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雲水・ISA(九龍)のブログ

日本は神の国
仁術師

イスラム教も聖書と同様に、昔、神が人間に伝えたものとされているが、時代とともに内容と解釈が変質している。しかし、厳格に古来のしきたりを守っている人たちには神の言葉のエッセンスが残っている。それを、現代の人間の一時的で不安定な価値観や概念で判断すること自体が危険。女性の服装、断食、飲酒などの禁忌には全て意味と理由がある。その原義を知らないままで、現代の価値観を当てはめることには非常な怒りを覚える。変える資格があるのは神の声を直接聞くことができる人間だけなのだ。信仰を失ったリーダーは道を誤る。二千年近い教義と理念をどうして100年にも満たない時間で発生した、人間の一時的なアイディアや価値観で変えることができるのか?変わってしまったと言うことは、そこに神との断絶があったと言う証拠である。これは明治以降の日本にも起こった。これは自然の掟、節度を越えた行為を人間がするようになったことと関係がある。つまり、科学(神の理論)の無節操な運用である。一般人が革命などで台頭するようになり、宗教的な拘束力が薄れたことと同期している。その為、神の掟は「便利」「合理的」などの価値観により無視されるようになったのである。そこから人間の暴走は急加速した。

(1968年のテヘラン)この時代、神はないがしろにされた。今、宗教の原義を忘れて抗議、米国擁護している人たちはこの流れにいる人たちだと言ってよい。

 

神の真言(本意)は多数決ではない。少なくとも、質の悪い愚かな人間の多数決など、何の意味もない。その時々の権力や損得勘定で変動するいい加減な存在である。従って、デモの参加者の数、処罰された人間の数には意味がない。愚民が多いほど、信仰は捻じ曲げられ、国は病む。処罰する方法はそれぞれが判断するべき。神の声を聴く耳を持たない愚民が多ければ、浄化が激化し大規模になるのは自然。そして、神が本当にお怒りになった場合、人間が騒いでいる大虐殺の規模では済まない災禍が訪れる。反対に、神の言葉を理解、感じることができる人が増えれば、望みがある。

国や共同体の中心こそ神である。ところがこの絆があると邪悪なモノは介入できなくなる。だから、それを分断しようとする勢力がある。その連中の考えた神に反逆する理念が「民主主義」や「共産主義」などである。この二つは相対する勢力のように見えるけれど、神から見たら、人間が作った概念なので、五十歩百歩のような存在。いずれも、神の領域を越えたり、無視をすることは、宇宙を破壊することと同義である。愚かな人間(民衆)が主になれるはずがない。神(宇宙の摂理)によって作られた世界を、一時的なアイディア(思想や主義)でコントロールできるはずがない。それ以外の○○主義、市場経済などの概念も同様。○○主義的な発想をするようになったのは民衆(一般人)が市民革命に成功した結果、自分たちがまるで神の摂理を超越したつもりになった時から始まる。この傲慢な態度は科学の世界でも起こり、それらの人たちが恐ろしい発明をしてしまうのである。

 

実際に資本主義大国の傍若無人さは神をも恐れない罰当たりな行為である。それらの国々の多くは聖書系の宗教を信仰しているけれど、商人が神よりも大きな顔をしている。国際法も軽視し、もはや宗教的な教義など存在しない。そもそも、現在騒動を起こしている人間たちはその地に元から住んでいたのか?そうでなければ、明らかに外来した異物である。介入、干渉、侵略を目的とした害国人ではないのか?これらの行為ができるようになったのはやはり限度を超えた科学知識によるものである。

口出しをする神職や宗教界を排除&弾圧して、自分たちの都合が良い社会を作るために生まれた発想が支配者側の「政教分離」である。これに対して、「信教の自由を保障するために国家は干渉しない」とする政教分離の考え方もあるとされるが、いずれにしても信仰や教義は政治や社会に反映されない点では同じである。これは、あたかも自分達が寛容だから信教の自由を与えているとでも言っているようだが、実際には宗教に干渉させないための、人間が作った詭弁である。

 

世界中のほとんどの宗教では、利己的欲望に基づく他者への攻撃や搾取は悪とされるから、戦争や侵略は起きないはずなのである。神が戦うべき相手は「悪」のみ。ところが、これを厳格に守ると、侵略や戦争ができなくなってしまい、商売が成り立たなくなる。そこで邪悪な連中は宗教(一神教)を利用して合法的に侵略を始めた。それが布教を隠れ蓑とした植民地政策である。自分たちの神を押し売りしながら侵略を正当化したのである。邪悪な存在は神がいる国や文明に対しては「政教分離」を押し付けて、民と神の絆を分断し、信仰を奪う。神がいなくなると、神を騙る人間が介入して来る。軍人、役人、商人などである。

 

人間が犯した神を冒涜する最大の欺瞞であり、罪悪こそ、穢れた政教一致により行われた一連の植民地侵略行為なのである。本来は悪を押さえ正しい道に導くべき存在の宗教であるはずが、邪悪な商人と権力者に実権を奪われ、言いなりになっていたので、本来の政教一致ではなく邪悪な契約(関係)であった。この背信、背徳行為を懺悔しない限り、その宗教の関係者には未来永劫救いがない。それらの末裔は現在も格式だけは残り、荘厳な場所に残存しているけれど、信徒の暴走を止めることもできない。布教するという言い訳が通用しなくなった現代、連中は意図的に「悪」を作るようになった。世界に害をなす危険な存在だ、人々を苦しめる専制君主だ、テロリストだ・・・などの理由を見つけて、侵攻を正当化するのである。こういう欺瞞に騙されてはならない。

今回の騒動も同じ。その意味で、イスラムの指導者が神の原義(本意)に基づいて正しく導くのであれば、神は味方をする。ここでいう「神」は両者の元神(同一の存在)である。神を信じる者は作られた国際世論やマスメディアなどに騙されてはならない。一方で現在のイスラム教における侵略的な言動は許されるものではない。私はイスラム教に関してそれほど詳しくもなく、詳しくなりたいとも思わないので、神の啓示に従えば、自分たちの信仰と存在を守れと教えたけれど、他者を侵略(迫害)して良いなどと言ったことはないそうである。信者や関係者は今一度原点を確認したほうが良い。間違っている。その間違った発想は現在侵略をしている米国と同じであるから、互いに衝突するのは因果応報。自業自得である。

 

これは日本についても言えること。古来の本当の霊性を知るべき。それは、西洋化して変質させられた現代日本の価値観とは違う。もしも日本が本当の霊性を守り、神に恥ずかしくない言動をすれば神は守る。その反対は因果応報となる。日本が少し違う点は、明治に道を誤るまで、かなり長い間「政教一致」を守って来たことである。本当に霊性を感じることができる人に形式(慣習、儀式など)は無用だけれど、霊性がくなっている場合、形式がそれを補ってくれる場合がある。日本の霊性は甚だしく弱体化したけれど、それらの慣習、迷信や伝承の中に残存していた霊性のかけらがあるのだ。これこそが日本の宝物である。この宝物は、今でもアニメ、文学、芸術。民間交流、日常生活の礼儀作法などに感じることができる。だから、今の性善説社会の基礎が残ったのである。そして、その偉大な霊性は世界中の人たちに波及して、人々を覚醒しつつある。なぜなら、その神と霊性は日本だけのものではなく、世界万物に君臨する偉大な意識であるから。それが色濃く保存されて来たのが日本なのである。

 

だから神は「日本」を希望だとおっしゃる。その為には、明治から戦後に続く邪悪な構造を改め、健全な政教一致を取り戻さなければならない。神と民の絆を分断する「政教分離」の詭弁に騙されてはいけない。

 

忘れてはならない事は、世界にある全ての宗教や信仰の元となっている神は一つである。生まれた場所や時代によって表面は異なるように見ているけれど、根っこは同じである。それに気付けば、争いはなくなる。そして、信仰が生まれた状況に適応して作られた数々の戒律や作法、慣習がそれぞれ異なることは当たり前。それらはその時代、その場所に適応した内容なのである。地理、気候、存在する動植物、食生活、身体的遺伝などの違いがある。それらに基づいて説法や講義の例えと説明がなされている。従って、自分たちの理論がどこでも正しいと考えるのは神の本体を見ず、着ている衣服だけを真似しているのと同じことである。偽物が神にまねた衣装を着てやって来ても、これを各地の霊性は判別する。元が同じ御神体であるから気付いて当たり前。

 

本体を持たない、形骸化した神の物まね集団は外に出ると、行った先々で現地の人や社会に迷惑をかけることになる。それが「害国人」である。とにかく神の物まねをしたいので、中身のない儀式やスタイルにこだわる。それが、他所では通用せず、嫌悪されている事にも気付かない。本体を持たず、神の本質を理解していないから、物事が見えず、臨機応変な対応ができないのである。神の本体が見えないから、自分が教わった慣習や言葉がどこでも全く同じ形で存在するものだと勝手に思い込むのと同時に、変わることが怖くてできない。これこそが様々な宗教で嫌われる「偶像崇拝」の本質なのだ。他者の事ではなく、自分たちが神の本体を見ず、勝手に作りあげた概念の総称なのである。他宗教の建造物や彫像を壊して得意になっているような連中は、これが理解できない、迷惑であり、神を冒涜する存在なのである。神は決して許さない。

顔や髪を布で覆う人たちがいる。起源は「美しさや性的魅力を隠すことにより、貞操を守り、謙虚さを持つ」ためらしい。では、顔や肌を出したら貞操も謙虚さも守れないのか?未開の種族たちは今でもほぼ裸である。日本は女子供が夜に独り歩きをしても犯罪に巻き込まれることは少ない(悪化の傾向にはあるけれど)。日本は昔から性には寛容である一方、ケジメを持っていた。このケジメがないままに娯楽文化を広めた経済大国は逆に犯罪が増えてしまった。それらの人間の無節操な行為には頭から布をかぶせるのが正解である。つまり、その時代や人間性に応じた必要性から生まれた慣習なのである。その慣習に異議を唱えるのであれば、その習慣が生まれた原因となる劣悪な環境や人間性を修正するべきである。それをせず、権利ばかりを主張するのはおかしい。


この違いを感じることができ、伝統的教育として独特の感性を受け継いできたのが日本なのである。驚くべきことに、具体的な宗教組織が教えや慣習を強制したわけではないのに、民が自ら学び伝えて来たのである。大げさな儀式や行事もせず、決まった時間の礼拝などもない。するのはお祭り騒ぎと楽しくて盛り上がる行事だけ。とても軽薄で、いい加減で、まるで宗教や信仰を持たないように見える。ところがその根底にずっと流れている偉大で巨大な存在がある。これこそが日本の霊性なのである。

ケジメの無い人間は社会が差別淘汰して来た。だから、布などかぶらなくても、安心して暮らせるのだ。昔は戸締りをしていない家も多かった。お金や貴重品を落としても出て来る。特定の動植物を禁忌とする習慣もないから、あらゆる食物はありがたくいただく。その代わりに殺生の罪悪感と慈愛の心は忘れない。逆説を言えば、日本の霊性に感応した人は、その奥に同じ御神体を見ることができるから、布はかぶらず、豚肉も食べるようになる(私は同様の話を以前からして来たけれど、それがきっかけで実際にそうなった人を何人も知っている)。そして、これは日本人が他所に行けば反対に同じことが起きる。日本の慣習や価値観にとらわれると、自分も危ないし、相手に迷惑がかることになる。平和ボケをしているわけにはいかなくなり、自衛とリスク管理を学ぶ必要がある。これを表現したものがよく言われる「郷に入っては郷に従え」と言う格言なのだ。神の御神体を見ると、人は表面的な衣装やアクセサリーにはこだわらなくなるものである。

 

こんなに素晴らしい国があるか?霊性の国、神国なのである。感謝するとともに、世界の邪悪な勢力からこの貴重な霊性を守らなければならない!

 

思想や信仰はそれぞれであるし、自分たちで信じる分には問題ない。敬虔な信者の信仰心や態度には敬意を持っていたけれど、最近の言動を見ていると、認識が変わりつつある。日本には戦前からイスラム教信者(ムスリム)がいたけれど、これまでは特に文化的な摩擦や問題はあまり聞いたことが無かった。私も何度か訪ねた都内の有名モスクでは、礼拝の声も地元の風物詩とされており、嫌悪感を抱く人はいなかったと聞いている。ところが、最近の言動は何だ?とても質が落ちているように感じてしまう。これまで築いて来た友好関係を台無しにしている気がする。

自分たちで思想を信じて修養するのは勝手だけれど、信者でもない人たちに押し売りするのは失礼であり、物理的な押し売り(押し付け)は侵略である。これをわかっていない人たちがいる。自分たちの価値観や信仰を主張するばかりで、相手のことを全く考えない。他所から来たくせに、自分たちの価値観を優先しろ、法律を緩和しろ、変えろと言う。何と失礼極まりない物言いなのだろうか。無礼で自分勝手であり、侵略行為であることの自覚がない。明らかにこれまでのムスリムたちとは人間性が異なる。こういう人たちと「共生」「共存」は不可能だと思うようになって来た。我々一般人にその区別は難しいので、在日ムスリムたちが自分たちで統率するしかないだろう。それができなければ、共生は諦めてもらうしかない。

 

一方では日本人の寛容な人の善さにつけ込まれることになる。善意や寛容を「日本人は大人しいから、強く出れば何でも言うことを聞いてくれる」と捉える下品な人が増えている。道徳礼節を知らないものに、道徳礼節は通用しないと言うことを日本人も知るべし。

(ヒューマンアカデミー)

 

しかし、どうしてその様に無礼で侵略性の強い発想が生まれるのかと言う理由は、このサイトで詳しくご説明なさっている方がいる。

 

その部分を抜粋すると以下の通り。

 

なぜテロをするのかと言えば 開祖ムハンマドが暴力的な軍人だからです。 ムハンマドは商人であり宗教家であり政治家であり軍人です。 1万人規模のイスラム武装勢力を自らが指揮して 異教徒の虐殺を含む武力弾圧を実行し アラビア半島にイスラム帝国を築き、 自らが国家元首として君臨してます。 イスラム過激派は 教祖が実際に行っていた行動を真似して暴力肯定主義になるのです。 →とはいえ、テロは御法度です。 <コーラン> 2章(雌牛の章) 190節 神の道のために、お前たちに敵する者と戦え。 しかし、度を越して挑んではならない。神は度を越す者を愛したまわない。 191節 お前たちの出あったところで彼らを殺せ。お前たちが追放されたところから 彼らを追放せよ。迫害は殺害より悪い。しかし、彼らがお前たちに戦いを しない限り、聖なる礼拝堂のあたりで戦ってはならない。もし彼らが戦いを しかけるならば、彼らを殺せ。不信者の報いはこうなるのだ。 192節 しかし、彼らがやめたならば、神は寛容にして慈悲ぶかいお方である。 193節 迫害がなくなるまで、宗教が神のものになるまで、彼らと戦え。 しかし、彼らがやめたならば、無法者に対しては別として、 敵意は無用である。 → 度を越してはならない。 お前たちに戦いをしない限り、戦ってはならない。 相手がやめたならば、無法者に対しては別として、敵意は無用である。 ・・・とあります。 だから、武器を持たない一般人を巻き込む自爆テロは御法度なのです。 


中東の民族紛争の歴史から生まれた古い発想を現代世界に押し付けようとすることは無理がある。しかも、地元ではない遠く離れた海外にまで武力(暴力)によって強制するのであれば明らかな侵略行為である。もしも、自分たちの一方的な侵略を正当化することが許されるようであれば、恐ろしい思想だと言うしかない。これは現在国際法を無視して信仰している大国と同じ。似た者同士だから衝突するのである。ちなみにアジア圏にもよく似た大国がある。こういう発想をする人たちに平和は作れない。イスラム教は古来から交易の歴史上アジア圏にまでその思想は普及しているけれど、非常に危険である匂いがプンプンする。世界のムスリムはこの歴史と現実を熟考するべき。

日本で心配するべき可能性は、自分たちで勝手にモスクや組織を作り、それに制限を加えた場合に、コーランに記された「迫害」という概念を使いかねない事。自分たちで勝手に禁止されている火種を持ち込んでおいて、火事になったら、放火された!と騒ぐのと同じだ。だから、既成事実を作らせてはならないのだ。モスク、土葬などは認めるべきではない。食事制限は個人的な範囲で保障すればよいことである。これまでのムスリムたちもずっと郷に入っては郷に従えの原則を遵守してきたはず。それが急に問題化するのは、明らかに今の一部のムスリムが異常だと言うことなのだ。今まで日本と友好関係を築いて来たムスリムたちにとっては大迷惑である。

 

ちなみに、トルコ人なら誰でもご存じの通り、クルド人はほとんどが元テロ組織関係者なのである。当然トルコ政府の鳥尻まり対象となるけれど、それを政府から迫害されているとして、難民申請をしているのが実情。難民申請を受理されないまま強引に滞在し、結婚や子作りをして何とか日本に居座ろうとしているのだ。この策略に日本政府と日本人は気付かなければならない。

 

https://www.youtube.com/watch?v=_ZE-UyVPY3k

 

日本という環境と文化に迷惑をかけるべきではない。これを理解せず、敬意を払わないのであれば、日本の神霊は決して許さない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、良識や善悪、道徳などが通用せず、言語による会話や交渉が成立しない状態。この状況に迅速に対処するための有事に関する議論の時に、平常時にしか通用しないような理想論や平和論を持ち出す人が多すぎる。まるで対岸の火事を見ているようで、発想が他人事である。話しているうちに緊急事態は迫って来る。時間がないのだ。悠長な議論は平和で緊急度が低く、時間的余裕がある場合にするべきことである。すでに戦後80年間の平和ボケの時代があったではないか。その間に一体何を考えて議論して来たのか?しかも、ずっと米国の核の傘の下にいることの自覚も無く、80年もかかって結論も進展もない議論をこの期に及んでまた持ち出す連中の気が知れない。ウクライナ問題、台湾問題、最近の選挙の際にも相変わらずであった。

 

それらの軽薄な有識者は、今後史実の前に淘汰されることになる。この稀有な研究者により隠されていた真実が次々と明らかになりつつある。


火事が起きた時には真っ先に消化をするべき。風向きを見て消火する方向を考え、燃えている物質に適した消火剤と消火方法を選び、適当な人材と機材を配備するはず。


ところが、火災がすでに起きているにもかかわらず、火は危険だから近寄らない方が良い、消防隊は火が迫ってきたら対応するべきで、こちらから積極的な消防活動はしてはいけない、火は危険だから最初から使わない方が良い、火が無い世界が平和だ、消防活動を義務化されるのは危険だ、消火設備は予算の無駄遣いだ、火災原因はなんだったのか?・・・と急を要する火災現場で考える人たちがいる。そんな暇があるなら身体を動かして、直ちに消火活動をするべきだと思う。

私は日本の国防や憲法論争はこれと同様の現象だと考える。議論している間に初期消火のタイミングを逃す。火災はあっと言う間に拡大してしまい、とやかく議論する時間も場所もなくなってしまうのだ。大切なものを失ってから、ようやく、議論する前にとりあえず消火しておくべきだったことに気付くけれど、全ては後の祭りである。優先順位が反対なのだ。

そうならないために、常日頃から防災防火の知識を身に着け、防災設備を完備しておくのだ。天災や不慮の過失以外に悪意のある放火もあるかもしれない。だから、普段から恨みを買うようなことはするべきではないし、一方的な悪意に対しては、監視と用心をしておくのだ。それさえあれば、いざという時にいつでも対処することが可能である。これは平常時にしておくべきことで、非常時には間に合わない。その意味で、平和な時代の議論や研究はとても重要。この段階における平和論、理想論は有意義だと思うけれど、タイミングを間違えれば、手遅れとなる。これが国防で言えば、抑止力(防火対策)、防衛準備なのである。そして、先述した通り、既に戦後80年の平和な時間が流れているのに、未だ議論の結果も出ず、いつまでイメージゲームを続けるつもりなのか?

そこで、最近のイラン問題である。グローバル化が進んでいる現代、対岸の火事では済まない。飛び火する可能性がある。

米国と友好関係にあり、米軍基地が国内に存在する国々が中東には複数ある。でも、軍用機の使用と領空の通過を拒否できる。それが自立した国。拒否したスペインもその一つ。当然米国からの制裁は想定内のはずなので、その覚悟はご立派。一方で、拒否できない国がある。まるで常に運命を一緒にしなければならないかのような考えは自立していない証拠である。また、同盟国が正義に背いて暴走した場合に抑えることができなくなる。加担すれば共犯である。この問題を政府もメディアも隠している。その意味で、未だに新政権を完全に信用することはできない。

(日経新聞)

それから、戦時中における異常事態の例を挙げると、ソ連は終戦間際に日本の不利につけ込んでいきなり中立(不可侵)条約を破棄して、北方を侵略して来た。少しでも利益を得ようとしたのである。火事場泥棒に等しい卑怯で下劣な行為。その結果、シベリア抑留と北方領土の侵略が起きた。


この動きと連携するように米国はほぼ敗戦確実だった日本に凶悪な殺戮兵器を二発も落とし、国際法に禁じられていた一般人の大量虐殺をした。人類史上最大の虐殺である。これらの連携作戦は同年2月のヤルタ会談で計画されていたとされる。そのような状況で議論や交渉をする余裕はない。実際に日本は外交で回避するための交渉をしたけれど拒否されたのである。これには当時の有色人種差別の強さがあり、白人同士の交渉であれば、応じた可能性もあった。原爆をドイツには使わなかったのに、日本には平気で連続して落としたことも、白人連合国が黄色人種である日本人を人間と思っていなかったと言われている。だから戦後も謝罪は一切ない。こういう状況下で相手を卑怯だ!国際法違反だ!と罵ったところで相手の侵攻は止まらない。戦争に際して、法律や概念(平和憲法)などを気にする侵略者はいないと考えるべき。考えるのは自分に不利な場合のみ。米国は戦争終結に原爆が必要だったと言い訳をするが、それなら国際法に「戦争を終わらせるためには一般人でも無差別に殺戮することができる」という規定があるのか?ないならそれは単なる詭弁(大嘘)である。これに世界中が騙されて来た。

(俺の世界史ch)

そして同様の詭弁を今でも使い続けている。テロ、人道、核抑止、独裁政権打倒、民族解放、民主化・・・などにこじつける理由が変わるだけ。人間は信用できない、約束(国際法)は守られない、勝ったモノ勝ちである。これらの教訓を日本人は洗脳と自虐史観によって捻じ曲げられてしまった結果、あろうことか教訓とは反対の平和ボケ理論を振りかざすようになった。人間の愚かさと不確かさをあれだけ味わったのに、どうして悪に対する防御や予防策(抑止)を考えずに、お花畑思考を続けるのか? 自分で守ろうとする意識が抜け落ちているために、平和憲法があるから国際世界(他国)が何とかしてくれると言うような、根拠がなく非現実的な発想をしてしまうのだ。日常生活でも同じだけれど、自分に大問題が起きた場合、友人や他人にかまっている余裕はなくなるのが普通。最優先は自分(自国)となる。自分が巻き込まれる、被害を受けるとわかったら逃げる。現実の世界がそうなっているではないか?これに逃げないのは昔のサムライだけだろう。そのサムライの国を侵略して、精神を破壊しようとして来たのは誰なのか?そんな人間たちを信用できるはずはない。

(産経新聞)


ついでに言えば、ソ連軍が南下して満州や北方領土に進軍して来た際に、日本政府は国際法に基づいて武装解除をして戦うなと前線に命じていた。もしも、これを前線の軍人たちがそのまま命令に従っていたら、被害はさらに拡大し、捕虜は増え、北海道まで侵略されていたことは間違いない。ところが、前線の指導者たちは、命令に背いてでも国民を守るため、命懸けで戦ったのである。だから今の北海道があるし、満州から人々が生還することができた。国際法を守っていたら自滅していた。更に闇を話せば、在満州の軍隊と政府の幹部は最前線の兵士と国民を見捨て、自分たちの財産と一緒に逃げて来た。その闇の戦犯たちがJ党の創設と戦後の企業(化学薬学関連、商社など)の発展に関わっていることも述べておく。

 

これが実際の戦時における皮肉で悲しい実態である。侵略大国は時代が変わっても同じようなことをするから、国際法や国連などは有名無実となる。侵攻して来た日付を見れば、原爆投下、降伏宣言の後であることが明らか。これを火事場泥棒と言わずに、なんと言うべきか?

不幸にもシベリアで捕虜となった人々の史実は映画化もされているので、ご関心のある方はご覧になると良い。こんなに悲惨な歴史と人生が本当にあったのである。

私は関係者を存じていたから、涙なくして見ることはできなかった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%8A%91%E7%95%99

世界を見渡すと、先進国と呼ばれる国々の中で、歴史上信用できる国がいくつあることか?検索して出て来る「信用度ランキング」は国際金融資本たちの経済理論に基づくものであるから、国の品格や民度に関するものではない。その点、最近の日本に対する評価は高い。何しろ性善説社会を先進国の中で唯一実践している国なのである。国民性だけではなく、日本国製の製品にも同様の高評価をいただいている。これは付け焼刃的なものではなく、偉大な先人たちから受け継いできた我々の大切な信用遺産なのである。

これらの大切な遺産に守られている国に降りかかる災難、侵略に備えることが国防(リスク管理)である。古来よりの日本は白村江の戦や元寇、宣教師の植民地化活動に際して、外敵の脅威を知り、短期間で防衛力を高めた。だから、侵略されない海上防衛国家を作ることができたのである。

これらの歴史を平和ボケ理想論者たちはどう見ているのか?おそらく、ほとんどが学んでいないまま、自虐史観に洗脳された頭であれこれ奇麗ごとを論じている。平和憲法の大切さを理解しろ!と言えば、相手がひるむとでも思っているのだろうか?罪のない子供や弱者が殺害されていることに、国際世論がどれだけ抗議をしても、紛争は一向に止まらないではないか?戦後80年だと言うのに、同じことの繰り返しをしている。この現実を見なければいけない。

(神戸新聞)


非現実的な理想論に逃げるな!知恵があるつもりの無知な自称有識者(自分の世界のお山の大将)は害国人となりやすい。そういう議論は実害と実感のない暇人や学生が想像や研究過程でするレベルのものである。性善説でリスク管理はできない。リスク管理は反対の性悪説で考えるもの。日本は独自の見識と立場を持つべき。崇高な神国日本はいかなる勢力にも影響されない公明正大な存在(聖なる魂の集合体)にならなければいけない。政府や一部の人間で国は作られるものではない。国民一人一人の魂の集合体なのだ。社会は平和な性善説、リスク管理は性悪説。この両立ができれば鬼に金棒。

最後に、神様からの啓示。日本は「鬼」の一面も持つべき。例えば、お寺の仏様たちは柔和で優しいお姿をなされているけれど、あの世界(宇宙)を守るために、仁王、羅漢、神将などの恐ろしくて怖い存在がいらっしゃるのである。ちなみに私の言う「神様」は人間のあらゆる宗教を超越した存在であるため、話の例えにも宗派や迷信、科学、時代、動植物の区別はない。

 

それから、邪悪な存在、穢れた魂、その影響を受けた人たちや思想とは距離を置くべき。具体的には邪悪(失礼、信用の置けない)な国やそこで培養された国民と付き合うのはほとんどが百害あって一利なし。同じ時間があるなら、信用できる相手に使うべき。国際化やグローバリズムなどの甘い言葉に騙された人の善い日本人や企業は、つけこまれて知的財産を盗まれた挙句に捨てられ、買収されることが多い。その道を開いた先人たちには本当の善意や友情があったけれど、それに続いたのは、未開拓の市場に目がくらんだ商人たち。一時的な目先の利益ばかりを考え、因果応報の摂理を忘れたのだ。国同士の外交も日常生活の人間関係も同じこと。それらの穢れた存在と話す、接する時間は無駄なばかりではなく、自分自身が汚染される。穢れたものが発する言葉(言霊)、思想に触れると汚染がうつるのである。そのように穢れた関係の末路は紛争(喧嘩、戦争)である。

 

大前提として、自分自身が穢れてはならない。身辺は絶えず清潔に整理整頓を心掛け、汚染物質、穢れた存在が近寄ることができないようにしておくことが、最大の自衛抑止なのである。外交で言えば、日本を嫌い、非難しながら経済援助や商売を持ちかけるような国々(国民)とはできるだけ接触しない方が良いのだ。史実を見れば明らか。受けたご恩を無視し、恨み妬みばかりを一方的に強調して、さらにゆすりとたかりを繰り返す。ハゲタカ、ハイエナのような下品な国(国民)に対しては「鬼」となるべし。知人友人、取引相手、隣人などにも同様である。

これらの識別能力と自己免疫力を本来の日本は持っており、これが健全な国体を保てた秘訣だったのである。そこで、この感性を麻痺させるために考え出されたのが、基礎となっている伝統的概念の破壊。これに必要な順番は、中枢にある自己防衛システム(頭脳)を麻痺させ、防御できないようにさせてから、プログラムを書き換えて、害毒を導入する。人体で言えば、全身の血を抜いて、違う血液を輸血するようなもの。順番も似ている。痛みなどの危険察知機能を麻酔で麻痺させてから、人体を改造する。眼が覚めた時には、外見は同じに見えるけれど、内部が別人になっている。

戦後の侵略者が日本人に使用した麻薬が前から話している3S(セックス、スポーツ、スクリーン)なのだ。この前の時代は植民地の先住民たちに対してお酒や麻薬が使われたが、科学知識が発達すると、心理学を使用するようになった。これらを普及させることにより、伝統的な価値観や識別能力を麻痺させる。麻痺した頭脳は正常な思考と危険察知能力を失っているから、それを利用して同時に違った概念や価値観を正当化する(洗脳)新しいプログラムを与えると、日本人は自らそれらを正しいモノとして喜んで受け入れるようになるのだ。こうして誕生したのが現代日本なのである。だから、今でも日本の政治文化を語ることができないまま、野球や芸能界、ゴシップなどにうつつを抜かしている日本人たちは、まさに麻薬中毒(洗脳)患者なのである。これに気付いたら、まず自分自身が中毒(依存)を断ち切ることが大切。並行して中毒患者との付き合いも減らさないと、またリバウンドして中毒に逆戻りをすることとなる。それらの中毒者が過半数である現代日本社会においては、正常な人間は圧倒的少数となるのは当然。肩身が狭く、同調圧力を受けることは間違いない。しかし、それを恐れてはならない。神は中毒者を決して選別しない。それは確実に将来明らかとなる。今回のコロナワクチン騒動でわかる通り、洗脳に気付かず、愚かな多数決に同調した者は一生涯の負の遺産を体内に自ら招き入れたのである。

 

日本人はこの経緯を学び、自分自身でその真偽を検証しなければならない。その過程で陰謀論や軽薄な議論、それらを垂れ流すメディアや自称有識者たちは淘汰される。

 

 

 

 

 

 

 

本当の難民は極一部。日本で問題となっている人々もその多くが無教養で狡猾な逃亡者だと言っても過言ではない。おそらく、これを日常生活で実感している人は少ない。肌感覚としては、コンビニの店員さんが外国人になっていたり、街で擦れ違う外国人が増えている程度の感覚だと思う。そして、自分の知り合いや周りの外国人は良い人ばかりで、それほど問題だとは思えないと言う。ところが、現実にはそうではない人が増えているから問題になっていることに気付かない。事件、事故、契約や取引上のトラブルなど、何かの問題が起きた時に初めて気が付く。アパートで深夜までどんちゃん騒ぎをする、キャンプ禁止の場所で勝手にBBQをする、交通マナーを守らないどころか事故を起こして逃げる・・・など。
一方で、馬鹿な政府は国際免許の書き換えを宿泊先のホテルの住所で可能としていた。我々が海外に行った時に、この様なずさんな手続きは有り得ない。それで被害を被った国民がどうなるのか考えたことがあるのだろうか?
その際に泣き寝入りしないための方法はこちらの記事が参考になる。しかし、問題は補償するのが当人や属する国ではなく、日本の保険会社や組織であること。これは外国人の過失責任を我々が自腹でまかなっているのと同じこと。連中は逃げてしまえば、痛くもかゆくもない。この状況を許してはならない。そういう場面に遭遇したら、その場で犯人は確保する。その場合の私人逮捕は違法とはならない。必要な武力行使は容認されて当然。この対処法は現行犯の日本人も同様であるが、不法滞在や短期滞在で指紋や顔写真などの登録をしていない害国人は身元がわからないまま、国外逃亡されてしまう可能性が大きので、緊急性が異なるのである。

 

 

その他、細かいことを言えば、列に並ばない、信号無視を平気でする、ゴミを放置するなどの行為もよく見られる。連中に日本の常識や価値観が通用しないのである。そして「謝ることは自分の非を認めることになる」として謝らず、自己主張を繰り返し、抵抗する。そんなはずではなかった、そんな人だとは思わなかった、信じていたのに・・・となる。私の様にその場で叱り飛ばす日本人は滅多にいないので、図に乗り、知らんふりをする。ただ、悪気が無くて、単なる無知による誤解の場合も多々ある。先日も、近所の害国人が大声で騒いだところをおばさんが叱ったところ、理由も聞かず、日本語も理解できずに「ファックユー、ビッチ!」(くたばれ、メス犬!)と罵っていた。言葉が通じないと暴力に訴えて来る。これが現実に起きている問題なのである。
 
だから言葉による会話と教育(日本文化の知識の普及)はとても大事。これを踏まえた上で、私は現状の行き過ぎた人権過保護によって起きている移民問題を論じているつもり。日本なのだから、日本ファーストが当たり前。好意として、ある程度の文化認知猶予期間や情状酌量は与えるとしても、これに反対する人は「郷に入っては郷に従え」ではなく「郷に入って来た異人に合わせて、郷を変えましょう」と言っているのと同じこと。こんなことをしたら、文化は破壊されて国は亡くなる。そういう馬鹿げた言論をする知識人、著名人は国に害をなすと言う意味では、同じく害国人である。

 

 

これを認識せず、善い人ぶるところが平和ボケ知識人の特徴。性善説社会という恵まれた環境にいるために、観察力が足りず、リスクを予知できない。埼玉などの移民問題を見聞きしても、他人事だと考える。平和ボケの自覚がないまま、高等教育を受けて、弁論がたつようになると、机上の理想論者となることが多い。受信した情報は多いけれど、それを理解していないのだ。高学歴な弁護士、学者にも多く、メディアに登場するコメンテーターや有識者は恥をかきたくないというプライドがあるから、懸命に自分を正当化するための理屈を考えてしまい、論点がずれて泥沼化することが多い。これプラス、戦後の自虐史観洗脳を受けた人たちの頑固な脳ミソはなかなか治せない。国家や国旗を蔑視した日教組(教職員組合)などは典型的な例。そういう人たちが子供たちを教育していたのだから、子供たちの純粋な頭が汚染されてしまった。その子供たちが大人になって作ったのが現在の日本だから、愛国心の欠如した売国人間がたくさん生まれるのは当然の結果。この罪は大きい。治療法は正しい知識で汚染された脳ミソを上書きするしかない。
 
こういう人間たちに国が侵食されている実態を理解するのは難しいのかもしれない。実情を知るには国内外の移民スラムや無法地帯に自分で行き、体験する事だろう。異文化共存と、他国の中に自分たちの国を作ろうとすることは全く別であることを理解しなければならない。前者は「郷に入っては郷に従う」ことを前提とした従属関係であるが、後者は小規模な「侵略」なのである。これを勘違いしてはならない。
(日本神話と歴史)
 
我々は生まれた時から自然と性善説的な習慣と教育を受けているけれど、これが日本の平和な社会の根底を守っているという認識がない。これがあるから、我々は自然な気遣い、思いやりができるし、犯罪に対する罪悪感や良心を持っている。監視カメラが無くても自分を律して行動することができる。残念ながら最近は日本人でも害国人のような人間が増えている。子供に罪はないと言えるのはある程度の年齢まで。それ以上の無知は自己責任。生まれた環境や親が劣悪であることも考慮して、それを補正して正しい方向へ導くのが義務教育の最大の意義。ところが、現実には礼儀作法、言葉遣いなどを知らない人が増えている。タバコ、ゴミを投げ捨てる若者。落書きをする人。商品を乱雑に扱い、投げ捨てるように棚に戻す。お宅にお邪魔する時に靴の向きを変えて揃える作法も知らない。これは明らかに日本の伝統的教育と社会システムに問題があることを示唆している。修養の低い人は国籍は日本でも自分たちの国と社会に害をもたらす害国人に成り得るし、それらの子孫のせいで日本の民度も下がる。つまり若者たちが自覚して軌道修正するか教育制度を見直さない限り、次々と不良品のような和製害国人が生まれてしまうのだ。代表例がDQNやヤンキー。

 

(神社を破壊するイスラム教徒)

 

不自然な人権論者たちはなんでも差別は良くないと言うけれど、それは歴史や自然の摂理を見ていない、一方的な綺麗事の解釈。この世界は生き残るために、対象の利害関係を識別することが当たり前。差別には理由と種類がある。差別は違いを判断したうえでの評価。生きるために必要な能力。正常な観察結果であり、害毒から身を守る自衛(自己免疫やリスク回避)の基礎情報なのだ。それに応じた対応をするのが健全な社会。差別には理由があることを無視し、そこに無理やり平等や人権と言った概念を付け加えるから社会が歪む。性善説社会は古来からの神仏への畏怖の念と、厳格な教育&懲罰のセットで成り立っていたのである。ところが戦後に、軍国主義の弊害に対する反発と侵略者の洗脳による過剰な民主主義や人権偏重が生まれたことにより、罪悪人にも権利を論じるようになった。これが日本の道徳観念を壊した主原因である。

昭和世代にすでにその傾向は現われていた。国や世界の事よりも自己中心的な発想をするようになり、個人の権利が全体の調和よりも優先されるようになった。彼らはみんなのことも考えていると言うけれど、よく見ると「みんな」と言うのは自分の周りのごく一部だけ。子供の将来と言うのは自分の子供の将来、自分の子供の学歴、就職などに限られ、日本の子供たち全体のことを考えてはいない。
 
その連中がそのまま年を取れば老害となる。私は人間関係において、その手の老害予備軍の大掃除を始めている。いい年をこいて、今でも野球などのスポーツ、芸能人、近所の噂などの話題ばかり。飲みに行っても、前向きでタメになる話をする人にはほとんどお目にかかれないから、飲食の機会も激減。人生は人それぞれであるし、そう言うお前は何様だということもあるけれど、無知の平和ボケな年金暮らし老人たちなど、将来は何の役にも立たず、害をなすだけだと思っている。
 
教育よりもお金(経済)を偏重するようになった。本来、優秀な人材がお金を生み出すのだけれど、それを逆に考えている。お金をかければ良い子供が育つと思っているところが愚か。教育改革には経済活動のような巨額な資金は必要ない。その気になれば今すぐできる。明治前の日本は貧しいけれど、精神文明は世界トップであったことを知らないのだ。当時、訪日した様々な西洋文化人たちが称賛していたのである。著名な学者が旅館の机にわざとお金を置き忘れた実験の記録もある。机は綺麗に掃除されており、お金もきちんと並べられていた。同様の記録は他の訪日外国人の記述にも出て来る。今でも、スマホや財布を落としても出て来ることが多く、世界中の人たちが絶賛している。第一次大戦後には日本の教育制度や教科書を見習おうとした西洋諸国もあった。米国もその一つだったけれど、侵略する立場になると、それが日本の強さの根源であることに気付いて、公の場から抹殺した。それが戦前の教科書「修身」であった。
(
HAMI書城)
 
人生一度キリだから、自分を大切にしろと言うのは国や主義とは関係のない宇宙の摂理。しかし、日本はそれプラス調和の精神を持っていたのである。ところが、戦時中には軍国政府がその調和する精神を利用したことにより、その精神自体までもが否定されてしまったのである。これは非常にもったいない事なので、気付いたら直ちに修正するべき。最近のAIによる判断でも「世界平和のカギは日本の調和する精神である」という結果が出たそうである。個人の幸せと調和は相対するものではなく、同時に実現できるものなのである。
念のため、移民問題に関して、郷に入っては郷に従えを遵守している外国の友人は問題となるはずもなく、全く恐れる必要はない。我々はこれまでも日本文化を尊重する友人たちは丁重にもてなして来た。私も支援&育てた友人は少なくない。現在も続いている。彼らは日本の素晴らしさを知り、それを学んで一緒に生きたいから来ている(過去&現在)。学ぶ立場であるから、自分たちの思想や価値観を押し付けることは有り得ない。それなら日本に来る意味がなくなる。
 
ところが有害な連中は、それらに紛れこんで、平和ボケの日本の人の善さにつけ込んで侵略するのだ。侵略者には学びや従属する気持ちはない。単に都合の良い住処を求めて移動しているだけ。その際に利用される口実は、病気、子供、人権。詐欺師が公官庁の職員を名乗るのと同様に、お人好しが一番騙され易いから。日本人の最大の弱点が性善説と人情の厚さ。平和な社会では宝であるが、犯罪者にはつけ込む隙となる。自分はそのはざまにいて、問題解決や尻拭い的なことも体験して来た。だからこそ、その脅威と無防備な日本人の平和ボケを非常に心配してしまう。今となっては心配という域を超えて危機感を覚える。平和ボケこそ日本人の財産なのだけれど、現実世界ではそれは弱点ともなるのだ。
 
ビジネスの世界でも、大小問わず、つけ込まれて搾取されて来た企業や人たちは数えきれない。その尻拭いのために何度法廷で喧嘩をして来たことか。はした金で雇われたニートが他人を簡単に殺傷するような国では安全確保のために防弾チョッキを常時着用することになる。訴訟中にセキュリティーの厳格なはずの高級ホテルで殺害された邦人もいた。私も襲撃を恐れて、毎晩寝る前には玄関のドアの内側にバリケードを作ってから就寝していた。袖の下を渡せば、有名なホテルのセキュリティーすら無意味となる。権力とコネを使えば警察も役人もグルである。彼らの情報システムを使うと、居場所もすぐにわかるから、暗殺や脅迫目的の尾行なども容易。入国した時にWIFIや携帯のSIM登録をした瞬間に特定される。トイレやエレベーターのような個室でも襲われる。治安の悪さと言う例では、リオオリンピックの際には公衆トイレに入る外国人を狙った金品の強奪が横行した例もある。治安の乱れた国はどこも大同小異。つまり自分の身は自分で守るしかない。この延長戦にあるのが自己武装になってしまう。つまり誰もが銃や武器の携帯をするようになる。日本もその様な時代があった(鎌倉から戦国時代)。しかし、日本の賢者たちは平和と求めて法律を整備し、武器を制限したのである。この歴史を忘れてはならない。今の平和ボケな無防備状態は、その反発と結果として逆行する可能性が大きい。
 
平和が守られていない社会生活のストレスが如何ほどのものなのかは経験者以外にはなかなかか実感がわかないと思うけれど、だからこそ経験者は日本の平和な環境をとても大切に思うし、守ろうとする気持ちが強くなる。と同時に、そういう乱れた社会から救いを求めて避難したと言う人間たちが、日本の平和な社会を乱すような行為は、絶対に許すことはできない。日本の平和を求めて来たくせに、どうしてそれを害するような言動をするのだ?
 
平和ボケ日本にいると、これが「警察が何とかしてくれる」「周囲の人が助けてくれる」「法律や裁判所の命令には従うのが当たり前」「そこまでひどいことはしないだろう」などと考えてしまう。ところが、無法地帯では警察も裁判所もコネとお金の力でどうにでもなる。日本人は全ての事象に対して、自分の育った平和ボケ感覚で話すから、現実離れしてしまう傾向があるのだ。
日本をそのような社会には絶対にさせたくないが、すでに日本は安全ではなくなりつつある。昔、新宿でアジア系の裏組織と抗争になった際には、公安も日本の反社勢力(ヤクザ)でさえ手を出せなかったことがある。ああいう場合は自衛隊を出動させて、掃討するべきだったのだ。しなかったから、彼らは地下に潜伏して拡張してしまったではないか。そして、現在は流入する外国人が多国籍化しており、それぞれが似たようなコミュニティを作りつつある。言葉も通じない無法地帯は発見次第、即時壊滅するべき。それを放置しているのは日本政府の甘さ。現状を認識しているはずの公安、警察、反社の関係者はどうして黙認するのか?まことに情けない。自分の国を守るつもりはないのか?ボケーッと傍観しているうちに、寄生虫やウィルスはどんどん繁殖しているのだ。しかも、その子孫にまで権利を与えようとしているのだから、正しくバカの極み。
 
ここに「人権」を持ち出す人がいるが、人権はその国の文化や法律を遵守するものに適応される概念であり、自分たちに都合が良い利己的な権利の事ではない。明らかな犯罪者に対する人権は過保護&不自然である。また懲罰は人権を制限する概念であるから、犯罪者の人権は法の下位なのである。申請や入国時は厳格に犯罪履歴を審査し、入れてはならない。2021年度は強制送還となった対象者の三割が日本で有罪判決を受けているという現実があるのだ。
 
本当の難民は素直に感謝をして従うものだ。「難民」を口実に権利を主張する者たちこそ、邪悪な侵略者なのである。難民を理由に強制送還にも応じずに居座っている。犯罪を繰り返す前科者さえ追い出すことをできないのだから、日本政府の弱腰にはあきれてしまう。その現状を知りながら連中を擁護する人には、是非とも自称難民の連中をお引き取りいただき、ご自宅で面倒を見てもらえばよい。或いは衣食住を保証してあげることでも良い。私は経験があるけれど、それは本当の難民であり、犯罪者ではなかった。安い木造アパートで段ボール箱をテーブルにして暮らしていた。かなりのお歳なのに、朝から夜までアルバイトをしていた。私が行くとキャンプ道具のような粗末な調理道具で一生懸命に料理を作ってもてなしてくれた。それが、派手な外車を乗り回して、どんちゃん騒ぎを繰り返し、ネットで高級バイクや車を見せびらかし、ド派手な生活を自慢するような連中のどこが難民なのだ?
さらに言うと、私が助けた難民たちも恵まれた人たちであった。出国するためにコネがあり船や飛行機に乗ることができた。お金があれば裏社会に頼むこともできるが、それも恵まれた人。つまり一口に難民、移民と言っても色々な種類がある。困っている人を救う気持ちは尊いけれど、不法滞在者や難民を騙る連中を擁護している日本人、NPOなどの組織は本当に彼らを判別できているのか?何を基準にして判断しているのか?間違った場合、その責任は取れるのか?子作りによる国籍や永住権の問題はどうするのか?欧米には国籍を取るための妊婦村もあるのだ。「子供に罪はない」という言葉ほど連中にとって都合が良いものはない。子供がいると人権団体や国際世論が守ってくれるはずだと思っている。
 
元々、人権の概念は西洋の奴隷制度に対する反省から生まれた概念。奴隷たちは一方的に拉致され、家畜の様に売買された。ところが、今の移民問題は条件が明らかに異なる。彼らは奴隷ではなく、自分から高収入&好条件を目的にやって来るのである(難民は別)。ここに、奴隷時代の人権問題の概念をそのまま当てはめるのは不自然なのだが、すこし国際問題をかじっただけで、最前線の現実を知らない連中は、本質を見ず、その上っ面だけを善人ぶって論じる。

イスラム系の移民が増えたのは湾岸戦争がきっかけだった。上野には偽造テレカや薬物を売る中東人が出現した。アジアからも大勢の出稼ぎ労働者や密航者が来ていた。これらが最近問題となっている害国人の起源である。

その歴史を思い出して検索してみたら、とても貴重な動画が出て来た。私が後述する密入国などの闇歴史についても紹介している。

これらの問題を提起するため、私自身は嫌なことを言う意地悪な人間だと思われても良い。害国人は駆除する。日本人でも国を害する下劣な存在は害国人と見なす。蛇の道は蛇であり、公安や入管などの関係者以外の一般人に現状の危険性と連中の狡猾さは想像できないと思う。だから、敢えてこの記事を書いている。
 
ただでさえ、オレオレ詐欺に引っかかるような高齢者が多い国である。連中は利用できるものは、善意、良心、遠慮、思いやり、気遣いなど、何でも利用する。それらをレクチャーするエージェントも存在する。移住や偽装結婚、居住権を入手するための斡旋をする旅行業者もいる。昔のアジア圏ではスネークヘッド(蛇頭)と呼ばれる密航や不法入国の専門集団があり、その末裔が今も手引きをしている。当然日本内部にも協力者がいる。売国行為の自覚が無い人間か、純日本人ではない人間が関わることが多い。不幸な歴史から生まれた残留孤児たちの名義や権利が利用されることもある。仲介するのは日本の反社組織とそれに結びついた士業(司法書士、税理士、弁護士、宅建など)。その意味で、私はいわゆる反社勢力にも愛国心を持って欲しい。その気になれば害国人を駆除するための大きな助けとなる。さらに言えば、政府や国が間違っている(役立たず)場合の反社行為は国を守る正義だとも言えるのだ。それが古来より民衆に慕われた侠客であった。
国際的な難民や移民の受け入れが過熱したのは、被災した哀れな親子や子供たちの姿が報道されたことがきっかけであった。その前には隣国の政治運動による難民も存在した。
拘束されると処刑される可能性も大きかったので、友人や支援者たちが何とかして逃がそうとしていたのである。まだ、難民や移民に関する法整備が整っていなかったから、法の眼をくぐって切実な支援活動を行っていた。それは明らかな被災者であり、助けて当然の方たちであった。避難する理由は政治活動による迫害や脅威によるものであり、覚悟と誇りがあるから、助けてもらった日本と日本人に迷惑をかけるようなことはしなかったのである。これが最近の難民や移民との最大の違い。
最近の移民や難民は、本国では生きにくい、商売にならない。日本は子供の教育に有利、安全、福利厚生が整っているなどの、個人的な都合と欲望に基づくものがほとんど。誰もがその事情を知ったら日本への移住をしたくなるのは当然。実際に仲介するエージェントまで現れているわけだ。避難民ではなく、高収入や安全な環境を求めて移動しようとしている利己的な人間たちなのである。これを全部受け入れたら、国が崩壊する。
その後に、香港返還後の大量移住が起きた。逃げたのはお金持ちとコネのある人間が中心。日本も国際世論の圧力と裏の勢力の誘導により、入国資格の規制緩和を行ってしまった。そのため、この緩和に乗じて悪質な人間が次々と流入してしまったのである。コネは何でも利用するので、留学生や研修生などの身分を利用して、途中から永住権を取ることも考えた。それが出来たら、次は家族や友人知人を呼び寄せる。この延長で移民の街が構成される。都内の練馬区、新宿区、埼玉県などに集まった。これらに対して早急な対応が必要。恐ろしいことは、経済崩壊と共に隣国たちから逃げてくる可能性が高くなっていることだ。C国だけではなくK国の可能性も高い。すぐに止めなければ危ない。
難民の質や事情を厳格に判別するフィルターのような法制が必要だったけれど、それを確立しないままで、受け入れてしまった。土地の場合は集団で不法占拠を一定期間続けて既成事実を作る。南米では長期の不法占拠が合法化されてしまうことを学んだ連中がこの動画の様に移民の町を作るのである。これが邪悪な人間の狡猾さなのである。
 
連中は以下の動画にも登場するように、特に子供を利用することが多い。国際世論が女子供お年寄りなどの弱者に同情的であることを知っているから、産んでしまえば追い出されることはなく、国籍も獲得できると思っているのである。実際に、動画はリンク先をタップすればYOUTUBEで見られる。
 
人権保護の法律を悪用して不法滞在を企む女性たち。日本でもラテン系クラブにいそうなタイプ。見かけからは、その邪悪さを判断できない。
 
言葉が話せないと嘘をつきながら、仲間を呼んで、集団で襲い掛かる移民の町。時間が経つと二世、三世が生まれて問題が複雑化する典型。
乗員全てが無免許なのに飲酒運転とスピード違反、金券(ギフトカード)密輸。日本でも無資格で事故を起こして逃げる外国人が多い。その場合、被害者の補償は難しい。重大事故であれば、重犯罪であるけれど、日本の法整備は甘い。

ギフトカード(プリペイドカード)犯罪とは。カードを万引きして、データーを改ざんし、客がそのカードを新品だと思って使用すると自動的に犯罪者の口座に振り込まれるようにして店に戻すものや、偽造カードなどがある。この動画の様に、捕まっても、言葉がわからないと警官を騙して、罪を逃れる方法もよく知っている。

日本でもギフトカードが出回り始めているため、同様の犯罪は水面下で拡大している。この少し前の時代にはテレフォンカードなどの偽造も多かった。ちなみにC国では昔から偽札が多く、お店のレジ横には判別用の機械が置かれていた。使う時には複数の紙幣に紛れ込ませる。暗い店内や夜のタクシー車内などで使うと見抜かれない。また、手品の技術を用いて、お札を引き抜く手口もある。窃盗やスリのプロ集団に素人には太刀打ちできない。まして、平和ボケ日本人がかなうはずもない。海外旅行先でも日本人観光客は格好の餌食となっている。それが今は、こういう環境で育った人間たちが大量に来日しているのだ。窃盗ツアーまである。それは、入国の条件(ビザ発給)が緩くなり、身元の保証が確かではない人間も気軽に入れるようになってしまったからなのだ。これを最近特に悪化させたのはインバウンド需要を強調した観光業、政府の責任であることは間違いない。

最近はクレジットカードの内容を読み取る犯罪が増えている。これは非常に危険で、盗まれる金額が桁違い。日本人の経営するお店にはまだ少ないけれど、最近増えている外国人の経営するアジア雑貨、エスニック食材のお店などは要注意。飲食関係にも不法移民は多い。言葉がほとんど通じない店員は怪しい。そのようなお店では現金以外は使わない方が良い。都内だと新宿、新大久保、高田馬場などに多い。飲食店の客はほとんどがアジア系外国人である。これらの不正行為を発見したら直ちに通報して、営業停止、営業許可の剥奪などをするべき。反対に海外に行く場合は要注意。素人ではなかなか見抜けない。社会風紀の乱れた国の場合はホテルや公共施設でもデーターを盗まれることがある。従業員や職員がグルなのだ。

 

 

私が紹介した動画から関連する動画を見ると色々な国籍の害国人の実体を知ることができる。彼らの態度はどんな場所でもよく似ている。言葉がわからない、自分たちの価値観や思想を押し付けることを権利だと思っている、反省どころか、自分の方が正当だと言わんばかりな高圧的な態度に出る。また、犯罪に関する法律と逃げ方をよく知っている。それは国内にも協力者がいるから。こういう事情も知らずに、メディアに登場する自称知識人、有名人(専門家ではないタレントやスポーツ選手など)が彼らを理解&擁護するような綺麗事を拡散することは、国家安全と我々の平和な生活の妨げになるだけなのである。しかし、現実に問題化しているということは、明らかに邪悪な外国人が増加傾向にある証拠である。
都合が悪くなると言葉がわからないと言うけれど、日常生活ができない語学力の人間は、学生などの理由がない限り、直ちに強制送還にするべき。しかし、学生などの優遇されている身分を利用する人間も増えているから、これも検討する必要あり。当然、市民権(国籍)などは与えてはならない。語学力のレベルが低い臨時雇い契約であるなら、終了したら即時帰国させる。これらの問題を体験しつつある海外の動向は既にこの方向である。それに加えて日本には円安と無節操な入国規制緩和のためにインバウンド旅行客が急増している。これらの短期滞在者による犯罪行為は政府の発表する外国人犯罪統計には計上されないので、氷山の一角となっている。この迷惑ユーチューバーはいかにも日本人女性が好きそうな可愛い西洋人顔をしているけれど、人間性は外見から判断できないという見本。日本人、特に女性は西洋人コンプレックスが強いから要注意。

 

 

国内外のどちらにも言えることであるが、明らかな犯罪者に人権は無い。懲罰は人権を制限する概念である。権利を主張する前に義務と責任を果たすべき。その上で人権の議論がある。そうしなければ、犯罪者がのさばる。明治以前の日本は懲罰制度が厳格であったから治安が守られており、性善説社会と懲罰は裏表のセットだった。幕末に来日した外国人たちは、余りにも平和で人を疑わない高潔な人間性を称賛していたことが、数々の紀行文などに記録されている。それは厳しい罰則や村八分などの衆人監視体制があってこそ成り立っていた。この貴重な文化遺産を理解できなかった明治のクーデター政府が西洋偏重主義によって不自然な価値観を取り入れてしまったのである。最近は世界の方が日本の伝統的な道徳観念や価値観の意味をようやく認識するようになって来ている。どうして子供たちが一人で登下校できるのか?なぜ女性が一人でいても襲われないのか?どうして荷物を席に置いたままで離れても盗まれないのか?財布や携帯電話を落としても見つかるのはどうしてだ?世界の友人たちは、こんな国は日本しかないと称賛しているではないか。
 
これもわからずに、逆行して、相変わらずの西洋コンプレックスのメディアや行政は目を醒ますべき。どうして間違った国々の真似をするのだ?
すでに海外は悲惨な状態であり、日本も危ない。このケジメをつけないから悪い連中が人権を利用する。正に日本の現状がそうなりつつあるので、親日家の海外知識人たちが警告してくれているではないか。それにもかかわらず、国民の認知度は低く、政府の対応が遅すぎる。これは不自然な綺麗事論者とメディアの悪影響が大きい。よく、ノー○ル賞などの世界的権威の称号を受賞した学者や著名な文化人の発言を借用して権威付けするけれど、実際にはド素人であることを忘れている。実験室から出たことのない科学者、書斎で文筆に没頭する人たちが最前線の実情をどこまで理解しているのかは疑問である。では、プロ(専門家)は誰なのか?それは最前線にいる警察、公安、入管、税関、支援団体などの関係者である。
 
前にも似たようなことを述べたけれど、人権過保護団体や関係者には、その是非を明らかにするため、実際に連中を受け入れてホームステイさせるのが良いと思う。自分たちの理論が実際に本当に正しいのか否か、身をもって体験してもらうのが良い。入管の方々も、人権擁護団体や同様の言論を主張する人たちをリストアップしておき、強制送還できない外国人を優先的に受け入れてもらうのだ。奇麗ごとを報道するメディアの社員寮や、移民を推奨(雇用)する企業の社員寮、規制緩和する政治家(政党)が経営するアパートなどを利用させてもらおうではないか。これらを実施すれば、本気なのか偽善の空論なのか、明らかになるはず。もしも彼らがNOと言うのであれは、嘘つきな偽善者だということだ。
 
私が関係していた時代は入国条件や逃亡防止の制限などが厳しかった。途中から急に緩和され出し、現状のような問題が起き始めた。これは明らかに政策の過ち。安価な労働力を求めるだけで、リスク対策を考えてこなかった財界とそれと結託した当時の政府関係者の責任は重い。身元保証人や雇用した側(企業)が責任を負うことは当然。建設業や製造業に多い。それらの雇い主には雇用した外国人の全責任を負わせる。迷惑をかけた場合は、相応の罰則を科す。安い労働力で得た利益のツケを払わせるべきである。

海外の日本移民問題に対する意見の動画も参考になる。当初の欧米は日本は移民や難民の受け入れをせずに、卑怯だと非難していたのに、最近では自分たちの過ちに気付き、その論調が変わっている。日本には同じ失敗をして欲しくないと、好意的に警告してくれている。

https://youtu.be/IjqfO5nYl_4?si=jMnTyPsSES_NtUXo

当時、私のような意見を言うと、思いやりのない冷徹な人間だと非難された。最前線にいらっしゃる公安や入管の方たちは無知な国民とメディアの板挟みになって来た。それが今はどうだ?元々そういういい加減なものが国際世論なのだ。昔から律義に礼節を尽くしていたのは日本だけであり、都合の良い価値観を押し付けるのが国際世界(西洋)なのである。

 

また、これらの背景には日本を水面下で侵略する勢力がある。この連中は低レベルな移民と異なり、裕福で教養もあり、それなりの人脈を持っていることが異なる。重要な骨幹産業やインフラを民営化することにより国際資本は参入できるようになる。そうなると日本は自立できなくなる。徐々に不動産を買い漁り、合法的に侵入することができる。彼らの利用する口実はグローバリズムと人権、平和、友好などの美辞麗句が多い。米国はC国の土地所有や学校を制限したけれど、日本は放任状態。日本の福利厚生や性善説社会の素晴らしさに気付き始めた世界の富豪たちは日本の移住を考え始めた人が多い。とくに国際金融資本関係者。彼らは財力により、日本の法規制を緩和(破壊)して、自分たちが住みやすい環境と作ろうとしている。表には出ず、政財界の裏から操作する。これが更に危険な問題をはらんでいる。問題はC国だけではない。東西の各国が狙っている。
 
ついでに言うと、日本の法律や常識を無視しても許され、超特別待遇されている在日外国人たちが存在する。国際法や人権などあらゆる角度から見ても不公平な内容を政府が黙認していることも知っておくべき。これは実質的な侵略であり、日本の国体を内部から食い荒らす病原体だと言ってよい。メディアも政府も隠し通して明らかにしない。事件は全てもみ消される。
 
(朝日新聞)
 
そもそもJ党は彼らから資金提供を受け組織された政治団体(戦時中の資料で暴露されている)であり、その幹部たちは戦犯として有罪となるところを、戦時中の機密や不法取引で得た金銭と引き換えに司法取引で生き延びた人間たちで構成されていた。処刑された人たちは主に陸軍関係者であり、海軍や事務方、戦争商人はいないことが不自然だと思うべき。歴代の総理や幹部、戦争と関係のあった大企業はその子孫たちで構成されている。戦後のどさくさに背乗り(日本人になりすます)や土地の強奪をしたアジア人も多い。その根は深く、財界ともつながっている。
 
陰謀論などと思う人はご自身で調べると良い。全てには具体的な根拠(歴史記録)がある。たまたま闇の家系に生まれてしまった子孫たちは、過去の悪い因縁を修正するべき。もしかすると、日本を軌道修正するためにその家系に生まれているのかもしれない(宿命)。しかし、悪を知りつつ継承したら、それは確信犯であるから、その悪業は将来に因果応報となる。闇の家系に生まれながら、問題提起をしたA総理のような人たちが放火や事故、殺傷事件などに巻き込まれる場合は、背景にこの勢力がいる証拠である。だからと言って恐れて逃げているだけでは日本は変わらない。正義の人たちを孤軍奮闘させては危険。我々は全国民がこの認識を持ち、日本と復興に貢献しようとしている人たちを守り助けなければならない。
 
これらの戦後日本に隠された問題は、政府の実力と裏の関係性を暴く踏み絵ともなるはず。踏めない政府は偽物だ。傀儡政権であることの証となる。果たして、闇の深い政党に属する高市さんたちは踏めるのかな?同じ穴のムジナではないことを祈る。
それから、永住権をお金で売りに出すというアイディアもあるけれど、それは全く精神性を無視した愚かな発想。お金のある犯罪組織や邪悪な人間たちでも簡単に国籍が買えてしまうことになる。専制国家(独裁政権)におけるお金持ちは、悪徳政治家とそれにっ結びついた政商やギャングである。この連中が今述べた国際金融資本関係者の手先になる。最初の関係が作られたのは明治(近代グローバリズム)だった。彼らと癒着して手下となったのが近代日本の政財界だと言っても過言ではない。日本でも成金経済人たちが経済効率のみで永住権売買を評価していたけれど、そういう人間が増えたから日本は弱体化し、邪悪なものの侵入を許したのである。連中は経済力が国の強さだと安直に信奉しているのであるが、それこそが世界の紛争と貧困の元凶なのである。物質文明(経済至上主義)から脱却できない人間に真の平和は作れない。邪悪な商人というものはお金と自分のためには国も裏切り何でもする可能性があることを肝に銘じておくべし。
 

三橋TV。移民問題。

https://youtu.be/xVLbLdnGcEI?si=_xyJx65fhIgFjkEJ

 

クルド人問題の背景。

https://youtu.be/U8gvFC3IID4?si=AqHKNTkqSry9k6FM

 

大分前から、人間の言霊(概念)が嫌いになってきているので、ブログもついつい放置状態となりがち。

 

今年の正月一日は2月17日だった。季節感のズレた西洋カレンダーは相変わらず不快なだけ。

そう言えば、今年のお雛祭りの日(西暦3月3日)は皆既月食らしい。晴れれば、見ることができる。

この季節の芳香と言えば、蝋梅と水仙。毎年、場所を変えて見に行く。

これは節分前で、通常なら紅白の梅はまだのはずだったけれど、この公園は梅も咲き始めていた。

梅花の甘い香りに誘われてメジロたちが飛び回っている。可愛い。

佐賀紅梅という艶やかな梅。ここだけが満開で、別世界。

公園内にあった博物館では昭和の生活様式の展示があった。自分もお馴染みなので、とても懐かしく、嬉しくなる。

ここは律令時代に武蔵国の国府が置かれていた由緒ある街。当時の東京は海に面した湿地であり、栄えていたのはもっと内陸だったのである。ダサイタマと呼ばれてバカにされて来た埼玉も古墳時代は大都会だったのだ。今でもその面影は残っているけれど、歴史や文化を学ばない下品な連中(暴走族やヤンキー)や無節操に誘致した労働移民などのせいで印象が悪くなっていることはとても残念。どんな差別も因果関係は同じで、土地や国籍ではなく、当人の人間性(民度)なのである。

翌週は山の方にまたまた蝋梅を求めて散策。途中で、美味しそうな和食料理屋さんを発見。味噌煮込みうどんをいただく。

この辺はライダーにとってはとても楽しい山道なので、前を通るだけで入ったことは無かった。

しかし、ある程度の年になると、美味しいお店を発見するアンテナの感度は良くなるから、滅多に外れることはない。普段は超粗食なために、外出するときの楽しみ。

お座敷との仕切りの襖絵が素敵だと声をかけたら、全体を見せていただけた。

開店当初からそのままだそうだ。こういうお店は末永く続けていただきたい。

由緒あるお寺の敷地内にある蝋梅エリア。いつも行く蝋梅園は有名になり過ぎてしまったから、こういう鄙びた静かな場所も良いかもしれない。人間の腰掛(ベンチ)の下に、猿の腰掛が生えていた。

このお寺は予備知識もなく初訪問したけれど、格式がとても高く感じられたので、スマホですぐに調べる。スマホは常に百科事典や図書館を持ち歩くようなものなので、とてもありがたい。功罪併せ持つ文明の利器の典型。

調べたら、弘法大師空海さんの創建。建築は江戸期に修復されているようだが、現在は手入れもされておらず、荒れている。大師堂の脇には源頼朝の側近のお一人だった武将の五輪塔もあるが、これも無造作に放置されたまま。

お堂の裏側にはお地蔵様などが並べられていたけれど、背面の板壁は穴だらけ。なんとなく違和感。跡を継ぐ方がいらっしゃらないのか?

こういう時には境内にある巨木に話を聞くことにしている。この木はとても元気だったけれど、人間や寺社の栄枯盛衰など、どうでも良いとおっしゃる。確かに、自分もその通りだと思うけれど、勉強のためにもう少し話してくれないか、とお願いすると、近くににあった別の木に尋ねろとおっしゃる。

それで、その木に尋ねると、ある方角を差して、そちらにこのお寺の問題があるとおっしゃる。

指示された方角を調べると、小径の脇の笹薮の中に放置されたお墓が複数あることに気付いた。古いので掘られた文字は解読できない。しかし、山奥でもなく、自分の境内でこの状態を放置しているのはどういうことなのだろうか?万物はいずれ朽ち果てるものであるから、物質に対する執着の虚しさを感じさせるための、特設展示のおつもりか?これは皮肉ではなくて、本当にそういう方法もアリだと思っている。

実際に現地でそれを深く感じることができた。一時期はこの地で繁栄を誇った弘法大師ゆかりの古刹が荒れ寺となりつつあるのだ。

このお寺の付属寺院の方は反対に繫栄しているようだった。お堂や仁王門なども綺麗に保たれている。

丁度この頃、面白いアニメ映画があると言う話を友人から聞いて、見に行った。奇しくもクスノキのご神木と会話をする物語だった。

私も子供のころから会話をしていたのでとても親近感を覚えた。

とかく人間は儀式や形式にこだわるけれど、こんなことをしなくても木々はいつも話してくれるし、話したがっている。どちらの宗教団体や組織もそうだけれど、本当に話せないから、盛大でそれらしい作法をするものなのだ。様々な役職や階級があるようだけれど、ほとんど本物はいない気がする。

この映画を見る前に入口で小冊子を配布された。映画館内は暗くて読めないし、解説パンフレットなのかと思って、そのままにしていた。ところが、数日後に何となく中身を見たら、なんと映画の続きの物語だったのである。原作にも書かれていない内容で、この映画のために作者が初めて書き下ろした小説だったのだ。捨てなくて良かった、良かった。

この数日後に関東地方は久しぶりの大雪となった。当日は東欧から親日家の友人が来るので、面白い場所を案内することになっていた。私の自宅は海沿いのため、路面にそれほど雪はなかったので、うっかり車で移動したら、恐怖のドライブとなった。都市部の積雪状況を確認しないで走った自分のミス。普通タイヤは通行止めになっている区間を迂回して、どうにか辿り着いたけれど、二度とやりたくない。

綱渡りみたいなノロノロ運転で走っていたから、到着時刻は大幅に遅れてしまう。

目的地には日本各地の古民家が保存展示されているけれど、まるで本当に雪国に来たかのようだった。

こんな日に見学に来る人などいるはずがないと思っていたら、珍しい雪景色を撮影するためにアマチュアカメラマンたちが朝から大賑わいだったらしい。

廊下から見る雪景色。こういう風景を見る機会がなくなったことがとても残念。

素晴らしい欄間。

金や宝飾品で飾られた豪華絢爛な西洋風の宮殿や豪邸は途中で食傷ぎみとなり、飽きてしまう。その点、日本文化は本当に自然で感性に優しいと感じる。ゴリ押しや、不自然さを嫌う。しかし、最近のメディアに登場するいわゆるセレブ系の人たちにはこういう感性を感じることができない。成金志向の人が多すぎる。自然や宇宙に尊厳を抱かない、傲慢で自己顕示欲の強い人間が増えると国全体の感性も衰えるから、社会や文化が不自然&不快(生きにくい)な方向に誘導されてしまう。

まるで白川郷にいるみたい。

五箇山合掌造りには美味しい手打ち蕎麦屋があるけれど、スタッフが雪で出勤できずに臨時休業だった。ビーガンの友人に食べさせてあげたかったのに残念。

普段は活躍する機会のない雪囲いが役に立っていた。

古来より、節分の時の魔除けに使われるお飾り。

これで、外から来る鬼は防げるかもしれないけれど、自分の中に巣食う鬼は退治できない。これが厄介。

火を入れていた囲炉裏があり、温まって下さいとお誘いを受けたけれど、時間がないのでご遠慮。

しかし、魚を焼いていたり、鍋に美味しいものが入っていたら、ちょっと休んでしまったかもしれない。

友人が丘の上にある梅園の案内看板を発見。雪の日に行ったところで、見えないだろうと思っていたら、珍しい風景に出会えた。

勝手な思い込みや先入観はチャンスを逃がすだけであることを反省。

雪をかぶった梅とメジロ。絵になるような素敵なひと時だった。

ちなみに、メグロという鳥もいる。小笠原諸島にわずかに生息するのみとなってしまったらしい。

東欧では見ることがない鳥で、友人はとても喜んでいた。

友人の故郷の近くでは今でも戦乱が続いている。そういう状況の中で、地球上には色々な風景やご縁があるものだと思う。

本当に平和はありがたい。

園内には立派な建物が多数あるけれど、自分が一番好きなのは、この船頭小屋。畳三畳ほどのサイズで、持ち運びできるようになっている。

船頭さんが寒さをしのいで休憩するための仮設ハウスなのである。囲炉裏の部分は床を外して直接地面を使う。

友人に紹介したかった日本が誇る芸術家の美術館が近くにあるので移動する。

途中にある池にもアマチュアカメラマンが並んでいた。

「樹霊」

こういう感性がこの芸術家の真骨頂。

「母の塔」にも雪が積もっていた。

高さ30m。言霊の問題を考えるようになると、親子関係、友人関係、男女関係、恋愛、先祖、家などの概念も人間に作られたものであることがわかる。例えば、幸せな家庭での母親と虐待された家庭の母、孤児の思う母は同じ「母」でも意味する概念が違うのである。そしてその由来の大部分は周囲の人間たちの会話、教育、環境からの影響で作られている。

こういう作品が作れるのは、この作家のご家庭が円満幸福だった証でもある。お母様は歌人だった。お父さんは漫画家。自然や宇宙を感じることができる感性はそこから生まれたのだと思う。代表作は大阪万博の「太陽の塔」。

東西の文化や芸術を学び、超越して原始、宇宙を感じた作家だったと思う。

新進気鋭の作家たちを発見し育成する展示活動が開催されていた。

この会場は老朽化による改築工事のためにしばらく使えなくなるらしい。

画面に登場する人物が念じる声明の音声が流れていた。独特の周波数は人間の余計なことを考えがちの脳ミソを鎮静化し、癒す効果がある。反対に、脳ミソにノイズが多い人間は大音量、強烈なリズム(ダンス、運動など)を好みがち。それは心身の調和の乱れから来るノイズをさらに大きなノイズで消そうとするからなのである。しかし、これは対処方法が逆。被害が周りにも及ぶ。

皮肉なことにこのノイズは芸術活動の素(衝動)となることが多い。奇抜なアイディア、言動、思想の由来である。感性の話をすれば、味覚が鈍感な人は味が濃い料理を好むのと同じ。最悪なパターンは感性が鋭いのにノイズ過多で調整ができない場合、これが人格崩壊、精神疾患、行動障害などになる。お酒や薬で一時的に逃避しても、ノイズの発生源をやっつけなければ治らない。

 

出口には記念撮影コーナーが設けられていた。

夜に予定がある友人とお別れして、一人で喫茶。

ビーガンレストランは日本ではまだ少ないので、友人をお蕎麦屋さんに連れて行くことが多い。たまたま入ったお蕎麦屋さんがとても親切で、近くにあるビーガンレストランを教えてくれたのである。

私の地元にはまだ一軒もない。そして、私の知るビーガン料理は高いけれど美味しくないものが多かった。その点、都会のお店はとても進歩していて、品数も豊富で美味しく、値段も納得できる範囲。とても勉強になり、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

非現実的な綺麗ごとは復興の障害となるだけ。公約は詐欺であることも多い。日本と言う国の将来を考えるのが、最優先。

 

参考となりそうな動画。

https://youtu.be/F5s2vj8xDWc?si=hG6uPzwessjpi2aj

 

 

その理由はやはり洗脳による先入観だった。子供のころから学校や大人たちからそう教わって来たのだ。この話も洗脳の恐ろしさと危険性をよく表していると思う。優れた人でも洗脳されると、客観性を失ってしまうのである。これは日本の左系の人に本当に多くて残念。私の友人たちにもとても多い。人間性も素晴らしく、思いやりもあるし、教養もあるはずなのに、先入観(洗脳された情報)に基づいて話すから、全てに洗脳結果が反映されてしまうことになるのだ。これを当人に何度言っても「でも」と反論する。「でも」と言う前に、自分自身で調べて検証して欲しい。イーストウッド氏はそれをなさったので洗脳に気付かれた。

 

洗脳を解くカギは客観的&具体的な知識しかない。それによって洗脳された頭を上書きして書き換えるのである。それをしない限り、洗脳は死んでも治らない。

https://www.chiran-tokkou.jp/digital_archive/list.html

 

 私は海外の友達が少なくない。その多くがイーストウッド氏と同じようだった。朝鮮戦争やベトナム戦争の経由地として日本に滞在していた戦後世代の兵隊たちは親や先生たちから聞いていた日本人と、実際の姿が違うことに気付いた。最初は、疑っていたけれど、日本人の伝統文化や道徳観念は付け焼刃で作られたものではないことがわかる。そうすると、戦時中の日本兵たちがどうしてゾンビや鬼神の様になっていたのかと言うことに関心を持ち、調べる人もでてきた。その因果関係がわかると、洗脳は解ける。最初は私の言うことに不満そうな顔をしていた人も今は素晴らしい友人となっている。

 

敵国の立場で情報収集や翻訳作業をなさっていたけれど、日本国の大親友がいらっしゃる。最後は自ら望んで日本人になられた。最近は不適切な在日外国人が増えているけれど、この様な存在も忘れてはならない。宝物である。

 

ドナルド・キーン氏のメッセージ

 

 

現代日本人の問題点は、洗脳が戦争に関する歴史の歪曲だけではなく、教育や習慣、制度などの全般に入り込んでいる事。何気なく使っている言葉、常識、法律などが伝統的な日本のものとは違っていることに気付いていないのである。調和や団結を重視していたのに、今では個人の幸せや自由、権利が優先である。代々のお家制度や伝統を束縛だと教え、日本人の時間軸(歴史)と絆を分断する。その理由を全て軍国主義に結びつけることにより、自分たちの理論を強化して来た。なぜなら、それこそが日本の強みであり、日本が再び強くなることを防ぐため、徹底的な破壊(洗脳)を行ったのである。日本人の調和と絆をバラバラにするために刷り込まれたのが、人権、自由、民主主義、公より自分などの思想や概念。同時に、根性、滅私奉公、お国のため、伝統的な家族や人間関係を軍国主義に結びつく、古くて遅れた概念だと教えた。

 

軍人たちは日本人の精神を利用して戦争に引きずり込んだのだと教える。それは途中からそうなったけれど、出発点は違っていた。最初は日本中の文化人、知識人、民衆たちが、植民地主義に対抗してアジア開放を切望していたのである。当時の文学者などの言論にはその熱気が感じられる。敵を排除する気持ちはあったけれど、他国を侵略して奴隷化しようと考えていたような記述はまだ見聞きしたことがない。出て来るのは、反日勢力が日本を悪者とするために無理やりこじつけたような言論のみ。八紘一宇や大東亜共栄圏を侵略思想だと結びつけた。しかし、こじつけられるようなことをしていたことも史実。国内外の軍人たちの横暴、権力(治安維持法、特別高等警察など)の暴走。これの元凶は明治維新であった。戦乱の時代を経て守られていた太平の世の中を中途半端な知識人たちが無理やり西洋化させた結果の歪みなのである。連中は本物のサムライ精神を理解していない下級侍や庶民が中心のテロリスト政府であったから、神国を滅ぼし、物質文明によるグローバリズム似巻き込まれたのである。だから、近代は戦争だらけとなった。国内では近代史上最大の内戦である戊辰戦争に始まり、外国との戦乱の時代となった。

武士道の教育を受けていない庶民や農民たちは英国の武器商人とその使いっ走りであった坂本龍馬たちによって、豊富な武器を与えられ、軍隊が組織された。元気だけれど、無知で国際情勢にも疎い彼らは、侵略者の手先たちの洗脳により道徳観念の欠如した戦闘集団となったのである。当時、米国の南北戦争が終結したばかりで、南軍の不要となった武器に目を付けた武器商人は内緒で双方に中古武器を売りさばいて、戦わせていたのである。この史実により「日本の民衆を助けるために武器を提供した」という言い訳は通らない。

卑怯で半端なサムライモドキたちは、戊辰戦争における東北地方の虐殺も隠蔽した。幕府や当時の偉人たちも裁判も行わずに粛清しているが、その関係資料は処分され、口伝が残るのみ。この時期の日本は筋が通らないことが多い。どちらも「尊王攘夷」であることが一致していたにもかかわらず、戦ったのである。それは尊王攘夷と言う大義名分を利用していただけで、本当の目的は幕府に変わって政権を奪取するためのクーデターであったからなのだ。幕府は最初から天皇に背くつもりはなかったのに、薩長土肥などの連合軍は幕府を無理やりに朝敵(天皇に歯向かう敵)とみなして、戦争を仕掛けたのである。この経緯は今の財閥や政財界の闇と直結した秘密であるために、近代なのに資料が出てこないという不思議な状態なのだ。歴史学者たちも古代や中世の歴史は色々と研究する癖に、近代史はタブーになっている。そこに踏み込むと学者としての将来は亡くなるからだ。話すと長いので省くけれど、これが近代における日本のグローバリズムの起源。

 

この半端に西洋化した日本人が作ったのが近代日本。しかし、この集団の中には伝統的な教育を受けていた知識人もいたし、当時の国民も西洋化する前の伝統教育を受けていたから、日本の国体はかろうじて持ちこたえることができていたのである。ところが、この近代化(西洋化)の歪みは政変(515、226など)として現れる。軍隊内部でも分断が起きたまま、世界大戦へとつながるわけである。幕府なら統帥権は一つであったが、半端に西洋化した日本軍はバラバラであったのだ。本体も一枚岩でないのに、海外の部隊も推して知るべし。戦地における非人道的行為、国際法違反などを完全に否定することは無理。被害者側や侵略者たちは誇大に非難するけれど、小規模でもあったことは認めるべき。それは貴重な教訓でもある。

 

これらの膿を出さずに病んだ日本の再興は有り得ない。いわゆる左系の人たちが一番危惧しているのもこの点。私も同感。この検証の話は長くなるから止める。しかし、いずれにしても因果関係からは逃れられない。火の無いところに煙は立たない。無理に否定や隠蔽をすることは、日本人としての誇りや品格をかえって貶める。恥である。自分たちの罪や過ちを責任転嫁&正当化する外国と同じレベルになってはいけない。そうなると、本当の美談や尊い犠牲までもがでっち上げられたプロパガンダであると疑われることにもなる。海外に行くと「日本人は信用できる」「日本製品は信頼性が高い」と褒められることが多いけれど、それこそが先人の培ってくれた美徳&精神のお陰なのだ。

 

実際の大陸開拓団の志願者たちは新天地での幸せな暮らしを求めて開拓団を組織したのだ。大体が中流以下の人たちで、西洋の植民地の様に実業家が現地人を奴隷化して大規模農園経営をするものとは全く異なる。アジアや南米には豪華な建築遺産がたくさんあるけれど、それらの多くは奴隷を使って財を成した邪悪な商人たちの残存物なのである。それに対して、日本の開拓団たちは汗水流して荒れ地を開梱し、現地人とも友好関係を築いていたのである。反日プロパガンダばかりで、現地の暮らしや友好関係を紹介する内容はとても少ない。

 

ちなみに、明治以前の日本では公的施設以外の建築は、地位の高い人でも質素であることがほとんど。その霊性に逆行して物質文明の下僕となっているのは古来から腐敗した貴族などの特権階級と商人である。明治になってからは霊性の劣った政財界人たちが、物質文明に毒された結果、あちこちに豪邸や別邸を所有し、自分の地位や財力を顕示するようになった。皮肉なことにそれらの建築の大部分は文化遺産となっている。

 

それによって、調和やお互い様よりも、自分の幸せや自由を考えるべきだとなる。最近は無節操な権利を過保護に論じる傾向が強い。会社は家族だと言う考えから、経済的な契約だとなる。自分の出自の歴史や戸籍は記録以外の意味を持たないと考える人も増えてしまった。結婚した相手の苗字を名乗ることは、その家や家族との絆の証明であり、喜びでもあったはずが、家の中でも自己主張(別姓)に執着する。それらは、洗脳された抽象的な概念をそのまま鵜呑みにしているだけであり、それまでの日本社会での役割や東西文化比較の観点が抜け落ちている。

戦前の教育では精神性を尊重し、学校で教わる偉人は徳の高い人であったけれど、戦後は欧米の発明家や起業家、学者などの有名人に変わった。それが昨今は豪邸、車、パワーゲームによる名声である。この背景には侵略者が精神教育が日本の強さであることに気付き、教育内容から強引に削除させたのである。膨大な書籍が焚書禁書扱いとなり、教科書の不適切な箇所は、子供たち自らに黒い墨で消させたのである。

もちろん、戦前の日本にも問題は多々あるので、それらを比較分析することは大切。しかし、その理由や成り立ちを考えないままで、脅されて押し付けられた侵略者の思想を鵜呑みにすることはとても危険。昔から、相手の文化と言語を破壊し、自国の価値観と言語を押し付ける。これこそが植民地化政策なのであるのに、洗脳度が深い現代日本人は学歴の高低にかかわらず、気付くことができないのだ。これは本当に恐ろしい状態。

 

ところが、最近はそのような調和の精神こそが世界、地球の平和のカギであることが見直されて来た。AIに世界平和のポイントを質問した結果でも「日本の調和を求める姿勢と社会」という回答が得られたそうである。長い間、日本人は島国根性だ、お人好しの間抜けだ、平和ボケだと言われ続けて来たけれど、ようやく世界が気付き始めたのである。

 

そこで言いたいことは、いわゆる日本の左系の人たちはどうしてそれに気付かないのか?「いわゆる左系」と言うのは、私自身は左右のどちらに属するのか、わからないけれど、客観性のない空論を振りかざす人に左系と呼ばれている人が多いからなのだ。典型的な洗脳症状が出ていることに自覚がないのである。学識のある人ほど症状が深いことは、洗脳情報の汚染を受けた時間と量が多いことに比例すると言える。

 

不自然で典型的なのが、選挙に際して持ち出される憲法改正や軍備の問題。自衛や国防とは、身体で言えば、自己免疫力(防御力)。邪悪なモノを予防&排除する考え方のことである。左傾の人たちはこれを頭ごなしに否定することが多い。戦争はダメだ、繰り返すな!とおっしゃるけれど、ではどうすることができるのか?具体的な代替案はあるのか?机上の空論など誰でもできる。実効力がなければならない。戦争はダメだと言いつつ、それから身を守る術も否定してしまったら、現実にどうなるのか?中立の国々があるけれど、それは国民皆兵か徴兵がセットになって成り立つ。戦争もダメ、自衛のための軍備も兵役も否定して、何ができる?逃げるだけではないか?こんな卑怯な人間たちに家族や国を守ることはできない。そもそもそういう卑怯な発想をする人間は信用できないので、付き合う気も起きない。

 

戦争が好きな人などいない。その意味では私も反戦論者、平和論者である。しかし、彼らの論理はあまりに単純すぎる。だから、今後は単純平和論者(反戦論者)と呼ぶことにする。戦争が嫌いだ、するべきではないといくら言ったところで、侵略と言うものは礼儀や言論を超えるのだ。現世界の状況を見るべき。それを「話し合いで」という人たちがいらっしゃる。確かにそれは理想的で、誰もが望むこと。しかし、今までの人類の歴史上それを実践したのは日本神話の国譲りの故事とインドのガンジー氏(翌年暗殺で亡くなる)くらいしか知らない。

でも、試してみる価値はあるかもしれない。有事の際には同様の主張をする議員や政党で「非武装言論外交団」を組織して、賛同する人たちに登録してもらい、戦闘の最前線に赴いてもらうのである。直ぐに帰って来るのであればそれは通常の政府間和平交渉と同じになるから、紛争終結まで最前線に留まり、無抵抗な人間の盾となることになる。停戦協定を無視して爆撃が続くウクライナやガザの最前線にいるような状況に近い。そんなことが非武装&話し合い論者たちには本当に可能なのだろうか?言論で世界平和を訴えようとしていたマスメディア関係者の現状はどうなっている?報道関係の表示を見せても殺される。医療チームや一般人だとアピールしても攻撃されるのが戦争である。

 

その際に、自衛隊は一切の支援をしないで良い。なぜなら、今の問題は自衛隊も十分に機能できず、国連も権威と抑止力が不十分だから、万が一に備えた国防論になっているのである。それなのに、いざとなったら自衛隊や国連が何とかしてくれると頼るつもりなら、それは卑怯。彼らの主張は詭弁であることになる。当事者ではなく(自分自身の命の心配はない)、その恐ろしさの認識不足(歴史と現実)から生まれた空論だと言うことだ。

 

それを身をもって体験するまで、逃げさせてはならない。途中から主旨を撤回して武力を使用することは彼らの理想論の検証にはならない。どれだけ、甘ったれた考えであるかということを体験させ、最後まで見届けること。同時に参加者には前線に赴く前に国内外に向けて「一切の行動は自己責任であるため、何が起きても武力による対抗や援助は求めません」との誓約書を書かせること。特に国連への提出は必須。なぜなら国際世論から日本国民と政府が見殺しにしたと非難されることを防ぐ必要があるのと同時に、国連の在り方を問う意味があるから。これは国際世界の精神性レベルと国連の意義が試されるテストになると思う。

 

何と意地悪な発想をする奴だと憤慨する人もいるかもしれないけれど、私もそれだけ真剣で、命懸けで考えているつもり。実は私は綺麗ごとや平和ボケが大嫌いだけれど、裏返しで言えば、綺麗ごとや平和ボケで生きていける世界こそが霊性の高い文明世界だと思う。なので、この手の理想論は数えきれないほどシミュレーションしている。もしも、現時点で100%の確信があれば、腹切りを覚悟で自ら最前線に行く。そして、皆様にご迷惑をかけないために、必ず誓約書を書く。書けないような覚悟であれば、それは嘘だ。人間の命の問題を論じるのであれば、自分自身も命懸けでするべき。自分の命もかけられない半端な言論などするべきではない。

 

もしも、これを実践する勇気と覚悟をお持ちの方で、実現することができれば、世界の救世主となることは間違いない。ガンジー氏の不慮の死から大分時間も経っているので、国際世論や人類も成熟している可能性はある。ちなみに、テロや暗殺の実行犯たちは教養は無いけれど、行動力があり元気な人間が使われることも知っておくべき。私はそういう人間たちを腐るほど見て来た。日本円で数万円のために、平気で放火や殺人ができる。生きた人間兵器(鉄砲玉)となる。政治や暴力団などの紛争には昔からつきものの存在である。油断しやすい女子供も使われる。その種の人間には思想も信条もないので、非武力&無抵抗をする意義を理解した上で行動するとは思えない。そして、多くがテロや事故に偽装するので、実際の指示者は表に出ない。つまり具体的な責任追及することはできないのだ。最近の暗殺やテロ事件も実行犯から先は闇の中のままでフェイドアウトしてしまう。これが残酷で邪悪な現実なのだ。

 

私自身も理想はそうあって欲しいと思うけれど、現在の人間たちのレベルは信用できない。そして、問題を起こす人や国は、道理や礼儀が通じないのが当たり前である。そこに、こちらが一方的に綺麗ごと理論を展開する意味が虚しいし、現実には役に立たないと思う。理論と確信が熟成していないのであれば、半端な言論は慎むべき。

 

そう考えると、現時点では抑止効果が一番の紛争予防対策だと思う。スカンクは強烈な匂いで威嚇する。ヤマアラシやハリセンボンには痛い棘がある。だから肉食獣は敢えて襲わない。そして、それらの動物は普段はおとなしく、自分から他の動物を襲うことはしないものである。ところが、一部の人たちは針や棘を持ったら攻撃するかもしれない(攻撃するようになる)と強調するのである。この失礼で懐疑的な発想の根拠はどこから来るのか?昔から馬鹿と鋏は使いよう、気違いに刃物と言うではないのか?我々は馬鹿で気違いなのか?おそらく軍国主義の歴史を持ち出す人もいるであろうが、それでは今現在の我々が戦時中と同じ精神レベルなのか?最近、このタイプの人たちの共通点として気付いたことは、右翼の人たちよりもよほど好戦的な気がする。なぜなら、すぐに戦争が起きることを想像してしまうのである。普通に見れば、可愛らしいスカンクやヤマアラシ、ハリネズミなのに、彼らは噛んだり襲い掛かってくるものだと勝手に思い込んでしまうのである。

ちなみに「気違い」は差別用語ではない。本当に気の流れが違うから異常現象が起きることを示しているので、忠実な表現。それが差別につながるのは、言葉に罪はなく、使う人間に問題があるのだ。言霊は両刃の剣。善悪両方に使える。これも偶然に抑止と軍備の関係に似ている。

 

それから、少し言葉足らずかもしれないので付け加えると、抑止力とは兵器とは限らない。知識、技術などの脅威でも良いわけだ。あの国と仲良くしないと不利だと思わせる状況でも良い。あの国(霊性)を害すると天罰が当たる気持ちにさせる事でも良い。実は神様の啓示は一番最後なのだ。しかし、これには時間がかかるし、現状ではその前に武力で侵略されて母体と基礎環境(霊性と文化)が壊される危険性が非常に高い。だから、その前に取り敢えずの防御態勢を作るべきだと言うことである。日本は古代にこれを失敗している。神様は霊的レベルの低い人間に対しては、鬼の力も借りるべきだと警告したのだけれど、古代の人々は綺麗ごとに走った。その結果、古代グローバリズムが起き、長年平和だった世界に武器と戦争(集団暴力)を持ち込ませてしまった。彼らは本物の神さまと霊的な人間たちを駆逐して自分たちが「神」を勝手に名乗るようになったのである。霊的な古代日本人は争いを避けて辺境の地に隠棲した。侵略者は神の模倣をしたけれど、霊性がないので、表面的な内容(形式的な祭事や儀式)しか継承できない。その結果、都市化したエリアは戦乱が絶えない世界となったのである。この話は以下省略。機会のある時にまた。

 

いずれにせよ、守るべきものがわかれば、方法論などは二の次。現実に合わせて最善を尽くすしかない