腹のかんしゃく玉打上師るるるです。
今年夫の七回忌が終了し
やっとちょっと前に進もうかと
昨日伴侶が死別なさった方が
集まる会に
参加させていただきました。
おひとりおひとりに
人生のストーリーがあり
死別のシチュエーションも様々。
私のようにご主人を病気で亡くした方
突然、前触れもなく亡くした方
事故などに巻き込まれ亡くなった方。
来ていらした方は
どの方も旦那さまを愛してらっしゃって
立ち直っているように見えても
傷はまだまだ癒えていません。
その会の終了後
参加された半分以上の方が
話し足りない!と二次会に。
私も参加させていただきました。
その中で感じたのは
存在していた頃のご主人の姿が
心の中にあり
永遠に帰って来ないと
わかっている時間を
自分の中で
咀嚼しようと走り続けているということ。
虐待にしてもDV、死別にしても
正直経験した人しか
わからない痛みがあること。
今回集まられた方たち
ほぼ全員に同じ経験がありました。
それはお友達と話をしていて
話が合わなくなり距離をおき
引きこもりがちになるということ。
「スーパーやコンビニに行けなくなった」
「ファミレスに行けなくなった」
「電車にも乗れなくなった」
「外に出たくなくなった」
その場所に行くと
仲の良い夫婦や家族の姿を
イヤでも見てしまうことになります。
それを見たくない。
悲しみよりも苦痛を感じると
おっしゃる方がやはり多かった。
なのに
「いつまでそうしてる気?」
「まわりが心配してるのわからないの?」
「自分でそう選択してるんでしょ?」
「気にしなきゃいいだけでしょ?」
「元気そうでよかった」
「なーんだ元気じゃん!」
・・・と。
以前別ブログでも書きましたが
仲の良かった家族・友人が亡くなったときのデリカシーのない発言・・・
そういった心が凍るひと言を
悪気もなく浴びせられることが
多々あるんです。
しかも死別後の人たちは
心が弱っているため傷ついても
それに対し反論はしない方が大半。
(実際は「しない」ではなく
「できません」なのですが)
「外に出ないし、
電話をすることもしなくなって
人としゃべることがなかった」
そのため声が出にくくなったと
おっしゃる方が多数いらっしゃいました。
声帯は使わないと衰えていきます。
そして声帯が衰えると
喘息様になったり
飲み込むのが億劫になり
食欲も減退しがち。
そういったことから
肩こりが生じたり鬱状態になったり。
それでも生きていくって
すごいことなんです。
過去ブログでも
今伝えたいメッセージを書いていました。
「さよなら」を何度言っても
きっと「さよなら」にはなりません。
今はしゃがんでしか言えない
「さよなら」を
ゆっくりゆっくり立ち上がって
「さよなら」と笑顔で言えるような
そんなイメージで良いのだと思います。
記事を最後まで見れたら
ポチしてくれるとうれしいです
理由がわからないイライラ
消化が悪い
常にイライラ
もやもやが止まらない
頑張ろうと思っている時に邪魔が入りやすい
地に足が着いていない気がする
背中が痛い
気が付くと妬んでいる時がある
元気がないと言われることが多い
ストレスの原因は自分自身がよく知っている