江戸の下町にあるタンゴスタジオに寄った帰りのオフィス街で場違いな物を発見!一方通行路だったので、通り過ぎてから、30mほどバックして戻りました。
よく見たら大きなアルパカが二匹立っていました。おそらく自然食品のお店かと予想して入ってみると、愛知から来た毛糸メーカーでした。百円ショップの手芸コーナーにある毛糸関連グッズのほとんどがこのメーカーが扱っている商品だそうです。アルパカは全部本物のアルパカの毛を使用して作ったそうでした。
僕にはお呼びではないお店だったので、写真だけ撮らせていただいて退散。
この日の目的地はフランスの工業デザイナー、建築家、構築家、建設家であるジャン・プルーヴェの展覧会。僕が学生時代から敬愛したスイスの偉大な建築家コルビジェも認めた稀有な職人気質の造形作家だった。一般的な建築家やデザイナーは自らをアーティストぶる傾向があるけれど、彼は日本の大工さんや職人に近い気質の持ち主であったことが特徴。この頑固な気質が徹底している。会期が終了間近なので慌ててやって来た。
地下にある駐車場の使い勝手は悪い。動線が複雑なのに案内表示も不親切で少なく、腹が立つくらい。緊急時には避難できないのではないかと思う。美術館自体の建築はお洒落なのに実用面がイマイチ。そういう多重立体構造も楽しみのうちなのかもしれないけどね。建築にこだわった施設にはよくありがち。逆に機能性を重視すると役所や学校みたいな味もそっけもない箱になってしまうからなあ。いつもは歩きで来ていたので注意していなかった。
チケット窓口はかなりの人で、行列ができていた。並びながら窓の外をのぞくと、段ボール紙で家を作っている人たちがいた。おそらく展示内容と関係があるはずなので楽しみにしていた。
しかし、この写真はなんとなくジオラマなどのミニチュア都市みたいに見えますが、後ろの建物などは全部本物。目の錯覚で、後ろ中央の細長いビルは右に傾いているように見えて面白い。
これが帰りに見た段ボールハウスの様子。ドアも窓枠も全て段ボール。
プルーヴェは第一次世界大戦のころから金属加工の技術を学んだ人物。アイディアマンだった彼を認めた叔父さんが工場を設立するための資金援助をしてくれたらしい。作るための工作機械を手に入れた彼は色々な金属加工を行い、アイディアを得ることができた。
当時の金属の用途は武器、大型機械、交通設備(車、船、飛行機)などが主で、一般家庭では高額な特殊設備を除いて装飾品や食器などの小さな道具類が主。家具類は加工しやすい木造がほとんどだった。これに金属加工の可能性を持ち込んだ人物だと言える。贅沢品としての家具ではなく経済的、実用的な創意工夫が凝らされている。
この棚は支柱に穴が開いており、棚の高さを自由に調整できる。このようなアイディアは強度がある金属だからこそできる芸当。木製で作れば支柱はもっと太くなってしまう。
現代のIKEAやニトリなどに採用されているアイディアの先駆けだった。特権階級だけの所有物だった家具が大量に製造できる商品として普及する基礎を作った。
カフェテーブルセットは組み立て式。1950年に学生寮の食堂用に制作。
中央の横木の下に照明が取り付けられている斬新なガラステーブル。当時の技術力を考えたら凄いことです。
学生食堂のテーブル。今見れば珍しくないけれど、1930年代当時のテーブルや椅子は家具として重要な存在であり、まだ今のような大量生産される工業製品ではなかったのだ。
5段変速機の付いた自転車。これは今見てもオシャレで欲しくなる。
可動式の脚立。1951年製作。図書館などで使われていた。
我々が学校で使っている簡単だけれど強靭な構造を持つ組み立て式の学生椅子の原型をほとんどデザインしたと言ってもよい。
自分も学生時代に分解してみたことがあったけれど、シンプルな部品で構成されていた。大量生産にも向いている。第二次大戦後の復興に貢献している。
見た目だけではなく、実用面をちゃんと考えている。子供たちは前脚を浮かして、後ろの二本脚だけで立ち、グラグラと前後に揺らして遊ぶことが多いので、それに耐えられる構造にしてある。後ろ側の脚が太いのはそのせい。
学習椅子以外では様々なデザインで遊んでいた。
回転タイプは新しいアイディアだった。
僕が一番気になったのはこのミニテーブル付きの椅子。座るのが楽しくなりそう。僕ならクッションを自作して付ける。
子供用ならこれが良かった。テーブルが広いから色々なことができる。
テーブルの角度調整が自由なので、子供の成長に合わせることができる。
僕もこういう勉強机があれば、もっと勉強していたかもしれないと思った(笑)。
使わない時には壁に直立させて収納できるテーブル。現代の洋風家具にはテーブルの他にこれと同じ収納方式のベッドもある。そのアイディアの原型がこれだったのかもしれない。
造形的には美しいけれど、一度座ると起き上がるのが大変そう。腹筋を鍛えていないと難しいと思った。
プルーヴェは金属加工が得意だったけれど、既存の木材加工文化や工法もうまく融合させている。これは簡単に設営できる組み立て式住宅として発案された8m四方の住宅。骨組みとなる支柱と背骨のような梁を利用して、同じサイズのパネルを組み立てると、作業員四名で半日で完成するらしい。
外にはバルコニーも設けられていて、開放的で広々している。床材もはめ込み式。
秘かに気に入ったのが鉄のレールを移動する雨戸。窓パネルをはめ込んでから外に取り付ける方式。
バラバラの板を組み合わせた構造のために窓は左右に連結できず、まだアルミサッシが無い時代に発案したアイディアなのだ。
この広々とした室内空間を生み出すのが、彼の特許である「ポルティーク」と呼ばれる構造体。動物の背骨と肋骨みたいに見える。これは木造であるけれど、金属製のものもある。
強度計算から導き出された長さと角度と間隔。この知識はモノづくりの基本であり生命線。

思い出したけれど、昔、姉歯という名前の一級建築士が強度計算を偽造したことがある。本当に建築士の面汚しであった、僕は当時海外メディアと一緒に建築Gメン(政府が組織した調査チーム)の取材に行ったことがあるけれど、これがきっかけで建築基準法が改正された。
そこで気付いたことは、日本の公的制度は古い性善説的な自己申告を信用する精神に基づいている。だから「良心」「道徳」が命。これを失った奴らには逆につけ込む隙を与えることになる。だから、最近の自動車業界の検査数値の偽造も起こり始めた。信用第一であった日本の危機である。これは本当に深刻な問題だと思う。その偽造工作関係図は共産党の機関紙である赤旗がわかりやすかったので拝借。
これに対処する方法は教育とそれに応じた厳罰制度だと思う。規制や手続きを厳しくするのも方法であるけれど、自由や発展の速度に悪影響を与えると思う。せっかく便利になったものが、急に使えなくなったりすることはとても残念だし社会的損失だと思う。それより、規則を厳しくしなくても、実行力と即効性のある懲罰制度だけで抑止効果は生まれるはず。そもそも知識のある専門職は様々な裏技を知っているし、発案することができるから、それらに一々対応する法規を作るなどはイタチごっこ。だからこそ「やってもいいけど、その場合の覚悟はしておけよ」と言う因果応報の懲罰制度だけを明確に決めておけばいいのだ。色々なジャンルにもある注意勧告などは生ぬるい。確信犯であれば即懲罰にするべき。
元々、日本に性善説が通用していたわけではなく、それが生まれたのは天罰&懲罰(神仏と行政)による抑止効果によるものであることは歴史を見ればわかる。現在の性善説的な風土は戦乱の時代に平和を熱望した偉大な指導者たちによるものである。これが江戸時代まで受け継がれてきたわけだ。それを壊したのは明治に侵略者の手先となった西洋かぶれの田舎侍たちと敗戦による日本の弱体洗脳化政策によるもの。この点を平和ボケしている政府と国民は認識が足らない。政界関係者の中には日本植民地計画に加担した人間たちの末裔も多いから本当に日本のことを考えているのかどうかは疑問。過剰な綺麗ごとは一見良さそうに見えるけれど、犯罪者を甘やかすことになることに気付くべき。公的資格保持者の犯罪に関しては、懲罰に関しても、一般人とは違う倍率制にするべき。例えば一般人が懲役5年なら、政治家と警察官は20年のようにするべき。
金属製のポルティークもやはり動物の骨格みたいに見える。地球に存在する物体は全て物理の法則でなりたっているから、似るのは自然なことなのだ。ここから逆の発想で自然を学びながら研究発展して来たのが科学文明だと思う。飛行機は鳥の模倣だし、船は魚に学んでいる。
これを基にしてファサードと呼ばれる外壁や天板を組み合わせていくわけだ。教室や会合場所などの公共施設を主な目的としているので、小部屋はないけれど、作ろうと思えば作れるはず。
当時最先端のアルミを多用している。軽くて柔らかいのが長所。その代わり強度と腐食に弱い。
しかし、その金属加工の絶妙な組み合わせとデザインは本当に惚れ惚れする。物理学や人間工学などを融合した結果生まれる実用の美だと思う。これは優れた工業製品の特長。日常雑貨や伝統的な道具類にも見ることが出来る、生活から生まれた美なのだ。昔からドイツの工業製品には多かった。航空機、車、電化製品などの機能美はとても美しい。これに有機的な感性が盛り込まれたのがイタリアやフランスなどのラテン系だと思う。
日本では柳宗悦などがアジアの民芸運動の中で生活の中に存在する美に着目し、現在では東西文化が融合して「生活芸術」として認識されるようになった。
僕の恩師はその創成期の人物でもあったので、西洋の民芸運動家としてウィリアムモリスやコルビジェなどを教わり、その流れで、プールヴェにも自然とたどり着いたわけだ。近代建築の巨匠であったコルビジェの数ある名建築の中で、最も記憶に残っているのが自然光を利用した礼拝堂だった。
外から見たら、小さな穴凹が開いた原始的なイメージの建築。ところがその小さな明り取りの窓から入って来た自然光は放射線状に加工された窓枠により室内に幻想的な世界を生み出す。この建築を見て、一瞬でコルビジェの虜となってしまったことを思い出す。そのコルビジェが現在存在する造形作家(構築家)として最も偉大だと認めたのがプルーヴェなのだ。彼の仕事の範囲は広いため、デザイナー、建築家、建設課、構築家などと色々に称するけれど、どうでも良いと思う。要するにモノづくりの天才だった。
工芸や芸術といった、元々は限られた人たちの楽しみとかステイタスであったものが、大衆の日常生活に溶け込んでいき、現代生
活が成り立ってきた過程を思い出した。本来芸術家や職人が持っていた精神性が、工業製品として大量生産されるようになると、作者の精神性や芸術的な意味よりも、生産効率や利益率が優先されるようになる。最近はその反省から量より質の向上を考えているけれど、プルーヴェはその両立に葛藤していた世代。
戦争で破壊された都市を復興するためにはインフラの整備が必然。そのために、経済的で機能的な住宅が求められた。フランスはアフリカを植民地化しているので、その駐在員たちのための宿舎を大量に建築する必要があり、熱帯性気候に適した住宅の設計をプルーヴェに依頼して来た。
アルミは湿度の高い気候では腐食しやすいけれど、乾燥地帯には適している。アルミを多用するプロジェクトに目を付けた大手のアルミ加工会社と資本提携をして工場も拡大することとなった。これで、経営規模はスケールアップしたものの、ビジネスと思想(こだわり)の矛盾を生むことにもなった。
採光性と通風を考慮した外壁パネル。とても可愛らしくてお洒落。
機能とオシャレや可愛らしさを両立させる見事としか言いようのないデザインセンス。
やはりこの背景にはアールヌーボーなどの工芸運動があることを感じる。プルーヴェこそそれらの運動の聖地で生まれ育った人物なのである。
通風と換気に適しているルーバー窓を多用している。
フランス製映画には未来的なデザインが多々登場したけれど、日本でアルミ製ルーバー窓などは見たことも無い代物だった。
総アルミ製で、まるで飛行機の翼のような大迫力。
これが実際の現地住宅の様子。従来の材料と工法より大幅に経費が削減できたらしい。
外壁パネル自体にも通風のための穴が開けられている。一方で防音は期待できそうもない。
砂漠地帯であればマラリアなどを媒介する害虫もいなかったのだろうと推察。

自分の思想と工法に自信を持ったプルーヴェは自宅を建てることにした。
工場の経営も上々で資金にも余裕があったので、広大な敷地を購入して、自分の才能をフル活用した家を作るつもりだった。
ところが、会社や組織は大きくなると問題も発生する。元々、職人気質だったプルーヴェは現場に居なければ造形作家ではないというこだわりがあり、作業員たちと家族のような付き合いと生産方式を行って来たのであるが、ビジネスを大規模に展開しようとすると、それが逆に足かせとなってしまう。
結局経営の主導権を持つアルミ会社から実質的な責任者を降ろされ、工場内へは出入り禁止となり、最終的には自分が作った工場を去る。そのために、豪華な建築設計は変更され、自分が培った経済的合理的な工法を用いた快適な家に考え直すこととなった。
その結果できたのが世界一豪華なバラック建築とも言われるプレハブ式平屋の自邸である。(画像:横尾真氏)確かに一見すると倉庫や一時使用の事務所に見える。
アルミの丸窓部分は浴室になっていた。隣の大きな窓ガラスはリビング。これに似たような建築は地方に行くと目にする気もする。僕の知り合いの大工さんも自宅を自分で増改築をして行ったら、結果としてこのような建物になっている(笑)。
従来の「家」という概念はステータスとしての意義も重要視されたから、権力者たちは豪華な邸宅を建てたがった。しかし、最初からそれらを重要視せず、人間としての実用的な快適さと精神性を重んじると、このような結果になるのかもしれない。要するに、物質を加工、造形する作家でありながら、物質文明にとらわれない精神的な人物なのだと思う。だからこそ、何事にもとらわれない自由な発想ができるのだ。
そう言えば、展覧会場でとても気に入った言葉があった。僕も全く同感なのです。
古代の住居や自然とともに移動する民族の住居と同じ。定住しないから痕跡は残らない。従って過剰な資産は持たないし、土地に対する執着は生まれないのですよ。
人間はいい加減に物質文明の虚しさに気付くべきだよ。
自邸でくつろぐプルーヴェ。豊かな時間と空気感。
美術館の中庭に出たら、秋空と昼の三日月が見えた。
外には半地下部分に和風の山水ぽい庭園があった。おそらく、これらのアイディアを色々と盛り込んだ設計になっているために、立体的な移動をするための導線が複雑になっているのだと思う。















































































































































