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雲水・ISA(九龍)のブログ

日本は神の国
仁術師

又ブログが停滞した。忘れないうちに沖縄の続き。

 

この日は少し青空が見えたけれど、それも朝だけ。この辺は見渡すところはほとんどが米軍基地らしい。この人口比率は同じく米軍基地で有名な私の地元の横須賀とは真逆。横須賀では9割が日本人だけれど、こちらでは反対に9割が米軍関係者の様なイメージなのだ。まるで日本国内ではない感じさえする。

この日の予定は主にホエールウォッチング(クジラ見物)。今の時期には繁殖の為にザトウクジラが沖縄周辺に集まるらしく、目撃率は9割以上なのだ。しかし、連日の風雨のため、当日にならないと出港できるかわからないと言われた。なので、予約が確定するまで、港からそれほど遠くない場所を回ることにした。

 

と言うわけで訪れたのが「旧海軍司令部壕」。入口には史上最大最強の戦艦「大和」の模型と絵画があった。大和は沖縄決戦の為に無謀な海上特攻隊として向かう途中に撃沈された。当時の記録を見ても、無謀だとしか思えないが、そこで強引に計画を実行した参謀と、現状を見ない軍隊的精神論に扇動されてしまったようだ。本当に胸が痛む。

当時の日米の戦力の分析統計が展示されていた。各項目の上段が日本、下段がアメリカである。圧倒的な差が見てわかる。しかし、このような情報を国民が知るすべはなく、軍隊の上層部のみが知りながら、様々な作戦を立てていたのだ。犬と猫の喧嘩なら少しは成り立つかもしれないけれど、ネズミと象では喧嘩にならないはず。普通のネズミなら喧嘩はしないと思う。ある意味無謀、しかし死を恐れない精神力は恐れ入る。実際には、軍部だけが相手を象レベルだと知っており、庶民にはそれほどの格差がある事は知らされていなかったのだ。

沢山の軍隊アリが大型獣も襲うと言う話もあるけれど、日本はそれだけの人口も無かったのだ。だからと言って、女子供まで竹槍で闘えなどと扇動することは現代人には想像もできない。

 

沖縄戦の遺物類。軍刀、手りゅう弾、水筒など。

物品類よりも衝撃的なのは写真類。隠れていた子供たちの姿は本当にいたたまれなくなる。物と違って、その時の状況がとても具体的で現実的にわかってしまうのだ。

元々、海の向こうから侵略をして来たのはアメリカであるけれど、武力以外の抵抗の方法は無かったのか?言論文化や情報システムが未発達の時代では仕方がなかったことかもしれない。しかし、通常であれば、人間たちが好き好んで人間を殺すものとは思えない。特に非戦闘員である女子供を。それを変えてしまうのが戦争の恐ろしさ。

記念館ではアメリカ軍関係者らしいご夫婦を見かけた。とても勇気がある人たちだと思ったので、敬意をもって会釈した。決して、睨んだり、咎めるようなことはしまいと決めていた。なぜなら、自分が中国大陸で虐殺記念館や歴史博物館で同様の展示を見学すると、全員から突き刺さるような視線を浴びたり、罵られた経験があるからだ。場所によっては入場を断られたこともある。ハワイのアリゾナ記念館ではアメリカの老人からイエローモンキーと罵倒されたこともある。

 

残念だけれど、そういう人たちはより良い将来を造れない人達だと思う。造れないばかりか、機会を壊す可能性すらある。自分はそうなりたくないと思う。ついでに言えば、こういうブログを書くとアメリカ(それ以外にも関係する国々)の友達を失うと言う人がいるけれど、そんな事で失ってしまう友人関係など最初から有名無実だと思う。そういう人たちは問題があっても事実を直視して分析をしないから、問題の解決や対策を考えることができない。恐らく将来も同じ過ちを繰り返すはず。付き合う意味が無いから、離れてもらってちょうど良いのだ。

 

資料の展示室を出ると地下に掘られた司令官壕に降りる階段がある。入り口の両側にはたくさんの千羽鶴が掛けられていた。

当時の軍隊組織は現在の認識とは異なり、空、海、陸の三部構成ではなく、陸と海のみ。そして航空部隊は陸と海のそれぞれが所有していた。なので、横の連携は必ずしも良いとは言えなかった。ライバル心や権力闘争もあるから、一丸となって戦う時の障害ともなった。その為、沖縄戦の際も、陸軍の司令部と海軍の司令部は違う場所にそれぞれが地下帽を構築していたのだ。


こちらは海軍の地下壕である。那覇空港を守るために、近くにある海抜74mの墓地のある丘の地下に設営された。地図上の赤い三角地点。この丘からは那覇市街が一望でき、絶好の陣地であったことがわかる。

陸軍の地下壕は今の首里城(海軍司令部地下壕から北東に8キロくらいの場所)の地下にあり、未公開のままとなっている。

ちなみに、悲劇として語り継がれている「ひめゆりの塔」に登場する女子学生たちは陸軍所属の病院の手伝いをしていた。

 

地下に下りる階段は白漆喰で塗り固められたアーチ形のトンネルになっている。

秘密基地の存在を隠す為に民間人は工事に参加させず、3000名の兵士がツルハシで総延長450mもの地下防空壕を造ったのだ。案内図を見ると、まるでアリの巣のよう。初めて入った人は迷うだろうけれど、当時の関係者は非常事態の闇の中でも動けたはず。

 

戦後に泥水がたまっていた地下壕を調査したところ、2300名以上のご遺骨が発見されている。こんな狭いスペースでそれほどまでの多くの方たちが亡くなった事が信じられない。人数的にはサントリーホールや文化村オーチャードホールなどの都市にある大型の劇場の定員数にほぼ匹敵するのだ。

これは移動用の狭いトンネル。剥き出しの壁にはツルハシの跡が残っている。砂岩は柔らかいので掘り易く、沖縄以外でも、国内の随所に防空壕が造られている。

壁を爪で引っ掻いてみると簡単に削れた。柔らかい砂岩なので防空壕には適した地質だったのだ。しかし、柔らかい分、衝撃にも弱いので、部屋や主要な部分には補強として漆喰やセメントが使われていた。

 

これに対して、硬い石灰岩でできている土地もあり、地下にある天然の鍾乳洞を利用して、人々は隠れていた。しかし、加工が難しく、基地を造るには適していないのだ。

地下壕内のスペースは極限まで合理的に利用されていた。壁にある窪みも資材置き場として活用されていた。戦闘中には通路いっぱいに兵隊で溢れていたらしい。

見学しながら、これほどの長い地下空間の換気はどうしていたのか心配になった。戦時中の記録を見ると、爆発や銃撃による死傷者以上に、特殊な爆弾の燃焼による有毒ガスや火炎放射器による酸欠での死亡が多かったらしい。そのリスクは、地下を歩いていれば感じることができる。

大きく削った窪みには電気を供給するエンジンも置かれていた。騒音もひどいだろうし、排気ガスの処理なども出来ていなかった気がする。公園でBBQをする時などに小型の屋外発電機を使うことがあるけれど、あれだってとてもうるさい。排ガスは空気を汚染するので、劣悪な環境であったことが想像できる。

部屋には限りがあるため、幹部や負傷者が最優先。それ以外のほとんどの兵隊は通路で身体を休めていた。戦闘時には、地下に籠城するため、足の踏み場もなかったそうだ。

単なる兵隊ではない下士官たちの部屋も木枠で囲まれただけの小さな空間に過ぎない。医務室も同様の造りだった。まるで動物園の檻みたいな感じ。

部屋とは言っても、これらの木枠だけの狭い空間に人が多くて坐る事も出来ず、立ったままで仮眠を取っていたそうだ。

出撃命令があると、この通路から出撃していた。この外側は古くからある墓地になっている。

出入り口は沖縄の伝統的な亀甲墓を利用して作られていた。墓をカモフラージュのために使ったつもりだろうが、外地から来た人には墓だと思えず、かえって特殊な場所だという印象が強いと思った。自分も最初は墓だとは思わず、機銃類の土台かと思っていたのだ。

同じく沖縄文化を知らないアメリカ人が見れば、不自然で怪しい建築と思うに違いないので、カモフラージュは逆効果だったと思う。

当時の写真を見ると、如何にも下に何かありそうな雰囲気なので、アメリカ軍の銃撃&火炎放射器の餌食となってしまっている。

一度知ってしまえば、その傾向と対策が研究されるのは当然。

司令官を補佐する役目が幕僚。彼らが作戦を練った部屋がここ。広さは10平米ほど。他の部屋とは異なり全体が白い漆喰で補強されていた。

その奥の壁にある黒い斑点は、周囲をアメリカ軍に囲まれ、籠城した幕僚たちが手りゅう弾で自決した時の爆発の跡である。見ていると、当時の痛みや苦しみ、悲しみを想像してしまうけれど、そういう時代や歴史があってこその今の日本だと思う。

この広い部屋は暗号を送受信していたところ。ネットや携帯電話が無い時代、戦時中の通信は傍受される危険があるために暗号化されるのが普通。もしも、この内容を敵に知られたら、全ての行動が筒抜けになってしまう。ところが、アメリカはある時期から日本軍の暗号をすべて解読していたのだ。それを知らなかったので、史上最大の戦艦大和も撃沈されてしまった。

同様の事はヨーロッパでも起きていた。ドイツの暗号装置「エニグマ」の解読にイギリスも成功していたのだ。すべての手の内を読まれるわけだから、勝てるはずがない。

 

机のある部屋は司令官室。神棚もある。

これらの部屋は全て出入り口が複数あり、移動や非難がし易く造られている。

地下通路から見た部屋の出入り口はこうなっている。

司令官室は立ち入り禁止になっていたけれど、入口にある柵は当時のものなのか、観光客の順路を制限しているためなのか不明。

反対側から見た司令官室。

当時の司令官の評価は賛否両論。幕僚の背景も様々。考え方の相違が実際の戦略の結果となる。全般的に言えることは、「気合だ!根性だ!」ばかりを強調して、客観性や合理性を見失った指導者の戦略は失敗することがほとんど。多くの犠牲者を生む。

沖縄戦でも同様だった。教訓としては、やはり知識と情報量がポイント。司令官は最終決定者であるが、実際の計画を立案して実行させるのは幕僚と呼ばれる複数の人たち。その彼らのレベルによって結果は分かれる。

海外経験もあり、知識も豊富な人は言論も論理的であるが、その反面、冷徹でとっつきにくいイメージを与えてしまうことがある。その反対に、知識はないけれど、感情表現も豊かで社交的なタイプには人間味を感じることが多い。両方を兼ね備えているに越したことはないけれど、そんな大人物はなかなかいない。

 

これが非常事態にどのように心理的な作用を及ぼすかという事がとても大事。不安になった時の人間は客観性を失い、感情に流されがちなので、どうしても現実を見ずに、安心感のある、居心地の良い方に行きたがるのがほとんど。これが歴史から見た結果だと思う。

重苦しい地下性から、出口に向かって、また長い通路を上る。主要な通路なので白い漆喰でトンネルが補強されていた。

出口の上には資料やお土産を売っている売店がある。買い物ついでに店員さんに話を聞くと、この記念館を訪れる人は外地からの観光客がほとんどで、地元の人たちは滅多に来ないらしい。

売店の裏側が丘の最高部で、慰霊碑が建っていた。

沖縄と言うと「綺麗な海」「泡盛」しか想像できないのは、余りに勉強不足と言うか、平和ボケの極みだと思う。そういう教育や宣伝をしてきた社会全体が平和ボケなのだ。

地下壕を出た頃には小雨も降り始めて、午後に予定しているホエールウォッチングも危うい雰囲気。なので、確認の電話を入れると、余り理想的な条件ではないけれど、出港する予定らしい。それで、待ち合わせ場所の港に向かうと、土砂降り状態となった。

海は見えないし、寒いし、イメージしていた「沖縄」とは大違い(笑)。風雨も強く、余りに寒いので車内で待機

同乗したメンバーは船長と助手、上客が7名。その内、1名は耳が不自由な人だった。出港したら、いきなりの波浪に船が凄い揺れ。立っていられないから、サービスのホットコーヒーも飲む気にならない。風も冷たいので、厚手のスカジャンの上に、更にレインコートを羽織った。

こういう状態の場合、湘南や東京湾では警報が出て、出港する人はほとんどいない。この時点でクジラを見る気は半分以上失せていたけれど、せっかくのチャンスなので仕方がない。ツアーを企画したスタッフの情報では、親子のザトウクジラが目撃されていて、遭遇する確率がかなり高いと言うのだ。通常の天候ならこの季節にクジラに遭遇できる確率は9割以上らしい。

 

ある程度沖に出ると、走るのを止めて、クジラを探す。やっと二階のデッキに上れる状態となったので、二階席からみんなでクジラを探す。この時点ですでに聾唖者の男性と若い女性客が船酔いでダウン。横になったままで、とても可哀想だった。

停泊の状態でも波浪による揺れは大きく、立ってはいられない。こんな状態で本当にクジラが姿を見せるのか半信半疑。それに、海上は波頭が白く砕け散って、クジラが出て来てもわからないのではないかと思った。

 

スタッフの話では、クジラが呼吸する際に潮を噴くのでそれが目印だと言うのだ。潮の高さは3m位になるので、経験を積むとわかるらしい。とは言っても、風が強くて、周辺は波しぶきだらけなのである。私自身も海育ちだし、アウトドアの経験は豊富な方であるが、半分以上無理ではないかと諦めかけていた。

 

すると助手の男性が「いた、いた!」と教えてくれた。彼には潮噴きが見えたらしい。それを切っ掛けにして、親子クジラの所在がわかったので、近くで観察することになった。

いつ出て来るのかわからないので、普通の写真では撮影が難しいと思い、ビデオ撮影で回しっぱなしにしておいた。そうしたら、かろうじて潮噴きの様子を確認できた。中央左側の白い小さな点が親子の潮噴きである。右がお母さんクジラ、左の小さなのが子供クジラの潮噴き。ビデオなので瞬間を写すことができたけれど、実際には風が強いので一瞬で白い潮噴きは消し飛んでしまう。これを360度の範囲で探すわけだから、至難の技。

こちらは親クジラの潮噴き。接近すれば、潮噴きもよくわかるようになる。しかし、クジラの体色も暗い海のグレーと同化しているために、白い潮ばかりで姿形が全く見えないのだ。

また、クジラは一度水に潜ると数十分は手て来ない。子供の場合は呼吸の感覚が短いので、その点、子供連れはラッキーだという事であったけれど、寒さと揺れの我慢大会みたいな状態だった。

一階の船室は右端の青いドアがトイレ、ピンク色は倉庫。中央の奥の船室は船酔いでダウンしている人たちの休憩場所。彼らにも教えてあげようと声をかけてみたけれど、ぐったりして、動けず、二階に上る気力もないそうだった。

 

結局、綺麗な姿を見ることはできず、潜る瞬間に尾びれが一瞬見えた場面を最後にして、引き上げることになった。

この程度のクジラであれば、沖縄以外でも見ることができる。先日、地元の定置網に紛れ込んでしまったザトウクジラもいたほどだ。一回体験すればいい感じ。水族館の方が楽しめる。

ガイドブックの広告にはこんな写真が載せてあるけれど、現実はそう簡単に見られるものではなさそうだ。

 

那覇市街にあるホテルに荷物を置いて、沖縄一番の繁華街と言われている国際通りに向かう。すると面白い建物を発見。窓の外には植物が配置されて、文明と自然が融合している、古代文明の遺跡みたいな印象を受けた。

通行人に尋ねたところ、何と那覇市役所であった。あのクソ面白くも無いお堅い役人たちが居る場所とは思えないではないか。そして、その隣にあるのが沖縄県庁だった。県庁はそれらしい感じがするけれど、那覇市役所はとても気に入ってしまった。

紅イモで一斉風靡したお菓子屋さんの沖縄風のお店。この系列のお店は統一デザインらしい。しかし、自分はお菓子類にはあまり関心が無いので入った事はない。

倉庫みたいな店舗に雑貨が所狭しと展示されていたお土産屋さん。店頭にはスカジャンを着たヤンキーが坐っていた(人形)。天井からは大きな口を開けたジョーズらしきものがぶら下がっている。

沖縄とは関係なくてもお楽しそうなお店なので、ためらいもなく入店。店内の品々の種類は豊富で、他のお土産屋さんでは見たことの無かったものも多かった。観光で買い物をする時間が無い場合にはとてもありがたいお店だと思った。

非売品ではあったけれど、店主のコレクションらしい様々なキャラクターの模型が天井部分に陳列されていたのも面白い。

ステッカーを見ていたら自分の愛称「ISA」が隠れていることを発見。「ハイサイ」とは沖縄方言で「こんにちは」という挨拶に近いらしい。ハワイでアロハと言うのと同様のニュアンスみたいだ。

沖縄の獅子・シーサーのお店も色々あった。中国語の発音がシーズだけれど、南方で訛るとシーザーにも聞こえるので、地理的にも大陸文化の影響が大きいことがよくわかる。

厄除け、魔除けだけれど、それ以上に信仰されているのが「石敢當」と呼ばれる、魔除け石。魔物は直進する性格があるので、路地などの突き当りに家があると、魔物が侵入してしまうという大陸起源の迷信がある。その為に、正面から来る魔物除けとして置かれたのが起源。

こういう面白い話を聞いてからは、路地を歩くたびにあるかどうか観察するようになってしまった。観察すると、現在は方角に関係なく、単なる魔よけとして使っている人も多いみたいだった。そして都市部には少なく、地方では多い。やはり都市では、どこでも民俗や伝統が失われつつあるのだ。

 

沖縄の伝統工芸品で気になっていたのが漆器。日本の鎌倉彫や寺院の彫刻も起源は大陸。当然、大陸に近い沖縄も同じ。

想像通り、絵柄や色彩などは大陸に近かった。鎌倉時代以降の日本漆器は独自に発展してきているので、大和の侘び寂びが感じられるけれど、沖縄のものは、一言で言うと「派手」。しかし、茶道でいう意図的に遊ぶ派手さとは異なるもの。もっと言うと、中華街の派手さに近いと思う。好き嫌いは分かれると思う。

漆器店の女店主三のお話が面白かったので長居をしてしまった。話しこんで写真を撮るのを忘れてしまったので、この漆器関連画像はネットからの拝借(念のため)。

 

何度か森林に足を踏み入れたものの、幸いに遭遇することの無かったハブ。地元でマムシに出会えば、捕まえてマムシ酒にしてしまうところだけれど、知らない場所では、君子危うきに近寄らず。

ハブ関係では面白いグッズも売っていた。一瞬買おうか迷ってしまった。

ハブ以外のコブラとかアナコンダも作って欲しい。

タイでは有名な三輪バイクのトゥクトゥクが停まっていた。同じ南国のせいなのか、開放的で、とても似合うと思う。昔はバイクを改造したものだったけれど、最近のものは小型のAT乗用車を改造している様だった。

運転手さんと話すと、観光客にも人気の居酒屋さんの送迎車であるそうだった。


色々な生物の骨を使ったアクセサリー屋さん。ちょっと気になって入ってみたら、1m以上の長さがある一角獣の角は180万円もしていた。

昔、アーノルド・シュワルツネッガーが主演をした「プレデター」という映画で、人間を狩って、頭がい骨などを飾っている宇宙人が登場した。こういうのって、同じ事なんだろうなあ。そう考えると、彼らが人間の頭髪や皮膚を衣類やアクセサリーとして楽しむこともあり得るわけだ。刺青をした人間の皮膚を綺麗に切り取って額に入れて飾るかもしれないなあ。そう考えると、あの映画は皮肉だったのかもしれないと思った。

晩御飯をする場所を迷った挙句、沖縄っぽい風土料理が豊富で、琉球音楽ライブもあるというお店に入った。偶然に先ほどのトゥクトゥクの送迎を行っているお店。観光ガイドにも乗っている有名店。

地元の人には地元民が通う裏通りのお店を勧められたのだけれど、沖縄初心者の自分としては、いわゆる沖縄も体験してみたかったので、敢えて観光客向けの店に入ってみたのだ。

このお店の女性芸人たちはかなり人気のようで、他の島から出張に来ていたサラリーマンたちは毎回この店のライブに来るそうだった。

 

帰りに勧められた裏通りを歩いてみたら、規模は小さく、質素だけれど、確かに面白そうな店がたくさんある。しかも、値段が表通りよりも安い。次回はこっちだな。

ホテル近くにあるお洒落なカフェのインターホンの飾りは素焼きのシーサーだった。

これは欲しかったけれど、街では見かけなかった。

この翌日が、見どころ満載の首里城としらゆりの塔方面。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年の春は大画面で見るべき秀作映画が目白押し。

 

最近はDVDやブルーレイも普及しているし、大画面テレビを持っている家庭も増えている。それでも、やはり大画面で見るべき映画と言うのがあると思う。あの大音量を自宅で楽しもうとしたら、近所迷惑になる可能性が大きいからね。

 

と言うわけで、観に行ったのが「アクアマン」。

DCコミックス原作のヒーローで、「ジャスティス・リーグ」にも参戦したアクアマンを主役に描くアクション大作。海底に沈んだアトランティス帝国の王女が人間の男性と恋に落ちて生まれた混血が主人公。海洋や地球を破壊する愚かな人間たちに怒ったアトランティス人たちが人間に戦いを挑んでくる。

 

俺は、バカな人間の味方をするつもりはないので、大賛成。でも、映画では両者の戦いを止めるために、混血として生まれた男性が活躍する。海中をもの凄いスピードで泳ぎ、魚たちとも会話することができる。

発想も面白いけれど、深海の映像は綺麗にライトアップされた水族館の様に美しい。あの色彩感覚は熱帯魚や南国の海がルーツだと思う。まるで、ハワイ在住の画家クリスチャン・ラッセンの絵画のようなのだ。主演俳優ジェイソン・モモアもハワイ出身。世界的大ヒットを記録した「ワイルド・スピード SKY MISSION」のジェームズ・ワン監督がメガホンをとった。お母さんで王女役はニコール・キッドマン。彼女の端正な美貌はとても存在感がある。

 

次の週にはお待ちかねの「アリータ」が始まった。これは木城ゆきとによる日本のSF漫画「銃夢(ガンム)」を、ジェームズ・キャメロンの脚本・製作により、ハリウッドで実写映画化したアクション大作。監督は「シン・シティ」のロバート・ロドリゲス。「アバター」で培ったCG技術を駆使した世界観が素晴らしい。主役のアンドロイドであるアリータは肌の質感までがとてもよく作られている。彼女は可愛い顔からは想像できないほどの強い戦士なのだ。

主人公アリータ役は「メイズ・ランナー」シリーズのローサ・サラザールが務め、いずれもオスカー俳優であるクリストフ・ワルツ、ジェニファー・コネリー、マハーシャラ・アリが共演。昨年のCMの時から、その映像の迫力と面白さを期待していたのだ。原作のアニメも知っているけれど、それは別にして楽しめそうだと感じていた。

世界は上下に分けられ、天上の都市が地上を支配している未来の世界の話。不要なゴミは天上から地上に捨てられ、地上の人間たちは奴隷として働かされている。アンドロイドの医師が捨てられたゴミの山の中から少女アンドロイドの頭部を発見し、脳が無傷であることに気付く。医師は自分が亡くした娘の面影を偲んで、彼女に娘用に作っておいた機械の身体を移植する。

彼女は脳は正常であるが記憶がないまま普通の少女として生まれ変わる。生活しているうちに天上の支配者の欺瞞と悪に気付き闘いを挑むことになるのだ。それを妨害する気持ちの悪い化け物たちと闘っているうちに、過去に経験した戦士の記憶が目覚める。現世では失われた過去の武術と力を学んでいたのだ。

最大の敵に手足をもがれながらも勝利を諦めない不屈の精神力が素晴らしい。クリっとした大きくて可愛い瞳とのギャップが凄い迫力となっていた。

大画面で観るべき作品だった。最後は欧米的なハッピーエンドではなく、日本的なはかなさで終わる。途中は原作と違う描写があるけれど、これは原作に忠実。

 

それにしても、毎回思うのは欧米人と日本人の感性が違う事。彼らが興味を持つ作品や内容は日本人の好みと異なる。従って、映画の権威となっているアカデミー賞やカンヌ映画の賞などは欧米の価値観で決められているのだ。日本の映画&文芸評論家はこれに気付き、客観的な評価をするべきだと思う。自分たちまでがミーハーになって権威を有難がる風潮はいい加減に卒業するべき。日本が世界の映画に対して映画の賞を主催したって良いではないか。

 

これと似ていて、違和感を感じるのが経営や管理の指標となっている「ISO」。ウチの企業は「ISOの何番を取得しています」とか喜んでいるけれど、いつまで海外の基準に甘んじているのだ?日本のクオリティーは世界一だった時代があったのではないか?そのクオリティーを維持する為のシステムや思想はISOに負けるはずがない。むしろISOより優れた企画を生み出すべきなのだ。海外の規格や基準に甘んじるという事は、越えるつもりがないと言っているのと同じ事だと思う。

 

これに気付いてトップを目指しているのが中国。俺の考えはその点彼らと同じ。世界のほとんどのパソコンのOSがアメリカのMSやアップル製であることが気に入らない。インターネット関連のソフトやシステムも欧米(主にアメリカ)に頼っているばかり。アナログの世界だけではなくデジタルの世界でも世界戦争は始まっているのだと思う。日本だって早く独自のOSを作るべきなのだ。現状は全く危機感が無さすぎるのが問題。ハッキングやスパイ天国ではないか。そんな状態ではデジタル情報を使った犯罪を防げるはずがない。まして、国防は夢のまた夢。

先日国際問題化したファーウェイ騒動だけれど、ウィンドウズやアップルのパソコンや端末にも情報収集システムは組み込まれている。自分たちは自由にやっておいて、新規参入の彼らに文句を言うのはおかしいと思う。文句があるなら公式な場所でデジタル情報の国際ルールを設けるべき。中国という国は道義的に問題がある国だけれど、それを敢えて客観的に見ると、とても不公平に感じる。しかし、もしも中国が道義的で好かれる国だったら文句は言われなかったのだろうか?

 

自分たちが核兵器を持っているくせに、相手には「核を放棄しろ!」と言うのも同じ事。俺なら「あんたが放棄しない限り、絶対放棄しない」と言ってやるな。

 

 

ブログはまとまらないと書かないので、間が空いてしまう。しかし、日々色々な出来事が起きているので、書くのは追いつかず。

 

日本のマスメディアには失望しているため、地上波デジタル放送になってからテレビは見なくなった。ネット上で必要な情報を見る方がよほど有意義で正確。公共放送は見ても分析不足で、単なる情報の垂れ流し。先日、友だちが某有名報道番組の街頭インタビューを受けたらしいけれど、事前に「このような内容を質問しますので、大体このような主旨で答えて下さいね」とか言われたそうだ。それじゃあ、全くのやらせじゃないか。そういう事をするから益々報道の信用度が落ちるのだ。

 

一応、世界や社会の動きはチェックしているけれど、マスメディアと共に日本の政治やモラルも情けない状態。先日からの厚労省の統計情報を誤魔化していた事件だけれど、それを調査する立場の人間がとんでもない事を言っていた。

あれだけ、偽装工作や嘘をついていたという証拠が出て来ていながら、隠蔽が無いと言うのはどういう頭をしているのだろうか?この人物は萩尾 保繁 弁護士(元静岡地方裁判所長)らしいが、こんな人が司法にいることが間違いだろう。

自分たちに不利な内容を隠すために嘘をついたら「隠蔽」だろう。

それを正当化するために嘘や詭弁を重ねれれば、さらに「隠蔽」の程度もひどくなると思うのだが、この人たちはどういう理論なのだろうか?嘘は意図的につくものだと思うけれどね。

嘘を意図的でなく、平気でつくような人間は詐欺師や犯罪者だと思うけれど、それが官庁の幹部だと言うところが恐ろしい。そして、それを擁護するようなバカな学者たち。学歴だけで道徳観念が欠如している。

こういうバカげた調査結果を国会で主張したメンバーは以下の通り。将来の為にも覚えておくべき。学校の先生もいらっしゃるようなので、学生さんたちには授業の時に質問してもらいたいものだ。きちんと回答できない様な先生は失格だよな。

 

毎月勤労統計調査等に関する特別監察委員会 構成員 (委員長) 樋口 美雄 (独)労働政策研究・研修機構理事長 (前統計委員会委員長、労働政策審議会会長) (委員長代理)荒井 史男 弁護士(元名古屋高等裁判所長官) (委員) 井出 健二郎 和光大学学長・会計学 玄田 有史 東京大学社会科学研究所教授 篠原 榮一 公認会計士 (元日本公認会計士協会公会計委員会委員長) 萩尾 保繁 弁護士(元静岡地方裁判所長) 廣松 毅 東京大学名誉教授 情報セキュリティ大学院大学名誉教授 (元統計委員会委員) 柳 志郎 弁護士(元日本弁護士連合会常務理事)

原口氏の言う通り。

 

バカげた詭弁だという事を知りながらとぼける首相もどうかしている。与党の中にもまともな人間がまだいるなら、こういう人物は早く退陣させなさい。国の害毒となるよ。俺の周りにも、彼や彼の親族と友達だ、同窓生だと言って喜んでいる輩がいるけれど、軽薄な君たちも共犯だよ。

 

翌朝も天気を期待したけれど雲が厚くたち込めている。このホテルは下にプライベートビーチもあり、ジェットスキーも楽しめるのに残念。海に行くのは諦めて、西にある古城跡を見に行くことにする。

今帰仁と書いてナキジンと読むらしいけれど、なかなか馴染まなかった。私の場合、カーナビは参考で、全てに従う事は少ない。この日も、抜け道を自分で探して適当に走っていた。

すると、路肩に倒木や切り株の様な茶色い奇怪な形をしている物体が多く見られるようになって来た。気になって、路駐をして観察すると、ギザギザに尖った岩が茶色く変色しているのだった。最初は、土地の所有者が面白がって置いているのかと思ったけれど、そうではなく、その土地の地質そのものであることがわかった。いわゆるカルスト地形なのだ。

これは面白そうだと思って脇道に入ると、聖域を示す「御嶽(ウタキ)」の表示が出て来た。まだ名前だけで、実物を見たことが無いので興味津々。沖縄は女系の宗教文化なので、御嶽は元々男性禁制の聖域のはず。最近は、観光の為と宗教を軽視する風潮があるために、解放されている。そのお蔭で、御岳に入ることもできるわけであるが、私は人々の思想や哲学を重んじるので、立ち入り禁止であれば、敢えて入る気にもならない。しかし、一般人にも開放されている様なのでお邪魔した。

 

山間に開けた場所があったので入っていくと、異様な光景。

石灰岩が剥き出しになった奇形が広がっていた。こういう地形は山口県の秋吉台も有名。規模の大きなものだと中国の石林。地上にはクワズイモやピラカンサなどが生えているので、奇怪な岩戸植物を集めて造った庭園のようにも見えるが、「御嶽」である証拠に、頂上に祠があり、石山の麓には祭壇がしつらえてあった。

風が強くて冷たかったけれど、とても居心地の良い空間であった。

車に戻ると、近くの樹に紅梅らしき花が見えたので近寄って見ると、梅ではなくてサクラだった。沖縄は全国で一番早く桜が開花する場所でもあり、こちらの桜を「寒緋桜」という。

更に奥に入ると桜の木が集まっている場所があり、ブンブンというミツバチの音が聞こえてきた。なんと黒いアゲハチョウもたくさん飛んでいる。風は冷たいけれど、景色は冬ではない。まるで本土の春と夏と秋が一緒になっているかのような季節感なのだ。

面白い場所だなあと思いながら、車で移動すると、またまた面白い場所を発見。カルストがむき出しとなった広場があった。先程の御嶽よりも規模が大きい。

祭壇の様な場所もあったので、儀式も行われるようである。背後の山には木々が繁茂しているが、地質はカルストであることがわかる。岩山にはたくさんの亀裂がある。カルスト地形には鍾乳洞が形成されるので、このあたりの地下には無数の洞窟がある事が予想される。

こうした亀裂は天然の隠れ家でもあるため、沖縄戦の最中には多くの現地人たちが隠れていた事を思い出す。それらの洞窟に向かって米兵が火炎放射器を向ける場面はとても鮮烈で衝撃的だった。この地方は激戦地ではないけれど、最後の攻防が行われた南部はひどかった。

日本が領海の範囲を超えて海外進出していた部分を奪還するのはともかく、領土に武力で侵入するのは明らかに「侵略」行為だと思う。

石灰岩は硬いために、爆撃から身を守るには最適の天然のシェルターでもあった。通常の武器では歯が立たないために、火炎放射器を導入したことは有名。この中に原住民も日本兵も混在していたため、米軍はその区別も出来ずに、無差別殺戮をすることになった。現地の一般人を軍人を混在させたことが悲劇を拡大したと言われているが、これは日本の軍部の責任。

火炎放射器は射程距離は短いけれど、燃焼する際に酸素を奪うので、洞窟内部は酸欠となる効果もあった。これは後のベトナム戦争にも活用されることになる。ベトナム戦争でも現地人は地下壕に隠れてゲリラ戦で対抗したのだ。これに対抗して米軍は次々と化学兵器を投入した。枯葉剤、ナパーム弾などがそう。

現在のイラクでも使用されている。噴出する燃焼材はゲル状なので身体に付着したら擦っても落ちないので、焼け焦げて死を待つしかない。これらの武器を開発したのは原爆と同じ科学者グループ。当時は、政治家の科学知識が乏しく、科学者がかなりの発言権を持っていた。https://ameblo.jp/isa96/entry-12397724469.html

周囲を見れば、岩以外の場所に田畑がある。決して豊かではない狭い土地に、現地の暮らしが営まれていることがわかる。ここから北部は現地人たちも住むのを嫌がる未開拓の密林が広がる「ヤンバル」地方。沖縄戦の際に、疎開先として提案されたけれど、移住する現地人はほとんどいなかったと言われている。未開の地であり、有毒なハブも数多く住んでいる場所であるから、尻込みするのは当然だろう。

 

琉球の歴史でも、表に登場するのはこの今帰仁が北限。沖縄の戦国時代である三山時代には沖縄本島の南北方向に三つの支配圏があった。北山、中山、南山である。北限の北山の更に北にある原生林がヤンバル地方なのである。興味はあるけれど、時間が限られているので、今回は行くことができなかった。

その北山の王が住んでいたのが今帰仁。北にある王国の首都という事になる。その城址は世界文化遺産に指定されている。城は戦乱の世の中が終わると、生活に不便なために廃墟となることがほとんど。特に水道が無い時代、高所における水の確保は大変。雨水を貯めるか、谷底の水を運ぶしかない。

 

そう言えば、日本の水道はとても危ないと思う。これは知っておくべき。水道料金は安くなるどころか、値上がりすることは確実。そして、管理に外資系企業が入ると言う、日本国民の生活の根幹を揺るがす緊急事態なのだ。「水」は命の源。早く阻止しないと馬鹿な国会議員たちに我々の生活が破壊される!

 

沖縄に話を戻すと、日本国内の城は多くが壊されて土地も転用されてしまった。沖縄はそれほどの建設ラッシュも起きず、石造りであったためもあり、古い城塞が幸いに保存されているのだ。ここ以外の城址も大体が同じ構造と景色である。

こちらの城塞は中国大陸式。時期的には鎌倉時代以降であるが、本土の山城よりは豪華であるし、戦国時代以降の平城とも違う。元々は天然の要塞として侵入が困難な場所に造られるものであるが、戦乱が落ち着いて、政治や経済活動が中心となると、生活の便が良い所に移動するのが自然の流れ。

石畳の登城路は観光の為に整備されたもので、本来の求道は右手の林の中を歩く。丘の上が儀式を行う広場と王族たちの居住エリアになっている。その中庭の中でひときわ色が黒い樹が有ったけれど、これが銘木の「黒檀」。その下は城内にある二つの御嶽のうちの一つ。隣にこの城に住んでいた王妃・志慶真乙樽(しじまうとぅだる)姫の歌碑がある。

ここにも寒緋桜が咲いていた。桜祭りが行われるほどの桜の名所らしい。この日も風が冷たく。海はグレーだった。眼下が今の今帰仁の街。ここまで上って来るのは観光客だけ。

本土ではクリスマスシーズンになると店頭に並ぶポインセチアが地植えで咲いていた。しかも、その上には寒緋桜が咲いているのだから、この組み合わせは沖縄ならではの風景。

庭のすぐ下は兵馬の訓練をする緑の広場。石灰岩が剥きだした起伏に飛んだ地形なので、訓練にも適しているのかもしれない。天気が良ければシートを敷いてピクニックでもしたくなるような雰囲気だった。桜祭りがあるそうだから、お花見の時に来たいものだ。

この城の中で一番の聖域がこの御嶽。国王が神と交信する場所である。北山王は隣の中山王に攻め滅ぼされたが、その際にここで髪をののしってから自害したと言われている。

自害する時に使った宝剣「千代金」はなぜか身を切ることができず、腹を立てた王は眼下にある川へ投げ捨てた。その宝剣は後に川沿いの村落から中山王に献上されて、現在は国宝として博物館に収蔵されているそうである。

城から見た中山(那覇)方向。沖縄は狭いようで意外に広いのだ。残りの城郭も復元作業中。確かにこの場所は城を作るにふさわしい所だと思う。

中庭の隣が王族の住む建物があったところ。礎石が残っている。カルストの岩山の上に築城しているので、平地を作るために古墳造りと同様の建築方法が応用されている。

帰ろうと思ったら三毛猫がいた。馴れているのか、人間を恐れることも無く、とてもマイペースだった。

城を下りると兵馬の訓練をしていた広場に通じる道を発見。入口がわかりにくいために他に人はいなかったけれど、案内表示があるので立ち入り禁止ではないと思う。

実に気持ちが良さそうな草原。しかし、草の下には尖った岩がたくさんありそうなので、ピクニックをするには場所を考えないとお尻が痛くなると思った。この庭の地下には亀裂や洞窟があり、城外に出られる秘密の通路がある。記録に載っているので秘密ではないけれど、現在は内部が崩落しているために立ち入り禁止となっていた。どうせなら、こういう場所も復元して欲しい。観光客は間違いなく喜ぶはず。

この草原広場にも寒緋桜が咲いていた。

他にも色々な木々が植えられていたけれど、これはシークワーサー。飲み物としてはよく知っているけれど、原木を見るのは初めて。実だけではなく葉も良い香りがする。葉を使ったお茶も出来そう。

美しい曲線を描く城壁。手前は行政関係と官吏の居住する施設があった。

城壁でまた三毛猫に遭遇。凄い移動距離である。こんなに広い場所を縄張りとしているのだろうか?受付の女性に訊いたところ、昔、北山王の妃となった絶世の美女「志慶真乙樽(しじまうとぅだる)姫」の生まれ変わりだと言われているそうだった。志慶真(しじま)は彼女の生まれた村の名前。

 

 

この乙樽姫という名前はアニメキャラクターにも使われているが、彼女には有名なエピソードがある。乙樽姫が妃となった時に王はすでに還暦近くの老齢で世継ぎが無かった。ところが奇跡的に姫が身ごもり、王は喜んだけれど、子供が生まれる前に逝去してしまった。しかし、王の死後に待ち望んでいた男児が生まれ、それを喜んだ歌が残っている。

 

 

『今帰仁のぐすく 霜成の九年母 しじま乙樽がぬちゃいはちゃい』


沖縄で城の事をグスクと呼ぶ。九年母とは沖縄でクニブーと呼ばれる柑橘類。通常は春に花が咲いて、秋に実を付ける。ところが稀に秋に花が咲いて冬に実が生ることがある。これを季節外れの霜月(11月)に生った九年母と呼ぶ。つまり、老齢の北山王と乙樽姫の間にできた世継ぎを例えた表現。「ぬちゃいはちゃい」は子供をあやしている様子。

 

従って、現代意訳は「今帰仁の城で思いがけずに老齢の北山王に誕生した御世継ぎを、妃の志慶真乙樽(しじまうとぅだる)姫が愛おしみあやしている」と言う意味になるはず。

 

こういう歴史と解説をセットにして観光をすると、楽しみが倍増する。最近はスマホですぐに検索できるのでとてもありがたい。

 

この城外に設けられていたのが今帰仁村に属する美しい古宇利島の火の神を祭る御嶽。島内にあったものをここに復元したそうで、古宇利島の神事はここで行われているそうだった。

古宇利島周辺は海底が白いサンゴ礁の為に海が緑色に輝いていることで有名な島。ジュゴンも生息している。これはガイドブックの画像。見たいけれど、天気を変えることはできないので残念。

自分の場合、観光客がいない所に行きたがる性格なので、火の神の祠の裏にも行ってみた。古い建築の礎石などがあり、その端まで行くと、「ハンタ道」と呼ばれる古い登城路の案内表示があった。

 

こいつは行く価値があると思い、森の中に入る。亜熱帯の植物が多い茂る森は心地良いけれど、未知なる毒蛇ハブの不安はあった。マムシやサソリなどには慣れているけれど、ハブの生態は勉強不足。でも、同じ毒蛇なら人間の気配を察して逃げるはずだと思い、わざと足音を立てながら歩いた。

途中にも火の神の祠があったけれど、ここでは地元の女性たちが何やら神事の準備をしていた。最初はこんな奥でピクニックでもしているのかと思ったけれど、よく見ると御線香やお供物を大量に並べているところだった。お邪魔しないように、ご挨拶だけして通り過ぎる。この道を最後まで下りると海に出られるそうだった。昔、村の人たちが実際に城との往来に使用していた道なのだ。今は脇に車も通れる市道がある。

道の状態は未舗装路と、石が露出した部分がある。石は長年の往来で削られ、表面がツルツルになっているのでとても危ない。それ以上歩くのは時間の無駄だと思い引き返す。

 

ランチをしていなかったけれど、観光地の食堂は美味しくないので我慢して移動。それに、こちらの飲食店はランチタイム後に中休みを取るので、食べられる所も少ない。一食ぐらい抜いたところで全く問題はないと思って車を走らせていると、現地の建物らしくない、面白い建物を通り過ぎた。戻ると、食堂らしいので、ダメ元で入ってみる。

入ると湘南海岸にでもありそうな、お洒落なカフェ風レストランだった。手作りのケーキ類も綺麗で美味しかった。

味や盛り付けが他の沖縄料理店と違うので、色々な飲食経営のノウハウを学んだのだと想像していたけれど、やはり経営者は外地の人だった。沖縄料理は家庭それぞれで味付けや調理方法も異なるらしいが、総じて淡泊であっさりな気がする。しかし、生まれも育ちも沖縄で外へ出たことの無い人は余所との違いがわからないから、そういう人が経営する古い地元の食堂はずっと同じ味付け。それが伝統とも言えるけれど、変化がなく単調になりがち。

これはどこでも同じ事。新しい風や空気を運んで来るのは外地の人が多い。私の地元横須賀でも、ちょっと変わったお店をやっている人は、外地から来た人や、他の世界を経験して来た人。コテコテの単なる地元民は偏見や先入観も強いので、発想の柔軟性に欠けると思う。それは沖縄でも同じようだ。

これはチーイリチャーという豚の血を使った炒め物。他のお店だと血や脂が多くてレバー炒めみたいだけれど、こちらでは血の臭さを緩和するために野菜を多目に使っていた。オーナーは関西出身なので、私のような関東人はもっと濃い味が好み。しかし、関西人は出汁のこだわりが強いので、ソーキソバなどのスープは美味しいと思った。

せっかくなので、沖縄らしいアイスキャンディーをいただく。余所者ならではのお洒落な発想。外にもオリジナルの自販機が置いてあった。

こういう素敵なお店は是非続けてもらいたい。沖縄は地元意識がとても強く、余所者を区別する傾向が強いらしい。それは、他の場所でも聞いた。引っ越して来ても、現地に溶け込むまでに凄く苦労するらしい。狭い島なのに、縄張り意識や、プライドが強いそうなのだ。車の運転や普段の言動を見ていると、とても温厚に見えるけれど、やはり余所者には見えない部分があるのだと思う。

 

田園風景の中を走っていると急に目の前が開けた。運天水道が曲がりくねった先にあるのが古宇利島。それをつなぐのが古宇利島大橋。

ここは今帰仁と屋我地島を結ぶワルミ大橋で、晴れていれば水道も青色なのだろうが、曇り空なので色が暗い。

この水道の奥にあるのが重要港である運天港。伊豆の大島に流罪となっていた源為朝が沖縄に逃げて来る際に嵐に遭遇し、「運は天にある」と言いながら、この地にたどりついたのが名前の由来だとする伝承が残っている。面白い事に、琉球の正史では王家の始祖を源為朝の落胤だとしている。日本に帰属した後で書かれた文献ではなく、古くから王家に伝わる正史であることが重要。

古宇利島は小さな島なので、車でぐるりと一周してみた。島の山頂にはオーシャンタワーという展望台&観光施設があったけれど、道からも遠景は見えるし、曇り空で寄る意味も無いと思い、橋の近くの道の駅に立ち寄る。

道の駅から海岸に出ると、曇っていても青い海が見えた。晴れていたら、さぞかし美しいと思ったけれど、仕方がない。

周囲はやはり大陸系の観光客だらけ。そのせいか、あちこちの案内表示も中国語とハングル語が多い。しかし、最近の彼らのマナーは一時期の成金世代よりだいぶ良くなって来ているので、それほど気にはならない。

帰りに立ち寄った許田の道の駅。沖縄風の建築で屋根は赤瓦だった。お土産店の品物が充実しており、地元の野菜や海産物が色々あった。ピーナッツを使ったジーマミー豆腐とタンカンを買う。柑橘類は数種類あり、味見ができるので、その中で一番美味しかったのがタンカンだったのだ。茶色い皮をしたオレンジという感じ。

見る機会はなかったけれど、これが天然記念物の「ヤンバルクイナ」らしい。剥製標本だった。

この日の宿泊先は丘の上にある高級住宅地の奥にあった。向かう途中で食事をする場所を探したけれど、住宅だけでお店の類は一切無し。なので、荷物を置いて、車で外出。

適当に勘で走っていると、面白そうなお店を発見。屋根に色々なシーサーが飾られている。ここも沖縄料理レストランだけれど、色々食べて、地方の違いなども比較しようとしているので、苦にはならない。

何も考えずに入ったら、お店の中は全部アメリカ人。まあ、米軍基地があるのだから当然だろうと思った程度。私の地元だって基地の規模は小さいけれど、米軍基地近くの繁華街に行けば似たようなものだ。しかし、表示も英語が主体で、客席にも日本人が一人もいないので、念のために「日本円は使えますか?沖縄料理もたべられますか?」と訊いてみた。すると、日本人は滅多に来ないし、観光客は不安に思って帰ってしまう人が多いので、嫌だったら帰っても良いですよ、と言うのだ。

そこまで言われると、もしかして、食事もアメリカナイズされたものばかりで、美味しいものはないのかもしれないと思って、メニューを見せてもらう。すると、カリフォルニアロールなどのアメリカン巻き寿司とラーメンヌードル類を中心として、そのほかに沖縄料理もあった。一安心したので、せっかくだから美味しい沖縄料理を出してくれと言う。

 

すると接客してくれたのがアルバイトの地元の女子大生。この子がとても友好的で、地元の情報も教えてくれるし、話すのがとても楽しくなった。それで彼女のお勧めのソーキソバ(沖縄そば)&ポキ丼(ハワイのマグロとアボガドの漬け丼)セットを注文。

地元の彼女の勧めが無ければソーキソバは食べるつもりはなかった。なにしろ、すでに3回くらい食べていて、大体同じような味だと言うことがわかっていたからだ。本土の沖縄料理店のも似たような感じで大差はない。正直飽きて来ていた。しかし、違うことを教えられた。肉とスープの味が違うのだ。

 

彼女はここ以外にも掛け持ちのアルバイトをしていて、そのお店の近くにアメリカ村と言うのがあるらしかった。そもそも、沖縄の中部は大部分が米軍基地なので地元民もアメリカの一部だと思っているくらいで、英語も自然と喋れるようになるらしい。

 

と言うわけで教わった方へ行くと、暗い海岸沿いに突如明るい街並みが現われた。周囲の閑散とした街並みとは違和感がある。

何だここは? ディズニーランドの中に入ってしまったような雰囲気。建物もテーマパークみたいである。しかし、その建物は表だけの張りぼてではなく、ちゃんとした本物のお店だった。夜なので来場者も少なく、車を停める場所には困らない。

車を停めた前はクリスマスランドと言う建物。外も中もサンタクロースだらけ。

よく見ると、上までがクリスマスツリーに見立てられてデコレーションされているのだ。このスケールは凄い。上は宿泊施設になっているのかもしれない。

すでに閉店しているところが多かったけれど、建物の照明は点いたままなので、見ているだけでも楽しい。


外のアイスクリーム屋さんはアメリカングラフティーなどの映画にも登場しそうなデザインと色。こういうのは横須賀の米軍基地にも欲しいくらい。いつも思っているけれど、米軍基地は国境や規制を緩和し、アメリカンテーマパークとしてドルも日本円も使えるようにすれば楽しいと思う。その代わり、治外法権は撤廃だな。平和な日本で生活したいならこちらの法律と道徳に従うべき。今だって、基地の外で問題を起こしても、基地内に逃げ込むと干渉ができなくなるわけだから、これは不公平。そういう人間は米軍の極少数ではあると思うけれど、その手の不良分子は米軍にとっても厄介な存在なのだから、公平に処罰するべき。

実際にこの町ですれ違うのはほとんどがアメリカ人ばかり。日本人は売店の店員くらい。彼らは在沖縄米軍基地関係者なのだろうけれど、アメリカ風のテーマパークで働いているスタッフみたいに思えて来た。

食後の口直しにブルーシールに入ったら、ここも日本人は店員と自分だけ。

「ブルーシール」はアメリカのアイスクリーム屋さんが沖縄で営業する際に使った店名。この支店が鎌倉にできたけれど、それほど人気は出ず、撤退している。

 

この日は寒かったので、アイスは止めてコーヒーでも飲もうと思っていたけれど、チョコミントとコーヒーを合わせたホットドリンクがあると言うので注文する。

初体験だけれど美味しかった。

 

飲みながら店の外の風景を見ていると、どこにいるのかわからなくなる。これが沖縄の現状なのだ。アメリカの一部の様な環境。日本人の居住区の中に米軍基地がある横須賀や厚木、横田などとは正反対。まるで、米軍基地の中に日本人が住んでいるみたいなのだ。

バーでは水タバコを吸いながら騒ぎ、酔っぱらったアメリカ人が道にあふれている。自分は同じく米軍基地のある横須賀の育ちでもあるし、六本木のクラブなどでも遊んでいたので、無意識に防御体制をとったり、あしらう方法も知っているけれど、免疫がない日本人なら不安になると思う。特に女子はそうだと思う。ここにもいたけれど、六本木では歩いている女性に平気で声をかけたり、寄って来るのだ。こういう行為自体が態度がデカいと思うけれど、沖縄が六本木と違うのは、最初から日本語を話さずに英語が当たり前のように話す点。更に態度がデカいのだ。付け加えると、米軍関係者ではなくても、日本人女性にちやほやされた経験の豊富な外国人や日本人の白人コンプレックスを知っている連中は同じ態度をとる。この手の外国人は都会に多い。我々が海外に行って、いきなり日本語で会話を始めたって誰も相手にしてくれないはずなのに、我々はお人好し過ぎるかもしれないなあ。

 

私の場合、どこでもいきなり英語で話しかけて来る奴は無視して、日本語で返事をしている。ちなみに、私の周りの外国の友人は片言の日本語でも挨拶をするし、日本語も少しなら大丈夫ですよ、と自分から言って来るものだ。

 

本当はどこかのバーで沖縄の米兵たちと飲んでみたいところだったけれど、車だったので断念し、コンビニで地元のアルコール飲料を買って帰った。ギリギリで大浴場を使えたので、そのままグッスリだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正月休みの後のシーズンオフはお得だという事で、初めて沖縄に行ってみることに。昔から、沖縄にいそうだと何度も言われているものの、実際には行ったことが無かった。天邪鬼な性格の為、大勢が騒いでいる所には行きたくなくなるのだ。だからディズニーランドも何十年も経ってから行った。スキー&スノボーが流行した時も行かずじまい。その後に行くのもマイナーな地方のスキー場。東京タワーもスカイツリーも仕事や誰かのアテンドで行ったのが最初。好奇心は人一倍旺盛なのに、いつも流行遅れ。

 

と言うわけで、沖縄の青い海だ、ダイビングだ!とみんなが騒いでいるのを白い目で見ていたわけだけれど、沖縄の歴史と文化にはとても関心があった。特に関心があったのは沖縄の空手。空手発祥の地の本物を体験したかったのだ。それと柳田國男や折口信夫、岡本太郎たちが関心を持った独特の民俗。

 

それはともかく、早朝の飛行機に乗って、機内で仮眠を取って、すぐにレンタカーを借りた。運転前に保険に加入して、車両の傷の確認。外国に着たような感じだけれど、道交法は同じだという事で走り出すと、凄い豪雨。

天候が悪い事は来る前から予想していたので、高速道路のPAで休憩しながら当日の計画を練るつもりで、立ち寄ると、売店の商品が沖縄らしくて面白い。名産の紫イモ、サータアンダギーなどのお菓子類が並んでいた。甘いものより喉が渇いたので、何か買おうとすると、「サンピン茶」と「たんかん」という聞いたことの無いペットボトルがあったので購入。

すると「サンピン茶」はジャスミンティーだった。タンカンは沖縄の柑橘系のジュース。サンピン茶には騙された感が強かったから,その語源を調べると、昔は「香片茶」と呼んでいて、その中国語の発音がシアンピエンチャなのでサンピンになったとする説があった。現在はジャスミン茶は中国語で茉莉花茶(モーリーフワチャー)と言うのが普通。

 

この日は天候が悪そうなので、天候に左右されない屋内の観光をすることにして、美ら海水族館までまっしぐら。交通量は少なくて、快適だと思っていたのに、高速道路の突き当りを下りたら、悪天候なのにマラソン大会があったらしくて、大渋滞。

暇つぶしに沿道を見ていると、石でできた家の形をする物体が多数並んでいた。よく観察していると墓地であることがわかった。墓にしては異常に大きく、造作も凝っているけれど、これは死後の世界も安心して暮らせるようにとの願いを込めて、立派に造るのだそうだ。現在は仮装であるが、昔は風葬と土葬であった。海外の土葬の墓とよく似ているのはそのせいである。距離的に近い大陸の思想の影響もある。

 

しばらく走ると、直線を基調とした面白い建物を発見。名護市の市役所だった。現在埋め立てで問題となっている辺野古は名護市に属している。位置的には市役所のある海とは山を越えた反対側の海になる。

カーナビのお蔭で無事目的地到着。しかし、ランチタイムを過ぎた時間帯だったので、途中のレストランは全て休みで、食べないままで水族館見学をすることになった。入口にはこの水族館名物のジンベイザメのモニュメントがある。

とりあえず腹ごしらえの為にフードコートでソーキソバを食べる。本土の沖縄料理のお店で出されるのと大差ない味。どこでも似たようなものなのかと思った(後から違う事を知る)。周囲は中華系の観光客ばかり。恐らく日本人より多かった。

雨は止んだけれど曇っているので気温が上がらす、風も冷たい。聞いていた青い海の常夏の沖縄ではない。沖縄にも冬があるのだなあ。車に上着を置いて来てしまったけれど、敷地が広くて戻るのが面倒くさいので、寒いのを我慢してイルカショーの参観。ショーは無料なのが驚いた。

しかし、ショーの内容は江ノ島や鴨川と似たようなものなので、これだけだと、まだ沖縄にいる実感が全く涌かない。それにしても、イルカの姿は流線型で美しい。羽根を生やせは空を飛べそうな気がする。

イルカとクジラの区別は身体の大きさの違いだそうだけれど、この時期、ザトウクジラは繁殖の為に沖縄周辺に集まる。それを利用してホエールウォッチングができる。ダイビングや海水浴客のいない冬季に観光客を呼び込むのに格好のイベントなのである。クジラの目撃率は9割以上と言われている。なので、天候を見て、可能なら参加するつもりだった。

イルカのプールの隣は海亀ゾーンになっている。プールが綺麗な青色なのは元々の塗装で、この時もまだ曇っていた。晴れていれば、海も綺麗なはずなのに残念。

下に降りる階段があり、海亀をガラス越しに見られるようになっている。これは楽しい。子供が四つん這いになって泳ぐ海亀を一生懸命追いかけている様子が可愛らしい。浦島太郎が海亀の背中に乗って竜宮城に行くと言う話はあり得るかもしれないと思った。

その隣はマナティーの水槽。殺風景な水槽で少し可哀想な気もする。都会の水族館はスペースに限りがある分、質や内容にこだわるので、水槽の装飾や雰囲気もよく考えられている。ところが、ここのはコンクリート剥き出しの、まるで監獄みたいな空間。俺がマナティーなら、すぐに逃げ出したくなる。コンクリートに絵を描くとか、姿を隠せる、流木や岩などを置いてあげれば良いのにと思う。

 

水面に人参やキャベツなどが浮いているのをゴミかと思ったら、餌だった。マナティーと似ているジュゴンは海底の藻類を食べるけれど、マナティーは川に棲んでいて、浮いている植物を食べるのだ。

その他の違いは、ジュゴンは尾ひれがクジラと同じような三角形をしており、マナティーは円いしゃもじ型。隣ではマナティーの健康診断が行われていた。水槽の壁面も汚れているのだから、こういう時についでに掃除をするとか、お色直しをしてあげたら良いと思う。

屋外に出ると、少し雲が途切れて陽が射して来た。沖縄に来て初めて青い海を見られた。それにしても風が冷たい。

すでに日が傾いているので急いで水族館に入る。すると窓口のスタッフが午後4時過ぎに入ると入場料が安くなるから、少し待った方が良いですよと教えてくれる。何と親切な人なのだろう。

さすが南国の水族館。綺麗なベラ類がいた。しかし、沖縄は水族館ではなく、その辺の海に潜っても当たり前のように熱帯魚たちがいるはずなのだ。ダイビングをする人たちは沖縄の海全部が水族館みたいなものだと言う。

夏にバイクで沖縄を一周した友人の動画では、シュノーケルで少し潜っただけで色とりどりの熱帯魚が泳いでいたから、これごときで喜んでいる場合ではない。

これは大きなチョウチョウウオ。これも沖縄にいるらしい。面白かったのは横歩きが出来ずに、前後に歩くアサヒガニ。普段は砂の中に潜って眼だけを出している。

食べると美味しいカニらしい。この時はエイと喧嘩していた。ヒレをハサミで挟まれたエイが暴れていた。干渉する設備としては美術館、博物館、劇場などがあるけれど、いつ来ても飽きないのは水族館なのではないかと思った。どれほどすぐれた芸術品や舞台でも、何度も見れば飽きて来るけれど、水槽は何時間でも見飽きることが無い。

サカナ君の被っている帽子で有名になった箱フグ。しかし、フグやハリセンボンの仲間たちは、その愛くるしい顔からは想像できない、肉食魚なのだ。他の魚と一緒に飼うと、小魚を襲って食べてしまうと言われている。

1m近い巨大なエビ。水槽が湾曲しているので、その凸レンズ効果もあると思う。近くに比較する物体が無いので、単独の写真だけだと、その大きさがよくわからない。美味しいのか?何人分の肉になりそうか?などと、すぐに食べることを考えてしまう。

 

沖縄ならではの展示として、沖縄アマガエルがいた。沖縄には大きな河川や湖沼が少ないので、本土にいるような山魚は見られないらしい。

その他に、沖縄の海にいる危険な生物の紹介。有毒な棘を持つゴンズイとミノカサゴ。これは本州にも良く見られる。特にゴンズイは多い。

これもよく知られたガンガゼ。長い棘のウニ。移動が意外に素早い。マリンスポーツの関係者たちは「ガンガゼは人を見ると走って来る!」と恐れる人もいるほどだ。

ウツボは毒を持たないけれど、葉が鋭いので危険。見た目も怖い。魚の中で「凶相」ランキングをつけるとすれば、サメ類と並んで上位に来ることは間違いない。

しかし、この程度は普通の展示ばかりなので、特に驚くこともなかった。

二階に上がって、水族館の紹介をしている映写室に入ったら、ちょうど上映が終わったところだった。何だ、終わりかと思って出ようとしたら、スクリーンのある壁が開いて、青い光が射しこんで来た。その時に広がった光景には驚いた。スクリーンの裏側は巨大水槽だったのだ。

噂に聞いていた大水槽は凄い迫力だった。大阪の大水槽も素晴らしかったけれど、こちらはそれより大きいらしい。ジンベイザメは二匹泳いていた。飼育しているのは合計三匹で、もう一匹は海中で飼育観察をしているらしい。

ガラスに近づいた時はカメラに収まりきらない大きさ。巨体には小さすぎるピンポン玉のような目玉とプランクトンを一気に吸い込む大きな口がよく見える。世界最大の魚類、怖くない優しいサメとして子供たちにも大人気。

 

マンタと呼ばれる大きなオニイトマキエイも複数泳いでいる。これこそが「美ら海水族館」の存在意義なのだ。

ガイドブックに載っている紹介写真はこの大水槽を一階から見上げるものがほとんどで、二階からの眺めを紹介しているものは少ない。自分も全く知らず、偶然に見ることができたのはラッキーだった。まさか、映写室から見えるとは思わない。

悠々と泳ぐジンベイザメを見ていると、突然脱糞を始めた。とても貴重な場面だと思ったけれど、その後は水が濁って大迷惑だった(笑)。

しばらくすると、映写室で係員の説明が始まった。ジンベイザメやマンタなどの簡単な紹介があり、その後で餌を与える場面が見られるとのことだった。

大水槽の上に係員の姿が見えると、魚たちの動きが活発になる。それまでは同じ方向にゆっくりと規則的に回遊していた魚たちが、係員の影の下に集まるのだ。係員が餌を撒き始めると、口を開けて餌に殺到する。ジンベイクジラも大きな口を開けて水ごと餌を吸いこんでいた。餌を合理的に一気に呑み込むために、餌の真下に垂直に立ち泳ぎまでしていた。

ジンベイザメのエサは小さなアミ類だけれど、マンタや肉食の魚用にはイカの切り身が撒かれる。

これに集まるのがマンタの群れ。ヒレの形が普通の魚と異なるため、色々な泳ぎ方ができるし、方向転換が自由自在。まるで飛行機の曲芸飛行を見ているかのよう。

普通のエイはこのように身体の下にエラと口があるけれど、マンタは前にジンベイザメの様な大きな口を持っているので、大きく口を開けながらエサを吸いこんでしまう。口の中の色によって種類を区別できるそうだった。

餌の時間が終わったので一階に降りると、違った角度の大水槽を見ることができる。これがガイドブックに載っている場所である。

水槽の前にいる観客と比較するとジンベイザメの巨大さがよくわかる。この水槽の周りは見学スペースのほかに喫茶も可能。ちょうど喉が渇いたので一休みをしようと思っていると、運よく水槽脇の席が空いた。

ここからは水槽の上下を行きかう魚たちを間近で見ることができた。その後は資料コーナー。ジンベイザメの胎児は同じ格好をしている。一体から300匹もの胎児が発見されたこともあるそうだ。

この水族館のジンベイザメ飼育記録は世界最長の23年で、現在も記録更新中。ジンベイザメ飼育の先駆者であり、その影響を受けた大阪や全国各地の水族館でもジンベイザメの展示や飼育を行うようになっている。大きくなると水槽での飼育は難しいために海に戻すらしい。関東では八景島シーパラダイスで見ることができる。

 

その隣がサメの大水槽。

水中を泳ぐ生物としては最も美しい身体の持ち主だと思う。イルカも美しいけれど、個人的にはこちらの方が迫力があって好き。車で例えると、イルカはポルシェ。サメはランボルギーニやフェラーリだと思う。ジンベイザメは昔の巨大なアメ車。

沖縄やハワイではサメの歯をアクセサリーとして売っている。これは色々なサメの歯の実物の展示。触ることができる。外側の歯が抜け落ちても内側に何重もある歯が次々と生えて来るのだ。人間は虫歯や歯周病で抜け落ちたら、二度と生えてこないので、羨ましい。歯科医師たちは是非サメを研究して、歯の再生を実現して欲しいものだ。今の歯の治療は掘って埋め戻す土木工事としか思えない。あれでは治療ではなくて工事である。

 

帰ろうと思ったら、気になる扉を発見。黒く塗られたエレベータで、係員が利用するものに見えたけれど、近くにある表示をよく読むと、大水槽の上に出られるようなことが書いてある。もうすぐ閉館の時間帯でもあり、ほとんどの見学者はその扉の前を通り過ぎてしまうけれど、気になったのでエレベーターに乗ってみた。すると本当に大水槽の上に行くことができ、係員のガイドを聴くこともできたのである。これはラッキーだった。

ジンベイザメやマンタの説明を違った係員からも聴くことができ、魚たちが泳ぐ様子を真上から見ることもできる。上に懸けられた見学と餌撒き用のブリッジは透明アクリルで下が見えるようになっているのだ。

 

閉館ギリギリまで見学して外に出ると、水族館の外観にイルミネーションが灯されていた。

駐車場へ向かうスロープはエスカレーターと階段があるが、寒いし、運動不足なので、敢えて階段で一気に上まで上る。

入口のジンベイザメの照明は色が変化する。ほとんど人の姿も見えない。

大きな駐車場に戻ったら自分の車だけがポツンと残されていた。沖縄で一番多いのがこのサイズのレンタカー。私のは青いトヨタのビッツ。目立つ色なので探すのが楽。高級外車のレンタルもできるそうだったけれど、移動目的なので、軽快&快適性を重視。結果としては大正解だった。気付いたのはレンタカーはナンバーの仮名が全て「れ」と「わ」で統一されているらしいこと。調べると、沖縄に限らず、元々全国のレンタカーは「わ」が割り当てられていたが、使えるナンバーが無くなってしまい、「れ」を使うようになったらしい。

 

これに気付いてから車を観察していると、沖縄には驚くほどレンタカーが多い事に気付く。観光地やホテルの駐車場はほとんどがレンタカー。高速道路や市街地でノロノロ走っている、異常に飛ばしているのもそう。また海外から観光に来た人たちも多いので「外国の方が運転しています」ステッカーを貼っている車もある。それ以外には、基地のある街なので、米軍関係者の「Y]ナンバーも多い。{Y]を横須賀の頭文字だと思っている人も多いけれど、全国共通で米軍関係者の車の事を表している。この違いがわかると、事前に用心して運転することができるのが便利。

それと、沖縄の人の運転はとてものんびりとしていており、道路標識の速度をよく守っていることがわかる。元々交通量も少ないうえに、道路の舗装状態も良いので、一般道ではスピードを遅く感じてしまいがち。遅すぎると思うけれど、メーター表示を見ると道路標示に近いことがわかるのだ。しかし、複数の車線があっても、同じくまったりとした速度で団子状態で走るため、後続車が抜けなくなることも多い気がした。特に地方に行けばいくほどそう。

 

夜に食事をする場所をホテルのフロントで紹介してもらう。沖縄民謡を聴きながら食事ができる居酒屋があると言うので行ってみる。私のほかには埼玉、名古屋、北九州の旅行者たちがいた。途中で道に迷って地元の人に尋ねると、地元民はその手の店に行かないので知っている人も少なく、ネットでわざわざ検索して教えてくれた。

演奏の合間には沖縄文化についての解説をしてもらえるのが面白かった。彼らが演奏する楽曲の背景には歴史と文化があるので、説明があるとより楽しむことができる。ラッキーだったのは彼らの三線(琉球三味線)の師匠がたまたまお店に遊びにいらしていた事。師匠の演奏と解説は非常に面白かった。宮廷音楽と民謡の違い、各地方の演奏法と流行の変遷、踊り方の違いなどまでを詳しく解説していただけたのは本当に幸いだったと思う。特に、沖縄空手家同士をけしかけて、試合をさせる時の楽曲などはノリも良くて、楽しむことができた。

 

驚いたことに、この中で全ての楽器をこなす一番芸達者な女性が師匠のお嬢様。そして、三線を弾いている若い女性は彼女の長女なのだ。お子様は全部で8人。つまり親子三代で沖縄の音楽一家なのである。

 

ちょっと昔、「どんと」というとてもユニークで自然を愛したミュージシャンがいた。若くして脳内出血で亡くなっている。彼が名声の絶頂期に移住したのが沖縄。私の周りのレゲエ仲間たちや自然を愛する友達の間ではとても評価の高いミュージシャンであり、ご逝去後に神奈川や地元の横須賀市内で追悼イベントも行われた。

どんとの奥様のサチさんは沖縄の生命エネルギー「アマナ」と名付けた楽団を結成して今も音楽活動を続けていらっしゃる。以前に横須賀の友人のお店でも彼女をご招待してライブをしていただいたことがある。その話をふと思い出したので、話してみると、なんと三人いるメンバーのお一人が近所のご出身とのことであった。それを話してくれた楽団の女性は「不思議なご縁で鳥肌が立ちました」とおっしゃっていたけれど、その通りだと思う。

 

部屋に戻って、コンビニで買った面白いアイスを食べる。

初めて来た場所なのに、とても居心地が良くて、不思議な感じがするものだ。