日が暮れるのが凄く早くなっている。しかし、気温は比較的穏やかで、我が家の紅葉は今が見ごろ。
空いている時間帯を予想して、地元の美術館の展示を見に行く。内容は敗戦後に地元で米国人たち向けのお土産品として発案された「スカジャン(スーベニアジャケット)」に関するもの。自分たち地元民には昔から馴染みがあるものだけれど、それが展覧会になるというので見に行ってみることにした。展示品の大部分はスカジャンの元となる商品を開発した都内の会社の収蔵品であった。
スカジャンを「横須賀ジャンパー」の略称だと知らない人も多いらしいから、展覧会の展示品をお洒落で格好が良いものとして参観する人が圧倒的多数だと思う。しかし、背景には切実でつらかった時代があることを知っている人は地元でも少なくなりつつある。それらの内容は展覧会では余り説明されていなかったけれど、とても重要な歴史と背景だと思うのでブログに残すことにした。
スカジャンという名称が普及する以前、一般の日本人で関心を示す人は少なかった。外国人向けの都心のショップや基地周辺の土産店で並んでいるものの、誰があんな恥ずかしいド派手な上着を着るのかという感じだったらしい。その証拠に、当時を知る世代の人たちで好意的に喜んで着ている人はほとんど見たことが無い。子供の頃、あれは不良やチンピラみたいな頭のおかしい人たちが着るものです!と言われていたものだ。いわゆる高度経済成長の団塊の世代から抵抗感が薄れて来て、日本人でも着る人が現れた。しかしその時点でも主なお客は外地から来た観光客だった。
敗戦後の飢えていた時代、日本人は生き残るためにたくましく生きていた。高カロリーのチョコレートなどのスウィーツと進駐軍の残飯はご馳走だった。それらを欲しいために英語を覚えた人も多かった。私の叔父たちも、子供の頃は毎朝海岸に流れ着いた米軍の物資を拾いに行くのが日課だったらしい。それから皿洗いをしたり、色々なバイトをしながら英語を覚えた。子だくさんの家庭では英語ができると生活が楽だったのだ。まだ教養や知識もなく、政治も理解できない子供たちにとっては、目の前にある物質文明こそが善だった。大人たちが言う、誇り、愛国心、道徳などよりも、格好いい車、甘くておいしい食べ物、刺激的なファッションや音楽などに関心を持つのは仕方がなかったと思う。大人たちにしても、海外事情を知る人は少なく、今までとはほとんど正反対の価値観や文化習慣に突然切り替わってしまったので、順応するには時間がかかった。
当時の雰囲気がよくわかる名作邦画が1961年今村昌平監督の「豚と軍艦」。主演の長門裕之さんは演出上スカジャンを着ていた。この当時はまだスカジャンとは呼ばれておらず、日本土産として米国人向けの土産店などで売られていた「スーベニアジャケット(お土産用の上着)」と呼ばれていた。今でも年配の横須賀人たちはスーベニアジャンパーと呼ぶ人がいる。この映画は表面的な横須賀ではなく、戦後の実情を描いた名作だと思う。ところが、当時の地元民たちは自分たちの恥をさらすように感じており、映画の評価は低かった。それに対して評価が高かったのが、客観視することのできる環境と立場にいる海外の文化人たち。海外では、想像とは全く違う敗戦後の日本の状態を知りショックを受けた人も多かった。ロバートデニーロ主演の「タクシードライバー」の監督マーティンスコセッシもその一人であったらしい。同映画からその後の作風に流れる同監督の世界観には通じるものが確かにあると感じる。
当時、食べるものに困っていた日本人たちは売れるものは何でも売っていた。その時にとても良い商売対象だったのが進駐軍の米国人たちだったのだ。戦勝国の裕福な米国人たちにとって物資に乏しい日本国内で欲しがるものはエスニックなお土産品と可愛い女性くらいだった。人気商品は骨董品と和装工芸品類。和柄の帯や着物類は大人気だったらしい。飢餓状態の社会では金目のものより食べ物が大事。この時期に貴重な文物骨董品類が大量に海外に流出している。
女性に関しては赤線、青線と呼ばれる売春街があった。しかも、日本政府は米国人が市街地にあふれて略奪や暴行をすることを恐れてストレス解消の防壁として公認していたのである。働く女性を公募までしていた。我々は平和な時代に生まれているからとかく人権だの道徳などの綺麗事を言ってしまいがちであるけれど、真剣に生き残らなければいけない時代に、そのまま当てはまるとは思えない。これは世界各地に昔から存在する裏の存在であり、背に腹は代えられない事情もあった。焼け出されて家族を失った孤児(女子)も多数存在している。その点は現代の遊ぶための小遣い稼ぎ風俗女性たちとは全く違うと思う。
いずれにしても、そんな行為を普通の人たちができるはずもなく、一般人には家に売るものが無い。そういう時に「芸は身を助ける」となる。楽器にたけた人たちが基地内外のクラブで演奏をして生計を立てていた。横須賀のEMクラブ(海軍下士官兵集会所)で始めたのが日本のJAZZ発祥だと言われている。ホールの踊り子たちは芸能界とつながった。日本のバレエ界の創始者であるロシア移民の姉妹(パブロワ)は日本人以外の生徒を求めて基地にバレエを教えに来ていた(私の母はその時に教わっていたそうだった)。
そして、手先の器用な人たちは洋服の仕立て屋、美術が得意だった人たちは似顔絵や風景画を描いて食いつないでいたのである。カメラや写真はとても貴重で手に入らないために、絵画の技術はかなりの需要があった。紙や板のほかに、お土産として丈夫で光沢のあるパラシュート生地などをハンカチやスカーフサイズに裁断して、そこに絵を描くアイディアが生まれた。その発展型が衣類に絵を描くものになった。初期のスカジャンには生地に直接絵を描いたものがあるが、非常に希少である。さらに、ミシンが導入されると日本の和装の刺繡技術を使ったものが歓迎され、豪華なデザインとなったのである。これらが米国人たちに受けて「スーベニアジャケット」という定番のお土産品となった。
これが売れることに気付いた基地の街・横須賀でも作られるようになる。元々、横須賀は明治以降首都圏にある最大最重要の軍事拠点であったために公共施設や機関が集まり、それに呼ばれた全国の職人たちが集まっていた。軍服や学生服などの仕立て屋も数多く、和洋どちらの衣服に関する縫製や加工には便利であった。
しかし、元々は米国人たちが自分たちの侵略記念に作ったお土産品。グアム、ハワイ、ベトナム、朝鮮などの自分たちが侵略した場所を自慢する内容であるから、まともな日本の大人たちは着るはずもない。着るのは節操がなく米国に媚を売って生活する愛国心&道徳心の欠如した人間たちであるとみなされていた。しかし、享楽にふける米国軍人たちが価値の高いドルを散財していた進駐軍基地周辺の飲食店や土産店、売春街関係者たちは巨額の売り上げを稼ぐことができた。ボロ儲けである。それに注目したのが被差別業種の人たちと在日外国人たち。彼らは元々日本の伝統社会から疎まれた存在であったので抵抗感が薄かったのである。それどころか戦後のどさくさをチャンスとばかりに不動産を買いあさりビジネスに参入して来たものも多い。「背乗り」と呼ばれる戸籍偽造も多かった。こうして日本の裏社会は出来上がった。芸能娯楽興行関連は特に関係が深い。そのようなタイミングで横須賀の庶民の街からも数多くのにわか成金が誕生したのである。
一方で庶民たちは彼らを白い目で見つつも、物質文明社会にすぐに馴染めず、敗戦の恥辱を嚙み締めていた。進駐軍関係者たちは現地妻を持つものも多く、日本女性も米国人が彼氏にいると食料などの心配もなく便利だということで、愛人になりたがる人も出て来た。
実質的な身売りであり、そこから数多くの混血私生児が誕生することとなった。占領地には起きる現象で、韓国のベトナムにおけるライダイハン(Laidaihan私生児)も同様である。なお、彼の国は慰安婦に関しては凄い勢いで非難しているけれど、自分たちの責任には知らんふりをしている。また、当時の慰安婦は拘束も監禁もされておらず、休暇や外出も自由であった。当然逃げることも可能。しかも非常な高給であったから自主的に残ったのである。これは鉱山や企業の徴用工にも言えること。この件の証言者は多数いるにも関わらっず、マスメディアと政府は情報を握りつぶして来た。これに関しての国際的な検証は
ハーバード大学ラムザイヤー教授の「慰安婦論文」
https://japan-forward.com/japanese/125773/
で検索すれば出て来る。身勝手な主張や罵詈雑言が横行しているけれど、具体的根拠を伴った論証で対抗するべき。このことは戦時中の他の功罪問題に関しても同様である。
また、同国のインフラや教育は戦時中の日本が基礎を築いたたものであり、それまでの国民は特権階級「両班(ヤンバン)」の奴隷的な存在であったことも知っておくべき。庶民は読み書きを禁じられ、大部分が文盲であった。当初は日本語教育を行おうとしたけれど、特権階級だけのものだったハングルの方が簡単なので庶民の言語教育に採用したのである。
当時の乱れた風紀や文化に関する記録は検索すれば色々出て来る。現地を訪ねた英国人の紀行作家は彼らの存在を「災い」と形容していたほどである。近代における、欧米の植民地化に対抗してアジアを団結させようとした際には風見鶏的に立ち回り、裏切り&妨害したのも彼ら。この伝統的な搾取構造が彼らの発展を阻害し、文化を退廃させた原因だった。それに気付いて改革を望んだ有志達は当時アジアで欧米に対抗でき得る唯一の国であった日本に逃れて来た。ところが、彼らは欧米の植民地化策略を見抜けなかった旧体制(国際事情に疎い両班や王族など)により、殺害されてしまう。福沢諭吉はアジアを守るために日本を頼って来た若者たちが犠牲となった(残酷な方法で虐殺処刑された)際には、あの国はこの世の地獄であると大激怒したことでも知られている。それらの悪い意味の伝統があるため(今の政財界の背景はそれらの特権階級出身者で構成されている)、儒教や朱子学を教義としているはずの国家とは思えない無恥な言動が多いことも注目するべき。
日本軍の統治方法は他のアジア諸国に対しても同様に行われた。人権を無視した西洋式植民地化とは異なり、日本国民の一員として扱われた。戦後は侵略者が自分たちの侵略行為が暴かれることを恐れて、それらの友好の歴史は隠蔽されて来た。そればかりか、虐殺や非人道的行為を針小棒大に誇張するプロパガンダを行って来たのである。戦後に独立できたアジアの国々には感謝を述べた人物も少なくなかったけれど、それらは侵略者側によって全て言論統制されて来た。
現代日本人にはこれらの知識や情報が欠如している上に、反論をすると、ヘイトスピーチとして内容を精査もせず、それ以上の情報の拡散と議論を停止させてしまう情報操作が今でも侵略国とメディアによって行われている。陰謀論、都市伝説なども同じ。
(庶民を奴隷のようにこき使い、自分は喫煙する両班の描写)
根拠のないヘイトスピーチは単なる悪口であるが、なぜそのように非難されるのかという理由も考えるべき。因果応報、自業自得という言葉もある通り、原因があるなら、議論するべき。礼儀はお互い様であるはず。感情に任せて自分勝手な主張ばかりするのではなく、理論で話し合うべき。抗議するなら具体的確実な根拠に基づいて行うべき。
何より大切なことは、我々はその国の善良な人たちまでを全部ひっくるめてヘイトなどするはずもない。する人がいるならそれは日本人としても恥だと思う。反対に、自分たちにも非難される問題があるにもかかわらず、それを認めず、感情に任せた自分勝手な主張ばかりをすることもおかしい。いずれも、現実をきちんと認識&検証していないままで、筋の通らない強引な理屈をでっち上げる態度はとても見苦しいと感じる。かえって自分の評価や印象を貶めるだけだと思う。私にも彼らの中に数多く友人知人がいるけれど、普段は何の問題もなく意思の疎通ができる。言語的な障壁もそれほど感じないし、正常な思考や理論を持っていると思うので、自分たちの首を自分で締めていることに気付かないことがとても不思議。
最近はその原因が我が国と同様に侵略と洗脳教育を受けてしまっているせいだと思うようになっている。洗脳教育には歴史の捏造と隠蔽、言論思想の誘導が伴うのも同じ。近代において我が国よりも早く植民地化&アジア解体の洗脳が始まってしまった上に、前述した通り社会が腐敗していたので、洗脳の侵攻が早く、根が深い。この状況を在日や海外の同胞ならば俯瞰できるはず。それは彼らの命綱であるはずなので、それに気付くべき。ところが、現状は本国の手先のような活動をさせられているところが非常に危険であるし、自滅の方向へ誘導されているように感じる。先祖から受け継いでしまった負の遺産を清算するどころかバラまいている気がする。アジアや世界平和のために気付いて、克服して欲しい。外から治さない限り、内部から自浄するのは難しいと感じる。更に言えば、これは我が国についても同様のことが言える。洗脳が進み自立できなくなった時には外から助けるしか方法が無くなる。個人情報が全て権力者に把握されて自由な言論ができなくなる時は危機である。これはどの国にも起こり得るから、人類は超国家の正義(地球レベル)の拠り所を早急に確立しておくべきなのだ。これはお互い様のリスクであるのだから、非難するだけでは平和共存する世界は生まれないと思う。
話を戻すと、いわゆるヘイトスピーチはそれらの失礼で利己的な態度をとる政財界関係者と同様に洗脳されている無礼な人たちに対する抗議なのである。在日だという言葉を蔑称として使う人もいるけれど、人間は生まれる場所を自分で決めて生まれて来ることはできない。それはお互い様であるから、その人の国籍や出自、年齢、性別などを非難することは失礼であり、するべきではない。自分が逆の立場であったら憤慨して当たり前。本人の人間性を見るべき。失礼な行為は憎しみなどの負の連鎖を生むだけ。その意味で、歴史や文化を理解していない人たちのヘイトスピーチなどを気にすることはない。どこにでもそういう輩はいる。我々もそういう下品な日本人になってはいけない。彼らが反日洗脳を解きたがっているなら助けてあげれば良い。一方で彼らもヘイトが起きる因果関係を自分たちでも分析するべき。
在日の人たちはむしろ多国籍の知識と経験を持つ存在であるから、両国の橋渡しをすることができる重要な存在であるとも言える。私も関係が深い通訳や翻訳の世界においては混血&混民族の存在はとても貴重。例えが飛ぶけれど、アジアに広く普及している仏教の漢字経典はインド系民族と中華系民族の混血であった僧侶たちが作り上げたものなのである。あれだけの深遠な哲学を翻訳できたことは彼らの存在なくしては語れない。更に考えを広げれば、古来より我が国は帰化人との融和によって文化を築いてきたわけである。これが成功したのは日本の八百万の神々を認めて尊重する寛容な姿勢だと思う。八百万の神々の中には外国渡来の神様も融合されている。
一方でアジア侵略を目論んでいる勢力にとっておはこの融和や団結状態が最大の障害。植民地化に際して多大な損害を被った。その後は特殊工作員(宗教家、商人、医師、学者など)を潜入させて謀略による内戦内乱を起こして、そこにつけ込む戦法に変わった。同時に物質文明の飴と鞭である経済と武器を教えた。この罠にはまったのが明治維新。今でもアジアの団結を阻みたい勢力は裏で各国を操り、仲違いさせようとしているわけだ。だから日本と隣国の間にある様々な問題を解決しようとはせず、傍観して、問題を長引かせ続けて来た。連中は同じことをアフリカ大陸や中東でも行って来た。裏からクーデターを扇動して参入する口実を作るのである。アジア諸国はこの点に気付かなければならない。終戦後(遡れば明治維新に始まる)侵略者たちが真っ先に隠蔽&捏造しようとしていたものこそ、この事実なのである。彼らの謀略は非常に高度で用意周到。心理学、精神医学などの科学的知識を総動員しているので、対処するためには同等の知識と情報が必要となる。一方で、それを堂々と議論できない日本政府にはその力がないことが問題なのである。戦時中に存在した日本のインテリジェンス研究機関や資料はことごとく破壊されつくした。それらに関する情報が広がりそうになると、自分たちの支配下にあるメディアを通じて「陰謀論」「都市伝説」というレッテルを貼り、その段階で証拠の無い仮説だとして曖昧なままにそれ以上の議論や思考を停止させる戦略を考え出した。これに負けてはならない。国民はメディアの情報を一方的に信じることは止め、自分自身で調べて学習するべきなのである。
とにかく近代史には裏表があり過ぎて、本当に不愉快。
いずれにせよ、捏造されて歪められた歴史や情報をあれこれ論ずるのではなく、今の当人を見るべき。どんなにひどい親であろうと素晴らしい子供はいる。逆にどんなに素晴らしい家庭からも不良や鬼っ子は誕生するものだ。過去の負の遺産ばかりに執着して未来を見なければ、今という時間が無駄になる。それに気付いたら、お互いに自分の非と相手の道理を認めて修正することはできるはず。そういう私はおそらく現代日本の鬼っ子の一人。私は自分の国を当然愛しているけれど、自国がもしも間違った恥ずべき行為をするなら自分の国籍とは関係なく批判するし抗議する。正しい世の中においては鬼は悪かもしれないけれど、間違った世の中では逆らう鬼が正しいと思う。
基地周辺では婦女子を乱暴する事件も多発したので、地元民で近寄る人はいなかった。映画「豚と軍艦」に描かれているのがまさにその世界である。そんな街で売られている進駐軍向けの土産品に関心を持つ日本人は少なくて当然だろう。
これらの歴史はGHQ(進駐軍)が言論統制を行ったこともあり、今でも日本の学校では教えないはず。また、臭いものにはふたをして知らんふりをする風潮が強い戦中戦後世代たちは自分から知ろうともしなかった。子供たちにも教えて来なかった。
一方で驚くべきは、侵略者の洗脳教育の素晴らしさ(皮肉)。洗脳に有効な3S(ショービジネス、セックス、スポーツ)を使って、日本伝統の精神文化を弱体化し、アメリカナイズ(欧米化)させたのである。その方法は心理学を駆使した巧妙なものであり、その結果、戦後に育った日本人たちは歌もファッションも車も音楽も欧米が格好いい!日本は遅れていて、軍国主義者たちが戦争を起こした悪者だ!と思っている人がほとんど。3Sの洗礼を受けてしまった若者たちは戦前の日本を知ろうとせず、戦後の受け売り文化の虜となってしまったのである。そのアメリカナイズされた世代は米国に対する敵対心が薄れ、侵略されている事を忘れて、むしろ憧れを抱くようになる。その後は朝鮮戦争、ベトナム戦争による軍需好景気によって、更に急速にアメリカナイズが進んだ。音楽もファッションもライフスタイルも米国の物真似ばかり。日本の伝統的な精神や知識を持たないけれど、外見は日本人で英語に堪能なバイリンガルと言う存在がもてはやされたのもこの時代。この頃には誰も怖くて近寄らなかった売春宿や土産店が混在したエリアが格好いいお洒落なストリートだということになり、市街からも観光客が訪れるようになった。TVドラマなどでも危なくて格好いい街としてロケ地に使われるようになった。この頃から「スカジャン」と呼ばれるようになったようである。私が関心を持った時代にはすでにスカジャンと呼ばれていた。地元民にとっては横須賀で作られていた物がスカジャンであり、展覧会で紹介されていたメーカーはほとんど知る人もなく、都内の既製品メーカーだと思っていた。古着やアンティークが注目されてから初めて起源を知った人も多い。今回の展示ではその経緯がよくわかるので面白かった
ハンバーガーショップやファミレスが日本に導入されたのもこの頃。衣料品に訳の分からない英文がプリントされるようになった。文房具などの日用品にも英語が氾濫した。戦前までの航空機や船舶は漢字名だったけれど、戦後は車の名前も横文字ばかりになってしまった。戦前は英語をきちんと和訳していたのに、そのままカタカナ表記の外来語を使うようになった。現在の社会経済政治用語の大部分は当時の文化人たちが訳した日本製漢語なのである。それをそのまま導入しているのが中華圏の和製漢語である。その苦労や素晴らしさを知るだけに、個人的にはコンプライアンス、SDGs、ローンチ、CEOなどをそのまま使う風潮は気持ちが悪い。圧倒的な物量と情報量により欧米コンプレックスのシャワーを浴びせられた日本人たちは、いつの間にやら、愛国心や日本人としての誇りを見失ってしまっていたのである。
何を隠そう、情けないことに、ある程度の年になるまで、この自分がそうだったのだ。幼少期より基地に出入りをして、まさに3Sにド洗脳されていた。子供時代は洋楽、アメ車、チョッパーバイクに憧れていたものだ。スカジャンも多数所有している。近所の米国人のお宅に遊びに行って可愛がられて、自然に彼らが大好きになっていた。ハンバーガーやアイスクリームを食べさせてもらえるのが毎回楽しみ。英語の歌を口ずさんで、毎年バレンタイン、イースター、クリスマスだと大騒ぎ。なんて素敵な生活、陽気で親しみやすい人たちなのだろうと感動した。まだ歴史や哲学もそれほど勉強しておらず、米国の真似をして、彼らと仲良くなる方が幸せで楽しい生き方ができると信じていたのだと思う。物質文明においての善は金と力なのである。貧乏と綺麗事の哲学は悪であったのだ。もはやそれが大きな勘違いであることは明白なのであるけれど、当時の私にとってはほとんどが良い印象ばかりで、マイナスイメージはなかった。間違いなくあったのだけれど、それを感知するだけの感性と知性を持ち合わせていなかった。ただ、一度だけ、いつも明るくてふざけていた大男がベトナムを思い出して、泣きながら「涙くんさよなら」を歌った時の衝撃はよく覚えている。それらのロストジェネレーションの人たちは米国の過ちや問題に気付いており、ヒッピー文化が起きたわけであるけれど、それが日本に波及することを恐れた連中は情報操作を行った。彼らの発想と着眼点は今でも有意義であるけれど、麻薬やセックスに溺れる仕事もしないホームレスのような反社会の存在だとするプロパガンダを行ったのである。その為、日本ではヒッピーの表面的なファッションや音楽を猿真似するだけに留まった。
それらを含めて、当時の素晴らしい記憶や感情は今でも大切な財産である。実際に彼らの多くは米国の「良心」「善意」の代弁者でもあった。教養があり、単なる不良やホームレスではなかった。きちんと社会や世界を見ていたからこそ矛盾に気付くことができたのだと思う。しかし、当時の米国政府は自分たちの蛮行を正当化するために日本の公職追放や言論統制と同様の手段で彼らの言論を非難し、封じ込めたのだ。権力者にとって不利な言動を抹殺する行為は万国共通。日本もひどかった。規律正しい日本人はその反面で、客観性を持たずに平和ボケをしていると、間違ったことをする場合にも盲目的に同じようなことをしてしまう(させられる)傾向があると思う。自分の頭で考えずに何でもお上の言うことに服従するという姿勢。その意味では、弊害の多かった英国的封建主義から独立した米国には免疫があると感じる。客観性のある「良心」を持つ人は少なくない。こう言う人の数で国の民度は決まると思う。その意味で、日本は過去の精神遺産が偉大だったので、民度の基礎が何とか保たれているものの、平和ボケをするにしたがってどんどんその民度が落ちて来ている気がする。精神遺産を食いつぶす前にプラスに転換しなければならない。
しかし、前の世代で嫌な思いをした諸先輩たちは違う思いや印象をお持ちであることが多い。実際に終戦直後の進駐軍の質は悪く、横暴狼藉はひどかったので、地元における基地周辺のエリアはスラムや無法地帯のような扱いであり、一般市民(特に子女)は立ち入り厳禁とされていたのである。驚くことに、そう教わって来た世代の女性たちは令和になった今でも基地周辺を避けるし、実態をよく知らない人が少なくない。つまり、それほど実体験の記憶と心の傷は計り知れないということなのだろう。
人間同士の付き合いと政治は別物だと理屈ではわかっていても、記憶と感情はまだ消化しきれていないのだと思う。そして侵略した原住民の文化を徹底的に壊して自国の価値観を植え付ける洗脳の恐ろしさを痛感させられる。戦前戦中戦後の過渡期を体験している世代はともかく、戦後世代には比較するだけの知識や情報の材料がないから、受け売りの情報と教育を受けて育つことになるわけだ。それらを俯瞰して客観的に見られるようになるのはとても難しいと感じる。この世の戦乱や紛争における本当の悪人は背後にいる存在なのだけれど、それに気付くまでなんと長い時間がかかったことか(嘆)。今でも連中は巧妙に隠れている。そしてこれらの支配者と被支配の構造と洗脳は米国自体にも潜在している問題なのである。米国人の中にも近代の白人による植民地化政策の過ちに気付いている人が現れ始めている。正確には、気付いていた人はいたけれど、これまでは公言できなかったのである。自分たちの既得権益を守りつつ、人種者別や経済格差などの問題を巧妙に操作していることに気付くべき。
未だに洗脳が解けておらず客観視できていない人たちからは、どうして自分の住んでいる地元の闇(恥じ)を話すのだと言われそうだけれど、私はちっとも「闇」だと思っていない。闇とか恥とか言う前に我々はサバイバルをしなければならなかったのである。それが史実で現実なのだ。むしろ「闇」と言う言葉を使う人こそ、隠ぺいして闇に葬り去ろうとしているように感じる。そんな表面的な態度で本当の友好関係を作れるはずはない。同様に洗脳されたままの人たちには自分自身のアイデンティティを客観的に理解できていないわけであるから、国際社会における外交や政治参加は無理だと思う。善悪、陰陽の両面を分析して、教訓を学ばなければ、将来に同じ危機が訪れても対処できない。臭いものに蓋をしたままで、リスク管理を学ばずに来たから今の平和ボケ日本人ができあがってしまったのだ。
私はそのような街で生まれ育って光も闇も見て来たからこそ、平和ボケ、綺麗ごとの社交辞令や外交はしないし、できない。
(横須賀空襲をした爆撃機の記録写真)
ちなみに私の専攻は国際関係を研究する分野であったけれど、学生の大部分が西洋に対する憧れ(コンプレックス)を持っていたので、理論や発想は欧米志向だった。本気で自国の復興と精神性、霊性を考えている生徒はほとんどいなかったので、私は浮いた異端の存在だった。またいわゆる当時の「世界平和」の概念は東京裁判、国連(戦勝国)が一方的に定義したものであり、真の意味での平和&正義とはかけ離れていることに気付いていた人は少なかった。学者や先生たちは気付いていても公的に発言すると追放や失職のリスクがあった。その中で情報操作、歴史の改ざん、言論統制、拷問、暗殺、洗脳などの事例を学んで来た経験から確信していることは、それらの影響を受けない超国家で中立客観的な視点の重要性。西洋志向もアジア志向も国粋主義も偏ってしまうから、あらゆる既成概念、常識をリセットして考えなおすことがとても大切だと痛感している。洗脳されたままではこの観点を持つことは不可能。それから解放されると見聞きする世界観が変わる。私は「臭い物に蓋をする」ことが大嫌い。臭いものは取り出してきれいに掃除をするか、腐敗物を堆肥として使えるようによくかき混ぜて発酵させるべきだと思う。腫物は膿を早く出さなければ、重症化してしまう。その点、日本は悪性ガンの末期症状だと思う。
客観的に分析しても我が国は自立(独立)していない。安全保障に関する特約、密約があり、それに基づいて周辺国との外交は全て規制されており、自国で判断して行動することはできないのだ。だから尖閣諸島や北方領土は解決の機会を失い、故意に問題が引き伸ばされている。それは戦前のようにアジアが団結することと日本の自立&復興を恐れる勢力があるからに他ならない。この背後には複数の利権が絡む国や組織が関係しているので、どこか特定の国だけを批判しても意味はなし。最善の上策は自立、独立、自己防衛。どんな敵が来ても揺るがない国家。コロナのように次々と変異しても、確固たる自己免疫力を持っていれば怖くないのと同じこと。反対に自己免疫力を持たない身体は単純な風邪でも重症化する。政治から離れて生活&生存の条件を見ても、食料自給率は先進国内でも最低であり、自立できない状態にある。つまり、外圧により食料の貿易が出来なくれは、国民は餓死してしまうリスクが大きい。作物を作れる土地があるのに、あえて作らせないような農政と食習慣を操作して、海外に依存せざるを得ない状況を意図的に作っているのである。
これらの現状は、基地が無く外国人たちと接する機会がないような場所に住んでいる国民も他人事とは思わず、将来の日本の在り方を考える上でよく知っておくべきである。なぜならあなたたちの土地や天然資源(水源など)も狙われているのである。明日、いきなり得体のしれない外国人や企業が町村に現れる可能性は大きい。侵略者は一か国だけではない。外国人や企業、或いは日本人に成りすました侵略者たちに自国の資源を渡してはならない。
(eanvitalnewsより)
産出したものを売るのはともかく、天然資源の埋蔵する不動産や使用権は死守するべき。必要であれば特令を発して強制的に底地権は没収してもよいくらいに考えている。なぜなら共産国ではそもそも全国土が国家の所有物であり、私有不動産は存在しないのである。こちらがその国で不動産を買えないのに、同国の人間たちが海外で買えることは不公平絵であり、それに規制が無いのは不自然。売買の対象は土地の使用権のみにするべきなのだ。すでに潤沢な外貨を使用した国土の買収はかなり進んでおり、法務省や行政は手遅れなので強制執行しか道はないと思う。すでに、これを阻むために連中は関係者を日本の政財界に送り込んだり、経済的支援をして、自分たちの都合が良い方向に誘導することを企んでいるのである。従って、我々は政治家や有名人の背後関係も考えて人選するべき(投票)である。
(eanvitalnewsより)
また不思議なことに日本を実質支配している米国も干渉せずに日本国が虫食い状態になる様子を傍観していること。恐ろしい現状はあらゆる国々から裏で国土を次々と侵食されていることなのだ。陸地だけではなく領海にも魔の手は及んでおり、貴重な海の幸を根こそぎ略奪している。諸外国は銃火器(武力)を用いて威嚇排除しているけれど、日本はそれができない。自由に動いて威嚇することができず、太い鎖につながれたままで吠えることしかできない哀れな番犬のようなものだ。私が盗賊なら鳴き声だけの威嚇などは大した脅威にも感じないので堂々と侵入すると思う。大雨や嵐の時につけ込めば、番犬の鳴き声などもカモフラージュできてしまう。この状況には早急に対応する必要がある。
(朝日新聞デジタルより)
これらの諸問題と憲法改正、防衛などの問題も考えるべき。これらの因果関係を知らずに、侵略者側のメディアに洗脳され、「戦争は悪だ、嫌いだ、やってはいけない!」などと平和ボケの綺麗ごとを言っているだけで、何の対処もしなければ日本は虫食いだらけになる。既になっている。そうなってから、綺麗ごとを取り消して、助けてくれ!などと言うのは甘えもいい加減にして欲しいものだ。私が防衛関係者なら、そのような人は助けない。侵略者を目の前にして果たして綺麗ごとが通じるのかどうか、優先的に最前線に行ってもらいましょう。食料などが枯渇して配給制となった場合には優先順位は最後尾にする。綺麗ごとを言っていた教訓を肌で感じるべき。反対に私が論じた内容にはすべて責任を持つので、有事の際にいかなる批判や待遇を受けようとも逃げることはない(腹を切る)。それだけ真剣、深刻である。
スカジャンの製作と関係がある刺繍技術は単価が安くて製造が簡単なワッペン(部隊ではパッチと呼ぶ)にも活かされ、基地周辺ではそれぞれの部隊名やシンボルマークを中心として、アメカジ関連の音楽やファッションなどの色々なテーマやデザインが刺繍されたワッペンが売られていた。子供時代から車やバイク好きだった私はまだ乗れない年齢だったけれど、それに憧れて、なけなしの小遣いをはたいて米国バイクメーカーのシンボルマーク(白頭ワシ)のワッペンを買って普通のジャンパーに縫い付けてもらった。その値段は当時のラーメン10杯分くらいの金額だったと思う。
そのワッペンは今でも鉄馬(バイク)に乗る時に羽織るベストに移植されている。単純に格好いいからではなく、アメリカナイズの洗脳を受けてしまった自分の無知と恥を忘れないためでもあり、また、同時に将来の友好も祈願して、捨てずにそのまま使うことにしたのだ。収集したスカジャンも同じこと。お花畑思考(平和ボケ)の人たちが単に格好いい!と着ているものと、その歴史と悲しみを一緒に背負って着るものとでは重さが違うのだ。知れば知るほど私のスカジャンは重くなって来る。
でも、後ろばかり見ていては前に進めない。物質や文明、文化自体に罪はない。それらを使う人間にこそ問題がある。今でもアメリカンカルチャーは大好きなのだ。私の見た目も日本人ぽくないとよく言われる。あちらのダンスも踊るし、友達も少なくない。歌も映画もエンタメ系は全部好き。素晴らしい文化だと思う。それを洗脳に利用されていることに気付かず自分を見失ってしまう当人(自分)のレベルが低いのである。とても魅力的なので酒タバコ麻薬同様の中毒性が強いけれど、中毒症状はすでに脱出したので、今後はどんな害毒がふりかかっても、そこから良いとこ取りをしてやろうと決めている。盲目で無知だった子供時代とはもはや違う。
しかし、今よく見れば、ワッペンの図案や文字が歪んでいることに気付く。当時はコンピューターが普及していなかったので、ミシンはデジタルではなく、全て職人による手仕事だったのだ。
展示されていたアンティークのスカジャンは撮影禁止だったけれど、当時のデザインをそのまま復刻したものが都内の業者から展示されていた。当時のデザインなので図案はやはり古いし、文字も歪んでいて手作り感がある。
最近はこの歴史が認知されつつあるけれど、少し前までは「下手な刺繍!」と馬鹿にされることがよくあった。コンピューター制御のデジタルミシンによる刺繡を見慣れた人には出来損ないの下手なモノに見えてしまうのである。
これらは型紙があり、その線に基づいて刺繍する大量生産タイプ。最も高価で格が高かったのはオーダーメイドの一品もの。自分の所属部隊や階級、名前などが入っている。家族やペットの絵柄や名前を入れたものもあった。
特殊部隊などはエリートの証としてお揃いのチームジャンパーを作ったりしていた。そのようなジャンパーは個人が大事に持っているはずであり、見る機会は滅多にない。東洋の神獣は龍や鳳凰であるけれど、米国人が好きな国鳥でもある白頭鷲のデザインが多い。
スカジャンの展示会場の出口には現代の和柄刺繍作家たちの作品が展示されていた。
和柄の図案と刺繍の起源は和装であるけれど、現代作家にもその技術が受け継がれていることはとても嬉しい。素晴らしい作品なので欲しくなったけれど、一点ものの非売品だった。
伝統的な和柄以外にカメレオンなどの今風モチーフの作品もある。
和装小物ではなく立体作品もあった。ウィリアムモリスガーデンミラー。
細密な刺繍が素晴らしかった。
キノコの下にいるカメレオンの拡大。
右側にはシーラカンスもいた。
立体的なぬいぐるみ作家の作品もあった。
この龍は格好良かった。アニメのドラゴンボールなどに登場する神龍のような雰囲気。この作家のぬいぐるみ制作は独学らしいことに驚いた。
地元出身のスカジャン作家は伝統的なデザインのほかに、アニメキャラなどの和柄ではない現代物のスカジャンも出展していた。今後ますますのご活躍を期待したい。
展示品の多くは都内にあるスカジャンメーカーの収蔵品であり、見たことのない貴重なものを拝見することができた。希少価値の高いオーダーメイドのスカジャンは基本的に全て個人の私物であり、市場に出ることは余り無いため、展示品を集めることが難しかった思う。戦後の地元横須賀におけるスカジャンは個人経営の職人が依頼されたデザインに基づいて一つ一つ製作していた。私がオーダーした時もそうだったから、大量生産をしていた業者のようにデザイン型紙や試作品を保管しているお店は余りない。しかも、時代と共に店も職人たちも姿を消してしまった。
会場には地元のドブ板通りに店を構えていたスカジャン職人の動画が放映されていた。私は若い頃から何度もお会いしているけれど、すでにかなりご高齢。時代の移り変わりを実感した。昭和まではスカジャンやワッペンを制作する店が基地周辺には何店舗もあった。骨董品店や似顔絵屋も複数立ち並んでいた。面白いのは英語の手紙の代書&翻訳屋。主にラブレターを読み書きしていた。私も学生時代にバイトでしたことがある。
昭和までのドブ板通りはまだいかがわしく危険な匂いのするエリアだった。昭和の刑事ドラマで犯人が逃げ込む場所としてよく使われ、スカジャンを来たチンピラの姿をよくテレビで見たものだった。実際に治安も日本人町ほど安全ではなかったけれど、今ではすっかり観光地化してしまっている。とは言っても「日米地位協定」という1960年に発効した不公平で不合理なルールがあるので注意は必要である。窃盗や暴行傷害事件、交通事故などの犯罪を犯しても基地内に逃げ込むと治外法権となり逮捕や処罰をされないのだ。今時そんな卑怯な話があるものかと思う人もいるかもしれないけれど、それが日本の実情なのである。
(星野くみさんのブログより)
「親しき中にも礼儀あり」と言う通り、礼儀はお互いさまのはずだけれど、これが現実。こんなルールが成立してしまうことは、我が国がいまだに植民地であることの証拠なのである。もしも関係者が本当の友好を考えているのであれば、直ちにこの不公平な規則は自主的に撤廃するべき。撤廃できないのであれば、それは「我が国の軍人は犯罪を起こす可能性が大きいので、保護するために必要だ」と言っているのと同じことであろう。こんなバカげたルールが存在するのは日本だけである。米軍基地がある他国内の協定内容を比較しても違和感がある。我が国と国民に対する尊厳が何も感じられない。国民はこれを知り、もっと怒るべきなのだ。
(琉球新報記事より)
そんな卑怯なことを平気で考えている連中と本気で友達付き合いができるものなのか?街を自由に出歩いてもらっては大迷惑であるけれど、実際はコロナ禍においても、自分たちの独断で自由に歩き回っているのが現実なのだ。その判断や協定の話し合い内容は日本の国会や最高裁判所の権威を超越したものであるにもかかわらず、全ての内容も記録も現状も非公開になっているところも恐ろしい。つまり、日本の政治の最高機関は公開されない密室で行われる談合なのである。これが独立した法治国家と言えるのか?自分は隣国などの非法行為を苦々しく思っていたけれど、我が国は巧妙に隠されているだけで、中身は似たようなものだと思う。
(東京新聞記事より)
治安は終戦直後より大分向上したというような言い訳を言いそうであるけれど、不公平で植民地的なルールが存在している問題が解決されないうちは、心を許す気はならない。このおかしなルールをなくせばさらに安全で楽しい街になることは間違いないのに非常に残念。商店街や行政はこの問題に言及せず表面的な町興しをしているけれど、どうせなら、海軍カレーやスカジャンのような物で関心を集めるのではなく、真の意味での日米友好を実現するべき。最初に在日基地の中で不公平な協定を撤廃させることができれば、何よりの町興しであると思う。それが全国の基地に波及すれば日米安全保障のあり方も見直す動きが出て来るのではないだろうか。
ついでに対外国人のルールについて言えば、日本にはスパイを取り締まることのできる法律が無いのである。情報を盗んで逃げようとする外国人を拘束、逮捕する事すらできないのだ。その反対に国内に対しては機密保護法を作っているわけだから、非常に不可解。自国民のスパイ行為を規制するくせに、外国人には何の御とがめ無しとはあまりにも馬鹿げた発想である。これは共産党さんのおっしゃる通り、米国の圧力による反体制分子の規制である可能性が濃厚。つまり、スパイ防止法ができると在日している米国関係者も規制の対象になることを阻止しているのである。
(共産党記事より)
日本の政治家と外交司法公安関係者の頭を疑う。あなたたちはどこの国の人なの?どこの国のことを考えて働いているの?報酬はどこの国民の税金からもらっているの?自分たちの友人や家族、子孫の将来のことは考えていないの?悪いけれどそんな非国民たちのために私は納税も協力もする気にはならない。到底、自立した国家だとは思えない異常な状態にあることを全国民は知っておくべきである。これらの事実関係を理解できていないと、だったらこれからどうするべきなのかという発想につながらない。
天皇陛下は無理やり人間宣言をさせられたけれど、総理大臣と関係者も思い切って自発的に「我が国は植民地です」宣言をしたらどうなのだろうか?そうすれば国民の態度も考えも変わると思う。
ちなみに当日私が着て行ったスカジャンは日本の著名なロックスターが地元のお店に発注した限定モノ。依頼を受けたお店が格好いいのでそのまま同じデザインで製造販売していたところ、同ミュージシャンから販売禁止要請のクレームが来て、売ることができなくなったという代物。今はそのお店自体もなくなってしまった。後から知ったけれど、スカジャンを着て展覧会を参観に行くと割引されることになっていたらしかった。それにしても、言論ではまるで右翼や国粋主義者みたいな発言をしているのに、外見(アメリカナイズ)とのギャップが非常にちぐはぐで自分でも笑ってしまいます。
夜はお馴染みのお店にて「鶏昆布ホタテ出汁潮ラーメン」。
チャーシュー二枚、鶏むね肉、ホタテ、エビ、カニカマ、味玉、海苔、ネギ、メンマ、青さ、ヤングコーン、スナップエンドウ、牡蠣ガーリック味噌。
これだけ盛りだくさんで四桁いかないのだから本当にありがたいことです。内容の伴わない高額ラーメン店は淘汰してしまえ~!
ついでに言うと、地域の限定されているウクライナ紛争で全世界の物価が同時に上がるというのは、利権者たちの謀略(投機、便乗値上げ)と報道の誘導。既得権益者たちが自分たちの損失を値上げによって転嫁するための詭弁です。有事なのに同じ利益率を貪ろうとする利己的な態度を見抜け。一方では有事の際にぼろ儲けをしているジャンルもあることに気付くべき。これはコロナ騒動も同じ。どこの企業だろうか?お金と物の流れを見ればわかるはず。どこが開発して販売しているのか?
この操作されている世界経済から離脱するためには、値上がりする物を他人の真似をして買わなければよいのです。例えば小麦が値上がりしたなら。元々の主食であったお米を食べればよいのです。飼料が高いからと言って肉類が値上がりするなら、肉から離れて魚介類や野菜を食べればよいのです。自国産の物を食べれば良い。同時に海外依存のリスクを感じるべき。海外に依存しなければ成り立たない産業や業種は根本に無理がある。つまり非常時には破綻するので、できるだけ早く廃業か転業、システム改革を行うべき。この点、コロナ騒動はそのシミュレーションだと思う。現在打撃を受けている業界や業種は元々が必要以上に増えすぎたもの、或いは生命維持に必要なレベルが低いものなのだ。贅沢品や趣味のジャンルが当てはまる。精神的な余裕は満足感をしれば、必ずしも物質や金銭と比例しないことがわかるはず。それに気付かず、今の経済理念に毒されているからストレスに感じたり、満足できないのである。そういう人間は欲望に限界が無いので、将来も同じ人生を歩む。人民が真剣に自分たちの人生を考えた時に、本当に必要なものと、そうでないものを取捨選択するようになる。生きるうえで必要不可欠な内容と、単なる贅沢や甘え(平和ボケで退廃した文明)に感覚が麻痺しているようなものとの差が露になり、自然淘汰されるはず。これは宇宙の摂理だと思う。
商社も無理して高い物を輸入する必要はない。道徳観念の欠如した国、人間と取引や付き合いをする必要はない。そういう国に依存するから有事の際に被害を被ることになる。その国の一般人の人格と政治家の人格(歴史と思想)は一致しておらず、これが外交のポイントだと思う。政治家の人格が下劣な国と付き合う必要はないと思う。
人格というのは人間の霊的レベルと比例しているので、レベルの低い人、グループ、組織、国は同様の人が集まる。それと付き合うのも「類は友を呼ぶ」ことになる。そこから生まれる人間関係、発想、言論、文明などの全てがその影響を受ける。
最近は衣食住以外の分野にも便乗値上げをする傾向が見られる。その他、各方面に有事につけ込む下品な連中がいるけれど、これも人格の降下である。お金の魔力に魂を売る行為であることになぜ気付かない?こういう悪循環がマイナスの流れを作る。この悪循環に加担する人間や業者と付き合う意味も価値もない。さもなくば、悪影響を受ける。外観を変えずに内容量だけを変えてカモフラージュする下品な商品も買わなければよい。お店もそういう商品を扱ってはいけない。そういう商品を平気で扱う店には行くな。詭弁や問題を分析もせず垂れ流すだけのマスメディア報道なども見聞きしなければ良いのです。誠実なメディアだけを応援するべき。こうやって世界から邪悪なものは排除して浄化するのだ。そうしなければ、悪影響により自分自身の霊的レベル、人格も降下してしまうことは間違いない。反対にプラスの人格者を支えるべき。物質文明の制約に悩まされながらも、霊的レベルを上げようとしている、誠実に耐えて頑張っている人を応援するべき。そういう人たちが社会の人格(霊的レベル)を上昇させ、良い世界を作る。「正直者は損をする」などと言うようになった時点から社会は間違っていたことに気付くべき。「正直者は得をする」社会であるべきだと思う。このことをちゃんと考えれば自然と社会や政治に関心を持つようになる。そのうえで選挙に行くべき。知人や会社などのしがらみで投票するのはこの責任を放棄した行為であり、自分自身に跳ね返ってくる。徳の無い政治家を応援すれば、国会の質が下がり、国が亡びる。今の政治家の面を見てみろ!メディアは侵略者(支配者)の宣伝機関なのであるから、そんなものだけを見ていたら良い政治家、思想家、徳の有る人物などを判断できるはずもない。自分たちに都合が良い者たちだけを登場させ、不利な情報は表に出さないのだ。
ただ、選挙に関しては「投票したいと思う人や政党がないので、無理に選ぶのはかえって害になる」と言う問題があることも確か。なので、私は「不信任相殺投票権」の採用を提案したい。これは「信用できない政党の得票数を相殺して奪う権利」のこと。普通の投票とこの不信任相殺投票のどちらかを選ぶことができる。つまり、投票したい対象が無くても、入選させたくない対象に対して得票数を奪い抗議することができる仕組み。こうすると。入れる政党がなくても、辞めさせるべき政治家や政党に国民の意見を反映できるはず。例えばA党が100票を得たとしても、不信任票が50票あれば、最終得票数は50票とするのだ。その結果、通常投票で70票しか取らなかった政党でも不信任票が少なく、10票程度であれば、最終得票数は60票となり、A党に勝つことができる。この制度ができれば、選挙はとても重要な意味を持つことになるはず。それに比例して政治家も国民も自分たちも本気で勉強しなければ危ないという気持ちが芽生える。今はこれがないから政治家や政党が傲慢になるのだ。これを読まれた関係者の方がいらしたら、是非実現していただきたい。
そしてこのシステムができれば、投票率も上がるはず。なぜなら、応援したい対象にも投票できるし、応援したくない人や政党に抗議もできるようになるから、選挙に行かない理由がなくなる。行かないのは当人の勉強不足や怠慢だということになるから、これとセットで、特に説明や理由がないのに投票に行かなかった人の福利厚生などの手当てや援助や権利は削減か没収するべき。義務を果たさないくせに、利得だけ貪ろうとするなど下劣な発想だと思う。









































































































































































































































