雲水・ISAのブログ

雲水・ISAのブログ

日本は神の国
仁術師

これは近代世界史上で非常に貴重なニュースである。
 
国際法から外れた利己的な侵略行為を行っているイスラエルとその背後にいる英米などの利権つながり国家に対する宣戦布告であるけれど、日本のメディアでは一向に報道されていない。ネット検索をしてみても出てこないのだ。もしかしてAIを使用したフェイクニュースの可能性もあると思って調べてみたところ、そうではなさそうである。そればかりか、フェイクニュースであると否定するような内容も見つからない。つまり、まるでそのような事実は存在しないかのように、徹底的に削除されているのである。
 
これは非常に不気味で、危機感を感じたので、外国語で検索をすると色々と出て来る。
今回の動画の前にアップされたらしい動画もあるけれど、この前から彼の態度は一貫していた。
 
今回、SNSで知人から教えていただいた内容は以下の通り。イスラエルから買収交渉があったことを公の場で暴露公表したのである。これはSNSからの転載であるが、原語の動画は最後にリンクがある。
<ネタニヤフがトラオレに助けを懇願/トラオレの返答とは?>
劇的な展開の中で、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相がブルキナファソの指導者、イブラヒム・トラオレ大尉に緊急の支援を求めました。しかし、トラオレの返答は世界中を驚かせるものとなりました。これは、アフリカと中東における力の均衡が変化しつつあることを示す、緊迫した会話の舞台裏に隠された物語です。政治戦略から外交圧力に至るまで、若きアフリカの指導者がいかに世界の期待に挑戦しているのか、そしてなぜネタニヤフの嘆願が手遅れになった可能性があるのかを明らかにします。
=====
彼らは私を買えると思っていました。アフリカを買えると思っていたのです。しかし彼らは間違っていました。3週間前、ベンヤミン・ネタニヤフの政府が私に一通の手紙を送りました。それはブルキナファソだけでなく、この大陸全体にとってすべてを変えるものでした。何が起きたのかを正確にお話しします。この物語は世界が聞くべきものだからです。私は執務室で治安報告を確認していたとき、側近が「外交文書・極秘」と書かれた封筒を持ってきました。その中身を見た瞬間、私の血は沸き立ちました。イスラエルはブルキナファソに12億ドルを提示してきたのです。それは私たちの国家予算全体を上回る額でした。しかしそれは援助ではありませんでした。それは賄賂でした。彼らは私に自分たちの政策への批判をやめさせたかったのです。彼らは私に他のアフリカの指導者たちを説得し、パレスチナ問題で譲歩させたかったのです。さらに彼らは私をアフリカ連合での自分たちの代弁者にしたかったのです。
本当に必死だったことを示すのはここからです。彼らは私に、アフリカ全土での自国のビジネス活動を封鎖しないでほしいと求め、その見返りにさらに数十億ドルを追加で提示してきました。考えてみてください。彼らはアフリカでのビジネスネットワークを失うことを恐れるあまり、たった一人の兵士を黙らせるために数十億ドルを払うつもりだったのです。しかしそれは援助ではなく、自分たちの帝国を守るための賄賂でした。私はその手紙を三度読みました。読むたびに怒りがこみ上げました。彼らは根本的に私という人間を誤解していました。私は革命を起こしましたが、それは外国の主に操られる新たな操り人形になるためではありません。腐敗した政府を倒したのは、自ら腐敗に染まり、外国の利権を守るためではなかったのです。私は兵士です。兵士は任務を妨害しようとする者と交渉しません。そして私の任務は、アフリカの主権、経済的、政治的、戦略的な独立を守ることです。ブルキナファソで権力を握ったとき、私は国民に約束しました。もはや外国の干渉は許さない。もはや「援助」という名の搾取は許さない。一時の快適さと引き換えに尊厳を売ることはしないと。あの手紙は私の言葉が本気かどうかを試すものでした。
その手紙は外交ルートで届けられましたが、実際のメッセージは仲介者を通じて伝えられました。近隣諸国の高官や「友好的な助言者」を装った人々が現れ、この提案を受け入れれば得られる現実的な利益を説いてきました。近代的な病院、最新の軍装備、整備されたインフラの未来像を描き、ブルキナファソが地域の強国となり、アフリカ発展のモデルになると言いました。しかし最終的に彼らの言葉は必ず「批判を和らげろ」という一点に収束しました。その時私は、これは単なる一通の手紙の話ではなく、組織的なキャンペーンだと悟ったのです。彼らは私を観察し、分析し、私が妥協する条件を計算していました。しかし彼らは計算を誤りました。そこで私は彼らが決して予想しなかったことをしました。記者会見を開き、彼らの手紙を逐一読み上げたのです。自国のビジネスを守ってほしいという必死の懇願まで含めて、テレビで生中継しました。
そのニュースがテルアビブに届いたときの彼らの顔を想像してみてください。完全なパニックでした。なぜなら突然、彼らの秘密の外交戦略とビジネス保護の企みがアフリカ全土の一面記事となったからです。しかし私はそれで終わらせませんでした。その壇上でカメラをまっすぐ見据え、必要なことを言いました。彼らは私たちの尊厳に値札をつけられると信じている。彼らはアフリカの指導者が世界の市場で売り買いされる存在だと考えている。彼らは私たちが国民を搾取されながらも自国のビジネスを守るために金で雇われると信じている。今日、私たちはその考えが間違いであることを証明する。私はその手紙を掲げ、全員に見せました。この文書は世界がアフリカをどう見ているか、その誤りを象徴しています。アフリカを市場としてしか見ず、指導者を主権国家の代表ではなく雇われ人としてしか見ていないのです。その場は静まり返りました。数十年にわたりアフリカ政治を取材してきた記者たちでさえ、これほどのことは見たことがないと語りました。何十億ドルもの賄賂を自ら暴露する指導者を彼らは初めて目にしたのです。
あの瞬間、すべてが変わりました。数時間のうちに「アフリカは売り物ではない」というスローガンが14か国でトレンド入りしました。しかしこれは単なるSNSの騒ぎではありませんでした。大陸全体の目覚めだったのです。マリはすべてのイスラエル契約を再調査しました。ニジェールはテルアビブから大使を召還しました。チャドは外交交渉を中断しました。ガーナの大統領は、普段は立場を取らないのに、公に私たちを支持しました。南アフリカは私たちの対応を「威厳ある指導力の手本」と呼びました。しかし彼らを本当に震え上がらせたのは若者たちでした。セネガルの学生たちは、すべての外国援助取引に透明性を求める抗議を組織しました。ケニアの若者たちは政府の外交関係に疑問を投げかけるキャンペーンを始めました。西アフリカの芸術家たちは、搾取に屈せずアフリカの経済的利益を守るという私たちの姿勢を称える壁画を描きました。カイロからケープタウンまで、大学キャンパスは連帯の声で沸き立ちました。
彼らが自らを「妥協しない世代」と名乗り、すべての指導者に説明責任を求め、すべての取引に透明性を要求し、あらゆる国際関係に尊厳を求めたのです。数十年ぶりに、アフリカが一つの声で「ノー」と言ったのです。
国際社会からの反応は素早く、そして露骨でした。ネタニヤフのチームは全面的なダメージコントロールに入りました。テルアビブの関係筋によれば、首相は激怒し「トラオレは秘密の合意を我々に対する武器に変えた」と言ったそうです。それこそが私の狙いでした。パリのフランス外交官たちは、自分たちのアフリカとの関係に何を意味するのかを慌てて分析しました。アメリカの当局者は、これは孤立した出来事なのか、それとももっと大きな始まりなのかを探ろうと静かに接触してきました。興味深いことに、中国の代表は沈黙を守りました。彼らは西側諸国よりもよく理解していたのです。尊重こそが未来であり、操作や買収ではないことを。彼らが心配するのは当然でした。なぜなら外国勢力が理解していなかったことが一つあったからです。私たちはもはや彼らが好き放題操れたかつてのアフリカではないのです。今の私たちは教育を受け、互いにつながり、国境を越えて即座に情報を共有できます。誰かが立ち上がれば、その姿を大陸中がリアルタイムで目撃できるのです。
旧来の手法はもう通用しません。秘密の取引で私たちを分断することはできません。開発援助で沈黙を買うことはできません。自国の富を吸い上げながら、そのビジネスを守らせるために私たちを金で雇うこともできません。地政学を理解しない子供のように扱うこともできません。私たちは理解しています。ただ、あなたたちのルールに従うことを拒んでいるのです。その直後の余波は混乱を極めました。私の警護チームは最高警戒態勢に入り、外国の諜報機関が急にブルキナファソに強い関心を示すようになりました。経済的な圧力も高まり、援助の遅延、貿易の複雑化、銀行取引の困難が次々と押し寄せました。しかし驚くべきことが起きました。他のアフリカ諸国が空白を埋め始めたのです。ナイジェリアは貿易協定を提供し、ガーナは銀行の代替手段を用意し、南アフリカは新しい外交ルートを開きました。私たちは強力な事実を発見しました。「アフリカがアフリカを助ける」ことは機能するのです。
手紙を暴露してから3日後、私はボボ=ディウラッソの大学で学生たちに向けて演説しました。準備された演説もなく、軍式の儀式もなく、ただ真実を語るだけでした。講堂は満員で、西アフリカ中から学生たちが集まっていました。会場の熱気は電流のように伝わりました。私は言いました。何十年もの間、彼らは私たちに沈黙を強い、与えられたものを受け入れ、無視されても感謝しろと命じ、自国の人々が苦しむ間もビジネス利益を守れと要求してきたと。しかし今、彼らは恐れています。アフリカが目を覚ました時に何が起きるのかを。私は学生たちの目にそれを見ました。理解、希望、決意が宿っていました。私は彼らに一つの質問を投げかけました。「沈黙に戻るべきか、それともさらに大きな声で語るべきか?」その答えは圧倒的でした。5000人の学生が歓喜の声を上げました。その音は、買収も沈黙も拒む世代の叫びでした。
しかし学生たちは言葉以上のものを求めました。「次はどうする?何をすればいい?」と叫びました。私は答えました。すべての外国契約を監査する。すべての取引に透明性を求める。自分たちの経済ネットワークを築き、まずアフリカ同士で貿易を行い、世界との貿易はその次にする。原材料の輸出をやめ、工場を建設する。供給者でいるのをやめ、製造者になるのだと。群衆は熱狂しました。なぜなら初めて実際的な行動について語る指導者を目の当たりにしたからです。私は続けました。この動きは彼らの想像よりも早く私たちを団結させる。今やアフリカを搾取するすべてのビジネス取引は監視の対象となる、と。閣僚の中には懸念を示す者もいました。「報復されたらどうする?援助が止まったら?」と。私は彼らにこう答えました。条件つきの援助は援助ではなく支配だ。沈黙を要求する「協力」は協力ではなく隷属だと。
私の演説から1週間のうちに、5人のアフリカ指導者が直接私に電話をかけてきました。外交ルートを通さず、個人的にです。「どうすればあなたのようにできるのか?」と彼らは尋ねました。答えは単純です。「恐れるのをやめること」です。しかし恐怖は深く根付いています。何世代ものアフリカの指導者たちは、外国の注目に感謝しろ、与えられた条件を受け入れろ、決して平等を要求するなと教え込まれてきました。この心理的植民地支配を打破することは、物理的な鎖を断ち切るよりも難しいのです。西側メディアは「トラオレが緊張を高めている」「ブルキナファソが孤立する危険」などと報じました。しかし彼らは本質を見誤っていました。私たちは孤立しているのではありません。私たちは結びついているのです。自国民と、価値観と、未来と。その結びつきこそが力です。
当初、ビジネス界は恐慌状態に陥りました。アフリカに大きな事業を持つ企業の株価は下落しました。鉱山会社、農業輸出業者、テクノロジー企業……皆がアフリカでの戦略を見直し始めました。しかし彼らが気づいたことが一つあります。私たちは「反ビジネス」ではないということです。私たちは「反搾取」なのです。公正な賃金を払い、環境基準を尊重し、地域開発に貢献する企業は歓迎します。しかし富を奪い、貧困を残す企業は変わるか立ち去るかしなければなりません。賢い企業は素早く適応しました。契約を見直し、労働条件を改善し、地域社会に投資しました。彼らは悟ったのです。長期的に見れば搾取よりも協力のほうが利益になると。
イスラエルは、外国投資を欲しがるアフリカの指導者の一人だと思っていました。自国のビジネスを守るためなら何でもするだろうと。しかし彼らが目覚めさせたのは、大陸全体の怒りでした。市場や用心棒のように扱われることにうんざりしたアフリカの怒りです。その波紋は広がり続けました。地域組織は外国との協定を見直し、労働組合はアフリカ労働者に対する条件改善を求め、市民団体は援助の透明性報告を発表しました。株式市場は当初揺れましたが、やがて安定しました。投資家は気づいたのです。透明性はリスクを減らすと。腐敗と秘密取引は不安定を生みます。公平で公開された協定は予測可能な環境を生みます。
数十億ドルの賄賂の手紙は明確なメッセージを伝えていました。「あなたは買収され、我々の利益を守るのだ」と。私の答えも明確でした。「私たちは買収されないし、買収を試みる者は誰であれ暴露する」と。これは誰かを敵視するためではなく、アフリカのためであり、尊厳のためであり、主権と経済的独立のためなのです。いま外国勢力が私たちに接するとき、ルールが変わったことを理解しています。平等に扱うか、結果を受け入れるか。独立を尊重するか、それとも私たちが自らの道を選ぶのを見届けるか。公正な取引をするか、それとも他の大陸を探すか。
真実は一つです。アフリカは売り物ではありません。私たちの資源は略奪されるものではありません。私たちの指導者は買われる存在ではありません。過去にもなかったし、未来にもありません。そしてもし誰かが私たちを売ろうとするなら、その指導者は大陸の人々に裁かれるのです。この変化は政治的なものにとどまりません。世代的な変化でもあります。若いアフリカ人たちはテクノロジー企業を立ち上げ、製造業を起こし、アフリカのアイデンティティを称える芸術を創造しています。彼らは外国の承認や投資を待ちません。自分たちで未来を築いているのです。これは始まりにすぎません。日々、より多くの指導者が勇気を見出し、より多くの若者が説明責任を要求し、この大陸は力を増し、経済的に独立していきます。
彼らは一人の大統領を買収し、自分たちの帝国を守ろうとしました。しかしその結果、14億人のアフリカ人が自らの運命を握る目覚めを迎えたのです。それが彼らの誤りであり、私たちの勝利でした。革命は続いています。銃ではなく尊厳で、暴力ではなく真実で、外国の承認ではなくアフリカの団結で、外国のビジネス保護ではなくアフリカの繁栄のために。私はイブラヒム・トラオレです。そして今こそ私たちの時代です。アフリカは立ち上がり、始まりにすぎないのです。
(via Rael Maitreya)
 
かつて、アジアにおいて同様の主張をした国があった。それこそ我が日本である。 国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初なのである。

 

 

ところが、歴史上彼らの植民地化に反抗できた勢力は存在せず、その時点でもまた植民地化侵略競争が継続していたため、当事者である大国はこれに賛同することはできない。先住民を抑えようとしていたカナダ、オーストラリアの反発も強かった。
何が何でもこの案を否決しなければならないので、それまでの過半数採決のルールを捻じ曲げ、 当時のアメリカ合衆国大統領だったウッドロウ・ウィルソンは、事が重要なだけに全員一致で無ければ可決されないとして否決した。 当時からこの類の国際組織は大義よりも力関係でどうにでもなってしまう病根を持っていたのである。

次席全権大使であった牧野 伸顕(まきの のぶあき)氏は否決されたものの、発言内容の重要性を後世に伝えるため、議事録に残すように要請している。

ちなみに、この時の随行員には吉田茂もいた。後にGHQの元で売国行為を裏で助けることになるけれど(最近の秘密文書公開によってCIAとの関係が明らかになりつつある)、何を見て来たのか?日本人としての気概はどこに行った?

 

 

 

いずれにせよ、恐ろしいことは、これらの情報が隠されていること。これらの重要な内容を報道しないのは「隠蔽」とほぼ同じ意味がある。少なくとも日本語の言論世界からは消されている。私の周囲には社会や世界、人権、自由などに関心が深い人たちも多いけれど、知らなかった人がほとんど。何を隠そう、自分もその内の一人。

 

つまり、今の日本において、マスメディアは信用できないと言うことが明白となった。保険として外国語の情報源も注意しておくべきだと反省している。これをしておかないと、いつの間にか洗脳&誘導されてしまう危険度が高い。猛反省である。

 

 

 
 

七十二候・土潤溽暑つちうるおうてむしあつし

先日まで大暑。その通りに凄まじい暑さ。正しく入道と言う感じの雲。モコモコと育っていた。

しかし、あちこちの寺社では夏祭りが行われていた。旧暦のお盆は来月であるが、すでにイベントとして盆踊りが開催されている場所も多い。

ここは、踊念仏に啓蒙されて生まれたとされる盆踊りと由緒の深いお寺。仏教の教理と舞踏を組み合わせて一種のトランス状態をう生みだしたらしい。無学の庶民から貴族までが熱狂したと伝わる。現代ではおそらくカルト宗教とそしられるかもしれない。それが時代を経て、今の様に子供からお年寄りまでが楽しめる盆踊りのスタイルになったと言われている。

鎌倉時代には有ったとされる大銀杏がシンボル。このエリアでは最大最古。八幡宮で源実朝を暗殺した際に公暁が隠れていた大銀杏と同世代、同様のサイズ。あちらも強風で折れた。

樹齢は700年以上。台風で倒れる前には31mほどの高さがあったらしい。

元々は念仏を唱えながらお辞儀を繰り返すように移動していた「踊念仏」に、楽器や多様な動作が加わって生まれたのが盆踊りの原型らしい。抽象的で難解なインド哲学(仏教)は一般人にはとっつきにくいけれど、簡潔な説法とダンスとセットになったら大流行してしまった。現代では仏教と無縁の歌謡曲が流されている。

本当の哲学的な人間はどのような状況でも無意識に哲学してしまうものであるけれど、一般人は何かの刺激や関心が無ければ深く考えようとはしないもの。考えるとしても大体が自分に身近な現世利益ばかりであることがほとんど。しかし、そのような煩悩まみれの凡夫でも救済されるというのが彼らのアイディア。衆生に着目してもらう為に生み出されたわかりやすい宣教方法だったのだと言える。南無阿弥陀仏と書かれたフライヤー(お札)まで配った。

この宗派の創始者は鎌倉時代の戦乱の世の中に嫌気がさして、全ての物質欲や名誉欲を捨てて出家した瀬戸内海の武家。悟りを求めて辿り着いたのが、欲にまみれたロクデナシでも救われるという当時最先端の哲学(仏教の一派)。それまでの仏教はルールや理論が複雑で難解なため、素人には手が出せないし、よくわからない存在だった。庶民は目先の現実を生きることに精いっぱいで、哲学する余裕などない。ところが、その現実世界は乱れに乱れて、殺し合いや天災などの連発。

そこで、自暴自棄になりがちな衆生を救済する方法が生まれたのだ。その一つが、この寺院の宗派であり、イスラム教の礼拝の様に、定時(毎日六回)に何度も念仏を唱えることを習慣とした。難しいことは馬鹿な頭でいくら考えても仕方がないから、念仏でも唱えて人間を超越した存在(知恵)を信じなさい!と言う事らしい。

これに対して同時代に日本国と国民全体のことまでお考えになった高僧もいらした。その思想は政治にも干渉するので迫害を受け続けたけれど、そのせいで不屈の精神性や独自の哲学を得ることになり、現代にまで発展し続けている。信者と組織の規模は前者と雲泥の差である。

創始者は土地や建築物にも執着しなかったために決まった集会場、道場が無かった。それで高弟が別の場所に道場を設けたけれど、鎌倉幕府による干渉があり、継承争いが勃発。それで新に設けられたのが今の寺院(大本山)なのである。仏様より「白蓮の咲く土地にお寺を建てろ」という啓示があり、現在の場所に決まったそうである。

伝承にある白蓮が咲いてた池には今でも済んだ湧水が注ぎ込んでいる。面白いのはその湧き水は敷地内にある神社の境内にあるのだ。日本の神仏習合というユニークな存在は西洋の一神教では考えられないだろう。

寺院の伽藍はとても質素だけれど、背後にある森には生命力に満ち溢れた大楠が無数にある。猛暑でも木陰はとても涼しく快適だった。境内一円は昔は荘園だったらしい。

盆踊りと夏祭りの提灯が整然と並ぶ参道は浮世絵にも登場する。この寺院を中心として寺町が形成され、後の宿場町となった。

残念ながらコロナワクチンを国民に強要した売国政治家のお膝元でもある。さらに腹が立つことには、その政治家の家系はこの寺院の創始者の縁者でもあるのだ。いまだに非を認めず自己正当化をしている子孫の姿を上人はどのようにご覧になっているのだろうか?

あらゆる生物に対する慈悲の心を表すのが放生池。この心から見れば、昨今の過剰なグルメ、特に人間が自分たちの食欲のために恣意的に必要以上の命を殺生する肉食は良いことではないはず。これに気付くか言い訳をするのか否かは当人の霊的レベルの問題。何を隠そう、私自身の霊性が低かったため、それに気付かず肉食と言う悪習慣にどっぷりとハマっていたのであるが、この愚行に気付く人が増えて欲しいと思う。元々ある程度の獣や魚などは古代より必要最小限捕食していたけれど、現代の肉食(牧畜、養殖)は人間の欲望が生み出した殺戮産業であると思う。栄養だ動物性プロテインだと言うけれど、明治以前の日本人は肉食せずとも普通に暮らしていたのである。動物性たんぱくが無ければ成長しない、虚弱になると言う人もいるけれど、筋骨隆々としたゴリラ、馬、牛は草食であることからも、この理論は正当化するための詭弁だと断言できる。それでも、動物と人間は違うと言う人がいるならば、強靭な肉体を持ったポリネシア人の食文化を見ればよい。彼らの伝統的な主食はイモ類なのだ。腸内細菌と消化システムが動物性タンパクに依存せずとも肉体を生成できるようになっていたのだ。明治以前の日本人も同様であった。

反対に肉食に依存している人間は植物から筋肉を作らなくなる。自然のシステムは楽をしたがる(合理的)ので、面倒なことはしたがらない。だから、現代の肉食グルメ文化は従来遺伝されて来たこの貴重な能力を失うのと同じことなのだ。同時にその反動として昔は少なかった疾病にかかりやすくなってしまう。

 

日本の宮家も長らくこの精神を継承していたけれど、それを変えたのは替え玉説のある明治天皇。開国と同時に過剰な西洋化に走った。それまでの宮家は肉食を穢れた行為(生命の冒涜)だとお考えになり、無意識に肉食を拒否(嘔吐していた)されていたそうではないか。それがどうしていきなり肉食奨励になるのだ?正当な宮家内部でタブーとされて来た悪習慣をどこで身に着けたのか?それまでの宮家とは非常に違和感がある。このことからも明治天皇は九州で密かに養育されていた南朝の子孫であり、同地方出身者の多い新政府軍が維新革命に乗じてすり替えたと言う伝承もあながち嘘ではないと感じるのである。長崎の出島界隈では明治前から肉食が一部の人間たち(セレブや役人たち)でグルメになっていたから、西国の維新関係者には肉食経験者も少なくなかったはず。古今東西、英雄気取り、目立ちたがりはグルメやファッションが大好きである。

私個人の見解では日本衰退、腐敗の原点こそ明治である。蒸気機関や西洋科学のみに注目すると物質的に日本は後進国であり、文明開化だともてはやすのが現代日本の歴史認識らしいけれど、そこには精神文明の価値と意義が抜けている。私のプロフィールでも述べた通り、日本の霊性は明らかに明治から悪化して来た。日本の伝統的な哲学や文化が否定、軽視され、その結果、度重なる戦乱と国民の白痴化平和ボケとなった。ところが、昨今の環境問題、食生活などの価値観の変化を見れば、「もったいない、ごちそうさま、お陰様、お互い様、お疲れ様、ご苦労様、気遣い、思いやり・・・」など、明治以前の日本が大切にして来たものにむしろ近いではないのか?

と言うわけで、懇意にしているビーガン風のお店にお邪魔。畑でとれたお野菜で作られたプレートとガスパチョ(冷製スープ)。昔、マドリートにいた時の朝ご飯がガスパチョだったので、とても懐かしかった。お野菜の味付けは重なるものがなく、全て美味しくいただけたことに感激した。そのせいか、話が弾んでしまい、初対面のお客様たちと閉店まで話し込んでしまった。

 

又お邪魔致します。

 

 

 

 

 

 

凶悪に蝕まれた世界(社会)は末期がんの患者と同じ。内部の病状が深刻だから、表面的な治療をしても次々と転移する。根本の原因を叩かなければイタチごっこ(これが戦後の侵略者に作られた傀儡政治団体J党の現状)。内部に優秀な議員もいるけれど、伝統的腐敗の前では焼け石に水であったことが歴史によって証明されている。外に出るか、内部の老害を駆除して内部革命を起こす以外は不可能。この玉ねぎで言えば内部腐敗ランクは最終段階の5。

その認識がある優秀な議員たちはできるだけ早く離脱するか有志で新党を結成するべき。従って、優秀でも同じ組織に所属するのであれば投票するべきではない。親方日の丸のごとく「親方J党」という発想がすでに無意味であることを気付かせる。これは両院議員、地方の被後援者にも徹底するべき。地元だから、知り合いだから、仕事の付き合いがあるなどの理由は大義とは無縁の低次元の発想である。邪悪な者は自分の身内であろうとも許すべきではない。巨悪は根絶やしにしておかないと再生する。

 

各政治団体の公約や演説内容の多くが客寄せのための宣伝であり、実行されなければ詐欺である。他者の批判と綺麗ごとばかりを並べ立てるが現実性のともなわないのは単なる妄想である。

従って演説や公約を単純に比較するメディアの報道は余り意味がない。主張や演説を部分的に切り貼りする報道や中傷は誤解の元。関心を引くためにわかりやすく誇張した言い回しをすることがあるけれど、発言の背景を知らず、単にそれだけをとらえると過激に感じられてしまう場合がある。比較するべきはこれまでの活動実績、誠実さ、信頼、言動の内容など。過激な表現や甘い言葉を鵜吞みにしてはいけない。過去の経緯を知るべき。公約を守らず、嘘つきの政治家を製造する政党は詐欺師養成機関である。嘘つきと詐欺集団に投票するべきではない。
 

これらの要素を理解し分析するために必要なものが正確な情報と知恵。国を守る為にも必要。これがないと健全な国体は作れない。根拠のない表面的な言葉やデマに翻弄される。日本なのだから日本ファーストは当たり前のこと。SDGsやLGBTなどは日本の歴史を知る者から見れば、決して世界最先端のアイディアなどではない。それを偉そうに持ち出した欧米は当初貧乏人や低俗な国民の習慣だと馬鹿にしていたのである。この経緯を知らない人が多すぎる。自分の国の文化や歴史に疎いから海外世論を鵜呑みにして得意になる。外国コンプレックスで自国文化に対する知識がない偏ったインテリジェンスでは正常な判断ができないのである。だからまともな外交も国際化もできない。

人体が病原菌や害毒により被害を受けた場合にそれらを判別して的確な処置を施すのも、これらのインテリジェンスが基本である。

日本の健康状態は自己免疫力が弱っているので(インテリジェンスが弱小であり敵を認識できない)ので害毒が容易に侵入して多臓器不全を引き起こす。売国的な外交や外国人処遇、海外資本による土地や企業の買収などはその症状の一例。侵略者たちは国体の基幹であるインフラや自給自足などの伝統的な仕組みを破壊することを目論んで来た。郵政民営化、電電公社民営化、JA民営化(未遂)、種子法、TTPなどがそれ。要するに自分たち(外資)が介入できるように規制をなくすのが目的。

明治以降の近代史の背景にはこの攻防がある。侵略者たちはお金や圧力により内通者を潜り込ませて内部崩壊を狙ってきた。この発端こそ明治維新である。戦後は水面下でさらに内部崩壊を推し進めて来た。その傀儡組織こそJ党とZ省であることが明らかになりつつある。これは陰謀論でも都市伝説でもない歴史の事実なのである。将来、体内に取り込んでしまった害毒は色々な形で発症する。

 

選挙に行かず放棄した人には文句を言う資格はない。自分や家族、子孫の将来がどうなろうと自業自得である。



 

『世界一有名な家庭教師の知られざる過去』それは100年以上前の1876年にさかのぼる。
アメリカ・マサチューセッツ州の
とある精神病棟に、緊張型精神
分裂病と診断されたひとりの
少女がいた。
その少女はほとんど牢獄のような
病室のベッドの上で、くる日も
くる日もうずくまり続け、
看護師によって毎日運ばれる
食事にもまったく手をつける
ことはなかったという。
その日も少女はせっかく運ばれた
食事に手をつけず、それを見た
女性看護師は食事の乗ったトレイを
持ちながらいらだたしげにいった。
「食べないならもう
 持ってこないわよ!」
そして看護師は少女の病室を
あとにした。
しかし少女はなににも反応を示す
ことはなく、いつまでたっても
ベッドの上で体を丸めてうずくまる
ばかりだった。
病気は治る見込みはないとされ、
なんと家族からも見放されて
いたという……。
が、そんな孤独な少女を気にかける
看護師がたったひとりだけいた。
その女性は鉄格子越しに少女の様子を
眺め、『今日も食べてないのね……』
と心配そうにつぶやいた。
少女は食事もとろうとせず、
止まることなく衰えていくばかりで
あった。
しかし誰もがさじを投げる中、
その女性看護師だけは少女を
ほうっておくことができなかった。
実は彼女には少女と同じくらいの
年の娘がいたのである。
ある日のこと。
少女の病室に向かう途中、少女を
気にかける看護師は同僚の看護師と
すれちがう。
その際、同僚は
『あれ(病気の少女)はもうダメよ』
という感じで手を振りながら
過ぎ去っていった。
少女の病室の前にたどり着いた
看護師は鉄格子越しにベッドの
上の少女を見つめる。
しかし医師ではない自分には
どうすることもできない。
しかし彼女は『せめて自分に
できることを……』ということで
翌日から次のような行動を開始した。
少女の病室に入ると、看護師は
クッキーが数枚乗った皿を
そっと少女のそばに置いた。
「これ、私が焼いたのよ。
 味には自信がないんだけど……。
 よかったら食べてね」
彼女は少女に
『あなたはひとりじゃないのよ。
 あなたを気にかけている人が
 いるのよ』
という思いを込めてクッキーを
置いたという。
以来、彼女はくる日もくる日も
少女の病室に手作りのクッキーを
置き続け、かたく閉ざされた少女の
心をやさしくノックし続けた。
看護師はベッドの上で眠り続ける
少女に語りかける。
「お菓子はなにが好き?
 いってくれればなんでも
 つくってあげるからね。
 でも、難しいのは勘弁してね」
 ━━それから数カ月が過ぎた
ある日のことだった。
看護師が少女の病室を鉄格子越しに
のぞくと、そこにひとつの大きな
変化が起きていることに気づいた。
なんと皿の上のクッキーが
全部なくなっていたのである!
つまり一切の食事を拒み続けて
いた少女は看護師の置いた
クッキーをついに食べたのだ。
それを目撃した看護師はたとえようの
ない深い感激に襲われた。
ただ死を待つばかりだった少女に
小さな奇跡が起きたのだ。
看護師は笑顔を浮かべて少女にいう。
「ほんとにあなた、よく食べて
 くれたわね。私も嬉しいわ」
そして皿を持って病室を出ようと
したときである。看護師の耳に
か細い声が入ってきたのだ。
「……ありが……とう……」
その声はベッドの上の少女の
声だった。
少女の声を耳にした看護師は
もちろんひどく驚き、急いで
少女のそばに戻って憔悴した
少女の体を強く抱きしめた。
「大丈夫よ!
 あなたはひとりじゃないのよ!」
看護師のその言葉が少女に
はっきり聞こえていたかどうかは
わからないが、少女はその瞬間から
激しく泣きじゃくり出したという。
それはまさしくひとりの看護師が、
誰からも見捨てられた孤独な少女の
心の扉を開いた瞬間だった。
そして、この少女がのちに、
世界中の誰もが知るとある奇跡の
物語の主人公になるのである……。
心の病を患い、なににも反応を
示すことなく、ただただ死を待つ
ばかりだったひとりの少女。
その少女の心を開いたのは
ひとりの看護師の小さな愛の
メッセージであった━━。

それから10年の月日が流れる━━。
かつて少女が入院していた病院の
院長室をひとりの紳士がたずねてきた。
彼は院長に向かって深刻な表情で
こういった。
「娘のことをなんとかお願い
 できないでしょうか?」
重度の身体障害児を子供に持つ
この男性は、娘の世話ができる人物を
必死で探していたのだ。
「いくつか病院をまわったんですが、
 すべて断られてしまって……。
 やはり無理ですよね……」
表情を暗くしてそうつぶやく男性に、
院長ははきはきとこういった。
「お引き受けします」
「え!?」顔をあげて驚愕する男性。
そして院長はひとりの女性を
院長室に呼び寄せた。
院長に入ってきたのはサングラスを
かけた若い女性。
彼女は身体障害児の娘を持つ男性と
笑顔で握手をかわした。
実は彼女こそ、かつて死を待つばかり
だったあのときの少女だったのである。
彼女はかつてとは見違える姿で
院長室に登場した。
院長はいう。
「彼女ならまちがいないでしょう。
 まさに適任です」
そして相談にやってきた男性は
激しく喜びを露にする。
「ハァ、よかった!
 これでヘレンも救われる!」
このとき、サングラスの女性は二十歳。
そして彼女は自己紹介をする。
「よろしくお願いします。
 アニー・サリバンと申します」
そう。この女性こそ、わずか1歳にして
光と音のない世界に突き落とされた
ヘレン・ケラーに50年の永きに
わたって献身的に付き添い、
家庭教師の代名詞となるあの
サリバン先生だったのである。
サリバン先生といえばサングラス姿が
有名だが、実は彼女は目の病気を患って
おり、目を保護する目的で常に
サングラスをかけていたのだという。
……ある日の昼下がりの公園の
ベンチの上。
サリバン先生は腕を振り回して
いうことをきこうとしない
ヘレン・ケラーに戸惑いを隠せない。
しかしサリバン先生は
ヘレン・ケラーに常にこういい
きかせ続けたという。
『大丈夫、
 あなたはひとりじゃないの!』

━━それは自身が生まれ変わる
きっかけとなったあの看護師の
メッセージ。
やがてヘレン・ケラーにサリバン先生の
思いは伝わっていく……。
「ヘレン……?」サリバン先生は
ベンチで隣に座るヘレン・ケラーに
目をやる。
ヘレン・ケラーはバケツの水の中に
そっと手を入れ、小さな声で
ぎこちなくこうつぶやいた。
「……ウォー……ター……」
飛び上がるような歓喜に襲われる
サリバン先生。
「そうよ!『ウォーター』、
 もう1度いってごらん!」
「……ウ、ウォー……ター……」
「ヘレン!」サリバン先生は
ヘレン・ケラーの名前を叫びながら
ヘレン・ケラーの小さな体を抱きしめた。
限りない慈愛と忍耐を持つサリバン先生。
こうして再び奇跡が起きたのであった━━。
ちなみに“奇跡の人”といえば日本では
ヘレン・ケラーのことだと思われがちだが、
国際的には“奇跡の人”とはサリバン先生を
指す言葉だとされている。

『 思わず涙する感動秘話』からの引用
 

PS:最近、施術でこのような人に接することがある。そしてその人の人生を知り、他人の生死と遭遇してとても考えさせられることが多い。なのでFBでは「神様の慈愛を感じる」感動する話として投稿したけれど、後から色々と考えてしまいました。

 

我々はこの手の話が好き。子供の頃の世界偉人伝で読んだ記憶があります。しかし、よく考えると、当時家庭教師を雇って進学させることが出来る家庭は特殊。実際に彼女のご家庭はとても裕福な名士のご家系です。誰だってサリバン先生みたいな人に教わりたい、出会いたいけれど、そんな偶然はまず期待できない。でも、決して恵まれた環境でもない、苦しい時にも悲しい時にも神様はいらっしゃるのです。その反対に恵まれて裕福に見える家庭にも問題はある。

人間は苦境にいる時に神様を求めるから、感じやすい。逆に得意になったり調子のよい時には忘れがち。そういう時にも神様はちゃんと見ていらっしゃる。美談や奇麗ごとは人間の作為。逆に穢れて恐ろしい物事にも裏表で重要な意味が隠されているのだけれど、人間は目をそらせたがる。しかし、神様はそれを超えた存在でありますから、裏表のどちらにもいらっしゃる。優しくもあり、厳しくもある。それを人間たちが自分勝手に解釈してしまうことが要注意だと神様はおっしゃるし、自分自身も戒めています。それで、年末(西暦のカレンダー)を迎えるに当たり、最近の不穏な世界について振り返ってみることにしました。

人間が作った美談や綺麗ごとをうかつに鵜呑みにして信じることはとても危険。特に最近は情報操作が巧妙になっているからです。この歴史はとても古く、権力者たちは神話や伝説を捏造して来ました。神様を自分勝手に利用する連中もいる。前の投稿ではそれについて述べました。昨今はこの隠されて来た真理にようやく人間たちが気付き始め、浄化が始まっているのだと感じます。我々も体にたまった汚れや毒を排除して体質改善するためには、痛みや苦しみが伴うものですが、世界も同じ。しかし、ここで注意するべきは、痛みや苦しみの本質を詳しく観察すること。なぜなら、最近はインターネットの普及により、偽の情報、操作されたニュースが氾濫する時代になりました。しかもAIの発達により本物と見分けがつかないほどの精度で偽造することが可能。つまり、これを利用して「偽の痛みや苦しみ」を捏造することができるのです。有名な例としては、テロリストから逃げて来たという少女の動画が共感を呼びましたが、実はその少女は海外の駐在大使の娘であり、現地には行ったことすらなかったのです。

 

歴史上、それらのマイナスイメージに対する恐怖や不安を利用する美辞麗句(綺麗ごと)による宣伝、洗脳は頻繁に行われて来ました。使われるキーワードの例を挙げれば、平和のため、人権は大事、グローバリズム、国際化すべき、都合の悪い人間を悪役化する(テロリスト、愛国者、右翼などのレッテル)、温暖化、移民受け入れ、LGBTやSDGs…などの政策など。卑近なものでは、健康や美容に良い(ワクチン、コレステロール、血圧、高齢化)、お金儲けができる、幸せになれる…などの都合の良いうたい文句。

昔、日本を弱体化させた政治家が「改革には痛みを伴います!」とおっしゃっていたけれど、あれは詭弁でした。実際には日本の自立能力を奪い、外資(侵略関係者)の参入を誘導したものです。恵まれた森林や田畑があった国の自給自足能力を奪ったのは、それら勢力の手先となった行政に他なりません。そのせいで日本の根幹であるインフラシステムが壊れつつある。外国人に生命線である水道や電気などの管理を任せるとは命取りの愚行です。これらを提唱する政治家や有識者は国賊として覚えておくべきです。最近では天然資源の有る土地(金銀鉱山、水源地など)を外資(外国人)に無節操に売却させています。これらは議論の余地が無く、即刻禁止するべき売国行為そのものですが、すぐに動かないのは背後にいる侵略者(複数の国々)に命令されて妨害している連中が政府内に紛れ込んでいるからです。現時点でこれに協力している人や業者は売国行為として断罪して間違いはありません。その辺の不動産仲介業の店舗から企業、連中に名義を貸したり隠蔽工作をしている人間たちも、全て同罪です。それを知って黙認することは共犯に等しい。不動産以外の利権で動く政財界人も少なくない。自分の身の回りにそれらに該当する人間がいたら、修正させるか駆除しましょう。

(毎日新聞)

 

インフラ以外にも、色々なジャンルに売国奴は存在します。日本の場合、政府が国会の審議を得ずに強硬な政策を独断で発令することが多いので、国民はどうすることもできません。要するに国会がちゃんと機能していません。彼らの政策は高級料亭やプライベートな談合で勝手に決められるものが多いのです。海外ではロビー活動規制がありますが、日本にはそれが無いのです。そして議員たちは国益や正義よりも自分の保身(選挙)と利益を最優先することが多いのです。ある国に自分の投資した事業があれば、おのずと親●国となります。国民と国のことを考えるべきなのに、海外に媚を売り、日本を貶め弱体化させるような法案を増やしている政府は病んでいます。国の身体である国体の危機です。

 


もしも「国体」という言葉をご存じなく、その内容と理論を学んでいなければ、大至急お調べになることをお勧めします。国を身体に例えた表現ですが、いかなる勢力にも動じない、独立した国の在り方とその基礎のことです。この国体がしっかりしている国を侵略することは非常に難しいのです。人間の身体と同じで、健康な身体には悪い病気も近寄りません。近寄っても強固な自己免疫機能により排除されるからです。逆に、弱体化すると病原菌は入って来てしまいます。

明治以前の日本は非常に強靭な健康体でした。だから世界中のほとんどが植民地化されている中でも独立を保つことができていたのです。鎖国という言葉を遅れた概念、島国根性だと揶揄するようになったのは、日本が侵略された後の洗脳によるものです。なぜなら、昔から日本人は海外情勢をきちんと分析して予防策を講じていたのです。その為に日本に潜入していたスパイたち(宣教師や文化人)は弱点を探っていました。その結果、辿り着いた答えは、日本人の自己免疫機能を内部から破壊しない限り、正面から武力による侵略は困難というものでした。連中は既に他の大陸を侵略していたので、日本人も同様のお人好し民族なのだろうと高をくくっていたのです。しかし、それが難しいことがわかると、国内で分断、内紛を誘発し、同士討ちで国体が弱ったところで、助けますよ、治療してあげますよ、これは身体に良いですよ、という誘い文句で侵入することでした。その為に有望な人材を自国に招いて(留学させて面倒を見る)宣伝のための洗脳を行い、莫大な物資(武器を含む)の支援も行いました。

彼らは日本に帰国すると予想以上の働きを見せました。日本の自己免疫機能を徹底的に破壊し、侵略者の住みやすい環境に整備しました。侵略する際の最低限必要な衣食住に便利なように経済システム(銀行などの金融や企業)から変えました。言語や風俗習慣、思想なども侵略者が理解しやすい方向に誘導します。表面的には友好、援助などと言う大義名分でした。途中でこの大欺瞞に気付いた有識者は排除されました。また、本当に幕府の弊害を刷新して新しい日本を再生するつもりであったかもしれませんが、その過程と結果を見ればそうはなっていません。むしろ国際紛争に巻き込まれて疲弊しました。これが日本の近代における真の歴史だと思いますので、私は明治維新を単純に評価する気にはなれません。

 

何事も新しいことを始めようとした場合、古い体質やしきたりは邪魔になるものですが、継続してきたことにはそれなりの意味があるはずで、それを熟考せず先走ってしまったと思います。

 

一方で、その人物には裏の意図があり、敢えて違う態度をとっていたという場合もあるはずです。その反対の場合もある。権力者が作った神話や伝承は大体が自分の功績を誇示し、行為を正当化するものです。このような状況をいちいち考えていると歴史と言うものは、当事者と直接会って話さない限り、ほとんどが推論で成り立っている世界だと言えます。実際に、新しい資料が出るたびに評価が変わります。このように不確定で曖昧な情報である以上、過度の信頼は危険。結果(現状)から判断し、具体的根拠や客観性のない偉人伝や評価を鵜呑みにすることは避けるべき。後世の人間は後から如何様にも言うことが出来ますが、時間は連続しているものですから、現在の自分にも言えるはず。もしも、後になって(高齢となり)自分の判断の間違いに気付いたら、その修正を後世に託すべきでしょう。伝言なり遺言なり、何らかの形で間違いを正す引継ぎをするべきです。戦争などの非常事態に際して言論を抑制されたり、不本意な行為を強制されたとしても、それを死ぬ前に清算しておくべき。それをまるで半端な侍の軽薄な見栄のように「秘密は墓まで持って行く」などと言うのは、単なる自己満足に過ぎず、後世には何の意味も成しません。当人が何を考えていたのか知るすべはないので、結果が評価の全てです。遺言、伝言、引継ぎなどがない限り、教科書通りににすべて認めることはできないでしょう。

 

現在使用されている教科書は二明治と戦後の二度にわたって侵略者勢力の圧力を受けて作成されている内容ですから、このカラクリを正当化するために正反対に書かれているわけです。日本の弱体化と侵略の歴史をまるで功績のように書いているのです。

ちなみに、新紙幣の顔にもなった人物が日本の近代経済システムを作ったと言われていますが、その計画は幕府のある優秀な人物が発案していた内容を横取りしたのです。その人物は海外事情にも明るく、語学も堪能、頭脳明晰でした。これに嫉妬し、公金横領という濡れ衣を着せて葬り去った人物も日本の教科書では英雄だとされています。それがバレない様に当人は何の裁判も行われずに処刑されてしまいました。つまり、幕府のリーダーがしっかりしていればいわゆる尊王攘夷派と政権交代をせずとも、近代化は可能だったのですが、無能だったので時代にも対応できず、裏を読むことが出来ず、侵略勢力の策に落ちたのでした。更に言えば、幕府は天皇をないがしろにしたことも無く、攘夷の必要性も知っていましたから、どちらも尊王攘夷だったのです。つまり、方法は違うけれど、目的は同じであり、武力衝突をする必要はなかった。大政奉還が成立したにもかかわらず、福島や北海道まで追いかけて抹殺したことは不自然。どうせ戦うなら植民地化を企む外敵のはずです。それをどうして、同胞に刃を向けたのか?日本はすでに外国の兵器も研究しており、やる気があれば国内生産も可能でした。先見の明がある藩は大砲や蒸気船まで製造していたのですが、幕府は胡坐をかいているだけで研究しなかったのです。これは明らかに幕府の怠慢です。

何が何でも幕府を倒さなければならなかったのは、西の尊王攘夷グループの背後には戦国時代から日本侵略を虎視眈々と狙っていた西洋諸国がいたからにほかなりません。つまり、日本の伝統的な自己免疫力(懲罰と一体となった性善説社会、神道などの独特な精神文明)を破壊して侵入するために、伝統にのっとった旧体制派は邪魔なのです。それを排除するために、きちんとした伝統的教育を受けていないけれど元気だけはある若者を利用して起こしたテロ&クーデターだったのです。教科書の歴史では英雄とされている土佐の若者に潤沢な資金と武器を与え内戦を扇動していたことが明らかになって来ました。新紙幣のデザインを決定した人々は洗脳教育から未だに脱却できておらず、これらの歴史をご存じないのかもしれません。そもそも、紙幣のデザイン自体も西洋の真似ですから、人物の顔を印刷するのです。こういう猿真似が情けない。動物や自然など、人間の概念や価値観と無縁のものにしたほうが良いのではないかと思います。

 

私は明治の偉人たちに懐疑的(全員ではない)ですが、もしかすると西洋の知識と物資を利用し、友達の顔をしながら日本を守ろうとしていた可能性も否定はできません。しかし、その所業を見ると品格は武士の時代に比べて劣る感が否めません。政治に携わる幹部が派手に女遊びをし、豪邸や別邸をいくつも建てて権力を誇示する。江戸時代にも堕落した大名や役人、商人に同様の輩はいたかもしれませんが、偉人とされる人たちにそのようなことをした話はあまり聞いたことがありません。概ね清貧だったのではないでしょうか。それは昭和の偉人たちにも言えることで、世界的に有名な大企業の創業者たちは豪華な車や豪邸を自慢するようなことはしませんでした。本当の偉業は当人が語らずともわかるものです。これらの歴史を見ると現代の成金にも通じる品性のなさを感じます。この点は江戸以前の戦国時代に登場した暴力団のような武将にも共通している感覚だと思います。英雄視されていますが、私には自らを神格化し、日本の霊性を穢したチンピラとしか思えません。そのため、私はお国のためと言う大義名分の背後に私利私欲の匂いを感じてしまうのです。


これと同様の隠ぺい工作は敗戦後にも行われました。最初のキーワードには「西洋化」「富国強兵」などがありましたが、二回目は「民主主義」「自由」です。最近の「国際化」「グローバリズム」とそっくりです。これらの思想誘導ワードが再登場したのは、日本の自己免疫機能が予想以上に素晴らしく、復活の兆しを見せて来たからなのです。日本人が自国のことを考えるようになると自己免疫力が強化されてしまいますから、その前にマスメディアを利用してこれらのキーワードで無理やり抑えこもうとしているのです。悪のキーワード(良いモノもあるが、洗脳に利用されている概念)を見分けるポイントは外来語(アルファベットやカタカナ)とその直訳名詞です。

自分たちの悪事も捏造して正当化しました。洗脳する手法は同じです。言ってみれば「悪の錬金術」。アジアで唯一西洋の植民地化勢力に立ち向かった行為を「私利私欲のために一方的に侵略した帝国主義者」というように思いこませ、自分たちの侵略行為を正当化する必要があるのです。ヤラセの東京裁判では日本の大陸進出からの歴史だけに特化して戦争犯罪と決めつけましたが、この時にある聡明な軍人は 「それなら、ペルリ(ペリー)をあの世から連れてきて、この法廷で裁けばよい。もともと日本は鎖国していて、朝鮮も満洲も不要であった。日本に略奪的な帝国主義を教えたのはアメリカ等の国だ」 と抗議し、場内で反論できた人は誰もいなかったそうです。このような歴史も現在の日本では教えません。国内で行われたこれらの洗脳教育の結果が「自虐史観」「平和ボケ」です。同様に国際世論も誘導して来ました。つまり、今の日本は近代において二度も全国的規模の隠蔽と洗脳を受けていることに気付かなければなりません。

昔は最初から武力による直接的な侵略行為が可能でしたが、現在は不可能であるため、最初は言論(世論)による誘導を行い、侵攻する名目を作ってから、軍事的行動をとる二段構えの戦法が主流です。具体的には、不都合で排除するべき人物やグループのマイナスイメージを作って悪人化します。大体の名目は独裁政治、テロ、思想犯、民族主義者、愛国者などです。それらの悪人を退治するために自分たちはわざわざ出向いているのだと言う体裁を作るのです。これによって軍事活動と現地の駐留(支配)を正当化するわけです。

これが嘘か否かは歴史を客観的に分析することで自ずと明らかになります。教科書やメディアの提供する情報だけでは、背後にいて情報操作をしている連中の術中にはまっているのと同然ですから、洗脳から逃れることはできません。現在も世界各地で紛争が起きていますが、世論も操作されています。当事国は自分たちに都合が良い情報だけを国民や世界に流します。無知な民衆は自分たちに都合が良い方に耳を傾けます。そこに客観性はありません。ちなみに我が国のマスメディアは背後にいる大国に操作されていることもお忘れなく。

皆様、くれぐれもご注意下さい。日本の神霊がお守りくださいますように。良いお年をお迎えください。

この詐欺集団のスケールと歴史は長大
 
巨大な船に乗って遠路はるばる他民族を侵略して奴隷化し始めたのは誰?
 
自分たちの宗教が絶対だと主張し、他民族の文化も言語も破壊して、自分たちの言葉と価値観を押し付けているのは誰?
 
「神様に約束された土地だ」と言って、後から一方的に住み始めて、勝手に国を作ったのは誰?その彼らを後ろで援助しているのは誰?
それらの歴史も知らず、意味も分からず、商人が扇動するイベントに浮かれて騒いで、連中に儲けさせているのは誰?
 
穢れたお金、不正なプレゼントでも貰えれば、節操なく何でも喜んでしまうのは誰?
 
異論があるなら上記の問題全てに答えてみよ!
 
PS:私に来る啓示によると、本当の神様とその使者(イエスなど)はこの詐欺集団は害毒だとおっしゃる。同時に、自分たちの名をかたる詐欺行為に対して非常に憤慨されている。
 
また、日本における同系列の団体は、日本の霊性により変質しているので、詐欺行為に気付き始めている。だから、神職者の言動や理解には神仏の要素が混在する。この変質は詐欺の歴史を自浄し更生するきっかけともなる。

実は私も昔は詐欺集団の教育を受けたことがあるのですが、当時から違和感は否めませんでした。そしてそれに関して議論しても、高名無名に関わらず、明確な回答をおできになる方はいませんでした。追求すると段々とインド哲学や日本の神道に近いことを言い出すのです。これは彼らが信じているつもりの概念がすでに良い意味で変質し、本来の神様に近づいているのだと感じました。実際に近代に登場した詐欺集団系だと言われる有識者文化人たちの言動は日本の伝統思想と融合して生まれたものであり、詐欺集団の表面的な理屈を超越しつつあると感じています。これは恐らく救いと浄化の過程です。古くは有名なザビエル氏が当時の日本人が有するこれらの哲学的な問答を恐れていた(逃げた)ことが記録に残っています。セイロン島でも同様の哲学論争が行われ、詐欺集団は敗北しています。
その後の宣教師(スパイ)の報告によっても日本の植民地化は難しいと言うことになり、明治まで待たざるを得なかったわけです。これは同時に日本の霊性の強さと真正を示しています。現在世界で希少な近代化と性善説社会の両立を保っているのもこのお陰です。しかし、侵略者でもある詐欺集団はこれが邪魔であるために、洗脳教育や圧力によって壊そうとしています。言論でかなわないと、武力を行使するのが詐欺集団の常套手段であり、近代の世界侵略の歴史です。明治で介入が始まり、敗戦後はさらに加速しました。そして、それはかなり侵透しつつあるので、日本はとても危険な状態にあります。最近の不気味な事件の背景は洗脳教育による伝統的価値感や道徳観念の崩壊なのです。我々はそこに気付かなければなりません。
それから原点復帰を試みると聖書から派生した様々な形態(ユダヤ、アーミッシュ、イスラム…)の中で武力と経済力を利用した者たちが詐欺集団を形成し、現代世界のシステムを哲学的な議論なしに、「神の名のもとに」と言う大義名分によって武力により構築したのだという結論に行きつきます。現在悪者扱いされがちなイスラム系の言動は、これらの勢力に拮抗、抵抗するための不可避、或いは悪影響だと思います。本来聖書では禁忌とされている「偶像崇拝」ですが、それらを一番数多く生み出して(神の子、聖母、聖人…)利用している者たちこそ詐欺集団なのです。だから彼らの集会場は偶像とド派手な装飾で溢れています。この手の話題はデリケート&リスキーなので避ける人がほとんどだと思いますが、逃げていたら本当の世界平和は見つからないと思います。逆説で言えば、本当に世界や人類の将来を考えるものは必ずこの問題を検証し克服しなければならないはずです。その先に本当の神様がいらっしゃる。