啓蟄 | 雲水・ISAのブログ

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日本は神の国
仁術師

啓蟄。冬眠していた虫たちが目を覚ます頃。直訳すると「冬ごもりをしていた虫たちが扉を開ける」。啓は扉を開く、蟄は冬眠すること。
 
自分もそろそろ地上に出るつもり。春の風物詩画像はたくさんあるけれど、時間が無いので後日投稿予定。
陽射しも強くなり、フキノトウや梅が咲き始める。
梅園の小川には梅の花イカダが浮いていた。
お世話になっているスタジオにアンティークのひな壇があった。
偽暦(西洋暦)ではすでに雛祭りを過ぎているけれど、旧暦では4月11日。だから別名「桃の節句」とも呼ばれるわけだ。桃が咲いてもいないのに違和感も覚えずに従う現代日本人と指導している政治家&文化人はおかしい。やはり季節感のずれを感じる。
 
日本の伝統文化、寺社関係者、農林水産関係者はこの違和感を政府や社会にもっとアピールするべき。季語を使う俳句や短歌、和歌、川柳、落語などの指導者たちも生徒たちにこの不自然さを教えるべき。四季は日本の生活の根底にある時間の流れと感性なので、それが不自然であれば現世と人間自身の心身にも悪影響が出ることは当然。
受験シーズンでもあり、卒業も間近。ちなみに、卒業の時期(3月)も政治家とお役所が便宜的に決めたもの。欧米の習慣(9月)や会計年度(7月だった)、徴兵などを考慮した結果。元々季節とは無縁の概念なので偽暦ほどの違和感はないけれど、これも固定概念の一種だと思う。それが風物詩となっている。
 
学生たちが行き交う駅に心温まる掲示があるらしい。
これらはバイク乗りの大先輩である女性ライダーの元に寄せられた投稿画像。有名人でもない、地方の駅員さんたちが駅構内に貼り出したもの。これ以外にも、各地で同様の心温まる現象が起きているらしい。政府や会社から命令されたものではなく、有志が自主的に行ったもの。そういうのが本当の心だと思う。
 
自分たちの保身や隠蔽ばかりに走る政治家たちに見せてやりたいものだ。
近代に痛めつけられて弱りつつある日本人の魂だけれど、その片鱗がまだ残っていることはとても嬉しい。
 
特に戦後世代は洗脳教育により腑抜けとなっている。侵略者が国民を欧米化させるための偏向教育の結果、自国の文化や歴史も知らない。情けないことに戦後80年近くなるのに、途中で修正しようとする気運が民衆側になかったこと。一部の本物の知識人が問題提起をしたけれど、みんな途中で潰されて来た。
 
最近はその事実が明らかになりつつあるけれど、当事者たち(戦争世代)は「もう年だから」「自分には無理だから」と消極的なまま負の遺産を後世に残したまま逃げようとしている。そのくせ、年金だけはもらおうとするのだから、明らかに老害である。その年金制度を悪用している連中(発案者は役人たちに美味しいシステムだと言っていた)は国賊と言っていいと思う。我々の納付した金銭を盗むのと同様の行為。
政治家や企業の不正背徳が問題視されている中、国民の中に伝統的美徳が残っている様子を見ると、まだまだ日本も捨てたものではないと思える。これに気付くべき。この精神が残っているうちに悪を駆逐し、魂の健康を取り戻すのだ。
 
卒業や入学の話題のついでに言えば、私は昔から「飛び級」を公認するべきだと思っているので、入学や卒業と言う時間的な区切りは単なる束縛とみなしている。思い出となる行事であることも確かだけれど、思い出を作る機会は他にもあるはず。既成概念に縛られる必要もない。個人の才能や感性は人それぞれ。それを強引に同じ物差しで考えること自体がとても不自然。授業などは社会生活で必要な常識や知識だけで良い。それ以上はそれぞれが自分の関心のあることに集中すれば良いのだ。頭を使うタイプ、身体を使いタイプなどの違いがあるわけだから、それを関心のないことまで無理強いすることは時間の無駄。現実世界においては半端な知識人よりもオタクの方がよっぽど有益。
アホな日本の教育制度や、それに気付かず改善しないままで子供たちに無意味なノイズ情報ばかり教える教師などを相手にせず、優秀な生徒は学校制度を超越してどんどん成長発展して欲しいと願う。現状の教育システムでは無能な若者を増やしてしまうだけ。この発端は植民地化を図る侵略者による洗脳教育(愛国心を無くして無抵抗な奴隷にする)であることはすでに知られているわけだから、それに合わせる必要は全くない。それが明らかになりながら、なおも改善できない(しない)教育関係者たちはその共犯だと言える。
植民地化する際に邪魔になるのが主に愛国心と言語。愛国心は自分のルーツである歴史とセット。言語は精神的概念である言霊。だから奴隷化する際の洗脳ではこれらを徹底的に破壊することが目標とされる。世界の歴史を見れば明らか。有色人種がなぜか白人種の言語を使っている。彼らの文明を伝える貴重な歴史文書や遺産は消されて来た。だから彼らは自国の文明や歴史に関する知識を失い、欧米化するのだ。この現象は戦後の日本にも起きている。
 
この流れに最後に抵抗したのが日本である。だから近代にはあからさまな植民地政策は行われなくなっているけれど、これはアジアにおいて日本が抵抗したお陰。それを契機にしてアジア諸国が独立を勝ち取ったのである。当時のアジア各地における独立運動と革命家を支援していたのが日本のアジア主義者たち。みんな自国では抹殺されてしまうために日本に逃げて来ていた。生存できたからこそ後世の独立革命につながったのである。

最近は仲の悪い隣国たちも同様。あの時期の抵抗がなければアジア全土は今頃白人種の言語を話しているに違いない。彼らが反日感情を抱くのはこれらの歴史的経緯を教わらず(隠蔽)、同じく侵略者(権力者)たちの洗脳教育を幼少期から受けているから。賢明な同国の国際人たちも気付いていたけれど、これらの言論活動はアジアの団結を望まない裏にいる侵略者連合によって封殺されて来た。連中にとってはアジア諸国が仲良くなってしまうと困るのだ。

近代の連合国側はこれらの事実関係を知られると、自分たちの非人道的行為が明らかになるために、何が何でも日本をアジアにおける一方的な悪者とする必要があるのだ。日本も綺麗ごとを言っていたけれど、実は我々と同じ植民地化が目的だったであると言いたいのだ。ところが、一方的に現地文明を破壊して奴隷化してきた欧米と互恵思想に基づいた教育やインフラまでを考えて共同体を作ろうとしていた日本では明らかに内容が異なる。

 

紛争に際してはアジアの団結を恐れるスパイたちの裏工作による小競り合い的紛争、軍部の独断と暴走、低俗な兵隊による愚行もあったことは否定できない。生存のための資源確保が必要だった(地政学では妥当)ことも明らか。それらを全て否定して正当化することは見苦しい言い訳にしかならないし、偏った認識では将来の教訓には成らないと思う。これに対し、侵略者側はそれらを日本の植民地化政策だと誇張することにより、欧米主導の植民地化競争や非人道的行為(奴隷、核兵器)などの重要な問題点から注意をそらさせ、正義の無い一方的な侵略であるかのように国際世論を誘導して来た。その誘導の方法は客観的な証拠もないままに(偽証)○○万人規模の大虐殺などと非人道的なイメージを誇張し、マスコミを利用して発信させる。

 

一方では日本の右派にも、日本の欠点や過ちを認めずに偏った国粋主義的な言論を流す存在がある。チンピラもどきの街宣活動などは戦時中に嫌われた低俗軍人や公安関係者の恐怖をよみがえらせるだけで、一般人はプラスのイメージは持たないはず。初めて見る子供たちにも反社会勢力との区別ができないから、得にはならない。これに対して左派もカウンターのようにそれを偽証だ、勝手な思い込みだと主張するサイトを作る。巧妙なものは「日本の近現代史を考える・・・」などと、あたかも日本人自身が書いたかのように見せかけている。現地においてもロビー活動を行い、都合が良い証言や資料を集め、教科書の内容にまで干渉するようになって来ている。まさに現代の武器を使わない情報戦である。


国内でも互いにネトウヨだサヨクだと罵り合っているけれど、どちらも信頼できる証拠に基づいて議論すればよいと思う。後出しジャンケンのように都合が良いこじつけの言論は痴話げんかに等しい。しかし、考えようによってはこの様な情報戦によって未知の資料や考え方が登場することは学習の機会だとも言える。連中にはどんどん判断材料を提供していただき、我々はそれらを冷静に分析して判断すればよいのだ。その為には我々自身も当然それなりの学習と知見が必要。これによって我々日本人の教養と民度も上がるはずだから、一石二鳥だと思う。言ってみれば、これまではそのような議論もすることすら許されない状態だったのである。戦後のプレスコードに始まり、マスメディア内の暗黙の対米忖度がそうさせていた。知識と民度の向上は邪悪なものを駆逐する。逆説的に、現状は無知で民度が低いから政治も社会も腐敗しているわけだ。嘘ばかり言う信頼できない政治屋や有識者、マスコミは民度を上げてどんどん駆逐するべき。
我々は左か右のどちらかに必ず属さなければならないということはない。ちなみに私は自分が直接見聞きし体験したこと以外は何事も完全には信じない。しかし、どちらかと言うと現状では右側に分がある様に感じる。これまではいわゆる左派による誘導と洗脳がひど過ぎたので、それを修正してバランスをとるための段階に来ているのだと思う。そう思う理由は、なぜなら私は当時の双方の関係者や生き証人と実際に会っているので、その時代の匂いを知っているからである。本当に西洋の植民地化に立ち向かったアジア主義者たちは紛れもなく存在してる。残念ながら現実の歴史では実現できなかったけれど、一貫して彼らの思想と言動には筋が通っており、ごまかしや嘘偽りを嫌悪する誇りと自信を感じたものだ。一方では圧力や恐怖に屈して逃げた、偽証した人たちも見て来た。そのどちらでもなく又聞きしただけの内容を自分の体験のように語る輩もいた。これらが某大手新聞の記事捏造問題などの元凶となっている。
 
そこで気になるのは、最近の日本復興のアイディアや言論に対してしきりに反論している(していた)赤や左の方々は実際に当時の最前線にいらっしゃったことがあるのか?あるいは当時の関係者たちとお会いしたことがあるのだろうか?発言の裏はきちんと取っているのか?捏造が発覚した際の言い訳では「当人が話したことを記事にしただけで、話の内容は間違っていなかった」というような説明だったと記憶している。それだと知的なフィルターを経ていない単なるデマの垂れ流しである。と同時に、情報戦においてはこれらのクズ情報まで利用されてしまうリスク&教訓を認識するべき。
 
その時の空気感もわからずに、ネット上から漁った断片を借りて来てつなぎ合わせたような机上の理論を信用する気にはならない。死人に口なしだと思っていい加減なことを言うべきではない。捏造記事のように利用される可能性もある。今ではその手の生デマ情報はネット上に星の数ほど存在するから、そのままでは新聞は誰も読まなくなると思う。

これらの国際問題に遭遇した時、必要となるのは自国の状況を把握するための基礎知識と情報。その中には政治、経済、文化、哲学、伝統思想、習慣、気質、地理、国際関係などを総合的に考えなければならないけれど、それらの変遷を辿ろうとした場合、今の日本人がいかに日本の神話や歴史、風俗習慣などを知らないかと言うことに気付くはず。西洋の有名人や偉人たちの伝記やエピソードはよく知っているくせに、自国の偉人たちの業績も知らない。エジソンやビルゲイツを知っていても、二宮金治郎、稲森和夫を知らない。単なる個人的な損得勘定で動く人間と国や宇宙を考えていた人物の違いもわからない。国の成り立ちから現代までの由来を外国人にきちんと説明できる人は少ないけれど、これは世界的に見ても異常。他国では海外のことに暗くても自国のことには詳しいのが当たり前である。日本は逆転しているのである。この間違った転換点は明治に始まり、戦後に思想と価値観がほぼ逆転しつつある。

 

転換は自然なものではなく、一部の関係者が強引に行った。作られた英雄の坂本龍馬、勝海舟は有名であるけれど小栗上野介忠順は歴史から消されて来た。大隈重信は「明治の近代化はほとんど小栗上野介の構想の模倣に過ぎない」と語り、福沢諭吉も「 鞠躬尽瘁 (国のために命をかけて尽くすこと)の人」と称賛したほどの大人物であるけれど、明治改悪維新のテロ政権は事情も調査(裁判)せず即日斬首したばかりか、業績の詳細は抹殺されてしまった。それは当時の政権にとって知られるとまずい内容があるから。欧米の侵略工作員からの投資を受けて活動した坂本など討幕派にとって、国際事情に明るく、裏取引の存在にも気付いていた小栗は邪魔だったのである。米国の不公平な貿易を現地で追求し、植民地化の脅威に備えて軍備(海軍工廠)の必要性を説いたのも小栗であった。

同時代を生きていた大隈の一言は、テロ政権が邪魔者を抹殺して、渋沢がそのアイディアを丸パクリしていたことを暗示していると言っても良いと思う。

(東郷平八郎が小栗ご遺族に贈呈した額)

 

日露戦争勝利の後に東郷平八郎が小栗の遺族を訪ね 「軍事上の勝因の第一として、小栗さんが横須賀造船所を造っておいてくれたことが、どれほど役立ったか知れません、」と礼を述べていたエピソードもある。当時の偉人で非常に貢献したにもかかわらず不可解な死を遂げた人物には西郷隆盛もいるけれど、それらの詳細は闇のまま。奈良平安、鎌倉などの古い資料は出て来るのに、地面を掘る必要もない近代の資料が何も出てこないのは不思議。これは当時の関係者の末裔である現政権や政財界が隠蔽している可能性が大きい。末裔たちも先祖の過ちに気付いたら、修正して負の悪循環を断ち切るべき。末裔は自分で選んでその家柄に生まれたわけでもないので、出生自体に罪はない。しかし、過ちに気付いたまま継続することは確信犯になることを自覚するべき。大隈や東郷は実情を知りつつも、立場上あからさまなことを言うと自分の身が危ないので言えなかったはず。しかし、彼らの大和魂がどうしても気持ちを伝えたかったのだと思う。

 

封殺されて来た自国の歴史を知り、洗脳された頭を正常化するためには、まず連中が破壊隠蔽しようとして来た歴史を見直すことが必須。歴史の改ざんや隠蔽は時の権力者が多少なりとも行うもの(自分の都合が良い内容にする)であるが、特にその程度がひどいものは近代においては明治と戦後である。ある時は仲間の振りをし、扇動攪乱する。連中が侵略する際に最大の障害となっている日本の精神を内外から破壊しようとして来たのである。精神のよりどころこそが霊性であった。性善説社会は神霊(天)に対する畏敬の念により成り立つもの。これが日本人同士の強い絆を構成していたのである。しかし、侵略者側から見れば、非常に厄介な存在であるからこの精神文化を壊そうと考える。その破壊活動に適する人材は、伝統的精神文化の影響をあまり受けておらず(無教養)社会(幕藩体制)に不満を持つ元気な人間たち。こいつらに西洋思想を叩きこんで洗脳させ、武器弾薬と金銭を投資すれば、自分たちが戦わずとも内部崩壊するのではないかと考えたのである。明治改悪維新はその内部崩壊につけ込んで行われたテロなのである。嘘だと思われる方は維新の顔触れと彼らの出自(教養や生育環境)を考えてみれば良い。そのような若輩者たちがどうして一国の大名をも上回るお金や武器を扱うことができたのか?どこから手に入れたのか?提供したのは誰だ?などと辿っていけば、事実は段々と明らかになって来る。

 

この内部崩壊は最近は「分断」とも表現されている。沖縄や蝦夷地(北海道)の先住民族意識を高め、独立を誘うのもそう。国内に外国人を大量に流入させ外国人村を作るのもそう。海外ではすでに警戒して措置を講じているにもかかわらず、何もしない&できないのは政府内部にも内部崩壊を誘導する侵略者の手先(裏切り者)がいるからに他ならない。良いイメージの有る「国際化」「グローバリズム」「LGBT」などの美辞麗句に惑わされてはいけない。邪悪な存在はそれらを利用する。中身を見るべき。

 

これらは陰謀論でも都市伝説でもない現実の姿。選挙に行かない、歴史に関心がない、勉強していないからよくわからない・・などと言っている場合ではない。事実関係を再精査して学ぶことが将来の日本再興につながる。将来のあるべき姿は、人間世界の情勢や権力関係に惑わされることなく、公明正大な立場を貫くべき。各地の紛争に際しても、大国の動向に合わせるのではなく、日本の霊性のお導き(正義や善の根源)によって判断するべき。この判断は政治屋の風見鶏的アイディアとは全く異なるもの。この立場を維持できるようになるためには、まず自立(現状は植民地国)することが必須。自立とは政治的、経済的、精神的(哲学思想)、物質的(自給自足)などすべてに考えるべき。