明けましておめでとうございます。
今回の年越しは慌ただしく、全くお正月気分が無かった。元々、連続している時間に区切りや期限を設けることが性に合わないこともある。メールやSNSが普及してきているので年賀状の苦労は大分減ってはいるけれど、色々な雑用が重なる。なので、ブログの更新も放置したままであったから、ついでに当時を振り返ってまとめた。
昨年の漢字一文字は「災」だったらしいけれど、東日本大震災の起きた2011年は「絆」。漢字能力検定協会のアンケートによって民衆の潜在意識にある感情が浮かび上がる。
災いが多い昨年だったという事であるが、今回の冬は庭の実が大豊作。金柑は鈴生り状態で、しかもそのまま種まで食べられてしまうほどの甘さ。種特有の苦みが一切ないのだ。
センリョウとマンリョウも枝が曲がるほど実が生っている。天変地異などがあると生物は子孫を残す本能が促進されるという説もある。
この隣に植わっているイチョウの樹は学生時代に特殊な訓練の為に手足を叩きつけて鍛えていたせいで、幹の部分に穴が開いてしまった。途中で影響のない(生命の無い)電信柱を相手にするようになったけれど、今でも見るたびにとても申し訳なく思っている。再々にその後樹皮が再生したので、現在はこぶ状になっている。
年末に常連だった40年以上も続いた老舗ラーメン店が店仕舞いをした。昔は松竹撮影所があり、予備校の学生たちで賑わっていた街であるが、最近は閑散としていた。
最近は駅近くのファーストフードやコンビニ弁当で済ませる人が多く、わざわざ離れた場所までラーメンを食べに来る人は減って来ているらしい。
自分は趣味のアルゼンチンタンゴのスタジオが近くにあるので、毎週レッスン後に立ち寄っていたのだ。食べてから、海岸の公園でレッスン内容を復習してから帰るのが習慣。
一番好きだったのは脂身の少ないチャーシュー麺。これはタンメンだけれど、野菜たっぷり。餃子も美味しかった。
バブル時代には店の外まで長蛇の列。カウンター席は6人掛けで狭く、待ち切れないので、何度も行列を眺めるだけで通り過ぎたものだった。それが、最近は満席は滅多にない状態だった。お蔭でオーナー姉弟の昔話が色々と聞けて楽しかった。
それにしても、自分のラーメン好きは大したもので、最低でも週4日は食べているはず。ひどい時には、ランチに食べたばかりなのに、夜もまたラーメンを食べていることがある。何を隠そう、今年の年越しがそうだった。
贔屓にしている有名ラーメン店から年越しの500円サービスラーメンのご招待をいただき、指定された時間に行って来た。空いているはずだと言われた時間なのに、まだ行列は続いており、食材が無くなりそうで心配だったらしい。
なにしろ、日頃のご愛顧に感謝を示すため、完全に赤字覚悟で作り上げる逸品なのだ。まるでおせち料理の様に豪華な内容。表面を見ただけでも凄いのに、スープの下にはチャーシューが二枚と、蒸し鶏が隠れている。
年末は車とバイク掃除が後回しであったから、午後に掃除を済ませ、バイクの調子を見るためにチョイ乗りに出かけた。
午後の遅い時間帯に出かけたので、途中で日が落ち寒くなって来た。すると、寒い時にはやはりラーメンだなあと、条件反射で友人から聞いていたお店に入ってしまった。
注文してから、ランチは何を食べたのだっけ?と考えて、自分のラーメン気違いぶりに驚いた。よく考えたら、前日の夜もニンニク入りのラーメンだったのだ。私の場合、言葉自体に罪はなく、使い方に問題があると考えるので、「気違い」などの、いわゆる放送禁止用語などは全く気にしない。そもそも半端な綺麗ごとを言いたがるインテリたちが決めた事だ。自分に対して使うことで文句を言われる筋合いはない。
昼はあっさりの魚介出汁で夜は豚骨だったので、喉は通るけれど、さすがにもう良いという気分。ちなみに、ラーメンではなくて日本蕎麦やパスタ類ならまだいける。正確にはラーメン気違いではなくて、麺類気違いだと思う。
年越しそば(ラーメン)も食べたので、帰宅してSNSをチェックしたところ、オーストラリア人の友人から紹介された外国人主体のバイクグループの元旦ツーリングの知らせが来ていた。いつもなら除夜の鐘を撞きに行き、帰りに氏神様に初詣をして寝正月のはずだけれど、急遽参加を決定。5時起きなので、早目に寝てしまう。
彼らの目的は箱根の山の上から富士山と記念撮影をしてから、ラーメンを食べる事。なぜか、そのドライブインのラーメンがみなさんお気に入りらしい。またしてもラーメンが出て来た。しかし、この時期の箱根は路面凍結や積雪があるので、まともな地元の日本人ライダーなら行かない。前夜にSNS上で私も問題提起をしたけれど、どうしても行きたいらしかったので、天気の様子を見ながら付き合うことにしてみた。
元旦の朝は雲が多かったけれど、晴れる予報。この時はまだ太陽が見えていないけれど、走っている間に上ったみたい。
実際に陽が射し始めたのは横須賀を出て、江ノ島近くに差し掛かった頃。空気はまだ冷たいけれど、すがすがしい元旦の朝日。
陽が出ると暖かくなるから、箱根の雪が溶けていることを願うのみ。しかし、平地を走っているぶんにはとても爽快。
先導しているのは外国人たちだけれど、日本でのマスツーリングにも慣れていることがわかる。それに、米国軍隊関係者は集団行動の訓練を受けているので、臨機応変な判断と行動をとることができる。かなりの猛者たちであることは、見ていれば一目瞭然。
こういう所は流石に世界最強の軍隊の片鱗だと思う。政府はドラエモンのジャイアン的なところもあるけれど、素晴らしい人たちも多いのだ。政治に徳と哲学が伴ったら正しく世界最強のはずなんだけどね。
山頂にあるドライブインで記念撮影をするためにバイクを並べる。みんなはレストランでラーメンを喜んで食べていたけれど、自分はラーメンが続き過ぎているので、さすがに食べる気にならず、ノンアルコールの甘酒とホットドッグのみ。
移動していると観光客たちが話しかけて来る。車椅子のご両親に元旦の富士山を見せに来ていた人が何組もいて微笑ましかった。外国人にとっては単なる新年の第一日目だけれど、日本人にとっては重要で神聖な一日でもあるのだ。
これを仲間に言ったら「ISAはとても日本人だね」と言っていた。見掛けも乗っているバイクも日本的ではないけれど、中身はバリバリの日本侍だからね。
集まった人間たちも多国籍であるが、バイクのメーカーも多国籍。
アジア系の人もいるけれど、片言の日本語しか話せない。逆に如何にも外国人なのに流暢な日本語を話す人が多くてびっくりする。
言語的なセンスの問題もあるけれど、言語能力とその国に対する思い入れは比例することがほとんど。日本語が上手い人は日本に関心を持ってくれている証拠。なので、とても嬉しい。
一方の自分は英語を話す機会が減っているので、復習しながら話している感じだった。勘が鈍っている。
自分が来ているデニムのベストは3代目。刺繍だけは子供の頃に買った物を使い続けているから40年近い歴史がある。
米軍基地のある地元で有名な刺繍屋さんがアナログのミシンで刺繍した一品もの。だから、コンピューターで自動的に刺繍するものと違って、文字や図柄に乱れがある。これをわからない人は下手な刺繍だと言うけれど、その価値は雲泥の差。
最初は米軍のアーミージャケットにつけていたけれど、それをデニムのジージャンに自分で縫い付けたのが2代目。その後にベストに移植した。それからすでに30年以上経っている。
富士山側の駐車場にバイクたちを移動して記念撮影した頃には富士山が雲を被ってしまった。
まだ日が短いので、寒くなる前に移動することにする。
富士山側の道は予想通り凍結と積雪が残っていた。日陰部分の路肩は全てが危険地帯。前を走るネイビーの彼は雪があると、指で差して後方に危険を知らせる。
自分の走りだけではなく、集団行動を考えていることがよくわかり、一緒に走っていても、とても気持ちが良かった。こういう仲間と知り合えることは財産。
午後になると富士山の上だけに雲がかかっている状態のままとなる。これは温度変化と気流によるもの。
東京や埼玉に帰るメンバーもいるので、ここで解散。凍結が心配だったけれど、日が出てからは快適。素晴らしい元旦ツーリングだった。
と思ったら、高速道路上で再会。見たことのある集団が前を走っていると思ったら、メンバーたちだった。バイクにはためく星条旗が格好いい。日の丸を持ってこなかったことを後悔。
ここで思ったのは、彼らは本当に国を愛し誇りに思っていることを堂々とアピールすることができる。それに対して日本人の我々はどうか?
うっかりバイクや車に日の丸を掲げるといわゆる怖い右翼や危ない思想の人間だと思われてしまうという風潮がある。これはおかしくないか?私は星条旗をたなびかせて走る彼の姿をとても素敵だと思った。良い奴だったし、特に危ない国粋主義者だとも思わない。
この違いは何か?簡単に言うと、ブログでたびたび言及している我々の自虐史観と洗脳教育の結果だと思う。歴史や文化も知らずに日の丸を掲げて粋がっている連中と、本当に故郷やその文化を愛する精神を混同されてはたまらない。
元旦の富士山も素晴らしかったけれど、この刺激もとても有意義であった。
帰る途中にお気に入りの夕日スポットがあるので立ち寄る。駐車場は観光客とカメラマンで大混雑。入場待ちの列に並んで、日没20分前にようやく駐輪することができた。
陽が落ちると急激に寒くなって来る。しかし、日没後の醍醐味はその後なので、鼻水を垂らしながら我慢して待つ。
風景が影絵のようになり、空の色が千変万化となる。雲が多かったけれど、素晴らしい光景だった。
元旦の日の出から日の入りまでを見たのは人生で今回が初めて。日が上る国の象徴が「日の丸」でもあるから、元旦は「太陽」とご縁のある一日だった。





















































































































