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雲水・ISA(九龍)のブログ

日本は神の国
仁術師

ストレスが無くなる方法は「自分が感染者」だと思うこと。

 

この画像は海外の五つ子ちゃんだけど、すごく単純に、こういう子供たちを苦しませたくない、守ってあげたいと思う。弱者という点では高齢者も同じく。この気持ちが大切だと思う。

先日の投稿後に内容を読んでくれた友人との会話でとても大切なことに気づかされた。自分のことばかり考えているとストレスとか不安でいたたまれなくなるのだけれど、マスクや自粛などのあらゆる行動は全て自分のためだけではなく「他者(特に高齢者などの弱者)や生活している共同体(国、地球)のためにみんなで協力してウィルスをやっつけようとしているのだ」と考えるとストレスに感じなくなると思う。これを一番簡単に自分に理解させる方法は「自分が感染者だ」と思うこと。そうすると今騒がれている危機管理対策の方法はストレスに感じなくなるのだ。政府や他人が悪くて自分が被害者だというような気持ちをいつまでも持っていると、周囲の言動や現象がすべて嫌なこと、或いはマイナスに感じてしまう。ところが自分が加害者になるかもしれないと思うと、余程の凶悪で下劣な人間以外は思いやりとか気遣いがあるので、「自分がみんなに迷惑をかけたり、うつしたら大変だ」と考えるはず。そういう気持ちがあると大概のことは許せると思う。医師や政府の言っていることは(後手に回っていることは腹立たしいけれど、ひとまず置いておく)あながち間違っていないぞと思うこともあるはず。 そして、どうせ政府や行政はいまいち信用できないのだから、その不行き届きな部分は自分たちで何とか補って対処しようというように、積極的に自分で考えて立ち向かう気持ちが湧いて来るはず。何でも鵜呑みにせず、ちゃんと考えることが大事だと思う。

 

具体例を挙げれば、人口密集地の都会と人がいない地方で同じようなパニックになる必要はないと思う。田舎の公園や校庭でマスクをしながら遊んでいる子供や田舎道をマスク姿でとぼとぼ歩いているご老人の姿(花粉症ならいいけどね)を見るととても痛々しく感じる。変な話、満員電車で誰かが放屁をすると匂いがすぐわかるけれど、ほとんど乗客がいない田舎の単線車両で誰かが屁をこいたところで気付く人はほとんどいないと思う。それ以前のルールとしてお腹の調子が悪かったら最初から電車に乗るべきでないことは言うまでもないけどね。

 

と当時に、自分自身の検証も必要。ポイントになる時期に中華系の人たちとの接触はないか?接客、ビジネス、ツアーで同乗、イベントやテーマパークなどで接近、飲食店で同席、混雑した場所で接近、報道された感染者や場所と関連はないか、などの色々な可能性が考えられるはず。そのような状況が思い当たった時に、もしかすると「自分も発症はしていないけれど、感染者かもしれない」と思って用心しておくことはとても有効で大切だと思う。

 
それと、異常事態なのに普段と同じ生活や行動をしようとすること自体に無理がある。異常な状況なのだから予想外の変なことが起きるのは自然。社会のルールや常識だってこういう時には変わるものだし、変えないとそれに縛られて身動きが取れなくなる。仕事の仕方、食事のとり方、子供や高齢者との接し方、トイレの使い方、満員電車内のマナー、家族との接し方だって、全部いつもと違うはず。それにいちいち目くじらを立てる心理状態がストレスの大元だと思う。臨機応変で柔軟な心が理想的。真面目な人ほど頑張り過ぎるので、ちょっとバカなくらいがちょうどよいと思う。
 
何を隠そう、自分は海外で怖い感染症にかかり、帰国も許されず大変だったことがあったのだ。その後で帰国した時の必死に家族を守ろうとした体験を思い出した。一応帰国できるという診断結果は出たものの、帰国直後は万が一まだウィルスがどこかに残っていては大変なことになるので、念のために食事からトイレなど神経質になるくらい全てに注意する生活がしばらく続いた。国や医師からの指示などは簡単な内容だけだったから、それ以外は自分で調べて学習して最善を尽くした。国や医師が言ってくれなかった、と後から騒いだところで、何の役にも立たない。他人のせいにしていては自分や家族を守ることはできないと思った。それまで考えたこともないような面倒くさい出来事が色々あったけれど、自分の責任だと思っていたので全くストレスにはならなかった。簡単なことではなかったけれど、困難とストレスは違う。「決して家族を巻き添えにしてはならない!」という必死の覚悟があらゆる困難とストレスを乗り越えさせたのだと思う。人間は必死になるとストレスなど感じている余裕もなく困難を克服しようと無意識にパワーアップしてしまうのだ。今回のウィルス騒動において、この時の教訓が役に立つ気がする。
 
「自分の今の行動はみんなのため、家族のため、子供たちの将来のため、国のため、世界平和のため!」と考えると、逆に「だったら人類の敵をコテンパンにやっつけてやろうじゃないか」という気分にもなって来る。
 

(誤解をする可能性があるので追加)

 

ただ、くれぐれも誤解しないでいただきたいのは、決して「開き直り」という意味ではないこと。開き直った自暴自棄と、自分が感染したつもりで他者を思う気持ちを前提とした臨機応変な対応とは全く違う。情報や知識が不足して心の余裕がないと開き直ることでバランスを取ろうとする傾向があるけれど、これは危険。この現象はおそらく近いうちに現れるであろう事が予想される。「かかるときにはかかるから、気にしない」「心配しているのは年寄りだけだから、自分は関係ない」「政府も何を言っているのかわからないから無視して自分は勝手にする」「世の中がめちゃくちゃなんだからどうなったって自分のせいではない」「育児や仕事が・・・だからそんなことかまっていられない」等々の言動が見られるようになるはず。その時に、その人の人間性や修養のレベルもわかる。

 

さらに危ないのは「ウィルスは気合で乗り切る」「こういう時こそ元気を取り戻すために、我々は屈っしない」などと熱くなり過ぎて目立つ言動をしたがる現象。自己顕示欲の強いイベンター、アーティストや芸能関係者に多いと思うけれど、これは戦時中「敵の銃弾に竹やりで挑んだ」故事に似ている。その精神性はとても尊いし、個人的にはそういう人は好きなんだけれど、非科学的でさらなる拡散と自滅を招くことは明らかなので、命を粗末にしてもらいたくない。本当にウィルスをやっつける気があるなら、ちゃんと考えてもらいたい。科学的&合理的に考えた上で、このような精神力があれば鬼に金棒。勢いとか感情で舞い上がらずに本気で研究すれば、科学的にも有効で、なおかつ、みんなを勇気づけたり励ますことのできる方法が色々あるはず。

 

3月2日追加 悪い予想が実際に現象として現れて来てしまった。しかし、最近は少し危機感が高まりつつあるから、良い方向に変わってくれるとありがたい。

 

「重症化するのは年寄りだけで、若い自分たちは大丈夫だ」と考えて社会や他人を考えないと拡散する。症状も軽く花粉症や風邪と区別も難しいので自覚の無い人が多い。これが学生や子供も制限する理由。しかし、生命力に満ち溢れた子供たちが動けなくなることは多大なストレスなので、その解消策もセットで考えないと可哀想。ネットでの交流や学習も良い。政府は一斉休校だけれど、子供たちを移動させないと言う意味ではむしろ学校を安全な環境にして集めた方が合理的な気もする。

こういう時こそウィルスに負けないで盛り上げよう!熱いハートで自己免疫両区を高めよう!などと非科学的で感情的な人が感染を拡散する。アーティスト系やそのファンに多く、熱い心が裏目に出る例。自己顕示欲がつよくて言動が派手、格好をつける行為は逆効果。そういうのが好きな人や国lは感染も広がりやすいと思う。ビビり屋は言動も大人しいので害は少ないけれど、この手の熱い人たちは行動力もあるので、危険性が恐れられているクラスター感染(集団感染)の元となり、災いをなす危険性は大きい。間違っても「俺たちの気持ちは正しかった」「哲学は素晴らしかった」などと後から言い訳をして正当化&自己満足をするのだろうけれど、その他大勢にとっては大迷惑以外の何物でもない。

「自分は元気だ」と活動的で張り切るタイプがなりがちな行動。スポーツやダンスなどの趣味を持つ元気な人に多い。母親が感染者で、自分も倦怠感を感じているのに「私は大丈夫」と、自分のことしか考えず、ホットヨガをやったり、遠方の子供を訪ねて感染させてしまった。クルーズ船を降りた翌日なのに万が一の用心もせず、スポーツクラブに通って感染を広めた人もいる。共通するのは他人への気遣いが無く、自己中心的な思考と行動。

自分の周りにもこういう多趣味で活動的なおばちゃんが少なくない。趣味のダンス仲間は大抵がこういう元気なタイプ。自分も含めて、同様に「俺は気にしない、大丈夫」と粋がる元気なおじちゃんも要注意だ。実際に知人にも危機感が無く呑気な人が多い。何か言うと「心配し過ぎよ。私なんかどうせ先もそう長くは無いのだから、かかったらかかったで仕方が無いわ~」とか答えるけれど、やっぱり自己中で周りのことが頭に無い。今回のはただの風邪とは事情が違う。このタイプの人たちの行動&交友範囲は広いから、ウィルスにとっては非常にありがたい協力者(運び屋&逃亡先)となってしまうのである。自分は基本的にこのタイプなので、だからこそ「自分が感染者」だと思うことで行動に配慮しているつもり。

 

昔、喫煙の害毒をいくら言われてもピンと来なかった時に、健康な肺と喫煙者の肺の標本が並べられているのを見て、凄いショックだったことがある。人間は言葉よりも「百聞は一見に如かず」だと思う。というわけで中国の医師が公表した重症患者のCT画像を参考までに。

健康な肺は黒くて隙間が無いはず。ところが、ウィルスに感染すると、徐々に細かい穴ができて目の粗いスポンジ状になる。肺の細胞が死んだ部分は白く映る。その部分は機能しなくなるため息を吸っても酸素を取り入れることができなくなり、死に至るわけだ。現状では免疫も抗体もないので、この状態からの回復は難しい。さらには一度陰性となっても、免疫力が低下すると再発するのも厄介なのである。平和ボケの人たちは、この期に及んでしつこく自分たちの都合が良い理論を展開しているけれど、この画像を見てどう思うのだろうか?有名大学の教授とかいう人は集団での感染率が非常に低いことを強調しており、それ幸いとばかりに内容を引用する業界関係者も多数いたけれど、それは集まる人の種類にもよるはず。地方の集団とすでに感染が発生している大都市部で同じ比率のはずがない。用心したビビりの集団と平和ボケで考えない集団の危険率は違うはず。他にもこまめに換気をすれば集まっても大丈夫、温かいお湯を飲めば大丈夫などと、色々な牽強付会的な投稿が見られた。そういう浅はかで自分勝手な思考が災いを拡大してしまうのだと思う。

最近はフェイスブックによる連絡が主になっており、こちらの更新が放置状態であった。しかし、最近の問題は急を要すると感じたのでこちらへも投稿することにした。元々このウィルスには抗体もワクチンは無いと言われていたけれど、再発する患者が現れたことで、それが証明され始めたから、予断は許さない状況だと思う。

私は前回のSARS騒動の時、香港のテレビ局関係者から仕事の依頼を受けたり、国際調査団の任務で流行が始まった南方に居た。なので、あの当時の不気味な感染騒ぎをまだ覚えている。とにかく具体的な情報ほとんどなく、「恐ろしい伝染性の肺炎が流行り始めた」ということだけ。その防止方法もわからなかったので、一般的な感染対策を自分で考えて行っていた。主にマスクと手袋による防御であるが、中国は今ほど近代化していなかったのでどこもかしこも危険な匂いがしていた。また彼らの民族的な特徴として、すぐに感情的になり、自分勝手な行動をすることを知っていたので、政府や警察の指導などは通用しないだろうと予測していた。こうなると、自分で危険回避をしなければならないので、少しでも咳をする人がいると、直ちに距離をとって逃げた。手に触れる場所はどれも汚染されていると考えて手袋を使った。マスクは布製のやつだったから洗って再使用を繰り返していた。しかし、長時間使うと耳の後ろが痛くなるので、その内に混んでいる場所以外ではほとんど使わなくなっていた。半分開き直って「ウィルスが来たら自己免疫力で全部ぶっ殺してやる!」と思っていたのだ(笑)今考えると非科学的だけれど、半分は本当だと思う。特に敵が正体不明の場合、人類最強の武器は自己免疫力なのである。半端な医者たちは高度な技術&医療機器や薬に頼るけれど、高名な医師たちは一様に「我々は神様の与えた力(免疫力)のお手伝いをしているだけ」というようなことをおっしゃることが多い。

 

その当時の現地体験を思い出しながら、なぜ日本(日本人)が具体的な情報や根拠もないのに楽韓的に考えるのか非常に不可解に思っていた。目に見えないウィルスの恐怖は普通の生活や人間関係を破壊するのだ。しかもこのウィルスの危険なところは前回から17年も経過しているのに抗体もワクチンもいまだに存在しないのである。それに、今回のは新種である。ということは、感染したら免疫力のない人間には致命的だということである。そして抗体ができないのであれば、何度も再発する可能性もあるわけだ。それなのに我が国はずっと平和ボケ状態だった。ウィルスの脅威に対して何も先手は無く、すべて後から騒ぐだけ。

政府はこれまで自分たちが先手を打っているような答弁をしているけれど、それは過去の過失をごまかすし、既成事実であるかのように見せかける姑息な手段に過ぎない。こんなものにごまかされてはならない。あなたたちは本当に仕事と責任を果たせない烏合の衆であることを認識するべき。


そこで前回のデーターを探したところWHOの公表資料がWikipediaに残っていた。我が国を見ると、感染者はゼロ。これでピンと来た。「危険性をわかっていない!」のである。だから医療関係者でも平和ボケ的な発言が目立つわけだ。はっきり言ってウィルスの特徴と最前線の現場を知らない医師は一般論と推測だけしか話せない。自分の友人知人に医師がいるからといって訊いたところで、ほとんど平和ボケレベルの回答しか得られないのがオチである。だから、国は経験のある専門家を早期に招集して対応するべきだったのに、なんと当初のクルーズ船現場には感染症の専門家が存在しなかったのである。私の友人を含めて緊急に集められた医師たちが詳しい情報や現実的な支援もないままに手探り状態で対処していたのだ。一番危険なのは最前線の現場であるのに、こんなひどい話があるか?!しかも、最近では最前線で任務に当たっていたことを称えて感謝するべきところを、反対に差別するというのだから本末転倒である。日本人も恥を知れ。

ただ、現実的な話をすれば、確かにウィルスのキャリアとなっている可能性はあるので、院内感染を避けるのであれば、自宅待機として給与などもきっちり保証するべきである。また近隣者や学校関係者にもその任務の意義と安全性を説明し、彼らに対する気遣いを教えるべきである。

 

最前線での対応の異常さを感じて、内情を告発した医師の資料&画像を見れば事実関係は一目瞭然。すでに動画などは削除されたらしいけれど、きちんと隔離されていない巨大な空間に大勢の人間が押し込められているので、感染が拡大しても無理はない状態だった。こうまでしないと国も動かず、国民も事の重大さに気付かなかったのである。停泊している神奈川の県知事もインタビューで「国は何もしてくれないので、自分たちで行った」という旨の発言をしている。全く危機管理ができていない。最近、SARSや海外感染症経験のある専門家たちがようやく参画したところである。本当は彼らが直接テレビの前で話した方が良い。役人たちはやたらと難しい言葉を使うだけで、支離滅裂だからわかりにくい。記者の質問にしどろもどろになる場面があると、かえって不安感を煽るよ。自分自身で理解してから話してもらいたい。イランの保健省次官は公式会見で咳込みながら答弁を行っていたけれど、後から陽性であることが発覚した。ああいうのは最悪だ。

現時点での致死率が2%だと喜んでいる人たちもいるが、それは経過途中の数値であり、前回のSARSは最終的に10%前後だった(WHO)。しかし、現時点で感染者総数は中国国内だけで当時の世界感染者総数の約10倍、海外でも数人だったものがすでに100人を超えている状況。韓国などは前回3人だったのがすでに1146人。日本は前回0人だったけれど、クルーズ船を含めるとすでに862人。イランなどは感染者95人中15人が死亡しているのである。重症化率はまだ未知だけれど、低いのではないという楽韓的な予測もある。でも、やはり「取り越し苦労に越したことはない」。運転免許講習でも「だろうではなく、かもしれないと思って運転するのが安全運転です」と言われるのと同じだと思う。

前回のSARS騒動当時の街中や空港などは誰かがちょっと咳をしただけで敏感に反応したし、トイレのドアノブや人が触れそうな部分には恐怖感を覚えたものだ。私はそれを知っていたので、そのようなことにならないように事前予防、具体的には汚染源となる中国からの移動者の遮断が第一だと思っていたけれど、最悪な時期(旧正月の大移動)を見逃してしまった。この結果、ウィルスを持っていた可能性のある人々が全国の観光地や商業地に散って行った。散らせてしまったら、その後は追跡も不可能で鼠算的に増殖することは明らか。パンデミックの可能性が大きいのだ。この時点で私は国の国防危機管理システムが機能していないことがすぐわかったので、クライアントや関係者にはすぐに警告をして具体的な指示をしていた。状況から判断すれば、感染力は前回のものより強く、国際間の往来が激しい現代では拡散も水面下で急速に広がる懸念があると感じた。大多数の日本人から見れば「過剰反応」だと言われるような内容だったけれど、私のキャリアと「取り越し苦労は後から笑えば済む」という言葉を信じた人たちは、きちんと守ってくれているので心配はないと思うし、私の当初の厳し過ぎるように感じた判断が間違っていなかったことを知ったはず。今回の場合は、ウィルスの情報、中国政府の特徴、民族性を総合的に判断しなければならなかったのである。

 

なみに普段は近況報告と楽しい記事&写真を書き込むSNSにこのように気分が悪い内容を書くのは本意ではないけれど、友人(中国人を当然含む)や国を憂いているので、少しは役に立てばよいと思って、嫌々ながらこちらへも関連記事を書いているのである


当初から明らかにアウトブレイク&パンデミックの兆候が濃厚であったのに、それに対処できず、警告もできなかった政府とマスメディアの責任は大きいし、無能さを露呈した。早めに危険なことを周知させておくのは緊急対応の基本。曖昧な指示や情報だと人は行動しないのである。同時にパニックになるリスクもあるから、冷静にするための具体的な対処法や指示を与えるべき。一大事なのだから危機感や不安を感じるのは当然だけれど、納得できる情報と信頼感があればパニックにはならないはず。これが後手に回っていて、情報もいい加減だと国民は不安になるのだ。デマを話題にするのは、目の前で燃えている火を消さずに出火原因を論じるのに等しい無駄な行為。しゃべっている暇があるなら、先に早く火を消せ!これをわかっていた人や企業は国の指示を待たずに独自で指示を出していた。その反対に、分析もせず、デマだ!マスメディアが煽り過ぎだ!などと決め込んで安易な楽韓主義的思考で科学的根拠もないのに自分勝手の都合が良いように解釈していた平和ボケの人たちは猛省するべきだと思う。ちなみにデマは自信をもって否定できないものは「デマではない」。可能性があるのだから用心するに越したことはない。当然、自信をもって否定するためには自分で考えて学習する態度も必要。それをしないで、他人の噂ばかりを騒ぐからいわゆる風評デマになるわけだ。そいう言うのは芸能ゴシップとおばさんの立ち話だけにしてもらいたい。

 

また中国は今でも海外の医師や調査団を制限していることから、内情を隠ぺいしていることは明らか。ある程度中国のことを知っている人間は最初から胡散臭いと感じたはず。このような特徴も頭に入れて報道を分析しなければ真実は見えてこない。だからウィルスの詳細は今でも明らかにされないし、国際協力を阻んでいる。それをまるで協力しているかのように報道しているのは真っ赤なウソ。実際に現地取材に向かった勇気ある記者は行方不明となっている。現政権下ではまともなことを言う人は処分されてしまう。権力者やお金持ちは全て政府の息がかかっている。歯向かうことは死を意味する。このような環境で成長した大人たちは共通の国民性を持ってしまう。海外とのコネがあれば亡命もできるけれど、一般人には難しいので、大人しく政府の言うがままに暮らすしかない。これが大陸の中国人と海外華人たちとの相違なのだ。

彼らの歴史を知れば情報を操作したり捏造することは日常的。当初、今回のSARSの第一発見者であった武漢の医師(故人)はデマを流した罪で処分されていた。それどころか、敵国と関係していてウィルスをばらまこうとしていたというような説まで展開したのである。これらは軍部の正式なサイトで公表されていた。専制国家におけるマスコミは自由公平なものではなく、あくまで政府の宣伝媒体であることにも留意するべき。特に今の共産党に正義や人道を期待するのは無理な話。しかし、今回の騒動をきっかけとして、ネット上のSNSなどで大陸内部でも人権や平和、民主などの精神が芽生えていることを知れて非常に嬉しく思う。

これに対して政府は処分に抗議して、彼を励ましたり称える投稿や記事をネット上から次々と削除し始め、ウィルスに関する情報を公開して共有する方向とは真逆の隠蔽傾向をより強めたのである。ところが、それで国際世論が騒ぎ始めると、今度は英雄視するような論調に変わって来ているのだ。こんなにいい加減で自分勝手なマスコミがあるものかと思いたくなるけれど、それが彼らの伝統なのである。昔の写真でも批判された人物は教科書や資料の写真から削除されるのが当たり前であった。これを知っている研究者は中国の記事や数字は話半分で聞くのが常識となっている。当然、今回の感染者数や死者の数、時系列や場所に関しても例外ではない。彼らに都合が良い内容だと考えるのが妥当。それ以外の情報も世論の反応をうかがいながら、都合の良いものを小出しにするのだ。

と同時に、カモフラージュとしての発表も欠かせない。前回はハクビシンのせいにしていた。今回は絶滅危惧種のセンザンコウである。この動物は昔から中国では漢方薬や貴重なジビエとして売買されていた。数十年前ならバスや汽車の中で生きたまま持ち運んでいたものだ。それが今更ウィルスの宿主にされてしまっては可哀想である。何度か見たこともあるけれど、大人しくて可愛いのだ。丸々とサッカーボールみたいになる。

そもそも、この報道を公表する前に正式な軍事サイトでは、分析した結果「自然発生ではない、人工的なウィルス兵器」の可能性があるという内容を堂々と発表したばかりである。巷では「戦争を煽るデマだ」「平和のためにデマを阻止しろ」と言う人もいるらしいけれど、これは誰かが捏造したアイディアではなく、中国の公的機関が自ら公表した内容であることを知っておくべき。つまり政府の公的な認識なのである。そこには必ず政治的意図とメッセージが含まれている。中国政府がこんなことを言ってしまったのに、日本の表メディアでは何の報道もしなかった。それをくみ取らず、危険な情報だから隠してしまえというのは「臭い物に蓋をする」理論であり、蓋の内部では確実に問題が起きている。これを正面から考えて、処理しなければ真の平和は訪れないと思う。また、この件については、その後クルーズ船の現場で検疫などの作業に当たった私の友人からも内容の問い合わせが来ていたけれど、遺伝子の構造が自然界では考えられない特異な順列になっているので、人工的に作るほかはあり得ないという内容だった。

彼らが暗示したいことは、誰か(敵国)が細菌兵器を持ち込んだ可能性があると言いたいのであろう。しかし、それならどうして海外の医師や調査団をシャットアウトするのか?公の場で明らかにするべきではないか?アメリカも西洋諸国も援助や調査を希望しているにもかかわらず、現場へ行くことさえ制限しているのである。こんな矛盾した言動があるだろうか?それに、何事に対しても過剰な言動をする中国がこんなに静かなことがあるだろうか?敵国に攻撃されたら烈火のごとく国際世論に訴えるはずだろう。明らかに何かを隠している様子が見え見えではないか。予想できる状況は、必死になって感染源になった証拠を消していること。今後は少しずつ、感染源をほかの生き物や人物に関連付ける理論を構築するはず。最初は国内にその仮説を普及させて、ある程度広まったところで、SNSなどの情報を規制しながら、国外の国際メディアに少しずつウィルスが武漢で発生したものではないということをアピールするのだ。そこで国際世論が騒ぎ始めたところで、調査団を歓迎して、現地の視察を行うような段取りになると思う。しかし、今更視察しても証拠らしい痕跡は何も残っていないことが予想される。

 

ちなみに、武漢という土地は内陸にあるため第三線エリアと呼ばれて先進科学技術の研究開発が行われているところである。その中には細菌研究所もあるのだ。私は様々な分野のQC(クオリティーコントロール)にも携わって来たけれど、中国のクオリティーと管理能力は信用できるものではない。それらの歴史と彼らの行動パターンを考えると私個人には大体の背景が想像できてしまうのであるが、今は時期尚早であるし、推測で話すのは危険や迷惑も伴うから、その真相は今後明らかになるまで待つことにする。事態が収束すれば、敵国視された当事者が黙っていないはずである。当然、敵国と推定されている側も疑うべきであるが、中国側が武漢への調査団を拒否したことで、この可能性は限りなく小さくなり、反対に証拠隠滅をしている気配が濃厚になったと思う。

 

話を元に戻すと、元凶は中国の隠蔽体質によるウィルスのアウトブレイク。そして、春節(旧正月)前後の大移動を制限しなかったために、世界中にウィルスをばらまいたこと。そして、日本の現状を招いた原因は明らかに政府の対応の遅れ。中国からのウィルスの移動を止めなかったことがネック。中国が何の対策もしないのであれば、こちらから防がなければならなかった。

 

ところが、最新の報道ではなんとウィルスを世界中にばらまいた当事国が他国の対処がひどいと非難しているのである。こういう非常識で失礼な点がいわゆる中国の典型的なマイナスイメージを作ってしまうのだ。中国の朋友(ポンヨウ)たちよ、バカな同胞たちを何とかしてくれ!私はこれまでかなり日中友好に貢献したつもりであるけれど、こういった失礼で身勝手な態度には腹が立って仕方が無い。実際にお付き合いしている中国人にこういう失礼な言動はなかなか見られないので、非常に残念。

 

それと、可能性としてはパンデミックの混沌とした状態を利用してウィルスを国外由来のものだと世論を誘導するつもりかもしれない。

これにすかさず反応したのが韓国。全く同感。でも我が国は反論するタイミングもやはり出遅れているところが泣けて来る(涙)。しかし、こういう報道を見ていて思うのは、海外から見た場合、日本人も「無能な政府で可哀想だなあ」と同情されているに違いないということ。と同時に海外の友人からは「あんた(日本の一般人)はまともなのに、政府はロクでもないね」と言われてしまうだろう。

初動という点では、中国という国の習性を熟知している盟友のロシアや北朝鮮はすかさず厳しい対応に出た。中国からの入国は禁止、中国大使も大使館内観察処分。さすがによくわかっている。一方の日本は対中国支援プロジェクトや義援金、投資実績は断トツで世界一でもあるにかかわらず、いまだによく理解していないのだ。だから自虐史観に付け込まれて利用されることになる。彼らが必要だったのは世界一レベルであった日本の科学技術と知識とお金。今ではほとんど手に入れたのでお払い箱である。

今回のウィルス騒動が勃発したのは正月明けから、旧正月にかけて。この春節(旧正月)は中国で最大の伝統行事であり、休暇も最も長いから、帰省や旅行のための大移動が起こる。そのため、観光、交通、商業にとっては絶好のビジネスチャンスでもある。従って、娯楽イベント、観光、交通、商業などの関連業界はウィルスの脅威はあるけれど、制限すると自分たちの利益も減ることを恐れたのだ。政府はその圧力を受けて後手に回ることとなった。国防の重要性よりも一部の関係者からの要請にくみした政府も情けないけれど、関連する業界は自分たちの利益を優先して国と国民を危機に陥れたわけだ。本来は一部のバブル的な観光客ではなく社会(世界)全体が顧客なのだから、後からツケが回ってくるのは必然。そしてそのツケの方が損失は大きいし、今後もますます膨らんでいく。業界は自分たちの首を自分で絞めてしまったのである。

また「こういう時こそ盛り上げよう!マスクなんかしなくても免疫力でなんとかしよう!」と叫ぶ人たちも見かける。その心意気は買うけれど、あまり現実的ではないだろう。非科学的な感情論は非常に危険。前回のSARSでは初体験の得体の知れない疾病で、何の情報もなかったので運任せだったから、最終的にはそんな感じになっていたけれど、本来それは切羽詰まって開き直った時に言うべき文句。むしろ、現実世界においては、こういう人たちが無駄な議論や主張を繰り返して対処を遅らせ、無知な言動をすることによって被害を拡大していることを認識するべき。しかし、こういう人たちもいることを想定するのが国の危機管理である。科学的根拠や合理性のない大衆の言論をいちいち相手にしていたら大義を見失う。リーダには時期を逃さない英断が必要なのだ。

 

だからロシアやアメリカなどの統率がとれ、命令系統も明確な国々では戒厳令的な厳格さで強硬に指示を出すのである。日本で施行されるような非常事態宣言では甘いニュアンスなので非常事態命令とするべき。そこには信頼できる情報収集&分析能力が大前提である。だから大胆な政策を行える。ところが我が国にはこの能力もなく行政の責任感が欠けているので、臨機応変に対応できないのだと思う。会議だ委員会だとやっているうちにタイミングを逃している。板挟みになっている前線の医療従事者や無知な庶民たちのことを真剣に考えるべき。現在は日本国内の報道ばかりであるが中国本土はさらに悲惨な状態であることは想像がつく。通常なら都市の惨状などマイナスイメージの情報は報道規制によって海外に漏れてくることは少ないけれれど、もはやSNSの情報統制も危うくなっている気がする。これはある意味、中国の浄化と独裁政権を崩壊させるチャンスであるかもしれない。この機会に民衆が立ち上がり、腐敗した独裁政権を倒して、中国人(華人)が過去のマイナスイメージを払拭し、誇りを取り戻す良い機会になれば幸いだと思う。、中国の友人たち頑張れ!中国朋友加油!このウィルスは何国人だとか言っている場合ではなく、全人類が学習をして一緒に戦うべき相手なのだ。

ちなみに専門家会議で打ち出された「ここ1,2週間が瀬戸際でポイントになる」という言葉はそれだけだと具体的な意味が分からない人も多いはず。もしかすると答弁している本にもよくわかっていないのに原稿を棒読みしている可能性も大きい。誰にでもわかるようにその理論を説明するべき。

これは、全員に感染の可能性があると想定した場合、その当事者が移動するとウィルスも移動してしまう。なので、ウィルスがその人の身体から外に移動できない状態(ウィルスを他者にうつさないようにマスクをする、自宅などで待機)にしておいて、身体の内部の免疫でウィルスを退治してしまおうという理論。当然、免疫力がある健康体にのみ可能な方法なので、免疫力の弱い高齢者や持病のある人は要注意。この退治期間が終われば、外に出ても無害なはずなのである。要点は全員が同時に行わなければ意味がないこと。誰かがさぼったり抜け駆けをすると、ウィルスはその時間差を利用して逃げ道を見つけ出してしまう。これが感染症を撲滅する理論であるから、全員がその意義と重要性を理解して行動することが必要。

厳密に言えば、症状がない人も含めて全員(可能であれば世界中)が同時に実行するべきことで、子供だから、仕事があるからなどという言い訳はウィルス撲滅理論を無効にする行為。しかし、現状の国民の態度や反応を見ていると認識が甘く原則を守れそうもない人が多数いるので、私個人的には非常事態命令を出しても良いくらいだと思っている。私は趣味はダンスだし、仕事は中国がらみも多いので、非常な負担であるけれど、事の重大さを考えれば我慢する。その点、我が国の政府は甘過ぎるので、効果は半減してしまう。全員が同時に対処しなければウィルスは逃げるよ。中途半端な施策は遅れと拡散を招くだけ。今後は、オリンピックなどの経済損失の可能性も考えれば、早く大胆に全面的にウィルス撲滅をしてしまわないと、損失と影響が雪だるま式に増えるばかりだと思う。


PS: ストレスが無くなる方法は「自分が感染者」だと思うこと。

この内容は別ページにしました。

 

海外の友人知人が多いためにフェイスブックと言うネット上の交流サイト(SNS)を使っていますが、そこでのやり取りに凄く時間がかかっていました。画像や文章をアップロードするだけでも一苦労。その上に、こちらにもアップするとなると、そんな暇はないので、お揃家になっていました。しかも、このアメブロはとても使いにくい。国際的なSNSに比べるとお子ちゃまの遊びみたいなレベル。その為に、疎遠になりつつありました。


そこで、思いついたのがフェイスブックでの投稿画面をこちらに転載してしまう方法。あちらの画像を全部見ることはできませんが、近況報告にはなると思います。第一弾はこれまでサボっていた分の一挙掲載。今年の春の部分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なかなかお会いできないのに、いつもご覧になってくださる方々やメッセージを送って下さる皆様に少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。いつもありがとうございます。ISA

 

横浜の誇る名庭園に三溪園がある。梅雨の時期にはショウブと紫陽花が咲き誇っていたけれど、今は蓮の花が美しい。

昨年は埼玉の蓮田まで古代ハスを見に行ったけれど、40度近い猛暑だった。涼しいので今年は過ごし易い。

この庭園の見事な点は草木と古建築が調和した小宇宙であること。

今年は雨量も多く、森の緑がとても生き生きとしている。この辺りには織田有楽の茶室があり、古墳時代の古物が置かれているエリアでとてもお気に入り。

中国の太湖石や竹が配置された中華エリアでは珍しい竹の花も少しだけ咲いていた。

その先にあるのが公園のシンボルとなっている三重塔。当初はなかったものを、1914年(大正3年)に移築したもの。古い写真を見ると、これがあるのとないのとでは全く印象が違うことがよくわかる。

この塔が建っている丘は池を掘った時の土を持ったものらしい。西太后が造らせた北京の頤和園と同じだ。同時に池と山を造る一石二鳥の方法。

丘の周囲には梅や色々な草木が植えられているので、その歴史を知らなければ、元からあった自然の山のように感じてしまう。

丘の斜面には横須賀市が植生の北限だと言われているハマユウだけれど、珍しいピンク色のものが咲いていた。

木陰にはヤマユリもある。自然の造形もさることながら、園内には名建築が集められて、さながら日本の伝統建築の展示場のようになっている。

徳川八代将軍吉宗が幼少期に遊んでいたのではないかと言われている二階建ての家屋もある。

これらの貴重な家屋は、日本の近代化にともなって処分されようとしていたところを救われたとも言える。実業家であった庭園の主・原三渓が自らの審美眼と感性によって買い取り、庭園内に配置したのである。

 

単に道楽で造園しただけではなく、庭園を一般公開し、日本の古き良き伝統と風俗を楽しんでもらえるように心がけていた。横浜には外国人も多く居住していたので、正門には英語と日本語で「遊覧御随意」という看板を掲げていたそうである。

近代化に際して破壊されたのは建築だけではなかった。

三溪園のすぐ下には潮干狩りもできる美しい海岸線があったらしいけれど、重工業化が進むと、造船場や各種工場の為に埋め立てられてしまっている。

戦後も一部の海岸は残っていたようだけれど、現在は工場と道路ばかりで、面影はない。とても残念。

恐らく、原家がこの庭園を維持していなければ、三溪園も壊されていたかもしれない。実際に維持管理が負担となり、庭園の売却問題が持ち上がった時、原家は不動産の売却利益よりも存続する意義を優先して、横浜市に寄贈したとのことである。

 

いずれにせよ、今となっては貴重な建築のミュージアム的な存在ともなっている。これは二条城内の池のほとりに徳川第三代将軍家光が建てた重要文化財の建築。船から出入りする構造になっている。

近代化の過程で起きた廃仏毀釈運動により迫害されたのは寺院が多かったので、仏教関連の遺物も多い。

 

これは鎌倉にある通称駆け込み寺・東慶寺の仏殿。実際の東慶寺よりこちらのものが古い。太平洋戦争時に被害を受けたけれど、修復されている。

鎌倉八幡宮にあった源頼朝坐像も三溪園に置かれていたが、今は重要文化財として国立博物館に保存されている。

しかし、当時は文化遺産である日本の城郭すら二束三文で売却され、次々と壊されていたのだから、戦乱や天災以外では最大の人為的文化破壊時代だったのではないだろうか。それが当時のいわゆる近代化だったのだ。

 

この庭園もその時代に造られているので、関東大震災、太平洋戦争を経ている。

庭園内にある神社の狛犬には空襲された時の傷が痛々しく残っている。

当時は原家の自宅と庭園だけだったので、空爆する意味は余りなく、付近の軍事施設を空爆した際の誤爆だったのだと推測されている。

この庭園の創設者で日本の政財界でも有数の大実業家であったのが原三渓氏。彼が作った庭園はその名前を取って、三溪園と名付けられている。震災で破壊された横浜の街を率先して復興した人物でもある。

同氏は岐阜の文化人の一族で、都内の女子大学で教鞭をとっていた時に、生糸で財を成した横浜の豪商の孫娘と知り合って、養子となる。それが原家。原家は埼玉から横浜に出て生糸のビジネスで大成功を収めていた。その孫娘と入籍して原富太郎となる。書画骨董や茶道をたしなんでおり、その号が三渓である。当時の高名な茶人である益田鈍翁(三井物産創始者・日経新聞の前身の設立)、松永耳庵(政治家・実業家)などとも交流していた。

 

茶道に美術骨董品を取り合わせるようになったのは彼らの影響が大きいと言われている。三渓が愛用していた茶道具を見ると、古代瓦の破片や蓮根などが使われていてとても斬新。

庭園内に古民家を配置するのも当時の文化人たちの流行であったらしい。飛騨の豪農の民家がダムで水没する前に同郷の所縁のある三渓へ寄贈されている。

単なる合掌造りではなく、武士を接待することもできる格式の高い造りになっている。

三渓の偉大な点は、単なるビジネスマンにとどまらず、日本の伝統文化や芸術を庇護したこと。近代化と言う名のものに破壊されつつあった美しく貴重な日本の伝統を守ろうとしていた。その実践の成果がこの庭園であるとも言える。

 

また小林古径、前田青邨などの日本画家を支援したことも知られている。芸術家たちのアトリエとして庭園を提供していた。

三渓は蓮をとても愛し、自身の書画のモチーフとして多数描かれている。友人に寄贈した蓮の絵も多い。

幼少期より親類の文人画家たちから書画の教えを受け、優れた作品も残している。絵も素晴らしいけれど、書の達筆ぶりにも驚く。

美術品の収蔵は単なる趣味にはとどまらず、日本の文化や芸術を守ろうとする意図があった。

 

原三渓の生い立ちや業績に関する展覧会が横浜美術館で開催されている。

https://yokohama.art.museum/exhibition/index/20190713-538.html

庭園とも共通する原三渓の審美眼と感性を知ることができる展示内容になっていた。彼の偉業の背景となっている知性や知識の源に触れることもでき、とても感動した。

 

国宝の孔雀明王図は原三渓が美術収集を本格的に始めた時期のコレクション。

国宝の寝覚め物語絵巻も実物を見ることができる。通常はなかなか見ることができないものも多く、保管場所も散在しているモノを、一堂に集めて展示されていることはとても貴重。

ちなみに、最近世界文化遺産となった富岡製紙工場は元々は官営の工場であったが、原三渓が経営していた時期もある。

 

この展示では、原三渓の業績を通じて、明治維新以来の激動の時代を感じることもできたと思う。

 

美術館ではコレクション展もあり、こちらは撮影が可能。原三渓展は撮影禁止なので、掲載画像は全てネット上からの借り物。

興味深く参観したのは記録としての美術。

雰囲気の変わった浮世絵だと思ったら、明治に訪日していたアメリカ人女性版画家の作品だった。

大正時代に起きた関東大震災で焼失した両国の街並み。都心部の状況も似たようなものだったらしい。

戦時中に活躍した報道カメラマン、ロバート・キャパの写真もあった。これはデンマークで講演をしているトロツキー。

彼は、世界革命の達成なくしてスターリンの提唱する「一国による社会主義建設」は不可能であり、それは必然的に官僚の特権とその既得権防衛のための専制体制へと堕落する、と指摘していたけれど、その通りになった。

終戦で安堵しているパリの民衆。百聞は一見にしかずと言うけれど、写っている人々の表情から感情が読み取れる。

展覧会を観終わって、せっかくなので、横浜の歴史と伝統を感じられる洋食でも食べることにした。横浜は港町で、外国人も多かったので、早くから洋風文化が渡来していた。老舗の横浜グランドホテルの初代料理長としてスイス人のシェフが招かれ、その時に、ドリアやナポリタンを考案したとも言われているのだ。

お手頃価格で、懐かしい味を楽しめた。

今でも買い物客で賑わう元町商店街は戦後は進駐軍の軍人とアメ車が行き交い、まるでアメリカの路地のようだったらしい。

 

 

 

 

 

フェイスブックにもアップした内容に加筆して転載。

私は店を経営していた時にこのサービスと遠距離(他県or50キロ以上)割引はしていたけど、本来なら国民としての自覚が足りないわけだから、選挙に行く人と差別化するべきだと思う。選挙に行かない人に対する税制や福利厚生の優遇措置はしなくても良い。或いは、行かなかった人にはペナルティーとしての課税や反則金を設けても良いとさえ思う。

ちなみに、憲法改正(主に第9条問題)だけれど、単純に、戦争をすると言うのと抑止効果としての法整備は違います。戦争が好きな人などほとんどいないでしょう。しかし、例えば、警備する番犬が吠えることもせず、牙も抜かれていたら、誰も怖がりませんよ。犯罪者はそれを承知で、どうせ何もできないのだからと言って着実に攻めます。その甘さが近代日本外交に表れている。自分自身も国際間のビジネスに携わっているけれど、とても大きな障害となっていることは、身を持って体験しています。情けなく、腹立たしい事が非常に多い。簡単に言うと「お人好しなので、舐められている」という事です。

 

具体例を挙げれば日本海に侵入する犯罪者たちを追い返すために、日本の巡視艇は水鉄砲しか使う事を許されません。拡声器を使った言語による警告と、砲弾の代わりに消火用の放水です。こんなの、ちょっと濡れるだけで全然怖くありません。監視艇の姿が見えなくなれば、またすぐに現われます。

これは海だけではなく空も同じ事。攻撃は許されず、警告しながら近くを飛び回る事しかできません。

防衛省は2019年4月12日、領空侵犯の恐れがある外国機に対し、航空自衛隊の戦闘機が平成30年度に緊急発進(スクランブル)した回数が999回だったと発表した。29年度(904回)より95回増え、昭和33年に対領空侵犯措置を始めてから2番目の多さ。対中国が約64%を占め、防衛省は「航空戦力の近代化を進め、質、量とも急速に拡大している」として警戒監視に万全を期すと強調した。


 防衛省によると、対中国は638回で平成29年度から138回増加した。30年12月に2度、情報収集機が沖縄本島-宮古島間を通り、鹿児島県の奄美大島付近まで飛行した。対馬海峡の通過は7件で過去最多となり、日本海への進出を強めている。

 30年4月10日には、中国の偵察用無人機とみられる航空機1機が沖縄県・尖閣諸島北側の東シナ海で、領空の外側に設けられた日本の防空識別圏内を飛行したが、領空侵犯はなかった。対ロシアは343回と29年度から47回減少。最新鋭のスホイ35戦闘機が初めて確認された。

ちなみに一機が発進する時の燃料費は200~300万円だそうです。通常は二機発進なので、その倍。これが年間900回以上あるわけです。

飛行する物体で例えれば、ハエとスズメバチ。ハエは目障りですが、危害を加えないので、飛んで来ても逃げることはしません。ところがスズメバチが飛んで来たらどうなりますか?危ない!と言って逃げる人がほとんどだと思います。という事は、自分の巣や仲間を守るためにはスズメバチのような怖い存在でなければ無意味です。ハエみたいなものがいくら飛んで来ても、うざいだけで危険はありませんから、抑止効果になりません。それなら、まだ吸血する蚊の方が敬遠されると思いますね。

警備や監視を行う諸外国の組織は基本的に実弾です。オモチャや水鉄砲を使う国防組織など聞いたこともありません。警備は子供の遊びではないのです。しかも、相手は武器を装備していることもあるのです。自分が当事者になって考えたら、水鉄砲で警備などやってられません。こっちがヤラれます。なので、政党の主張や政権争いとは別に全国民も考えるべき課題です。念のために、言っておくと、たまたまJ党は憲法改正を主張しているけれど、それだけの話。私自身がJ党を支持しているとは限りません。むしろ、様々な詭弁や誤魔化しを繰り返し、臭いものに蓋をして隠し通そうとする姿勢には嫌悪感を覚えます。大所帯で優秀な人材も少なくないはずですから、自浄して欲しいものです。

また、世界の歴史上、性善説的な人の善い民族で独立を守り通せた人たちは存在しますか?アフリカやアメリカ大陸の原住民たちも正義や道徳とは無縁の暴力によって侵略されたのですよ。アジア諸国や我が国も同様。自分たちの生活圏や文化圏を保持しようとしても、武力によって無理矢理に開国させられ、干渉されてきたわけです。最近では哀れなチベットがそうです。暴力や殺生を嫌い、言論や祈りで訴えても、武力で制圧されてしまっているではありませんか。

戦争を国際化させたのは科学文明の発展に伴って生まれた侵略(植民地化)思想に他なりません。近世の国境は民族の生活や文化圏とは関係なく、遠路はるばるやってきた侵略者たちが勝手に地図上に線引きしたものです。現地の文化や信仰を破壊して、自国の思想を押し付けて、西洋風の都市を建設したわけです。本当に植民地化(侵略)の歴史を反省するのであれば、国境は国際的な侵略の始まった大航海時代以前の状態にリセットして、侵略者たちは引き上げるべきです。

よく、力(武力、暴力)の話をすると「ガンジーさんがいるではないか」と言う人がいる。確かに彼の実践した言動は素晴らしいと思います。しかし、インド独立のプロセスをよく分析するべき。彼の無抵抗の思想や実際の言動はインド国民に勇気を与え、民族の誇りを取り戻させました。それが独立するきっかけの一つとなった事は事実。しかし、実際の独立運動は植民地支配をしていた英国に対するインド国民軍による抵抗や民衆の暴動があってこそ、成功したのです。侵略に対して武力で対抗しながら、耐えていたプロセスがある。つまり、独立に際して軍隊も民衆も全く非暴力&無抵抗であったからではないのです。もしも、これが相手に殴られるまま、殺されるままの態度を貫いて、独立を勝ち取ったのであれば「非暴力」が侵略に対して有効であると言えるかもしれないけれど、史実は違うではありませんか?

力には力で抵抗せざるを得ないのが現実でしょう。国際世論や人道が抑止効果となるという意見もありますが、それは世界全体の文化水準が向上し、全人類が自国だけの損得勘定から離れて地球全体の事を考えられるようになり、共通の法や道徳が普及した場合の話。現状では国際関係の発言力(影響力)の後ろにも裏の力があることを忘れるべきではありません。なぜなら、公平であるはずの国連などはそのパワーバランスでどうにでもなってしまうのが現実です。残念ながら人道や道徳は論理ではなく「勝てば官軍、負ければ賊軍」が現実であり、力の存在なくしては成立しません。むしろ、その力をコントロールして抑止するために、道徳や人道があるべきだと考えるのが自然だと思います。

この点をよく考えず、綺麗ごとを言う人が多い。驚くのは国際学や平和学を勉強している学生&卒業生が、現実を見ずに、いまだに夢ばかり見ていることが少なくないのです。現実を見ずに問題解決はできないでしょう。夢と持つことはとても大事だと思うけれど、その夢を手に入れるためには、具体的な対策と計画が必要なはず。それが無ければ夢は実現できない。そういう自分自身もそちらの出身であるけれど、学生時代からその手の綺麗ごとが大嫌いだったから、よく論争になった。しかし、四半世紀も昔の話なので、今は違うだろうと思っていたところ、現在でも綺麗ごとを信奉している人が多い事に驚いた。綺麗ごとや理想は大切だけれど、口ばかりで、現実的な思考と行動が伴わなければ「絵に描いた餅」で終わってしまいますよ。


それと忘れてはならない事は、今の平和と抑止力は日本の後ろ盾になっている大国の力に依存しているからです。軍事力は一心同体のような状況ですから、このままで日本国の自立は有り得ません。同時に、その大国が如何に非人道的で正義に反する事をしても、運命共同体として、支援することになります。この状況を知らずに、平和ボケ的な綺麗ごとを言う自称知識人&著名人には自覚が足りないとしか言いようがありません。あなたたちがそういう綺麗ごとを言わせてもらっているのは大国の傘の下に隠れることができているからなのですよ。その傘の下で大言壮語を言う事は簡単です。自分の言動を本当に信じるならば、その傘の外に出て言うべきです。

 

そして、日本人の中には誰々は有名だと言うだけで評価してしまう人も多い。有名な芸能人やスポーツ選手などは顔は知られていますが、歴史や政治経済をきちんと勉強した人とは限りません。むしろ学生時代は音楽と体育以外はダメだったと言う人が少なくないではありませんか?運動や芸能の分野では有名でも専門知識のレベルは疑問。単に感情や間違った知識で意見を述べる人も多いわけですからね。知名度があるだけに、非現実的な言論による悪影響はある種の公害です。それを考えずに、得票稼ぎとして選挙に担ぎ出す節操のない政党もありますし、そのような著名人を使ったトリックに釣られて投票する国民は公害の共犯者です。

 

自分自身の経験で補足すると、海外での芸術や芸能のビジネスの場合、比較的好意的&友好的に対応されることがほとんどでした。接待してくれる人たちも同じく友好的です。付き合っている人たちも同じ業界の仲間意識がありますから、敵対心を剥き出しにして来ることはまずありません。そして長期プロジェクトは少なく、短期でのやり取りのはず。なので一時的な権利関係や予算などで揉めることはあっても、それは事前の交渉やその場だけの忍耐で何とかなります。

ところが、切実な損得勘定や国際情勢の影響を受ける長期的な商売や事業となると話は別。特に難しいのは被害を受けた場合の交渉。例えば、知的所有権の侵害、物的な資産(モノや土地、施設など)や経営権の略奪などがあります。元々、失礼な言動をする国々は国民全体の道徳や法的概念が欠如していることがあるため、司法が機能していないことが多いのです。つまり、日本人が礼儀正しく法を順守して交渉をしようと思っても、相手側はその反対に自分勝手な理屈を並べて、強引に主張を押し通そうとすることがほとんどだと思います。今の日本とその類の国々との外交を見れば一目瞭然でしょう。ことわざに「衣食足って礼節を知る」というのがありますが、現実はちょっと違う気がします。そういう性格の国や民たちは「衣食足っても礼節は学ぼうとしないし、更に衣食を求める」ことが多いと思います。

 

これらの被害を経験した経営者やビジネスマンと、大部分が友好的に物事が進行するし、その時だけ忍耐すれば済むような芸能やイベントなどとは、受ける被害のレベルが違うのです。大部分の芸能人は個人事業主で、社員はほとんどいません。その為、自分がそれほどの痛い目にあっていませんから、綺麗ごとを言ってしまう傾向があるのではないかと想像します。試しに、憲法改正に抗議している著名人を思い浮かべてみれば良いです。国際間の仕事で人間の信頼関係を損ない、人間不信に陥ったような人がいますか?私が見る限りネットやマスメディアに登場して同様の発言をしている人にそのような人は見受けられません。誰からも愛される女優さんであったり、体育会系の単純で明るいスポーツマン、世界的に好かれているミュージシャンなどではありませんか?

 

ところが法人であれば社員の数も投資した設備などの物的資産も比べ物になりません。本気で会社や組織の命運をかけて戦わなければならないのです。綺麗ごとではなく、現実に起きている被害を止めなければなりません。

先に述べた海での侵犯行為も同じです。土地や漁場を略奪されているのを、水鉄砲で阻止できるとは思えません。水をかけているうちに、先祖が保護して来た漁場は荒らされ、育てていた貴重な赤珊瑚も根こそぎ持って行かれてしまったのですよ。彼らの生活はどうなるのですか?これは極端な実力行使の話ですが、政府の弱腰な態度はビジネスや外交に於いてつけ込まれることがほとんどだと思います。

従って、もしも自衛が間に合わず侵略されて戦争となった場合には、法整備に反対した人達から徴兵されてしかるべきでしょう。もっと、厳しいことを言うと、これらの現状に対して非現実的な発言をする人には女性が多い気がします。これは自分が戦闘状態に遭遇することはないと思っているので、防衛の最前線の立場を考えていない可能性があります。実情を学習もせず、表面的な報道しかしないメディアのステレオタイプに基づいた、感情や思い付きによる発言はとても迷惑。しかも、実際に戦地に赴くのはほとんどが男性でしょ?それなのに投票の一票は同じ一票なのですよ。これは不公平ではありませんか?

 

現代は体力を補う科学技術も発達しているし、海外には女性の兵士も少なくありませんから、徴兵も同等にするべきでしょう。都合の良い時には男女同権を主張しておいて、都合が悪いと逃げるのは許されない。その位の覚悟をしてきちんと選挙や国の事を考えるべき。綺麗ごとだけ言っておいて、いざとなった時に逃げるような無責任な言動は卑怯。これを聞いてビビった人にはその可能性があるはず。覚悟が違えば考え方も変わると思います。それが現実と向き合う事。

尚、この手の言論はリスクも大きく、ご迷惑にもなり兼ねないので、それが不安な方はコメントやリアクションは無用です。

 

選挙後記

総務省は22日午前、第25回参院選の投票率(選挙区選)が48・80%で確定し、前回2016年参院選の54・70%を5・90ポイント下回ったと発表した。衆院選を含め、全国規模の国政選として過去最低だった1995年の参院選(44・52%)以来24年ぶりに50%を割り、同年に次ぐ低投票率となった。

 

年代ごとの統計はまだ出ていなかったけれど、選挙会場で若者の姿をほとんど見かけなかった気がする。自分たちの将来にとって重要な問題であるのに、責任放棄する姿勢は平和ボケ&甘えとしか思えない。

 

例えとして、親が高齢で臨終となった時、どう考えるだろうか?アホで甘えてばかりいる子孫に遺産など残しても無意味だと考えれば、自分が生きている間に全部使ってしまうと考える人か大多数だと思う。次に、無意味な遺産を残すくらいなら、ヤル気のある他者に遺産を譲渡してしまおうと考えると思う。こうして、子孫は見捨てられ、その家系は没落&消滅していくことだろう。

これに対してお隣では庶民もきちんと考え行動していることがわかる。日本なら1万人だってなかなか集まらないだろう。不安定な国々の人達は自分たちの命や生活を自分で考えて選択しなければ生きてはいけない。その代わり、情報収集や学習も欠かせない。もっとも、専制国家ならではの間違った教育や洗脳もあるから、感情的な間違った言論も見られることがあるけれど、それらは摩擦を繰り返していくうちに淘汰&是正されるはず。いずれにせよ、彼らは学習しているので、自分の意見を持っているし、主張することができる。

 

ところが、日本人の場合、学習と情報不足であることの自覚がないまま平和ボケとなっているため、発言することすらできない。他国から不合理な事を言われても、気付かず、知識不足でもあるために現状認識が出来ず、反論できないのだ。表現できるのは根拠のない漠然とした曖昧な感情だけ。〇党は信用できない、わからない、〇〇じゃないのだろうか、〇〇な気がする・・・などの抽象的な言論ばかりで、具体的な意味を追求すると、根拠の伴った理路整然とした議論ができないのだ。アジア外交で言えば、アジアの歴史と実情に精通している総理大臣や外務大臣はほとんどいなかったのが現実。それに気付いて、最近は学習しているようだけれど、戦後の政治家たちは欧米に媚びへつらい、足元のアジアをないがしろにして来たのだ。その悪影響が最近の隣国との問題ともなっている。

この様な状況に陥ったのは、主に戦後の侵略者たちとその協力者たちによる日本人弱体化政策と洗脳教育。伝統思想を破壊し、抵抗できないようにする。抵抗できないように、知力と精神力を奪い、忍耐よりも快楽を追求する、隷属させるのに都合がよい人民を作ること。自分の意見を持たずに、ある程度の快楽と餌を与えておけば、ハイハイと何でも言う事を聞く人民ができあがれば、支配者にとっては非常にコントロールし易い。これは侵略者、支配者の立場から見れば、古来からの王道とも言える。

 

そして、最初はそれに抵抗し庶民の立場に立っていたはずの革命家たちも、人民のエゴと狡さ(弱さ)に虚しさを覚えると、どうして自分がこんな大義を理解せず私利私欲に走る愚かな民衆の為に人生を犠牲にしなければならないのだろうと言う疑問を持ち、民衆の事を考えることが馬鹿らしくなり、専制君主に豹変することが歴史の常だと思う。人民の質が結局はその国の政治家の質、国家の質なのだ。