腹のかんしゃく玉打上師るるるです。
夫の七回忌を終えて
ちょっとずつわかってきたことがあります。
それは
今まで自分は「がんばってきた」
ずっとそう思ってきたということ。
たしかにがんばってきてないとは言いません(笑)
ですががんばってきたというより
何をするのも
「必死だった」んだな、ってことです。
私の場合食事もそうでした。
夫を看取る1年間は
食べても太ることはありませんし
「がんばって」食べていました。
おそらくちょっと気を緩めたら
激やせしていたと思います。
看取った後、どうしたかというと
子どもたちを育てていかなくてはならない
義母のお世話をしていかなくてはならない
それをこなすためには
倒れていられない、食べないといけない。
その重責は今でもありますが
その当時は義母のこともあったので
異常なほどでした。
しかも私の父は明治生まれ。
戦争のことを良く聞かされ
食べられるこの時代に
自ら食べないなんてことで
倒れるわけにいかない。
だからできるだけ
必死に食べるようにしました。
そのため体重が痩せたり
大病になるということは
現在までありません。
(この先は神のみぞ知るなので・・・)
ありがたいことに
必死にならなくてはならない
そんな状況下に置かれたのも
よかったのかもしれません。
その時にハタっと気が付いたこと。
その必死にやってきた案件は
私は断ったりすることはもちろん可能でした。
だけどそれは自分が変わるチャンスを
潰すことにならないか?
「今やりたくないって思ってる自分」を
正当化させることに何の意味があるのか?
(↑こ、ここまで必死にならなくていいけど)
だったら
「イエスマン」になってみようか、と。
余談ですが映画の
「イエスマン」は極端ですが
あれくらいの気持ちを持とうかと。
だから最初は苦しかったです。
色んなことが。
ただ途中から他人に
自分の力量を求められることは
幸せなことなんじゃないかと
思えるようになったことで少しずつ
外にも出られるようになったのは間違いありません。
必死になっていると
ある意味
やみくもに動いているということなので
危なっかしくもありますが
余計なことは考えなくていいですよ。
「私は○○が苦手なんで・・・」とか
「私それはしたくないんで・・・」と
最初からできないことアピールするのやめましょう。
何でも必死にやれば
テキトーかもしれないけど
できるようになりますから。
できるようにがんばる、ではなく
できなくてもいいから必死になろう!
その途中経過に意味があるのだから。
記事を最後まで見れたら
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