天皇の女王国説 | is6689のブログ

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        三平方の定理

 三角形において最も長い辺とその隣の辺のなす角度が45度でかつ二つの辺の比が√2:1になっていたら、三平方の定理により、その三角形は直角二等辺三角形になります。√2≒1,4142・・・・・です。

 

     女王国の発見

 女王国は史料「魏志倭人伝」の記述によると、帯方の東南大海の中にあります。帯方の位置は朝鮮半島西岸でソウルからピョンヤンの間で認識はほぼ一致しています。次に帯方から女王国までの距離は「万二千余里」と記されています。「自郡至女王国」は帯方郡から女王国までの距離という意味です。

 女王国は帯方の「東南方角」にあって、そこまでの距離は「万二千里余り」ということです。この二つの事実から女王国は「計其道里當在会稽東治之東」と記されています。「當在会稽東治之東」の意味は、女王国は、間違いなく、会稽東治の東にあるということです。「當」は「当」の旧辞です。魏志倭人伝の著者、陳寿(233~297)の思考において、女王国が会稽東治の東にあることは当然となっています。当然、????。「何を根拠に」と陳寿に聞きましょう。でも、陳寿は3世紀の学者です。聞くことは出来ません。それではこう考えましょう。陳寿は後世の学者たちに、自分がなぜ女王国を間違いなく、会稽東治の東に、間違いなくの東ですから、真東にあると推定したのか、その根拠を考え発見しなさいと問題を出し、それが発見できたら女王はあなたたちの前に現れると遺言したと。いかがでしょう。知的遊びです。

     数理論理的思考

 数学は一つの体系になっています。式や命題がすべて繋がっています。数理論理的な思考の人の言葉は数学的です。すべての言葉がつながっています。人は学力が高ければ高いだけその意識は数理論理的、体系的になっています。「至誠一貫」は知性が高くなければできないことです。陳寿は非常に知性の高い学者であったとします。その言葉は体系を持っていたと考えます。以上の前提で、陳寿が女王国を間違いなく、会稽東治の真東と推定した根拠を尋ねます。会稽東治とは中国大陸東岸の揚子江河口付近です。

    小学高学年の数理思考

 「東南」とは帯方をから見ての方角です。中心は帯方です。条件に合う帯方の地点を任意に取り、そこから東南方角に半直線を引きます。そして、帯方の東南に女王国があるということは、どういう事かを考えます。帯方から右へ45度回転した方向は「南」という事です。その方角に線を引いてみます。数学の問題を解くときの補助線です。会稽東治に当たりました。メルカトル図法は角度の正しい図法ですので間違いありません。帯方から東南方角に女王国があるという事は、帯方から南の方角に会稽東治がある事だと発見されました。さらに、数理論理的思考を働かせて、帯方から南に会稽東治があるということはどういいう事かを考えます。・・・・・・・・・、ということは、帯方は会稽東治から見て、北にあるという事になります。ということは、会稽東治から右へ90度回転した方向は「真東」になります。その方向に直線を取ります。帯方から東南方角の直線と交わりました。その交点が女王国です。帯方と会稽東治と女王国の三点で直角三角形になっていることに気づきます。帯方から女王国の方向と帯方から会稽東治の方向のなす角度が45度になっているゆえに、その直角三角形は二等辺三角形と分かります。帯方と会稽東治と女王国で直角二等辺三角形になっていることが発見されました。これは、数理論理的思考を働かせれば史料から小学高学年生であれば発見できる事実です。

   中学3年生以上の数理思考

 陳寿は女王国を推定するのに「計其道里」と前に書いてあります。「その距離から考える」ということです。その距離とは女王国までの距離であることは当然ですが、それだけではありません。なぜなら、女王国への方角が東南で、かつその距離が万二千里余りというだけで、間違いなく、会稽東治の東に女王国があると推定することは出来ないからです。女王国までの距離が分かっている陳寿に帯方から会稽東治までの距離が分からないということはありません。陳寿はその距離を知っていながら、それを意図的に隠したのです。陳寿は帯方から会稽東治への方角とその距離を意図的に隠しています。数学の問題をつくる立場としては、それは言えません。それを数理論理的に発見させる事が問題の狙いですから。陳寿が「計其道里』と記したときの「道里」とは「距離の比」です。帯方から女王国までの距離と帯方から会稽東治までの距離の比です。それが√2:1になっていることは、直角二等辺三角形の性質を三平方の定理を通して知っている中学三年生であれば理解できるはずです。陳寿は、帯方から女王国と帯方から会稽東治の方向のなす角度(45度)とその距離の比(√2:1)から、三平方のの定理によって、女王国は間違いなく会稽東治の真東に在ると推定したのです。三平方の定理が根拠となって、女王国は間違いなく会稽東治の東にあると推定されていたのです。

  女王国を決定するもう一つの条件

 女王国は、帯方と会稽東治と女王国で直角二等辺三角形になっている事から、その候補地が奄美群島に絞られました。地図上で直角二等辺三角形を使って女王国の候補地を調べると、奄美群島だけになることが分かります。直角三角形の頂点、直角の点が海に入ってはいけませんので、候補地が九州になることはありません。もちろん畿内もです。数理論理的に、三平方の定理より邪馬台国畿内・九州説はその可能性が「無」です。

 女王国を奄美群島の中で決定する条件は「邪馬台」の地形です。邪馬台国を「やまたいこく」と読むのは間違いです。「邪」を「ヤ」と読むのは「音読み」です。「馬」を「ま」と読むのは「訓読み」です。「音+音」または「訓+訓」が読み方の原則です。「邪馬台国」を原則に従って読むと「やばだいこく」です。魏志倭人伝の記述の文脈から邪馬台国は女王国の地形の特徴を言った名です。「邪馬台」の地形です。大分県に「耶(邪)馬溪」という観光地があります。その地形の特徴は渓谷の多い事です。溶岩台地ゆえに浸食作用を受けて渓谷が多くなっています。徳之島伊仙町は耶馬溪と同じく渓谷の多い町です。琉球石灰岩台地ゆえに浸食作用を受けて渓谷が多いのです。徳之島伊仙町はその地形の特徴から、邪馬台国(やばだいこく)女王の都です。奄美群島で伊仙町の他に邪馬台の地形があるでしょうか。


       より厳密に

 徳之島伊仙町が女王の都であることをより厳密に理論的に裏付けるには、帯方から女王国までの距離と記されている「万二千余里」を説明しなければいけません。


 古田武彦著『「邪馬台国」はなかった』

 「『三国志』の里数を調べる この『一万二千余里』が、『実数値』か『誇大値』かという問題を実証的に解くために、わたしたちのなさねばならぬ作業は、明白にして単純である。『三国志』の全六十五巻の中に存する、すべての『里』数値を抜き出し、これを倭人伝中の『里』数値と比較することである。

 榎説の崩壊 このようにして、わたしたちは明治学界以来の永き『通念』を断ち、『三国志』の中には通常わたしたちの知っている『漢・唐の里数値』とは異なった、異例の『短里』が採用されていることを知ったのである(この『短里』の単位数値は、のちに詳しく述べるが、今、結論だけ書いておくと、一里はほぼ七十五~九十メートルとなる)。これを正確に要約しよう。『三国志』内の里数基準は、すべて一定している。それは前代(漢など)、後代(唐など)の里程とはいちじるしく異なる。しかし、いずれも、実測値としての基礎の上に立った、ほぼ正確な表現である、と。」

 

 古田氏の上記の功績は一般にはあまり知られていませんが、称えられるべきです。「万二千余里」が実際の距離と発見されたわけですから。これで女王国の位置がより確かになります。

 古田氏は帰納法で一里を発見しています。陳寿は一里を75~90メートルの範囲で記述していると帰納法で古田氏は発見しました。その範囲のどの値を一里に取ればいいのでしょうか。選択した値に正当性があるでしょうか。困りました。これでは厳密に女王国を決定することができません。


   陳寿の一里発見

 わたしは陳寿の一里を90、90909090・・・・・メートルと発見しました。

 一里は300歩(ぶ)と決まっています。これを変えることは出来ません。一歩は6尺です。広辞苑参照。一尺は30、30303030・・・・・・センチです。片足を1歩前に出して進む距離です。この体系で一里は30、303030・・・・センチ×6×300=545、4545454・・・・メートルです。

 陳寿は戦略上女王国を隠す必要がありました。倭国は本来であれば呉の国につかなければいけない立場でした。倭人は泰伯の子孫とその昔自称していたからです。泰伯は呉の国の建国者です。呉の国と倭国が同盟を結んだら、魏は戦略上不利になります。倭国は呉の国の東方に確かに存在するがその位置を分からせないように記すのが陳寿の智謀です。帯方から会稽東治までの方位と距離をわざと記さなかったのも智謀家陳寿のなせる業です。

    奇略の人は奇略を知る



「勝信貴」の姓名数理

暗示誘導力の解説

 わたしの名付け親は、日本哲理運命学会長 大教正 佐藤霊祥という方です。わたしが生まれる頃、四国から来ていた人で、伯父が勤める中学校で野球の指導をしていた縁から、伯父がその方にわたしの名づけを頼んだとのことです。そしてしばらくして徳之島からいなくなったとのことです。その方がわたしの名には「智謀、奇略がある」と記しています。思い当たる節があります。

  陳寿の奇略

 一里は300歩(ぶ)です。陳寿は一里を300歩(ほ)にしました。一歩=一尺=30、3030・・・センチです。一里=300歩(ほ)=30、303030・・・×300=90、909090・・・・メートルです。・・・・・・。唖然。一般の人は、一里=300歩=545、4545・・・メートルと考えていましたが、陳寿は一里=300歩=90、909090・・・・メートルでやっていたのです。これは一般の人を欺く陳寿の奇略です。陳寿の奇略を奇略の勝信貴が見破りました。


   万二千余里

 万二千里=90、909090・・・・メートル×12000=1090、909090・・・キロメートルです。徳之島伊仙町から帯方、(帯方を北朝鮮の海州(ヘジュ)と推定しています)までの距離はネットで調べて、1165、763・・キロです。1166-1091=75キロです。1166=1091(万二千)+75(余り)です。帯方から徳之島伊仙町までの距離は万二千余里になっています。

   直角二等辺三角形

 帯方から会稽東治(上海近辺)までの距離は823、907・・・キロです。帯方から徳之島伊仙町までの距離を帯方から会稽東治までの距離で割ると、1165、763÷823、907=1、414=√2です。またネットで調べて、帯方から女王国、徳之島伊仙町への方角は「南南東」になっていて、帯方から会稽東治の上海近辺への方角は「南南西」ですので、帯方を中心に両方角のなす角度は45度です。したがって、帯方(ヘジュ)と女王国(徳之島伊仙町上面縄)と会稽東治(上海近辺)の三点で会稽東治を直角とする直角二等辺三角形になっています。


     陳寿の方角体系

 陳寿の方角体系は現実の方角とは22、5度の差があるようです。陳寿の東南は実際には「南南東」です。南は南南西です。東は東南東です。思うに、陳寿は地球を完全な円とした方角体系を持っていたのでは、・・・・・・。陳寿の方角は数学的な方角体系であったと思われます。

 続く。

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