2015年3月1日記事
ここのところ、美女の記事が続いたので、
最後にロミー・シュナイダー様の再掲を一発。
モノクロの美学・カラーの芸術
わたくし、白黒写真が好きです。
自分のブログを見ていても、モノクロをよく集めているなあ~と思います。
じゃあ、それが映画のスチールだった場合、モノクロ映画かというと、そうとも限らない。
多分、数えたら、ご登場写真、ぶっちぎりNo1を争ってると思う、
マリリン・モンロー様と、Romy Schneider(ロミー・シュナイダー)様の、ロミー様ご出演作品。
凝りもせず、まだまだ集めているので、Luchino Visconti(ルキノ・ヴィスコンティ)監督作品、
『Ludwig(ルードヴィッヒ)』(1972年)を眺めつつ、
ぼんやり、白黒と色彩について思い巡らせました。
モノクロにしてあるロミー様のアップの美しさ。
カラーに付く陰影を教えてくれるモノクロの陰りと光。
何やら、歴史写真のよう。
写真を拝見していると、生き生きとした美しさを放つモノクロ、撮影現場写真に集中。
そういう風景を白黒で撮影することで、カラー以上のリアリティが存在し息づく。
別にモノクロ撮影用の化粧をしたり、配色の衣装を身に付けているわけではない。
でも、映画でのカラーとは違う形で、時間が切り取られていて、
撮られている方々が、色彩に負けていないんですね。
色という要素を取り除いたことで、魅力が際立っているように思います。
役者をも映画の「歴史」に仕立て上げたヴィスコンティ監督と役者の信頼感溢れるショット。
映画自体は、もちろんカラー映画。「ルードヴィッヒ」はカラーでないと考えられない。
「色」が、人物に息吹を持たせ、時間を越えて、時代を圧倒的に描き出している。
黒澤明監督作品と似てるなあ。何言ってる?巨匠達相手に当たり前のことを~。
選ばれた色彩、脳裏に存在する物語の現実化。
あるがままに撮影されながら、それは絵画のような作り手の「目を通した」世界。
ヴィスコンティ監督は、モノクロームの時代に、現代ものを多く描かれ、
カラーに移ってからは、カラーだからこそ描き出される、時代物を多く描かれてらっしゃる。
過去が現実にそこのあるような映画。
豪華さ、贅沢さが、危うさ不安定さを明確にしていく。
当然のことながら、時代時代、技術と作品は密接に絡まっていて、
拝見させて頂く立場であれば、何の生みの苦しみも悩みもなく、
好みの時代、作風のものを選んで拝見すればいいこと。
贅沢なものです。でも、本当の贅沢は、スクリーンの向こう側にあるのかも。
徹底的に寒そうな、「向こう側」の写真。
その鼻の形は・・・ヴィスコンティ監督・・・ですよね???
支離滅裂な記事???