非現実的な綺麗ごとは復興の障害となるだけ。公約は詐欺であることも多い。日本と言う国の将来を考えるのが、最優先。
参考となりそうな動画。
https://youtu.be/F5s2vj8xDWc?si=hG6uPzwessjpi2aj
その理由はやはり洗脳による先入観だった。子供のころから学校や大人たちからそう教わって来たのだ。この話も洗脳の恐ろしさと危険性をよく表していると思う。優れた人でも洗脳されると、客観性を失ってしまうのである。これは日本の左系の人に本当に多くて残念。私の友人たちにもとても多い。人間性も素晴らしく、思いやりもあるし、教養もあるはずなのに、先入観(洗脳された情報)に基づいて話すから、全てに洗脳結果が反映されてしまうことになるのだ。これを当人に何度言っても「でも」と反論する。「でも」と言う前に、自分自身で調べて検証して欲しい。イーストウッド氏はそれをなさったので洗脳に気付かれた。
洗脳を解くカギは客観的&具体的な知識しかない。それによって洗脳された頭を上書きして書き換えるのである。それをしない限り、洗脳は死んでも治らない。
https://www.chiran-tokkou.jp/digital_archive/list.html
敵国の立場で情報収集や翻訳作業をなさっていたけれど、日本国の大親友がいらっしゃる。最後は自ら望んで日本人になられた。最近は不適切な在日外国人が増えているけれど、この様な存在も忘れてはならない。宝物である。
ドナルド・キーン氏のメッセージ
現代日本人の問題点は、洗脳が戦争に関する歴史の歪曲だけではなく、教育や習慣、制度などの全般に入り込んでいる事。何気なく使っている言葉、常識、法律などが伝統的な日本のものとは違っていることに気付いていないのである。調和や団結を重視していたのに、今では個人の幸せや自由、権利が優先である。代々のお家制度や伝統を束縛だと教え、日本人の時間軸(歴史)と絆を分断する。その理由を全て軍国主義に結びつけることにより、自分たちの理論を強化して来たのである。なぜなら、それこそが日本の強みであり、日本が再び強くなる子をと侵略者たちは望まないので、徹底的な破壊(洗脳)を行ったのである。日本人の調和と絆をバラバラにするために刷り込まれたのが、人権、自由、民主主義、公より自分などの思想概念である。
軍人たちは日本人の精神を利用して戦争に引きずり込んだのだと教える。それは途中からそうなったけれど、出発点は違っていた。最初は日本中の文化人、知識人、民衆たちが、植民地主義に対抗してアジア開放を切望していたのである。当時の文学者などの言論にはその熱気が感じられる。敵を排除する気持ちはあったけれど、他国を侵略して奴隷化しようと考えていたような記述はまだ見聞きしたことがない。出て来るのは、反日勢力が無理やりこじつけたような言論のみ。八紘一宇や大東亜共栄圏を侵略思想だと結びつけた。しかし、こじつけられるようなことをしていたことも史実。国内外の軍人たちの横暴、権力(治安維持法、特別高等警察など)の暴走。これらの膿を出さずに病んだ日本の再興は有り得ない。いわゆる左系の人たちが一番危惧しているのもこの点。私も同感。この検証の話は長くなるから止める。しかし、いずれにしても因果関係からは逃れられない。
実際の大陸開拓団の志願者たちは新天地での幸せな暮らしを求めて開拓団を組織したのだ。大体が中流以下の人たちで、西洋の植民地の様に実業家が現地人を奴隷化して大規模農園経営をするものとは全く異なる。アジアや南米には豪華な建築遺産がたくさんあるけれど、それらの多くは奴隷を使って財を成した邪悪な商人たちの残存物なのである。それに対して、日本の開拓団たちは汗水流して荒れ地を開梱し、現地人とも友好関係を築いていたのである。反日プロパガンダばかりで、現地の暮らしや友好関係を紹介する内容はとても少ない。
ちなみに、明治以前の日本では公的施設以外の建築は、地位の高い人でも質素であることがほとんど。その霊性に逆行して物質文明の下僕となっているのは古来から腐敗した貴族などの特権階級と商人である。明治になってからは霊性の劣った政財界人たちが、物質文明に毒された結果、あちこちに豪邸や別邸を所有し、自分の地位や財力を顕示するようになった。皮肉なことにそれらの建築の大部分は文化遺産となっている。
それによって、調和やお互い様よりも、自分の幸せや自由を考えるべきだとなる。最近は無節操な権利を過保護に論じる傾向が強い。会社は家族だと言う考えから、経済的な契約だとなる。自分の出自の歴史や戸籍は記録以外の意味を持たないと考える人も増えてしまった。結婚した相手の苗字を名乗ることは、その家や家族との絆の証明であり、喜びでもあったはずが、家の中でも自己主張(別姓)に執着する。それらは、洗脳された抽象的な概念をそのまま鵜呑みにしているだけであり、それまでの日本社会での役割や東西文化比較の観点が抜け落ちている。
戦前の教育では精神性を尊重し、学校で教わる偉人は徳の高い人であったけれど、戦後は欧米の発明家や起業家、学者などの有名人に変わった。それが昨今は豪邸、車、パワーゲームによる名声である。この背景には侵略者が精神教育が日本の強さであることに気付き、教育内容から強引に削除させたのである。膨大な書籍が焚書禁書扱いとなり、教科書の不適切な箇所は、子供たち自らに黒い墨で消させたのである。
もちろん、戦前の日本にも問題は多々あるので、それらを比較分析することは大切。しかし、その理由や成り立ちを考えないままで、脅されて押し付けられた侵略者の思想を鵜呑みにすることはとても危険。昔から、相手の文化と言語を破壊し、自国の価値観と言語を押し付ける。これこそが植民地化政策なのであるのに、洗脳度が深い現代日本人は学歴の高低にかかわらず、気付くことができないのだ。これは本当に恐ろしい状態。
ところが、最近はそのような調和の精神こそが世界、地球の平和のカギであることが見直されて来た。AIに世界平和のポイントを質問した結果でも「日本の調和を求める姿勢と社会」という回答が得られたそうである。長い間、日本人は島国根性だ、お人好しの間抜けだ、平和ボケだと言われ続けて来たけれど、ようやく世界が気付き始めたのである。
そこで言いたいことは、いわゆる日本の左系の人たちはどうしてそれに気付かないのか?「いわゆる左系」と言うのは、私自身は左右のどちらに属するのか、わからないけれど、客観性のない空論を振りかざす人に左系と呼ばれている人が多いからなのだ。典型的な洗脳症状が出ていることに自覚がないのである。学識のある人ほど症状が深いことは、洗脳情報の汚染を受けた時間と量が多いことに比例すると言える。
不自然で典型的なのが、選挙に際して持ち出される憲法改正や軍備の問題。自衛や国防とは、身体で言えば、自己免疫力(防御力)。邪悪なモノを予防&排除する考え方のことである。左傾の人たちはこれを頭ごなしに否定することが多い。戦争はダメだ、繰り返すな!とおっしゃるけれど、ではどうすることができるのか?具体的な代替案はあるのか?机上の空論など誰でもできる。実効力がなければならない。戦争はダメだと言いつつ、それから身を守る術も否定してしまったら、現実にどうなるのか?
戦争が好きな人などいない。でも、嫌いだ、するべきではないといくら言ったところで、侵略と言うものは礼儀や言論を超えるのだ。現世界の状況を見るべき。それを「話し合いで」という人たちがいらっしゃる。確かにそれは理想的で、誰もが望むこと。しかし、今までの人類の歴史上それを実践したのは日本神話の国譲りの故事とインドのガンジー氏(翌年暗殺で亡くなる)くらいしか知らない。
でも、試してみる価値はあるかもしれない。有事の際には同様の主張をする議員や政党で「非武装言論外交団」を組織して、賛同する人たちに登録してもらい、戦闘の最前線に赴いてもらうのである。直ぐに帰って来るのであればそれは通常の政府間和平交渉と同じになるから、紛争終結まで最前線に留まり、無抵抗な人間の盾となることになる。爆撃が続くウクライナやガザの最前線にいるような状況に近い。そんなことが非武装&話し合い論者たちには可能なのだろうか?言論で世界平和を訴えようとしていたマスメディア関係者の現状はどうなっている?
その際に、自衛隊は一切の支援をしないで良い。なぜなら、今の問題は自衛隊も十分に機能できず、国連も権威と抑止力が不十分だから、万が一に備えた国防論になっているのである。それなのに、いざとなったら自衛隊や国連が何とかしてくれると頼るつもりなら、それは卑怯。彼らの主張は詭弁であることになる。当事者ではなく(自分自身の命の心配はない)、その恐ろしさの認識不足(歴史と現実)から生まれた空論だと言うことだ。
逃げさせてはならない。途中から主旨を撤回して武力を使用することは彼らの理想論の検証にはならない。最後まで見届けること。同時に参加者には前線に赴く前に国内外に向けて「一切の行動は自己責任であるため、何が起きても武力による対抗や援助は求めません」との誓約書を書かせること。特に国連への提出は必須。なぜなら国際世論から日本国民と政府が見殺しにしたと非難されることを防ぐ必要があるのと同時に、国連の在り方を問う意味があるから。これは国際世界の精神性レベルと国連の意義が試されるテストになると思う。
何と意地悪な発想をする奴だと憤慨する人もいるかもしれないけれど、私もそれだけ真剣で、命懸けで考えているつもり。実は私は綺麗ごとや平和ボケが大嫌いだけれど、裏返しで言えば、綺麗ごとや平和ボケで生きていける世界こそが霊性の高い文明世界だと思う。なので、この手の理想論は数えきれないほどシミュレーションしている。もしも、現時点で100%の確信があれば、腹切りを覚悟で自ら最前線に行く。そして、皆様にご迷惑をかけないために、必ず誓約書を書く。書けないような覚悟であれば、それは嘘だ。人間の命の問題を論じるのであれば、自分自身も命懸けでするべき。
もしも、これを実践する勇気と覚悟をお持ちの方で、実現することができれば、世界の救世主となることは間違いない。ガンジー氏の不慮の死から大分時間も経っているので、国際世論や人類も成熟している可能性はある。ちなみに、テロや暗殺の実行犯たちは教養は無いけれど、行動力があり元気な人間が使われることも知っておくべき。わたしはそういう人間たちを腐るほど見て来た。日本円で数万円のために、平気で放火や殺人ができる。生きた人間兵器(鉄砲玉)となる。政治や暴力団などの紛争には昔からつきものの存在である。その種の人間には思想も信条もないので、非武力&無抵抗をする意義を理解した上で行動するとは思えない。そして、多くがテロや事故に偽装するので、実際の指示者は表に出ない。つまり具体的な責任追及することはできないのだ。最近の暗殺やテロ事件も実行犯から先は闇の中のままでフェイドアウトしてしまう。これが残酷で邪悪な現実なのだ。
私自身も理想はそうあって欲しいと思うけれど、現在の人間たちのレベルは信用できない。そして、問題を起こす人や国は、道理や礼儀が通じないのが当たり前である。そこに、こちらが一方的に綺麗ごと理論を展開する意味が虚しいし、現実には役に立たないと思う。理論と確信が熟成していないのであれば、半端な言論は慎むべき。
そう考えると、抑止効果が一番の紛争予防対策と思う。スカンクは強烈な匂いで威嚇する。ヤマアラシやハリセンボンには痛い棘がある。だから肉食獣は敢えて襲わない。そして、それらの動物は普段はおとなしく、自分から他の動物を襲うことはしないものである。ところが、一部の人たちは針や棘を持ったら攻撃するかもしれない(攻撃するようになる)と強調するのである。この失礼で懐疑的な発想の根拠はどこから来るのか?昔から馬鹿と鋏は使いよう、気違いに刃物と言うではないのか?我々は馬鹿で気違いなのか?おそらく軍国主義の歴史を持ち出す人もいるであろうが、それでは今現在の我々が戦時中と同じ精神レベルなのか?
ちなみに「気違い」は差別用語ではない。本当に気の流れが違うから異常現象が起きることを示しているので、忠実な表現。それが差別につながるのは、言葉に罪はなく、使う人間に問題があるのだ。言霊は両刃の剣。善悪両方に使える。これも偶然に抑止と軍備の関係に似ている。
それから、少し言葉足らずかもしれないので付け加えると、抑止力とは兵器とは限らない。知識、技術などの脅威でも良いわけだ。あの国と仲良くしないと不利だと思わせる状況でも良い。あの国(霊性)を害すると天罰が当たる気持ちにさせる事でも良い。実は神様の啓示は一番最後なのだ。しかし、これには時間がかかるし、現状ではその前に武力で侵略されて母体と基礎環境(霊性と文化)が壊される危険性が非常に高い。だから、その前に取り敢えずの防御態勢を作るべきだと言うことである。日本は古代にこれを失敗している。神様は霊的レベルの低い人間に対しては、鬼の力も借りるべきだと警告したのだけれど、古代の人々は綺麗ごとに走った。その結果、古代グローバリズムが起き、長年平和だった世界に武器と戦争(集団暴力)を持ち込ませてしまった。彼らは本物の神さまと霊的な人間たちを駆逐して自分たちが「神」を勝手に名乗るようになったのである。霊的な古代日本人は争いを避けて辺境の地に隠棲した。侵略者は神の模倣をしたけれど、霊性がないので、表面的な内容(形式的な祭事や儀式)しか継承できない。その結果、都市化したエリアは戦乱が絶えない世界となったのである。この話は以下省略。機会のある時にまた。
いずれにせよ、守るべきものがわかれば、方法論などは二の次。現実に合わせて最善を尽くすしかない











