「出歩く」ということをなぜ忘れたのだろう。このことを忘れたことが、私には「地方の疲弊」につながったと思う。
直接、顔を見合わせない、言葉を交わさないでも用事がすむ時代。それは家族を持たないでも済む時代である。そうなれば直接の社会など不用となる。
特に田舎においては自動車は必需品で、町中で用をたすのも病院へ行くにも欠かせない。
昔は、背負い籠を背負って1里、2里の道を買い物に、商いに歩いたものである。
便利というものは肝心な基礎を失うということになる。交際も疎かになり、家に引きこもってのテレビかぶれ。ネット・電話1本で買い物が自宅へ届けられる。
こうなれば個人という思想を持たなくてすむ。地域・自分の未来さえ考えなくなる。
私は、ある程度の「普通」を共有していかなければと思う。心の砂漠化を防ぐたもの方策である。
それには極力歩くことをおすすめしたい。人でも自然でも実際にそれに接すると、回答が引き出せるということだ。心が伝わるということは納得のいく「決断」となるのである。
電波の情報でなく、五感を働かしての判断こそが真の「生き甲斐」となることを。