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雲水・ISA(九龍)のブログ

日本は神の国
仁術師

日が暮れるのが凄く早くなっている。しかし、気温は比較的穏やかで、我が家の紅葉は今が見ごろ。

空いている時間帯を予想して、地元の美術館の展示を見に行く。内容は敗戦後に地元で米国人たち向けのお土産品として発案された「スカジャン(スーベニアジャケット)」に関するもの。自分たち地元民には昔から馴染みがあるものだけれど、それが展覧会になるというので見に行ってみることにした。展示品の大部分はスカジャンの元となる商品を開発した都内の会社の収蔵品であった。

スカジャンを「横須賀ジャンパー」の略称だと知らない人も多いらしいから、展覧会の展示品をお洒落で格好が良いものとして参観する人が圧倒的多数だと思う。しかし、背景には切実でつらかった時代があることを知っている人は地元でも少なくなりつつある。それらの内容は展覧会では余り説明されていなかったけれど、とても重要な歴史と背景だと思うのでブログに残すことにした。

 

スカジャンという名称が普及する以前、一般の日本人で関心を示す人は少なかった。外国人向けの都心のショップや基地周辺の土産店で並んでいるものの、誰があんな恥ずかしいド派手な上着を着るのかという感じだったらしい。その証拠に、当時を知る世代の人たちで好意的に喜んで着ている人はほとんど見たことが無い。子供の頃、あれは不良やチンピラみたいな頭のおかしい人たちが着るものです!と言われていたものだ。いわゆる高度経済成長の団塊の世代から抵抗感が薄れて来て、日本人でも着る人が現れた。しかしその時点でも主なお客は外地から来た観光客だった。

敗戦後の飢えていた時代、日本人は生き残るためにたくましく生きていた。高カロリーのチョコレートなどのスウィーツと進駐軍の残飯はご馳走だった。それらを欲しいために英語を覚えた人も多かった。私の叔父たちも、子供の頃は毎朝海岸に流れ着いた米軍の物資を拾いに行くのが日課だったらしい。それから皿洗いをしたり、色々なバイトをしながら英語を覚えた。子だくさんの家庭では英語ができると生活が楽だったのだ。まだ教養や知識もなく、政治も理解できない子供たちにとっては、目の前にある物質文明こそが善だった。大人たちが言う、誇り、愛国心、道徳などよりも、格好いい車、甘くておいしい食べ物、刺激的なファッションや音楽などに関心を持つのは仕方がなかったと思う。大人たちにしても、海外事情を知る人は少なく、今までとはほとんど正反対の価値観や文化習慣に突然切り替わってしまったので、順応するには時間がかかった。

当時の雰囲気がよくわかる名作邦画が1961年今村昌平監督の「豚と軍艦」。主演の長門裕之さんは演出上スカジャンを着ていた。この当時はまだスカジャンとは呼ばれておらず、日本土産として米国人向けの土産店などで売られていた「スーベニアジャケット(お土産用の上着)」と呼ばれていた。今でも年配の横須賀人たちはスーベニアジャンパーと呼ぶ人がいる。この映画は表面的な横須賀ではなく、戦後の実情を描いた名作だと思う。ところが、当時の地元民たちは自分たちの恥をさらすように感じており、映画の評価は低かった。それに対して評価が高かったのが、客観視することのできる環境と立場にいる海外の文化人たち。海外では、想像とは全く違う敗戦後の日本の状態を知りショックを受けた人も多かった。ロバートデニーロ主演の「タクシードライバー」の監督マーティンスコセッシもその一人であったらしい。同映画からその後の作風に流れる同監督の世界観には通じるものが確かにあると感じる。

当時、食べるものに困っていた日本人たちは売れるものは何でも売っていた。その時にとても良い商売対象だったのが進駐軍の米国人たちだったのだ。戦勝国の裕福な米国人たちにとって物資に乏しい日本国内で欲しがるものはエスニックなお土産品と可愛い女性くらいだった。人気商品は骨董品と和装工芸品類。和柄の帯や着物類は大人気だったらしい。飢餓状態の社会では金目のものより食べ物が大事。この時期に貴重な文物骨董品類が大量に海外に流出している。

女性に関しては赤線、青線と呼ばれる売春街があった。しかも、日本政府は米国人が市街地にあふれて略奪や暴行をすることを恐れてストレス解消の防壁として公認していたのである。働く女性を公募までしていた。我々は平和な時代に生まれているからとかく人権だの道徳などの綺麗事を言ってしまいがちであるけれど、真剣に生き残らなければいけない時代に、そのまま当てはまるとは思えない。これは世界各地に昔から存在する裏の存在であり、背に腹は代えられない事情もあった。焼け出されて家族を失った孤児(女子)も多数存在している。その点は現代の遊ぶための小遣い稼ぎ風俗女性たちとは全く違うと思う。

 

 

いずれにしても、そんな行為を普通の人たちができるはずもなく、一般人には家に売るものが無い。そういう時に「芸は身を助ける」となる。楽器にたけた人たちが基地内外のクラブで演奏をして生計を立てていた。横須賀のEMクラブ(海軍下士官兵集会所)で始めたのが日本のJAZZ発祥だと言われている。ホールの踊り子たちは芸能界とつながった。日本のバレエ界の創始者であるロシア移民の姉妹(パブロワ)は日本人以外の生徒を求めて基地にバレエを教えに来ていた(私の母はその時に教わっていたそうだった)。

そして、手先の器用な人たちは洋服の仕立て屋、美術が得意だった人たちは似顔絵や風景画を描いて食いつないでいたのである。カメラや写真はとても貴重で手に入らないために、絵画の技術はかなりの需要があった。紙や板のほかに、お土産として丈夫で光沢のあるパラシュート生地などをハンカチやスカーフサイズに裁断して、そこに絵を描くアイディアが生まれた。その発展型が衣類に絵を描くものになった。初期のスカジャンには生地に直接絵を描いたものがあるが、非常に希少である。さらに、ミシンが導入されると日本の和装の刺繡技術を使ったものが歓迎され、豪華なデザインとなったのである。これらが米国人たちに受けて「スーベニアジャケット」という定番のお土産品となった。

これが売れることに気付いた基地の街・横須賀でも作られるようになる。元々、横須賀は明治以降首都圏にある最大最重要の軍事拠点であったために公共施設や機関が集まり、それに呼ばれた全国の職人たちが集まっていた。軍服や学生服などの仕立て屋も数多く、和洋どちらの衣服に関する縫製や加工には便利であった。

しかし、元々は米国人たちが自分たちの侵略記念に作ったお土産品。グアム、ハワイ、ベトナム、朝鮮などの自分たちが侵略した場所を自慢する内容であるから、まともな日本の大人たちは着るはずもない。着るのは節操がなく米国に媚を売って生活する愛国心&道徳心の欠如した人間たちであるとみなされていた。しかし、享楽にふける米国軍人たちが価値の高いドルを散財していた進駐軍基地周辺の飲食店や土産店、売春街関係者たちは巨額の売り上げを稼ぐことができた。ボロ儲けである。それに注目したのが被差別業種の人たちと在日外国人たち。彼らは元々日本の伝統社会から疎まれた存在であったので抵抗感が薄かったのである。それどころか戦後のどさくさをチャンスとばかりに不動産を買いあさりビジネスに参入して来たものも多い。「背乗り」と呼ばれる戸籍偽造も多かった。こうして日本の裏社会は出来上がった。芸能娯楽興行関連は特に関係が深い。そのようなタイミングで横須賀の庶民の街からも数多くのにわか成金が誕生したのである。

 

一方で庶民たちは彼らを白い目で見つつも、物質文明社会にすぐに馴染めず、敗戦の恥辱を嚙み締めていた。進駐軍関係者たちは現地妻を持つものも多く、日本女性も米国人が彼氏にいると食料などの心配もなく便利だということで、愛人になりたがる人も出て来た。

実質的な身売りであり、そこから数多くの混血私生児が誕生することとなった。占領地には起きる現象で、韓国のベトナムにおけるライダイハン(Laidaihan私生児)も同様である。なお、彼の国は慰安婦に関しては凄い勢いで非難しているけれど、自分たちの責任には知らんふりをしている。また、当時の慰安婦は拘束も監禁もされておらず、休暇や外出も自由であった。当然逃げることも可能。しかも非常な高給であったから自主的に残ったのである。これは鉱山や企業の徴用工にも言えること。この件の証言者は多数いるにも関わらっず、マスメディアと政府は情報を握りつぶして来た。これに関しての国際的な検証は

ハーバード大学ラムザイヤー教授の「慰安婦論文」

 

で検索すれば出て来る。身勝手な主張や罵詈雑言が横行しているけれど、具体的根拠を伴った論証で対抗するべき。このことは戦時中の他の功罪問題に関しても同様である。

 

また、同国のインフラや教育は戦時中の日本が基礎を築いたたものであり、それまでの国民は特権階級「両班(ヤンバン)」の奴隷的な存在であったことも知っておくべき。庶民は読み書きを禁じられ、大部分が文盲であった。当初は日本語教育を行おうとしたけれど、特権階級だけのものだったハングルの方が簡単なので庶民の言語教育に採用したのである。

当時の乱れた風紀や文化に関する記録は検索すれば色々出て来る。現地を訪ねた英国人の紀行作家は彼らの存在を「災い」と形容していたほどである。近代における、欧米の植民地化に対抗してアジアを団結させようとした際には風見鶏的に立ち回り、裏切り&妨害したのも彼ら。この伝統的な搾取構造が彼らの発展を阻害し、文化を退廃させた原因だった。それに気付いて改革を望んだ有志達は当時アジアで欧米に対抗でき得る唯一の国であった日本に逃れて来た。ところが、彼らは欧米の植民地化策略を見抜けなかった旧体制(国際事情に疎い両班や王族など)により、殺害されてしまう。福沢諭吉はアジアを守るために日本を頼って来た若者たちが犠牲となった(残酷な方法で虐殺処刑された)際には、あの国はこの世の地獄であると大激怒したことでも知られている。それらの悪い意味の伝統があるため(今の政財界の背景はそれらの特権階級出身者で構成されている)、儒教や朱子学を教義としているはずの国家とは思えない無恥な言動が多いことも注目するべき。

 

日本軍の統治方法は他のアジア諸国に対しても同様に行われた。人権を無視した西洋式植民地化とは異なり、日本国民の一員として扱われた。戦後は侵略者が自分たちの侵略行為が暴かれることを恐れて、それらの友好の歴史は隠蔽されて来た。そればかりか、虐殺や非人道的行為を針小棒大に誇張するプロパガンダを行って来たのである。戦後に独立できたアジアの国々には感謝を述べた人物も少なくなかったけれど、それらは侵略者側によって全て言論統制されて来た。

 

現代日本人にはこれらの知識や情報が欠如している上に、反論をすると、ヘイトスピーチとして内容を精査もせず、それ以上の情報の拡散と議論を停止させてしまう情報操作が今でも侵略国とメディアによって行われている。陰謀論、都市伝説なども同じ。

(庶民を奴隷のようにこき使い、自分は喫煙する両班の描写)

 

根拠のないヘイトスピーチは単なる悪口であるが、なぜそのように非難されるのかという理由も考えるべき。因果応報、自業自得という言葉もある通り、原因があるなら、議論するべき。礼儀はお互い様であるはず。感情に任せて自分勝手な主張ばかりするのではなく、理論で話し合うべき。抗議するなら具体的確実な根拠に基づいて行うべき。

 

何より大切なことは、我々はその国の善良な人たちまでを全部ひっくるめてヘイトなどするはずもない。する人がいるならそれは日本人としても恥だと思う。反対に、自分たちにも非難される問題があるにもかかわらず、それを認めず、感情に任せた自分勝手な主張ばかりをすることもおかしい。いずれも、現実をきちんと認識&検証していないままで、筋の通らない強引な理屈をでっち上げる態度はとても見苦しいと感じる。かえって自分の評価や印象を貶めるだけだと思う。私にも彼らの中に数多く友人知人がいるけれど、普段は何の問題もなく意思の疎通ができる。言語的な障壁もそれほど感じないし、正常な思考や理論を持っていると思うので、自分たちの首を自分で締めていることに気付かないことがとても不思議。

 

最近はその原因が我が国と同様に侵略と洗脳教育を受けてしまっているせいだと思うようになっている。洗脳教育には歴史の捏造と隠蔽、言論思想の誘導が伴うのも同じ。近代において我が国よりも早く植民地化&アジア解体の洗脳が始まってしまった上に、前述した通り社会が腐敗していたので、洗脳の侵攻が早く、根が深い。この状況を在日や海外の同胞ならば俯瞰できるはず。それは彼らの命綱であるはずなので、それに気付くべき。ところが、現状は本国の手先のような活動をさせられているところが非常に危険であるし、自滅の方向へ誘導されているように感じる。先祖から受け継いでしまった負の遺産を清算するどころかバラまいている気がする。アジアや世界平和のために気付いて、克服して欲しい。外から治さない限り、内部から自浄するのは難しいと感じる。更に言えば、これは我が国についても同様のことが言える。洗脳が進み自立できなくなった時には外から助けるしか方法が無くなる。個人情報が全て権力者に把握されて自由な言論ができなくなる時は危機である。これはどの国にも起こり得るから、人類は超国家の正義(地球レベル)の拠り所を早急に確立しておくべきなのだ。これはお互い様のリスクであるのだから、非難するだけでは平和共存する世界は生まれないと思う。

話を戻すと、いわゆるヘイトスピーチはそれらの失礼で利己的な態度をとる政財界関係者と同様に洗脳されている無礼な人たちに対する抗議なのである。在日だという言葉を蔑称として使う人もいるけれど、人間は生まれる場所を自分で決めて生まれて来ることはできない。それはお互い様であるから、その人の国籍や出自、年齢、性別などを非難することは失礼であり、するべきではない。自分が逆の立場であったら憤慨して当たり前。本人の人間性を見るべき。失礼な行為は憎しみなどの負の連鎖を生むだけ。その意味で、歴史や文化を理解していない人たちのヘイトスピーチなどを気にすることはない。どこにでもそういう輩はいる。我々もそういう下品な日本人になってはいけない。彼らが反日洗脳を解きたがっているなら助けてあげれば良い。一方で彼らもヘイトが起きる因果関係を自分たちでも分析するべき。

 

在日の人たちはむしろ多国籍の知識と経験を持つ存在であるから、両国の橋渡しをすることができる重要な存在であるとも言える。私も関係が深い通訳や翻訳の世界においては混血&混民族の存在はとても貴重。例えが飛ぶけれど、アジアに広く普及している仏教の漢字経典はインド系民族と中華系民族の混血であった僧侶たちが作り上げたものなのである。あれだけの深遠な哲学を翻訳できたことは彼らの存在なくしては語れない。更に考えを広げれば、古来より我が国は帰化人との融和によって文化を築いてきたわけである。これが成功したのは日本の八百万の神々を認めて尊重する寛容な姿勢だと思う。八百万の神々の中には外国渡来の神様も融合されている。

 

一方でアジア侵略を目論んでいる勢力にとっておはこの融和や団結状態が最大の障害。植民地化に際して多大な損害を被った。その後は特殊工作員(宗教家、商人、医師、学者など)を潜入させて謀略による内戦内乱を起こして、そこにつけ込む戦法に変わった。同時に物質文明の飴と鞭である経済と武器を教えた。この罠にはまったのが明治維新。今でもアジアの団結を阻みたい勢力は裏で各国を操り、仲違いさせようとしているわけだ。だから日本と隣国の間にある様々な問題を解決しようとはせず、傍観して、問題を長引かせ続けて来た。連中は同じことをアフリカ大陸や中東でも行って来た。裏からクーデターを扇動して参入する口実を作るのである。アジア諸国はこの点に気付かなければならない。終戦後(遡れば明治維新に始まる)侵略者たちが真っ先に隠蔽&捏造しようとしていたものこそ、この事実なのである。彼らの謀略は非常に高度で用意周到。心理学、精神医学などの科学的知識を総動員しているので、対処するためには同等の知識と情報が必要となる。一方で、それを堂々と議論できない日本政府にはその力がないことが問題なのである。戦時中に存在した日本のインテリジェンス研究機関や資料はことごとく破壊されつくした。それらに関する情報が広がりそうになると、自分たちの支配下にあるメディアを通じて「陰謀論」「都市伝説」というレッテルを貼り、その段階で証拠の無い仮説だとして曖昧なままにそれ以上の議論や思考を停止させる戦略を考え出した。これに負けてはならない。国民はメディアの情報を一方的に信じることは止め、自分自身で調べて学習するべきなのである。

 

とにかく近代史には裏表があり過ぎて、本当に不愉快。

いずれにせよ、捏造されて歪められた歴史や情報をあれこれ論ずるのではなく、今の当人を見るべき。どんなにひどい親であろうと素晴らしい子供はいる。逆にどんなに素晴らしい家庭からも不良や鬼っ子は誕生するものだ。過去の負の遺産ばかりに執着して未来を見なければ、今という時間が無駄になる。それに気付いたら、お互いに自分の非と相手の道理を認めて修正することはできるはず。そういう私はおそらく現代日本の鬼っ子の一人。私は自分の国を当然愛しているけれど、自国がもしも間違った恥ずべき行為をするなら自分の国籍とは関係なく批判するし抗議する。正しい世の中においては鬼は悪かもしれないけれど、間違った世の中では逆らう鬼が正しいと思う。

 

基地周辺では婦女子を乱暴する事件も多発したので、地元民で近寄る人はいなかった。映画「豚と軍艦」に描かれているのがまさにその世界である。そんな街で売られている進駐軍向けの土産品に関心を持つ日本人は少なくて当然だろう。

これらの歴史はGHQ(進駐軍)が言論統制を行ったこともあり、今でも日本の学校では教えないはず。また、臭いものにはふたをして知らんふりをする風潮が強い戦中戦後世代たちは自分から知ろうともしなかった。子供たちにも教えて来なかった。

一方で驚くべきは、侵略者の洗脳教育の素晴らしさ(皮肉)。洗脳に有効な3S(ショービジネス、セックス、スポーツ)を使って、日本伝統の精神文化を弱体化し、アメリカナイズ(欧米化)させたのである。その方法は心理学を駆使した巧妙なものであり、その結果、戦後に育った日本人たちは歌もファッションも車も音楽も欧米が格好いい!日本は遅れていて、軍国主義者たちが戦争を起こした悪者だ!と思っている人がほとんど。3Sの洗礼を受けてしまった若者たちは戦前の日本を知ろうとせず、戦後の受け売り文化の虜となってしまったのである。そのアメリカナイズされた世代は米国に対する敵対心が薄れ、侵略されている事を忘れて、むしろ憧れを抱くようになる。その後は朝鮮戦争、ベトナム戦争による軍需好景気によって、更に急速にアメリカナイズが進んだ。音楽もファッションもライフスタイルも米国の物真似ばかり。日本の伝統的な精神や知識を持たないけれど、外見は日本人で英語に堪能なバイリンガルと言う存在がもてはやされたのもこの時代。この頃には誰も怖くて近寄らなかった売春宿や土産店が混在したエリアが格好いいお洒落なストリートだということになり、市街からも観光客が訪れるようになった。TVドラマなどでも危なくて格好いい街としてロケ地に使われるようになった。この頃から「スカジャン」と呼ばれるようになったようである。私が関心を持った時代にはすでにスカジャンと呼ばれていた。地元民にとっては横須賀で作られていた物がスカジャンであり、展覧会で紹介されていたメーカーはほとんど知る人もなく、都内の既製品メーカーだと思っていた。古着やアンティークが注目されてから初めて起源を知った人も多い。今回の展示ではその経緯がよくわかるので面白かった

ハンバーガーショップやファミレスが日本に導入されたのもこの頃。衣料品に訳の分からない英文がプリントされるようになった。文房具などの日用品にも英語が氾濫した。戦前までの航空機や船舶は漢字名だったけれど、戦後は車の名前も横文字ばかりになってしまった。戦前は英語をきちんと和訳していたのに、そのままカタカナ表記の外来語を使うようになった。現在の社会経済政治用語の大部分は当時の文化人たちが訳した日本製漢語なのである。それをそのまま導入しているのが中華圏の和製漢語である。その苦労や素晴らしさを知るだけに、個人的にはコンプライアンス、SDGs、ローンチ、CEOなどをそのまま使う風潮は気持ちが悪い。圧倒的な物量と情報量により欧米コンプレックスのシャワーを浴びせられた日本人たちは、いつの間にやら、愛国心や日本人としての誇りを見失ってしまっていたのである。

何を隠そう、情けないことに、ある程度の年になるまで、この自分がそうだったのだ。幼少期より基地に出入りをして、まさに3Sにド洗脳されていた。子供時代は洋楽、アメ車、チョッパーバイクに憧れていたものだ。スカジャンも多数所有している。近所の米国人のお宅に遊びに行って可愛がられて、自然に彼らが大好きになっていた。ハンバーガーやアイスクリームを食べさせてもらえるのが毎回楽しみ。英語の歌を口ずさんで、毎年バレンタイン、イースター、クリスマスだと大騒ぎ。なんて素敵な生活、陽気で親しみやすい人たちなのだろうと感動した。まだ歴史や哲学もそれほど勉強しておらず、米国の真似をして、彼らと仲良くなる方が幸せで楽しい生き方ができると信じていたのだと思う。物質文明においての善は金と力なのである。貧乏と綺麗事の哲学は悪であったのだ。もはやそれが大きな勘違いであることは明白なのであるけれど、当時の私にとってはほとんどが良い印象ばかりで、マイナスイメージはなかった。間違いなくあったのだけれど、それを感知するだけの感性と知性を持ち合わせていなかった。ただ、一度だけ、いつも明るくてふざけていた大男がベトナムを思い出して、泣きながら「涙くんさよなら」を歌った時の衝撃はよく覚えている。それらのロストジェネレーションの人たちは米国の過ちや問題に気付いており、ヒッピー文化が起きたわけであるけれど、それが日本に波及することを恐れた連中は情報操作を行った。彼らの発想と着眼点は今でも有意義であるけれど、麻薬やセックスに溺れる仕事もしないホームレスのような反社会の存在だとするプロパガンダを行ったのである。その為、日本ではヒッピーの表面的なファッションや音楽を猿真似するだけに留まった。

それらを含めて、当時の素晴らしい記憶や感情は今でも大切な財産である。実際に彼らの多くは米国の「良心」「善意」の代弁者でもあった。教養があり、単なる不良やホームレスではなかった。きちんと社会や世界を見ていたからこそ矛盾に気付くことができたのだと思う。しかし、当時の米国政府は自分たちの蛮行を正当化するために日本の公職追放や言論統制と同様の手段で彼らの言論を非難し、封じ込めたのだ。権力者にとって不利な言動を抹殺する行為は万国共通。日本もひどかった。規律正しい日本人はその反面で、客観性を持たずに平和ボケをしていると、間違ったことをする場合にも盲目的に同じようなことをしてしまう(させられる)傾向があると思う。自分の頭で考えずに何でもお上の言うことに服従するという姿勢。その意味では、弊害の多かった英国的封建主義から独立した米国には免疫があると感じる。客観性のある「良心」を持つ人は少なくない。こう言う人の数で国の民度は決まると思う。その意味で、日本は過去の精神遺産が偉大だったので、民度の基礎が何とか保たれているものの、平和ボケをするにしたがってどんどんその民度が落ちて来ている気がする。精神遺産を食いつぶす前にプラスに転換しなければならない。

しかし、前の世代で嫌な思いをした諸先輩たちは違う思いや印象をお持ちであることが多い。実際に終戦直後の進駐軍の質は悪く、横暴狼藉はひどかったので、地元における基地周辺のエリアはスラムや無法地帯のような扱いであり、一般市民(特に子女)は立ち入り厳禁とされていたのである。驚くことに、そう教わって来た世代の女性たちは令和になった今でも基地周辺を避けるし、実態をよく知らない人が少なくない。つまり、それほど実体験の記憶と心の傷は計り知れないということなのだろう。

 

 

人間同士の付き合いと政治は別物だと理屈ではわかっていても、記憶と感情はまだ消化しきれていないのだと思う。そして侵略した原住民の文化を徹底的に壊して自国の価値観を植え付ける洗脳の恐ろしさを痛感させられる。戦前戦中戦後の過渡期を体験している世代はともかく、戦後世代には比較するだけの知識や情報の材料がないから、受け売りの情報と教育を受けて育つことになるわけだ。それらを俯瞰して客観的に見られるようになるのはとても難しいと感じる。この世の戦乱や紛争における本当の悪人は背後にいる存在なのだけれど、それに気付くまでなんと長い時間がかかったことか(嘆)。今でも連中は巧妙に隠れている。そしてこれらの支配者と被支配の構造と洗脳は米国自体にも潜在している問題なのである。米国人の中にも近代の白人による植民地化政策の過ちに気付いている人が現れ始めている。正確には、気付いていた人はいたけれど、これまでは公言できなかったのである。自分たちの既得権益を守りつつ、人種者別や経済格差などの問題を巧妙に操作していることに気付くべき。

 

 

未だに洗脳が解けておらず客観視できていない人たちからは、どうして自分の住んでいる地元の闇(恥じ)を話すのだと言われそうだけれど、私はちっとも「闇」だと思っていない。闇とか恥とか言う前に我々はサバイバルをしなければならなかったのである。それが史実で現実なのだ。むしろ「闇」と言う言葉を使う人こそ、隠ぺいして闇に葬り去ろうとしているように感じる。そんな表面的な態度で本当の友好関係を作れるはずはない。同様に洗脳されたままの人たちには自分自身のアイデンティティを客観的に理解できていないわけであるから、国際社会における外交や政治参加は無理だと思う。善悪、陰陽の両面を分析して、教訓を学ばなければ、将来に同じ危機が訪れても対処できない。臭いものに蓋をしたままで、リスク管理を学ばずに来たから今の平和ボケ日本人ができあがってしまったのだ。

私はそのような街で生まれ育って光も闇も見て来たからこそ、平和ボケ、綺麗ごとの社交辞令や外交はしないし、できない。

(横須賀空襲をした爆撃機の記録写真)

 

ちなみに私の専攻は国際関係を研究する分野であったけれど、学生の大部分が西洋に対する憧れ(コンプレックス)を持っていたので、理論や発想は欧米志向だった。本気で自国の復興と精神性、霊性を考えている生徒はほとんどいなかったので、私は浮いた異端の存在だった。またいわゆる当時の「世界平和」の概念は東京裁判、国連(戦勝国)が一方的に定義したものであり、真の意味での平和&正義とはかけ離れていることに気付いていた人は少なかった。学者や先生たちは気付いていても公的に発言すると追放や失職のリスクがあった。その中で情報操作、歴史の改ざん、言論統制、拷問、暗殺、洗脳などの事例を学んで来た経験から確信していることは、それらの影響を受けない超国家で中立客観的な視点の重要性。西洋志向もアジア志向も国粋主義も偏ってしまうから、あらゆる既成概念、常識をリセットして考えなおすことがとても大切だと痛感している。洗脳されたままではこの観点を持つことは不可能。それから解放されると見聞きする世界観が変わる。私は「臭い物に蓋をする」ことが大嫌い。臭いものは取り出してきれいに掃除をするか、腐敗物を堆肥として使えるようによくかき混ぜて発酵させるべきだと思う。腫物は膿を早く出さなければ、重症化してしまう。その点、日本は悪性ガンの末期症状だと思う。

客観的に分析しても我が国は自立(独立)していない。安全保障に関する特約、密約があり、それに基づいて周辺国との外交は全て規制されており、自国で判断して行動することはできないのだ。だから尖閣諸島や北方領土は解決の機会を失い、故意に問題が引き伸ばされている。それは戦前のようにアジアが団結することと日本の自立&復興を恐れる勢力があるからに他ならない。この背後には複数の利権が絡む国や組織が関係しているので、どこか特定の国だけを批判しても意味はなし。最善の上策は自立、独立、自己防衛。どんな敵が来ても揺るがない国家。コロナのように次々と変異しても、確固たる自己免疫力を持っていれば怖くないのと同じこと。反対に自己免疫力を持たない身体は単純な風邪でも重症化する。政治から離れて生活&生存の条件を見ても、食料自給率は先進国内でも最低であり、自立できない状態にある。つまり、外圧により食料の貿易が出来なくれは、国民は餓死してしまうリスクが大きい。作物を作れる土地があるのに、あえて作らせないような農政と食習慣を操作して、海外に依存せざるを得ない状況を意図的に作っているのである。

これらの現状は、基地が無く外国人たちと接する機会がないような場所に住んでいる国民も他人事とは思わず、将来の日本の在り方を考える上でよく知っておくべきである。なぜならあなたたちの土地や天然資源(水源など)も狙われているのである。明日、いきなり得体のしれない外国人や企業が町村に現れる可能性は大きい。侵略者は一か国だけではない。外国人や企業、或いは日本人に成りすました侵略者たちに自国の資源を渡してはならない。

(eanvitalnewsより)

産出したものを売るのはともかく、天然資源の埋蔵する不動産や使用権は死守するべき。必要であれば特令を発して強制的に底地権は没収してもよいくらいに考えている。なぜなら共産国ではそもそも全国土が国家の所有物であり、私有不動産は存在しないのである。こちらがその国で不動産を買えないのに、同国の人間たちが海外で買えることは不公平絵であり、それに規制が無いのは不自然。売買の対象は土地の使用権のみにするべきなのだ。すでに潤沢な外貨を使用した国土の買収はかなり進んでおり、法務省や行政は手遅れなので強制執行しか道はないと思う。すでに、これを阻むために連中は関係者を日本の政財界に送り込んだり、経済的支援をして、自分たちの都合が良い方向に誘導することを企んでいるのである。従って、我々は政治家や有名人の背後関係も考えて人選するべき(投票)である。

(eanvitalnewsより)

また不思議なことに日本を実質支配している米国も干渉せずに日本国が虫食い状態になる様子を傍観していること。恐ろしい現状はあらゆる国々から裏で国土を次々と侵食されていることなのだ。陸地だけではなく領海にも魔の手は及んでおり、貴重な海の幸を根こそぎ略奪している。諸外国は銃火器(武力)を用いて威嚇排除しているけれど、日本はそれができない。自由に動いて威嚇することができず、太い鎖につながれたままで吠えることしかできない哀れな番犬のようなものだ。私が盗賊なら鳴き声だけの威嚇などは大した脅威にも感じないので堂々と侵入すると思う。大雨や嵐の時につけ込めば、番犬の鳴き声などもカモフラージュできてしまう。この状況には早急に対応する必要がある。

(朝日新聞デジタルより)

これらの諸問題と憲法改正、防衛などの問題も考えるべき。これらの因果関係を知らずに、侵略者側のメディアに洗脳され、「戦争は悪だ、嫌いだ、やってはいけない!」などと平和ボケの綺麗ごとを言っているだけで、何の対処もしなければ日本は虫食いだらけになる。既になっている。そうなってから、綺麗ごとを取り消して、助けてくれ!などと言うのは甘えもいい加減にして欲しいものだ。私が防衛関係者なら、そのような人は助けない。侵略者を目の前にして果たして綺麗ごとが通じるのかどうか、優先的に最前線に行ってもらいましょう。食料などが枯渇して配給制となった場合には優先順位は最後尾にする。綺麗ごとを言っていた教訓を肌で感じるべき。反対に私が論じた内容にはすべて責任を持つので、有事の際にいかなる批判や待遇を受けようとも逃げることはない(腹を切る)。それだけ真剣、深刻である。

スカジャンの製作と関係がある刺繍技術は単価が安くて製造が簡単なワッペン(部隊ではパッチと呼ぶ)にも活かされ、基地周辺ではそれぞれの部隊名やシンボルマークを中心として、アメカジ関連の音楽やファッションなどの色々なテーマやデザインが刺繍されたワッペンが売られていた。子供時代から車やバイク好きだった私はまだ乗れない年齢だったけれど、それに憧れて、なけなしの小遣いをはたいて米国バイクメーカーのシンボルマーク(白頭ワシ)のワッペンを買って普通のジャンパーに縫い付けてもらった。その値段は当時のラーメン10杯分くらいの金額だったと思う。

そのワッペンは今でも鉄馬(バイク)に乗る時に羽織るベストに移植されている。単純に格好いいからではなく、アメリカナイズの洗脳を受けてしまった自分の無知と恥を忘れないためでもあり、また、同時に将来の友好も祈願して、捨てずにそのまま使うことにしたのだ。収集したスカジャンも同じこと。お花畑思考(平和ボケ)の人たちが単に格好いい!と着ているものと、その歴史と悲しみを一緒に背負って着るものとでは重さが違うのだ。知れば知るほど私のスカジャンは重くなって来る。

 

でも、後ろばかり見ていては前に進めない。物質や文明、文化自体に罪はない。それらを使う人間にこそ問題がある。今でもアメリカンカルチャーは大好きなのだ。私の見た目も日本人ぽくないとよく言われる。あちらのダンスも踊るし、友達も少なくない。歌も映画もエンタメ系は全部好き。素晴らしい文化だと思う。それを洗脳に利用されていることに気付かず自分を見失ってしまう当人(自分)のレベルが低いのである。とても魅力的なので酒タバコ麻薬同様の中毒性が強いけれど、中毒症状はすでに脱出したので、今後はどんな害毒がふりかかっても、そこから良いとこ取りをしてやろうと決めている。盲目で無知だった子供時代とはもはや違う。

 

しかし、今よく見れば、ワッペンの図案や文字が歪んでいることに気付く。当時はコンピューターが普及していなかったので、ミシンはデジタルではなく、全て職人による手仕事だったのだ。

展示されていたアンティークのスカジャンは撮影禁止だったけれど、当時のデザインをそのまま復刻したものが都内の業者から展示されていた。当時のデザインなので図案はやはり古いし、文字も歪んでいて手作り感がある。

最近はこの歴史が認知されつつあるけれど、少し前までは「下手な刺繍!」と馬鹿にされることがよくあった。コンピューター制御のデジタルミシンによる刺繡を見慣れた人には出来損ないの下手なモノに見えてしまうのである。

これらは型紙があり、その線に基づいて刺繍する大量生産タイプ。最も高価で格が高かったのはオーダーメイドの一品もの。自分の所属部隊や階級、名前などが入っている。家族やペットの絵柄や名前を入れたものもあった。

特殊部隊などはエリートの証としてお揃いのチームジャンパーを作ったりしていた。そのようなジャンパーは個人が大事に持っているはずであり、見る機会は滅多にない。東洋の神獣は龍や鳳凰であるけれど、米国人が好きな国鳥でもある白頭鷲のデザインが多い。

スカジャンの展示会場の出口には現代の和柄刺繍作家たちの作品が展示されていた。

和柄の図案と刺繍の起源は和装であるけれど、現代作家にもその技術が受け継がれていることはとても嬉しい。素晴らしい作品なので欲しくなったけれど、一点ものの非売品だった。

伝統的な和柄以外にカメレオンなどの今風モチーフの作品もある。

和装小物ではなく立体作品もあった。ウィリアムモリスガーデンミラー。

細密な刺繍が素晴らしかった。

キノコの下にいるカメレオンの拡大。

右側にはシーラカンスもいた。

立体的なぬいぐるみ作家の作品もあった。

この龍は格好良かった。アニメのドラゴンボールなどに登場する神龍のような雰囲気。この作家のぬいぐるみ制作は独学らしいことに驚いた。

地元出身のスカジャン作家は伝統的なデザインのほかに、アニメキャラなどの和柄ではない現代物のスカジャンも出展していた。今後ますますのご活躍を期待したい。

展示品の多くは都内にあるスカジャンメーカーの収蔵品であり、見たことのない貴重なものを拝見することができた。希少価値の高いオーダーメイドのスカジャンは基本的に全て個人の私物であり、市場に出ることは余り無いため、展示品を集めることが難しかった思う。戦後の地元横須賀におけるスカジャンは個人経営の職人が依頼されたデザインに基づいて一つ一つ製作していた。私がオーダーした時もそうだったから、大量生産をしていた業者のようにデザイン型紙や試作品を保管しているお店は余りない。しかも、時代と共に店も職人たちも姿を消してしまった。

会場には地元のドブ板通りに店を構えていたスカジャン職人の動画が放映されていた。私は若い頃から何度もお会いしているけれど、すでにかなりご高齢。時代の移り変わりを実感した。昭和まではスカジャンやワッペンを制作する店が基地周辺には何店舗もあった。骨董品店や似顔絵屋も複数立ち並んでいた。面白いのは英語の手紙の代書&翻訳屋。主にラブレターを読み書きしていた。私も学生時代にバイトでしたことがある。

昭和までのドブ板通りはまだいかがわしく危険な匂いのするエリアだった。昭和の刑事ドラマで犯人が逃げ込む場所としてよく使われ、スカジャンを来たチンピラの姿をよくテレビで見たものだった。実際に治安も日本人町ほど安全ではなかったけれど、今ではすっかり観光地化してしまっている。とは言っても「日米地位協定」という1960年に発効した不公平で不合理なルールがあるので注意は必要である。窃盗や暴行傷害事件、交通事故などの犯罪を犯しても基地内に逃げ込むと治外法権となり逮捕や処罰をされないのだ。今時そんな卑怯な話があるものかと思う人もいるかもしれないけれど、それが日本の実情なのである。

(星野くみさんのブログより)

 

「親しき中にも礼儀あり」と言う通り、礼儀はお互いさまのはずだけれど、これが現実。こんなルールが成立してしまうことは、我が国がいまだに植民地であることの証拠なのである。もしも関係者が本当の友好を考えているのであれば、直ちにこの不公平な規則は自主的に撤廃するべき。撤廃できないのであれば、それは「我が国の軍人は犯罪を起こす可能性が大きいので、保護するために必要だ」と言っているのと同じことであろう。こんなバカげたルールが存在するのは日本だけである。米軍基地がある他国内の協定内容を比較しても違和感がある。我が国と国民に対する尊厳が何も感じられない。国民はこれを知り、もっと怒るべきなのだ。

(琉球新報記事より)

そんな卑怯なことを平気で考えている連中と本気で友達付き合いができるものなのか?街を自由に出歩いてもらっては大迷惑であるけれど、実際はコロナ禍においても、自分たちの独断で自由に歩き回っているのが現実なのだ。その判断や協定の話し合い内容は日本の国会や最高裁判所の権威を超越したものであるにもかかわらず、全ての内容も記録も現状も非公開になっているところも恐ろしい。つまり、日本の政治の最高機関は公開されない密室で行われる談合なのである。これが独立した法治国家と言えるのか?自分は隣国などの非法行為を苦々しく思っていたけれど、我が国は巧妙に隠されているだけで、中身は似たようなものだと思う。

(東京新聞記事より)

治安は終戦直後より大分向上したというような言い訳を言いそうであるけれど、不公平で植民地的なルールが存在している問題が解決されないうちは、心を許す気はならない。このおかしなルールをなくせばさらに安全で楽しい街になることは間違いないのに非常に残念。商店街や行政はこの問題に言及せず表面的な町興しをしているけれど、どうせなら、海軍カレーやスカジャンのような物で関心を集めるのではなく、真の意味での日米友好を実現するべき。最初に在日基地の中で不公平な協定を撤廃させることができれば、何よりの町興しであると思う。それが全国の基地に波及すれば日米安全保障のあり方も見直す動きが出て来るのではないだろうか。

ついでに対外国人のルールについて言えば、日本にはスパイを取り締まることのできる法律が無いのである。情報を盗んで逃げようとする外国人を拘束、逮捕する事すらできないのだ。その反対に国内に対しては機密保護法を作っているわけだから、非常に不可解。自国民のスパイ行為を規制するくせに、外国人には何の御とがめ無しとはあまりにも馬鹿げた発想である。これは共産党さんのおっしゃる通り、米国の圧力による反体制分子の規制である可能性が濃厚。つまり、スパイ防止法ができると在日している米国関係者も規制の対象になることを阻止しているのである。

(共産党記事より)

 

日本の政治家と外交司法公安関係者の頭を疑う。あなたたちはどこの国の人なの?どこの国のことを考えて働いているの?報酬はどこの国民の税金からもらっているの?自分たちの友人や家族、子孫の将来のことは考えていないの?悪いけれどそんな非国民たちのために私は納税も協力もする気にはならない。到底、自立した国家だとは思えない異常な状態にあることを全国民は知っておくべきである。これらの事実関係を理解できていないと、だったらこれからどうするべきなのかという発想につながらない。

 

天皇陛下は無理やり人間宣言をさせられたけれど、総理大臣と関係者も思い切って自発的に「我が国は植民地です」宣言をしたらどうなのだろうか?そうすれば国民の態度も考えも変わると思う。

ちなみに当日私が着て行ったスカジャンは日本の著名なロックスターが地元のお店に発注した限定モノ。依頼を受けたお店が格好いいのでそのまま同じデザインで製造販売していたところ、同ミュージシャンから販売禁止要請のクレームが来て、売ることができなくなったという代物。今はそのお店自体もなくなってしまった。後から知ったけれど、スカジャンを着て展覧会を参観に行くと割引されることになっていたらしかった。それにしても、言論ではまるで右翼や国粋主義者みたいな発言をしているのに、外見(アメリカナイズ)とのギャップが非常にちぐはぐで自分でも笑ってしまいます。

 

夜はお馴染みのお店にて「鶏昆布ホタテ出汁潮ラーメン」。

チャーシュー二枚、鶏むね肉、ホタテ、エビ、カニカマ、味玉、海苔、ネギ、メンマ、青さ、ヤングコーン、スナップエンドウ、牡蠣ガーリック味噌。

これだけ盛りだくさんで四桁いかないのだから本当にありがたいことです。内容の伴わない高額ラーメン店は淘汰してしまえ~!

 

ついでに言うと、地域の限定されているウクライナ紛争で全世界の物価が同時に上がるというのは、利権者たちの謀略(投機、便乗値上げ)と報道の誘導。既得権益者たちが自分たちの損失を値上げによって転嫁するための詭弁です。有事なのに同じ利益率を貪ろうとする利己的な態度を見抜け。一方では有事の際にぼろ儲けをしているジャンルもあることに気付くべき。これはコロナ騒動も同じ。どこの企業だろうか?お金と物の流れを見ればわかるはず。どこが開発して販売しているのか?

 

この操作されている世界経済から離脱するためには、値上がりする物を他人の真似をして買わなければよいのです。例えば小麦が値上がりしたなら。元々の主食であったお米を食べればよいのです。飼料が高いからと言って肉類が値上がりするなら、肉から離れて魚介類や野菜を食べればよいのです。自国産の物を食べれば良い。同時に海外依存のリスクを感じるべき。海外に依存しなければ成り立たない産業や業種は根本に無理がある。つまり非常時には破綻するので、できるだけ早く廃業か転業、システム改革を行うべき。この点、コロナ騒動はそのシミュレーションだと思う。現在打撃を受けている業界や業種は元々が必要以上に増えすぎたもの、或いは生命維持に必要なレベルが低いものなのだ。贅沢品や趣味のジャンルが当てはまる。精神的な余裕は満足感をしれば、必ずしも物質や金銭と比例しないことがわかるはず。それに気付かず、今の経済理念に毒されているからストレスに感じたり、満足できないのである。そういう人間は欲望に限界が無いので、将来も同じ人生を歩む。人民が真剣に自分たちの人生を考えた時に、本当に必要なものと、そうでないものを取捨選択するようになる。生きるうえで必要不可欠な内容と、単なる贅沢や甘え(平和ボケで退廃した文明)に感覚が麻痺しているようなものとの差が露になり、自然淘汰されるはず。これは宇宙の摂理だと思う。

 

商社も無理して高い物を輸入する必要はない。道徳観念の欠如した国、人間と取引や付き合いをする必要はない。そういう国に依存するから有事の際に被害を被ることになる。その国の一般人の人格と政治家の人格(歴史と思想)は一致しておらず、これが外交のポイントだと思う。政治家の人格が下劣な国と付き合う必要はないと思う。

人格というのは人間の霊的レベルと比例しているので、レベルの低い人、グループ、組織、国は同様の人が集まる。それと付き合うのも「類は友を呼ぶ」ことになる。そこから生まれる人間関係、発想、言論、文明などの全てがその影響を受ける。

 

最近は衣食住以外の分野にも便乗値上げをする傾向が見られる。その他、各方面に有事につけ込む下品な連中がいるけれど、これも人格の降下である。お金の魔力に魂を売る行為であることになぜ気付かない?こういう悪循環がマイナスの流れを作る。この悪循環に加担する人間や業者と付き合う意味も価値もない。さもなくば、悪影響を受ける。外観を変えずに内容量だけを変えてカモフラージュする下品な商品も買わなければよい。お店もそういう商品を扱ってはいけない。そういう商品を平気で扱う店には行くな。詭弁や問題を分析もせず垂れ流すだけのマスメディア報道なども見聞きしなければ良いのです。誠実なメディアだけを応援するべき。こうやって世界から邪悪なものは排除して浄化するのだ。そうしなければ、悪影響により自分自身の霊的レベル、人格も降下してしまうことは間違いない。反対にプラスの人格者を支えるべき。物質文明の制約に悩まされながらも、霊的レベルを上げようとしている、誠実に耐えて頑張っている人を応援するべき。そういう人たちが社会の人格(霊的レベル)を上昇させ、良い世界を作る。「正直者は損をする」などと言うようになった時点から社会は間違っていたことに気付くべき。「正直者は得をする」社会であるべきだと思う。このことをちゃんと考えれば自然と社会や政治に関心を持つようになる。そのうえで選挙に行くべき。知人や会社などのしがらみで投票するのはこの責任を放棄した行為であり、自分自身に跳ね返ってくる。徳の無い政治家を応援すれば、国会の質が下がり、国が亡びる。今の政治家の面を見てみろ!メディアは侵略者(支配者)の宣伝機関なのであるから、そんなものだけを見ていたら良い政治家、思想家、徳の有る人物などを判断できるはずもない。自分たちに都合が良い者たちだけを登場させ、不利な情報は表に出さないのだ。

ただ、選挙に関しては「投票したいと思う人や政党がないので、無理に選ぶのはかえって害になる」と言う問題があることも確か。なので、私は「不信任相殺投票権」の採用を提案したい。これは「信用できない政党の得票数を相殺して奪う権利」のこと。普通の投票とこの不信任相殺投票のどちらかを選ぶことができる。つまり、投票したい対象が無くても、入選させたくない対象に対して得票数を奪い抗議することができる仕組み。こうすると。入れる政党がなくても、辞めさせるべき政治家や政党に国民の意見を反映できるはず。例えばA党が100票を得たとしても、不信任票が50票あれば、最終得票数は50票とするのだ。その結果、通常投票で70票しか取らなかった政党でも不信任票が少なく、10票程度であれば、最終得票数は60票となり、A党に勝つことができる。この制度ができれば、選挙はとても重要な意味を持つことになるはず。それに比例して政治家も国民も自分たちも本気で勉強しなければ危ないという気持ちが芽生える。今はこれがないから政治家や政党が傲慢になるのだ。これを読まれた関係者の方がいらしたら、是非実現していただきたい。

 

そしてこのシステムができれば、投票率も上がるはず。なぜなら、応援したい対象にも投票できるし、応援したくない人や政党に抗議もできるようになるから、選挙に行かない理由がなくなる。行かないのは当人の勉強不足や怠慢だということになるから、これとセットで、特に説明や理由がないのに投票に行かなかった人の福利厚生などの手当てや援助や権利は削減か没収するべき。義務を果たさないくせに、利得だけ貪ろうとするなど下劣な発想だと思う。

 

 

この季節は世界侵略(植民地化)の元凶となった宗教に関連したお祭り騒ぎがあるけれど、最近は全部無視。こういう機会だからついでに言うと、統一教会だけにあれこれ騒ぎ立てて、過去の資産や寄付に関して規制&救済法を成立させようとする動きがあるけれど、世界中の植民地と虐げられた原住民族のことはどうして考えないのか?今のお祭り騒ぎは彼らの犠牲の上に成り立っているのである。彼らはお祭り騒ぎの主催者である宗教団体に住処も権利も奪われたままなのだ。その宗教団体が主導した侵略行為の被害者である原住民に謝罪したり、資産を返そうとする気持ちや発想は世界にはないのか?世界で最優先に救済するべき存在は被侵略原住民である。性懲りもなく今でも世界を侵略し続けようとしている連中にこそ規制法を設けるべきだろう。

 

日本の統一教会問題が世界に波及して、この世界大欺瞞が露呈すると非常に有意義だと思う。なにしろ、今もまだ植民地を所有している国々が欧米には多いのだ。この植民地分布図は第二次世界大戦時の状況であるけれど、規制法を整備したフランスは今でもアフリカ大陸からの利権で潤っているから、自分たちを正当化するための言論封じかもしれない。哲学者を多数輩出した国なのだから、人間の思考活動に関して政治を介入させるべきではないと思う。

それから、この図では日本も入っていることに留意するべき。学生時代の私は日本の戦時中の行為を批判する立場にいたのであるが、最近、それは真犯人の欧米が自分たちの犯罪をカモフラージュするために共犯容疑を偽造した可能性があることが明らかになって来た。これは真に勉強不足だったと思うけれど、終戦後の侵略者や戦勝国による強引な国際世論情報操作と日本国内の洗脳教育のせいでもあると感じている。欧米によるアジアの植民地化にアジアを団結させて抵抗したのが発端であったけれど、それをうやむやにして完全な侵略行為と思わせることが目的であった。確かに侵略まがいの行為も混在しているのでそれを利用したのである。その点、終戦直後の東京裁判において、欧米列強の圧力や脅しにも屈せず客観的な正義を論じたパール判事には心からの敬意を表したい。

これ以外にも思想や言論の自由を規制しようとする動きは要注意。侵略者は民衆が納得しそうな言い訳を見つけると、それに乗じて既得権益を増強しようとするのが常套手段なのだ。そのカモフラージュと洗脳の基礎作りが言論統制であることが多い。

 

世界の宗教人口比率を持ち出して、あたかも信用度と比例しているかのように報道することが多いけれど、信者の数は侵略の被害範囲に比例していると考えたほうが現実的である、信用度や教義とは全く無関係である。その証拠は世界史を見れば明らか。それを考えずに「メリクリー♬」なんて言って参加する人間たちも共犯である。信者でもなければ尚更のこと。軽薄すぎる。自分もある程度合わせて来たから他人のことばかりとやかくは言えないけれど、これからは中身をちゃんと考えるべき。それらは明らかに侵略者側によるメディアや教育、政治、経済、商売を総動員した洗脳なのである。洗礼と言うのは洗脳の別表現である。そんな連中が自分たちを正当化するイベントに協賛する必要は全くない。

今までじっくり考察したことが無かった人たちも目を覚ますべき。私はその宗教系の教育を受けて、国際学を学んだけれど、学生時代からこの世界規模の大矛盾(欺瞞)にはとっくに気付いていた。創始者のイ〇スからも「私はそんなことは言っていない」と言われている気がしていた。その宗教団体は彼の尊い哲学を都合よく私物化したのである。しかし、つい最近まで、教授を含めた学者たちにそれを問題提起しても、公の場で議論することはとても危険だった。学会や公の職業から追放されてしまうリスクが付きまとった。おそらく自分が同じ立場であればやはり保身を考えたかもしれない、いずれにせよ、その時に現世の穢れの深刻さを実感し、彼らに世界を変えることはできないと確信し、自分はその道は歩かないことを決心したのであった。しかし、時代の流れは変わりつつあるし、変えなければならないと思う。

 

最初からこういうことを言うのでカチンと来た方は私のブログは過去未来を含めて読まなくて結構。私の言論のほぼ全てにカチンと来るポイントが盛りだくさんなので、無駄に不愉快な時間を費やす必要はありません。バイバイキーン♪

話を戻すと、それらのイベントの中でイルミネーションだけは楽しみにしている。植物から花や葉が落ちて寂しい風景に彩りを与えてくれる。中身の無い派手なお祭りと子供じみた装飾には興味が無いので、最近は行く場所が大体決まって来た。

 

東京郊外のその町は戦時中に都心部からの疎開地でもあった。今は住宅地として開発されているけれど、まだ自然が残っているところが貴重。なので、教育施設や遊園地などの娯楽施設も作られるようになった。

 

ここに来るといつも立ち寄るのが昭和の洋食屋さん。年季の入ったおしゃべり好きのシェフが作る味の大ファンだったけれど、今年で閉店なさるそうだった。とても残念。

自分はカニクリームコロッケだったけれど、オムライスも美味しい。ハンバーグなどの肉料理も有名だけれど、パスタ類やピザも美味しい。辺鄙な場所にあるけれど、知る人ぞ知る名店なので常連客も多く、席待ちは当たり前。でも、待つ価値はある。

イルミの有る遊園地までの経路をカーナビで設定したところ、いつもと違うルートを教えて来た。住宅地の中をクネクネ進んだところ、凄い名車たちが放置されている空き地を発見。

思わず、路駐して撮影してしまった。よく見るとどれも特殊なタイヤを履いたレース仕様になっていた。綺麗な状態ならとても価値がある車たち。

おそらく、外観からはわからない内部の機関系に問題があるために放置されている気がした。これらの旧車たちは昨今非常に人気が高まりつつあり、古くても高級外車以上の値が付いているのだ。

最近はどこのメーカーなのかわからない没個性な車たちが増えているけれど、昔の車は見ればすぐにわかる。

 

イルミの会場は日本庭園が中心で規模は小さい。この隣の遊園地は大規模なイルミで全く違い雰囲気だけど、それはそれで楽しめる。入場料は別。家族連れや豪華なイルミなら遊園地の方がお勧め。庭園のイルミは「たったこれだけ?!」と拍子抜けするかもしれない。

入口には竹細工と花の浮かべられた水鉢が並んでいた。

ありがたいことに、まだ紅葉が見られた。しかも、まだまだ見ごろの状態。

沿道沿いに置かれた竹細工には細かい穴が開けられており、夜には美しいイルミネーションに様変わりするのだ。

聖門は唐様式。京都御所内にあったらしい。夜になれば奥に見える竹組にもイルミが点灯する。

まだ外が明るいので、せっかくの紅葉を楽しむことにする。足元には錦鯉が泳いでいた。

上を見れば赤いステンドグラス。曇り空だったのが少し残念。

園内には多摩丘陵の地下水を導いた滝や渓流が作られており、その周辺の紅葉も見ごろ。

庭園の隣が遊園地の敷地になっており、丘陵の斜面を生かして立体的に作られている。

うまく区画されているため、ごちゃごちゃとした遊園地の遊具類は見えない。

兵庫から移築された17世紀の多宝塔。尾道の寺院を思い出した。

多宝塔から坂を下ると赤い雑木林。

それに続くように花の植えられた大鉢が並んでいる。地面の赤色は素焼きチップと赤系溶岩を敷き詰めているから。これを地面に撒くと雑草も生えにくくなる。

小道を抜けると花々が咲いていた。自然界は冬景色になりつつあるので、この季節にこれだけ多くの花たちを見られるのはとても嬉しい。

人間の背丈ほどもある巨大植木鉢からも花が溢れていた。

花壇の奥にあるのが米国系大手珈琲チェーン店。首都圏にある同系列店の中では一番のお気に入り。次が中目黒の機械好きにはたまらないマニアックな仕掛け盛りだくさんの支店。でも、あちらは混んでいるし、しばらくいれば飽きる。

この店は庭園に入場しないと利用できないところが面倒だけれど、その代わりに人が少なく、素晴らしい雰囲気を楽しむことができる。

ガラス張りの巨大な建物の横にはビオトープもある。

その隣がコツメカワウソのエリア。屋内で餌をもらっていた。手を使って食べる様子がとても可愛らしい。

巨大な温室内にはカフェと植木屋さんが隣接しているから、緑の中でカフェを楽しめて一石二鳥。

何と言っても最大のお気に入りは店内にある巨大水槽。実はイルミ以外にこれを見に来るのも目的だった。

ディスカウトストアのド〇キーどころの規模ではない。あれも都会では可愛いけれど、これを見てしまうとその差が歴然。

となりは淡水魚の大水槽。岩と水草で作った水景が見事。

羨ましいなあ。可能ならシュノーケリングさせてもらいたい。でも、近くで見ているだけでも十分に近い感覚になれる。

我が家の水槽のコケ掃除担当(黄色)もいた。しかし、こいつの問題は大きくなると苔を食べなくなり、肉食になるらしいこと。将来が恐ろしい。

これだけの大水槽を綺麗に保つことができるのは専門のスタッフがいるから。どうせなら熱帯魚店も併設すれば良いかもしれない。

水槽の反対側は植木屋さんになっていて、エリアを分ける役目もしている。植木屋さんのさらに奥には広いイベントスペースがある。

ガラスケースの中には大型のテラリウムが展示されている。自分も大好き。

これは世界の山野草を集めたもの。適度な湿気が必要なのでガラスケースで密閉する必要がある。

こちらは葉に露の水分を溜めて吸収するタイプ。

ここの店員さんは店内外の植物の管理をしているのでいつも話すのが楽しい。色々な知恵や情報を教えていただける。

今回の相談テーマは自宅にある多肉植物の冬越し問題。多肉も紅葉すると美しい場合もあるけれど、霜が降りると枯れてしまう。

最近急に冷え込んできたから危険だ。下に保温材も強いておらず、タイルの上に直置きのまま。

温室の天井からはフラワーシャンデリアがぶら下がっている。こんなに高い場所の水遣りをどうやっているのだろうと考えたけれど、訊くのを忘れた。

イベントスペースの壁沿いには植物でデザインされた撮影コーナーがある。これはピンクのイメージ。

これは華やかな和風。

今の季節らしい白の世界。

ゴージャスな赤。この前行った星の王子さまミュージアムのバラを思い出した。

ポインセチアの鏡もあった。これは面白いアイディア。でも、一般家庭にこんなに大きな壁面はない。

植物に囲まれた大きな鏡もあった。これは可能かもしれない。

この温室内では毎日デジタル映像ショーが数回行われるので、日が暮れるまで時間つぶしに拝見。

水槽と植木店のあるエリアと広間の間に巨大スクリーンを降ろして投影する仕掛け。内容は昨年と同じだった。

まだ日が暮れないので、大水槽の有るカフェに戻ってカフェオレとクッキーをいただきながら魚鑑賞。外が暗くなると大水槽が照明の効果を生む。

チョウチョウウオ系が多くて可愛い。

このコクテンフグとニシキベラは人の視線を意識している様子が面白かった。呼ぶと寄って来る。しかし、ここでまた課題を感じてしまった。

魚たちを可愛いと思い、意思の疎通ができるようになると、シーフード類も食べられなくなりそうな気がする。肉類は大分我慢できるようになって来ているけれど、悪習慣を治すのは本当に大変であることを実感しているところ。

外が良い感じで暗くなってきたから、カフェから出て移動。

小径沿いにも明かりが灯ったので、日本庭園に戻る。

花の浮かんだ龍の手水鉢。この隣には海外のガーデナーがデザインした庭もあったのだけれど、いまいちピンとこなかったので写真は無し。

庭園の入口に戻ると、昼間とは全く違う幽玄の世界になっていた。

紅葉のあった石畳の参道には竹細工が光っている。

光る竹のアーチをくぐって、奥に続く階段の上が唐様式の聖門。

聖門の奥にも竹細工の照明は続いている。昼間見た時には四角い竹組だった部分は円い曼荼羅状のデザインだったのだ。

門の左右には門松みたいなイルミがある。

門を入った突き当り。

昼には殺風景だった竹の骨組みに灯がともると全く印象が変わる。

照明は最新式のLEDでコントロールされているので、色が変わる様子も楽しめる。

聖門から竹の曼陀羅を横から見るとこうなる。頭上の木々は紅葉。手前は池になっている。

しかし、人が多いと、この前は混雑が必至。人影を入れない撮影は無理だと思った。

多宝塔、仏塔(パゴダ)、高僧たちの銅像が照明に浮かび上がっていた。

ここの仏塔には世界でも超貴重な釈迦の聖髪と仏舎利(遺骨)の両方が収められているのだけれど、この事はあまり知られていない。

蛇足だけれど、釈迦は教え(哲学)にこそ意味があるのであって、遺物や施設(お墓、寺院)、お守りなどにご利益があるなどとは決しておっしゃってはいない。むしろそう言うものに執着するのが誤りだと問題提起なさっていたのである。この点、曲解している宗教界と信者たちは東西どちらも大同小異。

夜には冷え込んできたけれど、とても素晴らしかった。和風の年越しイルミネーションだってよいではないか。

信者でもないのに、変な宗教のインチキ祭りに結びつける必要は全くないことを再認識した。私はそんな祭りに時間とお金を使うくらいなら、伝統を守り続ける職人、老舗、企業を応援する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年末に近づきクリスマスムードの商店街。やはり横浜はケバケバしくなく、大人の街だと思う。

広い上に人口も通行車両の数も程よいので、圧迫感がない。しかし、不景気なわけではなくて、道に人は溢れていないけれど、店内は賑わっている状態。人気のある店は突然行っても入れない。

昼間に賑わっている表通りが閉まる時間帯から裏通りに明かりがともり始める。聞くところによると、商店街組織はエリアごとに分かれていて、表と裏では格差があるらしい。表通りにあるお店は古くからの大店が多いので、権威があるそうだ。

お馴染みのラテンDJさんから寿司バーのイベントのお知らせをいただいたので、予約もせずに友人とうかがったところ、店内は作家の同窓生が集まって満席状態。

全て鉛筆のみの作品だった。作者は70歳過ぎの方だけれど、創作意欲はまだまだ現役。

使用した鉛筆がウィスキーボトルに詰められていた。

知人と寿司バーでまったりと飲食を楽しむ予定だったけれど、同窓生たちの楽し気な集まりはこれから盛り上がりそうだったので、場所を変えてお茶をすることにした。友人は自転車だったので、一緒に歩きながら店を探した。

あちこちの路地を歩くのは楽しい。普段は圧倒的にバイクと車の移動が多いけれど、歩かなければ気付かないものがたくさんある。

賑わいから離れた脇道に素敵な緑の壁を発見。この手法は昔から注目していて、自分でも試作中。

小さな草花ならできそうだけれど、稲類やツワブキまでを使っているところが珍しいし、素敵。

運河にかかる橋には正月のイルミが飾られ、川向こうの中華街は年越しの準備が始まっているようだった。

時間が早かったので、帰りにお馴染みのお店に立ち寄ると、店主はヘルニアの手術で休養中。ピンチヒッターに入った知人男性がマーボ豆腐丼を作るというので注文。普段はメニューにないから楽しみ。

中華街の料理店で修業をしたと言っていたけれど、確かにその通りの味。彼は三浦半島の南端の港町でハワイアンチャイニーズレストランをやっているとのことだった。ハワイアンフード以外に朝粥なども出しているというので興味津々。近日中に行くことにした。

というわけで、鉄馬で行こうと思ったらバッテリー上がり。充電を始めたら雨になったので行けずじまいだった。
天気が回復したので彼の店に向かう。

風もなく、鉄馬には快適な陽気。

この辺りは今話題のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場する三浦一族の本拠地である。

目障りな高層建築が無いので、空も地平線も広い。後ろは相模湾、右奥には房総半島も見える。

走ると土と野菜、木々の香りがしてくる。これだけで気分が最高。

リニューアルしたばかりの風車がブンブン回っていた。運営組織はNEDO。昔仕事でご一緒していたけれど、日本はこのような自然エネルギーをもっと採用するべきだよなあ。海外諸国ではたくさん回っているのです。

いつもこの場所を通るたびに気になるのが最高地点にある神社。畑の真ん中にこんもりとした丘が見える。その中にあるのが毘沙門神明神社。立地は三浦半島南端部のど真ん中であり、遮蔽物が無いので半島の東西(相模湾&東京湾)を見渡すことができる。

通常このような好立地には山城や由緒のある寺社があるものだけれど、この神明神社の由緒は不明であり、伝承も聞いたことが無いのがとても不思議。理由があるとすれば、吹きっさらしで寒いこと。眺望は良いけれど、住むのはつらそう。

私たちは若い頃にこの辺の農道を夜間に無灯火で運転して肝試しをしていたものだけれど、今でも夜になると真っ暗になる。

海に降りるとマグロの遠洋漁業で有名な三崎港がある。港の沖には大橋で結ばれた城ヶ島があり、一千万年以上前の壮大なジオサイト(地質構造がよくわかる場所)を見ることができる。港のマグロ市場と海岸の地層は地元の小学校の課外授業にはもってこいの題材となる。

 

黄色いのは船底から海中が見える遊覧船「にじいろさかな号」。

港の裏道に知人のお店がある。マグロと海鮮で知られる街なのに、なぜかハワイアンチャイニーズレストラン(笑)

理由を聞いたら、お母様がハワイ好きで、フラダンスもなさっている。そして、調理担当の息子さんは中華街で本場中華料理を修行したので、無理やり一緒にしてしまったらしい。

それにしても、マグロの知名度が圧倒的な街ではかなりの大冒険のはず。例えると、横浜の中華街に行ってフランス料理を食べるようなものだと思う。

そういう店に行くのは、私みたいな地元で食べ飽きている人間だけ。大多数の観光客は「三崎=マグロ」というステレオタイプができあがっているはずなのである。

そうすると、来る人は観光ではない地元の人たちなのだろうか?逆に地元民は観光地値段の魚介類など食べる気も起きないから、本当に美味しいものを求める。なので、私もこの日の目的は、朝から仕込んでいるという「朝粥」だった。朝から閉店まで食べられると聞いたので、行ってみたわけだ。

朝粥セットを注文してから、その辺を散策して時間つぶしすることにした。

店の脇からは港と遊覧船が見えた。私はこういう隙間が好き。猫と同じで、狭い所に潜り込みたくなる。

裏通りにとても雰囲気のある建築を発見。泊まれるみたい。

後から聞いたら、市長さんの旧宅を改装して船宿にしているらしかった。

船宿との隙間にあるツタの紅葉が綺麗だった。

この辺は他所からの人たちがテナントを借りて週末だけ営業するスタイルのカフェが増えている。ドーナツ屋さんもできていた。

その意味では、マグロだけのイメージから変わりつつあるようだ。

知人はハワイアンチャイニーズのほかに、向かい側でも子供たち用の駄菓子屋を営んでいた。その日も下校途中の子供たちが買っていたけれど、駄菓子屋文化は日本の伝統文化遺産だと思うから、是非残してもらいたい。コンビニやスーパーでは味わえない楽しさがあるんだよなあ。

海鮮野菜朝粥(実際には昼粥)セットが到着。味は確かに中国粥だったけれど、大陸にはない取り合わせで新鮮。サツマイモやカボチャ、レンコンなども入っていて北海道のスープカレーのお粥バージョンみたいだった。中華料理店で修業した味に間違いはなかった。

食後にセットのココナッツコーヒーをいただく。

飲みながら、マグロの街でハワイアンチャイニーズレストランをすることの話題を話していると、この街に古くから伝わる伝統芸能をふと思い出した。ここにはユネスコ無形文化遺産にも登録されている稚児たちの民俗舞踊があるのだ。

竹に鈴をつけて音が鳴るようにした「チャッキラコ」という道具を持ちながら踊るので、舞踊名も「チャッキラコ」として知られている。民俗学を学んでいた学生時代に何度も取材に来たことがあり、懐かしい。地元の文化遺産だけれど、マグロのグルメばかりが有名で、知名度は低いから、もっと宣伝をするべきだと思った。

 

お母様にその話をしたところ、なんとお母様も子供時代に踊っていたそうだった。私の知人は男なのであまり詳しくなかったけれど、お母様とは話が弾んでしまい、レストラン店内や駄菓子屋の中にも当時の踊った写真などを貼りまくってもっと宣伝をしましょうということになった。

そして、よく知らない息子さんのためにネットでチャッキラコの動画を検索して見せることになった。

リンクで自動的にいくつかの投稿動画が流れていたけれど、その中に、字幕の解説が歴史ガイドのようにとても詳しい動画があった。私も知らない内容を細かく解説してあるので、とても勉強になり、この動画一本で大体の内容がわかるような気がした。この作者はよっぽど歴史や民俗学が好きなのだろう。

その最後の方で、「ケーブルテレビ局のカメラマンが邪魔でよく見えない」というような皮肉なコメントが出て来た時に、そう言えば、自分も同じような経験をしたなあとふと思い出した。それで、お母様に「もしかすると、この動画の時に僕も現場の近くにいたかもしれません。黒い服を着た数人のカメラマンの背が高くて邪魔だったんですよね」と話しながら、画面を見ていると、最後の説明と編集者の名前が出て来た。

 

そこに出て来た編集者の名前を見たらびっくり!なんと、私自身なのでした(大爆笑)自分なのに、解説した内容も忘れているばかりか、そんな動画を作っていた事すら忘れていたとは本当に自分の記憶力の無さに驚いた。それにしてもご縁があるものだなあと言うことになった。その動画がこちら。

動画の編集は結構面倒くさいし、他人様が作ったものを見る方が楽しいので、最近はめっきりとやらなくなってしまった。

しかし、面白いご縁だったなあ。チャッキラコの話をするのも思い付きだったし、数ある動画の中で、自分の作品が出て来たわけですから。

 

 

湿原一体に生い茂るススキは秋の風物詩。駐車場が停められるか心配。

車を何とか停められて、ススキの原っぱに向かって歩くと、途中に閉店してしまったらしい廃カフェがある。ここはいつも通るたびに気になる。

店名はジュリアだったらしく、放置された看板類は我が愛車と同じイタリア車メーカー。開いていて欲しかったなあ。

通りを挟んだ山側の様子。下側にもススキは広がっている。下のエリアには湿生花園がある。

外からだと人がいるようには見えないけれど、中央を貫く遊歩道に入ると、大行列だった。

アリンコの行列みたい。

陽光に銀色に輝くススキの穂。ススキは穂が長持ちするので、秋から冬にかけて長期間見ることができる。

予定していたランチのお店の駐車場は幸いに空いていたけれど、席は30分待ち。店内にはあちこちに吊るし雛があった。

座って待つのは退屈なので、店外で日向ぼっこしながら登山鉄道を見ていた。

箱根は初夏のアジサイも有名で、沿道に植えられたアジサイを観賞するために作られた窓の大きな新型車両もある。もちろん紅葉狩りにも最適。

お店は大賑わいだったけれど、長居をする客は少ないので、それほど待たされた感じはない。

自然身溢れる草花の飾りが素敵で、トイレ内部が綺麗だったので撮影してしまった。

洗面台のユリの花も見事。

食べるのに夢中で、食事の写真を撮るのをすっかり忘れた。

美味しいランチをたらふく食べた後は、さてさて、お待ちかねの星の王子様ミュージアムに到着。

通りに面した紅葉も良い感じ。

昼前に通りかかった時には駐車場が満車だったので心配していたけれど、少し待たされただけでなんとか停められた。

正面玄関のモニュメントと王子様と彼の住む星のある噴水。

入場ゲートを出ると正面に王子様がお出迎え。

一時期はマントの色を青く描いていたけれど、後に原作の色が緑がかっていたことがわかった。これは原作に忠実な色。

庭園は作者サン・テグジュペリのフランスのサンモーリス・ド・レマンス城を模して造られている。

実物はこちら。現地でも記念館として再生させようとする計画があるけれど、小さな村なので実現できないまま放置されているらしい。ミュージアムにしても集客が見込めなければ、運営&管理するだけの経費で赤字となってしまうのだ。

日本の星の王子様ミュージアムも老朽化と経営難が理由の閉館らしいけれど、アトラクションや娯楽施設が少ないミュージアムだと、そう頻繁に訪れるものではないから、ビジネスとして持続することは難しいのだ。

洋館の周辺はローズガーデンになっていて、作品のカギとなる「砂漠のキツネ」と王子様の象が並んでいる。

この建物の横を進むとリヨンの街並み「王様通り」が現れる。

一階にある店舗の装飾もこだわっている。

フランス映画にでも登場しそうな雰囲気。

街並みを通り抜けるとカフェや教会の有る広場に出る。

この通りの名前を「王様通り」と呼ぶのは、突き当りに「王様の星」の主がいるから。ずっと自慢話ばかりしている。

近くには「実業家の星」の主もいる。何事もお金に換算して考える。

広場の奥にはカフェとレストランがある。

花壇の形は「象を吞み込んだウワバミ」の形に作られている。でも、パンフレットの説明を読まなければ気付く人は少ないと思う。

街の反対側には教会がある。

教会の脇にある紅葉が美しかった。

美しい紅葉の下には点灯夫がいた。点灯夫とはガス灯の時代に点消灯を担当していた係員のこと。しかし、彼の住む星は自転速度が1分という超高速なため、朝晩の点消灯も一分ごとに繰り返さなければならないのだ。

教会内部は簡素な造り。人が大勢集まっているので何かあるのかと思ったら、ミュージアムに関するクイズイベントの解答を調べているようだった。

外に出て振り返ると、とても良い雰囲気。来年に壊してしまうのがもったいないと思う。どこかに移築すれば良いのになあ。

この街並みの一階部分が展示室の入口となっている。

展示館に入ると、サン・テグジュペリの自家用機の模型がある。彼はお金持ちだったので自家用機を所有していたけれど、操縦の腕はそれほどうまくなかったと言われている。

フランス・ベトナム間の飛行時間記録に挑戦するためサハラ砂漠を横断中に不時着し、それが星の王子様の元ネタとなったらしい。

彼は何度も事故を起こしているが、飛行機から離れることを拒み、各地を転々としながら操縦を続け、イタリアのボローニャから偵察機で出動した後で消息不明となった。

その後、地中海でサン・テグジュペリの名前が刻まれた銀製のブレスレットが発見され、それをきっかけに墜落した偵察機の残骸も引き揚げられた。更には、その機体を見た当時のドイツ軍パイロットが自分が撃墜したと証言したのである。そして、皮肉なことに、彼は子供の頃にサン・テグジュペリの作品を読んで飛行機乗りになろうと思ったそうなのである。自分の好きだった作者を撃墜してしまったことを悔やんでいたらしい。これらのエピソードもまるで物語である。

 

展示エリアの写真や執筆原稿などは撮影禁止。模型のエリアから撮影が可能となる。

撮影可能エリアの入口には物語のテーマともなっている「世界に一つだけのバラの花」が咲いていた。

自慢ばかりしていた王様もいる。

休む間もなく働き続ける点灯夫。

物語の始まる砂漠とキツネ。作者は砂漠に不時着して小さな星の王子様と出会い、会話をするところから物語が始まるのである。

耳の長い狐は実際に作者が飼っていたことがあるフェネックというキツネがモデルだと言われている。

物語の大部分は作者が王子様から聞かされたキツネとの思い出話で成り立っている。

可愛らしいので、切手にもなっている。

これに似た砂漠にすむ小型の猫スナネコも可愛い。別名「砂漠の天使」。

毒蛇と土壁。この毒蛇によって王子様は遠い世界へ旅立っていくこととなる。

外に出ると正面に王子様と毒蛇がいた。

広場からカフェの有る「呑み助通り」を抜けるとレストランとミュージアムショップに出る。

呑み助通りの上の紅葉。カフェでゆっくりお茶をしていると渋滞に巻き込まれそうなので寄るのを断念。

呑み助通りを抜けると王子様と作者が砂漠で発見した井戸がある。

実際の砂漠にこういう井戸は無いはずなのに、忽然と出現した井戸。この場面から数々の名言が生まれている。

「砂漠が美しく見えるのは、どこかに井戸を隠しているからだよ・・・。」
「家でも星でも砂漠でも、その美しいところは、目に見えないのさ」
「一ばんたいせつなものは、目に見えないのだ」


展示館を出ると日がすっかり傾いていた。

出口はレストランとミュージアムショップになっている。

それにしても、こういう素敵な場所が取り壊されてしまうのは本当に残念。だけれど、一方で運営者側の立場もわかる。永遠にボランティアで経営は不可能。地方行政と提携するとか、何かの方法がありそうな気もする。

昔、関越自動車道にも星の王子様パーキングエリアがあり、大人気となっていた。

箱根のミュージアムより後に作られたので、更に趣向が凝らされていた。

ミュージアムではなくPAと言うこともあり、飲食中心の商業施設が主体だった。

値段だって非常にお手頃。スタ〇より全然安い。

ビュッフェもある本格フレンチレストランも併設されていた。こちらはPAにしては過剰クオリティーだったかもしれないけれど、最近のPAの売店もとても高額になっているから、値段の問題だけではないのだろう。

ドライブの通過地点としての利用を考えると、別にお洒落でなくても良いので、手ごろで庶民的な物の方が売れたのかもしれない。結局、こちらもビジネス的にはうまくいかず、閉鎖してしまった。しかし、このPAが箱根にあったら成功していたのではないだろうか?

 

とにかく、これだけの景観や建築を壊すのはとても惜しいなあと最後まで心残り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日は午前中から海沿いの渋滞が始まっていた。普段はあまり見かけないイタリア車に遭遇するので不思議に思っていたら、海岸沿いの駐車場でイタリア車のイベントがあったみたい。自分も覗きたかったけれど、当日の目的地は来年に閉館する「星の王子様ミュージアム」と紅葉狩りであるために、寄り道はせず、先を急いだ。

今年の季節感は少しずれていて、都市部と山間部の紅葉の時期が反対になっているところもある。富士周辺は既に見頃を過ぎていると思い、箱根に行くことにした。マスコミも箱根の紅葉が見ごろだと騒ぎ立てるので、渋滞する前に時間差で逃げ切らなければならない。

峠を上って来るときから紅葉が見ごろを迎えていることがわかり、期待していたけれど、その通りだった。まさに最高のタイミング。

今年はいつも行く公園や美術館ではなく禅宗の古刹にした。寺院は大規模な観光施設ではないため、駐車場に入れるか心配であったけれど、ギリギリで入ることができた。隣は白いマスタング。

参道を歩きながら上を見上げる。

仁王門の手前の池。

池にはナマズに乗った羅漢像。このお寺は地元住民との関係が深く、住民たちは先祖の供養のために亡くなった先祖の姿を羅漢像として寄付する人が多いらしいことを後から知る。しかし、ナマズに乗ったご先祖様なんかいるものだろうか?水族館のイルカの調教師だったのかなあ?海鮮料理店の関係者か?

ここの仁王門は仁王立像ではなく、左右の門扉にブロンズ製の仁王様がいらっしゃる。

イタリア在住の彫刻家の作品で、サイズはそれほど大きくはないけれど、迫力と存在感は立像にも負けていない。

本堂の隣にある丘には近隣の住民たちが寄付をした羅漢の森がある。

森の木々の紅葉はちょうど見ごろ。

まるで見事な紅葉を眺めているかのような羅漢。

視線の先はこの通り。

あごひげの長い丸い羅漢。すべての羅漢像はご先祖の生前の姿をモデルに作られているそうだった。

足元にはところどころに可愛らしい紫色のリンドウが咲いていた。

本堂周辺の紅葉。瓦屋根の上は色の競演。

本堂の向かい側が丘の斜面になっていて、小径が続いている。

小径の両側に様々な羅漢像がいらっしゃり、先へ進むのが楽しみになって来た。

鐘楼。よく見ると、右下に羅漢像らしいものがある。

羅漢がお辞儀をしていた。

なだらかな斜面になっており、奥の開けた場所は墓地になっている。

丘の斜面に生えた木々の根元や間に様々な羅漢がいらっしゃる。

羅漢像の上には天然のステンドグラス。

羅漢像の製作には個人の写真を持参する人が多いとのことだったけれど、なるほど、どこかで見たような人相の羅漢が少なくない。

本堂横の合掌する羅漢立像は安定感があり、目立っていた。

羅漢像が住民のご先祖様であることを教えてくれたのは、近くにある豆腐店の女主人だった。昔から時々寄っていたけれど、お話するのは初めて。店内に羅漢像の解説があったので話しかけたところ、自分たちの先祖の羅漢は「左手に水の入った瓢箪を持ち、右手に大豆を持っている」と紹介してくれた。

 

その話を聞いてすぐに思い出したのがこの画像。撮影した時には、その関係を知らなかったけれど、お酒を飲む羅漢像が珍しいと思い、記憶に残っていたのだった。まさにこの羅漢こそ彼女たちのご先祖様だったわけだ。面白いご縁である。

意図的なのかはわからないけれど、他の羅漢象とコラボしているようなものもある。

上を向いて笑っている羅漢象の視線の先を見れば、石柱の上に座って印を結んでいるかのような羅漢がいらっしゃる。

見た目は羅漢というより天狗のようにも見え、格好良かった。

裏山の斜面の上にはさらに羅漢象があるようだったけれど、先を急ぐために省略して戻ることにした。

斜面から本堂を見ると杉木立と紅葉の陰影が見事だった。

午前中と午後では太陽の方角と角度が異なるから、ちょうど良いタイミングだったと思う。

紅葉は太陽が有る無しでその印象が全く変わってしまう。

日が短くなっているので先を急ぐ。次のスポットは一面ススキの原っぱ。

途中にある星の王子様ミュージアム前を通過するとすでに駐車場は満車の状態だった。

自分もそうだけれど、来年に閉館してしまうことを知ったファンたちが紅葉狩りを兼ねて詰めかけているのだと思う。

ススキを見た後はランチの予定。午後には入れるだろうか?

 

箱根2(ススキの原っぱと星の王子様ミュージアム)に続く。