私は、なぜか会議というのが嫌いである。顔見知りだと相手の地位、立場がわかり遠慮が先にたつ。
また、私のような頭の固い人間の発言は言い回しが強く、融通の利かないと思われがちとなる。
酒の席のようにお互いの意見がわき出て、その心底が知る時代は少なく、いまや会議は「消化試合」、主催者の結論ありきとなったと思うからである。
私など80年近く生きてくると、裏表を感じるようになる。言葉だけでは説得されなくなる。でもその立場、来歴など知ると、つい同情してしまう。
この小さな町が疲弊するのは、会議オンリーさが弊害となっていると思う。上からのマニュアルの押しつけである。住民のことなど考えず「法律がこうなっています」とだけとなる。
だから誰に、どこの部署にモノを言ってようのか解らない。盥まわしのあげく、なにもなかったごとく元の黙阿弥となる。
職員にしても、そのような態度を住民から冷たき見られ、仕事が嫌になったり、ウツになったりする。多くの方と交流、年齢を経て成長するよう望む。
ある方から「あなたのネットは、役場の何人分の仕事をしているね」と言われた。私は自分の感覚をニュートラルにして、共通の話題性となるようヒラメキで発信している。
仲良しムラの会議。それぞれの素晴らしい個性を殺し合ってはならない。そして学習を怠らず、自己表現ができるようにするなら、町の未来は開かれるだろう。