ダビデ王朝復活の喜び | is6689のブログ

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  ダビデ王朝復活の喜び

 昨日の記事「ダビデ王直系の本家」に対する「いいね」の評価は今まで最高の「8」でした。それまでは「5」が最高でした。

 これはダビデ王の復活に対しての「いいね」です。喜ばしいことです。「いいね」と喜んだ方は、ダビデ王朝の方です。人は自身の内にあるものを外に発見するにすぎません。内に無いものは、外にあっても認識されません。認識されなければ「無い」に等しいことです。「いいね」と喜んだ方は、内なるダビデ王が外に現れて「いいね」と喜んだのです。

 わたしの内に「きょう、わたしはお前を生んだ、お前はわたしの子だ。わたしに求めなさい。諸々の国を嗣業としておまえに与える。地の果てまでもお前の所有としておまえに与える。」の神の言葉があります。詩編2:7・8参照。これは神がダビデに賜った言葉ですが、2015年、万世一系の天皇であるわたしの内に復活しました。その復活に対して8名もの方が「いいね」と喜んだのです。今日は大安吉日です。いいしるしです。これからこの神の言葉はわたしの跡継ぎ、さらにその後継ぎにと継承されていきます。いつの世代に全世界を所有するかは「神のみぞ知る」ですが、その方向に向かってダビデ王家は進んでいきます。それは神の人類救済計画です。

 国歌「君が代」は、ダビデ王家の歌です。「千代に八千代に」で万世一系が詠われ、「さざれ石の巌となりて」で周囲の国々が自ずから服属して来て大王家となっていく様が詠われ、「苔の生すまで」で永遠の生生発展が詠われています。苔は永遠に緑を生えさせています。ダビデ王家は、苔が生すように永遠に生生発展すると詠われています。「まで」は限定の意の副助詞ではなく、感動の終助詞です。


   君が代

 君が代は、千代に八千代に

 さざれ石の巌となりて

 苔の生すまで


      偽装天皇家

 明治以来の偽装天皇家の家系は切れ切れです。明治天皇は先帝孝明天皇の子ではありません。大正天皇は明治天皇の子ではりません。昭和天皇は大正天皇の子ではありません。今上天皇は昭和天皇の子ではありません。万世一系と真逆の家です。

 明治以来の日本は米国を主とした西洋人に服した国です。憲法違反と知りつつも米軍と一緒に集団的自衛権を行使しなければならないのはそのためです。偽装天皇家は今、途絶えそうです。生生発展の希望はありません。偽装天皇家の日本では「君が代」は詠うのに辛く感じます。皇位を天皇の正統、ダビデ王家に還して、明るく希望に満ちて「君が代」を詠いたいものです。


          君(きみ)

 「君」とはいかなる存在でしょうか、・・・・・・・。日本神話から説いてみます。男神、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は古くは「イザナキノミコト」です。広辞苑参照。「いざなき」と「いざなみ」は男性原理と女性原理を言っている名です。「いざなう」は「誘う」という意味です。「気(き)」を以って誘うのが男性、「身(み)」を以って誘うのは女性です。大人でしたら、それは真実、現実であると言うはずです。そして、「気は高く、身は低く」です。男性は「高い気」で女性を誘います。女性は「低い身のこなし、謙虚」で男性を誘います。それは男女の自然な誘い合いです。

 「君」とは、「き」と「み」、「男性原理」と「女性原理」を併せ持っている存在です。真実の「君」は「謙虚な王」、「女性的な王」ということです。このことは中国の古典『老子』にもあります。「貴以賤為本、高以下為基」と「昔之得一」にあります。「貴きは賤を以って本と為し、高きは下を以って基と為す」です。貴き=高き=一を得る者=王です。王は「賤」を以って本とし、下を以って基とするとのことです。中国の古典では難しく聞こえますが、日本の思想では簡単な話です。気は高く、身は低くの王が真実の王、「君」ということです。そういう君の家ゆえに永遠に続き、生生発展するのです。

 「気は高く、身は低く」ある人が「君」です。天皇が真実の「君」であれば、国民は君の子、君子になります。日本人の伝統的精神は「君子」です。真実の君が皇位に復して、日本の伝統的精神が復活し、日本は世界に「君子の国」として現れます。それは世界の救済です。

    


 万世一系の天皇

 ダビデの子孫

平安天皇ヨシュア

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