午後2時半から住吉神社で巡礼奉納が行われるため、2時過ぎに神社へ向かった。ここは以前、被爆樹木の撮影で訪れたことがある場所である。

 

拝殿には小さな舞台があり、手前には細長い作品が飾られていた。

後の説明によると、染色画家・イズオカヨシユキさんによる染色画「千歳(せんざい)」で、住吉神社とも関わりの深い松を描いた作品だという。能舞台といえば大きな松の絵が思い浮かぶが、それがない拝殿では、彼の絵がその役割を担っている。

「本番中の撮影はご遠慮ください」と案内があったためカメラをしまい、開演を待つ。拝殿内に用意された席は早々に埋まり、外にも椅子が並べられた。参加者は100名ほどだったそうで盛況だった。

最初はジャズトランペッター河村貴之さんによる「似島」の演奏から始まった。似島は原爆被害者が運ばれた島である。哀愁を帯びた鎮魂の音色が拝殿に静かに響き渡った。

続いて巡礼奉納が始まる。

演じるのはシテ方観世流能楽師の杉浦豊彦さんと、藤井丈雄さん。

演目は「高砂」「羽衣」「屋島」の三曲。能面をつけず、羽織袴姿で舞う「仕舞」である。能に詳しくない人にも分かりやすいよう、演目ごとに解説が添えられていた。

(被爆樹木:クロマツ)

 

最初の演目は「高砂」。

播磨の高砂を訪れた神主が、松を掃き清める老夫婦と出会う。松の由来を尋ねると、老夫婦は高砂の松と遠く離れた住吉の松が「相生の松」であり、離れていても心は通じ合っていると語るという物語である。結婚式で謡われる「高砂や〜」はこの演目に由来し、夫婦円満への願いが込められているそうだ。
 

巨樹や巨木を巡っていると、「相生の松」と名付けられた木に出会うことがある。これも「高砂」と関係しているのだろう。
 

とはいえ、私は能をほとんど観たことがない。どう鑑賞すればよいのか分からず、とりあえず舞いの動きを追うことしかできなかった。

(黒松と住吉神社)

続いては「羽衣」。

天女の羽衣伝説として広く知られている物語で、静岡県の三保の松原が舞台になっている。
住吉神社の周辺も、かつては川沿いに松林が続く風景だったという。原爆投下後に水を求めて川辺へ下りた女性が流されそうになった際、布を松の枝に掛けて助かったという話も伝わっているそうだ。

住吉神社には現在も2本の被爆樹木が残されている。

二つ目の演目となり、少し目が慣れてきたのかもしれない。
舞の動きから羽衣を手に取っているような様子や、風にはためかせているような情景が自然と想像できるようになってきた。

最初は微動だにしないように見えた演者の姿も、よく見ると視線や身体の使い方に細かな変化がある。能の表現の面白さが、ほんの少し分かった気がした。

最後の演目は「屋島」。

広島は平家との縁が深い土地である。宮島の厳島神社は平清盛との関わりで知られているし、呉市音戸町には、清盛が沈みかけた夕日を扇で招き返し、音戸の瀬戸を一日で切り開いたという伝説も残されている。

「屋島」は源平合戦の古戦場を舞台とした作品である。
旅の僧が漁師の老人に戦の様子を尋ねると、老人はまるでその場に居合わせたかのように語り始める。そして、かつての戦いの情景が舞台の上によみがえっていく。


戦闘場面では扇が剣へと変化し、使い方によってさまざまなものを表現していた。私は扇の動きに注目しながら舞を追う。
 

また、舞台を踏む足音には強弱があり、独特のリズムを刻んでいる。拝殿に力強く響く謡の声は、勇壮さの中にも幽玄さを感じさせ、シテの舞によって拝殿の空気そのものが動いているように思えた。

 

30分ほどの短い巡礼奉納であるが、実に濃い内容で、能の魅力の一端を感じた。




以前、ある被爆者の方が「平和公園は大理石で蓋をしている」と話していたことを思い出す。

もちろん平和公園の整備にそのような意図があったわけではないだろう。しかし、その場所に暮らしていた人々の痕跡や息遣いが、整然とした現在の風景によって覆い隠されたように感じられたのかもしれない。


今回の「広島鎮魂おりづる能」は、かつて広島で盛んだった能の文化に光を当てる取り組みである。そして、鎮魂の芸能でもある能を通して、失われた過去の記憶と現在とをつなぐ試みでもある。広島と能にゆかりのある場所で、今後十年間にわたり奉納を続けていく予定だという。


活動が継続されることで、より多くの人が広島の失われた文化や歴史に目を向けるきっかけになるだろう。そして原爆で亡くなった人々への供養となり、寸断された広島の記憶が少しずつ立ち上がってくることを期待したい。

そういえば、会場には高校の新聞部が取材に来ていた。
能に馴染みがなければ記事にまとめるのは簡単ではないかもしれない。しかし、若い世代ならではの視点で、この催しの意義や魅力を伝えてくれるのではないだろうか。