春分を過ぎて晴明 ケサランパサラン 世界浄化(掃除) | 雲水・ISAのブログ

雲水・ISAのブログ

日本は神の国
仁術師

真面目に真剣に物事を考えると言葉に出てこなくなる。しかも、自問自答しているうちに、さらなる疑問が生まれるために、完成した文章を書くことは自分には無理。生まれてからずっとそう思ってきたから、文章に残そうとはあまり考えなかった。しかし、交友関係における必要性からこれらのSNSを使うようになっている。確かに利便性もあるけれど、弊害も大きいと感じる。

(春の花イベント。全て人の手で植えられている)

 

私は「言霊」はその時だけのものだと考えているけれど、それを表面的に保存しているのが文字。残された文字は時間とともに風化変質する。これが誤解を生む。それを考え始めると沈黙してしまう。言葉が出てこなくなる。そして自分自身はそれでよいと思っているから、そのままだと話さず、書かない人間になる。

(花イベントが始まってすぐなので植え付けられた草花が水分を十分に吸っていなかった。でも、綺麗)

 

頭の中がまるっきり空っぽな時と、反対にフル回転しているときには喋れなくなるのが自然だと思う。感じるのは一瞬なのに、それを表現するには凄い数の言葉と考える時間が必要。非常に不合理で無駄な作業だと思う。自分自身がわかっているのだからもうそれで良いのだ。それなのに、それを文字化するのは何のためだ?私の仕事には文字(言語)に依存している部分も多いから、それは割り切れる。仕方がないから文字化している。とは言え、プロなので文字を打つ速度は早い。くだらないどうでも良い内容であればいくらでも打てるけれど、真剣な内容になると筆が止まる。

(ネモフィラも混じった可愛らしい下草)

 

このままでは私の唯一の対外窓口であるSNSも放置し続けることとなるので、あまり考えずに適当に書けるのかどうか、試すことにした。主に遠方の友人との通信に利用している旧フェイスブックは写真に簡単なコメントを添えただけで利用できている。グルメや旅行、趣味などのテーマは比較的楽そうである。

(植え付けて間もないから花はまだ小さい。最盛期には百花繚乱となるはず)

 

当ブログも元々はお店を経営していた際の交流の場所として考えていたから、その当時はそれなりに書いていたらしい。過去の内容についてはほとんど覚えていないし、見直すこともしない。つまり所詮その程度の内容なのだと思う。とは言え、それなりの体裁を整えるために写真を撮ったり資料を調べたりする手間暇も必要となる。それら一切が阿保らしくなったのも停滞した理由。さらにSNS運営者の裏事情を考えると、使う気も起きなくなっていた。

(スギナの群生する湿地)

(土筆もあった)

 

コロナ禍に際しては、政府(行政内容)や医療関係者(特に御用医師)、旅行業偏重政策への批判を述べたところ、フェイスブックはアカウントをロックされることとなり、SNSの中立性や信頼性もいい加減であることが証明された。

 

ついでだから(思い出して頭に来たので)少し述べると、コロナは細菌兵器として開発されたものである。問題となって間もなく中国の軍事サイトにはそれに言及する内容が掲載されていた。まだWHOの調査も始まっておらず、国際的には情報不足であったにもかかわらず、墓穴を掘った発言をしていたのである。それはすぐに削除されているけれど、私はそれを医療関係者から依頼されて翻訳した当人であるから陰謀論でも何でもない。そして、私はコロナの前のSARS体験者でもある。現地での報道も逐次見聞きしていたから日本の細菌学権威者と言われる人たちのいい加減な情報と対応には危機感を覚えた。

当時はウィルスが風によって拡散し、風下にあったマンション群の住人たちが感染した。風上は逆に被害を免れた。ところが、当時の日本の担当者は飛沫感染の心配はないとして、無防備な状態で横浜の客船内の感染予防対策に医療チームを派遣していたのである。アジアの細菌研究に詳しくSARSの際にも派遣されていたという専門家もマスコミに登場していたけれど、当時の状況をきちんと把握していなかったのである。私は、関係者に連絡したけれど、それを問題提起すると自分が総スカンになる恐れがあるので、公にはできないと言われた。当時は関西のある医師だけがずさんな管理体制を指摘しており、その医師はパニックを拡大する恐れがあるとして、逆に世間から非難されていたのである。つまり、正常な思考や分析が全て無視されていたのである。その後に、言い訳をするかのように「エアロゾル感染はする恐れがある」などと言い始めたわけだ。

(鯉のぼりの準備もされていた。沿道は菜の花)

 

その後、米仏中による細菌兵器共同研究の情報が出回った。当時の研究者や関係者たちが身の危険を冒して告発したのであるが、すぐにYoutubeなどは一斉に削除を始めた。米国のウィルス対策の先頭に立っていたファウチこそ、その責任者であったのである。それと同時にWHOの不可解で非現実的な行動、中国の身勝手な隠ぺい工作、全世界規模のワクチン奨励が始まった。

 

この現実は国際的なSNSは権力者の圧力を受けるので公正さや信頼性はまだ期待できないと言うことを証明している。「デマの拡散を防ぐため」というのが大義名分であるけれど、近代における支配勢力の国際世論誘導はデマと大差ないのである。従って、我々もマスコミやSNSの判断を鵜呑みにしてはならない。

(東欧の友人家族が来日したので久し振りに大仏見学。過半数が外国人)

 

細菌兵器で狙った効果は自己免疫力を破壊する能力。これはエイズ由来である。だから薬もワクチンも完全に効かないのは当たり前。一時的な症状は抑えたかのように見えるけれど、免疫システム全体が崩壊しているために、予想外の症状で突然死が起きるのである。実は私の特殊な力(仁術)は身体やウィルスと交信することができる。その際にコロナがリュウマチ、膠原病、花粉症などの各種アレルギーにとても近い存在であることを感じていた。日本が中国人の春節移動に対して入国禁止措置もとらなかった時期に私はコロナウィルスと接し、それを感じていたからである。それらと戦う方法は花粉症や突発性喘息などと同じであった。なので、帰宅後に関係者にはアレルギー体質のある人は注意しないと身体がパニック症状を起こして危険だと忠告したのであるが、当時の日本ではまだ正体不明のウィルスと言うことであった。

 

暴漢によってご逝去された政治家についての功罪論は色々あるだろうけれど、対策の遅れと子供サイズのマスク配布、ワクチンハラスメント(打たない人に圧力をかけた)は明らかな愚策。特にワクチン接種の強要は犯罪レベル。無抵抗な子供たちや健康だった人たちの身体を半ば強制的に変質させてしまったのである。私は一部の人たちには絶対拒否するように伝えたけれど、学校や組織に属する大多数の国民はワクチン接種を拒否できなかった。

 

コロナ(ワクチンは同類)は人間が踏み込んではいけない自己免疫の領域を侵害した邪悪な科学発明なのである。

(春分を過ぎて日照時間が伸びている。太陽光も輝く)

 

コロナ禍が始まってから、異常な出来事が増えていることは間違いない。ずっと健康だった人の突然死。ワクチン接種後の後遺症。これらの内容を民衆に知らせようとした結果、アカウントのロックとなったわけであるけれど、SNS運営企業やその関係者は何を考えているのだろうか?政府や支配者の圧力の前では事実を捻じ曲げたり、言論を弾圧することも仕方がないことだと割り切って運営しているのだろうか?損得勘定のみを考え、人類や世界の恩恵、平和などの問題を考えないのだろうか?ビジネスには善悪などの道徳は存在しないのか?もしも、そうした場合、その結果は自分(家族や子孫)にも間違いなく降りかかって来るものであることを認識しているのだろうか?それを知りつつ、共犯を許すのか?

 

パニックはネットやマスコミ上の言論が直接引き起こすものではない。見聞きした人間の無知が勝手に暴走して引き起こすものであることを認識するべき。これを混同してはならない。

(故鳥山明氏デザインの電気自動車)

 

私は当時から同様の発言をあちこちでして来たけれど、当然ながら、どこの馬の骨ともわからない変人がのたまうことに耳を貸す人はほぼいなかった。その頃はまだ力の話は秘密にしていたこともあり、聞いたのは私の患者さん(力を体験している)とごく一部の友人のみ。それらの人たちはワクチン無接種のため出国や移動に制限を受けることとなったけれど、今になって正しかったことを知ったはず。私を馬鹿にしていた人たちの中には喉がおかしいまま、関節の痛みが続いたまま・・・など色々である。先日は7回もワクチン接種を受けたため後遺症に悩む人を診て来たけれど、それまでは健康そのものであった人間が何年も後遺症に悩み続ける身体に変質させられてしまったのである。

更に言うと、我々は当時と今後の政治家や医師など関係者の名前をしっかり覚えておくべきだと思う。なぜなら彼らは無責任な共犯者なのである。あなたにインチキの処方を施した主治医、病院なども記憶しておくべき。それらの半端で無責任な人々は修正しない限り、今後も世界に害毒を垂れ流す存在となりかねない。即ち信頼できない存在。肩書や地位は関係ない。むしろ有名で重要な立場にいる人間ほど害が大きい。将来にも同様の行為を繰り返す可能性が大きいので、真実が明らかになった時に連中を一斉に駆除し、因果応報の理を教育するべきなのだ。当然、被害者たちは告発して責任追及するべき。現実に真実が明らかになるにつれて言い訳や逃げを考え始めている姑息な連中も現れているけれど、そういう連中こそが社会悪の根源であるから逃がしてはならない。証拠隠滅を直ちに防ぎ、巨悪と戦うための準備をするのだ。それらの重大犯罪における時効は撤廃し、一生追及するべき。

 

もっとも社会や政治自体が腐っていると通常の抗議や批判は通用しない。全て隠蔽&握りつぶされる。組織が腐っている場合の「内部告発」は裏切り行為ではなく、正義の浄化であり、自分の居場所を清潔で居心地の良いものに変えるチャンスでもあるから、どんどん明らかにするべき。不正取引や賄賂などは公の場に引きずり出して叩くべし。

 

ちなみに私の縁者はHIV(エイズ)の最初の視察メンバーであり、良心のあるメンバーたちは血友病における危険性を当時の厚生省に問題提起していたのであるが、そのリスクを黙殺されて、いわゆる薬害エイズ事件が起きている。医薬業界の利権圧力に負けたのだ。責任が重大であるはずの担当機関が正常な判断と実行力を持っていなければ、全ての善意や努力は水泡に帰す。

 

そうなると、人民各々が目覚めて一斉に巨悪と戦うしかない。そういう政治家、政党、共犯となった行政部門、企業、業界、病院、火事場泥棒的な行為をした人間たち(補助金詐欺、医薬品やマスクなどの便乗値上げ商売などをした関係者)には社会的&民間的制裁を加えるべき。現在ではウクライナなどの紛争に便乗値上げをしている国や業界、商人たちがいる。

それらも同じ穴のムジナである。私はそれらの商人の取り扱う商品は全てボイコットし、頑張っている人たちから買うことを勧める。便乗値上げをしたところで誰も買わなければ経営は悪化して破綻する。逆に便乗値上げをしなくとも、購入者が増えれば経営は維持できる。我々は誠実な商人を応援し、利己的な商人を無視することにより、自動的に淘汰することができる。

 

政財界人には緊急時においても経済優先論を唱える人間が多いけれど、家計が苦しい時には家族全員が耐えて節約するものである。それを通常どおりの飲食や娯楽をするように誘導し、自分たちの利益を確保しようとするのは余りにも勝手で矛盾しているではないか?そのような霊性に劣る経済学者や官僚も淘汰するべき。

 

性善説社会の大前提は公正な規律とそれを保証する力(制裁、懲罰)の両立である。これが世界を浄化し、悪を抑止する方法である。力は厳正であることが必要。

世界の浄化(清掃作業)はその意義に目覚めさえすれば、無力な子供から大人まで誰でも可能である。清掃にお金や武力(暴力、軍事力など)は必要ない。悪人とは付き合わず、取引せず(売らない&買わない)、無視をするだけで可能。ブラック企業、背信行為をする行政と関係者、社会の害となる半グレやチンピラなどの犯罪者予備軍(暴走族、詐欺集団など)、不良外国人などを選別して村八分のような包囲圧力をかけることによって自然淘汰することができる。不潔で邪悪なものの整理掃除を行い、病原菌(社会悪)が生存できない清潔な世界を作るのだ。この話を聞いて怖がる奴は心にやましいことがある証拠である。

 

これを意識することにより我々一人一人の眼と観察力は性善説社会の監視カメラとなると同時に全員が即時対応できる警備員となる。

 

社会学では「衆人環視」と言うけれど、これが機能していた時代には、痴漢や暴漢、犯罪や事件などはその場にいた人々がすぐに動いたものである。現在の日本はどうか?私は電車内でも街中でもすぐに動くようにしているけれど、知らんふりをする人が増えていると感じる。

 

衆人環視が徹底されると町中に監視カメラを設置するような設備投資は必要ない。これにより邪悪な存在は生存&侵入することが難しくなり、強固な犯罪抑止効果を生む。抑止効果は自衛や防衛でも基本であるべき。この社会悪監視&清掃プログラムは日本国内だけではなく、全世界(宇宙)のあらゆる方面に使える。元々、原始信仰には同様の発想があり、共同体を守っていた。

注意するべき点は、ここに優遇差別(負の忖度など)や人情を絡めてはならないこと。なぜなら清掃対象は親族身内や親しい友人にも存在するから。もしも、ここで公正に欠けた優遇差別を行えば、浄化の根本的意義が消失してしまうのである。ありがちなのは「親だから」「子供だから」「いい友達だから」「仲間だから」「配偶者だから」「日本人だから」[外国人だから」という言い訳。日本に住み身近な存在であろうとも、穢れた人間は掃除しなければならない。私が受けている神託ではこの点をしつこく諭されている。

 

浄化しても、外部から侵入&汚染されては意味がない。従って霊性を汚す存在には厳格に対処するべき。超古代の平和的民族に共通した弱点に「人の善さ」がある。これは性善説社会で育まれた尊い精神であったのだけれど、平和な世界の美徳は悪人がつけ込む隙を与えてしまうのである。

 

例えば、日本以外の大部分の国では気遣い、思いやりなどの常識が異なる。日本では「お互い様」であると言う前提を考えがちであるけれど、海外ではお互い様ではなく自分中心となる。お互い様と言う言葉を使う時には、妥協や譲歩などの不利な立場において持ち出し、自発的に退くことはない。だから、思いやりや好意、親切心でしたことに対して「恩」や「感謝」「遠慮」の気持ちは持たない。自分が得したことはラッキー!と思うだけ。譲歩や妥協は日本人が好きでしていること、或いはそうせざるを得ない事情があるのだと見なすのだ。

 

チップ制がないのは我々には当たり前だけれど、あちらでは気遣いや親切心にまで対価を要求するのである。つまり物質文明に毒され過ぎているので物質以外の精神世界を感じることが難しいのである。

人が善過ぎた古代文明の人たちは侵略者に対しても友好的に接し「軒(庇)を貸して母屋を盗られる」こととなり、文明は滅ぼされて植民地化されてしまった。船で遠路はるばるやって来たお客さんだと思い、手厚くもてなし、食事や住むところまで与えたけれど、それを霊性由来の博愛であることを感じることができないのだ。ずいぶん親切な人だ、何か自分たちにも特になることがあるのだろう、その内に我々に何かの要求をするつもりなのだろう・・・などと考える。だからもらえるものは全て遠慮なくもらい、自分たちの要求を一方的に主張し、自分たちに都合が良く有利な交渉をすることが異文化間交流(外交)だと考えているのである。貸し借りの概念は無く、奪い取ったものを返すとかお礼をするという概念も欠如している。返すとすれば何かの交渉による取引の代償として考えるのみ。だから、好意で一時的に与えられた土地の居住権と所有権を主張し始める。それが上手くいかないと武力によって自分たちの主張を押し通そうとする。これによって数多くの文明や民族が滅ぼされて来たわけだ。客や友人だと思って手厚くもてなしていたはずなのに、強盗に豹変したのである。

 

しかも一度奪い取ったものを反省して返還しようと言う発想はないのである。本当にこの罪を認めれば、中東戦争などの大部分の国際紛争は解決してしまうにもかかわらず、連中は心を入れ替えることはしない。

この発想は現代も同じ。彼らにしてみれば、盗まれる、つけ込まれる方こそ間抜けなだけで、賢く力のあるものは略奪をしても良いという考えが根底にある。と同時にお人好しの平和ボケな民族や国はどんどんつけ込んで、全てを奪い取ってしまうことが外交だと考えているのである。これこそが現実の西洋偏向の世界経済と外交なのである。黙って耐えていればその内に気付いてくれると考えるのは平和ボケでお人好しな日本人の勘違い。日本以外では通用しないのである。この点を理解しなければ、国の自衛や防衛もできない。


一方では日本の霊性に気付き、感化される人々がいる。彼らは現在は無関係に見える場所や家に生まれているけれど、超古代の霊性を受け継いでいる家族の末裔。だから本国では「変人」などと差別を受けている人も多い。ちなみに、最近まで日本のアニメや文学に興味を示す人たち(芸術系)も同様の扱いをされて来ていた。米国の属国であり、西洋化しようと必死で猿真似をしている国の文化などに価値はない、奴らが英語を話したがるのだから、我々は日本語など勉強する必要もない、外人コンプレックスがあるから我々は優遇してもらえる・・・という態度の人が大多数だったのである。

こういう状況の中で親日家は非常に肩身が狭い思いをしていた。当時の日本で威勢が良かった国際政治学関係者やバイリンガルと呼ばれる西洋化アイドルたちの、言動は全く現実を見ておらず、違和感はとても大きかった。これを指摘した人がごく一部いらっしゃったけれど、マスコミはすぐに消しにかかった。その結果はどうだ?自国の文化や魂に誇りを失い、歴史も知らず、学ばず、愛国心も死語となりつつある。これをごまかすためにいわゆる3S三毒(スポーツ、セックス、芸能)に興じている。ストレスや問題から酒や麻薬で逃げ続けている中毒患者と同じなのだ。これは植民地化されてしまった他の国々もたどった末路。その結果、自国の言語や文化を失って西洋化してしまった。

 

この様な歴史の流れで最初に侵略植民地化に抵抗し、かろうじて生き残った文明が日本なのである。この意味と存在意義の重要性に気付くべき。現状は完全独立ではなく、裏で支配されている二重構造となっている。少なくとも政財界、物質的には属国。ただし、精神性、霊性は今でも受け継がれている。この様な抽象的な理屈をあれこれ言ったところで、西洋化(白痴化)洗脳された日本人には伝わりにくいけれど、それでも感じることができる日本特有の現象が「性善説社会」の断片なのである。これこそが超古代の平和な世界を結び付けていた「世界調和のカギ」なのだ。

これに世界も気付き始めている。そのヒントや救いを求めて来る異邦人たちは助けるべき。しかし、ここには霊性を守り、尊重する「郷に入っては郷に従え」が大前提である。郷に従うのは日本の性善説の根本にある精神文化(霊性)を理解することなので、それを無視した現在の難民や労働者などの移民人権運動は危険。お人好しの綺麗ごと理論だけで考えると、先述した歴史通りの亡国となる。現状の国際社会において、日本の性善説理論は国内だけで成り立つ精神理論であり、対外的には侵略のリスクを増やしてしまう。

 

特に問題なのは国内の事件も国際ルールに基づいて判断しようとしていること。これは単なる海外コンプレックスである。何事も国際法が日本の伝統思想より優れているから従うべきだと言う悪習慣が根付いてしまっていること。ドイツはこうしている、イギリスはこうだ、アメリカはどうだ・・・などと何でも他国と比べて論じる。だから何だ?世界唯一の性善説社会は日本なのである。あちらがむしろ学ぶべき点も多いはず。それをいまだに欧米コンプレックス的思考をするところが情けない。お互いに合意したものを除いて、国際法より国内法が優先である。

 

参考にするには良いけれど、あくまでも基本は自国の文化と精神性である。その基礎は科学的分析。それをコンプレックス由来で偏向してしまう有識者や学者は研究者失格!国内における外国人の処遇は国内の伝統と霊性で判断するべきであり、国際法は我々があちらの「郷に入った」場合に従えば良いのである。それに従わない人間を入れてはならない。入りたいなら従えば良いのだ。この点を政府と司法界は明らかにしておくべき。

 

それを忘れて、西洋に盲従したことは明治改悪以降の日本の精神性と道徳観念の退廃ぶりをみればわかる。また、それらの概念を作った国々の歴史背景を考えるべき。世界を侵略して来た人間たちではないか?連中が今の世界経済システムを作った。その基礎が「国際化」という大義名分に隠された自分たちに都合が良い概念の押し付けなのである。あからさまな武力による植民地化や侵略がやり難くなった連中が考えたソフトな侵略戦術こそ情報なのだ。情報を使って国際世論を誘導する。「国際」というキーワードを持ち出して侵略対象国の抵抗を抑え、自分たちが介入するチャンスを作るのである。

昔、毒蛇を駆除するためにマングースを大量に導入したことがあったけれど、実際にはリスクの大きな毒蛇よりも簡単に捕獲することができる他の希少生物を捕食して大繁殖し、外来害獣と化してしまっている。

 

これと同様の危険性は、間違いなく労働力不足で招へいした外国人労働者たちにある。なぜなら、彼らの来日目的は日本の霊性を学ぶことではなくお金だから。自分たちの物欲のためであれば霊性などはどうでも良いのである。そういう発想で来日する人種であるから、むしろ霊性と真逆の性質を持つ集団だと言ってよい。霊性が伴わないのに身体能力だけが高い連中が増えると言うことは、獣みたいな人間が増殖するのと同じ意味となる。

 

一方の呼ぶ側も連中の教養や性格はどうでも良く、安く働いてくれさえすればいい。これは単純な差別ではなく、現実なのである。現時点で害獣となる危険性が高い存在であることを気付かない政財界や有識者たちは国を危険にさらす。

何を隠そう、私はその間(国家プロジェクト、民間ビジネスなど)にいた人間である。政財界は当時の研修生招聘制度を利用して格安な人件費で労働に利用しようとしていた。彼らの頭の中は経済効率のみ。社会や国のことなど考えていた人は直接の利害関係のない役人や支援団体関係者の中のごく一部だけだった。そのごく一部の人たちにしても、将来を見通した人がいなかったから、人の善さにつけ込まれることが多かった。この時期に日本の貴重な農作物の種子や工業などの知的財産が流出することにもなった。あろうことか、連中は便宜を図ってくれた人物の要請に応じて、日本国籍取得や結婚の援助までしていたのである。そうして増殖してしまったのが、最近話題になっている郷に入っても郷に従わず暴動を起こすような害獣外国人なのである。

 

もちろん全員がそうではないので、そこを区別することが必要。極少数であるけれど、日本の霊性に感化された異邦人は家族となれる可能性も持っている。皮肉を言えば、あるスポーツ業界は興行を盛り上げるために異邦人の導入を始めたけれど、霊性を持たない人にまで最高権威の地位と国籍まで与えた。その結果は見れば明らか。これはビジネス優先に考える政財界と全く同じ発想なのだ。一部の善い外国人だけを強調して全てを差別撤廃に結びつけることには無理があり、世論操作である。

私の趣味である海外由来のダンスの世界にも多いけれど、素行を見ればその差は明らか。ストレス発散と異性目的のために出稼ぎ労働者が都会のダンスクラブに集まって来ていた。そして類は友を呼ぶので同じ波長をもつ人種が集う傾向が強い。本当にダンスを真剣に踊る人間はごく一部のみ。そこで日常茶飯事だったのがセクハラや窃盗。私は目についた場合にすぐに抗議&教育していたけれど、驚くのはそれらのいざこざを「あいつは何を真面目に正義ぶっているのだ」と白い目で見る人がいること。多くは「〇〇〇人だから仕方ないよね~」という答えだった。こういう答えをするところが典型的な平和ボケ過保護の発想。修正、教育、浄化、平和、調和などの観点が皆無。だから、連中は日本人の(特に女性)外国人コンプレックスに気付いてつけ込んで来るようになる。その結果、ますます類友が集まり気持ちの悪い世界が出来上がってしまう。プロのダンサーが運営するスタジオやイベントにはそれなりの常識があるけれど、営利目的のクラブや公共施設のものは敷居も低く猥雑な人種が集まる。それで、私はそういう踊り場には一切行かなくなった。○○人街、○○村などはその拡大版なのである。確かに善い人間もいるけれど、圧倒的少数だと思う。

 

歴史の古い特殊な人種の共同体は、まだ日本の霊性が強かった時代の淘汰と影響を受けて融合して来たところが多い。ところが現代は霊性と衆人環視能力が弱体化しているので、状況は違う。だから「郷に入っても郷に従わない」人たちが増殖しているのである。これが現実!これを見ずに綺麗ごとを言ういわゆる人権団体や有識者たちは単なる無知としか言いようがない。これを「差別」だと言うのであれば、差別される原因を無くせば良いのだ。本当に善い人が多数いるのであれば、それらの人が指導して素行を改善するべき。それができていれば日本国内で暴動など起こるはずがない。実際には善い人が少なすぎるか、統率指導する実力がないからそうなっているのではないか?机上の理論や綺麗ごとよりも、結果こそが我々が実際に直面している現実である。

 

自分のパートナーがそれらの国々の人間であるために擁護したり、ダンス仲間が「善い人なんだよ」と言う場合、ほとんどが主観的なイメージであり、当てにならない。それは類友の感性による発言であることがほとんどだから。もちろん極少数いることもあるけれど、針小棒大に拡大解釈することは非現実的で危険なだけ。逆に差別される原因があるのに、それを放置したままで権利だけを与えるのは余りにも危険な発想。まったく観察と分析力が欠如している。「郷に入ったら郷に従え」が大原則だと思う。差別されたくなければ、差別されないようにするべきである。できない人が歓迎されるはずがない。

それと、霊性は伝統とセット。生まれた時に持った霊性はきちんと伝承しなければ、生育環境と教育によって変質してしまう。だから、超古代の伝承では家族だとされて来た民族(侵略されてしまった先住民)であっても、その後の教育環境により、別の性質を持ってしまう。世界各地の先住民族の西洋化がそうである。これは日本国内でも同様。伝統を学ばず、教育も受けなかった人間たちは霊性の異なる在日生物と化す。いわゆる半グレやチンピラなどの犯罪者予備軍である。霊性の違いは言動や素行に現れる。汚い言葉遣い、暴力(格闘技)マニア、ゴミを平気で捨てる、利己的な発想が中心となり気遣いができない、繊細な感性がない・・・などの特徴がある。どれも昔なら幼少期から基本的な教育として教わって来た内容である。それすらわからない人種が増えていることは非常に大きな問題なのだ。

 

これまでの日本の性善説衆人環視システムはこれを見抜くことができていた。侵略者にはとても手強い障害となっているため国際世論を操作して圧力をかけようとしている。

確かに国際的に人種差別は存在する。特に白人社会には多いし、無教養な日本人のアジア系民族蔑視も存在する。しかし、それらは全て根拠のある歴史でもある。その過程での体験から統計的に生まれた判断基準なのである。過半数がマイナスなら印象は悪くなるのが当たり前。その反対なら良い印象となる。今の議論は過半数がマイナスであるにもかかわらず、一方的にプラスに考えろと命令しているようなものである。あまりに都合が良すぎる。この手の綺麗事を言うのは比較的高学歴な知識人に多い。平和な家庭で育ち成績も優秀で真面目。その反面、穢れや邪悪な要素を体験していない。だから平和ボケするのである。この偏った知識の由来を考えると、それを教える先生たちも同じ人種だからである。○○基金、○○機構などの国際機関で少し働いたことがある程度の人間が、コネで大学の教授に成れてしまうのだ。また、戦後は真実を教える教師たちが侵略者と結託した人間たちにより教壇から排除されてしまった影響もある。だから、日本の教育界は侵略者たちに都合が良い情報のみを教える洗脳集団と化してしまったのである。

 

警察官が職務質問をする際に長年の経験から対象を選ぶことは大切な能力。経験と言う統計確率に基づいた感性である。それまでを人種差別と一緒に論じることは偏った主張だと思うし、人間の能力を馬鹿にしている。判断する際に差別や区別は重要な要素なのである。その原因を取り除かない(除けない)ままで、自分たちの権利ばかりを主張するのは余りにも自分勝手である。そのような主張をする人たちは物を買う時に製造元や製造年月日などを見て選別しないのか?商品は製造元の技術レベルと品質が反映されている。私は見た目は綺麗でもすぐに壊れたり異常な粗悪品は買わない。これと同様に、人間も生まれ育った国の教養や思想により考え方や人格、行動パターンが形成される。

日本の霊性による違和感の警告と一緒にしてはならない。侵略者はこれを混同させて警告を解除させ、侵入しようとしているのである。マスコミの一方的な報道に攪乱されてはならない。この感性を失えば、税関審査、公安関連などのリスク管理は壊滅する。一方で差別(選別判断)している側は誤解や冤罪を起こさないことが大前提であり、万が一の場合には誠実に対応するべき。誤認が増えれば、逆にあなた達が「信用できない」「職権乱用だ」と差別されることになるのだ。私はこの逆差別も自然な道理であり、腐敗した体制の浄化作用の一つでもあると思う。差別は生存に必要な観察、分析でもある。間違った差別も差別することで駆逐できる。

 

別の機会に述べるけれど、親子関係、お家制度、血統制度、年功序列、国境、法律、常識、最近流行りのグローバリズムなどは人間が作った概念である。だから支配しようとする「悪」はこれらの概念を利用して人間を縛るわけだ。一般的な時代劇では正義とされる「大義」「公儀」などもこの類であることに注意。本来の霊的な摂理規範が人間ごときの作った一時的な規則に束縛されてはならない。

 

人間が本当の知恵に目覚めると、連中の呪縛から解き放たれることになるので、彼らはそれを恐れている。

現在で危険な国際世論誘導の一つにグローバリズムがあると思う。この流れの一つが環境保護や人権を大義名分とする動き。発想のトリックだと思う。元々地球は三次元の球体である。東西南北により気候や地質的な相違もある。だから、各地の生活習慣も違うし、そこから生まれた文化や思想も異なる。それらの相違を理解し合って認め合い、共存共栄の道を探るのが本来の地球を考えることだと思う。

 

ところが現状では自分たちが最上の知性であると思い上がっているいわゆる先進国が「俺たちの価値観が一番正しいからみんな合わせろ!」と言っているのと同じである。SDGsなどは貧しい国々では当たり前の考え方であったけれど、それを連中は貧乏人の発想だとして馬鹿にし、大量消費文明を強制したくせに、今さら手のひらを返しているわけだ。CO2排出問題も自分たちには制御する工業技術力があるから偉そうに主張するけれど、発展途上国にはまだない。

(長周新聞)

 

また、肉食のために広大な森林を伐採して牧場に変えているけれど、二酸化炭素を吸収する緑地の減少はCO2排出増加と同じ意味である。逆に緑地を増やす&維持することが二酸化炭素量の削減につながることを隠しているのだ。本来はそれらの自然破壊や開発に対してもペナルティーを課すべき。車の排ガスや工場のCO2ばかりを取り上げずに、先進国や開発業界の一方的な主張を論破するべき。これを国際的な場で指摘する人はまだいないようである。

 

なお、最近では問題の元となっている地球温暖化の原因が二酸化炭素だけではなさそうなこともわかって来ているのである。

 

グローバリズムの風潮の中で危険度が高いものは衣食住に近い分野。つまり人間が生存するための依存度が高い内容である。これはその国と国民の生命線。逆に言うと侵略者には一番最初に支配しておきたい分野。その国の自給自足、独立能力を奪って抵抗できないようにする。具体的にはインフラ設備を掌握して飲料水、電力の供給をコントロールする。食物の自作自給をできなくさせて、海外食糧への依存度を高めるなどの策略が用いられる。これらの分野は一番お金になるので、利益追求を考える財界と密接な関係を作っている。政治屋は彼らの使いっ走り的存在である。連中の「絆」はお金なので、選挙にはお金がかかるような仕組みが都合よいのだ。

 

具体的な介入の方法にはインフラ業界や農業などの第一次産業への海外企業が参入できるように対象国の法律と世論を誘導する。この際に利用されるのが環境と言うキーワード。水源地や耕作地などの不動産を外国籍の人間や法人に譲渡させる。これとセットで難民や人権と言うキーワードで無差別に移民を受け入れさせて外国人コミュニティーを徐々に増やす・・・などの行為がある。要するに自分たちが介入しやすい国際的な法整備の押し売りだと言える。

(テンミニッツTV)

 

これらは国際的な利権とつながっているので、正当化するための大義名分が「環境保護」「グローバリズム」「国際化」「国際競争力」なのである。それと結びつけた様々な国際的トリックが存在する。連中は国際世論を操作するために、国連やWHOなどの国際組織を利用する。公平な機関であれば意味があるけれど、運営資金や不公平なメンバーによる干渉があるので、現状では信用できない。例えば、第二次世界大戦後の戦勝国に有利に組織されている国連の敵国条項。現状の貢献度や戦後の変化が反映されていないままに、これらの条項は有効となっているため、日本はずっとトップクラスの資金提供を求められながら、常任理事国にもなれないのだ。また、最近では癒着の強い中国に対するWHOの情けない対応が無能さを示している。コロナ流行の際に敏速な対応をせず、調査もできなかった。だいぶ時間が経ってからようやく調査団が入国したけれど、調査には制限があり、必要な物証は全て隠蔽&抹消されていたのである。

 

 

 

海外に資産や事業を持つ政治家を利用して本国に圧力をかけさせるのも、一つの方法であるけれど、日本の閣僚にも多数存在する。これに一番協力的なのが愛国心などの精神の欠如した政財界人である。明治改悪以来、海外取引の歴史の長い老舗企業を所有する政治家に多い。日本の生命線であるインフラに海外資本を呼び込もうとしたり、無作為な対外優遇措置を言い出す連中も同じこと。つまり、自分の利益のために平気で売国できる人たちなのである。連中はこれらの仲介役を通じて虎視眈々と日本侵略を実行している。我が国を害するような法案を持ち出し、それを可決するような政治屋や政党は売国集団だと言ってよい。それらの連中は整理&掃除して日本を浄化するべきである。

 

 

これを阻むものが先に述べた「世界の浄化システム」「悪に対する抑止力」。我が国においては性善説社会の基礎にある精神と道徳観念である。連中はこれが最大最強の障害であることを知っているので、不利な情報や知識を与えず、民衆を白痴化、無知化しようとするのである。

 

はっきり言って、明治改悪後の日本はこれらの勢力により侵食されて来たのである。事実上、国の基幹産業は当時からの縁故関係で独占されている。いわゆる大企業に多い。疑う人は世界中の歴史を調べたら良い。革命や紛争などの非常事態で国家が解体した時に、金の亡者たちはこぞってインフラ関連産業や利権を奪い合うのだ。日本における第三国人による利権のほとんどはこの時期に誕生している。侵略者にとっては日本の強固な精神社会を内部分裂させるために都合が良いので黙認し続けて来たのである。これは最近の難民や移民、多国籍企業による「郷に入っても郷に従わず、自分たちの主義主張を押し通す」態度を既成事実化する策略の先駆けなのである。

聖アンブロシウスが聖アウグスティヌスに与えた言葉(4世紀)
チェスターフィールド郷が息子にあてた手紙 1747年

 

既成事実化は時間と共に解決が困難となる。念のために言えば、いわゆる第三国人の子孫に責任や罪は無い。複雑な環境と状況の元に生まれた非常につらい立場であるとも言える。間違いなく無知で感情的な人間の非難や迫害を受けている。しかし、同時に日本の良さ、特に性善説社会の根底に流れている精神文化(霊性)も感じ取っているはず。法的、感情的な差別などは一時的&表面的なものなので、その奥に有る精神性(霊性)に意味がある。近代の歴史に関しても本国で教えているような一方的な侵略行為ではなく、インフラ整備から教育までを考えた政策であったことも知られるようになって来ている。だから当時の革命家たちは日本を頼ってアジア各地から集まって来たのである。ところが、当時の腐敗した本国人たちにはこれが伝わらず、裏切り、暴走するような行為が続出したため、日本のアジア主義者たちからは「仁義や道徳も通用しない連中とは縁を切るべき」となったのである。実際に日本留学をした知識人がその体験を持ち帰って普及しようとすれば、全て抹殺(処刑)されてしまっていたのである。

これと同様のジレンマは現在も存在すると思うし、私も数多く体験している。しかし、私はここで綺麗ごとや確証のない推論をするつもりはない。反日や親日はどちらでも良い。自分たちで見聞きして体験したことが真実なのだ。それに基づいて客観的であるべきだと思う。一方でもしも自分が受けて来た教育が間違いであることに気付いたらそれを修正し、本国にもその学習成果を反映させるべきだろう。これは日本についても同様のことが言える。摩擦や誤解の後に相互理解は生まれる。

 

さらに言えば、日本に受け継がれている霊性は日本だけのものではない。世界に通用する概念だという確信がある。それを感じることができた者たちは自分の出自に束縛されず、超国家の家族に成れると信じている。これに基づいて考えれば、霊的家族は一緒に世界の浄化、清掃をすることが可能となるのだ。たまたまこの特殊な霊的社会が日本と言う概念(国家)の中に存在しているために、国体(霊が宿っている容器)の話になる。その容器が壊れないように、日本を守り浄化する話になるけれど、それは現在の一時的な過程に過ぎない。この霊性が本当に世界と宇宙のために役立つものであれば、国家や民族は超越する。

 

国民や世界中の人たち全てが浄化の必要性を感じて実践を始めると、大きな抑止効果が生まれ、人間は安易に悪事を働かなくなる。これは法律を明文化するよりも効果がある。ただし、その前提は人民に知恵があること。知恵を持たなければ、判断はできず、操られるだけとなる。無知はデマや誤解を招き、冤罪や差別を生む。

 

無知は誰のせいでもなく自分が学習しないせいである。学ばずに政府や行政、医師に責任を丸投げするのは甘え。彼らが詐欺集団だったらどうするのだ?グルメや旅行に行く時間はあるのに、どうして学習しない?自国(国民や家族友人子孫)を守る為には正しい歴史の情報が必要。今と将来を考えるためには、歴史を踏まえた思考が必要。ここで言う「歴史」とは年号や有名人の羅列してあるだけのくだらない記録ではなく、過去のあらゆる情報のこと。自分で学ばず、人任せにしていれば、自業自得の結果が待つのみ。本物の知恵が普及して、見聞きする能力が向上すると、誤解やデマなどの負情報も自然に淘汰される。これに基づいて社会悪清掃プログラムが機能するようになると、デマや誤解などの負情報&知識も自然淘汰されるはず。

(地元の神社にある諏訪大社御柱)

 

ところが、実際には生活や仕事に追われて学習する時間が無いこともある。途上国や不遇な環境では教育も受けられないことがある。また、学習が苦手な場合もあるし、向き不向きもある。だから共同社会では得意な人に委任する分業制度が現実的である。自分は体力には自信があるから労働を担当するけれど、科学的な理論には疎いから、目的を達成するための具体的な指示を出してもらえればそれに従って目標を達成する。その反対に、私は頭脳は問題ないのだけれど、運動神経が悪く、体力も無いから、社会が上手くいくための方法を考えましょう、というような役割分担である。この役割分担の意義と責任を自覚すると「搾取(弱みにつけ込んで強奪する)」の発想はなくなるので、インテリと労働者の間でいがみ合うことの無意味さにも気づくはず。右だ左だと思想の誇示や非難し合うことも似たようなもの。同じ目的のための議論であれば中道を探すために上下左右を行ったり来たりするのは当たり前。それらをうまくまとめて共同体の運営を考えるのが政治家や首長の役目だと思う。目標が一致すると全ての知力体力を集中することが可能となり、強固な共同体となることが出来るはず。それが近代以前の日本であったと思う。その基本であり大前提がお互いの信頼関係であり、指針となる神霊による公明正大な規律(道徳みたいなもの)だったと思う。これに基づいて日本の性善説社会は成り立っていたのだ。

(桜の咲き始めた田園)

 

逆説を言えば、信頼関係と道徳観念(儒教的な狭義の道徳とは違う)を失うと、性善説社会は崩壊する。道徳の欠如した人間や組織、会社が増えて、社会悪が蔓延する。共同体をまとめる人格や能力はないけれど、利権関係で選抜された操り人形のような人間が首長となり、共同体は一部の利得者によって支配されることになる。

 

まるで現在の日本の状況そのものではないか?

 

これらの問題点を指摘している方々も極少数いらっしゃっるけれど、ある意味自分のキャリアや立場を危険にさらす可能性も大きいから、現状の教育界やマスコミには期待できない。これまでも、数々の誠実な知識人たちが消されて来た。その意味では、とても貴重な存在であるから、我々も守る必要がある。これまで真実を述べたために迫害されたり、差別された人たちを再評価&支持応援するべき。当然、SNS業界も自分たちの責任と在り方を再考するべきである。真実を隠蔽した罪を認め、命がけで言論を行った勇士たちを評価するべきだろう。この意味では現在の国際的プラットフォームで信用できるものは皆無。関係者にはまだ自分たちの存在意義や責任の重大さがわかっていない。本当に世界平和を考えるのであれば、国際的に完全中立独立したプラットフォームを作るべきである。これが確立されれば、日本の浄化と世界の浄化、宇宙の浄化は全てリンクすることが可能となる。

(忘れられている大東亜戦争の戦没者墓地も桜が咲き始めた)

 

ここまで実験的に書いてみたけれど、やはり書くのはかなり時間と頭を使う。そして言いたいことがたくさん出て来る。その直後に言い直したいことが出て来るからキリがない。ブログ再開のために一時的に書いておいたプロフィールも内容は不十分で不完全なので全部消したいくらいなのだ。

 

だったら最初から何も言わなければ良いのに、なぜ言うか?なぜ書くか?よっぽどの暇人か?バカか?

 

時間があれば趣味のダンスを踊りたいし、バイクや車で出かけたいのに、なぜか書いている。名誉欲は無いし、ビジネスにもつながらない、つなげるつもりもない。損得勘定とは無縁(どちらかと言えば損)。それは多分自分を超越した意志というか命令みたいなもののせいだとしか言えない。それとセットになっているのが私の特殊な力なのである。プロフィール欄でも少し述べたけれど、人間世界に対する危機感がとても強く、強制的にこのような言動をさせられているように感じる。その理由は未だ不明。気持ちが悪いので、自分自身を疑い続けているのが現実。その際の担保となっている確実な理由が「力」なのである。これだけは、いかなる状況下でも確実に存在している。私の心身がヘロヘロで死にそうな状況で、ヤル気が全くない時にも発現する。実際に何度となく意図的に逆境に追い込んで試して来ているし、今も継続中。しかしながら、未だにその仕組みや因果関係がわからない。

 

これは誰かの危機に際して無意識に発動する。正確には私の意志とは関係なく、神霊のような存在がそうさせるという感じがしっくり来る。対象は人間だけではなく、動植物にも起きる。道を歩いていても突然にSOS信号を受信してしまうのである。花粉症や身体の麻痺などから癌みたいなしつこいものまで色々あるけれど、当人はまぐれか偶然だと思うのである。実際には非常に科学的、論理的で緻密な心身間の交信があるのだけれど、それは外からはわからない。施術する際には最低でも三人の人格が登場し、私はその間に立って同時通訳のような作業をしなければならないので、かなり内部は忙しい。時々自分の脳内はどうなっているのだと不思議に思うこともある。国内外で実践して来たけれど、余りに簡単にその場で解決できるため、当人には感謝の気持ちすら起こらない(笑)。

 

もちろん、こちらも感謝は求めていない。感謝は自発的に生まれる感情であり、言われたからするものではない。しかし、力の使用は無分別で、余計なお世話にもなりかねない諸刃の剣的リスクを含んでいるために、非常に厄介であった。無分別と言ったけれど、それは私と言う人間に感じる能力がないだけで、実際にはおそらく何らかの取捨選択があることは間違いない。それに気付いてからは、できるだけ自分を無の状態にすることに徹している。私の性格や感情は邪魔であり、力に悪影響を及ぼすからである。勝手な思い込みや精神異常の可能性を危惧しているので、客観性と具体性は命綱。

自分の命綱を確保するための最低知識が科学。よく、スピリチュアル系の霊的現象は「非科学的」と言うけれど、それは間違い。私の経験でも完全に科学だと感じる。ただ、まだ知られていない理論や概念であるだけのこと。その意味では「未知科学」と言うべき。だから、科学を追求すれば道を大きく踏み外すことはない。そして、霊的世界との唯一の交流手段、共通言語が科学だと思っている。

 

その為、これまでの過程では、その力の源らしい存在と何度も科学的な交信(喧嘩)をして来た。スピリチュアルな世界では「使命」とか「宿命」などと言うと格好いいように感じるかもしれないけれど、そんなものは勝手に降りかかって来たお荷物、押し売りみたいなものである。

ほとんどの歴史上の哲学や思想ではそれをプラスに解釈するべきだと教えるけれど、私はそれにも大反発をして来た。宗教や哲学も巷にあふれる○○の法則とかコーチングなどと同様に人間が勝手に作ったプラス概念(幸福や利益)をもたらすための無理やりな心理的誘導にも思える。要するに言語が通じない他の生き物たち(有機物)には通じないのだ。

 

賢人や偉人たちは丸く円満に収めようとしているだけで、私のように尖りまくった性格の天邪鬼には通用しないと考えていた。一般的には「人間は成熟すると角がだんだんと取れて丸くなるものだ」というような表現で教えることが多いだろうけれど、それに対して私は「俺は逆に尖りまくって角をいっぱい立てれば、結局はウニみたいに丸くなるので、結果は同じだ」と言い返していたものである。納得できない物事に対して、こちらが退くと言うことをできない質らしいのである。

その後に思いついたのが、伝説のケサランパサラン。昔は幸せを運ぶ不思議な妖精だと言われていたけれど、大方は動物の毛玉や植物由来であることがわかっている。それはともかくとして、やはりウニ同様に細長い毛が集まって球体となっている。ウニとの違いは水中には存在せず、軽くてフワフワ浮遊すること。また、柔らかいので、自衛や防衛のために相手を傷つける心配もない。食事をする必要もないらしい。

 

私は丸くなるなら、ケサランパサランみたいになりたいものだと思う。