1945年8月15日午前8時15分、テニアン基地から飛び立った爆撃機エノラ・ゲイは原子爆弾リトル・ボーイを投下。広島市中心部、猿楽町の上空約600mで爆発した(原爆ドーム近く)。

広島型といわれるこの原子爆弾は、20キロトンのウラン235爆弾である。
長さは3.05m、直径71cm、重さ約4トン。2つに分けた臨界前のウラン235を火薬の爆発でぶつけ合わせ、急激な核分裂を起こさせる。

原子爆弾はただ爆発するだけでなく、次のような経過をたどる。

’枻により数百万℃の火の玉(広島では直径140m)が生じ、熱線と爆風と放射線を放出。広島の原爆では爆心直下で6000℃に達したようだ。

■械苅娃蹇辛辰両弖眷箸鮗?呂鉾し、地面に到達した衝撃波は威力を増大させてマッハ波となり、地上の人や建物を吹き飛ばしてゆく。

5涎磴剖?い外に向かって移動した為、減圧が起こり、中心部に向けて時速1078kmの風が吹き、塵芥・火の粉などを巻き上げ上昇気流が生まれ、きのこ雲が形成される。

ぞ絛?防颪ぞ紊った火の粉は、やがて冷やされ、「死の灰」となって降り注ぐ。広島では黒い雨が降った。
 
※現在では広島型より威力がはるかに高い核兵器が開発されており、それが使われたのなら、投下された町は壊滅するのはもちろん、きのこ雲が成層圏に達し、世界中に「死の灰」を振り撒く。

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当時の広島の人口は約32万人であるが、死者・行方不明は約12万人に達し、重軽傷者約8万人。
建物の全焼は約5万5千戸、全半壊は約1万戸という壊滅的被害を受けた。
爆心地からの半径2kmは全壊全焼、半径4kmでも建物は破壊された。

原爆の被害は、直接的な被害にとどまらない。
熱線で大火傷を受けた人が死んでゆき、多量の放射線を浴びた人は、原爆症と総称される病気(白血病、甲状腺がんなど)で死んでゆき、戦後60年経った今でも約37万人がこの病気と戦っている。
当時の人口より多いのは、救援・救護に周囲から広島入りした人が、まだ残っていた放射能によって被爆したことと、放射能によって遺伝子が壊れた影響で、被爆者の子孫に原爆症が受け継がれた為である。

このように核兵器は、いとも簡単に人も建物も破壊し、その後も人の身体を破壊してゆく。

現在核兵器は3万発あるといわれ、威力の小さい”使える”核兵器も作られている。
核兵器の抑止論が正論のように謳われているが、核兵器を持たない国はそれに対抗する為に核兵器を作り、核拡散が続いている。