「Katyń(カティンの森)」(2007)ワイダ監督が一生を通じて遺されたもの | 時は止まる君は美しい

時は止まる君は美しい

巡りあった美しい人達の記憶を重ねます・・・
B面ブログ「扉・鎧戸・宵の口」も始めました。

 

それでも、戦争は必要だと言うのが人間・・・

 

アンジェイ・ワイダ監督作品。(ポーランド)122分

 

 

マヤ・オスタシェフスカ様、アルトゥル・ジミイェフスキ様、マヤ・コモロフスカ様

ヴワディスワフ・コヴァルスキ様、アンジェイ・ヒラ様、他

 

 

構想50年製作17年をかけて完成させた、

90歳で亡くなられたワイダ監督、80歳の作品。

 

 

監督自らの父親も、事件の犠牲者であり、

経験者が一生背負う「戦争」記憶と「伝えなければいけない」という意志

 

 

 

 

第二次世界大戦中、スターリン政権のもと、1940年

ポーランド軍の将校、国境警備隊員、警官、一般官史、聖職者が、

銃殺された事件。

 

 

 

 

1943年、始めに遺体発見された森の、近郊の集落から名を取って、

「カティンの森事件」と呼ばれるが、実際の処刑地は数か所に分かれる。

2万人以上の虐殺。3870名が、今も、発見されていないという。

ソ連側は、ドイツ軍の犯行として来たが、ゴルバチョフ書記長時代のペレストロイカにより、

1990年、発見された書類がポーランド側に提出され、正式に認める。

 
 
 
 

映画は、1939年、第二次世界大戦勃発、独ソ不可侵条約により、

両国がポーランドに侵攻ドイツ軍から逃げる避難民と、

ソ連軍から逃げる避難民が、出会い混乱が生じる所から始まる。

 

 

娘を連れ、大尉であるを探しに来たアンナは、

駅で、ソ連に連行される直前の夫アンジェイと会う事が出来る。

 

 

 

どさくさ紛れに、逃げようと言う妻に、軍人としての務めを果たすと、

夫は、友人イェジ等と共に連行されていく。

 
 

 

その時から、彼は、持参した手帳に、克明な記録日記をつけ始める。

一方、アンジェイのも、教授を務める大学講演会へ出席、

大学反独的であったとして、

その場で同僚ら全員と拘束され収容所に送られる。

その後、届くのは、病死したという知らせと遺灰。

軍人達は、収容生活の中も、生き残ろうと、クリスマスに合唱し、年を超す。

イェジは、アンジェイに、自分のセーターを贈る。

 

 

あの状況下でセーターを譲る、それは、本当に、善意だった・・・

やがて、「帰国が許された」と、順次、移送が命じられる。

 

 

先に名前を呼ばれたアンジェイは、イェジと、また会えると別れる・・・

 

 

 

 

カティンの森での将校たちの遺体発見が報じられ、

身元確認の後、名簿公開されていく。

 

 

イェジの名が載るが、アンジェイの名はない。

 

 

1945年解放されたイェジが、アンナの元を訪れ、

セーターに縫い取りされた名前によって、

アンジェイがイェジと間違われた事がわかる。

 

 

法医学研究所を訪れたイェジの自分のものとされている遺品を、

アンジェイの遺族の元に、という説得で、

関係者の女性の手によって、アンナに手帳が届けられる。

「戦争」と一口に言っても、戦局による状況変化はその時々で、

それに対応していかなければ、生き残れない状態。

生き残ったことに罪悪感を抱かねばならなくなる理不尽

敵国の人間という立場の元でも、危険を冒し、相手を救おうとする者もあり。

 

 

イェジのように、ソ連側の証言をさせられたことを恥じて、自ら死を選ぶ者。

 

 

 

時局に従っていなければ、簡単に死を招く状況下、心を偽って生き延びる者。

戦争というものが踏みにじり、奪っていく事々を描いた、

ワイダ監督晩年の作品。こうして、一生を「伝え遺す」運命に導くのも戦争。

 

 

辛い、向き合って知らなければいけない事実が描かれています。

最後に、作中の台詞を幾つか・・・

 

 

同胞が埋められていた。わが目を疑った。共に死ぬべきだった」

「あなたの義務はね、真実証言すること」

「または、己の頭を撃つ」

 

 

「ソ連でもドイツでも同じ死者は蘇らない

生き続ける赦す、これが勤め。生きなくては・・・」

 

 

「あなたも連中と同じ。思いは違っても、行動は同じ。

思うだけでは、何の意味もないわ」

 

 

自由なポーランドはありえない、二度と。覚えておいて」

 

 

のみに囲まれて、生きている意味はある?

正気を失ったと?でも悪人を悪人の裁きにかけられる?」