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雲水・ISA(九龍)のブログ

日本は神の国
仁術師

今日から7月。先日の映画「二宮金次郎」は28日で終了。それに引き続いて、早目に投稿するべきものとして「水木しげる展@横浜そごう」がある。これは7月7日まで。

 

ちょうど同じ方向に古い庭園があり、紫陽花が見頃だという事で出動。元々は薔薇を中心としたイギリス風庭園であるが、今の時期は紫陽花の展示が見られるという事だった。比較的近くであったが初耳。

 

しかし、行ってみたら、これが驚くほどの素晴らしい紫陽花庭園であった。

鎌倉などの寺社や日本庭園にあるのは単純な品種で構成されているけれど、こちらは違う。

色彩もさまざまであるし、形状も紫陽花とは見えないものもある。目からウロコ状態。

薔薇みたいな形状のものもある。

ここは元々が薔薇園なので、まだ薔薇も少し咲いていた。

このオレンジ色の薔薇は光沢があり、素晴らしく目立っていた。写真だとその色艶が表現できないところが残念。

敷地は決して大きくはなく、都市の中心部にあるはずだが、庭園の設計や配置が素晴らしく、視線の中に高層ビルや電線がほとんど入って来ないのだ。なので、まるで森の中を歩いているような気分になって来る。

色や形状を考えて植えられているようで、紫陽花の博覧会のようである。白い球型の紫陽花の花弁は細かく、触るとひんやりとして湿った感触がとても気持ちが良かった。

花弁の色やデザインもよく見ると芸術的な造形をしている。

もちろん紫陽花以外の花々もあちこちに点在している。ユリは素晴らしい芳香を放っていた。そう言えば、紫陽花にはほとんど香りが無い事が不思議。

敷地内を区切っているフェンスをよく見るとブドウが生っていた。まだ硬い状態だったので食べられない。

下草にも可愛らしい草花が植えられており、売店で購入することも可能。

小一時間もあれば観終わる予定が、大幅に時間を費やしてしまい、お目当ての美味しいラーメン屋さんもランチタイムは終了。

 

新規のラーメン店を開拓してから、展覧会場にやって来た。

水木しげるさんですぐに思い浮かべるのは名作漫画の「ゲゲゲの鬼太郎」だろう。自分もよく見ていたので、主題歌は今でも空で歌える。

途中から、画風が変わって可愛らしいアニメになってしまったけれど、最初のテレビ放映バージョンは不思議な世界観であった。登場する人物は顔の構成パーツが全部中心に寄っているような気食の悪い表情をしていて、不気味な印象が強かった。元々、幽霊をテーマとした怪奇物なので、それが当然のように受け取っており、特に水木氏の漫画の絵画や芸術面を深く考えたことが無かった。

今回の展覧会ではそれが自分の不勉強と認識不足であることを知らされた。帰宅して色々と調べ直すと、全く違った水木しげる像が浮かび上がって来た。

この鯉を「ゲゲゲの鬼太郎」の作者が描いたとは思えないけれど、そうなのである。奇怪なアニメキャラクターが登場するのでそちらに目を奪われがちであるが、それらが登場する背景に描かれている風景は尋常ではない緻密さで構成されているのだ。

草木の一本一本を点描で描き、物差しなどの道具を使った線は一つもない。墓石の質感も細かい点の集合体で出来ている。

それを手伝っていた助手たちは、点描を続けていると眠くなるし、拷問のような作業だったと回想している。その助手の一人には後に独立された池上遼一氏もいる。

風景だけを見れば、細密画や点描で彫られた版画である。そこに対照的に漫画化された奇怪な物体が現われることによって、独特の世界観を作り出しているのだ。

野原の草、不気味な雲が立ち込める空なども芸術作品としても素晴らしいクオリティーだと思う。

実物のスケッチだけではなく、幻想世界を作り出すこともある。

 

幻想の世界でも、漫画化せずに描けばこのような素晴らしい版画作品となるのだ。

森の中の河童の姿はバリなどの絵画の雰囲気とも似ている。葉の細かい描写が美しい。

反対に、幻想世界の生き物を細密に描くとこの迫力となる。しかし、眠っている女子はアニメ風に描かれているのがやはり水木氏の世界観。

水木氏の出版した妖怪大辞典に登場する化け物たちは「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する妖怪の雰囲気とは全く別の風格を持っている。ここでも、子供たちはアニメ風なのだ。

緻密画と漫画を使い分けることによって、水木氏の不気味な世界観が構築されているわけだ。おそらく、人間と妖怪の間にある結界なのかもしれない。

これらの画風はフランス人画家のルドンと比較されることがある。

artrinoさんというブロガーは氏とルドン作品の比較をなさっていたけれど、その関係性がよくわかる。

雲や一つ目の気球は全て点描である。

ご自身の世界観を構築するために色々な画風や技法を研究していたであろうことは他の作品からもわかる。

これは1845年歌川国芳の作品。平将門の怨霊がドクロとなって出現した図である。

実際の作画作業では、背景と登場人物を切り抜いて配置する方法も考案していたらしい。これは作画の手間を省くこともできたらしい。まだデジタル技術が無い時代の合理的なアイディアだったのだ。

この世界観は氏の生涯で体験した記憶が深く影響している。田舎の漁村で育った幼少期はやんちゃなガキ大将で、少し大きくなると絵の上手な天才少年だったらしい。

水木氏の世界観が変わったのは悲惨な戦争体験。生死の狭間を彷徨って生還したものの、片腕を失っていた。当時、テレビに登場する彼の姿はその片腕と不気味な話のイメージが強すぎて、それ以上深く知ろうとする気持ちが無かったのだと思う。それ以上踏み入れると、何か怖いものに触れてしまうのではないかという恐怖を感じていたのだ。

水木氏は戦争に関する著作も多いけれど、その中では死を間近に体験したものだからこそ言える言葉や価値観が満載なのだ。命令だけして、自分は戦場に行かない参謀(上司)と喧嘩をしたり、吹き飛んだ片腕が腫れて蛆虫がたかっている状態でラバウルの現地人と親交を深めたりと、本当に氏が人間として正直に激しく生きていたことがよくわかる。「貧乏で、片腕も無いけれど、生きていることがありがたい」と思える精神力には感動する。

戦地から帰った水木氏は片腕でもあり、漫画家としては無名であるから、極貧時代を長く経験している。それを支えたのがNHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」でも登場なさった奥様。私は残念ながら当ドラマを一度も見ることはなかったので、今回の展覧会で色々と学ばせていただいた。

売れっ子作家となってからは、四六時中漫画の事ばかり考えていて、食事をしていても味がわからないほどだったらしく、子供や家族への思いやりが足りなかったことを反省なさっていた。それらの教訓から「もっと怠けなさい」などの名言が生まれたのだと思う。後半生は漫画以外の言論活動も積極的だった。

有名になったものの精神的な苦痛を感じた水木氏は自分の原点復帰として、40数年ぶりにラバウルの現地人を尋ねている。ラバウルでの思い出も作品として登場する。あちらには凄い数のお化けがいるらしい。

ここでも、細密画と漫画化された登場人物の構成は変わらない。

ちなみに、我々がよく知っている「ゲゲゲの鬼太郎」は本来「墓場の鬼太郎」であった。名称がテレビで放映するにはふさわしくないという事で、改名されたのだ。原作はさらに気持ちが悪くて暗い内容になっている。

テレビでの連続放映の為に、内容も変更され、子供にもわかり易いように、悪役のねずみ男を登場させたりしたそうである。

 

展覧会は一般受けする内容ではないので、マニアや好奇心で訪れる人がほとんど。なので、とても参観し易く、展示物を細かく見ることができた。関心のある人にはとてもお勧めである。

https://www.sogo-seibu.jp/yokohama/topics/page/sogo-museum-shigeru-mizuki.html

展覧会入り口わきには大きな作品が展示されている。

余談だけれど、水木氏が亡くなる少し前に台湾で氏の展覧会を開催する企画があった。その時に、関係者から一緒にやらないかとお声をかけていただいていた。なので、企画が実現することなくお亡くなりになり、私も水木氏に直接お会いできなかったことは非常に残念。遅まきながら、氏が偉大な人物&芸術家であったことを再認識させられた展覧会であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近はフェイスブックでのやり取りが多いため、ブログはほとんど放置状態になりつつある。書く内容も多いので、まとめて投稿するタイミングを逃すと、ずっとそのまま。

 

ちょっと反省しながら現時点での最優先投稿事項は「二宮金次郎」だと思った。なにしろ28日が最終日らしいので、大急ぎで観に出かけた。

https://ninomiyakinjirou.com/

趣味のTANGO界では大先輩&大先生でもある方が絶賛していたので注目していたけれど、情景場所を検索したところ、なんと国内では都内恵比寿の現代写真美術館の小さなホールのみ。

出演者たちは素晴らしいのに、どうしたことか?公民館などで今後は上映される予定だと言っているけれど、業界は収益が見込めないと判断したのだろう。

 

上映場所はバブル時代に恵比寿ビールの工場跡地を再開発して作られた、お洒落なスペース。大手百貨店やカフェ、高級マンション、ホテルなどが混在する。

クリスマスにはバカラ製の巨大ガラスツリーが飾られることでも知られている。それにしても、この巨大なガラスの屋根は見るたびに、掃除するのが大変だろうなあと思う。それに大地震の時に下に居たら悲惨な事になるだろうと想像させられる。

欧米の街並みを再現したらしい。バブル期にはこの手の施設は多かったけれど、今でも存続しているものは少ない。最近、復活した長崎のハウステンボスも経営者が変わるまでは赤字続きで、破産寸前だった。

大部分が住宅とオフィス、テナントなので問題無いのだろう。

休日にはマーケットが開かれている。物産や工芸品が並んでいたけれど、どれも都会値段。地方都市の人間としては馬鹿らしくて買う気にならない。なにしろ、同じものが三四倍もするわけだ。

軽トラックの前面にクラシックなボンネット風の飾りをつけていた。ちゃんとナンバーもついているから、公道を走ることができる。

 

上映する場所は純粋な映画館ではなく映像関係の資料を展示している美術館の中にある上映ホール。客席にも限りがある。驚いたのは朝の開館前からすでに長蛇の列ができていた。チケットはすべて指定席であることが幸い。買えるまでは不安であったけれど、買ってしまえば混乱もなく席に着くことができる。

私も昔、二宮金次郎さんの伝記を読んだけれど、詳しく覚えていないので、ある意味とても新鮮に拝見した。彼は父を子供時代に亡くし、母子家庭で育った。母を相次いで亡くしてからは、親類の農家に預けられ、苛酷な生活の中で勉学に励んだ。その様子が、いわゆる薪を背負いながら論語を読んでいる、二宮金次郎像のモチーフなのだ。

 

身分制度がある社会で立身出世をすることは難しい。しかも、彼の場合は百姓の身分から名字帯刀を許される武家となり、最終的には幕臣にも取り立てられている。これは、先ずご本人の努力があることは間違いないけれど、その人物を認めることができた小田原藩主や幕府内の関係者たちのお蔭もあると思う。現実問題として性善説だけのお人好しに政治は務まらないと思う。悪を戒めて守る力と存在も必要。

 

実際に、映画の中にも登場するけれど、彼の出世を良く思わないスノッブな連中もいた。名も無い百姓のくせに生意気だというわけだ。その悪役を演じた俳優さんの演技も素晴らしく、観ていて、憎たらしくなったけれど、後からTANGOの大先輩のお仲間であることが発覚。悪役らしい演技だった。

彼の偉大な所は、自分が生きるために学んで来たけれど、最終的には自分の利益だけではなく、公の事を考えた事。自分の発展、家の発展、村の発展、藩の発展が最終的に国の利益となると考える。

 

こうして見ると、現在の政財界人の大部分が真逆であることに気付く。いつからそうなったのか?大きなターニングポイントの一つは戦後の侵略国による、日本人の美徳や強さの源となっていた道徳教育の廃止と自虐史観による洗脳によるものだと思う。その結果、現在の情けない日本になってしまったと感じる。もちろん、開戦に至るまでには歴史と因果関係があり、戦前の全てが良いはずはないので、精査と検証が必要。これまで、それがなされて来なかったのは、やはり侵略国による統制と恫喝があったからである。物質文明の虚しさに対抗できる思想こそがインドやアジアで生まれた東洋哲学であり、最近までそれを実践して継承して来たのが我が国。しかし、それを邪魔だと考える侵略者による伝統文化の破壊工作が着々と進行していることを感じることが多いから、このままでは、日本は滅びると危惧している。

 

私利私欲に走る政財界。人道から外れた、恥知らずな犯罪が頻発するのがその予兆である。

以前、日本の思想を調べていた時、皇室が公然と庇護した団体の存在に気付いた。その団体こそ二宮金次郎の報徳思想を受け継ぐ団体であった。報徳思想の根幹に「至誠」という言葉がある。彼の思想では天(宇宙)の真理に沿って生きる態度の事である。映画の中では彼が困難に直面した時、不動明王の「至誠の炎」によって彼のトラウマを焼き払ってくれた、という描写が出て来る。

 

この言葉の出自は中国哲学者・孟子である。日本でも古来、武家や革命家たちが好んで用いた言葉の一つ。

 

至誠にして動かざる者は 未だ之れ有らざるなり
(至誠而不動者  未之有也 )

 

この言葉の前後には以下の通りの文章がある。偉人たちは座右の銘としてキーワードを抜き出すけれど、前後の文脈と発言の背景をセットで覚えなければ意味は半減する。

 

孟子曰く、
家来が君主の信任を得られないならば、民衆の心を得ることはできない。
君主の信任を得るには道がある。

友人に信用されないようでは、君主の信任を得る事は出来ない。
友人に信用されることにも道がある。

親に仕えて喜ばれないようでは、友人にも信用されない。
親に喜ばれるのにも道がある。

自分自身を反省して誠の心がなければ、親にも喜ばれない。
誠の心を持つことにも道がある。

何が善かを分からなければ、誠の心を持つことなどできない。
誠の心とは、天の道に従うこと。
誠でありたいと思うことは、人の道。
至誠にして動かざる者は、いまだかつていない。
また、誠の心持たずして、人を動かせた者もいない。

 

今春に撮影した二宮報徳神社の一の鳥居

興味を持って、報徳思想を少し勉強してみたところ、とても共感した。東洋哲学と彼自身の体験をミックスさせた思想であり、口だけではなく、自ら身を持って実践したところが素晴らしい。東西を問わず、口と理論だけの思想家は多い。

 

そして、二宮氏は私と同県のご出身であることから、それとなく気にしてはいた。バイクや車では「二宮」をよく通るし、お気に入りのお花見スポットである小田原城にも近いのだ。

小田原城は戦国時代に北条氏の居城となり、難攻不落と称された名城。豊臣&徳川に包囲されても長期間の籠城を続けた。江戸時代からは大久保氏が小田原藩主となっている。一介の農家出身者である金次郎を見出した大久保氏はとてもリベラルな思想の持ち主であったことが推測される。

そう言えば、百姓であった秀吉も織田信長に認められているけれど、人物は大分異なるのが面白い。

 

現在の小田原城址は明治維新の後に修復されたもので、古い城郭の配置は少し異なる。古い堀跡の隣に建てられているのが、二宮金次郎を祀る報徳神社である。古い堀跡を跨いで裏の参道が伸びている。

こちらは裏口で、本来の参道は水堀のある海側にある。お花見の季節になると、水堀には桜の花びらが浮かんで、美しい花筏を見ることができる。今年は偶然に二度訪れたけれど、これは後に行った時に撮影したもの。

この水堀を山に向かって歩くと、一の鳥居があり、その奥の二の鳥居と三の鳥居の間には各種行事を執り行う大きな施設と休憩できるカフェとお土産店がある。お花見の時の休憩場所にはありがたい。

しかし、閉店時間が意外に早いので、行きたい人は時間をチェックしておかないと、お土産を買い損ねることになる。

金次郎にちなんだ記念品と地元で採れる物産などが売られている。毎回、気になっているのは薪を背負った金次郎像の携帯電話ホルダー。背中に携帯電話を置くようになっている。

三の鳥居は小さいけれど青銅製で趣がある。ここを入ると、手水舎とお馴染みの二宮金次郎像がある。

昔の小学校などには金次郎像があったけれど、最近は余り見かけなくなった気がする。

金次郎像に関する神社HPの説明は以下の通り。

 

薪を背負って歩きながら本を読む"金次郎の姿が初めて登場したのは明治24年(1891)に出版された幸田露伴の『二宮尊徳翁』という本の挿絵でした。当神社にある少年像は昭和3年、昭和天皇即位御大 礼記念として神戸の中村直吉氏より寄進されたブロンズ像。製作者は三代目慶寺丹長。これと同じ像は、全国の小学校に向けて約一千体制作されましたが、戦時中全て供出に遇い、現在残っているのは、この一体だけです。尚、この像は当時のメートル法普及の意図を反映してちょうど1メートルの高さに制作されています。

突き当りが御社殿と呼ばれる神明造りの本殿。

映画の中で、大飢饉の際に金次郎と藩主の発案で小田原城内のお米を庶民に供出して飢餓を耐えしのいだというエピソードが登場するけれど、その米蔵の礎石を用いているそうだ。

 

 

 

 

千葉にあるのに「東京ドイツ村」という大きな野外公園がある。成田でも東京国際空港と呼ぶのと同じことだろうけどね。

この時期は菜の花が満開。早咲きの桜も咲いている。

広大な敷地は色々な花の植えられたエリアと多少の乗り物、釣り堀、池、ミカン狩りなどのアトラクションが点在している。

茶色の斜面は夏になると緑の広大な芝生となる。電線や障害物がないので、凧揚げやボール遊びもできそうだ。

開園当初はドイツ人がドイツ産のビールやソーセージを店頭で販売していたけれど、今では閑散としている。料理類は食券制だけれど、味はまあまあ美味しい。特にソーセージは本場の輸入物を出してくれるので、盛り合わせとドイツビールが自分の定番。今回はビーフカレーを追加。

現状は当初の売りでもあった「ドイツ」とは関係の無いイベントで経営が成り立っている。とくに有名なのはクリスマスのイルミネーション。しかし、最近はどこも若者や子供向けの、動いたり音が鳴る仕掛けの派手なイルミネーションばかりなので辟易している。安っぽいハートマークやキャラクターをかたどった電飾には少しの情緒も感じられない。

 

ところが、今年は一風変わった催しがあると言うので来てみた。それは「チャイニーズランタンフェスティバル」。中国の巨大なランタン(張りぼて電飾)が初来日するという事だった。これは年末にチェックしていたけれど、ニュースやネットでもそれほど盛り上がっていないので、面白くないのかと思っていた。しかし、公式サイトにある動画を見ると、とても芸術的で綺麗に見えた。まだ開催していると言うので、百聞は一見にしかずである。

ビールを飲んだり、売店をぶらついて日が暮れるのを待つ。ブレーメンの音楽隊の銅像は「ロバの両足に触るとご利益がある」そうだった。なので前足がピカピカ。しかし、こういうくだらない迷信が嫌いな自分は無視。普段の自分をさて置き、ちょっと触ったからと言ってご利益などを期待する人間が浅ましいと思う。銅像自体は面白いので、写真だけは撮った。

最近は陽が延びているので、かなり待ったけれど、ようやく夕焼けとなった。先ほどまで閑散としていた園内に自家用車や観光バスが続々到着。にわかに騒がしくなって来た。

音楽と共に建物の電飾が光り始める。観光客のお目当てはこのイルミネーション。夕方の10倍以上の来場者なのでびっくり。前に何度か来た事はあったけれど、最近はご無沙汰だった。

シーズンオフのこの時期でもそれなりの人なので、クリスマスや年末年始はさぞかし大混雑だったことだろう。

こういうイベントでは定番の光のトンネルもあった。

茶色い芝生にも電飾が埋め込まれていたようで、空が暗くなると景色が一変する。経済的で省エネのLED電球が普及したお蔭で、このような景色が生まれた。

ただ、私の感覚では大量のLEDは人体に有害だと感じる。それは幼児、犬や猫などのペットも同様に感じるようで、敏感なものは怖がっていることがわかる。主な原因は独特の周波数。耳鳴りの様な状態が継続する。

夕方からここを訪れる観光客の大多数はこれを見るのが目的なので、ここで、いわゆるインスタ映えしそうな写真を撮り、売店でお土産を買ってご帰宅。

せっかくの「チャイナランタンフェスティバル」には見向きもしないで帰って行く。確かに入場料金が割高で、ドイツ村の入園料以外にチケットを買わなければならないのが面倒。

入口はこんなに魅力的で面白そうなのに、ドイツ村のイメージにそぐわないからかもしれないし、傍若無人な大国に嫌悪感を持つ人が多いのかもしれないなあ。展示自体は素敵なのに、勿体ない事だ。

 

巨大なランタンと言えば、日本のねぶた祭りが有名。燈籠の英語がランタンなのだ。ねぶたの張りぼて燈籠は針金の骨組みの上に和紙を張っているけれど、こちらは表面が布だった。その方が丈夫だと思う。四川省で製作されたものを分解して運んで来たのだ。

 

芸術に知識がある人が見れば、子供向けのイルミネーションとのデザインや造作レベルの差は一目瞭然。自分も舞台美術などの工作には比較的造詣が深いけれど、その造りを見て、入る前から展示が間違いなく素晴らしいものである事が予想できた。

イベントエリアの外には横浜中華街から出張販売している屋台も軒を連ねていた。ウニやカニを使ったショウロンポーなどは美味&珍しかった。エリア内には売店の類は一切ないけれど、手の甲に特殊インクのスタンプを押してもらえば出入りは自由だから、外の売店で食事をすれば良い。屋台とは言え、色々な中華料理が食べられる。屋台とは思えないほど美味。

エントランスの天井部分にはカラフルな傘がぶら下がっている。単なるLEDの光のトンネルとは違う。

 

開場に入ると目の前は花畑。奥には北京の天壇公園の祈念堂を模した巨大ランタンが光り輝いていた。造形が細かいところまでとてもよくできているので、祈念堂である事がすぐに分かった。

その隣は「子供の頃に親しんだ、愛のキャンディー」のエリア。大きな飴やキャンディーが転がっており、中央でそれを舐めている金髪の少女がいる。

このデザインは全く中華ではない(笑)

その隣は大きな仮想の神獣キリンが大きな玉を囲んで輝いていた。とても美しい。大きさはワンボックスカーくらいのサイズがある。

その脇は外に出られる小さなゲートがあり、京劇のお面が立っている。歌舞伎の原型になったといわれる隈取のデザインをランタンにしてある。

このエリアは元々遊水地であり、白鳥型をした足こぎボートなどがある場所。

池を囲む遊歩道に沿って、100mほどの長大な「万里の長城」が造られていた。圧巻の迫力。

長城建設に駆り出された労働者達は四角い石を背負って歩いている。棒を持って命令している役人の姿もある。長城の向こう側が遊水地で船も浮かんでいる。

三国志や故事を題材にした登場人物もあちこちに点在していて、歴史を学んだ人には楽しい展示となっている。

宝船が浮かぶ遊水地の更に向こうにある丘がドイツ村のイルミネーションのあるレストランエリア。

ドイツ村全体のスケールが大きいことがよくわかる。展示面積はクリスマスのイルミネーションよりもチャイナランタンの方が大きいと思う。

シルクロードに住んでいた騎馬民族に嫁いだ絶世の美女・王照君もいた。楊貴妃などと共に中国四大美女の一人である。

遊歩道を挟んだ陸側には十二支をモチーフにしたランタンが並んでいる。これは子と牛。

その隣は「愛のキャンディー」と同様に違和感のある「ピーターラビットのドイツ旅情」。無くても良いと感じた。

ドイツ村なので、無理やりに作ったとしか思えない(笑)

チベットの巻物(タンカ)に描かれた三国志演義を再現したもの。日本の絵巻物に相当する。

その隣は「青花磁器」。白地に青色の模様の伝統的な磁器のことである。闇に浮かび上がる姿がとても美しかった。

その隣が孫悟空。地上に落とされる前には、天上界を支配しようとして自ら「斉天大聖」と名乗っていた。

残念ながら、西遊記に登場する他のメンバー(三蔵法師、猪八戒、沙悟浄)はいなかった。

万里の長城エリアを出ると、遊歩道から池全体が見える。

中央の奥がドイツ村。手前は「登竜門」。左奥の緑色はパンダのいる竹林エリア。右奥が入口である。

ここまで来たところで、雑技ショーが始まることに気付き、参観を止めて、急いでステージに駆けつける。

ちょうど始まったばかりで、民族衣装を着た女性たちが舞っていた。

私は何度か世界トップレベルの雑技団と仕事をした事があるけれど、この芸は初見。その理由は見せる対象が異なるから。

巨大な劇場でやるショーと小さな見世物小屋でやるショーは内容が違う。観客の位置が近ければ細かい芸でも良いが、私が携わっていたものは、単なるサーカスではなく、ミュージカルとサーカスの融合であったため、遠い客席からもよく見えるダイナミックな出し物で、舞台の進行を妨げないように、失敗の確率が低いものを選択していたのだ。

その点、これは小さな場所で見せる内容だが、かなりの集中力と時間が必要。失敗の確率も高い。彼も最初に一度失敗している。その後は、難しくなるのに、ノーミスだった。

転がる円柱の上に板を渡してシーソーの様にバランスを取りながら、板の上に器を置く。そして、板を踏み込んで器を空中に飛ばして、頭の上に積み重ねるという難度の高い技。これは二つのお椀を同時に飛ばして、頭の上に重ねた時のもの。逆さまに置いてあったお椀が空中で回転して頭上で上手く重なるのだ。、

この後にお椀を三つ同時に重ね、更にステンレス製のカップ、その後に小さな計量カップを載せた。お見事!

次は体操の様な雑技。

プロの雑技団と接していたので、この程度はお茶の子さいさいであることがわかるから、それほど驚かなかった。

実は、雑技のレベルが一番よくわかるのは、単純な「倒立」だと言われる。派手な技は見た目のインパクトはあるけれど、誤魔化すこともできる。何事も基礎が一番大事で、難しいのだ。

この後は伝統芸「変臉」。

一瞬で顔の仮面の色が変わる技。扇子を顔の前で振った一瞬で変わる。ある時は振り向いた一瞬で変わる。継承者も少ないので映画にもなったほどである。京劇なども日本の歌舞伎と同様で、海外の知名度は高いけれど、現地の人たちは一部の文化人を除いて、それほど関心が無いのが実情である。

正確ではないけれど、10回くらい仮面が変わったと思う。

最後に演者が本当の顔を見せる。人が善さそうなおじさんであった。

雑技ショーを観終わったので、遊歩道を戻る。途中で変臉を演じていたオジサンがいたので、ご挨拶と握手。

先程の場所まで戻ると、斜面に坂道があり、蝶や昆虫たちのランタンが連なっていた。

カタツムリ、カマキリ、ミツバチ、テントウムシなどが光っていた。造りはキャラクター化されておらず、とても精巧にできていた。

虫の隣はキノコのエリア。この関係性はよくわからないけれど、ランタン職人が作りたかったのかもしれない。

坂の途中から遊水地を振り返る。右の黄色く長いランタンが万里の長城。その左の黒い部分は遊水地で、池の中に光る大きなランタンの造形物が浮かんでいる様子が見える。

坂道の折れ曲がったところには孔雀。中国の少数民族には孔雀を神の鳥だと信じている人たちもいる。

先日私が舞台でご一緒した中国の人間国宝級舞踏家のヤン・リーピンさんの故郷では孔雀は神の化身だとされており、彼女自身も孔雀の舞で一斉風靡したのである。

坂道をさらに上に登ると、なぜか急に恐竜が出現。これも全く中華とは関係が無い(笑)しかも、ランタンではなくて、大きな機械仕掛けの模型なのだ。人が通ると動きながら鳴く仕組みになっている。これはランタンと言うより、恐竜博覧会向きの出し物だと思う。

 

無理やりこじつけるとすれば、現代の古生物学会で最も注目されているのが中国大陸。それは、今まで手つかずだった大地が開発されるにつれて、様々な化石が出土しているのである。

私が幕張メッセの恐竜博覧会でご一緒した董枝明教授、徐星教授などは世界の恐竜界では注目の的である。「恐竜の子孫が爬虫類ではなく鳥である」事を証明するきっかけとなった羽毛恐竜の発見者であるからだ。ディスカバリーチャンネルやジオグラフィックチャンネルではVIP扱いされる学者となっている。

丘を登りきると、上側にも入場ゲートがあった。

こちらはチャイナランタンではなく、ジュラシックランタンになっていた。ドイツ村のレストランから比較的近い位置にある。レストラン下の斜面のイルミネーションがちょうど見える。

しかし、この宣伝の仕方が失敗であるのではないかと思った。なぜなら、入口で光る恐竜を見て、入場をためらう人がほとんどだったからだ。下には素晴らしい中華のランタンがある事を知らないのだ。宣伝ポスターはあったけれど、印刷物を見ても実際の迫力には及ばない。どうして、この位置にもチャイナランタンを設置しなかったのかなあ?

たまたま、入口にいた係りの女性と、その話をした時に、側で聴いていたカップルたちが入って来たけれど、我々の話を聞かなければそのまま帰っていたと思う。

 

坂を下りて、恐竜のエリアの分かれ道を池の方へ歩くと、竹林が見えて来る。

竹林の中には色々な形をしたパンダたちが隠れていた。

竹林から覗く池の向こう岸にある祈念堂が綺麗だった。竹の葉や節々の造形もリアルで、ランタンとは言え、絵になる構図だと思う。

対岸には宝船と黄色い万里の長城が池に移り込んでいた。風も収まっていたので、水面が鏡のようになっている。

白鳥ボートも営業中であったけれど、寒さの為に利用者がほとんどいなかったのが幸い。ボートが走ると、波が起ってしまうために、これほど綺麗な水面の映り込みは期待できない。

「登竜門」を後ろから見たところ。鯉が登竜門を目指して登って行く様子が表現されている。水面に映る鯉の姿が綺麗。

普通の鯉が登竜門を越えると龍に成ると言われている。それが「登竜門」の語源となった故事。

その故事を忠実に再現してあるので、門の前から見ると、鯉の頭が龍に変身している。

門の前には変身した龍たちが波を立てて泳いでいるのだ。ランタンは壮大で、とても美しかった。

その隣も素晴らしい蓮の世界。何度も見直してしまうほどの素敵で夢のような世界観。蓮の花のランタンを家にも飾りたいと思ってしまった。

中央の蓮の塔には蓮の花&実、鯉が立体的に配置されていた。

その下には夫婦和合の象徴であるオシドリが泳いでいる。水面に映る色彩も綺麗。

その反対側を見ると、斜面の上の遊歩道に造られた万里の長城が見える。長城の向こう側が遊歩道。どちら側から見ても破綻が無い造作になっている。

池の周りを出入り口の方に向かって戻ると、波を立てて走る宝船が浮いている。その背後には祈念堂が見える。

池の反対側の陸部分には桃園があった。孫悟空は神の桃園にある不老長寿の桃を盗んで食べたので、死ぬことはないが、天上界を追放されて地上の火山の地下に封じ込めらることになったのだ。それを救い出して天竺に経典を取りに行く際のボディーガードにしたのが三蔵法師である。

北京の天壇公園内にある祈念堂は周囲の壁までがとてもリアルにできていた。何度も行ったことがあるけれど、ライトアップすればこのランタンのイメージ通りになるはず。見事。

ボート乗り場には白鳥エリアがあった。背後はパンダのいた竹林になっている。

出口近くには「日本をイメージした」ランタンが二つ。

一つ目が和服を着た日本女性のいる和の世界だという事だったけれど、色彩や造形が中華風に見えてしまった(笑)

もう一つは不思議な日本を表現したらしい。他のランタンに比べるとかなり漫画っぽい。

急に子供っぽくなってしまったようで、芸術的なランタンにしては蛇足かもしれない。

 

それはともかく、非常に素晴らしい内容だった。滞在時間は軽く2時間オーバー。寒くなければもっといても良いと思ったくらい。クリスマスシーズンだけではなく、他の季節に開催するのも良いのではないかと思った。

 

係りの人達に訊いたところ、なぜか入場者が期待していたほど多くないとのことだったので、自分のブログやフェイスブックに投稿して宣伝してあげましょうと言っておいたので、急いで投稿してみました。4月7日までなので、ギリギリ間に合うと思います。

https://www.chinalantern.jp/content.html

 

 

 

 

 

 

 


 

あれから、もう8年。当時と現在の復興状況を記録し続けているサイトがある。テレビ朝日のREC31である。同じ場所の変化を記録した定点観測ビデオを見ることができる。

https://news.tv-asahi.co.jp/special/recfrom311/

被災地から離れている者にとってはとても参考になる記録だと思う。政治屋外交に関しては客観的な報道ができない大手メディアでも、この手の話題に関してはクレームがつかないので、実現できたのだろう。結果オーライだ。

科学技術が発展した現代、土木工事はそれほど難しくはない。資金さえあれば何とかなる。しかし、問題は無害化するまでに最低で数百年、長いものは数十億年もかかると言われる放射性物質による汚染だ。

 

このためにまだ5万人以上の被災者が故郷に帰れず、放射線に汚染された廃水は溜まる一方で、処分の方法が行き詰っている。

敷地に増え続ける汚水タンク。処分方法が決まらないので、行き場の無い汚染水がどんどん増え続けている。

汚染水の処理だけでこれほど時間がかかっているけれど、それではさらに有害な照射性物質である原発の使用済み燃料はどうなっているのか?

現状では地下に埋める以外の安全な方法が見付かっていないらしい。それにも関わらず人類は原発に依存するつもりなのか?

 

この季節、毎度のことながら、確定申告の書類作成に追われる。それなのに、余計なアイディアが次々湧いてきてなかなかはかどらなかった。そんな時に、短期間だけ公開される映画が封切られた。全国でロードショーとなるメジャー映画とは違い、予算も少ない、マイナーな映画。しかも、悲惨な過去の歴史から目を背ける日本国民には疎まれる戦時中の物語。

 

3月10日は10万人以上の方が亡くなった東京大空襲の日である。その概況はwikibediaによると以下の通り。

 

1945年3月10日の大空襲(下町大空襲)は、高度1600–2200メートル程度の超低高度・夜間・焼夷弾攻撃という新戦術が本格的に導入された初めての空襲だった。その目的は、木造家屋が多数密集する下町の市街地を、そこに散在する町工場もろとも焼き払うことにあった。この攻撃についてアメリカ軍は、日本の中小企業が軍需産業の生産拠点となっているためと理由付けしていた。 アメリカ軍がミーティングハウス2号作戦の実施を3月10日に選んだ理由は、延焼効果の高い風の強い日と気象予報されたためである[20]

アメリカ軍の参加部隊は第73、第313、第314の3個航空団で、325機のB-29爆撃機が出撃した。各機は自衛武装である旋回機関銃弾薬の多くを降ろし、焼夷弾の搭載量が優先され、通常の約2倍の搭載量である6トンもの高性能焼夷弾を搭載した。この空襲での爆弾の制御投下弾量は38万1300発、1783トンにも上った。投下された爆弾、焼夷弾が、当時の日本家屋を焼き払うために最適化されたものだった。

この作品は都内にあった保育園の実話に基づく実写映画である。原作は「ガラスのうさぎ」で知られる、作家の高木敏子さん。以下は東京新聞2015年3月9日からの抜粋。


保育園疎開 けんちゃんとトシ先生の物語

 太平洋戦争の末期、東京から埼玉に集団疎開した保育園児たちがいた。その一人、田辺健之(けんじ)さん(74)は父が戦死し、母と妹ら残る家族も一九四五年三月十日未明の東京大空襲で亡くした。四歳で独りぼっちになった田辺さんを、疎開先で励ましたのが当時二十五歳の保育士福知(ふくち)トシさん。福知さんが戦後つくった「井の頭保育園」(東京都三鷹市)は、二人の物語をつづった絵本を卒園生に贈り、語り継いでいる。 (菊谷隆文)

 「トシ先生は命の恩人。自分は生きているのでなく生かされている」。横浜市の自宅で語る田辺さんの手に、絵本「けんちゃんとトシせんせい」があった。児童文学の名作「ガラスのうさぎ」で知られる作家の高木敏子さん(82)が二人を取材し、九四年に出版した作品だ。

 絵本に登場する「けんちゃん」が田辺さんで、「トシ先生」が福知さん。墨田区にあった「愛育隣保館(あいいくりんぽかん)」の園児だったけんちゃんは四四年十一月、他の園児、保育士ら職員と埼玉県蓮田市の妙楽寺に疎開。トシ先生ら若い保育士が母親代わりになった。

 けんちゃんは一度だけ、トシ先生を困らせた。四五年三月八日、疎開先を訪れた母マスさんが帰る時、「ぼくも一緒に行く」と泣き、追いかけようとした。トシ先生が引き留めた。

 東京大空襲はその二日後。けんちゃんの家は焼かれ、一家全員が亡くなった。数日たち、トシ先生は意を決してそのことを伝えた。ひざの上でけんちゃんは目に涙をため、黙って聞いた。それから日本の軍用機が寺の上を飛ぶたび、空に向かって叫ぶようになった。「おーい、日本の兵隊さん、早く戦争やめてくれ」―。

 田辺さんは終戦前に伯父に引き取られ、福島、新潟で少年時代を過ごした。横浜に移って定年まで自動車メーカーで働き、孫にも恵まれた。

 一方、福知さんは戦後も保育士を続け、五〇年に井の頭保育園を開設。園長や理事長などを務め、四年前に九十一歳で亡くなった。

 二人は八一年、三十六年ぶりに再会を果たした。人づてに住所を聞いた福知さんが四十歳になった田辺さんを訪ねた。このころ、福知さんが保護者に配ったガリ版刷りの小冊子は、こんな言葉で結ばれている。

 「わたしたちの可愛(かわい)い子どもたちに、けんちゃんのおもいを再びさせないよう、おとなたち、しっかり世の中を見つめましょう。そして声を出して叫んでください。戦争はいやだ!と」

 東京大空襲から間もなく七十年。田辺さんは「疎開先で出会った大人たちに『平和の尊さを伝えてくれ』と言われている気がする」と、戦争の記憶を次世代に引き継ぐ大切さをかみ締めている。今月十四日に行われる井の頭保育園の卒園式では、二十二人の園児が今年も絵本を手に巣立つ。

 <保育園の集団疎開> 小学3~6年の学童疎開のさなか、大日本母子愛育会に属する愛育隣保館(墨田区)と戸越保育所(品川区)の3~6歳児53人、保育士ら職員11人が1944年11月25日、埼玉県平野村(現蓮田市)の妙楽寺に疎開した。その後の東京大空襲などで家族を失った園児も多い。保育士は引き取ってもらう人を捜すのに苦労したといい、終戦後の45年12月まで疎開保育が続いた。

勉強不足でこの物語を知らなかったが、映画情報を検索している時にこの記事を発見し、即座に観に行こうと思った。上映している映画館を探すと、メジャー映画と違って場所が限られていた。幸いに、地元には昔からマイナーな傑作を上映してくれる素晴らしい映画館がある。学生時代からとてもお世話になっている。大衆向けの娯楽作品を上映する大規模シネマも良いけれど、こういう小さな、本当の映画好きのためのシネマは非常に価値がある。ありがたい事だ。

この建物の近くには先日仕事をさせていただいた、演劇集団のワークショップと小劇場もある。現代の横浜は海寄りの一帯が中心となりつつあるけれど、昔はこちらが流行と猥雑な文化の最先端だったのだ。

 

普通の映画館の上映開始時間は最初にCMが流されるが、ここにはそれが無いため、作品がすぐ始まる。自分は車の駐車場探しにてこずり、数分遅刻。ちょうど本編が始まったばかりであった。驚くことに、平日の昼過ぎの時間帯なのに、かなりの観客がいらしていた。薄暗い関内なので姿はよく見えないが、大体が熟年層だと思った。実際に経験なさった方もいたのかもしれない。

山田洋次監督作品で共同脚本や助監督を務めてきた平松恵美子監督。戸田恵梨香(茶色の上着・カエデさん役)と大原櫻子(ピンクの上着・ミっちゃん役)のダブル主演その他、保育士役には1000人を超えるオーディションから選ばれた女優陣が起用された。この主役二人の演技が素晴らしい。個人的には、保母のまとめ役として、弱みを見せずに最後まで頑張る保母さんリーダーのカエデさん(戸田さん)が素敵だった。

 

小学生の疎開は聞いていたけれど、小さな幼児までが疎開していたとは知らなかった。当然、当時も賛否両論。父兄会でもその様子が描かれている。「先生たちは独身で子供もいないから、親子の愛情の深さがわからないのだ」「そんな小さな子供と親を引き離すのは残酷すぎる」と言うような批判もあるが「空襲は相手を選ばない。皆殺しだ。せめて子供だけでも助けたいから、疎開をお願いしたい」と言う父兄もいる。

そもそも、都会の保育園が地方に疎開することはカルチャーギャップもあるし、受け入れる側にとっては食料などを無償で提供することになるから、厄介者でもある。疎開先を見つけたものの、ボロボロの荒れ寺。検索したら当時の写真が残されていた。

映画の中ではもう少し小さな寺だと思っていたけれど、実際にはかなりの規模があったことがわかる。子供たちが一緒に暮らすことのできる場所が見つかった事は幸いだった。

疎開当初は障子もガラス戸も無く、寒くて凍えそうだったので、村に交渉して取り付けてもらうエピソードがあった。

この写真ではガラス戸があるので、その後の事であることが推測される。

現在の妙楽寺はこういう感じらしい。昨年、蓮を見に行ったけれど、その時にはまだこの物語を知らなかった。次回は行ってみようと思う。

天然ボケのミっちゃんはオルガンが得意でもあり、子供たちの為に境内でオルガンを弾く。このオルガンのお蔭でヤマハも映画製作に協賛したそうだ。当時の学校では高価で起き場所に困るピアノより、便利なオルガンが身近だった。言葉もよくわからない幼児でもオルガンには反応するのだから、音楽と言うものの素晴らしさがよくわかる。

当時の写真もあった。映画と同様に子供たちの髪形は女児はおかっぱ、男児は坊主頭だったようだけれど、可愛らしい。映画の時代考証がきちんとなされていることがわかる。

このミっちゃんは天真爛漫であるが、普通の常識ある大人から見ると、オッチョコチョイで身体だけ大人の子供のような存在。言動は周囲の迷惑ともなるが、子供たちには一番好かれる。

 

村の顔役が疎開保育園の支援者でもあり、その息子は片目を負傷した傷痍軍人であった。父と共に保育園の雑用を手伝っているうちに、保母の一人と仲良くなる。ところが、そこに地方の村ならではの偏見や差別が露呈する。

「何も生産せずに文化生活を楽しんでいる都会者」は村にとっては厄介で災いの元のように考えるのだ。それプラス、軍隊的な男尊女卑の思想。それらが混在していたのが戦時中の現実社会だったのだろう。

日本の戦況が不利になり全国各地で空襲が増えると、子供たちの将来を気遣い、親たちが万が一の際の御願いに来る。当初は疎開に反対していた父兄も保母たちの考えの方が正しかったことに気付き始める。危ない場所に一緒にいたら、子供も含めて一家全滅してしまう恐怖に怯える。自宅に掘った仮設の防空壕などは役に立たないのだ。

親と離ればなれになっている子供たちの親を恋しがる気持ちはとても強い。精神的なストレスはオネショとなり、保母たちには大きな負担となる。それでなくとも、食料や燃料の確保に追われる毎日。オネショ防止の為に大勢の子供たちを夜中にトイレに連れて行くことは、保母たちの睡眠時間を奪う。これを解決したのは、子供の心を持つ保母ミっちゃんの体験と、厳しいながらも、柔軟で強い心を持つ保母リーダーのカエデさんの対応だった。

 

カエデさんは「怒りの人」と言われるくらい、権力を恐れず、歯に衣を着せずに率直に発言する人物として描かれている。しかし、単に感情的なわけではなく、冷静で論理的な思考の持ち主。周囲には決して弱みは見せない。その気丈な彼女が最後に見せる姿にはとても感動した。

 

本当に良い映画だった。終演後に隣の席を見ると高校生の女の子たちがティッシュで涙を拭いていた。みんなお年寄りと熟年だと思っていたら、あんなに可愛らしい女の子たちもいたのだ。とても、嬉しかった。こういう子たちがいるなら、まだまだ日本も大丈夫かもしれないな。

 

ご興味を持った方は是非ご覧ください。短期間の限定公開だと思います。

公式サイトはhttps://www.anohi-organ.com/