雲水・ISA(九龍)のブログ -7ページ目

雲水・ISA(九龍)のブログ

日本は神の国
仁術師

あらかじめ、お断り。紅葉は綺麗なんだけれど、途中で感じた精神世界の話はちょっと重いので、ご了承ください。

 

今年の紅葉はタイミングが読みづらい。都市部ではもう散り始めているところもあるのに、山ではまだ緑だったりする。色々検索をしていて、気になった場所があるので行ってみた。山間部の峠道を走るのが好きなライダーには有名な場所だけれど、この時期にはあまり行った記憶がない。前回は春だった。

高台にある駐車場がほぼ満車状態。バイクは少なかったけれど、車は他県ナンバーも多い。昭和の名車も来ていたけれど、全て他県ナンバー。このバイクなどはもはや高級外車をも凌ぐ値段となっている。

周辺は広場とレストハウスだけでなのに、どうしてこんなに混んでいるのかと不思議に思っていたけれど、湖の見える方向に歩いて、その理由が理解できた。眼下には真っ赤な絶景が広がっていたのである。

湖に降りる遊歩道の有る斜面全体が真っ赤に色づいていたのである。普段は単なる緑化斜面だと思っていたので、まるで印象が違う。

扇型になっている護岸の斜面全体にドウダンツツジが植えられており、紅葉真っ盛りだった。

よく見ると一部は枯れ始めていて、赤に茶色が混ざっていた。一週間前はもっと綺麗だったらしい。

展望台に上る階段の木々は赤と緑が混ざった状態。

高台の広場は赤、黄、緑が混ざり合って美しい。

黄色の絨毯もあった。イチョウとは違った樹形と色合いが、これまた美しい。

この位置から湖を見ただけでは、真っ赤なドウダンツツジの斜面は見えない。だからこそ、歩いて行って見えた時の衝撃が大きい。

この日の目的はもう一つあって、古い旅籠食堂を訪問すること。そこはジビエを食べさせることで知られており、屋根の下に獲って来たイノシシや熊の皮をぶら下げていた名物店だったけれど、現在改装中で、熊の毛皮は店内に仕舞ってあった。

 

前回来た時に、もの凄く話好きのご主人が「今度来た時には是非とも名物のクマ肉を食べてください。でも、あるかどうかはその時次第なので、事前に確認してください」と言われていたのである。他の店では食べられない名物料理だという話だったけれど、別にクマ肉を食べるつもりもなかったので、何の連絡もせずに覗いてみた。

 

ところが、挨拶をしたら、ヒグマの肉が手に入ったところだと言うことで、成り行き上、クマ鍋を食べることになってしまった。

馬刺しも出て来た。ニンニクとショウガもたっぷり付いて来た。美味しそうな色どり。

最近はガスコンロがほとんどなのに、この店はデカいプロパンボンベを使っていた。不愛想な地元のおばちゃんが息を切らしながら運んできたものだから、俺が持ってやろうかと声を掛けたら、急に愛想がよくなった。接客向きではないキャラクターであるけれど、人は善い感じがした。それをきっかけに、おばちゃんとよく話してみたら、おばちゃんは湖ができる前の部落の村民で、子供の頃はクマを飼っていたらしい。小熊の頃から育てたので芸もできるようになったそうだ。しかも、クマは木の実や小麦など植物性の餌だけで元気に育ち、肉類は一切食べさせたことが無かったらしい。

つまり、最近ニュースを賑わす凶暴なクマたちは親や先祖が肉食を覚えさせたから、そのような性格に変わってしまったのである。動物は一度食べられたものは次からも食べられると認識するようになる。人間を食べた虎やクマは人喰いになる。これは犬(野犬、オオカミ)も同じ。逆に言えば、最初から肉を与えなければ、肉食獣だと思われている動物も草食動物に成り得るのである。ペットも同じはず。ペットフードなどない時代のペットは人間の残飯だったではないか。江戸時代までの犬たちは肉など食べてはいない。試したことはないけれど、虎もライオンも肉を最初から与えなければ菜食でも生きられるのではないかと思う。

 

パンダはクマなのに竹や笹しか食べないけれど、肉を食べてしまったパンダは肉も食べるようになる。これは人間も全く同じ。つまり我々の食生活は親や先祖による教育(洗脳)によるものだという証拠なのだ。親が最初からビーガンであれば、子供は一生肉を食べなくても済む身体と心を持つのである。

この問題点はかなり前から気付いたものの、真剣に考えずに放置していたことが非常に悔やまれる。自分は現在、ほとんど肉を食べなくなっているけれど、それは、宇宙に存在している万物の生命や神様のような存在を強く意識するようになってから自然に芽生えた感情。誰かに諭されたり、強制されたものではない。他人に自慢することでもなく、自分自身の心の在り方の問題なのだ。ついでに少しだけ話すと、私は生命に関わる特殊な力(不治&難病を治癒)を使うのだけれど、その力とこの問題はとても深く関わっている確信があるのだ。従って、私にとっては一過性の感情などと言う軽いものではなく、重大な責任と意味がある。

 

PS:これに関してお問い合わせがあるので、少しだけ加筆。いわゆる人類の知っている表面的な施術(心理作用や身体反応&刺激を使った技術も使えるけれど、それは極一部の技)とは次元が異なり、崇高な意志があるため、誰でも助けるわけではありません。また普段から不徳な言動を行って来たくせに、困った時にだけすがるような魂の穢れた人間を助けるほど暇ではありません。その反対に、誠実に生きて来たのに一時的に迷ってしまった(邪悪な意思が無い、無知ゆえの間違い)場合は、神霊の可否の声を確認の上、お手伝い致します。ご自身の態度をよく省察してからお問い合わせください。

 

今の人類の食生活を見直してみれば、大部分の人間は自分たちの食欲だけのために動物類を殺生しているわけだ。食べるものが動物以外にない環境に住む民族は狩猟しなければ生きられないという必然悪的な理由も一見正しいように思っていたけれど、よく考えると、肉食をしなければならないような場所に住まなければよいわけであるから、不可避の理由とはならないと思うようになってきた。つまり、それらの人は肉食と殺生をセットで選択したのである。仮にそのような環境で生まれたとしても、後から問題に気付いた時点で変えることはできる。私も含めて明治以降の日本人はそのような環境に生まれてしまったけれど、絶対に変えられない理由は見つからない。

 

古代の家畜は、共同生活を営むための相棒的な存在であったけれど、今の家畜は使役よりも食用が主体となっている。生存のために必要な殺生ではなく、人間の必要以上の欲望のために森林を伐採して食肉用の動物たちを放牧して繁殖させているわけである。何という自分勝手で残虐な行為なのであろうか。

しかも、現代人のほとんどは自分自身は手を汚さずに、他人が殺した死肉をお店で購入して喰らっている。その上にグルメ文化は成り立っているのである。美容や健康を理由に持ち出すのは我々人間の勝手な言い訳だと思う。肉を食べない草食獣たちのスタイル、毛並みはどれも美しいではないか。動物性たんぱくを取ってムキムキになりたがる男性も多いけれど、ゴリラ、牛馬は肉など食べずとも筋肉の塊である。これらの事実を分析すれば、現代の栄養学、医学、体育学などには嘘が多いことがわかる。肉食を必要とする根拠が無い。つまり肉食はあくまで人間のエゴである。必要性などなく、食欲という快楽のためにする凶悪で残酷な行為なのだと思う。更に解釈の次元を広げれば、虫や植物などの命にまでその考えは及ぶこととなる。とにかく汚染されてしまっている我々の頭脳と習慣から生まれてくる発想はどれもこれも乱れた現世の言い訳じみたものに思えて来る。

この矛盾と人間自身の軽薄で自分勝手なエゴに気付くべき。

肉食文化は人間が生命維持のため以上に、グルメという欲望を満たすために他の動物を計画的に繁殖&殺戮する行為に他ならないのだ。この点はペット動物のブリーダーなどにも言えること。不適合な種は殺処分される。こんな恐ろしい残虐な思想と行為をしていることに誰も気付かない社会と世界は異常だと思う。魂が病んでいる。

(ビーガンジャパン)

 

もしもグルメな宇宙人が人間を狩るために地球に来たらどうするのか?昔「プレデター」という映画で、人間を狩猟して楽しむ宇宙人が登場したけれど、あれが狩猟だけでなくグルメとして人肉を食べていたらどう思うのだろうか?さらには、人間をさらって、繁殖させ、生まれたばかりの赤ん坊が一番の珍味だと言って、嬉しそうにムシャムシャ食べていたらどうだろうか?我々は同じことをして来たのだと思う。これを考えた上で、それでも自分は食の愉しみ(グルメ)を楽しみたい、食欲には負ける・・・などと言い訳ができるだろうか?

この様に異常な世界を作ってしまった文化や産業は淘汰されるべきだろう。ビーガンという言葉や概念は英国で生まれたとされているけれど、それ以前から自然と共に生きて来た日本人は明治以前は、海産物を除いてほぼビーガンだった。古代より長年そうして生きて来たけれど、栄養障害もなく、健全な生活を続けてきたはず。明治以前に生まれていた農村の女性たちの体力はすさまじく、米俵を数俵肩に担いで運ぶことさえできていた。江戸期の飛脚や職人たちの恐るべき体力に関する記録は数多く残っている。

 

欧米のビーガニズムには古代アジアの信仰の影響もみられ、その起源は我が国と似たようなもの。動物が貴重であることもあるけれど、生命に対する尊厳や信仰が背景にはある。古代の日本の神々とインド哲学にも共通する点も多いから自然と受容して融合して来たのだと思う。現代語訳では「完全菜食主義」「脱搾取」などと訳されるようだけれど、私にはピンとこないので「戒殺生」という言葉を作り、個人的に使うことにする。この概念は他の生命を人間のエゴのために殺生することを戒めるわけであるから、食事だけではなく、皮革類やバッグ、帽子などの着飾るための殺生も当然含まれる。食肉と言っても、四つ足動物、鳥類、魚類、哺乳類、爬虫類、虫、それらの玉子など色々な種類がある。それらをどう考えるのかは世界中でそれぞれの解釈がなされている。また、元々が体外の有機物(生命)を食べながら生きているのが人間であるから、一気に完全不殺生の境地に成れるはずもない。なので、自分自身は今の自分ができる限りの戒殺生を試行錯誤しているところ。これが本当に辛いし、難しいし、苦しい。しかし、嘆いたところで問題解決にはならないから、実践あるのみ。いくら言い訳をしたところで、肉食という罪深い行為の因果関係を解決することにはならないので、自分自身の精神と魂のレベルが試されているのだと思う。

今までこの問題に気付かずに関連産業やビジネスをやっている人たちには、可哀想だけれど、前途は無いと思うし、あるべきではないと思う。出発点が間違っていたと思う。最初に肉食を覚えた(教えた)人類がその発端。超古代にまで思いを巡らせると、古代において世界に共通して嫌われた人種がいることに気付く。被差別民と称されるけれど、彼らの生業としていた稼業は殺生と関係が深い。農耕民は殺生(殺人)の経験も知識もないけれど、殺生を稼業とする人間たちはその道のプロ。戦闘者、殺戮者としての能力が高かったわけだ。この人種たちがもしも野放しにされたらどうなるか?神仏や自然に対する畏敬の念を持たない殺戮者が地上にあふれることになる。古代の差別は当時の規制であり、この危険性を認識していたが故の措置だったのではないかと考えられる。さらにぶっ飛んだ仮説を借りると、自然と共に生きていた超古代地球を侵略しに来た地球外生命体がおり、彼らは自分たちを神格化して各地の創世物語や日本の天孫降臨故事を作ったという内容。その時にそれまでの価値観や文明が変わってしまったというのである。実は自分は同様の発想を学生時代から持っていたので、同じような奇抜な考えをする人がいることに少し嬉しくなってしまった(笑)

 

話を戻すと、我が国においては特に明治と戦後の悪影響はとても大きいと感じる。それは、ビーガンであった日本国民に肉食を教えたのが明治の西洋志向に偏ったいびつな政財界人たちだったからだ。ちなみに明治天皇すり替え説というものがあるけれど、私は個人的に有り得ると思っている。維新というこの肉食を含む信仰や伝統的思想が侵害される窮地において、それを諭すどころか同調したのである。それまでの日本で肉食は穢れであった。皇室は何度か舶来の文明を試そうとしたらしいけれど、そのたびに無意識な拒絶反応が起こり、受容できなかったそうである。このように重要な日本精神の骨子が一時的な世界情勢の変化ごときで変えられてしまうことは非常に不自然だと思う。しかも根拠は「西洋に遅れるから、欧米に馬鹿にされるから、早く西洋化するために真似をする」というもの以外は見当たらない。このような軽薄な理由だけで大改悪がなされてしまったわけだ。西洋の重火器を持った侵略者の手先である田舎侍たちに国全体を乗っ取られたのではないのか?とてつもない闇を感じる。

この部分は23年夏に追記:最近はこれらの史実に呼応するかのように、当時の文献や伝聞に反駁する動画なども拡散され始めたようだけれど、歴史の常で、そんなものは巧妙な言論統制により容易に捏造される。誤魔化しがきかないのは霊性のみ。私が教わった啓示では我が国の大きな霊性の変化は二度ある。最初は日本古来の神々を追いやった侵略者たちが政権を樹立した時。次が明治。魂や霊性が穢れると国も穢れる。特に明治期はそれまで悠久の歴史と神聖な伝統を守って来たはずの一族がたった一代でそこまで変われるものだろうか?変えてよいものだろうか?勝手に変えることは自分の先祖や神霊に対する裏切りと冒涜であるはず。結果は間違いなく天罰が下る(亡国)。私が受けている啓示では関係者は途中でそれに気付き修正を行ったつもりであるけれど、霊性の足りないものが行ったために元に戻せず、今に至っている。その解決策はあるけれど、当事者とご縁がつながった(神意の細い糸をたどることができた)場合のみ伝えろと言われているので、ここで詳しく言うつもりはないし、脅されても教えない。このような発言は昔なら不敬罪などに相当するのかもしれないけれど、間違った権力者(関係者)が「不敬」という場合は痛いところを突かれた反応である。また、この啓示は神霊の名を語り、世界を改悪した邪悪な勢力全てに共通するメッセージでもあるから、島国の日本の中で不敬だ失礼だと言うようなレベルの話でもない。そればかりか、地球全体が本当の神霊の声や意志を捻じ曲げた邪悪な勢力に蝕まれているのである。同時に世界中にこれに気付いて神霊の元に集う同志がいるはず。私は彼らとともに闘う。

もしも2023年夏以降に天皇の霊性を強調or擁護する動画が出回り始めたり、当ブログに言論統制が及んだら、私の記事が関係勢力に監視されている証拠である可能性が高い。なぜなら南北朝正閏論は昔からあるけれど、現時点で霊性の問題提起をしているのはネット上で私のみであるから。そして裏表の意味で、真実である可能性が大きいので隠蔽しようとする存在がいることが証明されることとなる。しかし、ある意味、霊性の欺瞞を自覚しているだけマシかもしれない。それは関係者にも霊的レベルが高い人がいる証拠。私が述べていることの重要性は一般人にはよくわからないはず。わからない人はスルーしていただいて結構。念のために言っておくと、隠蔽は対人類にのみ通じる行為。神霊に隠せるはずはない。隠したツケは必ず回って来る。そして私はそれらの存在から、緊急事態なので、敢えて発言するように命じられたので書いているのみ。神霊の警告信号だと思う。ちなみに人々が大間違いをしている点であるけれど、霊性は血の遺伝をしない。神霊自体はパソコンで言えばOSみたいな基本プログラムを構成するために必要な叡智や電気信号などの存在。それを理解している技術者がシステムエンジニア(聖人、予言者)。その叡智と技術を理解して取り扱うことのできる力の素質が霊性(資格、能力)。神霊が認めた人にしか資格と能力は与えられない。それは人間の血統や遺伝などの概念とは無縁で、叡智が集積したタイミングと場所でその人にSEの任務(宿命)として発現するのだと思う。だから聖人たちは何の脈絡もなく突然出現するものなのである。人間の概念である物理や地理、生理学などの制約とは無縁。血統や肉体的な遺伝形質はOSで駆動するパソコン本体(箱)である。背格好、人相などの肉体的特徴が似ていても、それは単なるパソコンの外観と同じことであって、内部に存在する霊性とは関係がないのであるが、見る目がなく感じることができない人たちは表面(見た目やキャリア)にとらわれる。悪い意味で全くもって人間的な発想である。

似ているのがチベットのダライラマの転生と継承の伝統。継承者は仏様の啓示によって決まるので、特定の血統や場所とは無関係。遠く離れた農村の子供が継承することもある。現在インドにいらっしゃるダライラマ14世はラサから車で二千キロも離れた農村に出現した三歳児だった。お家制度があるから権力争いが防げるという説もあるけれど、この様な生前の霊的伝承と厳格な霊性審査があれば、跡目争いが起きるはずがない。むしろその霊性を見ないから起きるのである。

 

このように聖人たちの生前に血統との必然的な因果関係は無いし、子孫にも同じ能力が受け継がれるとは限らない。伝承されるものは教育や生育環境による知識、技術などの表面的な情報のみ。霊性はご本人とその言動(思想)が全て。子孫や関係者が血統を特別扱い(自慢)したり、強引に結び付けたがるのは、当人に資質(能力)がないから。単に先祖の権勢に執着して(利用して)自分の優位を守りたいだけなのである。その手の人たちは名声や歴史、お墓、寺社などの物質的存在を崇めるけれど、それは霊性を持っておらず、判別することができないからそうなる。パソコンの中身(性能、霊性)が理解できないと、外観(箱)ばかり気にすることになる。本当に神霊を理解している者であれば、そのような卑しい態度をむしろ戒めるべきなのだ。縁起担ぎや迷信を戒めるべき存在の寺社業界やいわゆるスピリチュアル系の現状と似ている。むしろ、霊的な存在を無理やりに政治や商売に利用するなどとは神霊に対する冒涜以外の何物でもない。不敬罪や天罰はそういう連中に下る。これを戒めたのが聖典に登場する「偶像礼拝の禁止」である。ちなみに私の言う神霊は人間の宗教などよりも上の概念であり、そこから見た場合、キリストや釈迦などの聖人たちは宇宙のOSを管理運用するために遣わされたSEとなる。

優秀なSEはユーザー(一般人)に便利なようにパソコンの取り扱い説明をして使えるようにしてくれる。その時の便宜的な基本ルールを具現化したものがOS(宗教や思想)。世界に普及しているOSは複数あるけれど、機能は大体同じ。更新しないと現実に合わなくなる。権力者や支配者の血統は単なるOSが入っている箱(構造物)のブランドに過ぎない。単なる箱(容器)なので、そこに霊性(叡智、能力)は無い。パソコンにはメンテナンスも必要だし、OSも更新しなければ時代遅れとなる。これを霊性のない人間たちが勘違いするからお家騒動や血統、民族問題が起こる。日本の問題はSEの資格がない者が勝手にOSを変えようとしたこと。失敗に気付いて大慌てで海賊版のリカバリーディスクを使用するとかえってメインプログラムが深層まで重大な損傷を受けてしまうことになる。そうなると箱やメモリーなどのハード部品をいくら変えたところで直らない。優秀なSEによる修理が必要。こういう重大問題を解決してくれる存在を人類は救世主と呼ぶわけだが、早く来てくれないと人類のパソコンは動かなくなりそうである。神霊は箱を後生大事に守っているだけの連中(血統)にSEの資格(霊性)は与えない。そこには確実な能力と叡智が必要。同様に世界の大失敗は古代にも起きており、それを修復するために遣わされたのが我々もよく知っている歴代の聖人たち。ところが盲目な愚衆たちは誰が聖人なのかをわからず、権力者(王、首長)との区別をすることもできない。そもそも聖人の上に支配者として王(帝)があること自体が矛盾。逆である。王(首長)は聖人ご自身の人間界における役職か、或いは神霊のお作りになったOSを忠実に実行するべきオペレーターや追加機能としてのプログラム的存在のはずなのである。古代インド哲学ではすでに指摘されていた。この霊性を理解できない唯物論者たちが使い始めたのが、政教分離とお金に依存する経済システム。腐敗した宗教団体の干渉は避けるべきだけれど、治世の背景には哲学や信仰があるべき。それを取り去ったら単なる功利的な人間の概念が残るだけ。そのような政治家や官僚からは不合理で人情や道徳観念の欠如したお金中心の物質文明社会しか生まれない。人々がこの地球的大欺瞞に気付いて目覚めない限り、聖人が現れても消される。だから世界はこうなっているのである。このカラクリがわかると、世界を牛耳っている勢力の支配界にある人々(財界の著名人や大企業家)やメディアの言論は信用するべきではないということがわかるはず。彼らは自分たちの世界を守るために都合が良い理論を構築する。反するものは「貧乏人の理論である」「滅亡する」「不幸になる」と脅かすのである。実はこれらの詭弁こそが彼らの欺瞞を証明しているのである。彼らは自分たちの言う通りにしないと、不幸になる、出世できない、お金持ちになれないシステムと価値観を作っているのである。だから詭弁の言う通りにしないと現世界では生きられないようになっている。だったら、そうではない世界を作ればよいだけの話である。お金や物がなくても幸せであり、心が益々豊かで幸福感に満たされれる世界を作ればよいのだけれど、それをさせないように妨害するのである。そのような時は歴史上の聖人たちのおっしゃったことを思い出すと良い。連中の理論とは真逆である。騙されてはいけない。

話が長くなるのでこの辺で終了。続きはまたの機会に。

 

江戸末期に西洋文明を導入する時点で本当の知識人や賢者による精査が必要であったけれど、強大な暴力(武力)によって強引に西洋化されてしまったことが今の禍根となっていることは間違いない。同時にそれを制御できなかった将軍家と幕藩体制にも責任はある。彼らの主張の理由付けとなる決まり文句は「○○国では・・・であるから我が国も・・・」というもの。日本の欠点を指摘する場合に、英国では、フランスでは、ドイツでは・・・と、何事も欧米の方が進んでいて正しいという前提で話すのが特徴だった。当時のいわゆる知識人は東洋文化に精通していなくても、西洋の新しい情報を知っているだけでもてはやされていたのだ。これは昭和にまで尾を引き、日本文化の教養もなく漢字も書けないのに、外国語をちょっと話せるだけでバイリンガルだ、帰国子女だともてはやされていたことがある。まことに節操のない舶来志向なのだけれど、それが格好いいと思っていたのだから情けない。

 

 

戦後は更に侵略者による日本の国力(精神面と物質面)を弱体化させる政策も関係している。日本の生活や文化を西洋化(米国化)させるとともに、自立できる能力を奪うことが目的。つまり自分たちに歯向かうことができないように、精神や思想を改造(洗脳)する。食生活を強制的に変えるため(米食からパン食)、習慣化させるのが容易な学校給食制度が利用されたわけだ。これによって休耕田と荒れ地が増え、日本の農業力は弱体化させられたのと同時に、海外産の食糧(特に小麦と食肉)の依存度が高まりつつある。まるでそれまでの伝統的な食文化と生活が間違った、時代遅れで不健康であるかのような政治的プロパガンダを行って、国民を騙してきたのである。

恐ろしいことに、海外からの食糧供給が止まれば、国民は短時間で餓死してしまう状況にあるのだ。しかも、最近は生命線である水源地や天然資源の存在する土地を外国人に売り渡し、水道や電力までを海外企業に委託管理させるなどと言い出した政治家もいるわけだ。この行為は正に売国であるし、国も国民も自立できなくなってしまうような危機的状況になっているにもかかわらず、このことを知らない国民が多すぎる。私は個人的に関係行政機関に意見書を何度も提出しているけれど、全く改善される気配はなく、手遅れになることを非常に危惧している。この重大性が理解できる人たちは今すぐ抵抗&阻止するべきである。

 

元々自分自身も肉食やグルメは大好きであったし、そちらの分野にも関わっていたので、生活と頭を切り替える難しさと辛さは重々承知している。どうして、そのような悪癖、悪習慣、異常な思想を身に付けてしまったのか非常に悔やんでいる。因果関係を考えれば、我々の先祖、親、先輩たちの認識不足によって子孫は洗脳され殺生道に身を落としてしまうことになったのだ。肉食グルメの快楽を知ってしまったが故の中毒症状は非常に厄介。長年身に染み付いてしまった習慣や癖はなかなか治すことが難しい。


おそらく、中毒となってしまった人間たちや既得権益者は経済や生活を理由に肉食を正当化しようとするはず。しかし、殺生する限り、結局この矛盾と問題点は消えない。それを知りつつ、尚も同じ道を進むのであれば、それは確信犯であり共犯者である。魂の問題、当人の選択である。大体の場合、わかっちゃいるけど止められない状態なのだと思う。そういう自分自身も、友達と一緒の時には許すとか、祭日やパーティーの時にはまぁ良いかなどと言い訳をしていたのであるが、最近はそういう嘘や言い訳をすること自体が、自分の目覚めつつある魂を冒涜する汚らわしい行為であるという自覚が強くなってきたので、抵抗感が薄れて来た。他人様にどう思われようと、どうでも良い問題。自分の魂と宇宙の課題なのだ。昔はTVコマーシャルの焼き肉やハムなどの映像を見ると唾液が無意識に溢れて来たものであるが、最近は静観できるようになっている。このようなことは古来からインド哲学などでは既に問題提起済みであるけれど当時はお坊さんなどの聖職者がやることで、自分とは無関係だと思っていたのである。まるで真実が見えていなかった。しかし、この問題に気付いてしまった以上、もう元には戻れない。

 

共同体において、飲食と楽曲、ダンスは結束を高め、人間関係を円滑にする上でとても大切な文化だと思う。ところが、現在は殺生肉食文化を主流としたものになりつつあることが大問題。それ以外の方法はいくらでもあるはずだけれど、肉が無いと食べた気がしないと言うわけだ。お酒が無いと盛り上がらないというのも似たような安直な発想だと思う。その為にビーガンやベジタリアン、宗教的な制約があると、あの人は付き合いづらい&面倒くさいという差別を受けて、敬遠されたり仲間外れにされる可能性が大きい。意志が強く、孤独も恐れない人ならともかく、大勢はこのプレッシャーと疎外感を恐れるものだと思う。そうすると、仲間外れに成りたくないから、まぁいいか、と妥協して本来の目的や意義を見失うこととなりがち。この悪循環を断ち切らなければこの殺生の輪廻を永遠に繰り返すだけである。この悪循環輪廻から抜け出すためには、人間たち全体が殺生の意味に気付いて理解を深めるしかないと思う。自分ができないからと言って否定するのは真実を見失うことになるし、自分がしているからと言って他者を責めるのも感情に流れがち。それだけ我々の受けて来た洗脳は深いので、そう簡単に直せるものではない。まずは、気付くことから始めるべきだと思う。

 

蛇足だけれど、類友や仲間を集めるための会合やパーティーは同様の価値観や思想を持っている人の結束を強め、うるさい人物、面倒くさい人物、考えや気が合わない人物、雰囲気を乱す人物を排除する意味もある。しかし、私が述べているのはこのような狭いコミュニティーのことではなく、地球や宇宙全体に関する内容であるところを誤解無きように。更に付け加えると、多数決(民主主義)の理論は知恵のある世界には正しいけれど、知恵のない世界の多数決は間違った道を選ぶことになってしまう。これも現時点での大問題だと思う。

ついでに言うと、コロナ禍ではこれらの問題が露呈して来たと思う。既得権益者たちが作り上げた社会や経済、生活文化などの矛盾と問題点が露になっている。様々な産業が○○キャンペーンを繰り広げ、補償や支援、優遇措置を求めているけれど、よく観察すれば、それらの業種は人間が生きるためにそれほど重要ではなく、趣味や快楽のために成り立っていた内容であることがわかる。だから有事の際には必要とされない。つまり極端な言い方をすれば、元々存在しなくても問題が無かった業種であり、それらに完全依存した仕事や生活の在り方にこそ本当の問題があるということなのだ。もしも、それらの快楽がないと、充実感が無い、盛り上がらない、元気が出ないと感じるのであれは、それは麻薬中毒の症状と同じであることに気付くべき。○○しなければダメ、という安直な枠にはまった発想が考える自由を奪い、悪循環に引きずり込む原因なのだ。

 

それらの悪循環の枠を取り去って自由に考えれば、それに成り代わるものとして、本当に人間と自然&宇宙との調和のために必要な産業や文化などのアイディアが生まれてくるはず。なので、既得権益者たちが保身のための口実とするような経済や文明の発展が停滞することは無く、自然淘汰と交替や変化が生まれることとなる。総合的に見た人類の生活や文化は止まることはないのである。未来はそちらに注力するべきで、既得権益者の損得勘定に惑わされるべきではないだろう。これからも既得権益者たちは間違いなく自分たちを正当化するために経済不況、失業、栄養不足や健康障害などを理由とした都合の良い言い訳を作り、庶民の不安を煽るはずだけれど、それは麻薬の売人たちが顧客を離さないように中毒状態を継続させるための詭弁だと思う。我々はそれに惑わされずに真実を見極めなければならないと思う。

従って、コロナ禍はその事実に気付いて改めるチャンスでもあるから、単なるその場しのぎの現状維持路線ではなく、将来への転換する機会にするべき。この転換する際の負担は計り知れないけれど、世界中の人類がその意義に気付いて痛みを分かち合いつつ、協力するべきだと思う。

 

以前にこれに関する投稿をしたところ関係者らしい人から「迷惑だ」というコメントをいただいたことがあるけれど、無自覚な既得権益者側としては自然な反応であり、想定内。悪循環に気付いていない人の頭脳も同じ発想しかできないから、今後もそういう人は自覚するまで変わらないだろうけれど、そのような人間たちに付き合う時間は残されていない。利己的で低俗なコメントの対応に時間を割くよりも、今すぐに悪循環を断ち切るための行動を起こすべき。現実問題としては既得権益者と権力者は同義語みたいなものなので、彼ら自身が気付いて、自分たちの既得権益を守る姿勢を改め、是正しなければ変わらない。それがなされなければ人類は滅びるか、おそらく天罰が下ることになるのだろう。いや、間違いなく天罰はある。私はかねてからそれに関する秘密の啓示を受けていたけれど、そのシステムが理解できるようになってきている。これは天による選民(魂の選択)だと思う。

せっかく作ってくれたクマ鍋なのだけれど、これらのことが頭の中を駆け巡って、全く美味しく感じられなかった。折角大サービスしてくれたご主人には申し訳ない。一方で久し振りだし、人間の付き合いだから食べられるだろうと思って、それを言い訳に注文してしまった自分自身もまだまだ半端で情けないと深く反省せずにはいられなかった。食材は間違いなく美味しいものであるにもかかわらず、精神的な葛藤がここまで食欲に影響することを再認識させられることとなった。

 

それと重要な課題に自然淘汰や調和のための殺生(必要悪)の存在もあり、そのバランスをどう考えるのかということ。自然界では殺生に至る手前で警告が出現し、発生前に沈静化するはずだけれど、人間はその限界を超えている。殺生とは反対の過剰な人権論や動物愛護論も、自然界の調和を乱すことでは同じ。海産物の乱獲、ビジネスとしてのペット産業、縄張りを教えないための害獣化など。自然界は限界を超えた場合に厳しいしっぺ返しをする。バランスを取り戻すために生き物に異常な行動をとらせる。過密な環境になると自分の子供を食べる、新しいハーレムの王は古いハーレムの子供たちを抹殺して、自分の子孫を残そうとする、集団自殺をするなど・・・。この人類バージョンが戦争ではないだろうか。

 

私が頭の中でこんなに厄介なことをグルグル考えていることをご存じなかった親切なご主人は鹿肉と鮎の塩焼きまでサービスしてくれたのだけれど、食べることができず、持ち帰って友人にお譲りいたしました。これらの問答は自分自身の頭と心の中で帰結しているので、他者からはそれとはわからなかったのが、せめてもの罪滅ぼし。しかし、この問答と思索の過程はとても重要で有意義であると思い、記録の意味で書き残した次第。

とにかく、この出来事の後の胃腸と精神状態の不快感は凄まじく、戒殺生の重要性を再認識させられた。この理念は他人を説得したり、強制するものではなく、本人がその真実に気づいた時点で自然に発生するものだと思う。なので、他人を責めるつもりはないけれど、できるだけ早く気付いて欲しいと思う。私にクマ鍋を提供してくれたご主人だってとても愛想がよい邪心のない人物であると思うし、大事なことに気付いていないだけなのだと思う。気付いてしまったら、人生が変わる可能性は大いにある。人間や動植物、自然を見る視点も変わるので付き合い方も変化するはず。何を隠そう、私自身がそうであったし、私の話を聞いて変わった人がかなりいる。飲食業のやり方を変えた友人もいるし、食用ではない家畜を飼い始めた、農業を始めた、食費が激減して喜んでいる・・・等々。

(ビーガンジャパン)

 

若い子たちにこの話をすると、「私はまだ若いからグルメを楽しみたい時期なんだよねえ」とか言う人がいるけれど、それは言い換えれば「若くて食欲が旺盛だから、動物殺しはまだ止めらない年ごろなんだよねえ」と言うのと同じことだし、戦争の悲惨さを見ていながら「ある程度、人を殺しまくってみないと平和の意味はわからないんだよねえ」と言うのと似ている気がする。洗脳を解くのは早ければ早いほど良いし、洗脳期間は長いほど更生するのが難しくなるのに、発想が反対である。できれば最初から洗脳や汚染を避けるべき。すでにこれに気付いているご両親は幸いである。子供たちに我々が受け継いでしまった負の遺産を継がせてはならない。自分は反面教師的な環境で育ったので、独力で気付いたのが中学生。その時点でも十分すぎるほど汚染されており、遅かったと感じる。実践を始められたのはそのずっと後になってしまった。

(天台宗のサイトより拝借)

 

どうしてこのように大事なことを大人たちは子供に教えてくれなかったのか。親も教師もお坊さんや牧師さんというような聖職者たちも教えてくれた人は私の周りに誰もいなかった。つまり大多数の聖職者は偽物。あるいは、そこまでの認識に到達できていないレベルの人間たち。ついでに言えば、この問題点を指摘したのは原始的な信仰とインド系列の哲学のみ。他のメジャーな宗教は人間以外の生き物を明らかに差別しており、生贄と認識している。これこそが彼らの根っこにある差別意識、優越感であり、そこから侵略や略奪の発想が生まれるのだ。歴史を見れば明らかな通り、これらの宗教が奉じる神様は、信者の多少とは関係なく偽物。明らかに人間中心に偽造したマニュアルだと思う。その偽の宗教の信者が地球上には圧倒的多数を占めているのだから、最大の皮肉&矛盾だと思う。非常に残念に思ったけれど、調べてみると、我が国も明治時代以前には神仏や道徳思想と融合した教育が行われていたようなのである。それらが強引な西洋化政策と戦後の洗脳教育によって、偽の宗教の悪影響を受け、本来の崇高な精神世界が壊滅させられつつあると言える。従って、我々現代日本人は生まれた時から間違った価値観や思想により洗脳&汚染されてしまっている。最近、日本の古代から受け継がれてきた精神文明の素晴らしさが再認識されつつあるけれど、明治維新の当事者たちはそれに気付かず物質文明の脅威ばかりに気を取られて大間違いをしてしまったのではないかと思わざるを得ない。今回の投稿を読んだ方で、これに気付く人が一人でも増えてくれたら良いと思う。自覚した人が増えると、他の生命がそれに比例して救われるはず。救われる命が増えれば、これと関係して侵略や戦争という発想にも変化が生まれると信じている。

 

祖父母たちからは「ご飯粒一粒でも粗末にしたら眼がつぶれる」と教わった。日本では各地に殺生した生き物たちの慰霊碑(クジラ塚、魚塚など)が古来より存在しているけれど、それらが日本の美徳教育の片鱗であったことを今頃理解できた気がする。

そんなことで感慨深く店を出ると屋根の上は秋空と見事な紅葉だった。

コロナ禍で廃業してしまったお店がいくつかあった。放置された置物や、荒れ放題の草花を見ていると、ご主人は草木や庭が大好きであったであろうことを想像させる。

ヒノキ葺きの屋根や庭木にシダ類を人工的に這わせていて、お手入れに気を遣っていたことがよくわかる。

実家が無ければ、引っ越してソバ屋でもやりたいと思うほどの鄙びた良い雰囲気のお店だった。

すっかり日が傾いて山陰に隠れる少し前に駐車場に戻った。

西日に透ける紅葉が見事だった。

「戒殺生」精進いたします。

 

 

 

 

春にグルメな車仲間に噂を聞いて以来、ずっと行きたかった中華料理屋さんにようやく行けた。せっかくなので地元の友人を誘って行ってみた。何度も行こうと計画をしていたので地図で周辺の地理も把握していたけれど、行って見るまで分からないことも多いものだ。

 

店は幹線道路沿いの大きな交差点にあるにもかかわらず、綺麗とは言えない外観で、看板の明かりも消えているし、暖簾も出ていなかった。外から見える窓も薄暗くて、コロナ禍により閉店してしまったのかと思ったほど。信号待ちの時に薄暗い窓ガラスの向こう側に「営業中」という札がぶら下がっているのを確認できたので、友人にその場で降りて席取りをしてもらうことにした。外観の写真は取り忘れたのでグルメサイトからの借り物。当日は窓ガラスに張り紙がしてあり、なおさら営業している雰囲気ではなかった。

車を停めて戻って来ると、席取りはできないそうだった。外から見たら、全くやる気がなさそうな雰囲気なのに、薄暗い店内に入ったら満席で、席待ちの人もいた。店員さんは最初は不愛想だったけれど、僕が昔近くに住んでいた友人から勧められて来たと言うと、おばちゃま達のいるテーブルに相席を作ってくれた。

 

ここの名物は地元横浜発祥のサンマーメンだと言うことで注文。来客の半数以上がこれを食べている。確かに具材も豊富で彩りも鮮やか。サンマーメンとは神奈川県内を中心に普及している餡かけのもやしソバのこと。由来を検索するとサンマーメンの会などがそれぞれの解説を載せていて、中国語&文化がわかる人とそうじゃない人では解釈も異なる。少しずつ内容に差があるものの、大体の意味は「三(san)種類の具材(碼ma)を載せた麺」ということになっている。

 

使う具材はお店によって違うけれど、このお店では三種類どころではなく野菜類が贅沢に使われていた。

それと、グルメサイト上で美味しいと評判だったのがチャーハン。

そして相席に応じてくれたおばちゃま達が食べていた餃子が美味しそうなので追加。皮の中が緑色に透けていてとても美味しそうだったのだ。

はっきり言って、文句なしに全部うまかった!しかも値段も庶民的。これこそ昭和の味。友人は自分でも各国料理を作るような人なので、彼の舌は間違っていなかったと思う。敢えてひとこと言うとすれば、サンマーメンの味が甘めで独特。影響を受けたと言われる広東料理が甘めだと言うことで合わせているのかもしれない。これが好評らしいけれど、僕には少し甘く感じた。甘くなければ神奈川県No.1だったけれど、別のお店を知っているので、こちらは僕にはNo.2。No.1のお店の方はコロナ禍でずっと休業していたけれど、再訪してみようと思った。

 

隣のテーブルのカップルのお兄さんは大盛りを食べていたけれど、凄い量。話しかけたら、美味しいし、お腹が減っていたので大丈夫だと言っていた。彼女さんは担々麺にするつもりが、店員さんから辛いと脅かされたので、彼氏と同じサンマーメンにしてしまい、後から来た僕の話しを聞いていて、チャーハンにするべきだったと思ったそうだ。可愛いカップルだった。

 

そのまま帰るのはもったいないので、お気に入りの公園に寄る。この時期は冬になる前の遅咲きの花たちの季節なのだ。これを過ぎると花は激減するので、最後のチャンス。

ここに植えてあるのはほとんどが一年草なので、造園スタッフが毎年植え替えているはず。綺麗な庭は野放しではできないのだ。

何も手入れをしないで放置していると野原になるだけ。

気温が下がると茶色く変色して枯れ始めるギボウシもまだ緑色だった。

トリコロールとも呼ばれる通り、葉色が美しい。

秋のバラも咲いていた。春よりは少ないけれど、良い香り。

見頃の八重バラかと思ったらピンクのダリア。とても華やか。

ピンクダリアの上には赤いカンナ。

紅いダリアもあった。この季節はバラよりも豪華に感じる。トゲもないし園芸向きかもしれない。

ダリアが豪華すぎたのでバラが可愛らしく感じた。

シュネープリンセスピンク

小さなバラが球状に集まるマザーズデイ。

マザーズデイには白もあった。

丘の上の洋館は元イギリス領事館。その為、庭には洋風ガーデニングの定番であるバラも多いけれど、それ以外の草花があるところが好き。

バラだけのバラ園はいつも見ている途中で飽きて来る。

しかし、こんな最高の場所に英国領事館があったという歴史はやはり明治から植民地化されつつあったという証拠だと言える。

ちなみに隣はフランス軍が駐留していた。彼らはここから港や庶民を見下ろしていたわけだ。丘の上からはベイブリッジや港全体を見渡すことができる。

丘までのアクセスには市営バス「赤い靴号」が走っている。噴水の周りがロータリーになっている。

紫の蝦夷菊と白い葉のモクビャッコウ。珍しい花々を見ることができるのは本当に嬉しい。

ダリアは派手な物ばかりではなく、大人っぽいやつもある。

秋の野原のイメージと言えば、自分にとってはコスモス。でも、ここのはお洒落。濃い赤色はあまり見ない。

可愛い紫の千日紅。

独特な形状のケイトウ。燭台のようにも見える。

青味がかった針葉樹イブキビャクシンの立ち並ぶ小径。

紅いコキアがアクセントになっていて、ちょっとクリスマスっぽい雰囲気がある。

この庭園の好きなところは小径の作り方。下草は色や形も考慮されて配置されていることがよくわかる。本当にお洒落。

どこを歩いても変化のある組み合わせで、見ていても飽きさせない。

可愛らしい白い花があちこちにある。派手ではないけれど、品があるので気になった。

名前を訊いたらシュウメイギクだった。

隅まできちんと行き届いた手入れがされている。

これらの環境を維持するために、いつも大勢のスタッフが雑草や落ち葉を掃除している様子を見かける。縁の下の力持ちたちがいるからこそ、なせる美観。

サルビアはヒョロヒョロと伸びるけれど、群生すると素晴らしい迫力になる。

葉に香りのあるものはハーブとしても使う。

色のわりにそれほど香りはしないけれど、花弁の中には甘い蜜がある。

丘の斜面を利用した庭園なので、平面とは違った面白さがある。

南米原産のススキ。

たくさん生えると雑草だけれど、部分的に使うと面白い。

ここに滞在しているといつも時間があっという間に過ぎてしまう。日が暮れかけたので帰ろうとしたときに、懐かしいホテルを思い出してお茶でもすることにした。

閉店ギリギリで入れてもらえた。眼下にはベイブリッジ。

アールグレイで洋ナシのコンポートをいただいた。

 

 

 

 

 

 

 

この日は友人のライダーピアニスト(格好いいバイク乗り)さんが城北の古民家で演奏をするというのでちょい遠征。急に決めたので、細かく考えておられずに、とりあえず大嫌いな渋滞を避けるために海側から回って行くことにする。

 

途中で髭を剃っていないことに気付いて、パーキングエリアで剃ることにする。PAはすでにかなりの混雑。幸いに角ばった日本の名車の隣が空いていたので滑り込む。こういうデザインの車はもう作れない。大好きな希少な旧車である。オーナーさんとちょっと雑談をしてすぐに出発。

久し振りに走る東北自動車道はかなりのハイペースで流れていた。今頃は日光いろは坂などの紅葉シーズンだけれど、中途半端な時間帯だったので逆に渋滞が無くて幸い。

最寄りのインターチェンジを降りると素晴らしい田園風景が広がっていた。ビルと住宅だらけの都会地帯を抜けて来ると、建造物のない裸の地平線が見えるだけで感動する。

途中でガソリンを入れたり髭を剃ったりしていたこもあるけれど、飛ばし屋の自分としては予定時間オーバーでやっと到着した感じ。

広大な駐車場に停めると、やはり友人(タンゴ仲間の女性)の可愛いイタリア車が来ていた。

古民家は田畑の中にある大きな農家の敷地内にある。そこだけ小さな森になっている。こういう処にはトトロやマックロクロスケが棲んでいる気がする。

庭には柿の実もたくさんなっていて、秋の青空に映えていた。

ガレージにはピアニストが乗ってきた格好いいバイクが停まっていた。いつ見ても渋い。

今の自分は大きなアメリカンに乗っているけれど、これを見ると、またカフェレーサーに乗りたくなって来る。やっぱり剥き出しの空冷マルチエンジンはカッコいい。

よくみると蔦から葡萄がたくさんぶら下がっていた。古民家の入口も素敵な秋の風景。

この時ピアノの音が聞こえていて、指慣らしで練習しているのだろうと思っていたけれど、実はすでに演奏が始まっていたことを後で知ることになる。僕が開演時間を勘違いしていたらしい。風景写真を撮っている場合ではなかった。

入口の土間には来客の靴がずらりと並んでいた。

土間は作業場でもあるし物置にも使えるし、日本古来の万能スペース。

開演時間を30分間違っていたみたいで、外をゆっくり見てから余裕で席入りする予定が、逆に遅刻。しかし、ピアニストは僕の車の音を聞き逃さなかったらしく、僕が入って来るまでゆっくりと進行していてくれたらしい。ありがとうございました。

中休みに古民家内部を見学。

二階もあるので天井は低め。欄間には曇りガラスを嵌め込んで、実用的に改造している。外側もアルミサッシ。

日本家屋は襖や障子類を取り外せば広大なスペースが作れるところがとても合理的にできていると思う。でも、木造建築は音を吸収してしまうので、ピアニストは音響対策をしていた。

 

演奏後は日が落ちかけていたので、急いで田園風景を見に外へ出て来た。

実は駐車場の端っこにあった白い大きな花が何なのかとても気になっていたのでした。

白い花の正体はジンジャー。食用の生姜と区別するためにジンジャーリリーと呼ぶこともあるけれど、食べる生姜とは全く違う美しくて良い匂いの花が咲く。本当にいい匂いで、一度嗅いだら忘れない。

ジンジャーの香りを嗅いでうっとりしていたらあっという間に日没。ジンジャーの隣にはオレンジ色のカンナも咲いていた。

ランチタイムに間に合えば、演奏前にいただく予定だったランチセットを終演後に作っていただいた。ほとんど晩御飯です。

御うどんとケンチン汁、巻寿司、お庭の柿がセットになっていて、とても美味しかった。女性にはボリュームが多過ぎるかもしれない。

 

帰りは日光の紅葉狩り帰りの大渋滞に遭遇してしまったので、SAに逃げ込んで居眠りをしてやり過ごした。高速道路を自転車と同じような速度で走っていられるはずがな~い。渋滞した場合は料金とか半額にしてくれる制度を作って欲しいなあ。ETCで通行管理をしているのだから、その気になればできるはず。

 

 

 

最近の冷え込みで我が家のチビコキアも赤くなり始めた。巷では商人たちが金儲けのために考え出した中身の無い舶来の化け物イベントが流行っているけれど、興味が無いので、コキアの群生を見に行くことにした。

 

ちなみに、商売に利用することが悪いと言っているわけではない。自分たちの国に受け継がれた意味のある伝統行事を学習&理解もしていないくせに、思想や文化的背景の伴わない舶来の祭事を借りて騒ぐことが軽薄で虚しいと感じるだけ。この後に来る予定の十字架の男性と赤白の服を着た髭爺さんのイベントも同様。日本は元々神様の国ですよ。神様や自然に感謝する祝祭日もあるし、先祖の霊と交信する日もある。サンクスギビングなんて洒落たつもりで言う前に日本には古代から五穀豊穣に感謝する新嘗祭もありましたが、外国の祭日は知っていても自国に古来から伝わる大事な祝祭日を知らないことは、とても不自然で情けない。十字架の男性が登場するずっと前から、大自然と宇宙と神様の気配が最も濃厚に残っている国の一つだと思います。西暦はたったの2000年ちょっと。縄文時代は1万五千年以上も前からありましたよ。それなのに、今の日本人はどうして自分たちの大切な伝統文化を盛り上げて、その意味を考えようとしないのか?商売に利用するなら自分たちの伝統文化を利用すれば良いではありませんか。相乗効果で故郷や自然、国土(地球)に対する感慨も深くなるはず。自分の国の歴史や神様も知らずに、舶来の流行ばかりに浮かれて騒ぐ馬鹿さ加減はどこから来たのか?やはり明治維新という改悪と戦後の洗脳だと思います。伝統や知識のフィルターを通さずに、勢いで勃発した社会変動には弊害も大きいことの歴史的教訓でしょう。これからそれらを修正していくべきだと思います。

家を少し早く出ようとしたら、ちょうど通学の時間帯で抜け道が通行止め。その為の渋滞でかなりの時間ロス。

とは言え、一般観光客よりは大分早く現地に着いたので、駐車位置はコキアに一番近いベストポジションを確保。僕の車とお隣さんもコキア色で、近ければ保護色でわからなくなっていたかもしれない。

天気予報は曇り。走っていても雲が厚くて富士山は見えそうもなかった。しかし、時々薄日が射し込むのが有難い。

駐車場の目の前はまだ若くてピンク色。時間が経つと段々と茶色っぽくなって来る。

薄日が射した時には色が明るく輝いて、別物になる。

朝露が赤い葉に付いていてキラキラ輝くのが美しい。

湖畔に沿って歩くと、キク科の花たちの群生もある。晴れていればこの真正面が富士山のはずなのに残念。

コキアに比べると存在感は負けるけれど、可愛らしさでは負けない。

足元には紫色の小粒の花をつけるヤナギハナガサ。

コスモスの隣にはもしゃもしゃと生えているミューデンベルギア。色の付いた茎が細くて、目の悪い人にはわからないようなヘンテコなやつ。

厚い雲の色が幻想的。

元々は湿地帯なので木道が作られている。

木道の脇にはマーガレット。小さな蝶はベニシジミ。

朝の薄日が少しこぼれて来た。ここのコキアはまだ青いのが混ざっていて面白い。

ちょっと青空が覗いたけれど、富士山は相変わらず少しも見えない。

湖畔には釣り人と釣り船がたくさん。朝早くから集まっていたようだ。

コキア富士。僕にはキノコに見えた。いつもは赤色の時期に来ていたけれど、緑と赤の混ざっている様子も可愛らしくて、良いと思った。

山側は深い霧がかかったまま。山の濃い緑とのコントラストが美しい。

コキアの葉も近寄って見ると美しい。

湖畔に作られたお洒落なテナントエリアとビオトープ。

ビオトープマニアとしてはたまらない。春と夏の緑の季節が美しいのだけれど、蚊が多いのが困る。僕はいい年なのに今でも子供より蚊に喰われる。

かなりお洒落な小川になっている。これで自然の生き物たちが生息していたら最高。虫類は棲めるけれど、魚にはちょっと深さと水量が足らない。

一部は赤くなり始めていたけれど、本格的な紅葉はこれから。

小奇麗な公衆トイレの横にあるのは真っ赤なドウダンツツジ。撮影しているとトイレを覗いている変質者だと思われそうなので、サクッと撮って移動しなければならない。

これだけ固まっていると迫力があるススキとアジサイ。

少しだけれど、バラも咲いていた。少ないのに芳香の存在感は抜群で、遠くからでもわかる。

薄日が射し込むたびに富士山を期待したけれど一度も出てこなかった。手前の赤い木は北米原産のスズランの木。いつも公園内で一番赤くなるのがこいつ。

お土産屋さんで多少の買い物をして駐車場に戻ると、まだ見ていないエリアがあった。行ってみると、こちらは紅葉が早かったようで、すでに茶色くなり始めていた。

ちょうど薄日が射し込んできたので、色が鮮やかに変化。こういう大自然の演出は本当に素敵だと思う。

この辺に来たらほぼ毎回食べるのがホウトウか吉田うどん。吉田うどんは日本一硬いとも言われるほど、歯ごたえがある。お店はランチタイプで閉店してしまうところがほとんどだけれど、途中に生鮮市場で安い野菜類を買っていたので、時間ギリギリとなってしまったけれど、どうにか間に合った。

今回は汁うどんにしたので少し柔らかくなっていたけれど、夏に食べるつけ麺は冷水で締めてあるせいもあり本当に硬い。食べる時間が1.5倍かかると思う。

 

コキアの反対側にある湖畔にも素敵な公園があるので、そちらにグルっと回る。紅葉が始まったところらしい。

最近までは暖かかったのでアジサイも咲いていた様子。

こちらにもコキアは少しあったけれど、すでに紅葉は終わりかけ。対岸より気温が低いのかもしれない。

茶色くなったコキアの枝の間に枯れ落ち葉が挟まっていて面白かった。

湖畔に出ようとして歩いていると、なんと綺麗なアジサイを発見。こんな時期に咲いている。

湖畔も紅葉が始まる雰囲気。こちらにも釣り船が多かった。コロナ禍でキャンプや釣りなどのアウトドアライフが注目を浴びたせいらしい。

しかし、いつも思うのは、都会の人たちって本当に格好から入ると思う。色々なお洒落なグッズや衣類でバシッと決めたがる。田舎に住んでいる僕たちはモノがすぐに手に入らないせいもあるけれど、格好じゃなくて実力と知識だとよく皮肉る。昔のアウトドア雑誌でこの違いを特集したことがったけれど、関西系は質実重視で見た目にはあまりこだわらない。関東人は服装や道具類にこだわる傾向が強いと言っていたけれど、その通りだなあと思った。狭い国でも文化や習慣などの違いがあるのはとても面白い。この傾向は海外での仕事のやり方にも表れる。日本の企業は保守的で即時に判断して動ける人はなかなかいないけれど、韓国や海外企業は電話一本でその場で本社と相談をして決められることが多いけれど、日本企業は数日かかる。その中でも、更に判断の速度に差が出るもので、僕の経験では関西系の人たちは速いと感じた。話のテンポも速いけれど、現実にその場で対応する能力が高い気がするので、いつもビジネスの現場では勉強させていただいていたことを思い出す。だから商売は関西と言われる由縁なのだと思う。

下草はまだ青い。ここは開けた吹きっさらしの広場なので風がある時にはとても寒い。いつもは白鳥がいるけれど、当日は見かけなかった。釣り人が多すぎたせいかもしれない。

湖畔を歩くとさらにアジサイたちを発見。アジサイは夏のイメージが強いので違和感がある。秋に見る青色はちょっと肌寒い気がする。

不思議なので後から調べてみると、園芸品種には四季咲きとして改良されたものもあるらしい。また「秋色アジサイ」という場合には、夏に咲いたアジサイの花弁が変化した様子を指すそうだった。

気付けば山の陰に日が沈みかけていた。

割と早めに出たつもりだったけれど、日が暮れるのが早くなっていることを実感した一日だった。

 

 

 

 

 

 

 

故恩師の詩集がきっかけでご家族を久し振りに訪問することになった。学生時代の記憶は、ご自宅でなぜかカレーをご馳走になったことだけ(笑)。それとは反対に奥様はご自分がカレーを作ったことを覚えていらっしゃらないご様子だった。

 

行き方を地図で検索していたところ、ご自宅のすぐ近くに面白そうな場所を発見!待ち合わせ時間前に寄り道することにする。遠出する場合に用事を詰め込んで、体力と時間の許す限り動き回るのが僕の習性。

 

埼玉県は都心からの地の利も良く、日本の航空界が発祥した場所だったらしい。それを記念した航空発祥記念館なるものがある。午前中に行ったけれど、付近の公園は家族連れで大賑わい、駐車場はすでに満車だった。しかし、公園の敷地に入ればいきなり本物の航空機C-46A輸送機(天馬)がドーンと置かれており、凄い迫力。幼稚園などでよくみる偽者のスペースシャトルや飛行機とは違って実物があるのだ。見学が楽しみになる。

受付で今流行りの検温&連絡先事項記入などの通過儀礼を済ませて無事に入館。目の前にはやはり実物の航空機たちが所狭しと並んでいるし、開館したばかりで人も少ないので見る気満々。世界的に有名なスミソニアン博物館はさらに巨大だけれど、これでも十分に感動する。

手前にある黄色い機体は米国製の練習機だけれど、単発のプロペラ機を見ると全部ゼロ戦に見えてしまう。それだけ名機だった。

航空の前段階が気球と飛行船。欧米に負けじと研究会を発足させたのが始まり。目的は観光ではなくて軍事利用。それまでの移動手段は陸海だけだったのに、空が加わりつつあった時代。

こんなに巨大な風船の化け物を保管するだけでも広大な敷地が必要。これが地面を滑走してから飛び立つ飛行機タイプになれば、さらに長い敷地が要る。それで1911年(明治44年)に作られたのが日本初の飛行場。国は航空戦の意義をまだ認識しておらず、ライト兄弟の初飛行に刺激されて、慌てて臨時気球研究会を設立した。初代会長は陸軍の長岡中将。科学的な知識と研究の基礎を作った田中博士と共に日本の航空の父と呼ばれる。

左が田中博士で右が長岡中将。凄い髭。流行とか価値観はいつの時代もよくわからない。

長岡中将の配下に白人の植民地侵略政策からアジア解放を目指した大陸からの留学生たちがいたけれど、同時期に大陸では孫文による辛亥革命が起き、部隊を離脱して革命に参加したアジア主義者たちがいた。その中の一人が後の国民党総帥・蒋介石である。

長岡中将が臨時気球研究会の初代会長に就任した背景にはエピソードがあった。彼の部隊に属していたある看護兵がいた。彼は子供時代から凧を作るのが上手で様々な構造のものを趣味で作っていたのである。当時、海外ではドイツのリリエンタールが鳥の羽根を模したグライダーで高所から飛び降り方式の滑空を研究し始めており、この看護師も同様に昆虫や鳥の形態から発案した飛行機作りを考えていた。1891年(明治24年)には模型をゴム駆動のプロペラで飛行に成功している。その後1894年から数回飛行機を研究するべきだと言う上申書を上司の長岡中将(当時は大佐)や、その上の旅団長に提出しているが、余りに先進的すぎたアイディアは却下され続け、実用化が遅れた。その間に、アメリカのライト兄弟が1903年世界初の動力飛行を実現したのである。もしも、軍部が早くその先進性に気付いていたら、世界初の動力飛行機は日本人が発明していたかもしれないのだ。これに刺激されて1909年に臨時気球研究会が設立されることになったけれど、看護師が航空工学の問題提起をしたのは15年も前のことであった。発明の機会と惜しい人材を潰してしまった。

 

結局、日本人の初飛行は1910年 12月19日 となった。フランスで飛行技術を学んだ徳川好敏大尉が帰国後、代々木練兵場で日野熊蔵陸軍歩兵大尉と共に日本国内初の飛行に成功したもの。羽根が上下に二枚ある複葉機。

一時期、テレビ番組に「鳥人間コンテスト」というものがあったけれど、あれら素人の飛行機にもまだ及ばないレベルだった。

使用した飛行機はフランスのアンリファルマン製。徳川大尉は同社の航空学校で操縦を学んでいた。

構造はハンググライダーに簡単な原動機がついた程度で、身体もほぼ剥き出し状態。後ろが徳川大尉。こりゃ、寒そう。

当時の難易度から言えば、スペースシャトルや宇宙ステーションに行くための訓練と同様。国費で派遣されているので、超エリートだったのだろう。責任も重大。

苗字を見ればわかる通り、静岡の徳川家のご出身。

真剣に学習していたことが遺品のノートなどから推察できた。

世界初の飛行機はアメリカのライト兄弟だったけれど、数年後には技術力でヨーロッパ諸国に抜かれてしまう。その最先端がフランスだったのだ。第一次世界大戦から飛行機が活躍し始める。有名な大人の童話「星の王子様」の作者もこの時代に飛行機に憧れたフランス少年だった。ジブリアニメ「紅の豚」もこの時代がモデル。

日本としては航空技術で後れを取ってはならないということで、フランスから飛行操縦の共感を招聘し、フランス航空教育団を組織。

各基地で指導を行った。航空機自体が希少なモノなので、墜落させたら一大事。貴重な設備と人命を失うこととなるので手作りのシミュレーション道具を作成。子供の遊具みたいに見える。

余暇には日本の観光や生活を楽しんでいた様子がわかる。男はやはり侍と日本刀に関心があるみたい。

足元の子犬が可愛い。

団員が母国フランスに送った日本の子供たちの写真もあった。素朴で可愛らしい。

人類はこういう技術や民間の交流ができるのに、どうしてそれが悲惨な戦争になるのか、本当に残念。この後にはアジア侵略を始めていたフランスとも対立することになるわけだ。日本もアジアに侵攻したことはお互い様。しかし、おそらく上部からの命令に従わざるを得ない状況になるのだろうけれど、まともな人間たちが自ら望んでこのように無垢な子供たちを傷つけたがるはずはないと思う。

とにかく展示物がどれも面白くて全部片端から読んでいると、いつの間にか人が増えて来た。混まないうちに、見たいものを最初に見るべきだと考えたところで、行きたかったミュージアムカフェのことを思い出した。

 

以前にアメーバコミュニティーのバイク仲間たちからここのカフェのハンバーガーのことは聞いていた。彼らのアップしている画像には航空機たちとハンバーガーがいつも写っていたことが印象深くて、そのうちに行ってやろうと思っていたのだった。結局その後にアメブロのコミュニティーは消滅し、来れないままになっていたのだった。

 

混んだら入れないかもしれない!と気が付いて、見学の途中で一度退出させてもらうことにした。カフェはすぐ隣だけれど、一度外に出て入り直さなければならない。コロナ前はドアを開ければ出入り自由だったみたい。奥のガラス戸の向こう側がミュージアム。

テーブルは大部分が撤去されて、奥のテーブル席とカウンターのみ。入口に券売機があった。

航空機にちなんだオリジナルの飲食物があるかと期待していたけれど、ハンバーガーなどのジャンクフードのみで手の込んだ料理は無し。航空関係のオリジナルメニューを作るべきだと思うけどなあ。ゼロ戦セットとかブルーインパルスセットなどがあっても良いと思う。

セルフサービスのセットを飛行機が一番よく見える席に運んだところで、次々と来客があり、ギリギリセーフだった。

公園内にはほかに飲食できる施設がなさそうなので、ここに集まってくるようだった。

サクッとランチを済ませて再入場。大型の実物展示物は混んでいても見られるけれど、細かい説明書きの多いものは人が多いと見にくくなるので、そちらから優先することにした。子供にも航空力学をわかりやすく教えるための様々な工夫と装置があった

 

航空機が登場する前の空を移動する手段は熱気球だった。ドライヤーで熱風が噴き出すと大きなビニールの風船が空中に浮かび上がる仕掛け。音もなく静かに浮かび上がる様子を見ていると本当に飛べそうな気分になって来る。

これはジェット推進とプロペラ推進の違い。二種類の推進システムが同軸上で回転する仕掛け。ジェット機は早い代わりにゆっくり飛ぶことはできないし、燃料を大量に要する。

ゆったりと遊覧飛行をするにはプロペラ式が向いていることがわかる。

これは体重計に乗るとヘリウムガスの風船いくつで身体を浮かせることができるか計算してくれる装置。

この子は風船1795個で身体が浮く。

これを見て思い出したのがディズニーアニメの「カール爺さんの空飛ぶ家」。大量の風船を付けて家ごと飛んでいました。子供の頃にお祭りで売っている浮かぶ風船を見たことのある子どもなら、誰でも自分も飛べるのではないかと考えたことがあるはず。

ところが調べてみたら、実際に普通の巨大なヘリウムガス風船で何度も空を飛んでいた日本人がいたらしい。このユニークで大胆な男性は事業に失敗し、1990年から借金の負債を返済するために太平洋横断風船旅行を考えた。何度も警察などの制止も振り切って勝手に飛んで行ってしまい、1992年に本当に行方不明となってしまった。言うことを聞かないので、海上保安庁や自衛隊もお手上げ状態だったらしい。その後は世界中で風船人間が登場した。

貴重な動画もあったので拝見してみたけれど、正に驚きの大胆行為。警察官もニュースの司会者もほのぼのした対応とコメント。さすが昭和と思ったら1989年から平成だった。画像を見ていると、何となく記憶があった。

多摩川から九十九里まで飛ぶ予定が、重しを落として高く飛び過ぎたので、5mサイズの風船を一つライターで焼き切って急降下。

高所が大嫌いな自分からは想像もできないけれど、高度4千メートル以上のマイナス11度の空中まで軽装のまま飛んで行ってしまった。酸素マスクもないし、その他の保安グッズも一切なし。

民家の屋根に不時着。電線に接触したら大惨事だけど、ここまでは運が良かった。当時のニュース番組の様子がとても生々しい。

結局1992年11月23日にファンタジー号という桶職人が作ったゴンドラに多少の機材を積んで琵琶湖畔から出発。宮城県沖で海上保安庁の監視後、雲のかなたに消えて、そのまま帰らぬ人となった。普通の塩化ビニール製の風船などで飛んだら毎日ヘリウムが10%ずつ抜けるらしい。無知無謀に怖いものはないみたいだ。大迷惑な話なのに、余りの荒唐無稽さに笑ってしまう。今だと難しいと思う。この手の冒険モノは世界中に色々あるけれど、僕自身は自己責任でやらせても良いと考えている。それは未知の領域や大発見はこういう限界ギリギリの状況から生まれることがあると思うから。その代わり迷惑、損害、救援などの出動に関する経費は全て自己負担させるべき。

 

出発する前にこの博物館に来て学べば良かったのになあ。空を飛ぶのはそんなに簡単なことではありません。気球で最初に空を飛んだのはフランス人科学者のシャルル。18世紀末に水素と炭素ガスで高度3千メートルまで飛んでいたらしい。

フランスの都会人は多少の知識があったのに対して田舎の人たちには空から飛来した怪物に見えたらしい。嗅いだことのないガス臭とブヨブヨした巨体を化け物だと思い込み、農機具で風船を突き刺して退治しようと集まっている群衆を描いた絵が残っている。

 

気球は上下運動はある程度調整できるけれど、浮力のみで動力が無いので方向転換ができない。それで、更に操縦性を追求したものが鳥型の飛行物である。有名なのはドイツのリリエンタール。鳥の飛行方法を研究して、翼を模した固定式のグライダーを発案し、高所から飛び降りて滑空している姿はよく知られている。子供の頃は傘を開いたままでよく飛び降りたことを思い出した。

実験場として土地を購入し、15mの高さの丘を作って滑空実験を行っていた。面白い実験なのでマスコミや見物客が集まったらしい。結局、滑空実験中に墜落し頸椎損傷によりお亡くなりになった。このグライダーは上体が固定されているために飛び出した後の重心移動がしにくかったから、間違えると墜落する。正しく命がけだったのだ。

 

その跡地にはリリエンタールの記念碑が建てられている。

しかし、この博物館で初めて知った衝撃的な歴史は、どうやら日本(岡山県)には1785年に鳥の羽根型グライダーを自作して橋の上から飛び降りていた先駆者がいたらしいこと。記録に残っている世界最初のグライダーによる滑空を成功させた人間はイギリスのケイリー卿で1853年なのだから、それより70年も早かった。

この先駆者・浮田幸吉は鳩を研究して翼を自作したらしい。それを組み立てて橋の上から飛び降りたところ、河原で宴会をしていた人たちの上に落下し大騒ぎとなり、町役人から所払いを言い渡されてしまう。静岡に移った幸吉はそこでも飛行実験を繰り返すが、迷惑過ぎるということで斬首されてしまったそうだ。飛行実験の記録はないけれど、懲罰の経緯と記録が残っているので、実在したのではないかと言われている。これは知らなかった。しかし、奇人の趣味なのだから勝手にやらせておいてあげればよいものを、斬首とは厳し過ぎる気がする。そんなに迷惑をかけたのだろうか?あるいは態度が悪かったのかもしれない。

 

さらに展示室内には驚きの歴史が紹介されていた。それは、先に気球研究会の所で少し述べた、凧作りが趣味だった看護兵の話。実はその看護兵こそ日本最初の動力飛行機を考案した香川の二宮忠八氏だったのである。その認知度は最近まで低かったけれど、世界航空界ではライト兄弟より先に動力飛行の原理を理解していた人物として認識され始めている。

カラスの飛行する姿からヒントを経て、そこへ四枚プロペラを加え、聴診器のゴム管をねじったゴム動力推進の模型飛行機を作成している。これにより、自走と手投げによる滑空飛行に成功。後は実物大の飛行機を作る予定だった。このアイディアを当時所属していた部隊の上司であり臨時気球研究会会長でもあった長岡大佐に上伸しても却下され、その上の旅団長からも軽視されてしまった。その為に除隊して製薬会社で勤務しながら独自で研究を続けることとなった。

資金も集まらないまま、ライト兄弟が先に世界初の動力飛行機による飛行を成功させてしまったことに失望し、以後は航空業界から足を退いて製薬業に没頭する。悔しかったので研究中だった模型を打ち壊したらしいけれど、その無念さはわかる気がする。ライト兄弟の初飛行が1903年で、二宮氏が航空機研究の上申書を提出したのはそれから9年も前の1894年だったのである。本当に惜しい人材とチャンスを逃した。

 

後に軍部はその功績を認め、表彰するとともに、当時の上司であった長岡中将も謝罪しているらしい。こういう謙虚さや客観性が軍部や軍人にあったことはとても意外に感じた。結局、軍部の勉強と知識不足のために、夢がかなえられなかったにもかかわらず、引退後は航空事故による犠牲者を追悼するための飛行神社を京都に建立している。このことからも二宮氏は本当に航空を愛した生涯だったと思う。しかし、こういう情報や話は我が国ではほとんど教育&宣伝されないことが情けない。大人になっても何の役にも立たない年号や政治家の名前を覚えさせるくらいなら、国や文化に誇りを持てるような有益な情報を子供たちに教えるべきだと思う。

 

学校の教師は社会経験がないままで教職課程を取得しただけで「教師」となることも教育の問題点だと思う。現実の社会経験の不足しているような人たちがどうして子供を教育できるのか?それだから、国の作ったマニュアルから抜け出せず、社会的な対応力や知識不足の子供が大量生産されてしまうのではないのか?

ライト兄弟に関する資料もあったけれど、二宮氏の空と飛行機に対する情熱と歴史を知った後には、それほどの感動は無かった。

兄弟の作ったフライヤー号は方向を変えるための垂直翼が前についていた。現在の航空機はほとんどが尾翼型式。それと、動力の伝達方式が自転車と同じチェーンだったために出力のロスが大きく、すぐにヨーロッパの航空機に追い抜かれることとなった。

 

スムーズに離陸させるために兄弟はレールを敷いて走らせていたけれど、二宮氏はすでに車輪を考案していた。しかもプロペラはチェーンではなくヨーロッパと同じく同軸プロペラ方式を模型で実現していたことも先を行っていたと思う。

 

歴史紹介コーナーと体験コーナーは同フロアにある。

今の航空機の翼の形状と浮力が発生する仕組みを風洞実験器で見ることができる。

風速を上げると風洞内のファンの回転速度が上がり風力が増すので模型飛行機が浮き上がる仕掛けとなっている。

風洞の空気穴から中をのぞくと模型飛行機の姿が見えた。

簡単なヘリコプター操縦シミュレーターもあった。これは子供に大人気。

日本で大正時代から航空指導を行ってきたフランス航空教育団の練習機ニューポール81E2。埼玉の民間飛行家が当時不時着して破損したままになっていたものを修復して展示。なぜか、最新鋭の戦闘機よりもこういうアナログな機体に乗りたいと思ってしまう。

自衛隊で使用されていた米国製大型輸送ヘリ。飛行機に比べてまるで空を飛びそうな感じはしない。こんな鳥はいませんし、自然界でこういう形状のものは空を飛ばない。つまり動力と羽根で無理やり浮かしている気がするのでイマイチ信用できないんだよなあ。

英語に混じって書かれている日本語が面白かった。簡潔でわかりやすい。実際に緊急時に頭の中で翻訳する時間が無駄。日本人が使用するものに外国語表記をすること自体がナンセンス。さすが米国の植民地。与えられる軍備は全部お古で情報も筒抜け。いつまで日本はお古に甘んじるつもりなのか?

皮肉はともかく、吊り下げられたり地上に置かれている航空機を見ていると、自分が小人になっておもちゃ箱の中にいるみたいな気分になって来る。

しかし、ちょっと残念なのは航空機のほとんどが外国製かそのライセンス生産のものばかりであること。この原因は敗戦による航空工学と関連事業の強制停止措置。侵略部隊のGHQは1945年末から我が国の航空に関する全事業を禁止したのである。同時に、航空に関する製造機器類や施設なども全部廃棄処分された。

世界の戦闘機乗りにおそれられたゼロ戦や各種高性能戦闘機を製造していた日本の航空に関する技術と歴史はこの時に前途が断たれてしまった。職人の技術と知識は継承されずに断絶すると取り戻すことは非常に難しくなる。これは日本の伝統的工芸&芸能、大工、各種の職人の知的財産全般について言えること。

航空禁止命令書はこの紙一枚。説明書きの上段部分の拡大が以下。こんな紙切れ一枚で日本が世界に誇った航空技術の粋が滅ぼされようとしたわけだ。マスメディアに対しては同様にプレスコードを発令して言論統制と洗脳を行ってきた。これらの策略は全て科学的な研究と知識に戻づいて実行されてきたため、非常に効果的であった。アジア的な価値観を否定して欧米の価値観を優れたものだともわせる。豪華で豊かな物質文明を見せつけることによって、東洋哲学の精神世界を凌駕しようと考えたわけだ。この策略に途中で気付き、早めに修正をするべきであったが、それがなされなかった結果が今の情けない自虐史観にまみれた愛国心やプライドのない日本である。

日本人の思想と社会を欧米化するのと同時に、それらの障害となる文化や情報は徹底的に破壊しようとした。精神力の元となった伝統的教育、食生活を変えさせる。武力に関係する先端技術と武士道精神(教育)の根絶を企んだ。これらの侵略者の動向に抵抗し、秘密裏に文化を受け継いでくれた人たちがいたお陰で何とか日本は細々と生き延びているのが実情。世界が恐れたアジアの巨人の姿は幻となりつつある。

 

航空に関する博物館にここまで辛辣な説明はなかったけれど、歴史的事実であることは間違いない。

 

航空技術者たちは生計を立てるために鍋釜や家電製品を作ったり、自動車や船舶、鉄道などの他業界に散って行った。この点は戦後の製造メーカーには幸いだったかもしれない。

その5年後に朝鮮半島で戦争がはじまると米国は日本の航空技術が必要となり、その二年後の1952年から航空産業を承認。それからさらに10年後の1962年8月30日にようやく国産旅客機YS11が初飛行を成功させることとなる。航空産業断絶17年を経てようやく復活することができたのである。

幸いにゼロ戦設計者の堀越二郎氏などがまだご存命であり、戦前の三菱、中島飛行機、川崎などの知識を総動員することができた。かろうじて日本航空界が生存できたことは幸い。戦後に自分の生きがいを全否定されてしまった技術者たちが大喜びしたことは想像できる。

初期型のYS11は飛行に成功したものの、問題点も多く、技術者たちは改良を重ねて、ついに世界に認められる日本国産旅客機を完成させたのである。堀越二郎氏のYS11に関する報告書が展示されていた。

ジェット機は速度が速い代わりに、長大な滑走路を必要とする。プロペラ機は反対にスピードは遅いものの、離着陸の滑走距離が短くて済む。そのため、国土の狭いアジア諸国ではプロペラ機の方が合理的だと言うことで、プロペラ駆動を選択したらしい。

 

プロペラの羽根の角度を変えることによってスピードと浮力のバランスを調整することができる機構が考案された。車のギアと同じ役割を果たす。

航空機は作ることを許されたけれど、広大な空港の敷地は占領されたままだった。そこで1967年から市民の基地返還運動が始まることとなる。

最終的には7割変換されたらしいけれど、残る3割は相変わらず侵略者の通信施設となっている。ちなみに私の地元の横須賀の米海軍基地は戦後ずっと占領されたままである。

期間限定の企画展示は小惑星リュウグウからハヤブサ2号が採取したサンプルや隕石に関する内容だった。これも興味深く拝見。

左が実際に採取した岩石の実物大模型。右がそれを10倍に拡大したもの。模型は3Dプリンターで作られている。太陽系ができた初期の原始的な岩石の可能性が大きく、太陽系の誕生した仕組みの解明につながる貴重な資料である。

通常、宇宙の元となった粒子が集まって天体が出来上がる場合には高温が発生するが、集まっただけで熱を発生しない状態でグズグズの状態で宇宙を漂っている中途半端な天体がある。その成分には熱変性を受けないために有機物や炭素などが元素として残っている。これらはビッグバンの時に飛散した粒子の原始的な状態に近いのではないかと考えられている。

隕石は地球外から降ってくる岩石であるが、地球内部の岩石も展示されていた。地球内部からマグマが地表に上昇する際に周辺の物質を取り込んで出て来る。この時の熱変性によって蛇のような模様になったり、緑や赤い結晶体となる。緑のものは橄欖石と呼ばれ、ハワイの溶岩中によく見られる。現地人は緑のダイヤ、ハワイのダイヤと呼んでいたけれど、宝石名は「ペリドット」。


展示資料を仔細に読んでいたら、いつの間にか訪問する約束の時間が迫っていることに気付いた。面白くて夢中になっていると、時がたつのは速い。

出る際にミュージアムショップを覗くと、飛行機乗り憧れのプルーインパルスの関連グッズが並んでいた。

ちょっと欲しくなってしまった。