皆さま,GWはいかがお過ごしでしょうか。
私は,遠方への旅行などの予定がないので,子供の面倒を見つつ,仕事をするか,勉強するかの二択のGWを過ごしております(笑)
さて,毎回,食べ物を紹介している私ですが,ブログの名前にもあるように,「LGBT」についての記事も書こうと思っていたので,今日は同性婚ないし同性カップルの法的保障という観点でブログを書きたいと思います。
(私見も多く入っているので,参考程度に読んでいただければと思います)
急にこのことを書こうと思った理由は,先月,大阪で同性カップルの一方が亡くなって遺産相続を求める訴訟が起こされたという記事を読んで,色々思うところがあったからです。
1 同性カップルは婚姻できない
まず,LGBTという言葉ですが,ご存知でしょうか。
2015年には新語大賞の3位に選ばれていますし,最近ではその言葉自体は知っている方も少なくないかもしれませんね。レズビアン,ゲイ,バイセクシュアル,トランスジェンダーの英語の頭文字を並べた言葉ですが,LGBTQ,LGBTIなど,他にもあり,その意味を離れてセクシュアルマイノリティ(性的少数者)全般を指す言葉として用いられることも多い用語です。
LGBTの人のうち,LGBの人たちは,同性同士で愛し合っていたとしても,法的に結婚をすること(同性婚)は,日本ではできません。
また,トランスジェンダーの人たちも,戸籍上の性別を変えるためには,現行法上,いわゆる性転換手術が必須であるなどハードルが高く,戸籍上の性別を変えない限り,婚姻できない状態にあります。例えばFtMの方と男性の方が結婚しようとしても,戸籍上は同性カップルとなってしまうために結婚できません。
そのため,LGBTのカップルには,結婚した場合に存在する法的保障がない状態と言われています。
つまり,婚姻に伴って配偶者に婚姻費用を求める権利はなく,別れた時に財産分与を求めることもできませんし,どちらかが亡くなった際に遺言がなければ相続もできません。また,遺族年金ももらえませんし,税金の配偶者控除も使えません。要は,法的には赤の他人なのです。
そのため,同性カップルは,長い間,婚姻の代わりに「養子縁組」をしてきた経緯があります。これは,養子縁組の本来の趣旨とは異なるのですが,養子縁組みを行うことによって法的にも繋がりができ,相続の際にも相続人となることができるためです。今回の大阪で訴訟を起こした方もこの養子縁組をしようと思っていたようですが,結局それもしないうちに相続が開始してしまったようで,このような紛争になってしまったということのようです。
2 パートナーシップ制度とは
同性カップルの婚姻について,最近では,パートナーシップ制度という公に同性カップルを認める制度が各自治体レベルで導入されています。2017年3月までで6自治体が導入し,福岡市でも2018年4月2日より7自治体目としてパートナーシップ宣誓制度の運用が開始しました。
そして,大阪市も今後パートナーシップ制度を導入すると発表しており,先日,これに続いて千葉市も来年度に導入をようと準備を進めていることを発表しました。
これらの動きは,2015年に東京都の渋谷区や世田谷区から始まったものですが,徐々に全国に広がりを見せています。
ここで詳述すると,それだけで何千字も要するので,詳細については私が所属している事務所のHPをご覧ください(LGBT関係は,ほぼぼ私が執筆しています)。
(https://www.daylight-law.jp/kozin/lgbt/partnership.html)
かくいう私も,福岡市で開始したこの制度については少しだけ関わっており,パートナーシップ制度だけではなく,LGBTに対する支援事業を行おうとしている福岡市と弁護士会(LGBT小委員会)が提携をして,無料電話相談を行ったりもしています。
このパートナーシップ制度自体は,行政が同性カップルを公的に認め,その方々を支援していく意味を持ちますが,それ以上に婚姻を認めるものでも,婚姻制度に代替するものでもありません。
そのため,正直なところ,この制度は法的にはあまり意味を持たないと言わざるをえません。この制度ができたからといって,法的に婚姻が認められるわけではないので,上記のような問題の解決にはあまり役に立たないのです(もちろん,法的な意味以外では後述のとおり,重要な意義を有する制度だと思います)。
そんな中,今回の大阪での訴訟は提起されました。
その内容について少し考察するとともに,日本の現状について考えていきたいと思っています。
3 大阪で提訴された訴訟について
メディアの記事では,原告となった方は,亡くなった同性パートナーと40年以上も一緒に暮らしてきており,その財産をその同性パートナーと築いてきたにも関わらず,相続をしたのは亡くなった方の妹さん(被告)であり,その方から葬儀の際に家族として扱われなかったり,相続財産を一切受け取れなかったということで提訴したようです。
内容(訴訟物)は,詳細がわかりませんが,被告に対して,不法行為に基づく損害賠償(慰謝料)請求と遺産であった不動産の明け渡しないし移転登記請求をしているようです。
前者の慰謝料請求については,具体的な内容もよくわからないので,割愛させていただき,ここでは不動産を原告が獲得できる道があるのかを法的に考えていきましょう。
私は,毎日新聞のネット記事の「同性カップルも相続認めて パートナーが親族を提訴」という見出しを見たときに,原告は事実婚であっても相続が認められるべきだとか,そういったかなり困難な主張をしているのかと思いました。
そして,事実婚状態のカップルが死亡によりその関係を解消した場合に,相続ないし財産分与の規定の類推適用が認められないというの判例があり,この点を覆すのは異性カップルでも容易ではないため,とても困難な主張をしているのだろうなと推察しました。
しかし,今回の訴訟はそういった主張ではなく,原告は,「生前にどちらがか亡くなった場合には,その財産を贈与する旨の契約があった」という主張のようです。これは,相続を認めろというよりは,法的には「死因贈与契約」が成立していたという主張のように思えます(訴状を見ていないので,もしかしたら原告代理人の考え方は生前贈与やその他の法律構成ということもありえると思いますので,確定的には申し上げられませんが・・・)。
そして,死因贈与契約の場合には,遺言と異なり,口頭でも契約が成立しますので,契約が成立しているという主張はその立証が難しいとはいえ,認められる可能性のある主張と言えます。
しかし,死因贈与は,通常の贈与と同様に,「書面によらなければ」履行前は撤回することができます。つまり,相続人である被告が撤回といえば,死因贈与はなかったことになるわけです。
そうすると,死因贈与契約について書面がないとすれば,それでも撤回ができないという主張をする必要があるわけですが,それはなかなか難しい主張ではあります。
個人的な意見としては,撤回ができないというためには,「負担付死因贈与」であったと構成して,負担を履行していたという構成や,被相続人との死因贈与の契約の経緯・内容などから自由に撤回できない場合があるといった構成をする必要があると考えています。
しかし,これらの主張はその主張の構成も,立証もかなり難しいとは思います。正直,原告側が勝訴できる可能性が高いかと言われれば,可能性は高くないように思います。
それでも,勝ち負けは別としてこの訴訟には,同性カップルの婚姻が認められていないことによって当事者がどのような状況に置かれているかを知ってもらう契機として,とても意義があると思います。
4 同性カップルに対しての差別・スティグマと,今後の議論
私は,この訴訟の意義を「同性カップルへの差別・スティグマ」の再認識と,家族観を含めた法改正への議論の提起にあると思っています。
ネット記事には,原告が被告に火葬場の立会いを拒否されたとあり,その後の被告側への請求に対しても,「親族女性の代理人弁護士には互いを伴侶として40年以上生活し、事実上の婚姻関係だと説明したが、『それらの事情は何の意味もない』と一蹴されたという。」とあります。
これらの事情からは,同性カップルに対する差別を読み取ることもできると思いますし,原告代理人も「法律上のハードル以前に、同性愛者への差別があるのでは」とのコメントをしているそうです。
もっとも,被告も,被相続人が亡くなるまでは原告と被相続人の関係を理解していたのだそうです。そのため,今回の件が差別意識があったかどうか本当のところはわかりません。単に,相続になって財産をもらう権利があるということを主張しているだけという可能性もあるでしょう。
真実はわかりませんが,結果として,同性カップルの二人が婚姻という道を選択できていれば,なんら問題がなかったといえます。
日本には,婚姻というのは典型的な異性カップル間のみの制度であり,同性カップルには婚姻という選択肢はないことは前述のとおりです。もっとも,婚姻ができないことで,法的保障が同性カップルにないというのは間違い無いのかもしれませんが,その不利益は遺言などの契約によって一定程度解消することが可能です。私はそのことよりも婚姻制度から典型的な異性カップル以外のカップルが排除されており,家族観を押し付けられ,異性カップル以外が差別を受けている点が問題の本質だと思います。
法的保障が必要だから婚姻制度を異性カップル以外に広げるべきなのではなく,婚姻制度に暗に含まれている「法的に家族として認められる」ということ(私は「社会的承認」と呼んでいます)が,同性カップルが婚姻できないということは,社会的に同性カップルが家族として承認されていないことを意味するのではないかと思っています。その承認を受けられない根源が差別やスティグマの存在です。
だからこそ,現在各自治体で採用されているパートナーシップ制度は,「社会的承認」の点で意義を有するのです。
しかし,パートナーシップ制度は,あくまでも自治体の取り組みであり,日本の法的な問題とはかけ離れた制度です。今後は,日本の法律のレベルでこの「社会的承認」をどうするかを考えていかなければならず,パートナーシップ制度の採用も,今回の訴訟の提起も議論の出発点でしかないと思っています。
現在,同性カップルだけではなく,異性カップル間でも名字を変えたくないなどの理由により婚姻しないカップルが増えていると聞きます。
婚姻制度の問題は,LGBT固有の問題ではなく,異性カップルにも当てまはるように思います。家族のあり方が多様化している現在,なぜ一対一の異性カップルに婚姻を限定し,その婚姻に伴って名字を変えることを含め不要な義務を課すのかは私には理解できません。
私は,現代社会にあった婚姻制度,それは特定の家族観の押し付けではなく,家族のあり方がそれぞれ違うことを前提とした婚姻制度を構築すべく議論をすべきと思います。
現在,異性カップルに認められている権利を同性カップルにも認めるべきかという議論が展開され,その中で憲法が同性婚を禁止しているというような不可解な議論すらでてきています。しかし,前提として「パートナーを選ぶ権利」は誰にでもあり,それを異性カップルにのみ限定して婚姻を認めていることの是非を問うべきです。
私が今回の訴訟提起によって,社会がこのような議論を活発に行うことを期待し,私も微力ながら福岡の地から,これらの議論を応援し,福岡のLGBTの支援を行い続けたいと思っております!













