかる普遍性があるので、人間を優しく誘導してしまう効果があると思う。それに最適なのが、長さが適当な一話完結型。古来より、世界中で子供や大衆の教育や説教にはよく短い説話が用いられることが多い。

 

そこで思い出したのが、ある仏教説話「悪人ばかりだとケンカにならない」と言うお話。魔族は出てこないけれど、善悪という人間の概念に刺激を与えてくれる。

 

あるところにケンカの絶えないAさんの家と、いつも仲むつまじいBさんの家が隣り合っていました。
A家の主人は、隣はどうして仲良くやっているのか不思議でたまらず、ある日、B家を訪ねて、「ご承知のとおり、私の家はケンカが絶えず困っております。お宅は皆さん仲良くやっておられますが、何か秘訣でもあるのでしょうか」と尋ねたそうです。
するとB家の主人は、
「それはそれは、別にこれといった秘訣などございません。ただお宅さまは、善人さまばかりのお集まりだからでありましょう。私の家は悪人ばかりがそろっていますので、ケンカにはならないのです。ただそれだけのことです」と言いました。
善人同士ならケンカになるはずがありません。
てっきり皮肉られているのだと思った、A家の主人は腹を立てて、「そんなバカな!」と、言おうとした時、B家の奥で大きな音がしました。
茶碗が割れた音だったのです。すると、「お母さん、申し訳ありませんでした。私が足元を確かめなかったので、大事なお茶碗を壊してしまいました。私が悪うございました。お許しください」と心から詫びている、お嫁さんの声がします。
「いやいや、あなたが悪かったのではありません。先ほどから片づけようと思いながら後回しにして、そんな所に置いた私が悪かったのです。すまんことを致しました」と続いて姑さんの声が聞こえてきました。
Aさんは、わが家だったら、
「私の大切な茶碗、どうしてくれるの、本当にあなたはそそっかしいのだから」「そんな所に置いておくのが悪いんでしょう。大事な物なら、ちゃんとしまっておいてくださいよ」と大ゲンカになっていたところだ。なるほどこの家の人たちは、みんな悪人ばかりだ。ケンカにならない理由が分かった、と納得して帰ったといいます。


この話から知らされることは、ケンカになるのは、間違いや失敗をしてしまうからではなく、自分の間違いを認めず、相手の間違いを責めてしまうからだということです。
私たちが、間違いを犯さなくなるということは、死ぬまでありません。
お互い間違いだらけの人間なのに、自分は間違っていない、間違っているのはおまえだと、相手を責めるから、
「そう言うおまえはどうなんだ!?」とケンカになるのです。
自分にも間違いが多いと分かれば、相手の間違いに対しても、「お互いさま」と許し合う気持ちになれるのではないでしょうか。

悪人同士だとケンカにならない
心に刻んでおきたいことです。

(bukkyouwakar.comさんの仏教辞典より)

 

昔の日本の児童教育では、この様に人々を啓蒙する昔話、神話、説話、伝説、偉人伝、英雄物語、トンチ物語などを取り入れていたけれど、戦後には見なくなった。それは、侵略者によってそれらの内容を教えてはならないとされたからなのである。日本人から国を愛する気持ちや日本人としての誇りや自尊心を奪い、従順な奴隷とするための占領政策が実行されたのである。この詳細は過去のブログに詳しいのでここでは述べない。この際に、占領政策に障害となりそうな書籍類は全て公の場所から排除された(焚書)。その選定作業には多くの左系有識者(戦中に冷遇されていた存在)が参加していた。この人たちが今の教育界、言論界を作った。処分された焚書は7000冊以上だを言われている。

明治から昭和世代のインテリを気取っている半端な家庭では漫画やアニメが馬鹿にされており、子供たちに読ませない親が多かった。西洋かぶれとアメリカナイズの影響で洋楽(クラシック、オペラ、ジャズ、ロックなど)を崇め奉り、演歌や民謡を泥臭いと言ってバカにしていた。畳の和室を嫌い、日本の伝統的礼儀作法、立ち居振る舞いもできず、和装もロクに着ることができない家も多かった。日本伝統の思想や文化に疎い反面、舶来の哲学&思想(共産主義や民主主義など)を理解不十分なままで提唱していた。一流の知識人たちは和洋共に精通する人もいらっしゃったようだけれど、近代新興セレブの大体は西洋偏重だったと思う。

戦後の有識者、インテリ学者たちにはこのタイプの人間が多く、漫画やアニメを蔑んでいた人が多かった。高尚な思想があるはずもなく、下品で幼稚な内容だと思い込んでいたのである。私は,このお陰で、漫画やアニメの中に日本の尊い精神が生き延びることができたと思っている。つまり、馬鹿にされた存在であったがために、それほど注意していなかった。また、漫画やアニメは仮想世界であるために検閲に対して言い訳がし易かった。だから、戦後の焚書処分や侵略者に操られたマスメディアの監視の目をかいくぐったのだ。

 

偉大で賢明な先人たちは、侵略者からの迫害や監視から逃れるために、文芸作品や映画、時代劇などの中に我々日本人の魂を封じ込め、後世に託してくれたのだと思う。ウルトラマンなどの怪獣ヒーロー物、仮面ライダーなどの正義のヒーロー、水戸黄門や遠山の金さんなどの時代劇、アンパンマン、宇宙戦艦ヤマト、はだしのゲン、火垂るの墓、一連の手塚治虫氏の作品群などには、伝統的な精神文化を感じることができる。赤塚氏は高度な哲学をユーモアで注入した。原爆や戦争など公の場で語ることは難しかった内容も反映させることができた。世界中にファンが多い、ポケモン、ナルト、ワンピース、鬼滅の刃などには日本人独特の友情や人間関係が反映されており、その日本の精神性(霊性)が今や全世界に波及し、影響を与えているのである。漫画の世界を格下に見ていたとは、実に恐れ多いことなのだ。

 

しかし、注意するべきことは、日本では世界が日本に注目するのと逆行して時代劇や昔話(神話)などのコンテンツが地上波から消えつつあること。これによって、事実上、伝統的道徳教育の機会は失われつつある。ただでさえ、洗脳用に作られた教育制度と教材(教科書)の悪影響が大きいのに、それらも失ってしまえば、日本の霊性も消える。洗脳された親や教師が子供に伝統教育をすることはできない。だから特殊詐欺や闇バイトの様な事を罪悪感も無くしてしまう人間が増えているのだ。伝統文化や教育を知る大人は高齢化して減る半面で、そんな大人が増えたら、社会は悪化の一途となる。今持ちこたえられているのは、まだそれらの霊性を保っている、うるさくて怖い大人たちが多少存在しているからなのである。伝統文化と教育は地方で残存しているけれど、核家族化し、伝統の途絶えている都市部では壊滅状態。

( azumakuniyukiさんブログ)

 

近代において、明治のクーデター政権の無節操な西洋化により伝統文化は一時危機に瀕したけれど、それを乗り越えたのは江戸時代の教育と教養があったからなのである。伝統的知識人たちが過剰な西洋化に異議を唱え、試行錯誤しながら日本は近代化の道を歩んできた。単なる物まねの西洋化ではなかったからこそ、その後の日本は独自の発展を遂げて来た。

 

ところが、戦後はこの伝統文化と歴史の流れを侵略者によって人為的に断絶させられてしまった。これは人体で言えば、全身の血を抜かれて、得体のしれない赤い液体を輸血されたようなものである。体質が変わったせいで性格や容姿も変わった。食生活やライフスタイルも変わるから、今までは問題が無かった病気やアレルギーが出るようになる。最大の悪影響は、自己免疫力(伝統的精神文明と霊性)の破壊である。免疫が機能しなくなると、害毒が体内に侵入し、発病する。それこそが、グローバリズムや国際化と言う大義名分に隠された、移民や国際資本の侵入だったのである。

それが日本伝統文化を喪失した世代である。そこから、自虐史観、ゆとり教育、バブルの金権政治、成金志向、リベラルなどが生まれて来た。本当に、馬鹿らしい時代。そのせいで日本の発展は停滞し、弱体化してしまった。昭和を凄いと言う人もいるけれど、それは認識不足。なぜなら、昭和の偉大な経済成長は戦前の教育によってはぐくまれた不屈の精神によるものだから。昭和世代が作ったのは平成と令和である。時間に逆行して振り返れば、現代の若者の親たちは日本の精神文明を喪失(破壊してしまった)した人たちであることに気付くはず。

不道徳な犯罪行為。常識や礼儀を知らない若者たち、自分の主張と権利ばかりを叫ぶ今の風潮は精神文明喪失世代の大人たちが作ってしまったと言うことができる。連中が今の政府を作り、日本を弱体化させたのだ。恥ずかしながら、私自身がその真っただ中に生まれ育っているから、身に染みて実感している。

 

この因果関係がわかったら、日本がどうして弱体化したのか、馬鹿で利己的な政治家が多いのか、暮らしにくいのか、将来が見えないのか・・・などの理由がわかるはず。その悪循環はどこから始まったのか?間違いなく、戦後レジームである。戦後の洗脳が元凶なのである。ただ、子供でもないのに、いい年をしてそれに気付かないのも自己責任である。敗戦直後に比べたら、現代はネットも普及して、学びやすくなっている。後は、当人のヤル気と観察力の問題。洗脳されたままで、学ぼうともせず、それに気付かず、修正もしないまま子孫を産めば、悪循環は続くだけ。

(日経新聞)

 

この悪循環を断ち切ることができるのは、目覚めた日本人しかいない。目覚めた年寄りは、それに気付いた若者、供たちを助けるのだ。逆に目覚めない人は老若男女すべて悪循環に流されるのみ。流されるだけなら良いけれど、害国人となると厄介。

 

最近の日本は流れが少しずつ変わってきている気がするけれど、侵略者とそれに操られている政財界人、被洗脳国民の歴史とその数は今でも圧倒的に多いから、油断はできない。先述した通り、逆行するような動きもある。世界が日本の霊性に気付いて注目を集める一方で、最近のテレビアメディアから時代劇や思想的な番組が削除され、流されるのは、軽薄なグルメや旅行、芸能物ばかり。海外情報は偏っており、国内の政治や現象もマスメディアによる偏向報道が多い。K国やC国に遠慮するような内容が増えているのも要注意。

原爆問題を取り上げた有名な漫画も教材や施設から内容が削除された。驚くことに、被爆現地でもそれが起きている。これは、現地出身の歴代稀に見る恥知らずな売国大臣のせいもあるかもしれない。あれだけの負の実績を残しておきながら、同県民は今でも当選させてしまうわけだから、民度が低い。と思ったら、私の県にもワクチン売国大臣を当選させてしまう県民がいるではないか。何とも情けない。

 

これらの現象が起きるのは、やはり洗脳による愚民化にほかならない。国民が無知であれば、おかしな政治家がのさばることになるのは当然かもしれない。連中は、近所だから、知り合いだから、地元だから、と言うだけで投票するのである。これを地方は田舎だからというのは言い訳にならない。なぜなら、首都の元首は都会の人間たちが選んでいる。これまでの国の元首の顔触れを見れはわかるはず。世界に顔向けできるような大臣が何人いたことか?素晴らしい政治家や思想家がどうして登場できないのか?そこに、この国の闇があるのだ。

この悪循環から脱却するためには、日本の汚染源を先ず抑えること。汚染源には精神面と物質麺がある。精神面は洗脳教育。これを文科省が今後も強制する(義務教育)のであれば、日本人は生まれた時から汚染されることになる。従って、連中の与える学歴や成績は無意味となる。親や大人は正確な知識を与え、学校の成績など気にする必要はない。間違った教育をする先生や学校は汚染物質を垂れ流す工場と同じ。そんな存在は閉鎖させ、潰すのだ。

 

幸いなことに理数系の教科は神の言語である数学、科学と密接な関係がある為、

洗脳の影響が少なく、将来も役立つ。従って、これらの教科を学校で学ぶことは有意義。注意するべきは歴史や社会などの文系教科である。自分自身で正確な情報を学ぶのだ。学校や教師との間に認識の差が出ても、気にせず、正しい内容を知るべき。無能な学校や教師の評価を気にすることはない。後になれば、どちらが正しかったのかわかる。

 

日本の教育者が全員愚かなはずもないから、近い将来、必ずこれに気付くはず。元々教師は「聖職」とも言われていた尊い職業。子供たちの将来や人間性に対する責任は重大。それが客観性と知識のアップデートを失ってしまえば、存在意義はない。これからはAIで十分。そうなると、失職を恐れる教育界や少子化で生徒不足となった学校は、入試の基準や教育内容を変えることになる。会社や企業も洗脳された新入社員よりも、日本を考える若者を雇用するべき。また、定年を過ぎても伝統精神文化や技術を持つ高齢者は大事にするべきなのだ。彼らにはまだ日本の自己免疫力が残っているから、害毒の見分け方、治療、駆除の仕方を教えてくれるはず。一日も早くその免疫力を継承して、日本を浄化、復興させるべき。

 

その為には子供から高齢者までが一体となった統一体(国体)が必要。最近の医学は身体を部分ごとに細分化してしまい、統一体として診ないから、あちこちをたらい回しになり、時間と体力を無駄にする。国も内部で分裂していると、全体として(国体)の調和を失う。だから、世代や性別を超えて国の在り方を考えるべき。国全体が団結すれば、日本は必ず復興できる。

 

これを恐れ、邪魔する勢力はおそらく分断を考えるはず。その兆候の一つが、最近出て来た社会保障(年金など)や税金負担による、若年層へのストレス(脅迫)だと感じる。若年層には個人の自由、人生、幸福観、権利などを強調して、高齢者がまるでその妨げ(負担)になっているように見せかける。これを強調することによって、団結を妨害、分断し、日本に自己免疫力を持たせないようにする。ネットでのやり取りだけで多くの議席を獲得した政党があったけれど、綺麗事、甘い言葉、調子のよい公約などに騙されてはならないことは、詐欺と同じである。

 

分断と似て非なる概念に選別(差別)がある。邪悪で汚染された概念や存在を識別して排除するためには、対象を分析して比較する作業が必要。目的は統一体の調和を乱す存在を排除することであるが、排除されそうになる側はこれを嫌うので「分断」「差別」はしてはいけない!と批判しているように見せかけて自己防衛をする。この違いを見抜かなければならない。

 

時間(歴史)は連続しているのだから、世代間ギャップなど自然な現象。ずっと繰り返して来た自然現象を取り立てて特別視して、騒ぐ必要はない。日本は古来より「調和」が大得意なのである。

 

 

 

 

 

 

 

今日は悪い意味での記念日。一方的な憲法を脅迫されて押し付けられた日である。それを、日本人は戦争への反省から自分たちで考え出した平和憲法だと教わって来た。私もその一人。ところが、最近はそれが事実とは違っていたことが明らかになって来た。しかし、公的な教育現場ではそれを修正せず、相変わらずの内容を教えているところがほとんど。だから表面的な憲法論を今でも続けている人が多い。すでに戦後80年も経過しているのに、GHQによる洗脳が解けないまま、国民の情報や知識が未だにアップデートされていないのである。自分は侵略者の基地のある街で生まれ育ち、国際問題や歴史にはかなり詳しいつもりであったけれど、それは単なる勘違いと自分自身が深く洗脳されていたことに気付いた。これは非常に残念で、情けなく、ご先祖様たちに申し訳ないと言う思いが強いので、こうしてブログを書いている。

 

押し付けられた憲法や協定類には不公平な部分が多い。目立つのは第9条問題であるが、それだけではない。教育、財政、行政などに及ぶ。それに気付くと、日本弱体化、愛国心の欠如、日本人としての自信や誇りがどうして失われて来たのか、弱腰外交、経済発展の停滞、学力の低下、不気味な犯罪の増加、などの理由がわかり、筋が通って来る。全ては戦後(近代の原点は明治)から始まっているのである。戦争は物質と精神の両方が限界に達する現象であるから、国や社会をリセットするには都合が良いタイミングとなる。リセットには2方向あり、新たな支配システムの構築(侵略)と変革(内部革命)。日本の戦後は前者であった。

 

戦後に我々は享楽洗脳を受け、平和ボケとなってしまった。そのせいで、野球やサッカーなどのスポーツ、芸能界やアイドルには詳しいけれど、政治や自国の歴史文化を知らない日本人が増えている。Wikipediaですら、最近の記述内容はより史実に近いものに変わっているのに、その人たちの頭の中は変わっていない。あなたは一体どこの国の人なのか?これらの人々は将来の日本にとって害国人、老害となる可能性が大きい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95

 

 日本の現行憲法問題における、最新の事実関係を簡単に整理すると以下の通り。先ず、米国は日本を精神面(文化、教育)と物質面(産業、軍隊)の両方を徹底的に破壊して再起不能の状態にすることにした。日本人の精神力の元となっていた霊性(神国)教育を軍国主義と結びつけて嫌悪感を与え、悪い教育だと教えた。実際に軍事政権には問題も多かったので関連付けることは容易であった。実はこの中にこそ現在の性善説社会の基礎と日本の精神力の強さの秘訣があった。しかし、それよりも個人の権利(人権)が大事だ、民主主義、資本主義が正しい。それを日本に教えるために米国は戦い、日本人に平和な社会をもたらすのであると、自分たちの植民地侵略を正当化したのである。昨今の中東紛争も同じで、国際世論は勝者によって操作される。勝てば官軍、負ければ賊軍である。この正当化のための国際的茶番劇が不公平な東京裁判である。

 

 それ以外にBC戦犯裁判も行われているが、これらの裁判は米国民と世界にアピールするためにマッカーサーが演出した芝居であり、戦争犯罪裁判などの規定は無かった。その為に、終戦後に条例まで作ったのである 。日本を裁くための極東国際軍事裁判所条例は1946年1月19日に発効された 。つまり後から法律をでっちあげ、それにより大勢が絞首刑となったのである。被告人には反論の余地もなく、十分な通訳や弁護人も付与されなかった。侵略者の一方的な正当化と価値観に基づく非人道的裁判である。また、収容所内で多くの虐待や暴行を受け亡くなった関係者も多い。日本の教科書やメディアはこれらの話をしない。するとしても、日本軍の悪逆非道ばかりで、彼らが現地で如何に友好的、良心的であったかと言う記述はほとんど出てこない。

 

 それは米国が日本人特有の英霊信仰(神格化)を恐れて隠蔽したせいである。マッカーサーは遺骨を残しておくと、そこに墓や記念碑が建てられ、神格化されることを恐れ、わざわざ遺体を掘り起こさせて焼却処分させていた。可哀想なのはその霊麗たちと遺族たちである。日本人は押し付けられた茶番劇裁判の結果を真に受け、戦犯を悪人扱いする風潮が生まれてしまったのである。自分の父親や夫たちの全員が悪人であったはずがないけれど、先般の遺族たちは差別されて肩身が狭い生活を強いられることとなった。一方で、司法取引をした売国奴もいるのだ。この内情がわかると「戦犯」と言う定義自体が確証の無いでっち上げの概念であることが明白となる。すると靖国参拝の意義が自ずと明らかになる。あそこには我々のために犠牲となった方々が眠っている場所なのである。これがわかっても、恥ずかしがったり、海外の顔色をうかがうような人は日本人ではないと思う。

 

 残念ながら、これらの史実を知る日本人はとても少ない。しかし、発信してくれる人たちがいるし、SNSやブログで少しずつ波及させることができるのではないかと思い、私も書いている。平和ボケの頭に多少の刺激(疑問)となってくれれば幸いである。

(当時のGHQ本部、第一生命ビル)

 

 侵略軍は日本を統治するために日本の専門家(憲法学者)に戦後の憲法を立案させた。通常の主権国家として当然の内容であり、国際法を盾に主張したけれど、GHQの責任者Mは、お前たちは我々に負けた立場であるのだから無条件降伏が当然であり、自分たちの権利を主張するような内容は受け入れられない、身の程を分かっていないから、俺が作った要求(三大原則)に基づいて草案を作れ!と言うことになった。

 

 マッカーサーが憲法に必ず入れるべき内容として要求した三原則の2番目は以下の通り。これが後の第9条に反映された。自分達の身を守るための抵抗力さえも奪おうとしたのである。人権を標榜する国家とは思えない下品な要求である。ついでに言うと、彼らの言う「人権」とは白人のみに適応される概念であり、今でも米国社会には根強く残っている。

 

「2.国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。」

 

これにより、承認されたものがマッカーサー草案となった。最近までの一般的歴史認識では日本側が考えて提出した内容をGHQが英訳したものであり、第9条は日本独自の発想であるとする学者が多かった。それは、この草案の存在と交渉内容が秘密にされていたため、その詳細を知らなかったのである。従って左傾の平和憲法擁護者たちが論拠とする「日本人が平和を望んで考え出した」という話は、残念ながら美しく作られた幻想であったと言う事が明らかになってしまった。実際にはGHQから脅され、その要求をほとんど丸呑みして、構成し直したものが現憲法である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E8%8D%89%E6%A1%88

 

 憲法に関する交渉の際に、GHQは言うことを聞かなければ天皇がどうなるかわかっているのか?協力しないのであれば、お前は戦犯として扱う、などと脅していた。立案のミーティングの際に上空をB29が偶然(計画)に飛行していたが、米軍側は空を見上げながら、ポカポカして暖かく、気持ちが良いけれど、あの太陽のエネルギーは原子力(アトミックエナジー)によるものなのだ、と遠回しに脅迫していた記録も残されている。これらの記録資料は後に隠蔽される歴史問題となることも想定せずに、淡々と当時の出来事を係官が記録していた内容であり、関係者の服装や、言動に至るまで、詳細に書かれている。だからこそ、そこには改ざんや隠蔽する意図がなく、事実をありのままに伝える力がある。関係者もまさか自分の嘘が将来バレるとは予想していなかったはず。学生時代には彼らの偉人伝を読み、米国人と対等に渡り合い、日本を守った偉人だと思っていたけれど、評価は逆転せざるを得ない。

 

 おそらく、脅迫され、背に腹は代えられずそうしたのであろうが、それなら、その負の遺産の詳細(経緯や問題点)を後進に引き継がなければならなかった。自分の力は及ばなかったけれど、将来の日本人がそれらの問題を解決できるような遺言や伝承が必要であったのだ。それもせず、偉人扱いされ、侵略者から与えられた地位と名誉に甘んじたまま逝去したのであるから、その汚名を拭い去ることはできない。私は故A総理が重要関係者であった祖父から何かの遺言を受け継いでいるのではないかと期待していたのだけれど、それもわからないままである。

   

 当時、これらの交渉に当たっていたのが、外務大臣の吉田と側近の白洲など。吉田はこの脅迫じみた草案の存在をミーティングの10日間に知っていながら、死ぬまでとぼけていた。この資料が出るまで我々も騙され続けて来たのである。今でも戦後日本を建て直した偉人だと思われているから、旧宅は文化遺産になっている。ちなみに同時期にCIAのスパイとして活躍していたことがバレた正力松太郎も大手メディアグループや野球チームを作った偉人だとされている。我々が偉大な人物だと教わっていた彼らの権力と資金は全て侵略者に与えられたものだったのである。つまり、これらの裏の顔こそが戦後レジームの闇。侵略者との司法取引によって善悪が逆転させられているのだ。国を守ろうとしていた人が戦犯とされ、売国に加担した人間が善とされたのである。

 

 この逆転は戦後のあらゆる分野に及んでいることも要注意。つまり、現在の価値観や権威は彼らの都合により作られたと言う事。洗脳に使われる手段は教育と宣伝。教育に影響する有名大学の学長、学術的組織の教職員(教授、教師)には都合が良い人材が選ばれた。この際、教育四大指令が出されている。1 軍国主義、極端な国家主義的思想の教育並びに軍事教育の禁止、2 教育関係の軍国主義者、極端な国家主義者の追放、旧軍人の教職従事の停止、3 神道を国家から分離し、学校での神道教育を排除、4 修身・日本歴史及び地理の授業の停止と教科書の回収を指示するものであった。

 

 これ以降の学生(子供)は全て自動的に洗脳を受けることになる。教材として使われるのは、侵略者が承認した内容のみ。そこからは日本文化の誇りや愛国心に関する内容が削除された。検閲により多くの書籍が禁書処分となった。権威となる言論は彼らが選んだ有識者の著作と発言である。子供や学生たちはこれを信じて疑わなかった。新しい教育指導により、子供たちは自ら既存の教科書から不適切で誤った部分を子墨で消させられた(墨塗教科書)。

 先生や大人を信じられなくなったら、その国の教育は終わりである。大人たち(政治家、保護者、指導者)に対する信頼が無ければ国は崩壊する。恐ろしいことは、信頼している人間たち(教育者)が洗脳されている場合、その信頼関係は負の悪循環を続けてしまうことになる。実際にそうなりつつある。嘘つきな大人や売国政治家が増えている。その意味で日本は非常に危険な状態なのだ。

 

 異議を唱える学生は昇級できず、違和感を覚えて抗議する教師や学者は仕事を失うことになった。裏返せば、本投稿内容を含めて、現在真実を教える学校や教師は存在しないことになる。学生(若年層)以外の民衆の洗脳にはメディアが使われた。最も効率が良いのはテレビであり、それを日本に導入して洗脳をするようにCIAから命じられたのが正力松太郎であった。正力は元警察官である権力とコネを利用して節操のない商売をすることが得意であった点を評価されたのである。

 

 これにより、ほとんどの日本国民は洗脳されることとなった。当然、私もその一人であった。私はアメリカナイズされた街で生まれ育っているから、その洗脳のレベルは深かった。何しろ、正しい知識人だと思っている教師、学者たちがそう教えるのだ。裁判官、警察官などは、押し付けられた法律や命令によって仕事をするように教育されているから、その判断結果は本来の正義とは別のものになっている可能性が大きい。要するに、自覚がないまま侵略者の手先となる。最近は、裁判官や司法による、日本に害をもたらすような判決が増えている。これはその結果が招いた、非常に恐ろしい現実である。

 

 その後、吉田は屈辱的な憲法だと非難されると、それを当時の幣原首相のせいにしている。第9条の文言は首相からの要請であったとして、日本が脅されて書かされたと言う事実を隠し、責任転嫁したのである。皮肉なことに、後世にその平和理念が評価されるとは思ってもいなかったのである。この前から吉田はGHQと秘密裏に協議をしており、後の傀儡政権となるJ党の総裁(総理大臣)となることが約束されていた。当初は国辱憲法だと非難されたけれど、抗議する人々は公職追放とプレスコード(メディアの言論統制)によって排除された(公的な場から追放された)状態で可決された。民主主義として正当な手続きを経て、日本国民が自分たちで認めたように偽装したのであるが、反対者は会議に参加すらさせてもらえないのだから、これは完全なヤラセ国会。憲法の内容に日本の民意は反映されていないのである。

 ここには世界平和や正義の発想はなく、単に侵略者が日本の力を根こそぎ奪い、将来も決して歯向かえないようにするためだけの内容となっている。言い換えれば、我々は従順で平和な民族であり、未来永劫もう二度とあなた達には歯向かいません!と宣言させられているのである。ここには、日本の独立(自立と主権)を認めるつもりは一切ない。この一方的で不公平な内容を国民と国際世論に対して取り繕うために、日本側があたかも武力を自ら放棄したように思わせたものが、平和を強調した現憲法なのである。自分たちが日本人から抵抗力と主権までも奪い丸腰にしておきながら、自分たちの侵略であることをカモフラージュする為に、日本が自分から言い出した事にしたのである。しかも、丸腰の日本を我々が守ってあげなければならないと言う理由を作り、永遠に軍隊を駐留させる事を考えた。それが日米安全保障条約である。これがある限り基地問題は永遠になくならない。

 

 ついでに言えば、広島原爆記念碑の文言もまるで原爆を投下させたのは日本人であるかのようなものになっている。この内容に異議を唱えたのが、東京裁判に戦勝国側として参与されながらも、その茶番劇を批判したインドのパール判事であった。これに関して誤解だと擁護する人間がいるけれど、当時の経緯を知れば、後付けの苦しい言い逃れであることが明白である。これは明らかに圧力と侵略者への媚びへつらいによって日本人が書かされたものである。最大の被害地でありながら、この様に異常な忖度をする土壌があるから、売国奴総理大臣を産んでしまうのである。

 しかし、今までの左系有識者たちと洗脳された国民はこの事実関係を知らずに、日本人が平和を願って生み出した崇高な平和主義憲法なのだと豪語して来た。そして、押し付け憲法や無効論は右系の日本人が戦争の反省をせずに自分達を正当化するための陰謀論、詭弁であると非難して来た。大手新聞やマスメディアは全てこれに倣っていたのであるが、当時の資料が世に出たことで、この論争には結論が出たと言える。たまたま現代に評価されるようになったけれど、派生した経緯を知れば、一方的な押し付けであることは明白である。

 

 当時、敗戦した日本政府は自分たちに不利になるような機密資料なども処分しようとしていたけれど、GHQが派遣した日本語に堪能なスタッフたちがそれを事前に阻止して本国に持ち帰っていた。米国はGHQ関連のあらゆる文書も保管しており、時効が切れると公開されることになっている。それらの保管してあった機密文書が解禁されて、一次資料が世に出始め、それを研究分析した方たちのお陰で真実が徐々に明らかになりつつある。この制度は日本も見習うべき。おそらく、裏の裏もあるとは思うけれど、自分たちに不利になり得るような内容も期限が来ると公開するところが凄い。日本なら秘密を墓まで持って行くはず。これは悪行の多い米国の命綱でもあり、国家の腐敗を防ぐ自浄作用があると思う。

 これらの一次資料(現物)により、米国CIAとJ党、吉田茂、岸信介、財閥系企業や政商などとの闇のつながりも明らかになりつつある。東京裁判では陸軍関係者ばかりが重罪とされ、海軍関係者は少ない。どう考えても戦争に深く関与していた政治家、商人、科学者などにはお咎めがないばかりか、政財界に復帰して重役を担っている。学長や企業の責任者に抜擢されている人物も多い。これらは全て当時の司法取引の結果なのである。お前ら、秘密を話して協力すれば命と地位を助けてやるぞ、協力しなければ戦犯にするぞ、とそそのかされた売国奴たちなのだ。多少の情状酌量としては、凶悪な武力を持った存在に脅されているのだから、背に腹は代えられない状況もあったこと。肝の座った武人(軍人)は言い訳もせず、腹を切る(極刑)をいとわなかったけれど、文人(インテリ系)や商人には無理であった。

 この売国行為のカラクリを隠蔽するのに資本主義と民主主義のような思想はとても都合が良く出来ている。全ての売国行為を経済発展のため、個人の幸せのため、人民のためだと言い換えることができるのである。これは明治維新の時と似ている。欧米の後ろ盾により政権を奪取したテロリストたちは、自分たちを正当化するために西洋思想を使い、行政の再構築(不都合な人間を抹殺する人事)を行って来たわけだ。その時のスローガンが富国強兵、文明開化である。私見では日本の霊性の顕著な退化は明治から始まっている。長くなるのでここでは述べないけれど、私が受けている神の啓示も同様の内容を示唆している。明治は腐敗の原点である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/CIA%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%B4%BB%E5%8B%95

 

 ところが、朝鮮戦争が始まると、日本にある程度の自衛能力を持たせた方が便利だと言うことになり、自衛隊が認められることとなった。さらに時間が経ち、安保問題、ベトナム戦争などの歴史を経験すると、憲法9条に書かれている内容を、戦争を憎んでいる日本人が平和のために自ら考え出した崇高な理念であると評価する声が出始め、それまでは国辱的な内容だとされていた評価が世界では稀有で貴重な平和思想だとする論調に変わって来た。マイナスイメージをプラスに転じる好機だと考え、それを自分たちに都合よく、自分たちの功績であるかの如く宣伝したのがJ党である。元々侵略者のお手伝い的な役割を果たしていた左派はこれに同調した。

(連行される政治犯容疑者たち)

 

 左派とは戦時中に国から疎んじられていた有識者が基本となって構成された存在。治安維持法により多くの有識者たちが拘束、粛清されたけれど、軍事政権が倒れたことにより復権することができた。元々当時の国(政府)に反感を持っていた人たちであるから、その復讐心が侵略者にとっては利用するのに好都合だった。実はこれらの人の中には、当時の日本軍国政府に対する客観的な見識を持っていた人も多かったけれど、当時の政府と無知な国民たちはそれらの賢人までも非国民だとして虐げてしまった。その責任は重い。だから、彼らは自分たちが認められず、虐待までされる悲しさの裏返しで復讐心を持ってしまったのだ。可愛さ余って憎さ百倍と言う通り、それまで自分たちが虐められてきた恨みがあるから、公職追放、プレスコード(言論統制)、禁書(発禁処分になった書籍)などの選定も喜んで手伝ったのである。その人数はわかっているだけで数千人もいた。この時に、市町村や公的部署の指導者、学校関連の校長などが全て解雇され、代わりに左派の人間たちが入れ替わった。国民の思想や人格の形成に教育はとても重要であるが、その教育に左派の教師(日教組)が使われ、洗脳が波及することになった。これによって戦前の教育や社会構造は大きく変わり、国旗や国歌、愛国的な言論に嫌悪感を持つ日本人が量産培養され、現在に至っている。「日本ファースト」という国としては当たり前のことに異を唱える、今のリベラル派の源流である。源流であるが、それは反体制と言う意味であり、質は全く異なる。当時の左派には本物の知識人も多かったけれど、今の左派は洗脳された知識の上に薄っぺらい想像を加えたものが多い。

 ちなみに、当時それらの左系有識者たち(文学者、思想家、政治家など)に非人道的な制裁を加えたのが特高(警察)であったけれど、連中は戦後のどさくさにまぎれて雲隠れしたままである。国民を守ってくれるはずの警察権力が信用できない時代があったのは史実である。虎の威を借る狐のような自称愛国者たちは、その権限を利用して一般人を恫喝する事例が多く、それを体験した戦中派は特高に対して良い印象を持っている人がほとんどいない。子供たちは進駐して来た、笑顔でチョコレートを配る侵略者の方にむしろ好感を覚えた。この悪印象は軍事政権と伝統的教育が間違っていたのだとする発想につながることとなった。

(拷問された文学者K氏のご遺体)崇高な魂は如何なる拷問にも負けない

 

 この歴史があるから、被害者の多かった左派が今でも人権や国家権力に敏感なのは日本政府の自業自得であるのだ。私もそして、この問題を清算しない限り、国家権力に対する不信感はなくならない。私もその一人である。彼らは治安維持法や特高の存在を決して忘れることはない。現状では行政、司法、立法のどれも信用できない。その理由こそ、日本が未だに占領(洗脳)されたまま自立できていない事である。侵略者が裏から政府を操り、日本国民を洗脳し続けていることに気付けば、そうなるのが当然。気付かない人々が平和だ、楽しい、とボケ続けているのである。

(MAZII)

 

 自分の国に誇りを持てない国民など世界中を探しても見つからない。私の海外の友人たちは建国記念日には国旗を飾って大騒ぎである。国歌を歌えない人など誰もいない。オリンピックでも国旗掲揚、国歌斉唱は誇らしげ(政府批判アピールは除く)であるし、それを右翼だ(過激派)だと非難する民衆などいるはずがない。これに対する日本国民の態度には全く自分の国を愛する気持ちが見られない。国旗や国歌を右翼の象徴だとする洗脳された固定概念を持ったままなのだ。日の丸を破損しても有罪にはならず、外国の国旗を損壊すると罪になると言う、本末転倒の発想までするようになっている。こんな恥知らずの国民は世界にも類を見ない。ちなみに、私の友人はある国が好きすぎて、国旗を風呂敷代わりに使っていたところ、空港で怒られたことがある(笑)。

(正論)
 

 話を戻すと、平和憲法と言われているものは、先述した事情により、大義名分として「平和」を持ち出したもの。その発想はむしろ戦中の世界を家族と考える「八紘一宇」に近い。元々は押し付けられた内容であるけれど、世界の変遷とともに、不幸中の幸いとして理想的な平和論(平和憲法)と見らるようになって来た。それは9条の前半部分である。自分からは武力行使をしないと言う内容であり、これ自体に反対する人は少ない。改憲派にもこれに異議を唱える話は聞かない。私も賛成である。同様の思想で世界が統一されれば武力侵攻や侵略は淘汰されるはずである。

 

第二章 戦争の放棄

    第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 ② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

 しかし、問題は後半の②である。自衛権が明確化していない上に、成立の経緯から、自己防衛の手段さえも持たないとされて来た。文言だけを見れば「違憲」だと解釈され得る。実際に自衛隊反対派は違憲を主張しているけれど、変化している世界情勢に対応するために、政府は「自衛権を持っている」という政府見解を出している。国際情勢に合わせた苦肉の策であるが、世界の紛争や隣国の領空領海侵犯などを見ると、そろそろ限界にきている。不穏な世界情勢に備えるためには抑止力が必要。いざとなったら自衛のために戦うと言う毅然とした態度(国の姿勢)である。この態度を明確にすることが抑止につながると思う。

 

 私が言いたいのはこの点であり、自ら他国を武力で侵攻できるようにするとか、兵器ビジネスを奨励する意味はない。改憲派にも武力侵攻を肯定するような話は聞いたことはない。また、自衛のための最新兵器やノウハウをそのまま売りつけることは、自分の機密や弱点も知られることになるから、売るはずもないし、売ってはならない。これまでの日本の軍備は米国の御下がり(型落ち)兵器であるが、それらを改良して性能を向上させてしまう能力がある。しかし、これらのノウハウを米国は数多く搾取している。日本人の知恵を盗み本国に反映させている。これを制限するためにスパイ防止法が必要なのだが、それを作られると不利になるために、色々な言い訳を考えて成立を邪魔しているのが実態である。もちろん友好国であれば、ある程度の技術や情報共有はあってしかるべき。兵器は国家機密に属するものなので、本来はすべて自前で揃えるべき。しかし現状では、米国の型落ちの兵器を高値で売り付けられている一方の不公平な関係となっている。

 この背景は戦後の米国が日本の自立力(戦闘力)を奪うために、航空や船舶などの関連産業を制限した歴史がある。当時は世界最高峰を誇っていた日本の航空機技術は危険だとして製造を禁じられた。その為、貴重な技術力と知識を喪失してしまった。今ではロケットすらなかなか打ち上げられない始末である。このため、自衛に必要な軍備は大部分が海外依存となっているのが現状である。


 また、政府が実際に売却しようとしているのは、主にそれまでスクラップにしていた旧式の船舶などだと言われている。日本の中古車と同様、日本人の維持管理能力は非常に高く、古いものでも十分に使用できる価値があるために、後進国はそれらを欲しがるのである。その中古品を販売した場合、そのメンテと指導に関する費用も日本の収入となる、というのがその提案の背景にあるらしい。

 ここで、また武器は人殺しに加担する必要悪の存在だ、平和に逆行する道具だ、と批判する人たちがいる。しかし、世界の歴史をよく見るべき。物質文明の格差により防衛力が劣っていた先住民たちはことごとく、侵略されてしまったではないか?原始的な武器しか所持していなかったために、反撃することができず滅びてしまった。武器を持っていれば話は違っていたはずである。精神論や奇麗ごとだけで国を守ることはできない現実がある。

 これと反対に、戦国時代の日本が西洋から侵略されなかった理由は、彼らを上回る戦闘力と銃器を持っていたことも大事な要素だった。侵略者や外敵は自衛力が強い相手には遠慮するのである。つまり、武器は平和を守ることもできるのである。この両面を見て、武器や軍備は考えなければならない。先住民たちと似た性善説的でお人好しの現代日本人も同じ過ちを冒す危険性は大きい。

 いずれにせよ、原爆も体験している日本人で戦争が好きだ、賛成する人などほぼいないと思う。時代に適合するための改憲や自衛力(軍備)の増強が侵略戦争につながると言う人たちがいるけれど、現代日本人がそんなに侵略的な民族だと思っているのだろうか?改憲派にもそんなことを言う人はいないと思う。時代錯誤も甚だしい。今の状況を軍国主義時代の日本に当てはめてシミュレーションしてしまっている。この発想が起きる理由は自虐史観洗脳によって作られた古い固定概念を基本にして推測するからそうなる。と同時に、他国に対しては反対に現在の進んだ価値観を基本として、日本の防衛や平和を考えてしまっている。つまり、自国に対しては昔の嫌な思い出が再発する可能性を危惧するくせに、他国の過去における、国際法を無視した侵略の狡猾さは思い出さないのだ(史実を学ぼうとしない)。このロジック(自虐史観)を表現するとこうなるはず。

 

A:時代が変わっても日本人の危険な民族性は変わらない。だからこれからも他国を侵略する。国連の言うことも聞かずに、軍備を増強して、将来も戦争を続けてしまう。

 

それから生まれる平和論はこうなる。自国は相変わらず悪いままだけれど、他国には好意的に考える。自虐の反対になるから「他国優遇歴史観というべきか。

 

B:これだけ世界の人間たちも学んだのだから、もう他国は我々にひどいことはしないだろう、国際社会も助けてくれるはずだから、日本は軍備をしないで、戦争放棄をしても大丈夫だ。

 

 世界情勢とかけ離れた非現実な思考となっている。これらから、彼らの自虐史観(自分達だけを過剰に悪く考える)ロジックを取り除いて言い換えるとこうなるはず。

 

C:あれだけ日本人は悲惨な経験を学んだのだから、もう軍国主義時代みたいに馬鹿な事はしないだろう。国際社会にも協力するはずだから、いくら軍備をしたところで、戦争をするはずがないから大丈夫だ。

 

 でも、彼らはそう考えられない。これがどうして起こるのかと言うと、自分たちのロジックの矛盾を自覚していないから。それらの人たちの教養は、自分できちんと史実を学び、修正していないため、洗脳された自虐史観に基づいて日本を考えてしまうから、客観性がない。その為、皆似た様な固定観念と先入観に縛られた堂々巡りの言動をするのが特徴。

 

 もしも、自虐部分を反省として捉えつつ、歴史も反映すれば、この様な内容になるはずなのだ。

 

D:日本は確かに軍国主義時代に問題がある。これを忘れてはならない。ただ、元々植民地化侵略を始めたのは西洋諸国であり、連中は礼儀や国際法を自分勝手に解釈(無視)して襲って来たのである。従って国際組織、国際法は当てにならない。アメリカ、アフリカ大陸は防衛力で負けていたため、先進兵器に対抗できず、守ることができなかったから、絶滅させられた。その態度は現代も変わっていないので、今後も用心して守らなければならない。

 

 ところが、こういう発想ができない。彼らの発想は過剰な自虐史観に囚われるあまり、バランス感覚を失っているのである。
 
(心ペディア)

 このロジックはちょうど鬱病やトラウマの構造に似ている。自己否定(自虐史観)が強すぎるから起きるのだ。80年の時代格差があるのに、彼らの頭の中は過去のトラウマを引きずったままで、アップデートされていないから、自己否定で歪められた思考では正確な現状分析ができない。

 これは80年間憲法が一度も改正されてこなかったことと無関係ではない。なぜなら、この手の自己否定トラウマに影響されたままの病人たちが今でも日本の過半数を占めているからである。彼らの選択した結果が、今の日本、今の政治(政府)、今の憲法なのだ。だから、今の日本がこうなっているのである。

 この治療法も精神医学と同様、トラウマの原因を再検証により取り除き、自己肯定(承認)を増やすこと。トラウマの因果関係を追及する際に欠かせない作業の一つが、過去の嫌な記憶の正確な認識である。それがポイント。ところが、鬱病患者たちはこれが不快で怖いから逃げることが多い。考えたくないから、思考を停止させることのできる刺激を求める。例えば薬、酒、運動(スポーツ)、性的刺激、賭博、波動の大きな音楽など。

 自虐史観信者たちもこれと似ていて、日本に当てはめると、嫌な歴史の事実関係がトラウマの原因追及であるはずなのだけれど、洗脳されているのだと聞いても、自分でその事実関係を確かめようとはせず、逃げる。逃げる方向は目先の享楽。ゲーム(賭博や投資を含む)やアニメなどの非現実世界、歴史や伝統と関係のない舶来の近代スポーツ(サッカー、野球、ダンスなど)が多い。思い当たる人たちを分析して見ると共通する関係性が見えて来るはず。この負の悪循環から脱却して、客観的に再検証しない限り、明るい未来は来ない。
 

 世界の中立国は国民皆兵が原則である。平和を守るためには、いざとなれば国民全員が抵抗して戦うのが当然である。だから戦争の起きる仕組みや歴史、武器の取り扱い、戦う方法などを学ぶ。国を守るためには、内的要素として、食料の確保(自給自足)、インフラの保全、労働力(戦闘力)の確保、身を守る方法と設備(兵器と軍隊)、行政の連携などを非常時に備えておかなければならない。外的な備えとしては、海外の最新事情を知り(インテリジェンス)、脅威に備えること(防衛力、軍備)。危険な相手に対しては防御策を準備しておくべきで、これが独立した国家の最低条件である。

(読売新聞)
 

 ところが、日本の現憲法は自衛権が曖昧であり、これらの要素を考えていない上に、平和ボケ民衆たちは、徴兵制が怖い、自衛隊は外に出すな、などの自分勝手な発想をするようになっている。責任や負担が少なく逃げる方向ばかりを考え、その口実として平和憲法を利用しているように見える。

 そこに、自分は争いは好まないから、手伝えない、などと言って逃げる発想を卑怯だとは思わないのだろうか?武力(暴力)を好まない人もいるのは確かだけれど、その様に優しい人は、後方支援活動をすれば良い。強者が弱者を助け守る。戦時中の日本がそうであった。女性は男性が戦地にいる間に家庭をみんなで守っていたのである。だから、兵士も国や家族のために必死に戦った歴史があるのだ。何の代償も払わずに平和が守れると思ってしまうのは、余りに幼稚、無知である。

 

 戦争反対!平和を守ろうと!と言うことに異論がある(批判する)人はいないはず。しかし、それだけで、自分の国を守るための覚悟、知恵、知識が抜け落ちているから「左系だ!」「平和ボケのお花畑思考だ!」となじられることになる。ちなみに私は、左右関係なく、現実を見る平和主義者のつもりである。

 

 今の日本の状態を見れば、どれも不十分である。到底独立した国家ではないけれど、日本人はそれに気付かない。そればかりか、主権や独立は無くても良い、戦争しないで済むんだったら、米国に隷属したままで良い、9条があれば徴兵されない・・・と考える人も現れた。左派や護憲派がそうである。反対するのであれば、それに代わる具体案を持つべき。ところが彼らは「・・・であるべき」「…なら良いなあ」「・・・だろう」と言う抽象的なものがほとんど。交通事故予防の知識として、「・・・だろう」は勝手な思い込みのため、事故を招くから、「・・・かもしれない」というリスクを予想する運転をするべき、と教えられるけれど、その通りである。

 

 また、経済(金銭)中心で国の自立レベルを判定、論じるのは誤り。なぜなら、戦時において、お金はただの紙くずとなる。人間が生きるために必要なものはお金より食糧やエネルギー(石油、石炭、ガス)、水である。日本はタンス預金量や国家としての蓄財は豊富であるが、どんなにお金があっても、食べ物とエネルギーを奪われたら終わりなのだ。この観点から日本の現状を見ると鳥肌が立つほどの危機的状況になっている。自給自足率は低く、農作物の種子や農薬まで海外に依存している。水などの天然資源のある土地を外資に買い占められ、国土が虫食い状態なのである。これらをどうして防ぐことができないのか?それは、憲法が侵略者(外来有害生物)に都合が良いように作られたものであるために、防御&駆除しにくい構成になっているためなのである。最新の侵略方法は武力によるものだけではない。移民や外資による国土の侵食で日本が虫食い状態(ソフトな侵略)になっているのに、物質的な戦争がないだけで、それを平和だと勘違いしているところも無知すぎる。不動産の所有を認めないC国のような人々が日本の国土を買い漁っている現状を見ると恐ろしくなる。日本にはいまだにこれらを制限する法律が存在しない。すでに、街や日常生活の平和な性善説社会が崩壊しかけているではないか?これは自己免疫力がなく、ウィルスを体内に無防備に招き入れているのと同じ状態。気付いたらご臨終である。

(yuta,seiji)

 

 ちなみに、戦前には外国人土地法があり、国体に悪影響が出る外国人の土地売買を制限することができていたけれど、これも戦後に廃止されてしまっている。改憲では第9条問題ばかり取り上げるけれど、それは目に見えるわかりやすい攻守自衛の議論。しかし、こちらは内部侵略(戦争)である。早く改めるべきだと思う。

(よんななニュース)

 

 しかし、一方では戦後レジームの再検証の動きも広がりつつあり、戦後は馬鹿にされ、個人の自由や人権の干渉だとされて来た村社会の自治や掟が性善説社会を支えていることがわかって来た。価値観や社会がこれだけ壊されても、日本が今もかろうじて持ちこたえているのは、戦前からの遺産のお陰である。それに気付いた海外の研究者や有識者たちの評価により外国人の日本に対する関心が広まり、最近のインバウンドにもつながることとなった。来日した外国人は日本の平和が9条で守られているだけではなく、社会全体に道徳観念が行き届いていることに驚いた。街の清潔さ、公衆マナー、会話、気遣いなどの至る所に発見がある。

 戦後は侵略者によって日本の伝統教育(道徳教育)や文化は破壊され、洗脳教育に強制誘導されたはずなのに、どうして世界唯一と言えるほどの性善説文化が保たれているのか?これこそ、日本の見えない精神文化遺産なのである。侵略者も壊しきれない偉大な精神なのだ。

 その原点は江戸の太平の世を維持した歴史から生まれた教育であった。江戸期の寺子屋などにおいては読み書き、算数(そろばん)などの内容であった。武家階級はこれに、儒学などの古典、礼儀作法やしつけなどが加わり、更に内容が高度であった。読み書きができると、その先は好奇心次第で知識を広めることができた。農民でも難しい書籍を読む強者も現れる。その代表が二宮金次郎である。彼は四書五経に精通し、偉大な人物となったことで有名である。その四書の一つである「大学」の中に、世界を平和にする方法論がある。それを実現するための順番をさかのぼると以下の通りになる。

(ファシリティー新聞)

 

 明治は現代の戦後レジームと同様、維新レジームが起こり、半端な西洋化によりそれまでの伝統文化が崩壊する危険性があった。調和を保っていた掟を封建的な束縛だと考え、その反発から、これからは自由と物質文明の時代だ、古臭い考えはもういらない!と言うことになり、勉強をしなくなり、お金、物、権力に関心を寄せるようになった。戦後レジームに似ている。しかし、旧幕府時代の偉人や有識者たちは、その状況に日本滅亡の危機感を覚え、それを防ぐ教育規範の必要性を訴えたのである。そのお陰で、同意見であった天皇から教育勅語が発令された。その時に人民一人一人が最低限学んでおくべき内容として、大学にある、太平の世の中を実現するための手順4番目の「自分の身を修めること」が選ばれ、初等教育とされることになった。「自分を修める」と言う意味は、道徳を学ぶことにより、人格と品性を高め、社会全体の調和を考えること。それが戦前の教科「修身」となる。

 低学年には絵入りの仮名表記の教科書が使われた。日常生活の出来事を例えにして、登場人物が道徳的な言動をする物語となっている。高学年になると、漢字が増えて、偉人や武勇伝などの感動する物語となる。関心がある方は復刻版をお読みになると良い。

 

 今読んでも、もっともな道徳の基本が描かれているけれど、天皇や武人(軍人)の武勇伝などの記述がGHQの検閲により、軍国主義を植え付けた不良図書だとされた。私も長い間、軍国主義教育の教科書だと思っていた。親や先輩たちからもそう教わっていた。ところが、この教科書は戦前には国際的に評価されていたのである。それまでの欧米では教会などの宗教的な場所での説法が道徳教育であったけれど、日本は宗教とは関係なく、民衆のための道徳教育を世界に先駆けて全国規模で行っていたのである。当時は世界中の国々から同じような教育をするべきだと言う賞賛の声が上がった。戦後の1980年代には自国の堕落した社会に反省した国家元首たちは日本の修身を改めて見直し、教育改革を行ったほどである。英国のサッチャー首相、米国のレーガン大統領などである。

 レーガン大統領は米国の停滞と人民の堕落が間違った教育方法にあると判断し、道徳を取り入れた教育改革を行っている。その時の教育長官を務めたウイリアムベネットは日本の戦中の精神力や戦後の高度経済成長の秘訣が、戦前の教育であったことを突き止めた。その研究成果を「The Book Of Virtue」として出版し、大ベストセラーとなっている。 これは米国版修身とも呼ばれている。

 

 皮肉なことに、これと逆行したのが日本。レーガン大統領が間違っていたと気付き、教育改革をしようとした同時期に文部省と日教組は逆に欧米の真似をして、彼らが誤りに気付いた教育概念を導入してしまったのである。それがいわゆる「ゆとり教育」。民主主義、資本主義経済がもてはやされ、享楽追及、調和よりも個人の自由や人権、幸福の偏重をするようになった結果、愛国精神や道徳観念が失われることとなり、国が衰退した。欧米はそのせいで数十年の発展が停滞してしまったと反省していたのに、日本は間違った道を真似してしまったのである。しかし、自分達が正しいと信じ込んでしまったので、海外の価値観の変化に気付かなかった。気付いていても、理解できなかった。

 その結果、この世代の人々は自虐史観洗脳教育にどっぷりつかることとなった。その結果は先述した通り、鬱病患者の様な状態となる。

 

 問題(残念)なのは、今やこの世代が現役の中堅、管理職になっている事。社会に与える影響力が大きい。多感な時期にゆとり教育を受けてしまうと、洗脳の程度が深いから、自分で気付いて修正しない限り、無自覚な害国人となる可能性が高い。それに対する警告、対処法などに関する書籍が多いのは、それだけ問題が切実で深刻である証拠である。

 伝統的な教育が保たれていた地方では、家庭内にまだ「修身」の遺産が残っているので、この時系列図は少し時間がズレて遅くなる。生活様式や文化が西洋化され、情報伝達の速い都市部はゆとり教育が浸透しやすかったため、その影響が表れるのも速い。

 言ってみれば、反「修身」的な教育を受けてしまったのだ。日本の性善説文化や常識、気遣い、人間関係は「修身」的な伝統教育と価値観により成り立っているけれど、反修身の彼らとは話が通じなくなって来る。社会の調和よりも個人の自由、権利を優先するため、この世代からはモンスターペアレント、LGBT、リベラリストが生まれ易いと言われている。それまでの常識では有り得ない自己主張、権利の要求をしてしまう。そして、それが当然の権利だと思っているわけだ。それらの問題は、日本の伝統的社会において、曖昧で混とんとした状態の中で練られることにより、自然に落ち着き融和して来た。ところが、その伝統的思考と形成のプロセスを理解できないと、学習や調和、融和などの過程(時間)を無視して早急に結果だけを求めるようになる。何でも早急に白黒をつけたがるようになる。つけられないなら、裁判だ、訴訟だとなる。その場合、自己主張をしたものが勝ちと言う風潮が生まれるから、訴訟社会になる。これが欧米、特に米国が腐敗した要因であり、それに気付いたから、モラルの復活を求めて教育改革がなされた。ところが、ゆとり教育洗脳世代はこれに逆行することにより、むしろ自分の首を絞め、居心地が悪い状態を自ら作ってしまう。また、その自覚がないので、居心地の悪さや、自分に都合が悪いことは、理解の足らない他者(社会)のせいだとして、騒ぐ(訴訟、非難)。

 念のために、これは差別ではなく、事実関係に基づく傾向である。どの国にもある歴史における一現象。ただ、多数決で動く世界では、傾向(多数)は力であり、社会に与える影響は大きい。

 

 例えば、C国では文化大革命と言う時代があった。その世代は共産主義思想に洗脳され、それ以外の思想や知識は害毒とされ、勉強をさせてもらえなかったために文盲が多かった。また、国の衰退は主に日本の侵略によるものだと教育していた。これに異を唱えた知識人は全て粛清(抹殺)された。私の恩師(当時小学生)は、子供の分際で自分たちの先生を校舎の屋上から次々と突き落としている。赤いスカーフを首に巻いた(共産主義の象徴)子供たちは、それまで尊敬されていた学者や文化人を路上に引きずり出して暴行したのである。貴重な文化遺産的建築(寺院や邸宅)や装飾はことごとく破壊された。おかしいと思っても、口に出すと自分の身も危なくなる。友人知人同士や家庭内でも密告が横行し、人間の信頼関係は破壊された。この地獄のような国にはいたくないと感じた人も多く、この時期には大量の難民が海外に流出した。これはスターリン政権のソ連、現在の北朝鮮、チベット、ウィグルなどが同様である。私はこれらの難民とのご縁が多いから、最近の寄生虫のような偽装難民には並々ならぬ憤りを覚えてしまう。

 この時代が終わると、改革開放路線に舵が切られた。当時は、まだ洗脳前の世代が生存しており、アジアを団結しようとしていた日本を理解できていた人たちが潜伏していた。日本側にも軍事政権時代の両国の確執を憂いていた人たちが多かった。それらの人々は不安定で信用できない政治の世界から離れたところで、真の友好を保っていたのである。それらの人たちがコネで友好商社を作り、中国復興のためにも多大な貢献をした。日本の家電や製鉄などの分野が大陸に工場を作り技術供与をした背景もこれである。

 ところが、洗脳を受けてきた人にはこの歴史を学ばなかった人がほとんど。日本との友好の歴史はほとんど知らず、洗脳時代に教わった反日教育だけである。従って、世代交代が進み、被洗脳人間たちが政治や社会の中心となると、後進国に甘んじていることの恨みを日本のせいにし始めた。同時に、とにかくお金だ、物だ、権力だ!という思想が横行した。その結果、後の節操のない成金や腐敗政治家はその世代から多く生まれることとなる。国としては共産主義を標榜しながら、実態は権力と金の亡者の集合体なのである。

 彼らは一人っ子政策という育児制限を設けた。その為に、子供が貴重となり、過保護に甘やかされる子供が大量に生まれた。これらの子供たちは「小さな皇帝」と呼ばれ、我儘し放題となる。しかも、育てる親が被洗脳世代だから、共産主義以外の教養がない。読み書きできなかったから、その場しのぎで乱れた社会に対応することになる。つまり、他人を観察して、自分が得になる方法を選択するのである。人口が多いから、我先に何でも求める、欲しがる。そうしないと、他人に奪われてしまうと考える。そこには道徳規範などは存在しない。だから、列に並ばない、譲り合いの精神はない。友達は自分に都合が良い人の総称。日本の友達とは質が異なる。自分たちの欲望が最優先であり、道徳はその次。今の国家幹部が被洗脳第一世代。マスメディアに登場し、厚顔無恥な発言をする政府高官がその子供の世代である。これは偶然ではない。こうして誕生した国民と文化が、現在の悪評へとつながっている。因果関係を理解すれば、現状が納得できるはず。我々はそういう隣人だと知った上で、近所づきあいをしなければならない。

 

 洗脳は恐ろしく、自分では気付かないことがほとんど。自分自身を再検証することをお勧めする。この方法は「修身」の前の手順に示されている。「格物」により万物を探求して宇宙の摂理を知る。その摂理の理解が真の知恵となる「致知」。この叡智によって自分の心は誠を知ることができ「誠意」、心の状態が常に正しくなる「正心」。この状態を保ちつつ、更に教養を高めていくのである。ここまでが「修身」に至る道。つまり、再検証する具体的な手順である。

 

 私自身も再検証によって戦後に受けた洗脳を解いて来た。宇宙の摂理を理解し、知恵をつけ、正確な史実を学び直して、洗脳された内容を上書きする以外に方法はない。これが現代の「修身」である。「修身」により、家庭は円満に収まる「斉家」。円満な家庭(人々)によって作られた国「治国」は天下泰平の世界を実現することができ、「平天下」となるのである。

(ファシリティー新聞)

 

 これほど素晴らしい哲学を日本人は教育に反映していたことを、日本人は誇るべき。中国の哲人にも感謝するべきなのである。ただ、皮肉なことにこの儒教思想は本国では普及しなかった。一部の知識人のみが理解できたけれど、庶民は非現実的な理想論だとして実際には無視をされ、機能しなかった。だから、ずっと戦乱の歴史なのである。

 

 これを実践し天下泰平の世界を初めて作ったのが江戸幕府なのだ。治世の思想や教育理念はこれに基づいていた。しかし、この思想自体は古くからあるのに、どうして日本だけが実現できたのか?隣の半島も朱子学を国の理念としているけれど、それを教えたのは日本である。日本が統治する以前の社会には儒学思想の片りんもなく、政治や国は腐敗していた。堕落した特権階級貴族両班により庶民は奴隷扱い。基本的に文盲であった。この状況を統治時代に改めて日本の教育制度を実施したことで、ハングル語も普及し、今の国の基礎ができたのである。両班の奴隷支配体制に終止符を打ったのが日本であり、それにより現在の民主国家の基礎が出来上がったのである。そして、日本統治は王朝側から日本に「我が国の腐敗状況は収拾できないので統治をお願い致します」と言う主旨の嘆願があったから成立したものであり、侵略したとするのは全く事実と異なる曲解である。日本側も足手まといになるような国を助けるべきではないと言う反対意見も多かったけれど、世界情勢と損得勘定などの総合的判断により併合統治に至ったのである。

 

 現在の規律正しい警察や軍隊などの規範の由来は日本である。彼の国はテコンドウなる武術を自分たちの創始だとしているが、軍事教練の際に日本の武術家が教えた空手などの武術が由来なのである。この頃の実状に関しては当時の半島を観察していた英国人女性が執筆した「朝鮮紀行」が第三者の客観的な記録としてとても参考になる。

 ところが、日本が敗戦すると、それぞれの損得勘定で行動し始める。勝者(侵略者)に従う者もいれば、日本との友好関係や憧れを持っていた人たちは在日となり、共産主義に傾倒したものはソ連や中共と結びついた。これにより半島は分裂することとなる。

 

 朝鮮戦争後、海外から出戻った元特権階級(両班)の男性が米国の後押しで南朝鮮(韓国)大統領となると、状況は変わる。自らの特権を奪われた両班は日本に対して恨みが強かったため、過去の友好関係を無視し、国際法や歴史の経緯を無視した、失礼な政策や言動を繰り返すようになった。朱子学を標榜していながら、実態は正反対で礼節を欠いているのだが、元両班の腐敗した精神はお構いなしである。おそらくこの背景には、自分たちの存在理由を確保するため、意図的にアジアの団結(平和)を妨害する米国の策略もある。これにより今の竹島問題などが生まれた。彼の国では英雄視されているらしいけれど、実際には日韓の友好関係を破壊した人物である。

 

 多くの在日の方たちは南北の分裂前に起源があるけれど、その後の彼らの言動に影響されているために、反日感情を持ちやすい傾向がある。これもC国の洗脳、我が国の戦後洗脳と同じ状況が起きていることが原因である。更に時代をさかのぼれば、古代からの交流の歴史は古く、特に問題もなく融和していたのである。そこに国家や主義、思想などの枠組みができたことで、不自然な人間関係(差別)が生まれる。同じ日本人同士でも、関西人と関東人が互いの文化習慣を比較することがあるけれど、笑う人も入れば、差別し合う人もいる。その違いこそ、平和を乱す、人間の問題点がある。この様な負の悪循環は再検証により、整理、浄化しなければならない。その先に、真の友好や平和がある。

 日本は古来より、様々な文化や思想を受け入れて融和させてきた。本国では実践できなかった儒教を取り入れて天下泰平の時代を作った。天竺で生まれた、仏教の終焉の地は今やチベットと日本となっている。私が受けている神の啓示では、それらを受け入れることができた民族性は古代からの霊性と関係があると教わっている。そして、実は儒教の起源となった思想は日本にあるのである。これについては、またの機会にする。

 

 間違った道を真似すると言う点では、最近の移民政策も同じ。

(産経ニュース)

 

 欧米は既に反省して、日本にも警鐘を鳴らしてくれているにもかかわらず、真似をしたがる勢力がある。同じ過ちを繰り返してはならない。

 

 日本の教育の問題点は先述した通り、洗脳の影響が大きい。洗脳された人たちが、子孫を生んで教育するのだから、生まれた時からその洗脳を受けることになる。この悪循環を断たなければならない。しかし、時間は連続しているので、スパッと切ることは不可能。親子、師弟などの影響もある。それらを徐々に薄めていくしか方法はない。これには時間がかかるので、経済改革や行政の問題よりも優先順位は先。なぜなら人間がそれらの社会、経済を考え作る実体だからである。侵略者の洗脳を受けた人間が政治経済を担えば、侵略国の期待通りの国となる。実質的な植民地である。これが現代日本なのである。実際にそうなっているではないか。このことに気付いた人たちは日本の現状の危うさを憂い、温故知新による日本再興を考え始めている。

 

 また、飛び級(義務教育)が認められないことも不合理。これでは優秀な人材は生まれない。これがあれば私ももっと頑張ったかもしれない(笑)

 携帯電話やパソコンのプログラムは頻繁にアップデートしているのに、我が国の憲法は80年間そのままである。 諸外国の戦後の憲法改正回数はドイツが65回、フランスが27回、カナダが19回、イタリアが17回、中国が10回、韓国が9回、米国が6回行っているのに、日本は未だ行われたことがない。これでは時代の流れに合わないし、不都合が出るのは当然である。そして、憲法制定までの過程を知れば、強制されたものをそのまま使うのではなく、日本人自らが考える内容にするべきだと考えるのは自然である。


 

 

自転車問題の因果関係
 FBの日本を守る有志のグループに投稿した内容だけれど、参加者以外は読めないと言うので、こちらにも転載した。
 
 私見では昨今の自転車問題の元凶は東日本大震災後の行政の対応と業界と愛好者による無節操な自転車ブームの扇動である。なぜならそれまでの自転車の運用は自己責任と一般常識の範囲内で概ね自由であったからである。私は誰にも負けない自転車、バイク、キックボード、スケボー、自動車の愛好者であるけれど、この矛盾と問題点にはすぐ気づいた。あの時以来、自転車の環境は滅茶苦茶になった。これまでもあちこちで問題提起をして来たし、関係者にも話したけれど、何も改善されず今に至った。この問題は業界(愛好者)や実情を知っている公安(警察)も気付いているはずなのである。それを放置したのはやはり行政、公安の怠慢だと言わざるを得ない。
 
 そもそも、変速機やアシストがない時代に生まれた自転車は馬車や牛馬と同様に軽車両とされているままなのである。これ自体も問題であるが、その時代錯誤している法規を道路整備や教育も実施しないままで無理やり適応させること(半端な法制化と指導)に無理がある。道路などの構造(通行帯)の整備もされず、自転車の保安部品の不備(ストップランプ、方向指示器がない)の問題も放置されたままである。
 
 震災前に普及していた実際的な自転車乗りの常識は、基本的に自転車は上級者が乗るスポーツタイプ以外は歩道を走るのが原則。信号も歩行者用に従った。利用者は歩行者と同じ歩道を走るための速度調整や事故防止のための技術を実地で学んだ。高速で走ることができる上級者は歩道がかえって危険になる為、車道を走行し、事故防止のために手信号を覚えた。この知識と技術がない子供などが車道に出て事故が起こることが大半だった。だから子供たちは安全な歩道を走らせていたのである。しかも、当時の自転車の数と日本人の子供人口は今よりけた違いに多いのである。それでも、今ほどの自転車による事故や公害問題は無かった。それは技術と常識を自分たちで学んでいたからである。
 
 ちなみに、私の世代はフラッシャー(方向指示器)付き、12段変速、ディスクブレーキなどの高性能自転車の黄金期であり、アシスト自転車に負けない高速度で歩道を走ることもできたけれど、重大事故は少なかった。ほとんどが軽度の接触で、ごめんなさいで済む程度であった。実状と法制に矛盾のある状況を臨機応変に対応して来たのが日本の伝統的な教育と性善説社会の良識に基づく実際的な自転車のルールだったのである。
 そこから考えれば、昨今の自転車公害は自転車の高性能化のせいではなく、明らかに利用者側に起因する人災だと言える。そして、これを誘導したのが震災後の行政の自転車使用に関する誤った指導法なのである。当然、それを黙認した業界関係者と現場の公安(警察)関係者の責任もある。震災直後に自転車が飛ぶように売れた業界は目先の利益ばかりに有頂天となり、使用者のマナーを軽視した。
 
 震災時に公共交通が停止した際、自転車利用の有効性に気付いた関係者は、運用する際の検証を十分に行わないままで不自然な「自転車は軽車両である」運用指導を行った。この為に「軽車両は歩道ではなく車道を走るべき」という、合法だけれど実際の交通事情には合わない状況が生まれたのである。と同時に「自転車は歩道を走るものである」という常識に矛盾が生まれた。その結果、従来の歩行者信号ではなく車両用信号の指示に従う人も出て来た。車と歩行者の信号指示は正反対であるのだから、指示に逆らった行為をすれば事故は必然。今までの交差点では自転車は歩行者は同じ動きをするので、車は安心して右左折ができたけれど、今では車両用信号を利用して交差点に進入する自転車が後を絶たない。早く渡りたいから、自分の都合が良い方の信号を利用する。横断歩道で自転車を降りて押す人などほぼいない。これは実質上、信号無視と同じ行為であるが、現状では黙認されている。
 
 要するに公安と行政が信号無視を容認する状態を作ったのである。その矛盾をごまかすために、HPで細かく解説をしているけれど、大人でも理解と判断に苦しむ内容である。解釈が統一されている一般的な運転免許資格の道路交通法の方がわかりやすい。子供たちも利用し、運転免許がない乗り物の法律の方がどうして複雑で難しいのだ?

 

これが今の自転車公害の最大の理由だと思う。こんな単純明快な問題点すら把握できない関係者は愚かすぎる。あなた達が震災前までの自転車環境を壊したのである。この責任をどう取るつもりなのだ?!

 
 更に半端な法制化はこれまでの利便性を奪うことになった。自転車は狭い道でも一方通行に関係なく逆走することも可能であったけれど、軽車両として走る場合には逆走行為となる。ヘルメットや大げさな装備は不要で気軽に乗れるから便利だった。転倒やケガは自己責任であるから、スポーツ車に乗る人は自発的にかぶっていた。ベテランは多少の雨なら傘を持った片手運転もするし、交通が不便な地方では二人乗りは便利であった。免許もなく、自転車も買えない子供の移動手段は二人乗りだった。途上国では今でも複数で自転車に乗って移動する。ブレーキやフレームの性能が向上しているのだから、昔よりはよほど安全である。
 これらの行為には当然リスクもあるけれど、それを自己責任で利用していたのである。交通の混んでいる場所でするべきではないし、事故の際の過失は責任重大であることなどは自己責任として知っておくべき常識であった。技術と常識のないものは公道(車道)には出られなかった。これにより、実状に調和した交通マナーができていたのだ。ところが、矛盾した法制化と指導がこれらの楽しい自転車環境を奪いつつある。どうして最高に楽しい移動手段であるはずの自転車が白い眼で見られるようになってしまったのか?
 
 それらの教育が徹底しておらず、道路&法律整備(矛盾)が半端なままだから、様々な問題が生じるのは当然である。信号無視や逆走は当たり前の無法状態となっている。走行区分もあいまいだから、夜に小さなLEDライトだけで、ブレーキランプや方向指示器も無い状態で車道を走られることは危険。車側から見れば、暗い夜道では視認性が悪く、大迷惑なのである。昭和には方向指示器やライト類を完備した子供用自転車が多数存在していた。LEDが普及している現代ならもっと合理的なものが作れるはずである。
 
 それプラス、無知な移民や在日外国人の存在がある。彼らは免許を持たなくても自転車や電動キックボードを買ったり、乗ることができる。その時の乗り方は自分たちが覚えて来たルールに従う。無法状態の途上国から来た人間が乗れば、乗り方も無法になるのは当たり前。今でも自転車の数が多いアジア系外国人の交通マナーは全く違う。しかし、郷に入っては郷に従えが鉄則である。それを守らなければ迷惑な害国人となる。
 これらの問題が複合化した結果が実質的には無法状態となった現状である。この半端な状況を打開するには制度を整理して1:従来の法的にグレーだった基本は歩道通行方式に戻す。信号は歩行者信号に従わせる。2:軽車両としての運用をするのであれば、保安設備(方向指示器やストップランプ、前照灯などの完備)と運転資格(講習や免許制)、車両登録を義務付ける、というような二つの方向しかない気がする。
 
1の場合は教育と学習、自己責任、常識やマナーなどがセットにならなければ成立しないけれど、昭和はそんなこと当たり前であり、成立していた。震災までは大した問題とはならなかったのである。つまり、それを急に変えた行政と公安関係者の責任であることは明白なのである。
 
2は道路標識の理解と知識、判断力などの問題により、免許を持っていない子供や高齢者などが手軽に乗ることができなくなる。登録や資格取得のために余計な費用が発生することになる。この方法はおそらく楽しくなくなる気がする。
 
その意味で一時しのぎ的な「青切符」などは国民や愛好者の反感と行政の不信感を増長させるだけである。https://www.npa.go.jp/.../traffic/bicycle/portal/system.html
 
 そして、大前提がある。自転車、バイク、車などの機械類は運用を誤れば凶器となるので、知識と技術の無い人が使用するべきではない。子供の送迎に便利だからと言って自分勝手なママさんたちがアシスト自転車に児童を前後に乗せた三名乗車で歩道を猛スピードで走るのも大迷惑。ハイスピードからの急ブレーキで安全に停止できるママさんなどなかなかいない。雨なら転倒である。
 車のATなども同様。MTであれば踏み間違え事故など起きるはずがない。高齢者はMT限定にしても良いくらいだと思う。本来、踏み間違えをするような認知力の人間が運転できてしまう(させる)ことが不自然。そもそも、技術と能力の欠如した人間(高齢者など)が機械のアシストで運転すること自体がすでにリスクをはらんでいる。アシストに依存して走るような人は事故誘発予備軍である。公道に出るべきではない。公共交通を利用するべき。最近は若くてもカーナビに頼り過ぎて地理も覚えず、地図も読めない人が増えている。人間本来の能力を使えず外的アシストに依存するような人間は危険。だから、若年層の踏み間違え事故は高齢者以上に多い。
 
 ついでに言えば、脳の若い人間がこれだけ間違えるのだから、車の運転システムや機械類の構造(スイッチ類の表示や配置など)にも問題があることは間違いない。MT方式では起きなかったのである。設計に携わる世代が若くなると、MT免許を持っていない人も多い。だから、彼らはゲームのコントローラーと同様の発想で装置を考えてしまうのだ。アナログの発想ではなく、デジタルの発想に変わってしまった結果、ほとんどがボタンだらけの操縦席となる。

 業界はその研究と対策を怠っていると感じる。業界は「売れれば良い」という商人根性だけ丸出しなのだ。だから売れないマニュアル車は製造しなくなりつつある。行政も同じ穴の馬鹿ムジナだから、MT運転免許の取得がしにくいように制度を改悪してしまっている。現在の運転免許は過半数がAT免許になっている。
 
 ちなみに、踏み間違えた場合には音声で警告し、速度を抑制すると言う装置をあるメーカーが販売しているけれど、そんなもの緊急時に役に立つはずがない。認知力がない(劣っている)人間には音も文字も無意味なのである。
 
 この問題解決のために、アナログ式(機械式)の踏み間違い防止装置を考えだしたのは民間の発明家である。車を売っている企業は売って儲かれば後は知らないと言う態度が許せない。
 
 
 皮肉を言えば、交通法規や車検、自動車関連税制などの法制化に携わってきた人たちはこれらの踏み間違え高齢者と同レベルだと思う。利用者を混乱させ、負担を強いるような内容は、まるで現状認識ができないままに運転しているのと同じことだ。運転したことのないド素人の思考に近いと感じる。まさか、担当者に無免許の人がいるのではないか?ゲームでシミュレーションしているのではないのか?
車類を運転、所有し整備をする喜びを知らない人間たちが事務的に法制化をしているのではないか?と疑いたくなって来る。そういう人間が自動車関連の法制化、税制を考えると乗り物の楽しみは奪われる。そういう人間が自動車メーカーの管理職になれば、そのメーカーはN会社のようになると思う。

 国民が知っておくべき事実関係と神の啓示。選別とは、宇宙(神)の叡智を知るもの(従うもの)とそうではないものの区別のこと。それに基づいて、不自然(反摂理)、邪悪な存在は淘汰される。これはセットである。叡智が無ければそれを識別することは不可能だから。

 

 神の摂理による自然淘汰は緩やかなはずである。これは基本的な万物のプログラムであり、これまでは介入されることが無かった。しかし、人間による叡智を模倣した文明技術により、プログラムを部分的に加工することができるようになってしまうと、基本設計が狂う。人類は大義名分として「支障がないレベル」「神の領域には干渉しないはず」と言うけれど、それはあくまで知識が不完全な人間の判断である。それらを権威的な立場で主張するのが科学者であるが、神と断絶した、霊性の伴わない情報処理頭脳は人類に害をもたらす脅威となることも知っておくべき。それらの頭脳が世界を滅ぼす技術を生んでしまうのである。その意味では人間の評価(権威)である○○賞などは、決して神の評価ではないのだ。これを勘違いすると、道を誤る。

 

 似た例としてはパソコンに異常が起きた場合、自分で修理方法を検索をして、素人は弄ってはいけないプログラム言語を使用して深層の修正(加工)をしてしまうことがある。一時的に問題は解決されたように見えるけれど、実は修正や削除した部分に役割(意味)があることがある。そうするとOS全体が異常を来し、最終的には強制リセットをすることになる。これと同じことが世界にも起きる。つまり現世界を一度白紙状態に戻して、正しいプログラムを再インストールすることになる。

 神の啓示によると、これは二方向から起きる。一つは外的でわかりやすい破壊や損傷。物理的な影響としては核や量子を利用した技術による破壊活動(核兵器、量子や波動を使う武器)。二つ目は内的な破壊。これは内側(微細世界)に向かう破壊であり、遺伝子や量子レベルの人為的な加工を意味する。どちらも「量子」などの、現時点で人間が理解している最深&最小レベルの内容に干渉することが共通点。これはパソコンのプログラムを構成している深層のプログラム言語に相当する概念。だから、不用意に弄ると、修復は不可能となり、強制リセットするほかなくなるのである。それが、古来より伝えられている「世界滅亡」「末法思想」である。

 

 現時点で人類はそのリスクを冒し始めた。今回は二番目の内的破壊行動に関する警告と、それに基づいた関連事象の投稿。

 

 ワクチン接種の強制は政府と医療関係者の重大犯罪(過失)である。人々を救うべき立場でありながら行政や組織の圧力に屈し、加害者となった医療従事者も共犯である。経営の利己的損得勘定を優先し「仁」の心を忘れ、異常事態を見ていながら放置していた病院、医師の大多数は残念ながら同罪なのだ。本来は、現場の異常を直ちにフィードバックさせ、被害の拡大を抑えるべきであった。一方で問題提起をしていた人たちも’(私を含め)少なくなかったはずだったけれど、それらの声は政治的圧力により封殺された。私のSNSも凍結された。観光旅行業関係者からは脅迫じみた抗議を受け、関連するSNS投稿や言論が全て削除された。

 

 ついでに言えば、昨今問題となってる観光地や街の治安の乱れはインバウンド需要を無節操に煽った観光旅行業界の責任も大きい。業界が政権に圧力をかけていたから入国規制が遅れたのである。緊急時は背に腹は代えられなくなる状況が生まれるものであり、そのために国が支援しなければならない。一方では、関係者が国家的危機よりも自分たちの私利私欲を優先した態度がある。この無節操な態度は今でも続いており、手のひら返しでインバウンド観光客を非難する人もいるけれど、それは自業自得である。あなた達がインバウンドによる金儲けのために呼び込んだのだ。節操のない商売は神の摂理を軽視した愚行であるから、当然神の選別には入らない。因果応報が待っている。

 

 断じて許せないことは、社会的(職場や組織)の圧力により、違和感を持っていた人たちがワクチン接種を拒否できないようにしたこと。行政はウィルスに関しては素人であるし、学者や医師にも情報や知識不足の可能性はあるのが当たり前。現場の忙しさに知識をアップデートする時間がない医師は多い。そういう状況の中でいわゆる著名人、○-○○賞受賞を受賞した科学者、色々な学者有識者たちがさまざまな発言をした。それらの混沌とした現実を考えた場合、最終的な決定は本人自身の判断によるべき。判断力がない人は信頼できる医師や専門家に頼る。デマを識別できないのであれば、自分の無知無学を嘆くことになる。これらは全て人間の学習の機会でもある。

 

 ところが、今回の問題は行政と関係者が未知の病原体の正体を把握していない半端な状態のままで接種を実質的に強制したことである。このせいで、おかしいと感じていた人も、拒むことができずに被害を受けた。私の様に権力や組織に抵抗し、不利益を被ることを覚悟してまで拒否する人は極少数で、大多数の国民は逃げることができなかった。特に医療従事者、海外渡航者、公的機関職員などは必須であり、大部分の企業でも無接種者は白い眼で見られたから、拒否することはできず、ミイラ取りがミイラになってしまった事例もある。巷では「自分の事ばかり考えるのではなく、みんなのためにワクチンを接種しなければならない!」という、綺麗事プロパガンダと同調圧力が横行した。マスクを着用する程度の思いやりとワクチン接種を強要する事は、その重大性と被害に雲泥の差がある。

 

 前々から述べている通り、愚民(みんな)が過多の社会における民主主義(多数決)は破滅への道なのである。

 

 私の患者さんの中でも、職場からの要請や、家族の意見を拒否できることができず、接種をしてしまい、身体が元に戻らなくなってしまった人が何人もいる。高齢となった母親には打たせなかったし、同世代の方たちにも説明をしたけれど、従順で善良な伝統的日本人は今でも滅私奉公や同調する傾向を持っているから、ワクチン接種を拒否できなかった人がほとんど。後遺症状としては慢性的な倦怠感(動けない)、声が変わってしまった(低音)、発疹などのアレルギーの活性化などがある。それまでは何ともなかったのに、接種後に突然そうなるのだ。それまでは、毎日歩き、趣味に興じていたお年寄りたちが、そうなってしまった。生存できただけで幸いである。ついでに、恐ろしいけれど大切なことを言うと、これは神の啓示にある「選別」と関係している。神の摂理(存在)を軽視して学ぼうとしない人間は選ばれない。自分で学ばず、考えないまま他者に言うことを鵜呑みにすることは危険なのだ。政府や世論に盲従することも同じ。実際に今回のワクチンが即効致死の存在であれば、愚民たちは生きていない。生存できたのはたまたま運が良かっただけなのである。私の警告を聞かずに後遺症の残ってしまった方々(患者など)はそれを教訓とするべし。知恵(学習)の重要性を実感したはずである。

 

 これらの隠された事実関係は、この動画がわかりやすい。


https://www.youtube.com/watch?v=_qdngnoOjH4
長い動画なので倍速視聴をお勧めする。画面に歯車マークがあるので、それをタップすると再生速度調整ができる。1.5倍速程度なら問題なく聞き取れる。京大の福島先生のご発言部分は26分から。

 

 これらの事実関係を検証すれば、未確認の状態のままで、反対意見を抑えこみ、接種を強制的に推進した大臣、省庁関係者、細菌学者、医師会、医薬品業界などの責任は甚大(過失致死)である。死人に鞭打つようであるが、当時のA総理政権によるリスク管理は最悪であった。感染リスクの高い国民を制限もせず大量に流入させた上に、毒物を国民に強制受容させたのである。子供用サイズのマスクを多額の国費で配布するという馬鹿げた無駄遣いもある。その責任の所在を明らかにし、逃亡を防ぐため、直ちに起訴し裁判にかけるべき。もしも、司法がこれらを裁けず、更に隠蔽に加担するのであれば、司法界も共犯である。 最近は在日外国人を過剰に擁護するようなおかしな判決も多い。それらの審議を行った関係者を知り、監視する必要がある。その為の参考となりそうな裁判官検索サイトができた。

https://saibankan-map.jp/judges/map

 司法の不正は決して許してはならない。うやむやにして見逃せば、道徳や法律(掟)は無意味となり、将来にも同様の災禍を招くことになる。ついでに言うと、最近は帰化した弁護士などの士業関係者も増えている。彼らの目的は同胞を手伝う為であり、帰化はそのための(資格取得)手段に過ぎず、日本を愛しているとは限らない。国内の事業参入、不動産購入などが主目的である。

 

 日本が法治国家の信頼を失えば、無法状態となるのは自然の摂理。国への不信感と怒りを持った民衆は昔の一揆や焼き討ち、討ち入り、天誅などの暴挙に出る可能性もある。健全な国体を保つことはできない。ケジメは必須。少なくとも、私は決して許さない。教訓により賢くなった民衆も以前とは違うはず。従順で平和なはずの日本人にも堪忍袋の限界がある。日本だけの問題ではなく、人間が自然界の摂理(神の知恵)を無視して、邪悪な存在や行為を見逃し続けると、恐怖の「強制リセット」が必ず訪れる。


 私は「仁」を使う責任と宿命を実感しているだけに、怒りはとてつもなく大きい。これを教訓として、世界や日本の医学界が正しい道を歩むことを祈念する。

 日本には素晴らしい先達もいらっしゃる事を思い出すべき。テレビの健康番組に登場するような「名医」が本物とは限らない。むしろ、メディアは真実を述べる医師を黙殺し、権力者のプロパガンダに権威付けとして加担する傾向があることは、今回も明らかとなったばかりである。

 

青森のナイチンゲール・花田ミキさん


https://hanadamiki.com/

 

平和の医師・中村哲先生


https://www.youtube.com/watch?v=4tkw2s2BJBw

 

PS:私の言論の背景

 

 コロナの情報が広まっても、当時の間抜けな政府は中国からの春節インバウンド観光客を制限することなく迎え入れていた。観光旅行業関係者も制限には反対であった。その頃、私は関西に滞在しており、あちこちで中国人観光客と遭遇した。ある観光船の中で、私の仁術使いとしてのセンサーが異常反応を示した。特殊な異物が体内に侵入したと言う警報であった。その後、帰宅してから、その異物の存在が明らかになり、体内で戦いと分析が始まった。私の戦闘能力はこの時に覚醒し、情報を収集する。その時の分析結果は、花粉症などのアレルギーや小児まひなどの神経性疾患に近い症状を引き起こすという可能性。それは幾度となく治療している時に接して来たデーターに近い反応であった。チクチクと突き刺すような刺激があり、それにより身体の正常な機能が誤作動を起こす。筋肉系の麻痺、自己免疫システムを機能させなくするノイズが含まれていた。しかも、その症状は突発的であり、非常に不自然。通常は症状が出る前の予兆がある。予兆は侵された部分が敵と接触した際の情報のこと。しかし、それが無くて、いきなり人工的な毒物が侵入した様な印象だったのである。普通のウィルスや細菌のような生命体であれば、交流した情報が残るのであるが、これが無かった。最初から攻撃的な相手であったから、免疫のない身体はパニックに陥り、制御不能になる危険性が非常に高かった。これはアレルギー反応の時と非常に似ていた。私は何度も戦って来たので(私の対花粉症勝率は現時点で100%である)、抑えることができるけれど、普段からアレルギーを持っている人にはとても危険なウィルスであり、反応が出た時には、おそらく手遅れになると予想していた。私の仁術の基礎は宇宙のプログラム言語に相当するものであるので、これを感知する。

 

 この頃、私の知人(医師)はコロナ隔離の最前線にいた。彼は最前線の医師団が何も情報を与えられていないために、ご自身で海外情報も収集していた。その中に中国人民解放軍の内部サイトにつながる情報があった。そこを探ると、驚くべきことに、そこには「このウィルスの遺伝子構造は自然界にはあり得ない人工的なもので、我が国に敵対するものが、国内にばらまいた細菌兵器である」と書かれていたのである。当時はまだWHOも詳細を把握しておらず、中国政府や専門家も「コウモリ由来ではないか」などととぼけていた段階であったのだ。他国もウィルス自体の分析が進んでおらず、正体不明であり、人工的なウィルスであるとは誰も言っていなかった。人工ウィルスに対して短時間で確実なワクチンができるはずもない。結局、WHOの調査団も直後の検査をすることは許されず、今でも人工ウィルス説は陰謀論とされているはず。そのサイトは数日後に消えており、リンクできなくなっていた。この頃、米国のサイトでは米仏中の三か国のウィルス研究に従事していた研究者が内容を暴露した動画も流れたけれど、すぐに消されている。そして、世界中でデマ防止と言う名目の情報統制が始まったのである。

 

 また、私はコロナ前のSARS(第一次コロナ)体験者でもある。空港ではSARS調査団ともご一緒していたので、情報を尋ねたけれど全く未知だと言う事であった。結局、感染はしなかったけれど、恐怖もあり、現地の報道を逐一チェックしていた。その当時、すでに飛沫感染は報道されていた。それは風下にある集合住宅にのみ感染が広がり、風上の人たちには感染しなかったからである。ところが、当時の日本国内の細菌学者(中国の研究所にいたらしい)や防疫関係者たちは「飛沫感染はしない」と言っていたのである。途中から「エアロゾル感染の危険性がある」と言い始めた。中国で細菌研究をしていたと豪語していた医師は当時の情報を知らなかったのである。私は直ちに知人の医師にもその危険性を伝えたけれど、現地ではずさんな防護服とマスクでの対応をしており、すでに手遅れだったのだ。そればかりか、そういう情報はパニックや混乱を引き起こしかねないと言うことで、防疫責任者から緘口令を出されたそうであった。これでは被害の拡大は抑止できないのが当たり前。

 

 これらの話は私が体験した事実であり、伝聞でも都市伝説でもない。私自身が一次資料(証人)なのである。更に、私はそれ以上の事も知っているけれど、今回はこれで終わりとする。