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雲水・ISA(九龍)のブログ

日本は神の国
仁術師

今年の秋と冬は異常。そのせいか、森の紅葉も季節感がずれていた。しかし、そのお蔭で長い間紅葉を楽しみたような気もする。

これは福島県裏磐梯の10月下旬。いつもなら紅葉は終わる頃なのに、まだ青々としていた。

冬季に閉鎖されてしまう美術館を急いで観に行ったわけだけれど、陽射しも暖かくて冬支度をするには程遠い陽気だった。

それにしても、いつも見事な景色。建物と正面にある池などがまるで絵画のように見える。静かな水面には磐梯山と木々が映り込んでとても美しかった。

手前の池にはマスがたくさん泳いでいた。

館内はカフェと売店以外は全て撮影禁止。ダリの複製造形作品がたくさんあるが、あれらはよく知られており、禁止にするほどのことでもないと思うが、何か考えがあるのだろう。

ハロウィンが近かったので、限定ケーキセットがあった。紫イモとカボチャでハロウィンらしい色を表現していた。

この美術館で一番紅葉っぽかったのは駐車場の壁面を這うツタだった。

ツタが真っ赤であるのに、駐車場の脇を流れる渓流はまだ紅葉していないところが不思議だった。

猪苗代まで来たので、せっかくだから喜多方ラーメンでも食べて帰ることにする。

ついでに史跡や名所が無いかと探すと「会津大仏」なる寺院を発見。夕暮れ時であったけれど、立ち寄ってみた。蔵が立ち並ぶ農道を入ると看板があるけれど、観光名所ではないので、周辺は静かな村落。しかし、参道に行くと、その寺格が只者ではないことを訴えていた。

これは是非拝見したいものだと思い、山門をくぐると梵鐘の音。ご住職らしき人物が閉門を告げる鐘を鳴らしていらっしゃった。

住職が鐘楼から戻って来るのを待っている猫たち。とても愛らしい姿。この位置から50m位先に鐘楼があるのだが、その方向を向いたまま坐っているのだ。

たまたま猫の坐っている建物から出ていらっしゃったお寺の方と挨拶をしたところ、せっかくなので大仏様もご覧になってくださいとのお言葉をいただき、ありがたく拝見することができた。https://aizudaibutsu.com/

大仏は2m41smの高さがある、鎌倉時代初期に造られた阿弥陀三尊像。木造阿弥陀如来及両脇侍坐像として国指定重要文化財に登録されているらしい。(※昭和4年国宝に指定、昭和25年の法律改正によって現在は重要文化財として登録。)

これほど見事な三尊像にご対面できるとは予想外。お寺は嘉禄三年(1227年)、法然上人の高弟 隆寛律師 によって開かれ、開基はその弟子 實成房上人。大施主は、時の領主であり、頼朝の供奉員 佐原十郎義連公。現在の堂宇は、慶長大地震後に、会津藩主 初代 保科正之公、正経公、正容公(正信公)三代を通じて大施主となり再建されたもの。

保科正之は江戸幕府初代将軍徳川家康の孫にあたる。第3代将軍・徳川家光の異母弟で、家光と第4代将軍・家綱を輔佐した人物。どおりで葵のご紋章が掲げられていたわけだ。

それほどの由緒ある寺院であったが、今ではひっそりとしている。しかし、池や庭は檀家たちが自主的に掃き清め、手入れを行っているために、とても心地良い雰囲気。奥には古墳もあるらしい。

墓地やお堂の間にある築山には美しい苔が生えていた。

先の東日本大震災ではかなりの被害をこうむり、その修復に苦労されているとのことであった。

https://aizudaibutsu.com/donation

特に彫刻が施されていた山門の痛みが激しかったらしく、本来あるはずの浮彫部分が補修の為に取り外したままになっているそうである。

日が暮れるまで色々とお話を聞かせていただき、帰途についた。面白くもあり、ありがたいご縁である。

お寺を出る頃にはすっかり日が暮れていたけれど、ガソリンを入れるついでに、美味しい地元のラーメン屋さんを尋ねてみた。坂内食堂などは経験済みなので、それ以外の名店を知りたかったのだが、予想外だったのは、喜多方のラーメン店は昼過ぎに大部分が閉店する事。その為、夜に営業しているラーメン店は限られてしまうそうだった。

それで教えてもらったのが、夜でもやっているこのお店。店構えは現代風で、蔵の街から想像するような和風建築ではなかったけれど、餃子もラーメンも美味しかった。

こってりとした豚骨スープには飽きていることもあるが、あっさりとした鶏ベースのスープがあっさりとして身体にも優しいと感じた。

 

 

 

 

この日は古河財閥の邸宅跡で友人のバイオリニストとタンゴダンサーの競演があることになっていたが、その前にどうしても見たかった展示会があった。

 

それは、中国のラストエンペラーである愛新覚羅溥儀の弟である溥傑氏とその夫人である嵯峨浩さんに関する貴重な展示であった。場所は杉並区立郷土博物館。嵯峨浩さんのご実家があった場所らしい。しかし、初めて行く場所なので地理が今一つ不案内。

遠方のイベントを掛け持ちする場合は合理的に行動しなければならいので、早目に現地入りして、ファミレスで朝食を食べながらコースを計画する。それと気になっていたのが、途中で通りかかった趣のある大鳥居。地図を見ていると、と入りの奥にある神社を突っ切ると郷土博物館に出られることが判明。それで、鳥居の近くに車を停めて、徒歩で向かうことにした。杉並なのに大宮(埼玉県の都市名)と書かれているのを不思議に感じたけれど、その理由は後でわかる。そして、この鳥居は正面の参道ではなく南参道であった。日本初のステンレス製鳥居だそうだ。

参道には警備員がいて車両や参拝客の誘導をしていた。なんだか物々しい雰囲気なので、何か祭事があるのかと思ったら、753であった。

手水鉢の脇には珍しい十月桜が満開。和服を着るには最適な気温である。

風格のある門をくぐると、内部は巨木がそびえたつ歴史のある境内であった。

樹の梢にはカラスも多く、境内内部をネグラにしているようである。頭上で音がするので見上げると、門の梁の上にも隠れていた。

本殿には753の参拝客たちがたむろしていたが、私が気になったのは周囲にある広大な森。私は「都心」と聞くと、自然の失われたアスファルトジャングルを連想してしまうのだが、こんな住宅地のど真ん中に大自然が残されているとは思わなかったから、とても嬉しく思ったわけだ。

御祭神のほかに、境内には御社が複数あり、どれも由緒を感じさせるものばかり。しかし、事前の情報も無いままに入って来たので、この時にはどれほどの格式がある神社なのかはまだわからなかった。

境内では秋の菊展も開かれており、着物姿の可愛いチビちゃんたちが駆け回っていた。

ゆっくり見たいところではあるけれど、イベントが重なっているのでそんなに時間はかけられない。広い境内の道を間違えそうなので、菊を見ていた地元民らしいご高齢の女性に展示会場までの道を尋ねた。話のついでに「愛新覚羅浩」の事をお話すると、その故事は知らないけれど、この周辺には貴乃花一家を中心とする力士たちの姿をよく見かけるし、著名人が参拝に訪れると言うのである。私は力士の相撲部屋は東側の両国寄りにあるものとばかり思い込んでいたので、逆に不思議に感じた。

その女性から休憩室に神社に関する資料や写真が展示されているので参観すると良いと聞かされ、寄り道をすることにした。休憩所も広々としており、753の神事を待つ家族連れがソファーに大勢坐っていた。その壁面には各種神事の様子を伝える写真や有名人の参拝風景の記念写真などが掛けられていた。確かに、貴乃花一族の写真もあり、よほどご縁が深かったようで、中央部分に掛けられていた。調べてみると、杉並の阿佐ヶ谷周辺は優秀な力士を輩出した相撲部屋があったようだ。

花籠部屋:初代若乃花、輪島
二子山部屋:二代目若乃花、隆の里、三代目若乃花、貴乃花
放駒部屋:大乃国

私の場合、有名人よりも歴史の方に関心があるので、写真類はチラ見で済ませ、由緒の説明を読んでみた。

 

第70代・後冷泉天皇の天喜年中(1053〜57)に、奥州に乱(前九年の役)が起き、この乱を鎮めよとの勅命をうけた鎮守府将軍・源頼義公の軍がこの大宮の地にさしかかると、大空には白雲が八条にたなびいて、あたかも源氏の白旗がひるがえるような光景となりました。源頼義公は、「これは八幡大神の御守護のしるしである」と喜ばれ、乱を鎮めた暁には必ずこの地に神社を構えることを誓って、武運を祈り出陣されました。そして奥州を平定して凱旋のおり、誓いの通り康平6年(1063)、京都の石清水八幡宮より御分霊をいただいて、ここに神社を建てました。これが当宮の創建の縁起であります。

また、その子八幡太郎義家公も後三年の役のあと、父にならい当宮の社殿を修築し、境内に千本の若松の苗を植えたと伝えられています。

かつては武蔵国三大宮の一つ「多摩の大宮」あるいは「武蔵国八幡一之宮」と称され、昭和44年に境内の北端につづく旧境内地から弥生時代の祭祀遺跡や族長の住居跡が発掘され、この地は太古からの聖域であったことが判明致しております。

通りで格式が並はずれているわけだ。郷土博物館は北東方向であるが、森林を歩いて抜けられないということで、表参道から外に出て回ることになった。表参道は250mの石畳。

両側には林に混ざって竹林も残っている。大きな燈籠の高さは3m以上はある。

参道中間地点にある二の鳥居。かなりの距離ではあるが、木々や自然が心地良くて、歩いても苦にならない。

これが表参道の入口。この北側を善福寺川が流れている。善福寺川は神田川の支流で水源は善福寺池。都内23区では唯一水源として使用されている湧水池である。この周辺には武蔵野台地の地下水が涌き出す箇所が存在し、井の頭湧水池、石神井湧水池と並んで武蔵野三大湧水池の一つである。こういう場所には古代から集落を営むことが多い。

郷土博物館は善福寺川沿いに歩くとあるらしいので、川沿いの細い遊歩道を歩く。水鳥が多数いたので、魚も生息していることがわかる。

ようやくたどり着いた郷土博物館正門。都心にあるとは思えない雰囲気。江戸時代の名主が使用していた長屋門を移築したもの。

 

 

裏にも江戸時代の一般的農家の古民家が保存されている。手前は二宮金次郎の立像。最近の子供たちは彼の存在も知らない人がいることにビックリ。

虫よけと保存の為に係員が定期的に囲炉裏に火を入れている。

この敷地に展示の主役である愛新覚羅浩さんがお住まいになっていたわけであるが、その経緯は郷土博物館の説明によると以下の通り。

 

愛新覚羅浩(あいしんかくらひろ)は、侯爵・嵯峨家の長女として、1914 年に東京で生まれまし た。浩の人生は、日本と中国の歴史に挟まれ、波乱に満ちたものでした。 1932 年、日本の関東軍主導のもと建国に至った「満州国(中国東北部)」。当時、日満一体を強化 したいと考えた関東軍は、満州国皇帝となった溥儀の実弟・溥傑に日本人女性を嫁がせる政略を施 します。その候補に挙がり、嫁ぐこととなった浩は、1937 年、祖父の邸宅(現・郷土博物館所在地) から結婚式場となった軍人会館(後の九段会館)へ向かいました。この時、沿道から見送る人々を 見た浩は、「(中略)沿道の風景だけははっきりと瞼に焼きつき、終生私への無言の励ましとなって くれたのでした」と、後年の自伝の中で振り返っています。

 

私も何度か拝見したことがあるお二人のお見合い写真。結婚式の予行練習として母方のご実家である旧浜口邸(現在のタイ王国公邸)で撮影されたものだそうだ。この独特の門扉は今も現存している。

この時の衣装は皇族のみに許される特殊なもの。会場には実物が展示してあったけれど、撮影禁止の為パンフレットを撮影。

TBSの同展示会に関する報道写真に展示会場のものがあったけれど、こういう感じであった。

最近、たまたま目にする機会があった。高円宮家の三女絢子さんのご結婚の場面である。展示会を見たばかりだったので、感慨深かった。

お二人の詳細なエピソードについては「すぎなみ学倶楽部」さんがとても興味深い話を紹介している。

https://www.suginamigaku.org/2014/10/h-saga-hiro.html

私が溥傑氏を知ったのは中国書道協会会長の時代。氏の書体は一目瞭然で誰でもわかるほど独特なもの。何度か実際にもお会いしているけれど、時代や状況を考えると、とても深い話はできなかった。今ならば、お尋ねしたい内容が山ほどあるけれど、時は無常である。

 

詳しい内容は買い求めたパンフレットを読むことにして、大急ぎで旧古河邸庭園まで移動。ここは元々明治の元勲陸奥宗光の土地であったが、後に古河財閥の所有となる。その際に署名なイギリス人建築家のジョサイア・コンドルが洋館と西洋式庭園を造ったのである。

斜面に建っており、下には京都の庭師、小川治兵衛(おがわじへえ)によって作られた日本庭園がある。

ここの薔薇園も有名であるが、当日は薔薇が満開となっており、観光客が大勢入園していた。

その洋館の窓に動く人影があるのでよく見ると、友人のタンゴダンサーが撮影をしているところだった。私がうっかり挨拶をしたせいで、観光客が集まってしまい、迷惑になりそうだったので、急いで退散。

来場者はシェリー酒で迎えられた。ベネンシアという長い柄杓上の道具でグラスに注いでくれる。

今回のイベントのコンセプトの一つに「明治時代を愛でる」というのもあるため、和装の女性も目立った。バイオリンとTANGOのコラボコンサートはこの洋間で行われた。

バイオリニストは変拍子の貴公子とよばれるT氏。タンゴダンサーはE&Aさん。

T氏のバイオリンはユニークな演奏で、タンゴを弾いても普通とは少し違う。これに合わせて踊ることのできるTANGOダンサーはなかなかいるものではないと思う。伝統的&典型的なタンゴを踊るダンサーは多々いるけれど、この難解な変拍子に合わせて妖艶&ダイナミックに踊るのがE&Aの本領。とても見事で、観客からも好評であった。

元々この共演の企画は、私がT氏の引く変拍子のタンゴを聴き、是非E&Aさんたちに踊っていただきたいと思い、引き合わせたのがきっかけ。それが、一年余りの時間を経て、実現できた上に大成功であったので、とても嬉しく感じた。

終演後は別室にてプロのフードコーディネーターによる軽食のサービスがあった。最後のカレーを入れると、8種類くらいのオードブルが出された気がする。

お酒のサービスもあったので、運転の心配がない人は、ほろ酔い以上に飲んでいたようだった。バルコニーからは薔薇園を見渡すことができる。

私はこの後にもう一つ別のイベントにも顔を出してから帰宅。盛り沢山な一日であった。

理想的には、疲れない程度に、毎日盛り沢山でありたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく房総へ渡っていないので行くことを急に思いつき、朝からフェリーに乗る。往時は東洋一の東電火力発電所が解体されていた。新たな発電所が建てられる模様。

乗客にはエサをあげる人も多いので、フェリーにはカモメが群がってくる。フェリーの甲板のあちこちにとまっているけれど、面白いのは、疲れて休みたい仲間が飛んで来るのがわかると、入れ替わりに飛び立って場所を譲るのだ。ぶつかりそうになるから避けているようにも見えるけれど、どこでも同じように譲っているから、彼らのマナーなのだと思う。ああやって、代わりばんこに休みながら長距離を移動して行くのだ。

西側の海岸線を走ると、ずっと富士山が見えている。三浦半島が手前にあるけれど、それを越えて見えるのだからさすがに天下一の威容。この海岸は観光地ではないが、著名な私鉄会社の創始者も住んでいたほどの隠れた名所。

この巨大な半島は古代から人と文化の往来があり、中世には戦乱の世から隠遁した武家たちが住み着いていたので、あちこちに名所が点在しているのだ。歴史に関心がある人なら、その由緒を知れば驚くほどの内容。

太平洋側に出るため山越えをする際に通過していた古道だけれど、当日は何となく気になって見学をさせていただいたら、やはり凄い名刹。隣にある三浦半島を本拠地としていた三浦氏ゆかりの一族の菩提寺。自分の場合、歴史は好きだけれど、わざわざ名所旧跡を訪ねて回るほどのマニアではないので、行き当たりばったりに歴史を楽しむスタイル。あくまでも、バイクor車の移動が中心。でも、引き出しはそれなりにあるので、ヒントやきっかけがあると、それらがつながって面白くなって来る。

仁王像の詳細は不明だったけれど、山門も室町時代からのものらしい。鎌倉幕府を築いたのは源頼朝とされているが、実際の黒幕は北条一族。頼朝は川を渡る際に落馬して怪死をするなどという、武人らしからぬ末期を迎えているけれど、残った直系親族も全て謀殺されてしまった。その後、御家人たちをまとめるために、何かと言うと「亡き頼朝公のご恩」を持ち出し、北条氏は邪魔になる幕府内の有力御家人たちを次々と謀略によって粛清していく。

元々相模では大きな勢力を誇っていた三浦一族もその標的となった。三浦一族出身で弓の名手で豪勇の義盛が所領の地名「和田」を苗字として、和田氏を名乗るようになったが、この地が正にその場所。和田義盛の子息たちも豪勇の侍であるが、特に三男の義秀の強さは有名。今の和田町付近は昔の朝夷郡。この地名を自分の名字として名乗ったのが「朝比奈義秀」。鎌倉観光で大渋滞する朝比奈切通しは同氏にちなんでいる。

和田氏は鎌倉幕府において、今の防衛相と警察庁長官に当たる要職まで上ったが、三浦一族系の勢力が大きくなることを嫌う北条氏の謀略で合戦が起こる。鎌倉は周囲を山で囲まれ、正面は海であるから、平野部分は少ない。あの狭い範囲で連日の凄まじい合戦が繰り広げれていたわけだ。当時の和田家の屋敷が現在の和田塚周辺。幕府は八幡宮の裏手。双方の距離は約二キロ程度。結局、和田一族はほとんど皆殺しとなり、その慰霊のために造られたのが和田塚である。

ほとんど抹殺された和田家の中で唯一最後まで戦い続け、残党と一緒に船で千葉に戻って来たのが、和田義盛の三男、朝比奈義秀なのである。彼の戦いぶりは「吾妻鏡」にも描かれれているが、凄まじい。怪力の英雄として歌舞伎にも登場する。

150騎を率いて鎌倉御所の奥まで襲撃をしている。多勢に無勢で由比ヶ浜まで撤退したが、その勇猛ぶりは敵側も恐れたほど。その後の消息は高麗に渡ったと言う説もあるが、詳細は不明。千葉氏と三浦一族は親戚関係であるから、匿ったのかもしれない。朝比奈義秀の追討命令も出なかったようなので、政治とは無縁の余生を送ったのだろう。それにしても英雄の朝比奈三郎がこの辺りに暮らしていたかと思うとワクワクしてしまう。古道と古刹であるから、訪れたことがあるのはまず間違いがないだろう。

面白いと思わず長居してしまうから、スケジュールは有って無いようなもの。しかし、この季節の日暮れは早いので先を急ぐ。

北条と戦った和田家の地元は古くからの捕鯨基地。港にある公衆トイレにもクジラのタイル。

捕鯨の歴史はとても古く、北欧や朝鮮半島には有史以前から普及していたことがわかっている。この近くの館山にある8000年以上前の貝塚からも黒曜石のモリが刺さったイルカの骨が発掘されているので、日本の歴史も古い。今では、その賢さや愛くるしさから保護する傾向が強いけれど、古人たちの認識では、単なる大きな魚の一種。哺乳類と魚類の区別は無かったはず。狩猟における価値観では、大きな獲物ほど価値がある。家族を養うためにも、量は多いほどありがたい。釣り人達が今でも大物の写真を撮ったり魚拓にするけれど、満足感も大きい。

 

大きな獲物としてはクジラ以外だとサメがある。見た目も凶暴だから、それを仕留めた時の満足感もそれなりに大きいはず。ただし、食肉としては余り美味しくない。中華ではヒレをフカヒレと言って珍重するが、日本ではミンチにして蒲鉾などに使われるのが主な用途。

朝比奈三郎義秀は海育ちでもあり、水泳の名手でもあったそうだ。鎌倉幕府二代将軍の義家の前でその腕を披露した時の伝説も残っている。鎌倉近くの小坪湾を10往復もした後、水中に潜って三匹のサメを捕まえて戻って来たと言うものだ。上の浮世絵は国芳の作品。世界各地、英雄の勇猛さを表すテーマとして、陸上ではライオンや虎と闘う姿が描かれるが、水中であればサメ、ワニ、蛇がその相手となる。

 

しかし、実際のところ、イルカやクジラの可愛らしさを知るとなかなか食べる気は起きなくなるものだ。この日は地魚の刺し盛りでもいただこうと思っていた。魚の生息分布は海ごとに異なるので、それもまた楽しみ。

 

と思って周囲の客たちの様子を見ていると、やはり御当地名物のクジラ料理を頼んでいる人がほとんど。そこでまた考えてしまった。そもそも、何でクジラを食べるのか?それを食べることに最近はどうして罪悪感を感じるようになって来ているのか?

クジラが賢くて可愛いと言うイメージが定着しつつあるのは近代、主に欧米の影響。それ以前はずる賢くて怖い存在だとされていた。

 

元々、大規模な捕鯨を行っていた国々は帆船により海外進出&植民地世策も行っていた。日本に開国を迫ったアメリカは捕鯨船の補給基地としても日本の利用を考えていたほどで、列強諸国は遠洋にまで進出して捕鯨を行っていた。

白いマッコウクジラとの戦いで有名な小説「白鯨」では、人間と闘い、最後には人間達と船を海中に引きずり込む怪物である。同時期の「ピノッキオ」では巨大なサメに呑み込まれたことになっていたけれど、実写版映画ではクジラに換えられていた。サメの大きさではお腹の中で長時間暮らしていると言う設定に無理があると考えてのことだろう。もしかするとシャチやマッコウクジラ、サメは一緒くたに考えていたのかもしれない。

 

それが、クジラやイルカの生態が研究され、その知能と愛くるしい外観が知られるようになり、価値観が変わって来た。しかし、それでは我々は食事をする時に対象物の知能や可愛らしさをいちいち考えて食べなければならないのか?さらには、もしも対象物の外見が醜く、怖くいのに賢かったらどうだろう?おそらく、印象は正反対になるはず。身近な例で言えば、食べる対象ではないけれど、真っ黒な「カラス」がそうだ。不気味だとか怖いと言われている。同じクジラの中までも、シャチやマッコウクジラなどの鋭い歯を持つはクジラの仲間はイルカとは印象が違っている。

 

しかし、そういうのは生物に対する人間の勝手な差別ではないのか?人種差別には敏感なくせに生物にはあからさまに差別している気がする。

今や食肉の主流ともなっている豚であるが、可愛い子ブタが登場する映画「ベイブ」などを見ると、食欲は失せる。イルカが可愛いから食べるなと文句を言うのであれば、子豚は可愛くないのか?子羊は?ウサギは?バンビは?

ラムもそうだけれど、動物の子供は柔らかくて美味しいと言われる。肉食獣にとっては捕獲するのにも容易で美味しいわけだから、理想的な獲物である。これが自然界の現実。ところが、そこに「可愛い」「愛おしい」と感じてしまうのが人間特有の感情。僕に文明人ほどそう感じる。原始的な生活を行っている民族には、生活のために必要な殺生であり、当然の行為なので良心も罪悪感も感じない。感じたとしても、現実的に割り切って考えているようだ。彼らにとって獲物の動物は愛玩の対象ではなく食肉なのだ。

それに対して、ほとんどの都会人は自分で大型の動物を殺生をした経験がない。それなのにどうして食肉を食べることができるかと言えば、誰かが代わりに殺生をしてくれているからだ。中華街でぶら下がっている子豚のチャーシュー、北京ダックや柔らかいラム肉のステーキをあれこれ言いながら食べているけれど、それは誰かが可愛らしい子豚や子羊を処理してくれているからこそできること。、その部分を省略して綺麗ごとを言うのが我々都会人。もしも綺麗ごとを嫌って現実に行えば、僧侶のような生活となるはず。我々はそれすらできない半端な存在なのだと思う。

 

捕鯨を生業として生きてきた人々の歴史と苦労を考えれば、都会人の綺麗ごとでそれらを全否定することなどできるはずがない。ということで、やはりクジラを使ったカレーを食べることにした。いつもは刺身と竜田揚げが中心なので、カレーは初体験だった。

ところが、クジラ肉の臭味がカレーの香辛料と合っていてとても美味しかった。私はマトンカレーも大好きであるが、匂いの強い肉とカレーの相性は良い。カレーじゃなくとも、香辛料を使った料理には合いそうだ。店主はとてもおもてなしが上手な人で、いつも話が弾んでしまう。この日は話が盛り上がって、お土産にクジラの髭までいただいてしまった。

食後はいつもの通り、近くにある道の駅&捕鯨資料館で食休み。捕鯨の歴史や道具類などの資料を見ることができる。クジラ料理店の店主から頂いたクジラの髭もあった。プラスチックが無かった時代には弾力性のある部材として時計のゼンマイなどのバネ、テニスラケットの網部分(ガット)にも使われていたらしい。

この資料館と隣接しているのが新築された道の駅で、お洒落なカフェレストランと土産物店がある。房総は海産物とフルーツが名産品。

広いエントランスの天井には漆のイルカが空中を泳いでいる。

この季節の日暮れは早い。山の日没は更に早いから、昼食後にゆっくりしてはいられない。目的地はまだ先。山の中に入ると、数日前に襲った台風の影響で、路上に倒木や折れた枝などが散乱している。

車では行けない所は徒歩で進むけれど、流された土砂や泥が堆積して、靴がドロドロになる。でも、これは予想していたので、水に入れる格好に着替えてある。

いつもは済んでいる渓流も茶色く濁り、台風の過ぎ去った荒々しい気配の中を進む。他に人の気配は皆無。ここも観光地化されつつあるけれど、交通の便が非常に悪いので、この状態止まり。それが幸いだと思う。元々は修行者が滝行も行っていた場所。単なる景色目当ての騒がしい観光客が増えては迷惑。

静寂な中、滝壺に落ちる水音だけが響き渡っている。水は意外にそれほど冷たくない。近くには即身仏となった僧侶の洞窟もあり、単なる観光地とは違う雰囲気なのだが、そこが気に入っているところ。

山間にあるので、すでに日影になっている。方角を見ると、この季節は朝じゃないと日は射し込まないと思う。午後も早い時間から日が陰って来る。夏と比べると、山では4時間くらい前から帰宅の準備を考えるようになる。フェリー乗り場までは山越えをして2時間くらいはかかるので、先を急ぐ。

 

途中に有名な棚田があるので、立ち寄ると、すでに借り入れは終わっており、刈り取られた稲から新芽が出ていた。

東南方向に作られた棚田なので、すでに日は陰っていたけれど、稲の新芽の緑色とあぜ道のグレー色が美しい模様になっていた。ここでは、棚田保存会もあり、毎年案山子コンテストなどの催しが開かれている。都心から田植え体験に来る家族連れも多い。

山の向こう側が外房と太平洋。背後が西方向。日が落ちかかっている。日が暮れると急激に気温が下がって来る。街灯もほとんどないので、夜は真っ暗。

西には三浦半島と富士山が見えるので、急げば富士の夕日が見られるはず。日暮れは早いけれど、フェリーの最終便にはまだ余裕があるので、それなりに飛ばす。夏だと夕暮れを山から見ているうちに、最終便を逃してしまうことがあるのだ。自分は学生時代に数回の前科がある。当時は高速道路も南までは開通していなかったため、湾岸線をぐるりと一周して帰る羽目になる。

フェリー乗り場に着くと夕日は落ちてしまい、フェリーも出たばかり。次の便までの暇つぶしに残照を見ることにした。前方が東京湾の出口。山からはわからなかったけれど、西方向には低い雲がたなびいており、期待していた富士山は雲の中。

富士さんは見えなくとも、空の色の変化を楽しむことはできた。この時期の空は最後にオレンジ色と青が強くなって終わるので、最後まで楽しめる。そして、空や雲は刻々と変化するので、最後まであきらめないと、ご褒美をもらえることが多い。

この日も富士山は諦めて、空の色のグラデュエーションを楽しんでいた。夕日に近い部分は赤と黄色の間を多段階に変化していくのが美しい。遠い空は群青色とグレーの間を変化していく。

ここで、雲の隙間から赤い光が射して来たのでよく見ると、富士山の姿が一瞬だけ現われた。他の空はオレンジ色っぽいのに、この切れ目だけは赤に近く感じた。こういうのが待っていた人へのご褒美なのだ。

 

 

身体が冷えたので、海を渡ってからターミナル近くのラーメン屋さんに入ったけれど、味が変わっていてびっくり。全盛期を知っているから、比べ物にならない。栄枯盛衰だなあ。

 

 

 

 

 

海外の友人たちとのコミュニケーションにSNSは便利であるため、フェイスブックを使っているけれど、あちらは表面的な事象の投稿がほとんど。景色や飲食、趣味の話など。一方で社会的、政治的な発言をするのは嫌われるみたい。私の場合、あちらは公的な社交の場で、現実世界では真逆。お酒の場でも愚痴や猥談はほとんど興味が無く、どちらかと言うと、SNSでは嫌われるような話題ばかりしている。ところが、こいつが意外に好評なので、時々まとめてブログに転載することにした。

 

最近思うのが権力者たちの横暴。それと言論の自由に対する危機感。自分たちに気に入らない事を言うからと言って殺してしまうのだから、全く非人道的と言うか、ふざけた話である。しかし、これはやり方が間抜けであっただけで、同様の暗殺はあちこちで行われているのが事実。

例えば、植民地であった国の革命家や運動家が台頭して来ると、なぜか飛行機や交通事故で急死。事件の核心に迫った内容を取材している写真家や記者が、事件に巻き込まれて亡くなる。今回のカショギ氏の関係者もそのリスクを承知で対策を講じた上で現場を本人が訪ねたわけだが、その対策も虚しく殺害されてしまった。幸いに、その対策として収集していた動画や音声資料によって今回の殺害事件が公になったわけだけれど、それが無ければ闇に葬られたに違いない。

 

その後にイスラム武装組織に長期間拘束されていた記者が無事に帰国した。これは一見ハッピーな内容。しかし、裏もありそうなので、単純に喜ぶのはまだ早い。記者として自ら危険地帯に飛び込んだ勇気は認めるけれど、目的であった、現地の事実を伝える報道はまだ何もなされていない。身代金を払わずに帰れたとは思えないが、言ってみれば、身代金はその取材報酬。相応の取材結果を示すべきだろう。それと、身代金は返済させるべき。少なくとも取材報酬は返済。いくらなのか知らないが、本人に過失の無い民間人が拘束されたのではなく、警告を無視して危険地帯に自ら入ったのであるから、有事の場合、自己責任が当然だろう。税金を使うのには納得できない。支援者や団体がある場合はみんなで返済させるべきだと思う。

基本的に自分たちに不利になる取材を許可して公表させる人、組織はいないと思う。むしろ拒否されるか排除(殺害など)するのが普通。その反対に、「国際ニュースは虚偽なので是非とも真実を報道してください」と相手から頼まれたのであれば、拘束されるはずはなく、逆に優遇されるだろう。頼まれたはずなのに、敵につかまってしまったと言うことなのか?早く体験した内容を公表していただきたいものだ。(このブログを書いた後でご本人の記者会見があった。理路整然としており、自己責任に関しても、全く逃げ隠れもしない本物のジャーナリストだと感じる。しかし、拘束期間中の周囲の取引は複雑であり、本人は獄中にいたわけであるから、全体像を把握できるはずもなく、完全解明は難しいように思われる。)

 

それはともかく、日本の報道は地に落ちている。海外の報道は大部分が海外メディアを翻訳しただけで、特派員が自分で取材を行った内容はほとんど無いのが現状。それは今回の安田氏が潜入取材した動機ともなっている。その意味では、安田氏は気高いジャーナリスト魂を持っていたがために犠牲となってしまったとも言える。

 

2018年度世界の報道自由度ランキングで日本は67位。G7中の最下位。2010年には11位だったのに、最近急激に下落している。福島原発事故以来の政府による真実隠し、その後の特定秘密保護法など、海外の記者たちからは批判が相次いでいるのだ。そしてさらに問題なのは、それを知らずに考えもしないで放任している馬鹿な国民たちの存在。個人情報や情報利用の重大性も理解せず、セキュリティーのズサンなSNSアプリでプライバシー情報を垂れ流している。よく聞くのが「自分は一般人だから特に見られて困る内容は無いので問題無い」という声。これは自分の事だけを考えればその通り。しかし、少しでも戦時中やその他の非常事態、人権迫害に於ける歴史を知っている人であればとても危険なことがわかる。北朝鮮や中国など共産圏の国々ではネットやメール内容までが監視され、携帯電話で所在地まで特定されるから、有害な言動をした人は政府に拘束され尋問を受ける&処罰されるのである。また、誰かを陥れたい場合には、都合の良い情報だけを収集して悪人にしたて上げることもできる。これが情報の怖さなのだ。

簡単に言うと、2013年に成立した特定秘密保護法はこれと同じ事を可能にするための法律なのだ。日本の政府にも前科はあり、それが戦時中の治安維持法であった。著名な学者や作家が拷問されて獄死したことは知られている。日露戦争の戦勝に気をよくして傲慢になった軍部の暴走もここから始まった。保護法案に反対したマスコミ関係者が裁判を起こしたが、国民は他人事のように無関心であった。

 

そこでまた「自分は政治や思想には関心が無いし、重要人物でも無いから関係ない」と言う人がいる。確かにそう言う人は政府にとって無害。しかし同時に政府や国が間違った時にそれに気付くこともできない人なのである。気付いたら戦争が起き、ひどい社会になっていたと言うわけだ。それは他人事として軽視し、自分の事しか考えなかった本人の自業自得である。そういう人たちは文句だけは言いながら政府の言いなりに生きるのは構わないが、私は真っ平御免。しかし放っておくと実際にそうなってしまうのであちこちで問題提起しているわけだ。

 

それでは誰がそれを批判して修正することができるのか?それは政府から有害だと見なされる学者や思想家などの有識者だと思う。戦前の治安維持法で拷問されているような、見識のある人たちなのである。無知な我々一般大衆は自分に能力がない代わりに、彼らの発言する機会を保証し、身の安全を確保してあげなければならない。さもなくば全てが権力者の意のままに操られてしまう事になるのだ。この観点が国民に抜けていたために特定秘密保護法が成立してしまったのである。全ては自分の事しか考えない一般大衆のせいである。

 

この法案も国を守る意味では有意義な側面もあるが今の段階での成立は危険だと考える。国家や国体を守るために必要だということもわかるけれど、現状の日本は独立国ではなく、アメリカの属州の様な状態なので、アメリカの横暴に加担する可能性が非常に大きいと思う。反アメリカ的、日本の伝統を復活させようとする動きを封じ込める為に使われる可能性が大。恐らくそれとセットで宣伝される口実はテロ防止、ナショナリズムはまた侵略戦争を引き起こすと言う脅迫だろう。アメリカの恐ろしい所はその口実に真実味を持たせるため、911のように実際にテロを起こしかねない事である。そもそも、この法案はアメリカの要請、圧力によると言われている。本当の国体を考えるのであれば、真っ先にアメリカの影響を排除するべきだろう。

 

安倍氏の場合は憲法改正など独立国としての政策のようにも見えるが、自分の不祥事も国家的事件も一様に隠す傾向にあるので、本当に国を考えているのか否か不明。

 

 

鳩山氏の時代、日本とアメリカの関係を明らかにしようとする動きがあった。当時の外務大臣の岡田氏と共に日米安保の際に結ばれた密約の調査を行ったのである。ちなみに当時の報道自由度ランキングは11位である。

 

 

1、沖縄基地のやり取りは茶番。まるで、政府は沖縄県民の気持ちを考えているように見せかけているが、実は日本国憲法の上にアメリカ軍事委員会の存在があり、日米安保を締結した際に「アメリカ軍は日本の如何なる場所に基地を作っても良いし、その際の諸経費はすべて日本が持つ」というような内容を含む密約も結ばれているのである。従って、沖縄県民や人権団体がどのように騒いだところで、この密約がある限り反対は無意味。在日米軍の過失や犯罪がもみ消しにされている現状もこれが理由。政治家もこれを認めて「ごめんなさい。私たちも基地は作りたくないのですが、密約があるため、これを破棄しない限り無理です。さもなくば、アメリカに見捨てられるか、仕返しをされます」と言うべき。或いは「アメリカとの安保契約を破棄し、独立国として沖縄も守ります」と言うべき。自衛隊だけで力不足であれば別途にアメリカ軍と警備契約を結んで、警備費用を支払えば良いのだ。占有している土地も全て日本に返還させなければ日本は独立国にはなれない。

http://book-sp.kodansha.co.jp/topics/japan-taboo2/


そして、何を隠そう、その密約を締結したのが現首相の祖父である岸信介なのである。トップクラスの戦犯でもあったのに、処罰されなかったばかりか、なぜ首相にまで成れたのか?これは幣原喜重郎、吉田茂、鳩山一郎など、岸信介以前の政府関係者にも言えること。要するに命と引き換えに国を売ることを余儀なくされたのである。ソフトな表現をするならば、協力を強制されたということ。そして、安保に関しては戦後10年以上経っており、その時にたまたま岸信介が任されただけであり、岸が拒否すればアメリカ軍は別の適任者を見つけて同様のことをしたはずであるから、個人的な批判はあまり意味がない。10年以上もの間、日米双方で理論による陰の攻防が続いていたのだろう。また、その関係者の中には私も敬愛する人物も含まれているから、単純に脅されて屈したとは言い切れない気もする。何もわからない他の人物よりも、国際事情に通じている自分たちであれば少しはマシに対応できるのではないかと、暗に抵抗していたのではないか?そう信じたい。

 

ただし、沖縄に関しては、元々不幸な地理にあると言えるので、米軍が撤退しても隣国を監視するための設備は必要。礼儀正しく信頼できる隣人であれば、監視は要らないけれど、そうではないから監視するわけだ。別の場所に移転を唱える人たちがいるけれど、警備や防衛の観点からはナンセンス。番犬や警報機は対象の近くに置かなければ意味がない。リスクの大きな出入り口に置かずに、家の中や、二階に設置するのは余りに間抜けであろう。むしろリスクが大きな方向は増強してしかるべき。それを理解せず、綺麗ごとや感情論ばかりを言う人権団体や政治家は平和ボケとしか思えない。平和ボケの人間は平和に対する憧れだけで、現実を見ていないから、皮肉なことに、むしろ平和を壊す予備軍だと言える。

 

いずれにせよ沖縄の位置を変えることはできないわけであるから、その解決策や代わりの十二分な援助体制を考えるのが現実的だと思う。なにしろ、沖縄は薩摩藩に侵略されて日本国に帰属させられたものの、太平洋戦争では守ってもらう事も出来ず、辛酸をなめた歴史を持っている。こんなに踏んだり蹴ったりされ続けている人たちはいないでしょ?決して他人ごとではないのだ。観光ばかりを考えて、真剣に彼らの生活や歴史の事を考えている人がどれほどいることか?土地が必要なら、中古の空母や海上油田基地を購入して領海の境界に浮かべ、海上基地を造るなども可能だと思う(これは前知事時代に意見を沖縄県に提案済み)。それ以前に、世界平和の流れから見ると逆行していると思う。基地の土地は徐々に日本に返還されるべきであり、基地の需要が増えて拡張するのは正反対の動きであるから、要注意だと思う。

 

結局はアメリカ政府の脅迫は現在も継続しているため、我々の選挙も茶番である可能性も考えられる。反アメリカ的な人物が総理大臣になったら考え直すけどね。その点、民主党政権時代は密約調査など面白い展開もあったのだ。日米関係にメスを入れることができる可能性もあったが、そこで東日本大震災が起こり、再び自民党が返り咲いた。これに関して、震災は海底で核を使った人工地震であるとする陰謀説もある。ネットで検索すると色々な仮説が出て来る。根拠のない陰謀説はあまり意味がないけれど、911の件もあるし、タイミング的にはとても理想的な時期に地震が起きたことは確かだろう。

 

私は仕事の関係で人工地震を起こしていたことがあるので、この説を検証したことがある。海底で爆発させる場合、水中ではなく海底の地盤を掘削して深部に埋めないと、爆発エネルギーの大部分は水中に逃げてしまい、地殻を動かすような大地震にはならない気がする。ただし、狭いクレパスのような場所に落とせば、穴を掘って埋めるのと同様の効果があるかもしれない。作業員が退避してから遠隔操作かタイマーで爆発させればよいのだ。いずれにしても、地盤全体が動くのと水中爆発の違いはエネルギーの伝わる方向。水中の衝撃波は魚類を即死させるので大量の屍骸が出るはず。震災騒動で観察するどころではなかったであろうが、今後何かわかるかもしれないなあ。これは余談。

 

こういうことを日本の教科書で教えるはずがないけれど、密約の存在は明白なわけだから、国民も自国の情けない現状を知るべきなのだ。それと当時の古い解釈、しかも一方的に押しつけられた法律を改正も無く使い続けている不自然さも感じるべきだと思う。平和憲法と言うより、平和を演じさせられている憲法と言うべきだろう。

 


 

2、今の教育は戦前と全く異なる。なぜなら、アメリカは日本が二度と刃向かわないように骨抜き教育を徹底させたからである。アメリカ人が恐れたのは貧乏な小国のくせに欧米列強に肩を並べるほどの力をつけた背景。それは日本人の道徳観念などの精神文明である。物はなくとも心が豊かであり、恥と情を重んじ、神風のような行為も恐れない精神力である。この精神力はイスラムのテロ行為や北朝鮮と共通する要素もある。戦時中の軍隊の様な権力者に利用されてしまう一面もよく似ている。私の恩師はこれを公的に言ったものだから左翼から批判されたが、本当の事だと思う。ポイントはテロ行為を擁護したのではなく、そうまでして彼らに自己犠牲をさせる理由があり、その心情を理解することができるという事を言たかったのである。どうして彼らが自爆テロをしなければならないのか考えるべき。テロ行為が良いはずはないし、好きでやるはずもない。誰でも死は恐ろしいに決まっている。それなのにか弱いはずの女子供までが自爆テロを行うのであるから、よほどのことなのだ。

 

中東問題の根本は列強による石油資源の奪い合いである。遠方から侵略に出かけて、勝手に線を引いて国境を作ったのが、トラブルの始まりだろう。補足だけれど、国や家族と守るための自己犠牲のテロと、暗殺のテロとは意義が全く違うので要注意。

 

 

マッカーサーはアジア駐在の経験が長く、日本に対してアメリカは物質的には勝つが、精神的にはかなわない事を知っていた。その精神力の怖さを痛感していたため、戦後は徹底的に日本人を甘やかして根性の無い民族にすることにしたわけだ。これとセットになったのが、戦争は日本の軍部やファシズムが悪かったと言う自虐史観の普及。日本の伝統文化&哲学を間違ったものだとして、嫌悪感を持たせること。アジアにおける行為は侵略戦争だったという既成事実を作る事。世界で唯一原爆を二発も落とされたのに、戦争を終わらせるために仕方がなかったのだと思わせるのもその一つ。でも、よく考えれば、どうして海の向こうからはるばる彼らはやって来たのか?開国しろ、貿易しろなどと勝手な要求を突きつけて来たのは誰だ?異民族を虐殺&奴隷化し、文明や宗教も抹殺する人たちを見たら自衛するのは本能であると思う。その時、当時の欧米の侵略に手を取り合って抵抗したのが中国・朝鮮の革命家たちと日本の思想家たちであった。当時のアジアで欧米に対抗できる頭脳と能力があるのは日本だけだったのだ。彼らは国という概念を越えたアジア全体での統一を考えて「興亜論・アジア主義」を提唱したのである。当時欧米に対抗できるアジアの国は日本だけであったので、アジアの革命家たちは日本で海外の情報と知識を手に入れていた。国際事情も知らず、自分の保身だけを考える国内の保守派からは敵視されるため、日本に亡命して来たのだ。しかし、これは欧米にはとても不利な考え方であるために、危険な発想、日本の侵略であると決めつける必要があったのである。その為、列強はアジアがまとまらないように裏工作をして国内の保守派勢力を利用していたのだ。利用されている事にも気付かず無知&腐敗した国々の状況を見て、革命家たちは情けなると同時に、彼らに構っていると日本も危ない事を実感していた。そこから、独自の富国強兵策と足枷となっているアジアの旧態然としたしがらみから脱却すること(脱亜)を考えるようになったわけだ。こちらから喧嘩を売るつもりはなく、反対に喧嘩を売られたので、その脅威に対しての自衛手段として始まった思想だと思う。しかし、アジアがまとまると困る列強は、当時も妨害をしたし、戦後もこの手の話題を論じる人物や組織は侵略戦争を起こしたファシストだと思わせたのである。不孝にも軍関係者には傍若無人で傲慢な人間も少なくなかったが、事あるごとに愛国精神を持ち出すので、国を愛する気持ちを国粋主義や軍国主義と関連付けるのも、マイナスイメージを植え付けるのに役立った。アジア主義の流れで生まれたはずの「大東亜共栄圏」が軍部の横暴により、侵略思想に成り下がってしまった。一緒にされた愛国者たちには大迷惑である。

 

単純に考えて、自分の故郷や国を愛する気持ちは自然なはず。と同時に、他国の人たちが自分の国を愛する気持ちも理解できると思う。となれば平和的な対話が生まれるはずであるが、侵略者は一方的な支配が目的であるので、支配する際に相手国のナショナリズムは大きな障害となるのである。実際に私自身も若い頃はいわゆる右翼や国粋主義者たちを危険で怖い人たちだと思っていたが、ある時、歴史や背景を調べると、現在のチンピラの様な諸団体とは全く違うことに気付いた。当時の右翼の思想家たちは、血と汗にまみれた泥臭い革命家であると思う。民衆の立場に近いので、帝国主義と天皇制を振りかざし暴走を始めた軍隊とは合わない。これは現代でも同じであるが、革命家は民衆や人道を考えるのに対して、軍隊は権威と武力による攻撃と支配が目的。その為には革命思想も利用するだけのことなのだ。そこから我が国も軍人による洗脳教育が始まった。異議を唱えた知識人は抹殺される恐怖の社会となった。であるからこそ、軍隊を指揮する人(部門)の人格が問われる。極端に言えば、軍隊に人格や思想は無く、操る責任者(首相、王、皇帝など)の問題となる。であるから、もしも軍部(武力)だけが責任者の命令を聞かず、勝手に行動を始めると非常に危険な状態となる。天皇の名を借りて実権を握ることを皇位簒奪(さんだつ)と言うけれど、これが戦時中の日本国内の状況である。長い目で見ると、古来から日本の政府は皇位簒奪者であることがわかるが、これを最初に提起したのは北一輝であった。同様に暴走を始めた軍部は欧米列強に対抗して共栄圏を構築すると言う大義名分で参画していた右翼の存在も邪魔になり、途中から扱いを変えたのである。これをコントロールすることができなかったのは軍部の暴走を許した当時の指導者の責任だと思う。その意味でも、日本は同じ過ちを繰り返さないために、連合国主催の東京裁判とは別に、独自に戦中戦後の検証と総括をするべきなのだ。軍部による独裁と伝統思想を恣意的に利用した洗脳教育が異常な社会を作ったのだと思う。

 

いわゆる凱旋右翼と戦時中の傍若無人な暴走軍部を混同し易い理由には、その背後にもカラクリがあるのだと思う。迫力のある街宣車やチンピラの様な風体のメンバーによる演出は国民に反感と恐怖感を与える。泣き出す子供もいる。それは本当の愛国者たちが伝えたい内容とは異なるのだが、一般人には区別ができず、十把一絡げで「右翼は怖い、昔の軍隊やチンピラみたいな集団」だと思ってしまうことになる。子供たちには単なる騒がしくて恐ろしい集団にしか見えない。と同時に、彼らの主張する内容もチンピラか無法者が大声でわめいているとしか思えず、その真意を考えようとしなくなってしまう。これでは、「国を愛する気持ち」が全く伝わらないばかりか、本末転倒なのだ。それに愛国の思想家たちが気付かないはずはないので、私は全く別物だと考えている。

 

彼らの過激な言動は日本のナショナリズムの再興を嫌うアメリカにとってはとても都合が良い結果をもたらしている。従って、やはり背後には何らかの演出指導や誘導があるのだと予想できる。我々も「愛国」という隠れ蓑を着た過激派は区別しなければいけないと思う。

 

 

その反面、軍部の暴走や非人道的な虐殺事件、従軍慰安婦などの問題は侵略戦争と思わせるための格好の材料となるために誇張されて報道され、背後では彼らがその運動を支援しているのである。これらの不幸な歴史はあちこちの記録にも残っているのであるから、事実であるだろうが、自分たちがアジアの侵略者の張本人であるにもかかわらず、問題をすり替えて、日本一国にその責任と罪悪を押し付けようとしているのである。このカラクリは歴史を客観的に分析すればおのずと明らかになる。かと言って、「火の無いところに煙は立たない」ので、同時に日本自身の大義名分に隠れた非人道的行為、徳の無い軍部の暴走も客観的に分析して自省するべき。それ無しでは戦争に勝ったたところで、暴力団の縄張り争いと同じである。軍部の独裁による専制国家と成り果てるくらいであれば、アメリカに負けて良かったと言う意見にも一理あると思う。

 

当時の列強の植民地化の動きに話を戻すと、アジアでの日本軍の統治状況資料を見れば、インフラの整備や教育がセットとなっており、同時に現地の文化も尊重していたことがわかる。日本語を無理に押し付けず、現地に適した共通語による教育を行い、識字率が大幅にアップした。現地人と共栄共存の思想が基本になっているのだ。これら統治時代の結果がその後の発展の基礎になっているとも言え、日本に感謝している現地の古老たちも多いのも事実。奴隷扱いされていた列強の支配から解放されたことを歓迎していたのである。その為、イギリスやオランダなどは自国の植民地を躍起になって取り戻そうとした。この動きは日本の敗戦後も連合国内部で取引され続けた。インドネシアでは終戦後に残留していた日本軍人たちが独立運動を支援し、オランダと闘って殉死している。実際に東南アジアの国々は太平洋戦争を契機として日本によって欧米列強の植民地化政策から解放されて、独立しているところが多い。一方で、日本の統治を歓迎しない国々もあった。立場が反対であれば、歓迎されていない武力行使を侵略だと言われても仕方がないと思う。

https://www.mag2.com/p/news/192427

また、派遣された軍隊指導者たちの質によって、統治の評価も様々であった。思い遣りのある人道的な統治を指導する人もいれば、天皇陛下の大義名分を借りて、徳の有る無しを考えず、高圧的に強制する人もいたようである。それによって干渉される側の印象も違うはず。

 

この点に関して、私の個人的な印象は、いわゆる「体育会系」と言われる、運動や身体能力に偏った人たちは、「徳」や「哲学」に欠ける人が多いと思う。上司の命令内容や自分の言動を哲学せず、先達の伝統を単純に真似しているだけの人も多い。そういう人たちの言動は感情と教わったルールばかりを強調し、意味を考えようとしないので、単なる受け売りの強要となる。論理的な説明ができないから、とかく暴力に走って、自分を正当化しようとする。体罰やイジメはこういう輩がすることが多い。自分より弱い人間や国を虐めるのだ。また一方では直情径行的で豪快な気質だとして英雄視する人々もいる。その為、自分自身の間違いに気付けないので、その手の人間が権力や武力を手にすると、正に「気違いに刃物」状態となる。明治維新から続いた暗殺(テロ)時代に優秀な人材が大勢犠牲になった。近代化における日本の頭脳の大損失である。そういう自分もどちらかと言うと体育会系だと思っているけれど、哲学も無いままに「男だ」「侍だ」「大和魂だ」「根性だ」等の言葉と権威を振りかざす輩は大嫌いである。

 

思想の必要ないロボットや何でもいいなりの兵隊としては向いているかもしれないが、指導者や監督者としての器ではない。道徳や哲学の無い力は単なる暴力になる可能性が大きい。この手の人間の典型的な例が戦中に「虎の威を借る狐」と揶揄された憲兵や軍人たちであった。どこの世界にも存在する癌のような人間たちだ。当然全員がそうであるはずもないけれど、当時の印象は非常に悪く、初めて接した戦後の民主主義思想や人道的なアメリカ人の姿勢に喜んだ日本人が多かったのは、それらの癌が日本社会を蝕んでいたことの証拠でもある。これを認識せずに国家教育や軍備を強化することは同じ過ちを繰り返すことになるだけだと思う。

 

このような武力の危険性を認識して、問題提起し、修正するのが文官の役目。しかし、知識が豊かな反面、身体的素質や物理的な力に劣る人は綺麗ごとを言いがちで、頭でっかちとなる傾向がある。口ばかりで、現実的な行動と判断力に欠ける事が多いから、物事が前に進まないのだ。

 

この二つのバランスがとても重要であることは古来から知られており、大陸の政治も武官と文官で分権していた。このバランスを欠くと問題が起きる。しかし、実際には双方で権力争いが起きるのが常で、そのバランスを取るのが最高権力者の義務であり、国を治める最大のポイント。優秀な武官と文官が揃えば敵無し。当時であれば天皇陛下。今なら内閣総理大臣。

従って、指導者は「文武両道」が必須条件だと思う。どちらもコントロールしなければならないのだから、両方を極める必要がある。それだからこそ指導者と成り得るわけだ。覇権争いの時に自分の名義の奪い合いになる事、利用されることはリスクの想定内として最初から考えるべき。それをコントロールできないのであれば、指導者の器ではないということだ。そのリスクを回避するために、自分自身を客観的に悲観&分析してくれるような辛辣な部下も置いておくべき。周囲がYesマンばかりでは、慢心して統治は不可能。

 

こう考えると「血統」の偏重は問題だと思う。血筋と実際の能力の両方兼ね備えていれば理想的であるが、そうでない場合に両者を比較すれば、現実的には「能力」が優先だろう。「血統」に執着して近親交配をし続けた民族は心身共に弱体化していくことは生物学的にも明らかなのだ。世襲制の文化はいわゆる「お家騒動」などの権力争いを避ける意味もあって、血筋を尊重するけれど、能力の劣る指導者が上に立つと、その下で指導者の名を借りた権力争いが起こり、本末転倒の結果となるのが歴史上の事実。また、地域が限定されている時には血筋が意味を持つけれど、その範囲が広がれば、血筋などにとらわれない外部から訪れた有能な覇者が血筋を駆逐することも有り得る。と言うより、宇宙の法則は弱肉強食、適者生存であるから、歴史の大多数がそうである。世界で血統を受け継いでいる王家は極少数のはずである。日本はその内の一つなのだ。その血筋が稀有である事と、有能か否かは別に考えるべきで、有名無実な存在は淘汰されるべきだと思う。さもなくば、腐敗と権威の奪い合いになる事は目に見えている。

 

だから、指導的立場にある人間は自分や家族(所属する民たちを含む)を守るためにも、常に文武両道の精進を欠かすことができないはずなのだ。

 

植民地政策に話を戻すと、欧米の侵略方法は、対象国の文化と思想、言語を全て抹殺し、奴隷化するというものだ。従って、彼らが最も恐れることは、日本の統治が人道的で一方的な侵略ではなかったと言う事実と大東亜共栄圏の真実の姿が明るみに出ること。欧米の侵略国たちにとってはアジアが統一されて自分たちに反旗を翻すことを阻止しなければならないので、何が何でも日本は冷酷な侵略者でファシストだと決めつける必要があるのだ。最近の中国も日本を批判することでアジアの覇権を握ろうとしているので、共通する部分が多い。

 

本来、中国に発した漢字の文明は共通な概念が多く、仲良くし易いはず。しかし、それが統一されると困るので、アジア諸国を仲たがいしている状態を継続させたいのが欧米なのだ。太平洋戦争の時にもしも中国が日本の大東亜共栄圏思想に同意して一緒に立ちあがったら、東西の勢力図は今と真反対になっていた可能性もある。だから中国や韓国と日本が揉めるように背後で工作をしている可能性が大きい。当時のアジアの革命の中心は日本だったのだ。アメリカはその気になれば仲裁して決着させることができる内容も傍観している。ロシアとの北方領土交渉を邪魔するのもアメリカだと言われている。いわゆる「ダレスの恫喝」事件である。この真偽は賛否両論あるけれど、これほど長い間棚上げされている現状を見れば、戦勝国の当事者であるアメリカが故意に放置し続けている事は明らかであると思う。日本海の領海問題も同じ事だろう。

 

これらの事実を日本のマスメディアはほとんど伝えないのだから、残念。本来は文科省が歴史の真実をきちんと学校教育で教えさせるべきなのだ。

 

 

これまでこのような分析や意見を発言するものは政府(アメリカの傀儡役人たち)によって排除されてきた。マスコミの放送や出版物は全て「プレスコード」により検閲され、長年にわたって洗脳教育が行われたのである。何を隠そう、私の両親もこの洗脳教育にどっぷりつかってしまっている。「日本が真珠湾攻撃をしたのだから、先に喧嘩を売ったのは日本の方だ」と教わって来ている。何という無知!と言うか、これが洗脳教育の恐ろしさなのだ。日本攻撃の口実を作るために踊らされたのだよ。中東に軍事介入する際に、テロや非人道的行為に対する制裁が大義名分とされるのと全く同じ常套手段なのだよ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%E6%94%BB%E6%92%83%E9%99%B0%E8%AC%80%E8%AA%AC

 

そして、戦前戦中戦後を知る世代はすでにほとんど亡くなり、存在しないのが現実。日本自身の将来や世界平和を考えるためには、今が最後のチャンスだと思う。

 

 

しかし、残念ながら今でも日本の立場や境遇を教えずに、戦勝国に都合の良い内容を強制的に教育させられているのが現在の教育なのである。戦後、これに異を唱えた人物は公職追放や表舞台から抹殺されたのだ。今でもテレビ番組でこれに抵触する内容を一度でも発言するとすぐに消される。当然、私みたいな人間はすぐに消される(笑)。反対に、何度も犯罪を犯した芸能人でも復活させてしまうのが、情けないマスメディアの現状なのである。それを歓迎する視聴者も馬鹿の極み。芸能人の名前はすぐ覚えるけれど、政治や国際問題はわからないのだ。なので内容はほとんどが健康(美容)、スポーツ、恋愛ドラマ、お笑いなどのバラエティーで成り立っている。アメリカの享楽的文化やショービジネスをイスラム教徒たちは道徳観念を麻痺させる有害な麻薬だと批判しているがその通りだと思う。これはアメリカのメディア統制の非常に巧妙な方法だと思う。日本人の反感や正常な思考を麻薬効果で奪ってしまうのだ。毎日楽しそうな歌や綺麗な異性の姿を見聞きして興奮し、美味しそうな食事の映像によだれを流すようになる。

 

こういうことを言うと、「仕事や生活で疲れているのに、難しい問題を考えたくない。せめてテレビくらいは楽しいものを見たい」と言う人がいる。その通りだと思う。自分もそういう時がある。なので、色々なチャンネルや内容があっていいと思う。しかし反対の考えを持つ人もいる事を考えるべき。「私はプライベートで疲れているけれど、それでも国や家族が大事なので、色々考えたい」と言う人もいるはず。ところが、現状で垂れ流されている情報は娯楽と芸能、CMが圧倒的多数であり、そういう人たちが必要としている情報は受け身では知ることができない。これは明らかにバランスが偏っている。その為、知識を受け身のテレビやラジオに依存する大部分の人達の頭の中は娯楽ばかりのパッパラパーになってしまうことになる。

 

「火垂るの墓」「裸足のゲン」などの戦災アニメは久しく放映されず、日本の伝統的な思想や歴史を庶民レベルで伝える時代劇が激変してるのはおかしい気がする。マスメディアでは視聴者から暗い、面白くないというクレームが増えたからだと言い訳しているけれど、非常に不可解。時代劇による伝統思想も根絶しようとしているようにしか思えないが、当の日本側メディアは気付かないのだろうか?ちなみに、視聴率の統計を発表している会社は有名広告代理店D社の子会社。ということは、視聴率を利用して、番組の内容に干渉することができるようになっている。番組の制作費用はスポンサーの資金なので、視聴率を上手く操作すると、番組を支持するスポンサーをコントロールすることができるからだ。有利な番組を作り、そうじゃないものを潰すこともできる。

 

テレビやショービジネスは現実を忘れさせる魔力を持っているのだ。自分はショーも好きなので全てが悪だとは思わないが、自分でバランスを取らないと中毒になる危険を感じる。テレビは視聴覚を利用した洗脳装置だとも言える。全てが無意味で有害な内容では無く、有益で勉強になるものも混在しているから厄介。まるで麻薬をわからないように混ぜて垂れ流されているようで、いつのまにか引き込まれて正常な思考を失いつつある事に気づく。また長時間同じセンテンスを繰り返されると無意識に脳に刷り込まれてしまう。私は批判的に見ているから影響は少ないと思うが、純粋な子供たちや分析力の無い人たちが見たら、その影響はどうなるのか?例えば、中国では子供の頃から「日本人は残虐な鬼だ、侵略者だ」と教えられて、今でもテレビで日本人を鬼扱いする番組が連日放映されている。その結果、日本人のことが好きな子供はとても少ないのが現実。それだけ影響は大きいということがわかる。

 

 

そういう現実を体験すると、テレビが気持ちが悪くなり、地デジにかわってから、テレビは自宅に無い。ニュースや映画などの必要な情報は受け身ではなく、自分から調べる事にしているし、それで日常生活に何の支障もない。自分で調べて理解すると言う過程を経ることで分析力や知識も身に付くので一石二鳥だと感じている。その手段としてのネットの恩恵と重要性を痛感する。正にネットは正常な思考と平和を維持するための命綱だと思う。もしも、これを特定秘密保護法を乱用して規制を始めたら、本当の危機だと思う。


3、支配者はマスメディアを利用して報道操作や洗脳をする。これを引き受ける専門家や広告代理店も存在する。恐ろしいのは彼らが巧妙に作ったストーリーを現実だと信じてしまうことである。国際世論の操作に於ける彼らの常套手段はまず標的を悪者に仕立て上げる。恐ろしいテロリストだ、人民を奴隷扱いする専制君主だと言う報道を流す。次に人道的な援助が必要だ、助けなければならない、制裁を加えなければいけない、その為に武力を使うことはやむを得ない、という方向に誘導する。欧米からアフリカの独立を企んだガダッフィーはテロリスト、専制君主に仕立て上げられて抹殺された。後から調べれば、福利厚生を徹底しており、国民からは圧倒的な指示があったにもかかわらず、外部からの国際世論操作により悪人の濡れ衣を着せられたのである。

 

場合によってはエキストラを雇って真に迫った被害者の映像を撮影してyoutubeなどで拡散する。ロシア革命でスターリンの銅像を引きずり倒している動画が流れたけれど、あれはアメリカの広告代理店がエキストラを雇って作り上げた映像であることが発覚しているが、それを安直に受け止めて暴動に参加した愚衆が多かった。更にひどい場合は、自作自演をして実際に被害者を作り出す。911やその後に続くイスラム原理主義に関する報道などはこの典型的な事件だと思う。卑近な例で言えば、原発事故に関する政府の報道操作も同じ。事実隠蔽のための操作であった。

 

最近のオリンピックも同様。国民的行事のように思わせるが、実際には関連企業とマスメディア各社の巨大商業イベントなのである。国にはそれほど恩恵の無い(むしろ赤字)イベントに税金を使わせ、彼らがお金儲けをできるように誘導されているだけである。。国民的行事のように見せかけて、税金を使い、ボランティアは当然だと言わんばかりの報道。関係者は儲かっているのだから、ボランティアの善意を悪用せず、きちんと報酬を支払うべき。本当に国家予算を使うべき震災の事後処理などに税金を使わず、商業イベントに巨額の予算を使うのは政治家の大馬鹿だと言うしかない。オリンピックで誰が儲かるのか?開催地がその後で発展した?一時的なお祭りで終わってしまい、後は廃墟になっているんじゃないの?一年前のリオオリンピック会場はこの画像の通りになっている。儲かったのは関連業者だけである。商業イベントであるならば行きたい人だけが参加費用&入場料を支払って開催すれば良いのだ。それに税金を流用するのはおかしい。

日本でオリンピック委員会との間を仲介している主体はD通である。D通は思考が単純で御人好しの体育会系政治家を担ぎ出して大々的な宣伝を行った。この企業に刃向かうとマスメディア業界にはいられないのが普通。大物芸能人もうっかり発言で抹殺されているほど。それほどの影響力を持っているのだ。

 

元々D通の創始者は「カミソリ」と言うあだ名があったほどの洞察力に優れた国際ジャーナリスト。ところが戦後に進駐軍により公職追放された。彼ほどの見識があればアメリカがしようとしていた事を見抜けたはずなので、進駐軍には障害となる。そして数年後に船舶事故により水死している。何か匂うでしょ?それに代わって社長となったのがアメリカ式PR法とショービジネスを持ち込んだ人物。それ以降はアメリカンドリームに代表されるような享楽的な文化が宣伝され、普及していくことになる。

 

しかし、私は同社に友人知人もいるので言いたいが、ビジネスも国益や人道を考えてするべき。金の為に魂や国を売るなよ。バブルの時期にパーティー券を売りさばいたりしていたお調子者たちが今では幹部になっている事だろうが、それは幹部じゃなくて「患部」の間違い。金に浮かれて日本人の魂を忘れた人たち。そういうチャラい人間に、格好いい!玉の輿だ!と憧れて群がったミーハーな女性たちがいわゆる見た目だけの偽セレブの流行を作った。頭は足りないけど、持ち物と見た目は人並み以上。これは他の大手マスメディア関連会社にも言えること。政治や思想、哲学、歴史に関する内容から目をそらさせ、表面的で薄っぺらいアメリカンドリーム的な享楽的人生観を流行・宣伝させるのには最適な人達。もちろん全員じゃないけどね。しかし本当の報道をするつもりで入社したら、いまだに続くプレスコードの影響により、言いたい事も言えずにチャラくて薄い内容となってしまうのである。それに反感を覚えて辞めるマスコミ人も少なくない。

その結果、日本は精神性を忘れ物質欲に走り、大量生産大量消費というアメリカの望む国家になりつつあるのだ。要するに間接的な植民地化なのである。

 

アメリカが日本のマスメディアを掌握するために改造されたのが現在のD通なのだよ。大手メディアはD通との取引無しで経営は難しいので、その息がかかっている限り、自由で公平なマスコミ活動は期待できない。背後にはアメリカもいるので、政治的圧力とビジネス的圧力の二段構えのプレッシャーを与えて来るから、反政府&反アメリカ的な番組や人物は抹殺される。先述した通り、時代劇なども恐らくそうだ。洗脳されたことに気付かない先輩たちは捨て置き、若い社員はそれに気付いて直すべき。或いは、如何なる権力にも屈しない独立した広告代理店を新設するべきだ。日本の美徳を知っている人たちが生きている間に何とかしないと、日本は本当に滅びると思う。責任重大なのであるから、俺に会社の悪口を言われたなどと憤慨せずに真剣に考えてもらいたい。

 

 

私が首相であれば「お前ら、オイラの国でオリンピックやりたいなら、競技場やら施設を貸してやるから、それらの使用料とメディア報道権利金を支払えよ」と言ってやる。それをわざわざ巨額の手土産まで持参して「オリンピックを開催してください」なんて言うんだからなあ。D通に骨があるなら、それくらい交渉してみろと言いたい。それに国の評価はオリンピックを開いたか否かではないと思う。産業革命期の世界中がこぞって国力を誇示した時代ではあるまいし、世界の人達から尊敬されるような言動をしてこそ評価されるはず。報道自由度がG7最下位(2018年は67位、前年は72位)のような国を信頼してくれるのだろうか?

 

これだけ色々アメリカについて言っておいて今更なんだけれど、アメリカのショーや文化はとても好き。乗っているバイクもアメリカ製だしね。アメリカの歌やダンスも好きだし、能天気なアメリカ人と遊ぶのも楽しい。でも、政府の傍若無人なやり方は大嫌い。あの自由で陽気な文化と性格は何よりの財産であると思うけれど、覇権主義的で自分勝手な言動はとても全くの逆効果。せっかく持っている資質が台無しとなり、非常にもったいないと思う。歴史が浅い分、制約が無くて自由である反面、何事も現世利益的であり、哲学的な要素が足りない。現在主流となっている物質文明と対局の哲学を持っていたのが日本だと思う。欧米の成金たちもこれに気付くべきだし、日本人は自分たちの貴重な遺産を忘れて物に走る風潮を考え直すべきだと思う。

 

こういうことを面と向かって話しても付き合えるアメリカ人がいることはとても貴重。自分も他のアジアの友人たちに対して同じように接したいと思うから、中国や他のアジアの友人たちとも同様に話している。戦時中に日本が侵攻した国の人達からは逆に辛辣な批判や疑問を受けるけれど、逃げるつもりはない。堂々と議論するために勉強もするし客観的な分析をするように心がけている。知らないことが恥ずかしい。知っているつもりで色々発言するけれど、まだまだ分からないことあ多いので、そのたびに補完していくつもり。そういうのが本当の人間の交流だと思うからね。

 

続きは、また。
 

歴史上、空前絶後の残虐な爆弾を投下されたのが日本。しかも、一つではなく、二つも落とされたわけですが、原爆を投下した人間たちは何を考えていたのかとても興味がありました。よくも、あのように残虐な行為をできたものです。しかも、それに対する正当化や被害者の日本人を都合の良いように洗脳する事はするものの、謝罪する文言は一言もありません。そういう神経とか感性がよくわかりません。

 

そう思っていたところ、原爆に関するとても多角的、客観的な視点からのNHK特集がありました。フェイスブックと言うSNSでシェアされていたものです。全部を見ると一時間以上ありますが、知らない歴史や背景を知ることができ、とても有意義に感じました。少なくとも日本人であれば知っておくべきですね。NHKがアメリカ中を調べて40年魔に記録されたとても貴重な映像資料を見つけたのです。NHKの関係者には賛辞を贈るべきです。

今となっては、原爆研究の実態を知っている科学者はほとんどが他界しているので、とても貴重な資料なのです。動画で前後編合わせて一時間半くらいです。簡単な内容説明文を少し書いてみました。

原爆の歴史上主要な人物は物理化学者三名。左からオッペンハイマー、ブッシュ、シラード。最初に提案したのは右端のシラード。ナチスのユダヤ人狩りの恐怖からNYに逃げてきた人物。

当時のドイツの科学力と勢いは凄まじく、身を持って知っていた。

そこで、ルーズベルト大統領に原爆の危険性を直訴。ドイツより先に開発しないとやられると恐怖心をあおる。無名の亡命物理学者であるために、ドイツ時代の恩師であるアインシュタインの名前を借りて直訴の書状を送る。

これがきっかけとなり、ロスアラモスという荒野のど真ん中に突如研究所ができる。提案者のシラードはシカゴで研究を続け、ルーズベルトの科学分野顧問のブッシュはワシントンで総監督をする。いわゆるマンハッタン計画である。

統領と軍の上層部のみが知る極秘プロジェクトであった。その為に大統領直属の科学研究開発局なる部門を設けたのである。予算は当時3兆円にも上るものであったが、使途も秘密扱いである。

そのロスアラモス研究所の所長が左端のオッペンハイマー。ノーベル賞を取りそこなったけれど、エリート意識が高く有名になりたがっていた人物。知人の科学者たちに後れを取り焦っていた。

所長になる人物を探していた陸軍の総責任者に自分を売り込むが、その熱意を買われて望み通り所長に抜擢される。

総監督のブッシュはエリート科学者であり、科学知識に乏しいルーズベルトの顧問をしていた。

この少し前に世界恐慌が起きていたが、科学者は頭でっかちで社会的にはあまり役に立たないと言われた科学者の境遇に不満を抱いていた。

そこで、考えたのが、科学力が如何に素晴らしいものであるのかを大衆に知らしめること。これ自体は悪い事ではないが、その方法が間違っていた。

当時、国家の一大事は太平洋戦争であったので、それを利用するべきだと考えたのである。

戦争は国同士の喧嘩であるので、喧嘩にルール無用だと言うのも一理あるが、通常の人間であれば、そこで人道を考えるはず。

その点は参加したほかの科学者たちにも言える。後のノーベル賞受賞者が25名もいるのであるが、恵まれた待遇と向学心に人道を忘れていた。

物資は軍隊が無償で提供しているために、何でも手に入った。余暇にはスキーや水泳を楽しめる。

週末はパーティー三昧。お酒が無い時には消毒用アルコールを飲んだ。

原爆投下の時の感想も一様に、先ず研究者としての達成感&満足感、次が原爆のもたらす恐怖である。

ノーベル賞を受賞した高名な科学者たちが口をそろえて同様の感想を漏らしているのだ。

インタビューに応じて、本音を話してくれた彼らはまだよい方だろう。

自分自身も高齢になって振り返る余裕ができたから、当時の人道的な配慮を欠如した状態を語ってくれた。

科学的知識は豊富にあったのに人の心を忘れていた研究者たち。

しかし、異議を唱えれば非国民扱いされ、桃源郷のような研究所も離れられなくなる。それを天秤にかけた結果であると言える。誰でもわが身が一番大事なのである。その意味で、先日アメリカの国家的スパイ行為を暴露したスノーデン氏の勇気は大したものだと言える。これに慌てた政府は特定秘密保護法を強化し、日本にも圧力をかけて来たわけだ。

一方で科学者としての言い訳にも一理あると思う。総責任者だったブッシュが戦後に語った映像がある。

日本だって毒ガス研究をしていた。どの国々も相手よりも優れた武器や技術を必死に探していたはず。これは現在も同じ。

彼はマサチューセッツ工科大学の副学長も務め、世界最大の兵器製造企業を創設した。84歳で他界しているが、その時の遺言がとても重い。

ルール無用の喧嘩では先手必勝。勝てば何をしても良い。

その極論を現実に行えば、結果は大体予想がつく。

科学自体に善悪は無く、それを使う人間次第だと思いました。以下がシェアした内容です。


前半BS1スペシャル▽“悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇20180812
前半 50分 https://www.facebook.com/gomizeromirai/videos/2322086521164805/
後半 49分
https://www.facebook.com/gomizeromirai/videos/2322254707814653/

 

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2018年8月12日(日) 午後10時00分(110分) 
BS1スペシャル
「“悪魔の兵器”はこうして誕生した
~原爆 科学者たちの心の闇~」

BS1
番組スタッフから
BS1スペシャル「"悪魔の兵器"はこうして誕生した ~原爆 科学者たちの心の闇~」by鈴木

取材のきっかけは、去年制作した戦争番組だった。
第二次世界大戦中に、日本を徹底的に焼(しょう)い弾(だん)空爆したアメリカの空軍幹部たちが、口をそろえてこう証言していた。「日本に対する原爆投下は、軍事的には全く必要のない作戦だった」。それを聞き、大きな疑問を抱いた。じゃあ、いったい誰が、何のために原爆を製造し、日本への投下を推し進めたのか。調べてみると、原爆開発を取り仕切る最高機関の存在が浮かび上がった。


重要な政策決定を行うのだから、軍人や政治家が名を連ねているのだろうと思っていたが、5人のメンバーのうち、なんと2人が科学者だった。

さらに疑問が膨らんだ。なぜ、科学者がこんな最上部の決定に加わっているのか。そして、この科学者は、いったい何者なんだ??…続きはBS1スペシャル「"悪魔の兵器"はこうして誕生した ~原爆 科学者たちの心の闇~」by鈴木

番組内容
BS1スペシャル▽“悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇
広島・長崎で多くの命を一瞬にして奪った“悪魔の兵器”原爆。開発は第2次大戦中のアメリカで、ノーベル賞受賞者ら1200人以上のエリート科学者と空前の予算の兵器プロジェクトだった。科学者たちはなぜ原爆開発に参加し大虐殺に突き進んだのか?発掘した証言テープや資料などから浮かび上がったのは、軍や政治家でなく、科学者自身が原爆開発を提案し、積極的に推進し、投下も主張したこと。科学者の深い心の闇、真相は?

出演者ほか
【語り】松尾スズキ,【声】宗矢樹頼,糸博,樫井笙人

チャンネル
2018年8月12日(日) 午後10時00分(110分)