公の横暴 | 囲炉裏端のブログ

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伊豆・松崎町は、観光資源に恵まれているところです。町への思いを具現化するため、互いに情報交換をよくし、住みよい町づくりを目指します。

昨日、さも大事件に遭遇したかの様子で知人から電話があった。「役場に住民票をもらいにいったら、顔見知りにもかかわらず身分証明書がなければ出せません」と言われたのだという。


少し以前は職員の方から私語(言葉)をかけてくれ、住民のための役場という雰囲気だった。それが法律を盾に「絶対拒否」の態度をとる。もし発行して事件となれば、己の身分が危うくなるという職員・役所本位ともいえる行動である。


こんな小さな町が一丸となれれないのは、こんなところに原因があるように思う。子供時代から勉強オンリーで、生活感を共有しようとしない職員。


その申請者人どのような交通機関を使ってこられたのか、どのような境遇にあるのか、それとなく察してこそ、公僕というものであろうに。


この方が老齢、遠方からバスで来られ、その日に必要な書類か、ぐらいの想定=思いやりがあってもよかろう。バス停から役場までようやく歩いて来た人物、バスの回数も少ない、往復のバス賃、それを簡単に追い返すのが今の役所なのである。 以前は暗証番号のように家族の生年月日を確認、発行してくれたものであった。


大都会ならいざ知らず、こんな小さな町である。集落ごと担当職員をもうけ、その係りが一応認知をし、都合の良いときに身分証明書をもってきてくださいぐらいの工夫はできないものだろうか。


ある金融機関では、自書の通帳番号・日付を間違えただけで訂正印がなければ受け付けない。係りがそっと訂正してくれても良いではないか。 銀行振込にしても、振り込め詐欺を防ぐためと称して10万円以上の送金がATMからできない。何回も手数料を振り込ます、銀行側の詐欺ではないか。


また究極は、反則金ぶったぐりの交通取り締まりである。陰にかくれておとり捜査のように一時停止、スピード違反、駐車違反をみつけては善良な住民を苦しめる。


いまや政治にしても公は、庶民から遠く離れてしまったように思う。すべては上から目線、「法律は絶対」とばかり、ロボット化され、人間味ひとかけらもない

。これでは地域創世などなく、国家滅亡にまっしぐらというとこか。