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雲水・ISA(九龍)のブログ

日本は神の国
仁術師

江戸の下町にあるタンゴスタジオに寄った帰りのオフィス街で場違いな物を発見!一方通行路だったので、通り過ぎてから、30mほどバックして戻りました。

よく見たら大きなアルパカが二匹立っていました。おそらく自然食品のお店かと予想して入ってみると、愛知から来た毛糸メーカーでした。百円ショップの手芸コーナーにある毛糸関連グッズのほとんどがこのメーカーが扱っている商品だそうです。アルパカは全部本物のアルパカの毛を使用して作ったそうでした。

僕にはお呼びではないお店だったので、写真だけ撮らせていただいて退散。

 

この日の目的地はフランスの工業デザイナー、建築家、構築家、建設家であるジャン・プルーヴェの展覧会。僕が学生時代から敬愛したスイスの偉大な建築家コルビジェも認めた稀有な職人気質の造形作家だった。一般的な建築家やデザイナーは自らをアーティストぶる傾向があるけれど、彼は日本の大工さんや職人に近い気質の持ち主であったことが特徴。この頑固な気質が徹底している。会期が終了間近なので慌ててやって来た。

地下にある駐車場の使い勝手は悪い。動線が複雑なのに案内表示も不親切で少なく、腹が立つくらい。緊急時には避難できないのではないかと思う。美術館自体の建築はお洒落なのに実用面がイマイチ。そういう多重立体構造も楽しみのうちなのかもしれないけどね。建築にこだわった施設にはよくありがち。逆に機能性を重視すると役所や学校みたいな味もそっけもない箱になってしまうからなあ。いつもは歩きで来ていたので注意していなかった。

チケット窓口はかなりの人で、行列ができていた。並びながら窓の外をのぞくと、段ボール紙で家を作っている人たちがいた。おそらく展示内容と関係があるはずなので楽しみにしていた。

しかし、この写真はなんとなくジオラマなどのミニチュア都市みたいに見えますが、後ろの建物などは全部本物。目の錯覚で、後ろ中央の細長いビルは右に傾いているように見えて面白い。

 

これが帰りに見た段ボールハウスの様子。ドアも窓枠も全て段ボール。

プルーヴェは第一次世界大戦のころから金属加工の技術を学んだ人物。アイディアマンだった彼を認めた叔父さんが工場を設立するための資金援助をしてくれたらしい。作るための工作機械を手に入れた彼は色々な金属加工を行い、アイディアを得ることができた。

当時の金属の用途は武器、大型機械、交通設備(車、船、飛行機)などが主で、一般家庭では高額な特殊設備を除いて装飾品や食器などの小さな道具類が主。家具類は加工しやすい木造がほとんどだった。これに金属加工の可能性を持ち込んだ人物だと言える。贅沢品としての家具ではなく経済的、実用的な創意工夫が凝らされている。

この棚は支柱に穴が開いており、棚の高さを自由に調整できる。このようなアイディアは強度がある金属だからこそできる芸当。木製で作れば支柱はもっと太くなってしまう。

現代のIKEAやニトリなどに採用されているアイディアの先駆けだった。特権階級だけの所有物だった家具が大量に製造できる商品として普及する基礎を作った。

カフェテーブルセットは組み立て式。1950年に学生寮の食堂用に制作。

中央の横木の下に照明が取り付けられている斬新なガラステーブル。当時の技術力を考えたら凄いことです。

学生食堂のテーブル。今見れば珍しくないけれど、1930年代当時のテーブルや椅子は家具として重要な存在であり、まだ今のような大量生産される工業製品ではなかったのだ。

5段変速機の付いた自転車。これは今見てもオシャレで欲しくなる。

可動式の脚立。1951年製作。図書館などで使われていた。

我々が学校で使っている簡単だけれど強靭な構造を持つ組み立て式の学生椅子の原型をほとんどデザインしたと言ってもよい。

自分も学生時代に分解してみたことがあったけれど、シンプルな部品で構成されていた。大量生産にも向いている。第二次大戦後の復興に貢献している。

見た目だけではなく、実用面をちゃんと考えている。子供たちは前脚を浮かして、後ろの二本脚だけで立ち、グラグラと前後に揺らして遊ぶことが多いので、それに耐えられる構造にしてある。後ろ側の脚が太いのはそのせい。

学習椅子以外では様々なデザインで遊んでいた。

回転タイプは新しいアイディアだった。

僕が一番気になったのはこのミニテーブル付きの椅子。座るのが楽しくなりそう。僕ならクッションを自作して付ける。

子供用ならこれが良かった。テーブルが広いから色々なことができる。

テーブルの角度調整が自由なので、子供の成長に合わせることができる。

僕もこういう勉強机があれば、もっと勉強していたかもしれないと思った(笑)。

使わない時には壁に直立させて収納できるテーブル。現代の洋風家具にはテーブルの他にこれと同じ収納方式のベッドもある。そのアイディアの原型がこれだったのかもしれない。

造形的には美しいけれど、一度座ると起き上がるのが大変そう。腹筋を鍛えていないと難しいと思った。

プルーヴェは金属加工が得意だったけれど、既存の木材加工文化や工法もうまく融合させている。これは簡単に設営できる組み立て式住宅として発案された8m四方の住宅。骨組みとなる支柱と背骨のような梁を利用して、同じサイズのパネルを組み立てると、作業員四名で半日で完成するらしい。

外にはバルコニーも設けられていて、開放的で広々している。床材もはめ込み式。

秘かに気に入ったのが鉄のレールを移動する雨戸。窓パネルをはめ込んでから外に取り付ける方式。

バラバラの板を組み合わせた構造のために窓は左右に連結できず、まだアルミサッシが無い時代に発案したアイディアなのだ。

この広々とした室内空間を生み出すのが、彼の特許である「ポルティーク」と呼ばれる構造体。動物の背骨と肋骨みたいに見える。これは木造であるけれど、金属製のものもある。

強度計算から導き出された長さと角度と間隔。この知識はモノづくりの基本であり生命線。

思い出したけれど、昔、姉歯という名前の一級建築士が強度計算を偽造したことがある。本当に建築士の面汚しであった、僕は当時海外メディアと一緒に建築Gメン(政府が組織した調査チーム)の取材に行ったことがあるけれど、これがきっかけで建築基準法が改正された。

そこで気付いたことは、日本の公的制度は古い性善説的な自己申告を信用する精神に基づいている。だから「良心」「道徳」が命。これを失った奴らには逆につけ込む隙を与えることになる。だから、最近の自動車業界の検査数値の偽造も起こり始めた。信用第一であった日本の危機である。これは本当に深刻な問題だと思う。その偽造工作関係図は共産党の機関紙である赤旗がわかりやすかったので拝借。

これに対処する方法は教育とそれに応じた厳罰制度だと思う。規制や手続きを厳しくするのも方法であるけれど、自由や発展の速度に悪影響を与えると思う。せっかく便利になったものが、急に使えなくなったりすることはとても残念だし社会的損失だと思う。それより、規則を厳しくしなくても、実行力と即効性のある懲罰制度だけで抑止効果は生まれるはず。そもそも知識のある専門職は様々な裏技を知っているし、発案することができるから、それらに一々対応する法規を作るなどはイタチごっこ。だからこそ「やってもいいけど、その場合の覚悟はしておけよ」と言う因果応報の懲罰制度だけを明確に決めておけばいいのだ。色々なジャンルにもある注意勧告などは生ぬるい。確信犯であれば即懲罰にするべき。

 

元々、日本に性善説が通用していたわけではなく、それが生まれたのは天罰&懲罰(神仏と行政)による抑止効果によるものであることは歴史を見ればわかる。現在の性善説的な風土は戦乱の時代に平和を熱望した偉大な指導者たちによるものである。これが江戸時代まで受け継がれてきたわけだ。それを壊したのは明治に侵略者の手先となった西洋かぶれの田舎侍たちと敗戦による日本の弱体洗脳化政策によるもの。この点を平和ボケしている政府と国民は認識が足らない。政界関係者の中には日本植民地計画に加担した人間たちの末裔も多いから本当に日本のことを考えているのかどうかは疑問。過剰な綺麗ごとは一見良さそうに見えるけれど、犯罪者を甘やかすことになることに気付くべき。公的資格保持者の犯罪に関しては、懲罰に関しても、一般人とは違う倍率制にするべき。例えば一般人が懲役5年なら、政治家と警察官は20年のようにするべき。

金属製のポルティークもやはり動物の骨格みたいに見える。地球に存在する物体は全て物理の法則でなりたっているから、似るのは自然なことなのだ。ここから逆の発想で自然を学びながら研究発展して来たのが科学文明だと思う。飛行機は鳥の模倣だし、船は魚に学んでいる。

これを基にしてファサードと呼ばれる外壁や天板を組み合わせていくわけだ。教室や会合場所などの公共施設を主な目的としているので、小部屋はないけれど、作ろうと思えば作れるはず。

当時最先端のアルミを多用している。軽くて柔らかいのが長所。その代わり強度と腐食に弱い。

しかし、その金属加工の絶妙な組み合わせとデザインは本当に惚れ惚れする。物理学や人間工学などを融合した結果生まれる実用の美だと思う。これは優れた工業製品の特長。日常雑貨や伝統的な道具類にも見ることが出来る、生活から生まれた美なのだ。昔からドイツの工業製品には多かった。航空機、車、電化製品などの機能美はとても美しい。これに有機的な感性が盛り込まれたのがイタリアやフランスなどのラテン系だと思う。

日本では柳宗悦などがアジアの民芸運動の中で生活の中に存在する美に着目し、現在では東西文化が融合して「生活芸術」として認識されるようになった。

 

僕の恩師はその創成期の人物でもあったので、西洋の民芸運動家としてウィリアムモリスやコルビジェなどを教わり、その流れで、プールヴェにも自然とたどり着いたわけだ。近代建築の巨匠であったコルビジェの数ある名建築の中で、最も記憶に残っているのが自然光を利用した礼拝堂だった。

外から見たら、小さな穴凹が開いた原始的なイメージの建築。ところがその小さな明り取りの窓から入って来た自然光は放射線状に加工された窓枠により室内に幻想的な世界を生み出す。この建築を見て、一瞬でコルビジェの虜となってしまったことを思い出す。そのコルビジェが現在存在する造形作家(構築家)として最も偉大だと認めたのがプルーヴェなのだ。彼の仕事の範囲は広いため、デザイナー、建築家、建設課、構築家などと色々に称するけれど、どうでも良いと思う。要するにモノづくりの天才だった。

工芸や芸術といった、元々は限られた人たちの楽しみとかステイタスであったものが、大衆の日常生活に溶け込んでいき、現代生

活が成り立ってきた過程を思い出した。本来芸術家や職人が持っていた精神性が、工業製品として大量生産されるようになると、作者の精神性や芸術的な意味よりも、生産効率や利益率が優先されるようになる。最近はその反省から量より質の向上を考えているけれど、プルーヴェはその両立に葛藤していた世代。

戦争で破壊された都市を復興するためにはインフラの整備が必然。そのために、経済的で機能的な住宅が求められた。フランスはアフリカを植民地化しているので、その駐在員たちのための宿舎を大量に建築する必要があり、熱帯性気候に適した住宅の設計をプルーヴェに依頼して来た。

アルミは湿度の高い気候では腐食しやすいけれど、乾燥地帯には適している。アルミを多用するプロジェクトに目を付けた大手のアルミ加工会社と資本提携をして工場も拡大することとなった。これで、経営規模はスケールアップしたものの、ビジネスと思想(こだわり)の矛盾を生むことにもなった。

採光性と通風を考慮した外壁パネル。とても可愛らしくてお洒落。

機能とオシャレや可愛らしさを両立させる見事としか言いようのないデザインセンス。

やはりこの背景にはアールヌーボーなどの工芸運動があることを感じる。プルーヴェこそそれらの運動の聖地で生まれ育った人物なのである。

通風と換気に適しているルーバー窓を多用している。

フランス製映画には未来的なデザインが多々登場したけれど、日本でアルミ製ルーバー窓などは見たことも無い代物だった。

総アルミ製で、まるで飛行機の翼のような大迫力。

これが実際の現地住宅の様子。従来の材料と工法より大幅に経費が削減できたらしい。

外壁パネル自体にも通風のための穴が開けられている。一方で防音は期待できそうもない。

砂漠地帯であればマラリアなどを媒介する害虫もいなかったのだろうと推察。

自分の思想と工法に自信を持ったプルーヴェは自宅を建てることにした。

工場の経営も上々で資金にも余裕があったので、広大な敷地を購入して、自分の才能をフル活用した家を作るつもりだった。

ところが、会社や組織は大きくなると問題も発生する。元々、職人気質だったプルーヴェは現場に居なければ造形作家ではないというこだわりがあり、作業員たちと家族のような付き合いと生産方式を行って来たのであるが、ビジネスを大規模に展開しようとすると、それが逆に足かせとなってしまう。

結局経営の主導権を持つアルミ会社から実質的な責任者を降ろされ、工場内へは出入り禁止となり、最終的には自分が作った工場を去る。そのために、豪華な建築設計は変更され、自分が培った経済的合理的な工法を用いた快適な家に考え直すこととなった。

その結果できたのが世界一豪華なバラック建築とも言われるプレハブ式平屋の自邸である。(画像:横尾真氏)確かに一見すると倉庫や一時使用の事務所に見える。

アルミの丸窓部分は浴室になっていた。隣の大きな窓ガラスはリビング。これに似たような建築は地方に行くと目にする気もする。僕の知り合いの大工さんも自宅を自分で増改築をして行ったら、結果としてこのような建物になっている(笑)。

従来の「家」という概念はステータスとしての意義も重要視されたから、権力者たちは豪華な邸宅を建てたがった。しかし、最初からそれらを重要視せず、人間としての実用的な快適さと精神性を重んじると、このような結果になるのかもしれない。要するに、物質を加工、造形する作家でありながら、物質文明にとらわれない精神的な人物なのだと思う。だからこそ、何事にもとらわれない自由な発想ができるのだ。

そう言えば、展覧会場でとても気に入った言葉があった。僕も全く同感なのです。

古代の住居や自然とともに移動する民族の住居と同じ。定住しないから痕跡は残らない。従って過剰な資産は持たないし、土地に対する執着は生まれないのですよ。

 

人間はいい加減に物質文明の虚しさに気付くべきだよ。

 

自邸でくつろぐプルーヴェ。豊かな時間と空気感。

美術館の中庭に出たら、秋空と昼の三日月が見えた。

外には半地下部分に和風の山水ぽい庭園があった。おそらく、これらのアイディアを色々と盛り込んだ設計になっているために、立体的な移動をするための導線が複雑になっているのだと思う。

この日は夜もイベントがあり、全く食事をする暇がなかった。都心から帰る途中の夜10時ころに閉店ギリギリに駆け込んだ喜多方ラーメンだけ。
今だけの季節限定シイタケとスダチのラーメン。これは美味しかった。
いつどこに行っても、最初に探すのは美味しいラーメン屋さん。どんなグルメ店よりも優先されるから、自分のラーメン好きには笑ってしまう。

 

 

 

ほとんど日課のような散歩(車or鉄馬)コースがいくつかある。大体、寄るか寄らないかはその時の天気と雰囲気と勘で決める。まだ夏みたいな陽気なので海沿いのルートにする。夏の海は大混雑なので全く来る気がしなかったから、久し振り。

この日は夏みたいな暑さ。江戸時代まで灯台があった小さな岬には湾に出入りする船の安全祈願をした石碑がある。

江戸時代の灯台は油を原料とした燭台に火をともして、朝まで交代で管理する方法。

飾り題目、ヒゲ題目、花題目とか言ったと思うけれど、ある宗派特有の書体。

彼岸花がまだ咲いていた。数は少ないけれど、良い。

こういう野原を見ると本能で寝っ転がりたくなるけれど、この日は我慢。

家族連れの外国人たちが泳いでいた。この気温なら全く問題なし。

ちなみにここは昔の処刑場。そのせいか、日本人で泳いでいる人は少ない。しかし、心霊スポットと騒ぐ人が多いけれど、それは偽のスピリチュアル系の人間たちの戯言。そんなことを言ったら、古来の合戦場はどうなる?京都、鎌倉、会津、上野なんか死骸だらけ。NYの地下などは大虐殺された原住民の遺骸だらけですぞ。

 

もしもお化けや鬼が生前の恨みで出て来るというなら、罪人が死んでから誰かを恨むのはお門違い。冤罪を除いて自業自得でしょ。それに対して合戦場と化した市中で虐殺されてしまった一般人の恨みの方がよほど強いはず。

こういう理を知らず、メディアなどで騒ぐ輩こそ災いの元。そういうことをのたまう占い師、スピリチュアル系のヒーラーとかメンターとかは偽物&害毒なので要注意です。淘汰するべきだけど、そういう偽者の方がもてはやされるのが、無知の愚衆が作っている現代社会文明。

 

なので、僕は全く問題なくいつも楽しく泳ぐし、昼寝もします。もしも鬼なんか出てきたら、興味津々で長話をすることでしょう。

当日はクラゲもいないし水も澄んでいるからシュノーケルを持ってこなかったことを後悔。これなら普通に全然潜れる。

湾を横切るフェリーが見える。対岸まで約7キロの距離。乗船時間は30分くらい。

夏の渋滞が嫌だったので海関係は控えていたけれど、久しぶりに鉄馬でフェリーも良いと思った。

隣の海岸からも房総半島が綺麗に見える。この辺は海上自衛隊の管轄する立ち入り禁止区域。一時期、TVで残された自然を紹介してしまったので、不法侵入者が続出して、パトカーがよく来ていた。こういうブログやSNSはまだ見る人が限られるけれど、、公共メディアは情報垂れ流しだから、弊害も大きい。

往来する船舶の数は日本でも最多だから、見ていても飽きない。展望台には船舶のガイドもあった。

富士山は半島の反対側なので背中方向。あちらの湾だと日中は富士山や海が見えるけれど、航路ではないので、日が落ちたら真っ暗で何も見えない。こちらは夜も楽しい所が違う。

展望台は見晴らしは良いけれど海辺まで距離があるので、海に降りることにする。

実は、今日の目的は、亡き恩師(思想家&評論家)の遺作となった詩集が奥様から届いたので、海辺で読むつもりだった。詩の大部分は闘病中の病室で書かれたらしい。生前の繊細さを偲ばせる内容。先生から見ると私は異次元のアウトローだったので、非常に気を遣っていただいたことを思い出した。

不肖の生徒であり、風来坊であるため、恩師が闘病されていたことを知らず、亡くなってから知った。それなのに、私のことをご家族が覚えていてくださって、卒業生を通して詩集をいただくことができた。小さかったお嬢様が当時学生だった僕の言動をはっきりと覚えていた事を聞いて、本当に胸が熱くなりました。近々お会いすることができそうなので、再会がとても楽しみ。

 

翌日も天気が良かったので、簡単なキャンプ&仕事道具を一式持参。

空は秋晴れ。天高く馬肥ゆる秋、とはその通り。

 

しかし、本当はこのもっと先に宇宙空間があるはずで、言ってみれば、この青は映画館のスクリーンみたいなもの。人間の目はそのスクリーンに映し出されたモノで止まっており、その先を見ていない(見られない)のだ。夜はそのスクリーンが透明になる時間。ということは、昼間は星や月の姿が見えないマヤカシの世界で、夜こそ真実が見える時間帯なのかもしれない。

沖合を色々な船が次から次へと往来するので、見るのも飽きない。これは自動車運搬船。窓もない単なる箱舟。積み荷が多いと、もっと沈むから、これは積載量が少ないみたい。

そう言えば、伝説にあるノアの箱舟はどんなやつだったのか?世界中の生物の雄雌を集めて出港したと言われているけれど、さぞかしデカい船だったんだろうなあ。

大島を結ぶ水中翼船はまるでスピードボートのように大きなタンカー(白青)を後ろから追い抜く。

左端の白いのが水中翼船で、スマホで撮影しようと思っている間に、右から大きな船をあっと言う間に追い抜いて左の東京港方面に走り去って行った。

たった一日の違いだけれど、波打ち際には昨日にはなかった天草が大量に流れついていた。寒天でも作るか。

懐かしいエンジン音が聞こえたので見に行くと、昭和の名車たち。今は生産中止となっている2サイクルエンジン。知っている人ならあの音と匂いにゾクゾクするはず。

ロックバンドをやっている若者たちが相模原から来たそうだった。彼らのおじいちゃんの時代のバイクだ。こういう関係は良いな。

日が傾いてきたら、いきなり蚊が増えて来たので、撤収することにする

最後に海辺に降りると影が「人」文字になっていた。秋なので西日がかなり斜めになって来ていることがよくわかる。

蚊がいなくなれば快適な仕事キャンプができる。しかし、通信設備を持参して分かったことは、楽天モバイルの通信状態が不安定で仕事にならない。まぁ、wifiを使わない仕事の方法も色々あるけれど、将来のためにも通信不良のクレームを出すことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年はタンゴ界の伝説的な人物(女性)が訪日されている。今のアルゼンチンタンゴスタイルが確立されて以来の二世代目と言える。創世記を確立したコペス&ニエベスさんのお弟子さんで、当時の可愛いアイドルでした。僕のタンゴ歴は浅いので後から学びましたが、今でもご活躍していた姿はyoutubeなどでも見られます。

 

 

しかし、それ以前のアイドル時代の映像というものはほとんど見た記憶がありませんでした。今回はその当時の映像や話をまとめて作られた自伝映画と共に来日されたのでした。

御高名は存じ上げていたものの、少女時代のお姿を動く映像として拝見したのは初めてでした。驚いたのは、今のタンゴとはかけ離れたテニス少女みたいな服装とヒールのない平たい靴でずっと踵を浮かせたままで踊っていたことです。踊っていなければ、可愛らしいラテンの女の子です。

 

 

お会いした時に、その話をしたところ、ご両親がそうさせていたとのことでした。子供なのにドレスやハイヒールを使うと年寄り臭くなるから、子供らしく踊りなさいということだったようです。

 

8月の映画の発表会&グランミロンガは会場が狭く感じるほどの大盛況。芸能で例えるなら、マドンナさんが来日した感じかなぁ。今でも現役バリバリで指導もするしダンスも踊られます。

会場は東京神田の辺り。この辺は江戸時代に丘陵だったところを開削して堀を作ったから、起伏が大きい。この大工事を無理やり押し付けられたのが仙台の伊達政宗。

策士の徳川家康は雑談の中で「もしも、お前が江戸を攻めるなら何処から攻めるか?」と伊達公にお尋ねになり、「神田の辺なら地続きで兵を進めやすい」と答えたので、「だったら、そこが危ないからお前が堀を作れ!」と命じられてしまったらしい。策士相手に口は災いの元ですなあ。

 

この大工事によって誕生した人工の大渓谷は浮世絵にもなるほどの観光名所となったそうです。それにしても、昔の東京は自然豊かで良い場所でした。

今の様子がこちら。外堀(神田川)があり、左の高架が中央線、右の陸地は秋葉原。高低差が大きいので、地上を走っている鉄道(総武線、中央線)は高架になって三次元的な地形となっており、地下鉄(丸ノ内線)が顔を出す区間もある。

この高架の先は御茶ノ水で、後ろ方向は東京駅につながっている。この細長い建造物は秋葉原駅ができる前に存在していた「万世駅」。現在は商業スペースとして復活している。これだけ雰囲気のある貴重な建物を壊すのは勿体ないから、大賛成。
江戸末期の万世橋界隈には駅はまだなく、木造の民家が立ち並んでいた。
そこに東京駅と同じレンガ造りの駅舎ができた。明治と大正時代には賑わっていたけれど、関東大震災で大きく破損し、その後は所収して部分的に使用。
秋葉原駅ができてからは存在価値がなくなり、事務所、倉庫、交通博物館として使用されていた。
万世といえば、昭和の焼肉ブームを牽引した名店「肉の万世」がある。万世駅の脇にある外堀を跨ぐ橋が万世橋であり、その名を由来としている。まだ、焼肉チェーン店などもない時代に一世風靡した名店だった。
この隣が秋葉原で、ステレオマニアだった父親について来るとと、帰りは肉の万世で夕ご飯をご馳走してもらえるのが楽しみだった。ステレオにはそれほど興味がなかったけれど、地元では滅多に食べられない西洋風の肉料が大好きだった。
フォークの背中にご飯を上手に乗せて食べている人たちを初めて見たのもこのお店だった。一時は真似して食べていたけれど、面倒くさいから途中で放棄した思い出がある。懐かしいので帰りの夜景も撮影してしまった。
それと気になったのがリノベーションされた駅舎。元々建築好きだし、アート全般が好きだから、帰りに立ち寄ってじっくり観察することにした。
この駅舎の建造物はお洒落にリノベーションされており、中には公共スペースやブティック、喫茶店、レストランなどが入っている。
アーチ状の構造が独特の雰囲気。見ていても楽しい。
駅舎を貫いているトンネルもアーチ型で左右に二本ある。行違えるようにしたのだろう。
今考えると小さくて低いけれど、明治から大正時代の日本人は電車に乗るためにこの中を移動していたのだと思うと、楽しくなってくる。何度も行ったり来たりしてしまった。
ダンスが出来そうな空間だけど、場所を占領すると通行できなくなるからダンスパーティーは無理だろうなあ。
内部を探検するとホームと階段も残っていた。1935年製らしい。
上野ホーム部分はガラス張りの空間で、真ん中がビオトープになっていた。
今は電車が停まらないので、両側を通過する様子が見える。
こちらは一番古い1912年製の階段。
壁はタイル貼り。床は大理石。映画に使えそうな雰囲気。
夜の外観はアーチ型の造形が橋みたいで美しい。
反対側はお洒落なカフェやノンアルコールバーもある。上京した帰りの寄り道候補となりました。
ナタリアさんはグランミロンガの後に日本各地を巡回し、再び東京にお戻りになったので、つい先日レッスンを受けさせていただきました。

すっかり疎かになっていた基本を見直す良い機会でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この季節は昼夜の時間が等しくなる。日本では別世界とリンクする時間帯だと言われている。それがお彼岸の起源。この頃に咲く美しい花が彼岸花。大陸伝来の呼称では曼殊沙華。なぜか、彼岸は死者の日だから気持ちが悪いというような邪な教えを覚えてしまった人が多いけれど、古来の信仰にも花にも非常に失礼。なんで死者が気持ち悪いわけ?誰でもいつか死ぬでしょ?自分が生前に不義理をしたとか人殺しでもしたから、その復讐を恐れているというのならまだ理解できるけれど、自分にやましいことがないのに怖がる必要はない。恐れるのは勝手だけれど、そのくだらない負の感情を他の物事にまで悪影響させないでもらいたい。

 

それはさておき、近郊の名所はほとんど行っているので、今年は特に新規開拓をする必要もないと思っていた。ところがネットで検索中にリンクで出て来たのが、首都圏の瀟洒な住宅地にある彼岸花の映像。人工的に作られたビオトープ沿いに植えられているらしい。風景は美しいけれど、断片的な映像を編集した動画を見てもイマイチ信じられない。

これは、彼岸花は時期的に終わっている可能性が大きいけれど、大のビオトープ好きとしては行くしかない!

 

ということで現地に到着。観光名所ではない住宅地内なので道も狭く、駐車場も無し。地理を覚えてしまうくらい、周囲を何度もぐるぐる回って、どうにか駐車。

いい意味で予想を裏切られた。このビオトープはこれまで見てきたものの中では規模と質がベスト。来た甲斐があった。どうせ人工なのだから、水質もほどほどで、造園業者が見せかけに作っただけで、植物や生物たちの生息環境までは考えていないのだろうと、高をくくっていたのでした。

そうしたら、水は澄んでいるし、大きな鯉に混じって「オイカワ」の群れがあちこちに見られた。トンボや蝶などの虫たちも飛び交っている。近代的な公園には雰囲気の良いビオトープも増えてきたけれど、ここまでの規模はない。

両側は住宅地で、街路樹は桜の木。自然の造形だけではここまで整然としていないし、草木が好き放題に育つから、雑草と水草で水面が見えなくなっている小川がほとんど。その点、ここは程よい人工と自然の調和を感じる。

お目当ての彼岸花もまだいくらか残っていたけれど、動画で見たほどには無い。

大部分の彼岸花はすでに枯れていたけれど、遅咲きの花はまだ花弁の色と造形がはっきりしている。時期的にはギリギリだから仕方がない。

彼岸花に混じって小紫も繁茂。ヤブランなども見られた。植え付ける草木も選別していることがわかる。

それにしても、これはおざなりで作ったビオトープではございません。かなり考えられている。おそらく、生物学者や環境に詳しい人も参画しているはずだと感じた。悪いけれど、一般の土建業者たちが業者に持ち込む企画にろくなものはない。著名な作家の彫刻などを配置してそれらしくするけれど、コンセプトに魅力がないし、自然や風景と溶け込まないからすぐに飽きられて、雑草の生えた廃墟と化すことが少なくない。

 

ここにも人工的な橋があるけれど、それほど邪魔な感じではない。

自然風に作ってあるので、雑草もどんどん伸びるし、キノコも生える。なので、定期的な整備も欠かせない。当日も造園関係者があちこちで作業をしていた。この美しい景観は地道な手入れをしてこそであることを実感する。一般家庭のガーデニングもしかり。

調べてみたら、「水辺の環境を保全しつつ、人々が安全に水に親しめる公園整備」を目標とした国交省推進の「アクアパークモデル事業」として認定されたプロジェクトであるらしい。説明を読めば、第一印象の通り各分野の専門家たちも参画し、7年の整備期間を経て誕生したことがわかった。しかも、驚くべきことは、この水源は下水処理場から出る高度処理水で、自然の湧き水ではないのだ。

元々、この地域は写真のような複数の河川が集まっていたため、大雨による氾濫の防止と人口増加に伴う汚水処理などの問題を解決する必要があった。そのための土木工事や造成の過程で誕生したのがこのピオトープ。

 

一見すると洪水被害で悩まされていたことは想像できない。頭上をモノレールも走っている近代的な住宅地になっている。

ビオトープは1キロ以上の長さがあるらしいけれど、彼岸花はそれほど多くない様子だったので帰ろうと思った。一応終点らしきトンネルまで歩いてみた。上は幹線道路が走っている。ビオトープは川幅も狭くなって普通の流水路になったから、この先は普通の下水道になっているのだろうと予想。

流水路によじ登って水中を見ると、カワニナらしき巻き貝がいた。これにも驚き。なぜならこの貝は汚染された水には生息できないので、この水が相当綺麗である証拠。一時的に人間が放流しても水質が合わなければ定着しない。この時点では汚水の処理水であることはまだ知らず、ちょっと舐めてみた。また、この貝はホタルの大好物であり、こいつがいるところにはホタルも生息している可能性がある。こんな住宅地のど真ん中にホタルがいるなんて考えられませ~ん。

トンネルで引き返そうと思ったけれど、好奇心が先に進め!と囁いてくるものだから、トンネルを抜ける。川端康成さんが「トンネルを抜けるとそこは・・・」と書いていらっしゃいましたが、ここは「雪国」ではなくて、更にビオトープでした。

しかも、こちらのほうが彼岸花がたくさん咲いているではありませんか。彼岸花目的で来たものの、ビオトープの出来栄えの素晴らしさにすっかり花のことは忘れていたけれど、嬉しくなってしまった。

 

道端には造園の作業車が停まっており、草刈りの真っ最中。なので、この先はまだ手つかずの状態。やはり雑草も木々の枝も伸びて雑然としている。

トンネルくぐって大正解!こちら側のほうが花の量が断然多い。

ビオトープに沿って遊歩道があり、下を見れば真っ赤な彼岸花。

上を見上げれば松の木とピンクの芙蓉の花。

この季節は彼岸花以外の草花も色々と楽しめる。

何となく、怪しい雰囲気を感じたら、ビオトープの中に動く物体。アオサギでした。あれだけの数のオイカワがいるので理想的な狩り場なのです。

日も傾いてきたので、帰り道に素敵なカフェでも探しながら帰ろうと思っていたところ、カーナビがフリーズ。最近よくある。携帯に入れてあるフリーのナビを使っているのだけれど、携帯が古いせいなのか、提供側の問題なのかわからないけれど、急に進まなくなって、地図の表示も消えてしまう。

 

仕方がないので、適当に勘で走って、わからなくなったら路駐して再検索をするのがいつものパターン。この時も方角だけを考えながら近くの住宅地内を突っ切ろうとしたところ、何気ない公園に赤い色の集合体を発見!こんな知られていない住宅地の普通の公園に、まさかなあ~と思いながら車を停めて中に入ってみた。

 

そうしたら、ビオトープに続いて二度目の大ビックリ。この日一番の美しい彼岸花の群生が広がっているではありませんか。

先程見てきたばかりのビオトープの彼岸花も素晴らしかったけれど、規模と美しさではこちらが圧倒的。周辺では近所の子供達が花には目もくれず、元気に遊び回っている。公園の半分は土の地面で、遊具もあるのでした。子どもたちはそちらが目的。

花を撮影しているのは、やはり近所らしい数名の大人たちだけ。日本全国にきっとこういう隠れた名所はあちこちにあるのでしょう。最近はインスタやSNSであっという間に情報が拡散されてしまうので、一長一短。特に公開投稿はリスクも大きい。人が来て欲しい自治体や商売人たちは大歓迎でしょうが、現地の住民も同じとは限らない。

 

なので、僕の投稿はあえて具体的な地名や個人名を書かないのです。本当に関心があり、色々な問題意識を持っている人なら、自分で調べるし、どうしても知りたければ尋ねるものです。僕はそうです。そこまでする人で問題を起こすような人は少ないはずだと思っています。

彼岸花三昧を楽しめた一日でした。

しかし、帰り道に発見した自家焙煎カフェレストランは美味しい飲食に夢中になりすぎて、すっかり画像を撮り忘れました。自家製焙煎という看板に惹かれて入ったら、思いの外にイタリア料理が美味でした。店内には大型の焙煎機もあり、もちろん珈琲も美味しかったです。

 

単にきれいな写真だけアップするのは僕らしくありませんので、一言。

 

この日は我が国の政府がどうしようもなく汚れていることが明白となった日。巨額の税金を使い、臭いものに蓋をして葬り去った日でした。臭いものを整理して取り除いてから行うならまだしも、全てをうやむやにしてしまったのですから、本当に卑劣。こういう汚い環境では健全なモノは生まれない。このまま汚染が続けば生物は息絶え、何も棲めなくなる。国民全員がそれに気付いて大掃除をする時期が来ている。反対に、このビオトープは下水処理水を利用したものですが、生態系がちゃんと蘇っている。日本もこうするべきだと思います。

 

 

 

 

 

キャンピングカーショーは毎年幕張に行っているけれど、横浜でもあるというので覗きに行く。台風が通過した後の秋晴れなので鉄馬で出動。大体、イベント会場の駐車場はすぐ満車になってしまうけれど、バイクは停められることも多い。

 

この日は、正午からよく知っているタンゴ界の重鎮(若いけど)が二人もラジオ番組に出るというので聴くつもりだったけれど、行動時間と丸かぶり。鉄馬で走りながらイヤフォンで聴く方法もあるけれど、安全運転上ちょっと無理がある。なので、思いついたのが、イヤフォンで聞きながらランチを食べてしまおう、というアイディア。

 

という訳で本牧にある人気のお蕎麦屋さんに久しぶりに入店。そうしたら連休中のために家族連れの大混雑。普段は夜しか来ないので、日中にこんなことになっているとは予想外。すでにラジオ番組は始まっていたので、移動するわけにも行かず、放送を聴きながら席待ち。

呼ばれてカウンターに座ると、二階席もほぼ満席。大繁盛。オーダーは秋のキノコ天ぷら蕎麦。麺の量が並、大盛り、富士山(超大盛り)の3種類選べて値段は同じ。僕は大盛り。多分、これも人気の理由だと思った。

 

ラジオ番組は内容が面白くて、お蕎麦を食べながらニヤニヤしていたから、周囲のお客様たちは不気味に思っていたかもなあ。食後にバイクに戻ったところで、番組終了。

 

番組後半は趣味のバイクの話。実はお二人はタンゴ界の大先輩でもあり愉快なバイク仲間でもあります。二人共プロダンサーで、一人は本場地元のアルゼンチン人以外で初めて世界チャンピオンになった存在。バイクでは僕のほうが先輩だけれど、優秀なダンサーの体軸感覚は乗馬やバイク、スキー、武術と共通。初期の頃からかなりイケイケのペースで走っておりました。当時の写真を探したら、出て来ましたよ。まだ二人共中型アメリカンの時代。

ここから、番組内で紹介されていたバイクと免許のサプライズ自慢合戦が幕を開けるのでした。その内容は、一人が内緒で大型免許を取り、新しいバイクを見せつけると、もう一人もそのお返しにサプライズをやり返すという、子供じみた振る舞いの笑い話。当時の写真がないかと思って探したらありました。

 

1月31日の夜にいきなり金色のチョッパーでミロンガ(タンゴのパーティー)に乗り付け、見せつけてから帰宅するところを、僕の車から撮影しておいたもの。本当に嬉しそうだった(フェイスブックにはその時の動画もあり)。

そうしたら、今度はその二年後に、もう一人がお返しのサプライズ。当日は初詣ツーリングの待ち合わせに海ホタルで待ち合わせ。スタバで朝コーヒーを飲んでいたのだけれど、張本人の服装に違和感。いつもはアメリカンに乗るファッションを決めているはずなのに、なぜか文字が沢山書かれたレーシングスーツみたいなジャケットと帽子で現れたのでした。

そして、そろそろ出発するからということで、駐輪場に戻ったらカワサキ製のどでかいスーパースポーツで来ていたことが判明したのでした。朝の逆光で光線が強すぎるけれど、手前の濃いグレーの車体が新しいバイクです。そう言えば、この時は弟さんが古いバイクで初参加していた。

 

バイクの話も面白かったけれど、日本におけるタンゴの歴史や体験談はとても勉強になりました。何事でもそうだけれど、情報は多いほうが楽しみの幅が広がると思う。例えば、このキノコ天ぷらそばだって、何処産のキノコを使っているとか、蕎麦打ちやつけ汁のウンチクなどを教えてもらえると、より美味しくいただける。何が言いたいかというと、タンゴなどのダンスもただ踊っているだけじゃなくて、その背後にある歴史や意味を知っていると深みが増すということでございます。

 

いざ、キャンピングカーショーの会場に向かうと、案内されたバイク用の駐輪場はわかりにくい場所にありました。裏側から地下に入るコース。しかも、停め方がちょっと特殊。この画像は和式便器みたいに見えるけど、違う。

受け取り皿みたいな形をした前後の部分はシーソーになっていて、前に進むとタイヤが前後の受け皿の間にすっぽりハマって固定されるという構造(画像はネットから拝借)。

僕の鉄馬は超巨大で重いのでなかなかこの受け皿に乗らなかった。むしろ載せずに停めたほうが無難な気もして、他のバイクの様子を見に行ったところ、同類のバイクもちゃんと載せて停めてあった。

仕方がないので、無理やり載せてみました。ホイールが皿とぶつかって傷になると嫌なので、慎重に見ながら前進。見事にすっぽり収まり、ヤジロベイみたいにスタンド無しで直立している状態。しかし、こんなもので400キロを超える車体を支えられるはずもないので、当然サイドスタンドは出しておき、万が一の場合にはそちらに傾くように姿勢を調整しておきました。

 

結論から言うとこのシステムは大型車には不向き。帰ってきた時には見事に傾いてサイドスタンドで支えられている状態。受け皿に載せる意味がありません。それを知っているらしい常連さんたちは最初から受け皿を使わずに普通に停めていました。次からは使いません。

会場の隣はアイドルのミーティングらしく、そちらのほうが入場者が多かった感じ(笑)。チケットはネットから購入済み。窓口より少し安く買えます。

コロナ禍で車の存在価値に気付いた人も多く、車の教習場とメーカーは大忙し。移動する部屋みたいなキャンピングカーの重要が増えており、納車は一年待ち以上がほとんど。でも、僕の予想ではその頃はもうコロナにそれほど騒がなくなっている気がしますよ。

さすがの大手自動車会社のブースはぬいぐるみなども置かれてとても楽しい雰囲気に作られている。こういう場の盛り上げ方もさすがだなあと感心。

皮肉を言うと値段表示の方法もうまい。貼り出してある価格は何も付いていない最低価格で、展示車両はその倍近い金額となっているのです。格好いい外観、雰囲気でお客様の関心を集めてから交渉に入る。外商のセールスマンたちが玄関のドアを開けさせる秘訣とも通じるポイントです。

中には大手にも負けない営業力を持つ出店者もいる。コロナ禍でペットと一緒にアウトドアライフを楽しもうというコンセプト。この外装の色やデザインは会場内でもトップクラスのインパクト。

トラックタイプなので、室内空間にもゆとりがあり、内装はお洒落なマンションの一室みたい。ただ、車格が大きいから駐車する場所と移動はちょっと面倒。昔、役員をしていた会社で所有していたけれど、移動するには不便で、稼働時間は少なかった。

当時はまだ山中湖だったマウントフジJazzフェスや野外のオフロードレースなどへ行く際に持ち出していたけれど、今ほどキャンピングカー用の施設も少なくて、トイレや調理の後始末に手間暇を費やしていた感じ。イマイチ有効利用できていなかった気もする。

道や土地の広い海外では、休日だけ車に連結して引っ張るタイプのトレーラーハウスというものもある。室内は日本のワンルームマンション以上の豪華装備。まさに動く家ですなあ。

でも、日本の場合は駐車する場所が専用のキャンプ場や大型トラックの駐車スペースくらいに限られてしまう。使わない時に置いておく場所さえ無いのが日本の住宅事情。これはクルーザーなどの船舶も同様の趣味。バブル期に流行った別荘は更に大変で不経済。掃除や管理のために無理やり使わなければならなくなることが多い。今は使わずに空き家状態も多い。それを大陸系外国人たちが買い漁っているのも別の意味で問題。

 

バイク用のガレージハウストレーラもあった。しかし、バイクを積んで運ぶだけに600万円以上もの大金をかけられる人がどれほどいることか。箱だけで、エンジンついていないんですからね。とっても贅沢。

ちなみに、このバイクは名車です。箱はいらないけど、このバイクは欲しいなあと思いました。ただ、最近は頭の中が「断捨離」モードなので、想像だけで十分です。

そこで、狭い日本でも人気なのが、軽自動車を改造したタイプ。軽トラックの荷台に部屋を載せれば出来上がり。どこでも行けるし停めやすい。このメーカーの歴史は長いけれど、当日も来場者たちから「可愛い!」と好評でした。

室内も広々として軽トラックだとは思えない。トイレはないけれど、簡単な流しやコンロは設置可能。お店としても使えそうです。実際にこういう場所で本格手な料理を作る人は少ないし、段々と手抜きを覚えるのが普通の流れ。その合理化を楽しみとして捉えられる人はハマります。本当の秘密基地になる。

トラックだと荷台に好きな部屋を載せられるけれど、バンタイプだと骨組みがあるので、天井はそのまま。それでも、軽キャンパーの人気がすごく、どこも大盛況。子どもたちにも程よい狭さ。

すでに愛車があるので複数所有は考えませんが、なかったら真剣に移動する秘密基地を考えますね。実際に今の愛車(小ぶりなワゴンもすでに車中泊や簡易キャンプは可能に改造してある。壊れたら、小さなキャンパーが良い。

難点はとても割高なこと。人気があることもあり、すぐに400万円を超えてしまいます。この木製室内のものは驚きの500万円超え。それだと上級グレードの大型ワンボックスカーが買える値段です。果たしてそこまでの価値があるものなのか?

自分はDIYをするので、制作方法や原価をだいたい把握しているけれど、現状はちょっと割に合わないと感じている。知識がある人なら自分でやれば半額以下で収まりますよ。元々、古いアウトドア人間たちはみんなそうやって来た。ある意味、ホームレスに近いホーボーやヒッピーたちもポンコツグルマを改造して住んでいたものです。僕も現代ヒッピー。

トラックは大きすぎるけど、軽は小さすぎるという人に人気があるのがバンタイプ。商業車として普及している箱型のバンを改造したもの。荷物運搬用に生まれた素性は広大な室内空間を持っているのが最大の利点。

これに折りたたみ式の天井をつけると立って歩けるし、屋根の上が寝られるテントに早変わり。

空間に余裕があるので、様々なアレンジが可能。豪華な内装からカジュアルなもの、寝られるだけの簡素なタイプなど色々あって、そのアイディアを見ているだけで楽しい。

これらにはテレビ矢冷蔵庫、電子レンジなども完備されて上品なリビングみたいな雰囲気。

たくさんの収納スペースがあり、これらを開けていちいち中身を見てしまうのが子供と僕(笑)。行動自体は変わりませんが、実は取り付けのヒンジや金具類、隙間などをちゃんとチェックしているのです。見せかけだけの収納が多いんですよ。


カジュアルなタイプはアウトドアのキャンプやオママゴトの延長。自分はバイクも含めてずっとこのタイプ派だったけれど、自分で何でも作ってしまうと、地元の名店グルメをしそこなうことが増えてしまうし、部屋ごと移動するだけだと、地元の人達との交流もなく、単なる他所から来たお邪魔虫的な存在になりがちなんですね。地方では派手な外車やキャンピングカーみたいな特殊な車はとても目立ちます。

最近、キャンピングカーを買った友人は地方で駐車していると、車外から「他県ナンバーの奴が来ているぞ」という嫌味な声がよく聞こえて来るそうでした。日本は国土が狭いし、自動車文化も後進国でしたから、キャンピングカーで移動する習慣はほとんどありません。なので、設備はもちろん、ルールもまだまだ発展途上。他所で迷惑になるようなキャンパーも多いそうです。混んでいる駐車場で屋根を拡張してキャンプをしてしまうような人もいるらしいですからね。迷惑行為が増えると、結果として自由や楽しさが規制される結果を招きます。要注意だなあ。

 

この後は都内で数時間踊って帰宅。高速道路で何となく暗いなあと思ったら、なんと前照灯が球切れ。ハイビームで帰宅しました。近々交換しなくては。

 

長距離移動時の長年の習慣はラーメン店の新規開拓。この日は前から寄ろうと思っていた横浜駅西口の北海道ラーメン。大通りに面しているので車もバイクも駐車不可能。でも、夜なら人も交通量も出来ないから店頭に駐輪できるだろうと見込んで初訪問。

オススメは味噌ラーメンだということでした。まあ、普通に美味しゅうございました。